僕の心が染まる時   作:トマトしるこ

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急転直下。


020 五日目―暗転

私はかなり苛立っていた。

 

昨日はお姉ちゃんと喧嘩したりしたけども仲直りできたし、昼間の機体実験も上手くいった。何より久しぶりに銀の声も聞けた事もあって上機嫌なまま布団に入ったのに。

 

朝一の電話で全部台無し。思い返すだけでも頭にくる。

 

「更識さん、名無水銀との接触を控えてください。彼は暴力に快楽を見出すような危険人物なのです」

 

馬鹿馬鹿しい。銀に限ってあるわけが無い。虫一匹殺したことの無い彼が人に暴力を振るえるか?

 

断じて否。

 

銀は年齢に比して成長が遅い。上手な感情の処理が出来ていない様子が散見されたことから、まだ知らない事ばかりなんだ。人に手を上げる事や、仕返しする事、悔しくても耐える事、人を頼る事。

 

暴力も知らない銀にそんなことが出来るものか。

 

……やや攻撃的な銀かぁ。

 

『簪は悪い子だね。これはお仕置きが必要かな?』

『いたっ。痛いよ……噛まないで……痕がついちゃう』

『つけてるんだよ。逆らわないように、逃げられないようにね』

『あっ……』

 

とか? 両手両足抑えられて?

 

「……あり、かも」

 

普段は優しい銀が私のこととなると態度が豹変して、見えない場所に程よく"お仕置き"されるのが何故か容易に想像出来た。舌なめずりをしながら、獲物を喰らう獅子の目で、荒い息を耳に吹きかけながら首筋を舌先でなぞるように、べろぉ、と――

 

「っ!」

 

ぞわりと身体が震えた。想像しただけでこうなるのに、実際にそんな目にあったらもう、もう……。

 

いや、いや待て私。こんなのもあるぞ。

 

『銀、ダメじゃない。やっておいてって言ったのに』

『ごめん、簪』

『ダメ。前は許してあげたから今日はお仕置き』

『そんなぁ。嫌だよ僕、簪怖いんだって』

『仕方ないじゃない』

 

「だって、銀が可愛いんだもん」

 

はっ、となって口を両手で塞ぐ。周囲を見渡すが朝早い廊下には誰もいない。安堵のため息をついて思い返した。

 

銀が受け。攻めに比べたらギャップは無いが安定感はある。朝起きたら私に両手両足を縛り付けられて、はだけた服の上から指でなぞったり、時には覗かせた肌に爪や唇で痕をつけて、少しずつ脱がして傷物にしていく。

 

私が苛虐的になるところは想像出来ないけど、銀が頬を赤らめて抵抗しつつも気持ち良さそうに受け入れる姿はやっぱり容易に想像がつくのはどうしてだろう。

 

というところまで考えて正気に戻った。

 

何を考えてるんだろ、私。縛るとか縛られるとか。しかも人気がないとはいえ同級生が泊まっているホテルの廊下でなんて。

 

これはお姉ちゃんのせいだ。昨日銀を婿に迎えるとかお嫁に行くとかそんな話するから変になってるだけだ。うん。あと倉持も。

 

でも倉持の人の不安も分からないわけじゃないのだ。世間一般からすれば、IS関係者でさえ銀の情報は公開されていない。義務教育を病院で過ごしたり、一年前までは完全に失踪状態。どんな機関でも足取りを掴めないのは不気味の一言に尽きる。

 

彼等には銀が居なくても織斑一夏という最高の人物が既にいる。得体の知れない男性操縦者は必要ではないと言うことか。

 

冷静になって考えればわかる。厄介事は欲しくないのだ。

 

その事実が狂っていた頭を怒りに引き戻す。

 

織斑一夏は確かに出来た人間だろう。聞けばかなりの朴念仁だが、今のご時世では化石レベルの正義感を持っている。加えて女性顔負けの家事スキルまで付いてくるとなれば二乗してもお釣りが来るくらいか。

 

だからと言って銀が劣る訳では無いことを、私は知っている。

 

くだらないダジャレなんて言わないし、気の利いたジョークで笑わせてくれる。私とお姉ちゃんの間も取り持ってくれた。料理やお菓子までお手の物。華奢だけど容姿は人気のアイドルみたいに整ってる。何よりISにかなり詳しい。

 

ただ他人より身体が弱いだけでここまで言われるなんてあんまりだ。

 

だから。

 

「私が…」

 

変えてやる。要は名無水銀という人物が好印象であると周りに認めさせればいいのだ。世間知らずなところも、持て余している感情も、ちょっとした社会常識まで全部。私が銀に教えてあげればいい。

 

今の銀は真っ白な紙に三色ばかりの絵の具が垂らされただけで絵にすらなっていない。そこに新しい絵の具を増やして、筆をとって自分らしい絵を描いてほしいのだ。

 

それが銀の為。真っ当な評価を受けられれば、織斑一夏と比較され貶されることもないし、名無水銀として見てもらえる。

 

それが出来るかどうかは私の匙加減次第。

 

旦那()の将来が()にかかっていると言うのはどの世界でも変わらない事実だ。

 

………自分で考えておいて照れてしまった。

 

「えへへ」

 

そうだよ旦那なんだよ? 私奥さんになるんだよ? 結婚だよ結婚。

 

ずっと女子校にいたから男の子と縁なんて無かったのに、卒業して入学して、たったの半年で恋をしてお姉ちゃん公認で番になれる。

 

「あは」

 

私が銀にいっぱい色んなことを教えて銀は私好みの彼になる。

 

私は銀に似合う、虚弱な彼を支えられるようなより良い女になる。私は銀好みの女になる。

 

「えへ、えへへへ、あはぁ」

 

また一転して、私は狂ったように笑う。火照った頬を覚ますように手のひらを添えて。

 

「えはあははあはははははあはぁ」

 

狂ったように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は……というか今日も本の虫だった。課題は終わったんだけど、お陰でやる事が無くなったからだ。掃除もしたし、洗い物も片付いてる、部屋は散らかす人がいないので常に整理整頓されてるし。

 

最初は簪のお気に入りアニメを見てたんだけど、DVD一本見終わった頃に疲れて今に至る。

 

手に持っているのは今朝の新聞だ。一面にはやっぱり学園一年生特集ということでどーんと専用機持ちが写されている。昨日聞いた軍用機の暴走はどこにも載っていないのは、簪が言う通り極秘だからかな。

 

お馴染みとなりつつある椅子に腰掛け、読む予定の本を数冊机に積み上げ、温かい自販機のお茶を片手にゆったりと過ごしていた。

 

勿論、亜紀原さんも一緒だ。

 

ちなみに今僕が読んでいるのは最近話題の小説で、亜紀原さんはイギリスの高級志向なファッション雑誌。どうやら英語も難なく読めるらしい。

 

物語も終盤に差し掛かってきたところで、右手をペットボトルへ伸ばす。

 

「ありゃ」

「どうかしましたか?」

 

軽い手応えから中身が空っぽになったことを察して変な声が出てしまった。亜紀原さんが不思議そうに尋ねてくる。

 

「お茶が無くなったみたいで」

「買ってきましょうか?」

「うーん」

 

三時間ぶりに会話らしい会話をしながら身体をほぐす。カチコチに固まっているらしい。

 

「身体動かしたいので自分で行きます」

「そうですか。私も同行してよろしいですか?」

「勿論です」

 

どうせなら少し休憩にしようかな。読んでばかりだと疲れるし。

 

読んでいた面を伏せ立ち上がる。

 

その動作を遮るように、目の前に温かいお茶のペットボトルが差し出された。

 

「……卜部先輩?」

「どぉも」

 

差出人は、イチャモンをつけてきた卜部先輩だった。今日はいつもの取り巻きがいない。一人らしい。

 

「どうされました?」

「いや、ちゃんと謝ってなかったなーって」

「え?」

「だから差し入れ。そっちの人のもね」

「あ、ありがとうございます」

「じゃ」

 

二本受け取って、ぼーっと背中を見送る。いきなり現れては風のように本棚に消えていった。何だったんだろう。

 

「何だったんでしょうね」

「さ、さあ」

 

亜紀原さんが僕の気持ちを代弁してくれたけれども、僕も困惑しているので返す言葉がない。恐らくお詫びの品に当たるお茶を二つ手渡して帰ってしまった。言葉通りに受け取るべきなのかな。

 

取り敢えず一本は亜紀原さんに渡してもう一本は貰うことにした。せっかくの好意だし、受け取っておこう。それに買いに行こうとした矢先だしちょうど良かった。

 

腰掛けて一口。喉を潤したところで閉じたばかりの新聞を手に取った。

 

 

 

 

 

「起きてください」

 

ハッキリとそう聞こえた。言われた通りに身体を起こすと、僕は机に突っ伏していて、亜紀原さんは僕の肩に手を置いて立っていた。

 

いつの間にか寝ちゃってたみたいだ。

 

「す、すみません。居眠りしてたみたいで」

「いえ、私も気づいたら眠ってしまいました」

「珍しいですね」

「恥ずかしい事です」

 

この人はとても真面目な人だなーって思ってたんだけど、そんな人でも居眠りしちゃうんだ。空調が効いて過ごしやすいし、冷房の効き過ぎで寒い冷えた身体にお茶が効いたのかもしれない。

 

時計は寮の門限の一時間前を指していた。閉館時間も近いし丁度いいころあいだ。

 

「部屋に戻りますか」

「そうしましょう」

 

特に反対されることもなく寮に向かう。途中で亜紀原さんとは挨拶をして別れ、がらんとした一年生寮へ。一階の端にある自室の鍵をポケットから出して遊びながら歩いた。

 

誰かに会うこともなく部屋に辿り着き、鍵を開けて入る。

 

「ただいま」

 

誰も居なくても癖になった言葉を口にして電気をつけた。

 

「え?」

 

頭が理解を拒む。

 

僕の部屋はこうだ。手前に簪の机やベットがあって私物スペースがあり、奥には同じような間取りで僕のスペースがある。ただ僕のスペースの方が少し広くて、点滴台とか血圧計とか色々と置いてあるんだけども。

 

僕の目は、荒らされた僕の私物を捉えていた。

 

割れたマグカップ。

 

破かれた教科書。

 

焦げたノート。切り刻まれたノート。

 

インクが漏れたボールペン。そのインクで汚れたカーペットと机。

 

備え付けのパソコンはディスプレイにヒビが走り、キーが幾つか飛び散っている。

 

木屑を撒き散らした本棚。

 

そして……。

 

「あ」

 

家族の、形見。

 

妹が自分で既存のぬいぐるみを切って縫って作ったオリジナル作品。ブタウサギとそなまんまな名前のぬいぐるみは、綿が内蔵や血液のように飛び散り、全身を切り刻まれ、鼻と耳は床に転がり、目が糸一本で辛うじて繋がっていた。

弟のヒーロー物の人形は全ての関節で切り離され、所々無かったはずの穴があり、抉られ、欠片がそこらじゅうに落ちている。

父さん手作りのガラス細工は粉々に砕けて砂糖みたいになってた。砂場のように山になって。

母さんが編んでくれた、冬に簪と使いたいなとか思ってたマフラーは、元が何だったのか分からなくなるように糸になって散らばっていた。ベットのシーツの上に、カーペットに、ゴミ箱に。

 

「え、あ? はぁ?」

 

目では見えてる。何が起きたのか、どうしてなのか。だいたい検討もつく。

 

ただ、理解してはならないと頭がそれだけを拒む。理解してしまったら、きっと僕は僕を■■■しまうと。

 

「あ、ああ。ああああああああああああああああああああぁ」

 

もう無いんだぞ。

 

退院祝いにと用意してくれていた物以外、何も残ってないんだぞ。

 

一度しか寝そべってないベットも、指紋一つ付いてない最新型のPCも、お泊まり用の布団も、妹と弟のオモチャやぬいぐるみも、姉さんの医学書や僕に着せようとしてたレディースの服も部屋に散らばっていた下着も、両親の趣味の小物や花も、名前入りのマグカップとかシャンプーとか靴とか車とか家とか全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部、ぜんぶ。

 

焼いたんだぞ?

 

「は、はは」

 

帰ってこない。返ってこない。

 

家族が死んだ場所も知らない。墓も知らない。骨も残ってない。

 

僕を繋ぎとめてくれた全部、退院祝いに詰め込んだ。

 

それが? これ?

 

「あはははははははははははははひひひははははは」

 

ありえない。嘘だ。嘘だろ嘘だよね嘘だと言ってくれよちくしょう。

 

………。

 

……………。

 

嘘だって言ってよ、誰か。

 

認めるしかないじゃないか。

 

「あはは」

 

狂ったように笑いながら、大粒の涙を零して、右手で遺された髪飾りと簪をそっと包みながら、膝をついて嗚咽を漏らした。

 

「ははは」

 

狂ったように。

 

 

 

 

 

やっと落ち着いたのは門限を二時間過ぎて、消灯を一時間過ぎた頃。

 

状況を把握できるだけの余力が生まれてきた僕は、誰の仕業なのか、何故か、どうやって侵入したのかといった犯人探し―――ではなくて、誰かにとにかく話を聞いて欲しくて、助けて欲しかった。

 

家族が病室の中の僕にとって全てだった。失って、その穴を埋めてくれたのは束さんとくーちゃん。そして簪。

 

それでも遺品は僕が父さんと母さんの息子だったこと、姉さんの弟だったこと、妹と弟の兄だったことを教えてくれる世界最後のモノだった。それは僕が思う以上に心の支えだったらしい。

 

だから助けて欲しかった。束さんが拾ってくれたみたいに、心の隙間を埋めて欲しかった。

 

息を荒くして携帯を取り出し、電話帳を開く。登録された順に表示された一番上、"篠ノ之束"に電話をかけた。

 

繋がらない。

 

もう一度かけた。

 

繋がらない。

 

次こそはとかけた。

 

繋がらない。

 

何度も何度もかけた。

 

繋がらない。

 

何度も何度も何度も何度も何度もかけた。

 

繋がらない。

 

「なんで……なんでなんだよ……でてよ! 束さん出てよ!」

 

不在通信が五十を超えたあたりでようやく出ないと気づいた僕は悪態をついて束さんに電話することを諦めた。

 

ガリガリと頭を掻きながら相手を変える。くーちゃんは束さんと一緒だろうし、きっと携帯にかけても繋がらないだろう。固定電話もない現状、音信不通と大差ない。

 

簪。

 

お願いだよ。

 

君にはたくさん迷惑をかけてると思う。左腕を失ってからは特にそうだ。でも、もし君に僕の事を想いやってくれる気持ちがあるのなら、助けて。

 

君は君が思っている以上に、僕にとって大切な人なんだ。自惚れかもしれないけど仲良く出来ていると思ってるし、君が僕に対して特別な感情を抱いていることも何となくわかるんだ。それは、僕が君に抱く気持ちと同じだから。

 

更識さんは依存だ、と吐き捨てるかもしれない。例えそうであっても僕の気持ちに変わりはないんだ。

 

だから……!

 

二桁を超えた頃、コール音が途切れた。

 

「かん――」

『しつこい! もう掛けないで! 私は――』

 

罅だらけのガラスが激しく割れる音がした。破片が身体中に突き刺さって、内側から食い破るような痛みを与えてくる。破片はガジガジと僕の心を喰い散らし、力が抜けた僕は携帯を落としていつかこけた時のように体全体で床を打った。

 

電話から何か聞こえる。僕の名前らしい音を発している。

 

きっと何かの間違いだろう。それまで誰かが簪に電話をしつこくかけていたんだ。それが鬱陶しくてあんなことを言ったんだそうだそうに違いないだってもう掛けないでって言ってたし。

 

じゃあ誰が? 大人しい彼女が声を荒らげるくらいかける奴いるのか?

 

「……ぼく?」

 

あぁ。そうかもしれない。いっぱいかけたし。

 

じゃあ束さんは? しつこくてしつこくて、面倒になって出てくれないのかな。

 

それじゃあ僕はどうなるんだ? 家もない、家族もいない。引き取ってくれた人や仲がいいと思ってた人には見捨てられて。

 

僕は弱い。一人じゃ生きていけない。誰かが助けてくれないと、満足に歩くことも食べる事もできない屑人間だ。

 

「……あぁ、そっか」

 

だから僕は、捨てられたんだ。

 


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