『それでは、これより第十三回目の会議を始めたいと思います』
「……それはいいんですけど、何でバッティングセンター?」
『瑞貴ちゃんが言ったんじゃないか。僕の退院祝いにって』
「ボクは鈍った体を慣らすために提案したのであって、会議の場として提案した訳じゃないんですが……」
ボクらがいるのはとあるバッティングセンター。これから行われるのは恒例の世界を滅ぼすための会議である。とはいえ、ただ命令をこなすだけの阿久根は、話に興味が無いのか金網の向こうでバッティングセンターの球を打ちまくっている。まあ、150km/hの豪速球を軽々と打ち返しているのはさすがとしか言いようが無いけど。ボクにしたって興味があるのは球磨川さんと何かをするということだけであって、世界を滅ぼすなんていうのは正直どうでもいいことだ。
そのため、今回もいつもどおりに球磨川さんが議題を出すという流れである。閑散とした店内に響く阿久根の快音をBGMにボク達は話を進めていく。
『今回の議題は、生徒会長になるための方法について。みんなの意見を聞かせて欲しい』
は?という疑問の声がまず出てしまった。生徒会長?この人が?むしろ総理大臣を暗殺すると言われたほうがまだ納得できるくらいだ。
「この学校のですよね?だったら、正攻法では難しいんじゃないですか?うちの中学は生徒会の裁量権が比較的強めだから、去年も立候補者が十人くらいいましたし。悪名高い球磨川さんが当選するのは至難と言っていいでしょう」
『うん。冷静な分析だね』
「それでも生徒会長の立場が必要というのであれば、誰か別の候補者を立てて傀儡政権とするのが一番簡単じゃないですか?」
『瑞貴ちゃんらしい平和的な策だね。高貴ちゃんはどう思う?』
もう打ち飽きたのかバッターボックスから出てきた阿久根に問う球磨川さん。入れ替わるように今度はボクがバットを持ってバッターボックスに立つと、百円玉を入れて球を待ち構える。阿久根とは比べるべくもないけど、ボクもスポーツは全般的に得意なのだ。
「他の候補者を全員潰せばいいじゃないですか。候補者が一人なら選挙も何もないでしょうぜ」
阿久根らしい破壊的な策だ。と、次の瞬間慌ててかがんだボクの頭のすぐ上を150km/hの豪速球が通り過ぎていった。鋭い風切り音が耳元に響く。
「うわっ!」
運悪くピッチングマシンの照準がずれ、ボクの顔面に向かって投げられたのだろう。その後も連続でボクの命を刈り取ろうと飛んでくる球を数発避けたところで、打つのは諦めてバッターボックスから離れたのだった。もちろん、その後は偶然狂っていた照準も元に戻り、何事も無かったかのように誰もいないストライクゾーンに向かって投げ込んでいる。
「ん?おい、血が出てるぜ」
「え?」
阿久根に言われて自分の頬に触れると、どうやら切り傷ができていたようで血が流れていた。
おかしいな……ボールはちゃんとよけたはずなのに。
『へえ、面白いね。これも瑞貴ちゃんの過負荷(マイナス)の効果かな』
「どういうことです?」
そう言って球磨川さんの方に目を向けると、楽しそうな笑顔を浮かべていた。その視線の先には一人の少女の姿が。その少女はボクらには目も向けず、不機嫌そうな表情で通路をこちら側へ向かって歩いているところだった。あの少女に何かあるのか?そう思って観察してみるけど、確かに不良そうな雰囲気の少女だけど特に問題があるようには見えない。しかし、金網のフェンスに寄り掛かっているボクの目の前を通り過ぎた瞬間――
――ボクの全身がズタズタに切り裂かれた
「なあっ!?」
そのまま地面へと倒れたボクが驚いてその少女を見上げると、そこでようやく振り向いてたった今気付いたかのような驚いた表情を見せた。
「あちゃ~またやっちゃったか。反省してますごめんなさいもうしません」
そして、そんな反省の欠片も無い棒読みの謝罪を聞かせてくれた。大量の血を流しながら倒れ伏しているボクを見るその目には一切の同情も後悔も浮かんでおらず、その全身からは危険で凶々しい気配が発せられている。
いつも球磨川さんの近くにいるせいで麻痺して気付かなかったけど、間違いなくこの少女もボクらと同じく過負荷(マイナス)だ。
『すごいねー。瑞貴ちゃんと違って、ちゃんと自分の過負荷(マイナス)を制御できてるみたいだね』
ベンチに座ったままパチパチと手を叩く球磨川さん。次は自分が血塗れにされるかもしれないっていうのにそのおざなりな対応は流石と言うしかない。
『瑞貴ちゃんのおかげかな。こんなに簡単に他の過負荷(マイナス)と出会えるなんて』
「ん?珍しいじゃねーか。あんたらもあたしと同類か。そっちの金髪は違うみてーだけど」
そうは言うもののボクも不良に絡まれるのは慣れているけど、過負荷(マイナス)に絡まれたのは初めてだ。ましてやこれほどの絶対値の持ち主に絡まれたのは間違いなく球磨川さんと一緒にいたからだろう。球磨川さんと出会ってからというもの、ボク自身がわずかずつだけど確実にマイナス成長を続けているのを感じていた。その成果がこれというのはうんざりさせられるけど。
「……まあいいや。帰らせてもらうわ。ここのバッティングセンター全然打てねーし」
『ちょっと待ってよ。高貴ちゃん、瑞貴ちゃん……せっかくだから過負荷(マイナス)ってものを体感してみなよ』
笑顔のまま球磨川さんがそう言ったのと同時に、両手にバットを一本ずつ持った阿久根が少女に襲い掛かっていた。帰ろうと歩いていた少女の背後から上段に振りかぶった二本のバットを全力で振り下ろす。しかし、少女が振り向いた瞬間――ボクの場合と同じく阿久根の全身から血が噴き出していた。
「がああああああっ!」
先ほどのボクと同じように全身を切り刻まれた阿久根が血溜まりに倒れ伏した。
地面に倒れ込んだままその様子を観察していると、ボクにもこの現象についても少しは理解できてきた。まず、どうやら物理的に攻撃を仕掛けている訳ではなさそうだということ。ボクと同じタイプの、と言っても他の過負荷(マイナス)に会ったことないけど、物理以外による『過負荷(マイナス)』の能力によるものだろう。次に、切り裂かれたのはボク達の肉体だけのようだということ。ボク達の服や阿久根のバットは全くの無傷で、ただ皮膚や筋肉だけが裂けているようだ。最後に、どうやらボクのように自動(オート)ではなく自分自身の意思で発動させているらしいということ。
「で?下っぱにやらせておいてアンタはかかってこねーのかよ。アンタがダントツで低い過負荷(マイナス)を持ってるみてーだけど」
『だって僕は一番弱いからね。まあ、高貴ちゃんは相性が悪かったかな。いくら学
習(モデリング)能力が高くてもプラスが過負荷(マイナス)になることはできない』
球磨川さんが話している隙に阿久根の方を目で確認するが、どうやらもう戦闘不能のようだ。これは過負荷(マイナス)が偶然発動してしまったか、襲われて反撃するために使ったかの違いだろう。それを横目に見ながらボクはタイミングを計る。完全に不意を突けばあの過負荷(マイナス)は発動できないはずだ。球磨川さんの異様な雰囲気と話術の前では、必ずあの少女にも隙ができるに違いない。
――今だっ!
ボクは突然起き上がり、少女の一瞬の意識の隙に合わせて全力で蹴りをくらわせた。全身の力を収束した渾身の一撃。
「ごぼっ……!」
少女は開けっ放しの扉から金網の向こうにまで吹き飛ばされる。トラックに轢かれたかのような勢いで地面とバウンドし、ゴロゴロとピッチングマシンの方まで転がった。凄まじい威力の蹴りだったけど、ボクは苦々しく感じて唇を噛んでいた。
「……しくじった」
ふと自分の脚を見るとズタズタに切り刻まれており、筋肉が完全に断裂して動かなくなっていた。寸前に少女がボクの脚を切り刻んだせいで、わずかに威力が落ちてしまったのだろう。手ごたえ、いや足ごたえからしておそらくは立ってくる。まぁいいや、保険は掛けてある。ボクは動かない右脚を引きずりながら、追撃を掛けるために金網の扉の向こうへ歩いていった。
「ぐ……やりやがったな」
蹴られた腹を押さえ、ダメージで足元がおぼつかないようだけど、やっぱり少女は立ち上がってきた。
それにしても他に客がいなくて助かった。学校で年下の女の子を蹴ってる男子なんて噂になっちゃうところだったよ。いや、球磨川さんと阿久根と一緒にいるっていうだけですでに悪評は立ってるんだけどね……。
ヨロヨロと少女へと近づいていったボクはバッターボックス付近で止まり、話しかける。同じ過負荷(マイナス)として尋ねたいことがあったのだ。
「君に訊きたいことがある。……これは、君の過負荷(マイナス)だよね。一体どうやって、自分の過負荷(マイナス)を制御しているの?どうすれば止められるの?」
これはボクが生まれてからずっと考えていたことだ。自分の傷を指差してそう尋ねると、少女は一瞬呆れたような表情を見せた後、あははっと大きく笑い声を上げた。
「あはははっ!そんなことを言ってる内は一生制御できねーよ。過負荷(マイナス)を止めよう、なくそうなんてのは根本から間違ってんのさ。喪失や欠落こそがマイナスなんだからな!」
『異常(アブノーマル)』とは根本的に違うということか……。もちろんこれはこの少女の場合だからボクが同じ方法で制御できるかは不明だけど。でも確かにボクの自分の過負荷(マイナス)をなくしたいという考えが逆に制御の邪魔になっていたというのは頷ける話だ。そんなことを考えながら同時に自分の立ち位置を調整するように微妙に左右に移動していく。
「強いて言うなら受け入れること、じゃねーの」
ふぅ、と溜息を吐いた。球磨川さんじゃあるまいし、そんなことできるはずがない。あの人ならどんな不運も能力も受け入れられるだろうけど、ボクには無理だ。だからこそ球磨川さんはボクなんかを受け入れてくれたんだし、そんなところをボクは尊敬していた。
――球磨川さんの役に立つためには、この程度の敵くらいはボクの手で倒せないと!
横の仕切りに寄り掛かりながら自分の右脚を見ると、鮮血で真っ赤に染まっており全く感覚がなくなっている。少女との距離はほんの数m程度だけど、この脚では間違いなく近づく前に切り刻まれてしまうだろう。
「そう、ありがとう。ところで君の名前は?」
「志布志飛沫(しぶし しぶき)だ。あんたは?」
「月見月瑞貴だよ」
「……で?時間稼ぎはもういいのかよ」
ばれてたか……、質問したかったのは事実だけどね。
ああいいよ、とボクは言いながら百円玉を機械に入れた。ちなみに位置関係はボクがバッターボックス付近でマウンドとの間に少女が立っているという形だ。コインを投入すると少女の背後にあるピッチングマシンから作動音が響き出す。しかし、球が発射される寸前の音だっていうのに、少女はまるで気にした様子も無い。ここは先ほどボクの使っていた150km/hの台なのに、なぜか背後から放たれるだろう豪速球にはまったく気を使っていないようだ。
「後ろを振り向かせて隙を作ろうという策なんだろーが、残念だったな。あたしはこの店の常連でね。この位置にボールが飛んで来ないことくらいは知ってるんだよ」
……後ろを振り向いたらその瞬間に蹴り倒そうと思っていたけど、それは失敗したみたいだ。だけど、それはむしろ好都合。ビュッという風を切り裂くような音が聞こえた瞬間――
「さーて、じゃあ――ッ!?」
――少女の後頭部に150km/hで放たれた球が激突していた。
「ツキがなかったね」
頭から血を流して昏倒してしまった少女を見下ろしながら言い放った。一応、脈拍などを確かめてみると死んではいないようなのでボクはふぅ、と安堵の溜息を吐いて立ち上がる。そして、再びピッチングマシンから放たれた二投目はまたしてもあらぬ方向へ飛んでいく。それは先ほどと全く同じ軌道をとり、正確にボクの頭へと向かったデッドボールだった。
「知らなかっただろ?この台はボクがバッターボックス付近に立ったときに限り、普段とは全く違うコースに飛んでくるってことを」
そう、ボクがやったのはピッチングマシンとボクの顔面の間に少女の頭が来るように自分の位置を調節したことだけだ。そうなれば当然、ボクの頭を粉砕しようと迫り来る豪速球は手前の少女の後頭部に直撃することとなる。
『よくやったね、瑞貴ちゃん』
振り向くと球磨川さんが嬉しそうな表情で両手を広げるようにしてボクに声を掛けてくれた。ちなみに阿久根は動けるようになったのかベンチで自分の応急処置を施している。
『自分の過負荷(マイナス)を利用できるようになったみたいだね。まずは自分の不運を認めること、それが制御の第一歩だからね』
そして、球磨川さんは少しの間あごに手を当てて考え込む。
『せっかくだから二つ名みたいなの付けよっか、週刊少年ジャンプっぽく。うーん、そうだな……。じゃあ高貴ちゃんは「破壊臣」で瑞貴ちゃんは「壊運」ね。右腕と左腕みたいで格好良いね。それとも両腕と両脚かな?それじゃあ、二人ともこれからもよろしくっ!』
「はい!」
球磨川さんはこんなボクでも頼りにしてくれているんだ。そのためにはもっと強くならないと。ボクはさらに一層、球磨川さんの望みを叶えるために努力する決意を固めたのだった。
それから数ヵ月後、あまりにも最低な方法で球磨川さんは生徒会長に、ボクは庶務の役職に就任することに成功する。
しかし、球磨川さんの手によって中学を恐怖のどん底に叩き落したそのさらに数ヵ月後――新入生黒神めだかによって、ボクらは完膚なきまでに敗北させられるのだった。