僕の心が染まる時   作:トマトしるこ

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いやぁ、お待たせしました。
ちなみに死んでませんので。


008 四月十三日

 知らない天井が、ゆっくり広がった視界に映る。真四角で真っ白な模様が隅から隅まで……あ、保健室だ。知らない場所じゃないや。

 

 でもなんでここに……。

 

「はろー、気分はどうかな?」

 

 シャーっとカーテンが開けられ、その向こうから友人によく似た女子がベッド脇の椅子に座ってにっこりとほほ笑んだ。

 

 外側に跳ねた水色の髪に真っ赤に輝く赤の瞳。姿勢が良く茶目っ気と気品が混じりあったイレギュラーと呼ぶべきかな。溢れる自信の有り様に、僕でもわかる程凄い人だ。

 

 ルームメイトによく似ている様で真逆なこの人は誰なんだろう?

 

「あの……どなたでしょうか?」

「誰だと思う?」

「えぇ?」

 

 なんかめんどくさい人だなぁ。

 

「分からないから聞いているんですけど」

「アハハハハ! それもそうだね! それにしても、初対面の人によく言えるね、そんな棘のある言葉」

「馬鹿にしてきたのはあなたの方じゃないですか」

「あら? これは失敬。お詫びに自己紹介するから許して?」

 

 返事を聞かずに、目の前の女子はどこからか高級感のある扇子を取り出してバッと開き、口元を隠しながら喋った。扇子には"学園最強"と書かれている。

 

「二年一組、ロシア代表の更織楯無よ。生徒会長なんかもやってるわ。よろしくね、名無水銀クン♪」

 

 つまり、この人は学校の先輩で、国家代表で、多分専用機も持ってて、生徒会長もやってて、簪さんの親族であると。すっごく似てるし、きっと噂のお姉さんだね。

 

「えっと、名無水銀です。はじめまして」

「………あっさりしてるわね」

「そうですか?」

「まあいいんだけど」

 

 扇子を閉じて、観念したように力を抜いた更織さんは、今度はリンゴとナイフを取り出して皮を剥きはじめた。

 

「身体の調子はどう? あなた達の部屋よりも、ここの方が設備がいいから運んだんだけど」

「身体の調子? 普通ですけど。………というか、また僕は倒れたんですか?」

「んー、見て思い出そうか」

 

 懐から……じゃなくて、席を立ってからカーテンの外に出て、物音が数分続いた後に戻ってきたときには、携帯モニターが両手にあった。流石にあれは取り出せないらしい。

 

 更織さんの頭を包むように光が溢れ、ISのヘッドギアが装着された。コードを服から取り出して、モニターとヘッドギアを繋いでアイセンサーで何らかの操作をしていると、いきなりモニターの画面が切り替わる。

 

 ここは、アリーナ?

 

「試合が終わったあと、急に吐血したのよ」

 

 その言葉でようやく思い出すことができた。

 

 

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 

 

 

 やはりというか、負けた。手加減なんてできるほど実力者じゃないから僕なりのやり方で全力を出してやってみたけど……難しいよね。

 

 バタリとグラウンドに寝転がって、大型スクリーンに写し出されているシールドエネルギーを見る。当然、僕の残量はゼロで、織斑君は……たったの六。

 あと……数秒凌いでいれば、何処かで別のアクションを起こしていたら、僕が勝っていたかもしれない。

 

 悔しい、な。でもこれが現実だ。今現在の僕をそのまま表しているようで、悔しい。

 

「げほっ…」

 

 途端に口の中が生暖かくて鉄臭い液体で溢れかえる。喉の奥から湧いてくるそれに溺れる前に、身体を横に傾けて四つん這いになり吐き出す。

 

 血。

 

 分かっていたさ。スポーツだってそうそううまくいかないのに、もっと激しく動くISで無事に済むなんて話ありえない。

 

「………っは」

 

 左足の力が抜けて倒れこむ。べしゃり、と嫌な音をたてて自分が作り出した血溜まりに突っ伏した。

 

 髪飾りと簪を外しておいて良かった。着けたままなら今頃血で染まっている。僕の予感も、たまには当たるらしい。

 

 息苦し い。喉の奥に何かが詰まっているような感覚がする。今日はなんだか、いつもより酷いな……。いっつも思うんだけど、僕にとっての適度な運動ってどれくらいなんだろ?

 

 そうだ、立とう。立ってピットに戻って、格納庫に武器と機体を返して、部屋でゆっくり休まないと。

 あ、でもその前に簪さんに謝らなきゃ。負けてほしくないって面と向かって言ってくれて、武器選びも手伝ってくれたし、僕には出来ない設定いじりもしてくれた。期待に応えられなかったこと、ちゃんと詫びよう。

 ……そう言えば、オルコットさんとも模擬戦やるんだっけ? ビットの修復は終わったかなぁ? ちょっと気になるんだよね、あれ。流石に今すぐはできそうにないから、今度お願いしてみようかな。

 

 結局何をすればいいんだろ?

 

 というか、何をしてたんだっけ?

 

 あれ? 僕、ぼくは――――

 

「名無水!」

 

 誰かが大きな声で叫んでいる。誰かを呼んでいるみたいだ。ズンズンと大きな音を響かせて何かが近づいてくるのがわかるけど……なんで僕のほうに?

 音のする方を向くと、白くて大きな人型の何かが走ってくる。このままだと蹴り飛ばされそうだ、急いで避けないと……って、これ向こうが退くのが普通じゃないかな? でもそんなつもりなさそうだしなぁ。どうしよう……。

 

 手を伸ばせば届く距離まで近づいてきた白の人型は、屈んで僕の様子を窺っている。

 

「おい! 返事しろよ、名無―――

「触らないで!!」

「うお!?」

 

 そんな白の人型を押しのけるように水色の人型が割り込んでぐっと顔を近づけてきた。赤の瞳を潤ませながら、ぼやけた目でもはっきり見える。

 

 見覚えのある顔と機体だ。

 

「銀……はがねぇ!」

 

 何かを僕に向かって必死に叫んでいるのは分かるけど、生憎と聞こえない。

 答えなきゃ。誰なのか分からないし、何を言っているのかも聞こえないけど、彼女の言葉を無視してはいけないと、どこかで理解していた。

 

「…………ぁ」

「あ………」

「ぐ……ごふっ!」

 

 声を絞り出そうと力を込めて口から出たのは、彼女の名前じゃなくて噴水のような大量の血液だった。今までは口の端からこぼれる程度だったのに、今に限って……。

 吹き出た赤は彼女の水色の髪と白い肌を汚し、機体にまで斑点をつけた。眼鏡のレンズは赤一色に染まってもう見えない。

 

 謝ろうと口を開くと、また血が溢れた。今度は僕の顔や身体、ラファールの装甲の色を少しずつ塗り替えていく。

 

「…………っ!」

 

 唇を噛み締めて、両手の血の気が引くぐらい強く握りしめた彼女はまた何かを叫び始めた。

 

「両腕の展開を部分解除して!」

 

 なにやらよくわからない言葉が多々混じっていた。展開? 解除? …………ああ、ISのことね。

 

 言われた通りに展開を解除、ぱしゃりと両腕が血溜まりに落ちて飛び跳ねる。

 

 彼女はぐったりとした僕の身体を起こして左腕を肩に回して立ち上がった。どうやら運んでくれるらしい。が、いつまで待っても浮くことはなかった。

 

「PICの出力が安定しない……こんなときに! スラスターはまだ使えないし……」

「お、おい………運ぶんだろ? 手伝うからどうすればいいのか教えてくれ! 急いで保健室にーー」

「黙って! あなたさえいなければ……!」

「そんなこといってる場合かよ! 俺が何をしたのかは分からないし、知らずに傷つけたのなら謝る! でも今はやることが他にあるだろ!」

「ッ! このーー」

「そこまでにしなさいな」

 

 すぐ脇で口論を始めた二人の間に文字どおり割って入った水色の影。彼女とそっくりな見た目の割り込んだ水色の人型は、宥めるように諭していく。

 

「織斑一夏君、君は先に戻って先生に連絡。担架の用意をお願い」

「え、えっと、あなたは?」

「そんなこといってる場合じゃないって言ったのは君じゃなかったっけ? 分かったらさっさと動く!」

「わ、分かりました!」

 

 織斑と呼ばれた少年は元気よく返事をして飛び立っていった。

 

 残った二人は僕を挟んで向かいあっている。気まずそうな表情の割り込んできた水色の人型と、驚きが隠せていない僕の身体を支えている水色の人型。

 

「……彼を運びましょう。話はその後、ね?」

「……うん」

 

 それからはよく覚えていない。時折動いてと言われたから動いた事が数回、気がつけばベッドの上だった。

 更識さんが見せてくれた映像もピットまで僕を運んだ所で終わったので、その先は知ることができなかったけど、知らなくても問題はなさそうだ。

 

「ということ。どう、思い出した?」

「はい」

 

 朧気な部分がはっきりしたのでたすかる。

 

「で、何か用ですか?」

「用って程じゃないわ。本当に体の調子を確認に来ただけ」

「………」

 

 わからない。

 

 この人はほぼ確実に簪さんのお姉さんだ。彼女の言うとおりなら、完全無欠の美人さん……だっけ? とにかく、普通じゃない。僕との接点なんて簪さんぐらいしかなくて、殆ど初対面のこの人がそれだけで見舞いにくるだろうか? そもそも見舞いに来たのか?

 

 聞けばシスコン全開らしいから、簪さんのことだろうなぁ。気が重い。

 

「妹さんのことで、何か言いたい事があったんじゃないんですか?」

「ん? んー、無いわけじゃないけど、今のところは保留で」

「……」

「そうカリカリしないでよ。おねえさんと仲良くしましょ♪」

 

 怪しい。からかってるのかな? でも悪い人じゃなさそうだし、付き合いがある分には問題はない、はず。

 

「えっと、よろしくお願いします」

「ヨロシクね」

 

 利き腕の右手を出して握手をしようとしたけど、点滴に繋がれていたので左手を差し出す。察してくれたのか、更識さんは扇子を右手に持ち替えて握手してくれた。

 

 ……丁度いい。この二年生と二人きりで会うことなんてこの先早々無いだろうから、この機会に聞いてみよう。

 

 簪さんのことを。

 

「あの、更識さんさえ良ければ聞きたいことが―――」

「更識さんじゃ、簪ちゃんと被っちゃうから名前でいいわよ」

「いえ、その区別は付きますか――」

「何、してるの?」

 

 ピシリ、と空気が凍りつく音がハッキリと聞こえた。幻聴じゃない。

 

 閉じられたカーテンの向こう側、保健医の机や診察台が置かれているスペースから確かに声が聞こえた。鈍い僕でも感じられる気配がする。更識さんは余程鍛えているのか、身体がガタガタと震えてるし。

 近づいてきた声の主はカーテン一枚を挟んだ向こう側にまで寄ってきている。逆光でくっきり影が写し出されて、その形から何となく誰なのかを察した。

 

「簪さん」「か、簪ちゃん」

 

 二人揃って同一人物の名前を口にする。何故かちょっと更識さんに睨まれた。

 

 僕のルームメイトで、更識さんの妹、簪さんである。

 

「具合はどう?」

「大丈夫。少しクラクラするけどね」

「……ん。ちょっと待っててね、部屋まで連れて行くから。はい」

「あ、ありがとう」

 

 少々不機嫌気味な簪さんは、包の中から僕の髪飾りと簪を出してきた。わざわざ持ってきてくれたらしい。慣れたもので、鏡も見ずにするするつける。

 

 にこりと笑って頷きを返してくれた。しっかりついているらしい。

 

 そのまま首だけを更識さんに向けると、一瞬にして冷たさあふれる無表情へ変わった。

 

「お姉ちゃん」

「な、何かしら!?」

 

 こぼれた声も表情と同様に冷たさを感じる。

 

 何故か驚いている更識さんは大声を出して姿勢を正した。

 

「………」

「………」

「……ありがとう」

「………」

「そ、それだけっ」

 

 先程までの態度とは一変。照れくさそうに礼を言うと、恥ずかしさを感じたのか、簪さんはバタバタと保健室を出ていった。

 

 多分、あれが今できる精一杯のことだったと思う。今まではずっと敬遠してきたのに今更にこにこしながら引っ付けるはずがない。目の前の人ならさっと水に流しそうなものだけど、そんなことができる人間がたくさんいてたまるものか。元々はお姉さんの事が好きみたいだし、依りが戻るのはそう遠くないかな。

 

 それにしても、置いてかれちゃった。これは一人で帰らないといけないのかな? ちょっと肩を貸して欲しかったんだけどなぁ。

 

 気を取り直して、先ほどの質問をふっかける。

 

「ふぅ、助かったぁ。何されるのか分かったものじゃないわ。それで、何かあるんじゃなかった?」

「はい。更識さんは、妹さんをどう思っているのかなって」

「勿論好きよ! LikeじゃなくてLoveの方ね。それが?」

「何でもありません」

 

 当たり前のことですけど? という様子で、嘘をついているような雰囲気も感じない。嘘つかれても見抜けないだろうけどね。

 でも良かった。どれだけ簪さんが歩み寄っても、更識さんが疎ましく思っていたら意味がない。何かアクションを起こす以前の問題なわけだけど、杞憂で済んだ。

 

「そういう銀君はどうなの?」

「どう、とは?」

「簪ちゃんのこと、気になるんじゃないの~?」

「とても助けられています。今回のこともそうですし」

「そうじゃなくってさー」

「もし妹さんの事を好きだという男が現れたらどうしますか?」

「取り敢えずISで引きずり回して成層圏まで吹き飛ば………はっ!?」

 

 冗談でも、友達としてと言わなくて良かった。本当に……!

 

「そういう引掛けするってことはさぁ、気があるってことなんじゃない?」

「……どんな返しを期待してるんですか?」

 

 YESと言えば成層圏まで飛ばされて、NOと言えば「妹に魅力が無いとでも?」とか言われて深海まで叩き落とされそうだ。

 

 どう答えたところで結果は同じである。

 

「いいからいいから、おねーさんにぶちまけなさいよ」

「………」

「じょーだんだってば。素直な気持ちが聞きたいだけ」

「ストレートに聞くのを恥ずかしがって出た言葉があれって、更識さんわりと偏屈ですね」

「結構ボロクソ言うのね……少なくとも普通じゃないのは認めるけど。ねーねー、いいでしょー?」

 

 この手の人はかなり見覚えがある。気が済まないと気が済まない人だ。だから食い下がるし、時と場所と手段を選ばないことも多い。当たり前だといえば当たり前なんだけど、往々にして何も気にせず考えず兎に角目的を達成したい。そんな人種だ。

 例えた束さんとか。目の前の更識さんとか。

 

 経験則で僕は知ってる。被害が広がる前に折れろ、と。

 

 はぁ、とカーテンの向こうにまで聞こえるようなため息をついて観念した。

 

「とても申し訳なく、そして、とても有り難く思っています。世話になりっぱなしで、迷惑もかけましたよ。それでも変わらずに接してくれますし、おかげで毎日楽しいです」

「だから?」

「好きですよ、簪さんが。友人としてですが」

「うんうん」

 

 少しだけ考える素振りを見せたあと、更識さんはにっこりと笑って満足そうに頷いた。先のような意地悪なものとは全く違う、心からの喜び。

 

「何か?」

「仲良くやってるみたいで良かったって思っただけよ。不仲ならまだしも乱暴してたら本当に殺そうかなって思ってたし」

「それは怖い」

 

 束さんに勝るとも劣らない筋金入りのシスコンらしい。ハエを叩くような軽さで物騒な事を言うんだから。

 

「喧嘩するだけで死にそうだ」

「流石にそこまではしないけど……」

「相手の強さに関わらず、僕じゃあ誰にも勝てませんから」

「別に殴る蹴るだけが喧嘩じゃないのよ? それに、試合だって中々のものだったし、かなり見込みがあるわ」

「才能があろうとなかろうと、僕には関係ありません。ココア一杯分のマグカップに何リットルもの水は入らないでしょう?」

「……そうね、ごめんなさい」

 

 なみなみに注がれた器にどれだけ注ごうがそれ以上入る事はなく、中身を少し撹拌して溢れていく。

 

 物には許容できる限界が必ずある。器をすげ替えるか、破壊して作り直すかでもしない限り上限は変わらない。先のようなコップもそうだし、USBメモリもデータ量の上限は決まっている。

 

 人間はもっと顕著だ。脳が処理できない事態に陥れば思考が固まるし、これ以上は危険だという程の負荷が掛かれば勝手に意識を失う。

 そして人間は特殊でもある。鍛えれば伸びるように、器が水を吸い込んで栄養にすることもある。器そのものが大きくなるこのことを誰が言ったか成長と呼ぶらしい。

 

「とにかく、僕は更識さんに殺されるような事はしていない事だけ分かってください」

「現状はね」

「結構です」

 

 自分ができる側だという自覚がある人間は往々にしてしつこいと言うか何というか……面倒くさい。そして驕りもなければ詰めを誤らない。

 

 大分前から目を付けられていたと実感するとともに、逃げ道を少しずつ塞がれている気分がした寝起きだった。

 

 ちなみに、この後赤面した簪さんは戻ってきてちゃんと部屋まで付き添ってくれた。こういう律儀なところは彼女の美点だと思うなあ。

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 

 走って保健室から出たのはいいけど、銀を部屋まで送ると行ったことを思い出した私は、また顔を出さなきゃいけないのかという恥ずかしさを覚えながらドアの前まで来た。

 

 開閉ボタンを押そうとしたところで中の会話が少し聞こえてきた。どうやら私のことらしい。お姉ちゃんのことだから大体予想はつく。自分で言いたくはないけど、お姉ちゃんってものすごいシスコンなんだよね……。

 

 気になる。

 

 聞けば病院暮らしで、つけた知識も本や又聞きのものばかりで経験がないとか。

 でも弐式の開発を手伝ってくれる銀の様子は本の虫という言葉では片づけられない。実際にその備品に触れ、自分で組んだことのある人間の手付きをしていた。知識だけじゃなく、ISの内部構造や整備に関して言えばそれなり以上の経験を持っている。矛盾だ。

 料理も得意だと言ってたし、実際に食べたらとてもおいしかった。デザートまで作れるし、正直女子の私よりも上手だったりする。悔しい。

 

 そう、やっぱり矛盾する。何があって病院で過ごしてきたのかは知らないし、どんな暮らしを送っていたかも謎。

 

 でも一番は………私のことをどう思っているのか。おせっかいだとか、邪魔だとか、面倒とか、そんな風に思われてないかな……? もしそうだったら、嫌だなぁ。泣いてしまうかも。

 

「好きですよ、簪さんが」

 

 だからこの言葉はとても唐突だった。途中から考え事で聞いてなかったし。

 

「う、嘘、嘘じゃない……よね?」

 

 誰もいないし聞いてもいないのに、つい聞き返してしまう。だって、銀が、私のこと……。

 

 まるで誰かから心臓をわしづかみされたみたいに苦しい。走り切った後みたいに息も荒くて、その場で立っていられないくらい足が震える。ぺたりと膝を合わせてその場に座り込むしかなかった。両手を胸に当てるとドキドキが止まらないし、顔が真っ赤になってるのが鏡を見なくてもよくわかる。

 

 だって……

 

 銀が私のこと、好き、だって。それだけの、たった二文字の言葉なのに、私へ面と向かって言ってくれた言葉でもないのに、盗み聞きしただけなのに……うれしさが止まらない。どこからでも溢れてくる。

 

「すき」

 

 だってそれって……

 

「銀、大好き…」

 

 だってそれって、両想いってこと、だよね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     四月十三日 快晴

 

 次の日とその次の日は強制的に休まされた。倒れるたびに何日も休まされたら堪ったもんじゃない、一体全体どれだけ休むことになるのやら。

 詳しく千冬さんに聞けば束さんが絡んでいるらしく、僕は何も言えなくなってしまったので大人しく療養に専念した。我儘を言い始めた束さんは千冬さんでさえ止められないようだ。さすがは世界最恐といったところか。

 

 とりあえず遅れないように自習しつつ、時に簪さんに教えてもらいながら勉強をすることに。それが終わってからはずっと打鉄弐式のエネルギー配分がどうのこうのとか、組み立てで時間を潰して過ごした。予期せぬ休みだったけど、お陰で結構進んだ。

 

 クラス対抗戦には間に合いそうもないけど、今のペースを維持できれば、その次の公式戦は万全の状態で出られそうだ。いつ頃なのかは知らないけど、すぐ後には来ないでしょ。

 

 そうそう、クラス代表は織斑君で決まりらしい。僕が準備に追われている頃、勝負はオルコットさんの勝ちで終わったって聞いたんだけど、彼女のありがたーいご厚意により譲ってもらったそうな。

 二日間の休み明けに様変わりした様子に驚いて、隣の布仏さんに聞いてみたらこんな返しがきた。

 

「んー、コロリと落ちたんだよー」

「コロリと?」

「チョロイよねぇー」

「チョロイ?」

「むふふ、ななみんもまだまだだね~」

「??」

 

 彼女の言葉を解読するにはまだまだ経験が足りないらしい。

 

 あとは………ああ、なんか簪さんが柔らかくなったような固くなったような。うまく言えないけど彼女の中で何か変わったことや決心した事があったんだと思う。

 お姉さんにありがとうってちゃんと言えてたし、いい方向への変化だと信じたい。お姉さん絡みのことはぶっちゃけ僕に被害が来なければもうそれでいいよ、うん。

 

 たったの一週間と少しだけだっていうのにこれだけの事が起きたんだと思うと、学校って凄いなぁ。皆が一斉に話題に食いついて、二、三日すれば新しい話題が生まれて飛びつくし、それでいて忘れない。

 

 凄く楽しそうでとても羨ましい。時間さえ経てば、学校という空間に慣れることができたら、僕もああやって笑っているだけで過ごせるのかな?

 

 

 

 

 

 ページをめくる時の顔は微笑んでいた。

 




恋する乙女は都合のいい場所ばかり聞き取る

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