きれいな満月が浮かぶ夜。モノレールの駅からまっすぐ伸びる道の先には学園の正門が待ち構え、その中央に腕を組んで待人が一人。
「や、一年ぶり?」
「そうだな」
スーツ…は脱いでシャツにパンツの普段着で私を出迎えたちーちゃん。顔を合わせるのは臨海学校以来だ。風の噂とおり、まるで別人のように見える。
ちーちゃんは激しく責任を感じていた。
それもそのはず、はっくんは自分のクラスの生徒で入学前から顔も合わせていてとても気に掛けていたし、あの日一番傍にいたのはちーちゃんだったから。
『世界最強などと持て囃されておきながら、このザマだ……』
電話でそう溢した時の声は今までとこれからも含めて最も苦しいものだったろう。
世間では名無三銀という男性操縦者の名前は公表されていない事を利用して、次第に二人目が居た事そのものに誰も触れなくなるように動いている。詳しい事情を知らない世の中では急に織斑千冬が大人しくなったと、ちょっとした話題になった。
見る人が見ればわかる。大人しくなったのではなく、刀が折れたのだ。しかも折れた刃を鞘に納めて何でもなかったかのように振舞ってひた隠している。
事情を知らない世間は今までと変わらない織斑千冬を求めている。それは関りの深かった1組の生徒もそうだった。最も、その意味合いは全く違うのだが。以前のような覇気を纏う事は出来なくとも、どれだけ力を失っても、せめて立ち振る舞いだけはと努めて装っていて、無理をしているのが私にはよく分かる。
少しだけ嬉しかった。元より身寄りも無く存在が周知されていなかったこともあって、心を痛めているのが私達だけなんじゃないかって思っていたから…。
「流石の私でも夜間は学園内の施設を好きに使えん。私の部屋を使おう」
「えー大丈夫ぅ?」
「盗聴の類が気になるなら好きに調べるといい」
「そっちじゃなくて」
「昨日の内に一夏に掃除させた」
「だったら座る場所くらいはあるか……あいたぁ!」
「流石の私でも1日は持つ」
私の知り得る最短記録は4時間だけどね、という言葉は奥深くに飲み込んでおく。決して、良からぬことを考えていますという気配を微塵も出してはならない。鋭さだけは獣並なのだ、これ以上叩かれてはたまったもんじゃない。
門をくぐった敷地内は、夜間照明のお陰で宿舎へ延びる歩道沿いは十分に明るい。教室棟側が暗いのは単純に利用者が皆無だからだろう。あとはヘリポートのある屋上付近の誘導灯と、なんとかアリーナのでっかいタワーの障害灯ぐらいで、真っ暗である。まぁこんなものか。
影を作りながら黙々と歩く。普段ならくだらない話をふったり、アイアンクローをかまされそうなうざったい絡みをするのだが、ちょっと怖かった。あまり気にしなくても大丈夫だろうし、こうやって気遣われることを嫌う性格なのは百も承知なんだけど……。
もし、もしも、私の想像しないような寂しい様子を見せつけられてしまったら、私のショックは計り知れない。
電話越しでも分かるほど織斑千冬という刃はぽっきりと折れて、牙も砕けた。それは分かる。でもそれ以上はこの目で確かめたくない。
自惚れかもしれないけど、見せたくないとちーちゃんも思ってると、思う。だからちょっとした冗談なら平気で付き合ってくれる。
要は認めたくない。
ただ、この沈黙もけっこう気まずい。なんとかしたいと思いながらも、対人スキルだけは磨いてこなかったツケが回ってきたらしい。部屋につくまで終始無言のままだった。
電子錠を解除したちーちゃんに続く。
「おぉ、本当に綺麗な状態を保っている……」
「だから言っただろう」
「だって4時間したら散らかりまくってたギャフン!」
「今時ギャフンなんて言う奴がまさかこの世にいるとはな」
「言わせておきながらそんなこと言うの?」
我々も大人になったんだなぁと思い知らされる出来事である。それくらい衝撃的なのだ。
カメラと写真で生徒用の相部屋は見たことがある。駅前のホテルであの部屋を作ろうものならウン万円しそうな高校生にはもったいない高級志向だったが、教員用はさらにその上を行く。ワンランクグレードを上げた内装と備品からは、どこを切り取っても絵になるし、上品さがある。一人部屋で少々狭く感じるが、それでも十分に広い。
読書用と思しき身体が沈みそうなソファに腰掛ける。おぉ、10センチは沈んだ。これは気持ちいい。
だらしなく身を任せていると、ソファとセットのテーブルにコーヒーが現れた。用意したちーちゃんは仕事用デスクに備え付けのチェアを動かしてきて、テーブルを挟んだ向かい側に落ち着ける。
「で、何が聞きたい」
要件など分かっている。世間話はもう済ませたとばかりに切り出してくれた。正直、助かる。
「……共犯者がいる。学園の中に」
「だろうな。だが、見当がつかない」
素直に驚いた。
「……調べてるの?」
「いや。だが、誰が見ても明らかだろう。偶然にしてはトントンと進み過ぎている。それに、この長期間お前と亡国機業という大きな組織から個人が逃げ続けるのは不可能だ。だが、」
「目的とメリットが謎だ」
「ああ」
亡国機業に粉をかけて掌を返し、二人目の男性操縦者を殺してまでして、私でも解析できなかったISを持ち去った。
デメリットが大きすぎて手を出す旨味が無い。
公にテレビで取材などされていないと言っても二人目の男性操縦者。担任にはかの織斑千冬。規模や影響力は知らないけど、日本名家のサラシキとかいう裏家業の家の次女と交際もしてた。当主の姉はシスコンで本人もいたく気に入ってたらしい。もし危害を加えれば、世間が、世界最強が、暗部からの制裁が待っている。
さらに言えばこの私もそうだし、亡国機業とて黙っていない。殺してくれと懇願するような地獄に片足を突っ込んでいるようなもので、楽に死ねるならまだマシだ。
大半の問題は織斑千冬の名前が解決してくれるし、その影響力はたとえ委員会の委員長であっても無視できないはずなのだ。お茶の間での知名度とメディアの露出の多さに、未だ破るものが現れない最強伝説を打ち立てた女優顔負けの美貌とスタイルは、老若男女国家言語を問わずに圧倒的な支持を獲得している。世間は間違いなくちーちゃんへ味方する。
もしこの事実が白日の下に晒されれば二度とお日様の下を歩けなくなる。それが最低限だ。そんなリスクを孕んでいながら、奪ったISが使用できるかどうかも分からないのに、それを実行した。
そこまでして何がしたかったのか、何がそうさせるのか。それが全く分からない。
「………」
「………」
二人で5分ほど唸っても答えは出なかった。
「分からんな」
「うん。分かるところから整理しよう」
時系列に沿って、思えばあれは不可解だった点を一つ一つ挙げていく。
・ゴーレムは誰かからのクラッキングを受けて私の制御を離れ暴走した。それも二体。つまり、私と同等の技術を持つ誰かが関与している。
・暴走したゴーレムはプログラミング済みの行動でリモートではなかった。また、難解複雑多重のパスで一切の情報開示を受け付けない。
・亡国機業が接触したのは両親の形見が理由。殺害とは目的が離れているため標的ではない。また、狂気に駆り立てる行動をとることもない。シロ。
・いじめについては、学園で死亡した卜部とかいう女が首謀。取り巻きはただ付きまとうのみで、今まで三人の中では話題にも上がらなかった。なぜいきなり銀をいじめ始めたのかについては不明。
・殺害前の精神状態、また電話の件は悪魔のいたずらとしか言いようのない偶然。私、更識簪にその意図はなかった。人為的とこじつけるなら、精神不安定な状態にまで追い込んだ時に頼る先が私達二人だということを知っていたことになる。現実的ではない。
・亡国機業+銀の学園生襲撃は、亡国機業側の事情と銀のおかしな希望。それ以前の精神異常や食人行為が引き金で異常をきたしていたとみるべき。
・ジジイから亡国機業へ話が持ち掛けられ、機体は委員会が、銀は亡国機業がとりわけにて話が成立。実際はジジイの契約不履行により銀が死亡。
………
……
…
「こんなところ?」
「他にもあるだろうが、今は十分だ。挙げ過ぎても分からなくなる」
「どうしようか」
「直ぐに調査出来るところから始めるしかない。あとは芋づる式に引っ張り上げるか、パズルのようにピースをはめるか」
少しでも疑問に思った事を書き連ねてみたが……これらが本当に結びつくのかさっぱり疑問だ。いじめの首謀者の動機は想像通りな気もするけど。
さて、どうしようか。
私としてはジジイの情報が少しでも手に入って厳重に監視されているゴーレムを触らせてもらえればそれで良いのだ。ちーちゃんに手伝ってもらうつもりは全くなかった。まだ立ち直れていない親友を振り回すなんて、流石の私でもしない。
だが、なぜか活き活きとしている親友を見てしまうとそうも言えない。もしこの件が解決すれば立ち直るきっかけになるかもしれないと思うと、何も言えなかった。
それに手伝ってくれるというなら有難い話だ。断る理由も無いし、私は何も言わなかった。
―――真相にたどり着くことが、決して良い事とは限らないというのに