本日の運勢は過負荷(マイナス)   作:蛇遣い座

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「いい加減目を覚ませよ!」

ボクと善吉くんの戦闘は、――予想以上に一方的な展開で進んでいた。

 

「ごほっ……まさか、ボクが一撃も当てられないなんて……」

 

コンクリートの地面に背中から叩きつけられ、ボクは大の字になって天を仰ぎながら苦々しく呟いた。この数分間、ボクは為す術も無く蹴られ続けただけ。あまりにも実力に差がありすぎる……。悔しさにボクはギリッと歯噛みした。副会長戦の前に戦ったときには、ここまでの力の差は無かったはずなのに……!数え切れないほどの打撃を受けた全身がズキズキと痛む。近付いてきた善吉くんは倒れたボクを見下ろして、つまらなそうに声を投げかけてきた。

 

「もういいだろ、瑞貴さん。実力差は分かったはずですよ」

 

「ぐっ……まだ!」

 

起き上がりざまに放った顔面への蹴りは、上体をほんの十センチほど反らしただけであっさりと避けられてしまう。まただ……。ボクの攻撃が完全に見切られている。続けて二撃、三撃と放つも、その全てが紙一重で回避されてしまい、触れられるのは髪や服にだけ。

 

「だったら!組み付いて柔道勝負に持ち込――」

 

「無駄ですって!」

 

「え?」

 

気付かぬうちにボクは地面に膝を着いていた。疑問に思う間もなく、ボクはそのまま無様に地面に倒れてしまう。この脚が言うことを聞かない感覚は……。おそらくは距離を詰めた瞬間、カウンターであごに一撃を入れられたのだろう。距離を詰めたせいで視界が狭まった隙を見透かされたのだ。

 

「この数週間、俺はずっとお母さんと特訓していました。格闘戦におけるこの眼の使い方は、完璧に習熟してきているんですよ」

 

「……だからって、たった数週間でここまで……」

 

――これがプラス成長。正方向への実力の伸び率がボクとはまるで違う。

ボクだって決して遊んでいた訳じゃないのに……。

 

「それにしても瑞貴さん。少し会わないうちに弱くなりましたね」

 

「へえ……善吉くんらしくもない。君がそういう他人を見下すような発言をするなんて」

 

「残念です。中学・高校と敵対こそしていたものの、それでも瑞貴さんのサバットへの努力や情熱は素直に尊敬していたのに……。過負荷(マイナス)を便利な道具に使い出したせいでしょうか。それとも性根の変化のせいか……。完全に瑞貴さんの技術は錆び付いていますよ」

 

心底悲しそうな声音で善吉くんは呟いた。その哀れむような瞳には、すでにボクは敵として映っておらず。子供の頃に信じていたヒーローが落ちぶれた姿を見ているかのような、見るに耐えないといった表情で目を閉じて左右に首を振っていた。だけど、まだボクには過負荷(マイナス)が残っている。しかし、幸運を奪い取ろうと集中した瞬間、善吉くんの踵がボクの肋骨を踏み砕いていた。

 

「がはあっ!」

 

「幸運を奪おうと対象に視点を固定したことだって、俺の視界にははっきりと映ってますよ」

 

折れた肋骨から激痛が走る。ならばと自分自身から幸運を奪おうとして――

 

「だから意識を集中したことも見えているんですって!」

 

再び折れた肋骨を踵で踏み抜かれた。今度こそ激痛を我慢しきれず、あばらを抑えて悶絶する。完全に過負荷(マイナス)発動の前兆を読み取られていた。

 

「いざとなれば自分を不運にして自爆、というのが瑞貴さんのパターンですからね。その手は通じませんよ」

 

「ぐうぅぅ……」

 

地面でのた打ち回りながらボクは静かに確信する。打つ手無し、か……。もう勝ち目がないのだとすれば、せめて善吉くんを球磨川さんの元へ行かせないようにしないと……。何とか会話で時間を潰そうと思い、見上げたボクの視界には、悲しそうに目を伏せている善吉くんの姿が映った。

 

「……瑞貴さんのそんな姿は見たくなかったですよ。その視界を見るだけで、今のあなたの姑息で卑怯な考えが透けて見えます。過負荷(マイナス)や奇策に頼ろうとする精神性が、瑞貴さんの技のキレを奪っているんですね」

 

「いやあ、負けたよ。ボクの負けだ。だから、せめて哀れな敗者の願いだけでも聞き入れては貰えないかな?」

 

「っ……!?」

 

卑屈な笑みを浮かべてボクは交渉に入る。時間稼ぎ、あわよくば会話によって休戦に持ち込めれば……。しかし、善吉くんは怒りのままにボクの胸倉を掴み上げた。力を込めて無理矢理にボクの上体を持ち上げる。善吉くんは怒りを堪えた瞳でボクを睨みつけていた。

 

「いい加減目を覚ませよ!あんたはっ!そんな弱さで守れるものなんてないって、どうして気付かないんだよ!」

 

「ぜ、善吉くん……?」

 

怒鳴りつけられたボクの顔に驚きの色が浮かぶ。そして、なぜかボクは視線を下に逸らしてしまっていた。その様子を見て、善吉くんは握り締めていた胸倉から突き飛ばすように手を放す。善吉くんは舌打ちをすると、そのまま踵を返して反対方向へと歩き出した。

 

「くそっ……俺は球磨川の野郎のことが気に入らないし、目の前に現れたらこの手でぶちのめしてやりたいと思ってる。だけど、瑞貴さんにとっては違うんだろ?仲間なのか友達なのか知らねーけど。俺にとってのめだかちゃんと同じようにさ。だから、敵味方になってもその気持ちだけは同じだと思ってたのに……」

 

善吉くんの声がマイナスに染まりきったボクの心に響く。……いつからボクはこうなった?球磨川さんを守ることがボクの存在意義だったはずなのに。時間稼ぎ?交渉?……そうじゃないだろ!本当にボクがやらなくちゃいけないのは!

 

「中学時代の瑞貴さんは、勝ち目なんて無いのに乱神モードのめだかちゃんに立ち向かったじゃないですか。そんなマイナス思考じゃ、守れるものだって守れやしませんよ」

 

搾り出すような声。善吉くんは寂しそうな後ろ姿を残して去っていく。

 

「……待って」

 

ボクの喉から細い声が漏れる。激痛の中、よろよろと立ち上がったボクは、必死に善吉くんを呼び止めた。肺も損傷していたようで、思った以上に小さな声だった。それでも、善吉くんはボクの声に振り向いてくれていた。ゆっくりと、一歩ずつ足を踏み出していく。

 

「善吉くん。ボクと勝負して欲しい」

 

正面を見据えて出した言葉に、善吉くんの顔に笑みが浮かぶ。おかげで目が覚めたよ。……敗北には慣れた。後悔にも、悲嘆にも、堕落にも。だけど、球磨川さんの望みが叶わないという現実にだけは慣れたくはない。今だけは奇策も過負荷(マイナス)も捨てて、ただ全力を尽くすのみだ。週刊少年ジャンプだってそうだろう?絶体絶命の窮地において勝利することができるのは、いつだって前(プラス)を見ていた人間だけなんだから――

 

「来なよ。この瞬間だけは、ツキには頼らない」

 

「待ちくたびれましたよ、瑞貴さん。じゃあ、行きます!」

 

軽く身体を動かすだけで肋骨の辺りが痛み出す。善吉くんの元へと走り出すことすらできない。放てるのは掛け値なく一撃のみ。善吉くんが勢いよく走りこんでくるのが見える。向かってくる善吉くんに、先に渾身の一撃を当てることだけに意識を集中させた。互いの怪我の重さ、スキルの有無。そういった一切の雑念が、コマ送りのように流れる視界の隅へと消えていく。そして、――二人の全力の蹴りが交差した。

 

ボクは膝を着き、善吉くんの身体は――糸が切れたかのように地面へと崩れ落ちた。ボクの勝ちだ。だけど……

 

「どうして…?何でスキルを使わなかったんだ……」

 

全身全霊の力を込めた最速にして最良の一撃。しかし、善吉くんのスキルならば、かわすのは容易だったはず。その問いに善吉くんは首を横に振ることで答えた。

 

「嫌だったんですよ。確かにこの、他人の視界を乗っ取ることのできる『欲視力(パラサイトシーイング)』というスキルは強力です。だけど、たとえ勝ったとしても、スキルのおかげなんて嫌じゃないですか。こんな借り物の力で瑞貴さんとの決着をつけたくなかったんですよ」

 

「――過負荷(マイナス)と欲視力(スキル)抜きの勝負ってことか」

 

「ええ、さすがですね。完敗です。やっぱり積み重ねた時間の分だけ、わずかに瑞貴さんの蹴りが優っていましたよ」

 

意外にもそう言って善吉くんは笑った。

 

「だけど、瑞貴さんが行ったところで、めだかちゃんの勝ちは揺るぎませんよ。あとの無い状況。勝つべきときには必ず勝つのがめだかちゃんですからね」

 

「そう簡単にはいかせないよ。それをどうにかするために、ボクのこの三年間はあったんだから」

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、球磨川さんを探してボクは校内を走り回っていた。焦燥感に苛まれながら、ひたすらに足を動かしていく。純粋に強度を競う勝負なら球磨川さんに勝ち目は無い。焦点となるのは、あの禁断の過負荷(マイナス)――却本作り(ブックメーカー)を発動させることができたかどうか。その効力は『相手を自分と同じにする』というもの。はじまりの過負荷(マイナス)さえ発動させられれば、あの圧倒的な強度も異常なスキルも、その全てが無効化されるのだ。

 

「あそこかっ……!」

 

旧校舎・軍艦塔(ゴーストバベル)の入り口のすぐ側に殴り合っている二人の姿が見えた。その内の一人は胸に巨大なネジの刺さっている黒神めだか。その様子を確認したボクは歓喜の笑みを浮かべながら、建物の裏へと身を隠す。

 

「よし……!『却本作り(ブックメーカー)』が発動してる!」

 

小さく喝采の声を上げたボクだったけど、その表情は一瞬にして凍りついた。『すべてを自分と同じにする過負荷(マイナス)』――しかし、ボクの目に映ったのは……

 

「……幸運値の桁がまるで違う!?」

 

――運命的といえるほどに圧倒的な幸運を持つ黒神めだかの姿であった。

 

がっくりと絶望感にうなだれる。これは、球磨川さんのはじまりの過負荷(マイナス)をもってしても、黒神めだかの運命には干渉できなかったという現実を意味している。肉体も精神も頭脳も技術も才能も、そのすべてが最低(マイナス)になった黒神めだか。しかし、ボクの目には、寒気がするほどの運命によって神々しく輝いて見えていた。すべてが球磨川さんと同じ。しかし、だからこそ運命によって、残酷なまでに勝敗は決定付けられているのだった。

 

「ボクはどうすれば……」

 

このまま何もしなければ、確実に球磨川さんは敗北する。だけど、ボクが頼まれたのは一対一の勝負を誰にも邪魔させないこと。介入したら球磨川さんの命令に背くことになってしまう。だけど……

 

――勝ちたい

 

脳内を球磨川さんの言葉がよぎる。それが球磨川さんの望み。そう、何を迷うことがあるんだ。かぶりを振って覚悟を決める。ボクの役目は――球磨川さんの望みを叶えることなんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

「はははっ!楽しいな!球磨川!」

 

「あああああっ!」

 

校舎前の広場で互いに殴りあう二人。鈍い打撃音が辺りに鳴り響く。しかし、力も技も互角な以上、どちらも有効打は出せずにいるようだ。球磨川さんが殴り、黒神めだかも殴り返す。延々と続く繰り返し。しかし、それは黒神めだかのターンで途切れることになる。殴ろうと踏み込んだ足元がひび割れ、一瞬バランスを崩してしまったのだ。本来なら物ともしないだろうアクシデントは、球磨川さんの性能である現在は大きな隙となる。

 

「いくよっ!めだかちゃん!」

 

球磨川さんの拳がその顔面に突き刺さった。さらに追撃を掛けようとするも、黒神めだかはすぐに反撃の態勢へと戻っている。そのまま黒神めだかが拳を振り下ろそうとして――。

しかし、その瞬間、風に乗って飛んで来た紙の束が黒神めだかの顔に纏わりついた。

 

「なっ……!?」

 

視界を奪われたところを球磨川さんが渾身の力で殴り飛ばす。その全力の一撃を受けて勢いよく殴り飛ばされる黒神めだか。しかし、ボクの予想に反して、あっさりと立ち上がって再び球磨川さんを殴りつけていた。

 

「ははははっ!いいぞ、球磨川!もっとやろう!」

 

「もちろんだよ!めだかちゃん!」

 

 

 

 

 

 

何事も無かったかのように殴り合いを続ける二人。それを遠目に見ながら、ボクは呆然とつぶやく。

 

「どうして……?」

 

『壊運(クラックラック)』は十分に効力を発揮している。幸運を奪われた黒神めだかは確かに一時的に劣勢になった。しかし、それでも決定打には繋がらないのだ。これは運や偶然では勝負が決まらないということ……。じゃあ、直接仕掛けるか?

善吉くんとの戦闘で満身創痍のボクだけど、それでも球磨川さんレベルまで落ちた黒神めだかに比べれば圧倒的に強度は勝っている。

 

「ここでボクが乱入して二対一で……」

 

浮かんだ考えを即座に切り捨てる。表立って球磨川さんの命令を裏切る訳にはいかないし、それに二対一だから何だって言うんだ。この最終決戦において、強さや弱さは何の意味も持たない。強度も過負荷(マイナス)も通じない相手に対抗する手段は、ボクにはないのだ。

 

「ぐ……完全に打つ手が無い。また球磨川さんが……負ける?」

 

戦っている球磨川さんには申し訳ないけど、勝つビジョンがまるで見えない。中学時代に引き続き、黒神めだかに敗北するのがボク達の運命なのか……?そんなはずはない!頭を振って暗澹とした気持ちを振り払う。球磨川さんを勝たせるために自分自身に気合を入れなおす。だけど、心の底から不安を取り除くことはできない。

 

それは、――運勢が見えるボクだからこそ感じてしまう確信なのだから。

 

「ダメ元で大災害クラスの不運をお見舞いしてみるか……」

 

とても通じる相手とは思えないけど、何もしないよりはマシだ。そう考えて黒神めだかに意識を集中したところで――

 

「無駄なことはやめなさい」

 

――カリッと何かを爪で引っ掻いたような音が聞こえた。

 

直後、ガクリと膝から崩れ落ちるボクの身体。全身から力が抜けたかのように指一本すら動かせずに地面に倒れ伏せた。突然の事態に首だけをどうにか動かして背後に目をやると、そこには――保健委員長、赤青黄が冷たい表情でボクを見下ろしていた。

 

「あ、赤さん……どうして…?」

 

ぐったりと地面に倒れこみながら、ボクは赤さんを見上げる。これは麻酔とかスタンガンとかによるものではない。今のボクの状況は間違いなく異常(アブノーマル)によるもの。だけど、このナース服を身に纏い、右手に見たこともない長い爪をしている女子は二年十一組生のはず。異常者(アブノーマル)ではない。それなのに、どうしてこんな異能を……?いや、とにかく身体の自由を取り戻さないと。

 

「どうして自分が倒れているのかが不思議かしら?教えてあげるわ。悪平等(ぼく)から借り受けたこの『五本の病爪(ファイブフォーカス)』の効果によるものよ」

 

そう言って赤さんは右手の異様に長い五本の指の爪を見せた。

 

「その効果は『病気を操る』というもの。とりあえず、あなたには身体が動かせなくなるような病気にしておいたわ。現代でも治療法のない難病にして重病だから動こうと思わない方が賢明ね。でも安心していいわよ。あとでちゃんと治してあげるから」

 

「……それが君の異常性(アブノーマル)なの?」

 

「異常性(アブノーマル)とか過負荷(マイナス)とか、そんな区別は愚劣だよ。とあの人なら言うでしょうね。病魔を治すことも、病魔に侵すこともできるこれは、両面スキルと言ったところかしら。どちらかといえば過負荷(マイナス)寄りかもしれないけどね」

 

軽く苦笑して、右手の爪で引っ掻くような仕草を見せた。ボクの身体が動かないのはそのスキルのせいか……。ボクは恨みがましい目で赤さんを見返す。身体に巣食う病魔から逃れるにはどうすればいいのか、頭を働かせてみるが、まるで思いつかない。幸運でどうにかなる代物ではなさそうだ。

 

「それに、感謝して欲しいくらいだわ。あなたが二人の勝負に手を出したところで、返り討ちに遭うのは目に見えているのだから。無駄はやめておきなさい」

 

「……やってみないと分からないだろ」

 

図星を指された苛立ちを滲ませてボクは言い返す。しかし、赤さんは無表情に言葉を続けるだけだった。

 

「わかるわよ。あなたのスキル『壊運(クラックラック)』ではめだかちゃんに対抗することはできないのだから。黒神ちゃんの存在は『幸運を奪い取る』というスキルよりも上位に属しているのよ。トランプの神経衰弱で例えるなら、あなたは一組のトランプを偶然当てられるというスキル。黒神ちゃんはその勝負自体に絶対に勝てるというもの。局所的な流れはともかく、最終的には彼女の勝利に運命が収束していく」

 

……ボクだって理解しているさ。ボクの『不運』と同じように、黒神めだかには原因に関係なく『勝利』という結果が自動的に起こるのだ。原因にしか干渉できないボク達では、直接導き出される結果を変える事は不可能ということ。……それにしても、どうしてここまでボクのことを知っているんだ?黒神めだかの埒外の運命についても、ボク以外には観測できないはずじゃ……

 

「ちなみに、ここまでの話はすべて悪平等(ぼく)の受け売りよ。いえ、伝言といった方が正確かしら」

 

「悪平等(ぼく)……?」

 

気になったので尋ねてみた。さっき赤さんは悪平等(ぼく)にスキルを借り受けたとか言っていたけど、そんなことが可能なのか?いや、そういえば善吉くんも……。赤さんは思わせぶりに一呼吸置くと、その名を口にした。

 

「ええ、安心院なじみ。私達は――安心院さん、と呼んでいるわ」

 


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