僕の心が染まる時   作:トマトしるこ

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017 二日目/宣戦布告

午前7時半。アラームがけたたましく鳴り響く。ようやく眠りかけた頭が覚醒していくのは初めての経験で、とても嫌なものだ。

 

簪がいない夜というのも、割と堪える。昔はいつも一人だったのにね。

 

「っ」

 

身体を起こそうと右肘を起こすと頭がズキンと痛んだ。図書室で上級生に殴られたところだ。

 

理不尽。その一言に尽きる。

 

僕が何か悪い事をしてしまったのなら、百歩譲って分からないこともない(手を上げることが許せないのだ)。でも、そういうわけじゃなかった。関わりのある人は全員覚えているし、あの上級生は初対面の人だった。

 

どうして、馬鹿にされたりしたんだろうか……。

 

その時、枕元に置いていた携帯電話が鳴りだした。相手は……簪?

 

「もしもし」

『うん、おはよう。銀』

「早いね、折角の学外なんだからゆっくりすればいいのに」

『そうはいかないよ 』

「だよね」

 

亀のように身体を起こして、ベットの端に腰掛ける。笑いながら冗談を交えて話す。携帯をスピーカーフォンに切り替えて、机に置いたまま通話しつつ、制服へ着替える。

 

「いった…」

 

簪を編んでいる時に髪を引っ張って、殴られた場所が痛んで声に出してしまった。

 

『銀、どうか、したの?』

「あぁ、いや、ちょっと頭が痛くて」

『えっ? 大丈夫なの?』

 

実は知らない上級生に、いきなり殴られてさ……。と、言葉を続けようとして慌てて口を噤んだ。

 

多分、言えば学園にいなくても問題は解決する。してくれると思う。簪の立場もあるし、織斑先生や更識さんもいるわけで。

 

でも、それって今度は簪に迷惑がかかってしまう。ターゲットが移ったり、もしかしたら手間に思われるかもしれない。それは嫌だ。

 

『銀?』

「ん、大丈夫だよ。ちょっとよろけてぶつけちゃったんだ。腫れてるわけじゃないし、すぐに治まるよ」

『そう? ならいいけど……ごめんね』

「いいって。気長に待ってるよ」

 

それからは他愛のない話をして八時まで過ごした。

 

「じゃあまた」

『うん』

 

そこで電話を切って、得体の知れない感情が湧き上がってきた。

 

僕は、僕は……これで良かったんだろうか?

 

左腕の卵は、薄汚れてきたのかすこし黒くなっていた。後で磨いておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※※※※※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、今日は何を?」

 

亜紀原さんが部屋を訪れてきたので、取り敢えず中に入ってもらった。僕はベットに腰掛けて、亜紀原さんは僕の椅子に座ってもらっている。

 

織斑先生からの課題はそう難しい内容じゃない。今までの総復習に近く、束さんと過ごしてきた僕にとってそこまで苦労はないけど、やたら数がある。でもまぁ……四日もあれば終わるだろうってところかな。

 

腕の怪我があって授業に出れなかった分を取り戻す為のもの、らしい。疎かには出来なかった。

 

昨日は思わぬ事件が起きたものの、ノルマは達成しておいたので残りは約三日分だ。頑張って終わらせて、後はゆっくり過ごしたい。

 

「今日も図書館に行こうかと思います」

「昨日のこともありますが?」

「ええ。なので、授業中に利用してそれ以外は避けようかと」

「ああ、成程」

 

すんなりと納得してもらえたので早速動く事にした。

 

朝食は食堂へ。昨日の一件が広まっているのか、周囲の視線が痛いが亜紀原三という存在が僕を守ってくれている。彼女の傍に居る限りは安全と見て良さそうだ。

 

「いただきます」

「いただきます」

 

特別におばちゃんに作ってもらったお茶漬けをずずずと啜る。亜紀原さんは朝からしっかりと食べるタイプらしく、定食をつついていた。もしかしたら、彼女は織斑君と気が合うかもしれない。意外と健康志向なのかな?

 

「身体の調子はどうですか?」

「今日は少し重たい気がします。昨日は普段より歩きましたから…」

「では、本日はなるべく動かないようにしましょう」

「そうします」

 

ごちそうさま、と合掌。この後は上級生達は授業があるので、僕は図書室に移動するつもりだ。

 

「ん」

「どうかされました?」

「いえ、上司から電話が……」

「出られた方がいいんじゃないですか?」

「まぁそうなんですが…」

「僕なら大丈夫ですよ、多分」

「……すぐに戻りますので」

 

亜紀原さんはすぐに電話に出て、肩で携帯を支えながらトレイを返却口まで返して食堂を出ていった。

 

さて、僕も続こう。長居してたら何をされるか……。トレイを持って食器を返却口まで運ぶ。

 

「あ」

 

昨日の上級生グループの二人だ。まだ僕には気づいてないみたいだけど……関わりたくはないな。

 

ささっと帰ろう。

 

トレイを返しておばちゃんにお礼を言った後、少し距離をとって人の波に隠れながらやり過ごす。

 

「うわっ!」

 

つもりだった。

 

何かにつまづいた僕は綺麗に前のめりにこけた。顔面を打つことは無かったけど身体が全体的に痛い。。

 

学食の床だぞ? なんでつまづくんだ僕は、と思って足元を見た。黒のブーツが不自然な角度をつけてつま先を天井へ向けていた。足の主は……上級生グループの一人。歩いてくる二人に混じっていない三人目だった。

 

「こっちこっちー」

「あーもう、早いって…ばっ!」

「うごっ!」

 

飛んだ。いや、浮いた。

 

二人組が呼ばれていることに気づいて、駆け足で寄ってきて僕の腹を思い切り蹴り飛ばした。丁度身体を起こしたところでガラ空きだったのが災いしてジャストミート。

 

「なにか変な音しなかった?」

「えぇー? 気のせいでしょ?」

「幽霊だったりして」

「それかゴミでも蹴ったんじゃない?」

「あー、そっかー。幽霊かなー、ゴミかなー。でもキモくない? 人の声見たいなの出すってさぁ」

「カエルの間違いでしょ」

 

あはははは、と笑って離れていく上級生を睨む。状況を把握しても、脳が理解しようとはしてくれなかった。拒絶だ。

 

ゴミ? ゴミってなんだ? カエル? 僕のことか?

 

……なんどよ。なんなんだよ。訳が分からない。そんな事を笑いながら出来ることが理解出来ない?

 

お前らの方がゴミじゃないか。

 

「ごほっ、こぼっ」

 

地面に二度叩きつけられた身体を起こす。痛みに耐えて咳き込むと、血が口から溢れてきた。

 

「がふっ!」

 

一度関を切ったらもう止まらない。吐くように、血が流れていった。

 

誰か…。

 

周囲を見ると、僕を中心に輪が出来ていた。半径一メートル程の小さくはない人の輪。誰もが手で口を覆い、目を見開いている。食堂のおばちゃん達はここから見えない。亜紀原さんもいない。上級生だけの輪。

 

大半が、笑っていた。血反吐を吐いて倒れる僕を見て、ニヤニヤと心底嬉しそうに笑っている。

 

畜生。

 

そこで記憶がプツンと切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※※※※※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はっと目が覚めた。目だけを動かしてここが何処なのかを察する。懐かしくもない保健室だった。入院していた頃のベットというオマケ付きで。

 

右手側にはナースコールと点滴。左手側には椅子に座って本を読む亜紀原さんがいた。

 

声をだそうとしても上手く出ない。血と一緒に胃液が喉を焼くいつもの症状だ。いい加減慣れた。どうしようかと悩んでいると、衣擦れの音で気づいてもらえた。

 

「あぁ、良かった。起きないのかと思いましたよ」

 

声の代わりに右手の人差し指と親指でマルを作る。オッケー。

 

ジェスチャーで察してくれた亜紀原さんは、ナースコールの横にメモ帳とボールペンを置いてくれた。すごく助かる。

 

『何時ですか?』

「午後の三時です。騒ぎが起きたのが八時半なので……まぁ、時間は経っています」

 

あぁ、どうしよう。課題を進めようと思っていたのにな。お腹は痛いし、喉は焼けるし、最悪だ。

 

それもこれも、あの三人組だよ。

 

昨日の夜や朝まではきっと間接的に何か気に食わないことをしてしまったんだろうと思っていた。そうじゃないと納得がいかなかった。ところがそんな事はなくて、ただ気に入らないから僕を嬲ったように見えた。

 

周りの人達もそうだ。少数の人達を除いて、みんながみんな僕を見て笑っていた。その光景を悲惨だなんて思っていない、バラエティ番組の芸人みたいに痛い目に合っているシーンで笑うことと何ら変わらない。

 

成程。確かに、幽霊扱いゴミ扱いカエル呼ばわりされるわけだ。連中、僕を人として見ているわけじゃないんだろう。

 

不愉快だ。僕が何をしたんだ。こんなこと考えるのも何回目かもわからない。

 

なんで、僕なんだ?

 

「悔しさ、察します」

 

……悔しい、のかな? どう整理したらいいのかわからない。でもムカつくことは確かだ。ムカつくし、イライラする。

 

「どうしますか?」

 

? 問いかけの意図が掴めなかったので、聞いてみる。

 

「言っていただければ、意趣返しの五つや六つは代理でやってやれないこともないですが?」

 

そういうこと。亜紀原さんが仕返しをしてくれるらしい。

 

いいかもしれない。僕は貧弱だし世間知らずな所があるからどういう手が効くのか分からない。片腕もないし。けど、亜紀原さんならそんなことも無いと思うし。僕が想像するより三倍いやらしい手口を使うに違いない。

 

でも…。

 

『僕は、自分で見返してやりたいです』

 

にっ、と亜紀原さんが笑った。つられて僕もニヤリと笑う。

 

少なくとも、腹に一発蹴りを入れたいなとは思った。昔はこんなこと考えなかったのになぁ。これが成長なのかな? 束さん、僕は立派でしょうか?

 

「嫌いではないです、むしろ好ましいですね。しかし、方法はどうされるおつもりで?」

 

筆が止まる。そう、それが問題だ。最初からそれができるなら自分でやってるし、亜紀原さんも自分がやるなんて提案はしない。

 

やり返すなら、僕の得意分野じゃないとダメだ。それ以外は負ける。

 

そう、アレしかない。

 

『IS』

 

亜紀原さんの顔が厳しいものに変わる。理由は言わずもがな。

 

「それならば勝率があると?」

『はい』

 

整備科だろうと一般だろうとどんと来い、だ。

 

三百六十五日、二十四時間常にISを装着し展開していた僕からすれば、三年間授業プラスアルファしか乗れない相手なんて屁でもない、はず。この前の一悶着でも結構やれたし、時間制限設けてもらえたらやれる。

 

整備知識も束さん仕込みの基礎から応用までなんでもござれ、だ。簪は研究所から見てもかなり優秀な人材らしいから、対等に話せるレベルにあるなら充分勝ち目はある。

 

体力的には後者がいいな。

 

「今のあなたは身体を痛めています。そうでなくとも、腕を失ったばかり。あまりお勧めはしません。というより、護衛として認める訳にはいかないのですが」

 

そりゃ……そうだなあ。やりたい放題やっていいわけじゃないもんなあ。

 

『そこを何とか』

「いいえ」

 

……仕方ない、カードを切ろう。

 

『僕の生体データと取引でどうですか? 加えて、日本政府の要望をなるべく呑むようにも心掛けます』

「……」

 

流石に口が噤む、か。そりゃそうだ。虚弱な僕とはいえ男性操縦者のデータはどこだって喉から手が出るほど欲しいに決まってる。加えて言うことは聞くと言っているんだ。

 

自分一人で決めていいことじゃないだろう。ましてや自分のデータなんて、先生や簪、束さんがなんて言うか……考えたくもない。価値なんて僕が思っている以上ある。

 

それだけの意味がこの行為にあるかと言われたら、多分ない。亜紀原さんに任せるか簪と更識さんに伝えればきっと何とかしてくれる。気持ち的には嫌だけど、そうするべきなんだろう。

 

でも、僕は、彼のようになりたい。正義に溢れて、誰かの為に顧みず身体を張って、悪に立ち向かって、剣を振るう。お姉ちゃんに読んでもらった絵本のような、弟と妹が好きだった漫画の主人公のように、僕だってなりたい。動機は不純だし、高潔でもないけれど、せめて自分の力で打開したい。

 

『三人の名前と特徴を教えて下さい』

「…………どうぞ」

 

彼女なら、既に準備を済ませているだろうと睨んでいたけど、まさにそのとおり。十枚ほどでまとめられたレポートを受け取った。ベットのリクライニングで身体を起こして、痛む腕でページを捲る。

 

さっと読んだところ、どうやら全員三年生のようで、最初に僕を殴った人は大企業の娘らしい。他二人は取り巻きといったところかな。

 

成績は中の上程度。特筆する部分はなく、素行が悪い。親の権威を傘に着て不自由なく過ごしているらしい。

 

「それは元より差し上げるつもりでしたので、好きにお使い下さい。ですが、もし勝負を仕掛けるなら条件をつけます。呑んでいただけるのであれば、方々に掛け合いましょう」

 

亜紀原さんは指を三本立てた。

 

「三分間のバトルの制限時間を設けること。非公式で行うこと。深追いはしないこと。理由は、言わなくてもわかりますね」

 

深く頷く。はぁ、とため息をついた亜紀原さんは電話をすると言い残して保健室を出て、すぐに戻ってきた。

 

「対戦相手からですよ」

 

と、いきなり携帯を放られた。掛け合うって真っ先にかけたのは相手からでしたか…。

 

多少は引いた喉の痛みをこらえて声に出す。

 

「もしもし」

『アンタ、あたしと勝負だって?』

「ええ。明日の放課後に」

『ほんっと気持ち悪っ。乗れないとかウワサは聞いてるけどさぁ、何がしたいわけ?』

「さぁ? でも、暴力と侮辱に熨斗をつけてお返ししたいのは確かですね」

『ぎゃはっ。超ウケる! 負けて言い訳か文句言わないならいいわよ。 病弱理由で負けましたなんて、私の株が落ちるしぃ』

「良いですよ。じゃあ変わるので」

 

あぁ、言った。もう取り消せない。やるしかない。そして喉が痛い。

 

「名無水さん。後は私に任せて、お休みください」

 

ありがとうございます、と言おうとしたけどやっぱり喉が痛いのでペンを取る。

『ありがとうございます。ついでにお願いしたい事が二つ』

「ええ」

『これを、用意してください。整備は明日します』

 

さらさらと書き殴って渡したのは、明日の模擬戦に必要な装備品だ。左腕がないから換装の必要があるし、両手持ちの武器は使えない。記憶している限りで、使えそうなものをリストアップして渡した。

 

「もう一つは?」

『臨海学校に行ったクラスメイトや知り合いには、バレないようにしてください』

「わかりました」

 

なんて言われるか、想像するだけで胃が痛くなる。綺麗に終わらせれば大目に見てくれるだろうと信じて。

 

ベットを倒して目を瞑る。すぐに睡魔が襲ってきた。身を委ねようとしたところであることを思い出した。

 

そういえば、課題してないし卵も磨いていない気がする……明日しよう。

 

 

 

 


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