早朝の箱庭学園、一年十三組の教室で球磨川さんと黒神めだかは相対していた。周囲に陣取っている他のメンバーなどまるで目に入っていない。すでに球磨川さんに括弧付けている余裕はなさそうだ。この世の悪意と不幸を凝縮して煮染めたような、黒く濁った瞳で目の前の黒神めだかを見つめている。対照的に、黒神めだかは光り輝く恒星のような圧倒的な存在感を放っていた。あまりにも異常にして異質。どちらも別次元の存在だと言われても納得してしまいそうなほどだ。その二人は見詰め合いながら、静かに口を開く。
「ずいぶん数が少ないようだが、貴様達だけか?」
「そうだよ。他のみんなには露払いをしてもらってる」
「……何を言っているのだ。今日は貴様との一対一のはずだろう?」
怪訝そうな表情を見せる黒神めだかに、困惑でボクも眉根を寄せた。……十三組の異常者(アブノーマル)がこの学園に集結していることを知らないのか?それはいかにもありそうなことに思えた。マイナス十三組に対抗するための十三組による総力戦。確かに黒神めだかなら他人を巻き込まずに自分だけで勝負をしようとするだろう。だとするとこれは善吉くんか阿久根の独断。いや、十三組の生徒達の居場所を知っているとなると真黒さん辺りか……。
「周りのことなんてどうでもいいだろ。僕のことを見ろよ。せっかく夢の中に入ってまで取り戻してきたんだからさ……。この、禁断(はじまり)の過負荷(マイナス)――却本作り(ブックメーカー)を」
そう言って、凶悪な形相を浮かべた球磨川さんが両手にネジを構える。そのネジは、細く鋭く禍々しく伸びていった。大嘘憑き(オールフィクション)よりもさらに凶悪なそれこそが――球磨川さんの本来の過負荷(マイナス)。それに呼応するように黒神めだかの雰囲気も徐々に鋭く圧倒的になっていく。
「そうだな。では、はじめ――」
話の途中にもかかわらず、球磨川さんは一瞬の内に距離を詰め、両手のネジを黒神めだかへと突き出していた。しかし、それは黒神めだかの掌によって掴まれ、逆に球磨川さんの腹に蹴りが突き刺さる。
「球磨川さん!」
強烈な蹴りを受けて校舎の外へと吹き飛ばされる球磨川さん。窓ガラスを割って外へと弾け飛んだのを追って黒神めだかは教室の窓を飛び降りた。追いかけたい衝動をぐっと堪えて、ボクは自身の過負荷(マイナス)を発動する。それと同時に脚を振り上げ、全力で床を踏みつけた。
――壊運(クラックラック)+震脚
踏み込んだ床に大きなひびが入る。この場の全員から幸運を奪い取ったことで、ボクの震脚による衝撃は校舎の最も脆い箇所に伝播したはず。直後、一瞬にして校舎は床から天井まで全てが崩れ落ちた。降り注ぐ瓦礫の雨に裂ける床。その間、わずか三秒。瞬く間に倒壊した校舎の中、ボクの立っていた狭いエリアだけが押し潰されずに原型を保っていた。しかし、直前に窓から飛び降りたのか周囲に残りのメンバーの姿はない。
「さすがにこんなことじゃ倒せないか……」
倒壊と瓦礫の雨から逃れたボクはゆっくりと校庭に向かって足を踏み出した。青空の下、校庭へと目を向けると、そこは大量の人間の血で地面が真っ赤に染まっていた。十三組の面々が全身から鮮血を噴き出して地面に倒れている。その中心には車椅子に座った志布志の姿が。これが志布志の過負荷(マイナス)――多対一における埒外の凶悪さをまざまざと証明していた。
「順調みたいだね」
「まーな。そっちこそ大丈夫かよ?」
ボクの声に気付いた志布志は、その場からこちらへ言葉を返した。無傷で十数人もの異常者(アブノーマル)達を血の海に沈めるなんて、さすがと言うしかない。
「球磨川さんとめだかちゃんの一対一の勝負には持ち込めた。あとはボク達の仕事は残敵の掃討だけ。善吉くん達はとりあえず分散させられたと思うけど……。――志布志っ!後ろ!」
「ん?」
志布志の注意が逸れた隙に、二つの人影が彼女の元へと忍び寄っていた。背後から襲い掛かるのは名瀬さんと古賀さんのペア。……完全に油断した。これは戦挙じゃなく、ルールの無い戦闘だっていうのに!人外の速度で跳び掛かる古賀さんと凍てつく冷気を撃ち放つ名瀬さん。ボクの位置からじゃ間に合わない!
「ちっ……くらえよ!――『致死武器(スカーデッド)』」
志布志の声と共に、二人の全身の皮膚が裂け、血が噴き出した。しかし、その歩みも攻撃も止まることはない。名瀬さんは傷口を凍らせ、古賀さんは持ち前の超回復で、それぞれ傷を塞いでいた。
「やっべ……」
志布志の頬が引き攣った。
「これでお前も終わりだ」
「ごめんねー」
名瀬さんの絶対零度の冷気と古賀さんの跳び蹴りが志布志の眼前に迫る。志布志にそれを防ぐ能力は無い。しかし――
「えっ!?」
「ちょ、蝶ヶ崎……お前!」
その寸前、突然現れた蝶ヶ崎が盾となって二人の攻撃を受け止めていた。いや、現れたのではなく、立ち上がったのだ。血塗れになった人間達に隠れて地面に倒れた振りをしていたのだろう。それによって、人外の威力を誇る打撃と絶対零度の冷気をその身に受けることができた。そして、――その異常(アブノーマル)と過負荷(マイナス)はそのまま返される。
「きゃあああああああ!」
「うごっ!」
名瀬さんは肉体から鈍い音を上げて吹き飛ばされ、古賀さんは手足が完全に凍結させられてしまった。ついでに、無差別に受けた『致死武器(スカーデッド)』のダメージも押し付けたようで、二人の全身からは凄まじい勢いで血が流れ出ている。これがマイナス十三組で唯一コンビプレイが可能な二人の実力。それを安心して眺めていたボクの身体に衝撃が走った。
「ぐっ……これは!?」
振り向くとそこには善吉くん姿があった。さらに距離を詰め、連続蹴りでボクを校舎の裏へと弾き飛ばす。重い……それに鋭い!ガードした腕が痺れる。副会長戦前に戦ったときよりもさらに身体能力が上がっている。ボクの反射行動でさえ、回避できずに防御を選ばされていることがそれを雄弁に物語っていた。
「悪いんですけど、俺も幹部クラスと多対一は避けたいんで」
「場所を変えてっ……!?」
その間にも息も吐かせぬ善吉くんの連続攻撃は続き、強制的にボクの身体は人気の無い路地裏へと誘導されてしまっていた。眼前に迫る蹴りを後ろに跳ぶことで回避する。そこは校舎裏、善吉くんの狙い通りに一対一に持ち込まれてしまう。そう思ったけど、そこには先客がいた。
「雲仙先輩……?何でこんなところに……」
「……人吉か。オレのことは構わなくていいぜ。風紀委員長として、この馬鹿共を粛清してやろうと思ってたんだがな。その役目はお前らに譲ってやるぜ。オレはちょっと動けそうにねーからよ」
そう言った雲仙の正面には弓を手にした百町破魔矢の姿があった。二人の間にはピリピリと抜き身の刃物を向け合っているかのような緊張感が漂っている。互いに隙を見せられない膠着状態。それはボク達にとっては好都合だった。
「なら俺が加勢すれば……」
「ボクを忘れてない?」
十二町に仕掛けようとした善吉くんの顔面を蹴り飛ばした。よろめいた善吉くんへと今度はボクの方が攻勢を掛ける。仕方なく後退していく善吉くんに怒涛の追撃を掛ける。これで二人からは引き離せた。二対二のタッグマッチはプラスの得意分野だし。それに、ボクには他に役目がある。
「早く球磨川さんを探さないと……」
残敵の掃討は後回しで、球磨川さんの戦いに横槍を入れる連中を排除するのがボクの一番の仕事なのだ。善吉くんの考えも同様なんだろう。互いに攻守を入れ替えながら、跳び回るように敷地内を移動していく。途中に遭遇する連中は鎧袖一触で蹴散らされていた。すでに一般の異常者(アブノーマル)や過負荷(マイナス)ではボク達の相手としては役不足。それぞれ、相手をできるのはお互いのみなのだ。その間にもボクのガードの上から蹴りが叩き込まれる。ボクの身体は善吉くんに蹴り出され、ゴロゴロと広場へと転がされてしまった。そこでは十人以上の生徒達が乱戦状態に突入していた。その中に見慣れた顔を確認する。これはマズイ……!サッと血の気の引いたボクは慌てて離脱しようとするが――
「ほぅ……これはこれは。懐かしい顔だな」
「……都城先輩」
「ひ れ 伏 せ 」
傲岸な声が周囲に響く。それと同時に乱戦状態だったマイナス十三組の生徒達が一人残らず地面に頭をめり込ませた。
「ぐっ……!」
そして、それはボクも例外ではない。さらに、最悪なことにここにいるのは都城王土だけではなかった。
「――斬殺」
日本刀を振り回す宗像先輩。仲間たちは身動きの取れないところを無残に斬り伏せられる。
「トレビアン!弱すぎんぜ、お前ら!」
高千穂先輩が土下座している連中を片っ端から蹴り上げる。無防備でキックボクサーの蹴りを受け、みんなが次々と昏倒させられていく。『十三組の十三人(サーティンパーティ)』の内の三人による圧巻のコンビプレイ。それはこの場にいたマイナス十三組をあっさりと壊滅させてしまっていた。残るはボク一人。
「――銃殺」
宗像先輩がボクへ向けて機関銃の引き金を引いた。以前は手傷を負わされた銃撃。
――しかし、今のボクに対しては完全に失策だった。
「……っ!?」
火薬の破裂音が響く。しかし、それは機関銃の暴発の音だった。ボクが宗像先輩から幸運を奪い取ったのだ。それにより宗像先輩の身体が大きくのけぞる。同時に殺意に反応したボクの身体は都城先輩の支配から脱していた。反射的にこの場を逃れようとしたボクだったけど――
「俺を忘れてんじゃないすか?」
――懐に侵入していた善吉くんの爪先がみぞおちに突き刺さる。
がはっと肺の中の空気がすべて吐き出される。続いて放たれた一撃。それをボクの身体は反射的に左へ跳んで回避しようとする。しかし、そこは高千穂先輩が待ち受けているエリア。ボクは反射的に動こうとする自身の身体を意識的に止め、――あえて善吉くんの蹴りをまともにくらった。
「がはあっ!」
副会長戦で痛感した反射行動の欠点。反射を別の行動へと変えることは不可能でも、反射を止めることだけはこの数週間の訓練で習得できていたのだ。そして、その甲斐あってボクは無人のエリアへと蹴り飛ばされることに成功する。そのまま両手で耳を塞いで全速力で撤退を開始した。
「ちょっ……待て!瑞貴さん!」
ボク達マイナスにとっては敗北も逃亡も慣れたもの。一切の躊躇をせずに逃走を続けたボクの終着点は体育倉庫裏の袋小路だった。三方を壁に囲まれ、すぐに追いついた善吉くんが残りの逃げ道を塞ぐ。
「とうとう追い詰めましたよ。球磨川はめだかちゃんが倒すとして、一番その邪魔になりそうなのは瑞貴さんですからね。めだかちゃんの勝利を疑ってはいませんが、その障害となりえるのは一人だけでしょうから」
「そうかな?凶悪さなら志布志が、完全さなら蝶ヶ崎が上回っていると思うけど」
「危険性ならその二人が上回っているかもしれませんが、執念とでも言いますか。球磨川に対する想いが最も強いのは瑞貴さんですから」
「想いの強さこそが運命を変える可能性か……。それは善吉くん自身のことも言ってるのかな?ま、ボクも一番厄介なのは君だと思っているよ」
だから、もう一対一にはこだわらない。この袋小路は、ボクを追い詰めた結果じゃない。追い詰められたのは善吉くんの方なのだ。ボクの視界の端、善吉くんの背後には人影が映っている。それはこの場に配置されていた機械人間、鶴御崎山海だった。
「じゃあ、ここで決着をつけようか。勝った方が球磨川さんとめだかちゃんの戦いを見届けるってことでさ!」
そう言ってボクは善吉くんへと蹴り掛かる。最速にして渾身の一撃。しかし、それは囮で、本命は物音一つ、気配一つ漏らさずに善吉くんの背後に回っている鶴御崎だった。鶴御崎は高熱の掌を突き出す。肉を溶かし、骨を焦がす灼熱。奇襲にして挟撃であるこれが、ボクの必勝の策。
「なっ……!?」
――しかし、それは善吉くんに紙一重で避けられ、代わりに踵と拳がボク達の身体に打ち込まれていた。
悶絶して昏倒する鶴御崎。思わずボクも苦悶の表情を浮かべて地面に膝を着く。なぜ……完璧なタイミングだったはず!
「見えてますよ、瑞貴さん。俺の『欲視力(パラサイトシーイング)』には二人の視界がはっきりとね」
「……忘れてたよ。ついつい昔の気分で手合わせしてたか……」
「念のため瑞貴さんの視界を覗いておいてよかったですよ」
腹を押さえてうずくまるボクを見下ろして掛けられる声。ボクの視界が見えていたのなら、背後からの奇襲は意味を成さないだろう。だけど、鶴御崎との挟撃を完璧に見切り、あっさりとカウンターを合わせるなんて……。認めるしかない。スキルを含めた格闘戦においては完全に善吉くんの方が格上だということを――。
「多対一に奇襲に挟撃ですか。瑞貴さんもずいぶんとマイナスの戦い方が身に付いたみたいですね。だったら、ここからは俺もスキルを使います。まっすぐ正攻法で瑞貴さんを叩き潰してあげますよ」