その割には短いんですけど……
「おーっす」
「やあ、織斑君」
ぼうっと簪さんが持ってきてくれた雑誌を読んでいると、医務室に織斑君がやってきてくれた。手には売店でよく売れてるドリンクとリンゴ。
「お前の大好きな宿題だぞー」
「ありがとう」
「……そこはうげーって言うところだろ」
「そうかな? 僕は好きだよ。勉強」
「うげ」
授業を受けれない僕は、こうやってクラスの誰かが貰ってくる宿題で自習をするようになっている。お見舞いに来てくれる人っていったら織斑君か布仏さんくらいだから、一人か、あるいは二人で放課後来てくれるんだ。そして毎日簪さんは来てくれる。織斑君がいると時間をずらすんだけどね。
「調子は?」
「さぁ?」
「さぁ? って……」
「感覚なんて当てにならないから。大丈夫と思ってても、トイレに行って帰ってきたら吐くこともあるし」
「お、おう」
マシになったほうだよ。とは言わない。普段の暮らしで吐くなんてことはないんだろう。
束さんには本当に感謝している。実験とはいえ、卵を預けてくれたおかげで僕はこうして無茶もできるし、歩けるし、勉強もできて、生きていられる。
左腕だった肉の中から奇跡的に無傷のまま返ってきた卵は、右腕に付けることにした。脚だと観察できないし、蹴りそうだし。
「綺麗だよなそれ。生命維持装置なんだろ?」
「うん。厳密にいうと違うんだけど、そんなもの。これがあるから病院の外でも生活できるんだ」
「凄いよな。そんなに小さいのに病院にある大きな奴と同じ機能なんだからさ」
「本当」
血や肉は綺麗に洗い流せたし、臭いも残ってはいない。ただ金属部分と変な反応を起こしたのか、少し黒くなってしまった。ISの装甲がそんな反応を起こすなんて聞いたこともないけど……卵だからこその反応だと勝手に納得した。吐血の際は気を付けようと思います。
「一夏さーん」
「お、セシリアー。こっちだ」
「名無水さんの所でしたか。ごきげんよう、容体はいかがですか?」
「こんにちは、オルコットさん。多分良くなってるんじゃないかな?」
「そうだといいですわね」
「うん」
オルコットさんは織斑君を探しによく来る。誰もいなくて時間がある時はお喋りに付き合ってくれる程度には仲良くなれた。悲しいかな、僕は眼中になくお喋りの内容も八割が織斑君で残りの二割は本国イギリスの自慢だったりする……。喧嘩にならないだけまだいいよね。
「今日も特訓するんでしょ? 早くいかないと場所取られちゃうよ?」
なぜ迎えに来るのかと言うと……放課後の特訓があるかららしい。待たずに来るのはアレだ、悪い虫が寄り付かないようになんだって。
「大丈夫だって」
「急がないと篠ノ之さんが打鉄借りてアリーナに行くかも―――」
「一夏さん急ぎましょう! 膳は急げと言うのでしょう!」
「字が違う! それは段差に躓いてぶちまける方だ!」
感謝しますわ! と言いたげなオルコットさんのウインクに、僕は笑顔で手を振って送り出した。
篠ノ之さんもオルコットさんも凰さんも、みんな彼のことが好きなのは知ってる。そしてそれらを総スルーする彼の鈍感っぷりが銀河級なのも。特定の誰かに肩入れするつもりはないけど、影ながら力になれればいいなと思う。いやだってさ、織斑君がニブイってことをよく知ってるのにあの三人肝心なところでヘタレだもん。独力じゃあ何年かかっても無理だよ、あれ。
「……」
電波時計のカレンダーを見る。今日は六月十五日。
あの事件が起きたのは先月末の日曜日、四月二十九日。
一ヶ月半も経過したけど、僕は未だに自室へ帰ることが許されていなかった。数日に一度は体調を崩してナースコール(?)を押しているのが多分原因。というかそれしかないでしょ。ああ、フカフカベッドが恋しい。ここのはリクライニングとか機能付きだから部屋と比べると物足りないんだよねぇ。
そうそう、一ヶ月半の間にいろんなことがあったっけ。……ここは毎日いろいろあるけど、とびきりなのが幾つか。全部又聞きだけど。
打鉄弐式が完成した。僕らの努力が実を結んで、マルチ・ロックオンも推進バランスも荷電粒子砲もバッチリ動いたそうだ。倉持技研も今後はパッケージや新武装を融通してくれるようになるらしい。担当者は脂汗をだらだら流してひきつった顔をしてたのが笑えたって。スクショを見たけど確かに笑えた。ざまぁないね。とにかく、これで次のイベント、タッグトーナメントにはちゃんと打鉄弐式で出れる。
それがきっかけになって、お姉さんとちょっと距離が縮まったって嬉しそうに言ってたっけ。普通に話すぐらいなら大丈夫、だってさ。
あとは……。
「あの……」
「はい? ああ、デュノアさん」
「やあ。えっと、名無水君だよね?」
「うん」
そうそう、これが一番の出来事かな。
中に入ってきた彼女はそう言って医務室へ入ってきた。
「失礼する」
そしてデュノアさんに続いてもう一人。
「む、リンゴか。誰か来ていたのか?」
「さっきまで織斑君とオルコットさんがね」
「ちっ」
「ラウラ、舌打ちしちゃだめだよ?」
「ふん。上官への無礼は処罰が科せられるが、他は知らん」
「ボーデヴィッヒさんって軍人なんだっけ?」
「ドイツ軍大佐だ」
「大佐ってどれくらい凄いの」
「ふむ……階級を例えるのは難しいな。私に限ってはだが、ドイツのIS部隊を任されている程度か」
「それって多分凄く凄いよ」
「なんだその腹痛が痛いのような言い方は。しかし、凄く凄いというのならシャルロットだろう? 努力や運で階級はあげられなくもないが、生まれだけはどうしようもないからな。大企業の社長令嬢となれば尚更だ」
「やめてよもう……」
金髪生脚美少女シャルロット・デュノア。実態はフランスの一大企業デュノア社の娘であり、フランス代表候補生。自社開発の専用機を預けられた、社会ステータスも実力も持つスター。
銀髪眼帯美少女ラウラ・ボーデヴィッヒ。ドイツ軍IS特殊部隊体長の大佐様。当然代表候補生であり、第三世代を任された戦闘のスペシャリスト。千冬さん大好き織斑君大嫌い。
六月の頭に、二人の専用機持ちが一組へと編入されたのだ。
*********
消灯時間まであと一時間というところ。警備員さんと宿直の先生が来るのを待っていた。
「うわっ」
ぴぴぴと携帯が突然鳴りだした。ビックリしたなぁ。誰から……。
『篠ノ之束』。
直ぐに緑の受信ボタンを押して耳に当てた。
「もしもし」
『はろはろー。はっくん元気?』
「はい。なんとかですけど」
『うんうん。元気ならそれでいいんだよ』
久しぶりに聞いた声がとても懐かしい。でも、まだ三ヶ月しか経っていないんだよね。
『人生初の学校はどうだい?』
「楽しいです。新鮮で、毎日発見ばかりっていうか、学ばされるって言うか」
『友達はできたかな?』
「あはは……片手で数えられるくらいですけど」
『むむ、それはダメだぞー。折角の学校生活なんだからいっぱい友達を作って思い出を残さないと』
「束さんがそれ言います? 千冬さんしか友達いないじゃないですか」
『あ、くーちゃんに変わるね』
聞いてないし………。
『あ、銀さん』
「やあ。元気」
『はい』
「束さんに無茶なこと言われてない?」
『無茶?』
「この服着てーとか、アレが食べた―いとか」
『一時間に一回はそんなことを言ってますけど……』
「うわぁ。断ってもいいんだよ」
『一度お説教はしたんですけどね』
「せ、説教を? 怖いなぁ」
おとなしくて優しい人ほど、怒るときは怖いって聞くけど……くーちゃんが怒ったらかぁ。束さんが正座して俯いてるのが想像つくね。
「それで、今日は?」
『なんとなく』
「そ、そうですか……。あ、卵の成長は順調ですよ。もうすぐ四十パーセントを超えます」
『ほうほう。それだけ、はっくんにとって興味深い出来事があったってわけだ。その調子なら、一年の内に孵化するかもしれないね』
「そうなるといいですねぇ」
『外装は?』
「あぁ、血とかで黒く汚れちゃってますけど特に痛んだりはしてません」
『ふむ。その調子で頼むよ。ところではっくん』
「はい?」
『更識簪とかいう女と仲がいいらしいね。付き合ってるの? ちゅーはした? 子供は何人? 家は見つけた?』
「ちょ!? な、何の話をしてるんですか!? 簪さんとはそういうんじゃありませんよ!!」
『いやぁ、入学早々に浮いた話が聞けて束さんはうれしいよ』
「僕はおもちゃじゃありません!」
『まぁまぁそう言わずに。青春をいっぱい味わえるのも今だけさ』
「絶対僕をダシにして楽しんでる!?」
『それなら聞いてみようか。彼女に対して何も思わないのかな?』
「それは―――」
そこまで言いかけて、口が止まった。
更識簪。
元気や活発という言葉とは縁遠い、おとなしく物静かな性格。見た目にも顕著に表れており、髪が内側に跳ねていたりメガネだったり華奢すぎたり色白だったりとどう見てもインドア。そして学生の範疇を超えた技術者でもある。
身長は僕より少し小さいくらい。無駄な肉や脂肪どころか必要な筋肉まで無さそうなくらい細くて心配になるレベル。そのくせ出ている所は意外とある。更識さんや布仏さんみたいなモンスターが多いもんだから比較してしょげてるけど、日本人の中では十分だとおもう。
自分の意見をはっきり伝えるのが苦手で、流されたりすることが多いけど芯はしっかりしてる。意外なところで頑固だったりするのが面白い。やるときはやるし、それだけの力を彼女は持っている。代表候補生であり、専用機を任され、それを組み上げたのだから。
結論。彼女は十分に可愛い。と、思う。
「何もないに決まってるじゃないですか」
『ダウトーーーーーーーーーーーー!!』
「うるさっ!」
『そんなへたぴっぴな嘘はよくないよはっくん』
『そうです。もっと正直になりましょう』
「二人がかりで攻撃されてる!?」
『あの肌を汚してやりたいぜ! とかないのー?』
「あ り ま せ ん !!」
『えーじゃあ―――』
「電話切りますよ!」
『わーーーっ待った待った! 最期に一個だけ!』
「……なんですか」
『本当に、更識簪に義手を作らせていいんだね?』
急に真面目な話を……よくそんな直ぐにスイッチが切りかえられますね……。
一ヶ月半経った今、僕の左袖は肩からスカスカだ。まだ簪さんは作成中らしい。時間がかかるのは仕方がないと思って、気長に待つことにした。一年中イベントだらけの学園で直ぐに出来るなんて思ってない。
束さんが言いたいのは、時間じゃなくてもっと別のことだろう。そんな型落ちでいいのかとか、その辺。
「自分のせいで左腕を失ったって、簪さんは自分を責めてる。許すと言っても聞かないと思う。欲していたのは罰だよ。だから作ってもらう……いや、作らせるんだ。気持ちを落ち着かせるためには必要なことだよ」
『放っておけばいいのに……そうしないのがはっくんらしいというか、甘いというか。わかったよ、でも何かあれば言うこと』
「うん、ありがとう」
*********
六月を通り越して七月二日。
「よし」
「何がですか?」
「部屋に戻って良し、ってことよ」
ということで、僕は二ヶ月でようやく医務室暮らしから解放された。授業には出られず、というか医務室から出ることを許されず、日々の楽しみは見舞いだけ。一年前のあの頃に戻ったと思えばなんともなかった。
というのは嘘。誰かと一緒に過ごすということを知ってしまった今、それがとても苦痛で仕方がなかった。これからは気を付けよう。
「銀」
「行こうか」
迎えに来てくれた簪さんと一緒に医務室を出る。着替えや荷物の入った手提げは持ってもらった。
医務室のある棟から寮まではすぐだ。あっという間に自室へたどり着く。
「銀」
「ん?」
「おかえり」
「……ただいま」
七月二日
四月の事件からおよそ二ヶ月。ようやく僕は退院(医務室で退院と言うのも可笑しいけど、しっくりくるので)できた。毎日誰かが見舞いに来てくれるとは言え、何もせずにベットの上で一日を過ごすのはキツかったな。
一年前の僕なら何てことは無かった。狭くて白い部屋で一日を過ごすのが僕にとっての当たり前だったから。それを苦しく感じるということは、もう当たり前じゃないってことだと思う。
学園に来て三ヶ月弱。その内自室で過ごしたのは一ヶ月程度。友達を作って、遊んで、勉強して……朝も昼も夜も誰かが側にいてくれる。簪さんや織斑君、周りのクラスメイトにとっては日常のような光景かもしれないけど、僕にとってはとても新鮮で宝物みたいに眩しくて輝いていた。十数年間の習慣を塗り替えるくらい衝撃的だったんだ。
束さんとくーちゃんとの一年間は……楽しかったけど、大変で忙しかったかな。上手く言い表せない。
卵の成長率を見れば明らかだ。一年で数パーセントだったのが、三ヶ月で四十を超えたんだから。
三年間通い続けることが出来るのか僕にはわからないけど、ここに居られる限りは楽しみ続けたい。きっとこんな時間はもう過ごせない。
まぁ、僕の事はこれくらいにして……。
六月の末にまたしてもトーナメントが開かれた。クラス代表だけでなく、全校生徒が参加する学年別のタッグマッチだ。専用機だろうがクラス代表だろうが一般人だろうが企業の娘だろうがおかまいなし。ペアを組んで勝ち抜くというもの。
簪さんは布仏さんと組んで、楽々一回戦突破。したはいいものの、アクシデントにより中止となった。因みに無人機の襲撃ではないらしい。
聞けばボーデヴィッヒさんの機体が暴走したとか。本人も学園もドイツも大騒ぎに違いない。ツンケンしてる彼女がわたわたするところはちょっと見てみたいと思ったけど、不謹慎だって怒られそうだから止めておく。
ともかく、無事で何より。騒ぎを収めた織斑君と篠ノ之さん、暴走したボーデヴィッヒさんと、ペアだったデュノアさんにも怪我はなく、一般生徒と先生も問題なしで済んだそうだ。
追い打ちとばかりにもう一件。ボーデヴィッヒさんが織斑君に告白したらしい。しかも、クラスメイトの前でキスまでするという大胆なことまで。そして嫁宣言。ここまではなくとも、篠ノ之さん達は見習うべきじゃないかな?
そのうちデュノアさんもころっといきそうだね。密かな楽しみです。
それが確か三日前のことだ。織斑君の無自覚ハーレムはとどまることを知らない。これからもころころと落とし続けるのを期待する。
少し驚いたように、ページはめくられる。