本日の運勢は過負荷(マイナス)   作:蛇遣い座

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『じゃ、また明日とか』

突然この場に現れた一人の男。その異様な存在感にこの場にいるほとんどの人間が戦慄していた。全身から滲み出す圧倒的な負のオーラ。そして、あまりにも不気味な重圧(プレッシャー)に。

 

「球磨川……禊!」

 

驚愕の表情を浮かべて声を上げる黒神めだか。そこには一目で分かるほどの緊張感と警戒が込められていた。しかし球磨川さんは無邪気に笑みを浮かべながら話を続ける。

 

『いいや違う。僕は球磨川禊じゃない。彼の双子の弟の球磨川雪だよ』

 

「え?」

 

『なーんてね。嘘嘘っ!引っかかった~?』

 

「……いつだって貴様はすがりつきたくなるような嘘をつくな」

 

ギリッ、と悔しそうに歯を噛み締める黒神めだかだが、球磨川さんはまるで気にした様子もない。この張り詰めた空間でも変わらずに普段どおりで、それが逆に異様な雰囲気を際立たせている。その寒気を覚えるほどの圧迫感に善吉くんと阿久根は全身を恐怖でガクガクと震わせてしまっていた。恐れや不安や悪意を一点に凝縮したようなその負の存在感は、一度でも知ってしまったら悪夢のように心に染み付いて離れることはない。

 

『あ、いたいた!ご苦労様、瑞貴ちゃん。ちゃんとフラスコ計画は潰してくれたみたいだね』

 

こちらに気が付いた球磨川さんはボクの方に声を掛けてくれた。三年振りの再会に心臓の鼓動が高鳴るのを感じる。以前と変わらぬ球磨川さんの姿に自然と歓喜の表情に変わる。ボクの不運は球磨川さんに出会うためだけにあったのだ。そう確信するほどの多幸感に包まれていた。脚の骨を折ってしまっているため、失礼かと思ったが床に座りながら答える。

 

「はい!もちろんです!お久し振りです、球磨川さん」

 

『その怪我痛そうだね。僕が戻(なお)してあげるよ』

 

そう言って球磨川さんがボクに触れると、全身の怪我が一瞬で消え去ったかのように治ってしまった。いや、それだけじゃなくボロボロだった制服まで元通りになっている。ボクが驚いて見上げるが、球磨川さんは何でもないといったように他に視線を向けていた。これが球磨川さんのこの三年間で新たに得た、失った過負荷(マイナス)――

 

『それと、真黒ちゃん。君も怪我してるみたいだねえ。古傷かな?これもついでに戻(なお)してあげるよ』

 

球磨川さんが真黒さんのTシャツを捲り上げると、そこには手術の縫い跡のような無数の傷跡が残っていた。ボクが入学して以来、学園に登校していなかった理由はこの後遺症のせいだろうか。しかし、さすがは真黒さんと言うべきか。球磨川さんの異様な重圧(プレッシャー)には屈せずに毅然とした態度を取り繕った。

 

「……遠慮しておくよ、球磨川くん。これは僕が己の過ちに対して支払った代償であり、僕が己の罪に対して受けた罰なのだから」

 

『うわあ、格好いいー。僕も中学生の頃は真黒ちゃんのそういう格好良さに憧れてたんだよなー。けどごめーん。もう戻(なお)しちゃった!』

 

球磨川さんが離れると、もうその傷跡は跡形も無く消えてしまっていた。真黒さんの決意など何でもないというように綺麗になくなってしまう。

 

『思い入れとか、心がけとか誓いとかー。ごめーん。僕そういうのよくわからないから』

 

「……!」

 

真黒さんはゾッとしたように顔を青ざめさせる。人智を超えた恐ろしいものに触れてしまったかのように冷や汗を流し、恐怖に顔を歪めている。球磨川さんにとってはボクの傷も真黒さんの傷も同じなのだ。ボクは自然と口の端を吊り上げて笑みを浮かべていた。変わっていない。この良いも悪いも一緒くたにかき混ぜて、すべてを一瞬で台無しにする感じ――

 

「……月見月副会長がこの施設を襲撃していたこと。これは貴様の差し金か、球磨川」

 

黒神めだかは鋭い目付きで詰問する。それに対して球磨川さんは楽しそうに答えた。

 

『そうだよ。フラスコ計画なんて、この学園の人たちは本当にひどいこと考えるよね!君もそう思うだろ、めだかちゃん?』

 

「……ああ、それに関しては同感だが」

 

『だよねー。箱庭学園の全校生徒、たった千人ちょっとの犠牲(マイナス)で世界中の人間が天才(プラス)になっちゃうなんて、悪魔のような計画だよ』

 

「……っ!?」

 

黒神めだかは悔しそうに目を閉じ、理解できないといったように首を左右に振る。同じくフラスコ計画を潰そうとした両者だけど、その動機は180°違っていた。黒神めだかは犠牲(マイナス)となる学園の生徒のことが許容できずに動き、球磨川さんは成果(プラス)である新たに生まれる世界中のエリートのことを許容できずに動いたのだ。だから、二人の関係はプラスとマイナスの両極端。話し合いが噛みあう筈もない。

 

 

 

『あれ?瑞貴ちゃん、彼女も来てたんだね。へえ、転校じゃなく元から入学してたんだー』

 

球磨川さんの視線の先を追ってみると、奥の方から歩いてくる志布志の姿があった。制服に新たに返り血が付着しているのをみると、一緒にいたメンバーを血祭りにあげてきたのだろう。ボクの近くまで歩いてくると、不思議そうな表情で声を掛けてきた。

 

「なーなー。こいつ中学時代あんたとつるんでた男だよな。何でここにいるんだ?」

 

「あ、それは……」

 

『覚えててくれてありがとう。えーと、確か……飛沫ちゃんだったよね。僕は球磨川禊っていうんだ。今日から転校してきたんだけど仲良くしてね』

ボクが紹介する前に球磨川さんが前に出て自己紹介をした。それを聞いた志布志は納得したようにへー、とつぶやく。そして、挨拶をするように球磨川さんに手を伸ばすと、その頭を掴み――床にその顔面を思いっきり叩きつけた。

 

「てめーには聞いてねーよ」

 

床と勢いよく激突し、グシャリと球磨川さんの顔面から潰れたような鈍い音が響く。

 

「なっ!志布志っ!何してるんだよ!」

 

「いや、途中から現れたくせに何か偉そうだったから……。許してくださいごめんなさいもうしません」

 

ボクの言葉に志布志は棒読みでそう謝った。敵に捕らわれてしまったためなのだろうか、かなり不機嫌そうだ。床を陥没させるほどの威力で顔面を叩きつけられた球磨川さんはピクリとも動かない。あまりの暴挙に血が上ったボクの身体は動き出していた。球磨川さんに仇名した志布志の顔面を蹴り潰してやろうとしたところで――制止の声が耳に入った。

 

『待ちなよ、瑞貴ちゃん。僕は平気だから心配しないで』

 

「く、球磨川さん!大丈夫ですか!?」

 

振り向くと額が割れ、頭と顔面からだらだらと血を流した球磨川さんが先ほどまでと同じように笑顔で立ち上がっていた。どうやら命に別状は無いようでほっと溜息を吐く。しかし次の瞬間、球磨川さんの全身がズタズタに裂け、鮮血が噴き出した。噴水のように血飛沫を上げながら倒れ込む球磨川さんを見て、ボクの心が逆に冷えていくのを感じる。

 

「志布志……やってくれたね」

 

血塗れの球磨川さんの前に立ちふさがり、射殺さんばかりに志布志を睨みつける。中学時代以来、数年ぶりに覚えた殺意を撒き散らし、湧き上がる衝動にしたがって構えた。しかし、なぜかそれを見た志布志はさらに不機嫌になっていく。

 

「チッ……やっぱりそっちに付くのかよ」

 

互いから滲み出る負の空気。志布志も過負荷(マイナス)を使う気のようだ。誰であろうと球磨川さんに害をなす人間は倒すだけ。生徒会の連中は突然の事態に混乱しているようで、不安そうな面持ちで見つめているだけだ。そして、ボクと志布志の間の緊張の糸が限界まで張り詰めた瞬間、再び球磨川さんの無邪気な声が周囲に響き渡った。

 

『ほらほら、喧嘩は駄目だって。これから同じマイナス十三組の仲間なんだから』

 

球磨川さんの制止の声で二人の間の緊張が雲散霧消した。そして球磨川さんの言葉に違う意味で緊張を感じる。

 

以前、理事長の話していたマイナス十三組構想――ようやく開始されるのか。

 

『ありがとう、瑞貴ちゃん。でも僕は大丈夫だよ』

 

立ち上がる球磨川さんだが、全身血塗れでその足元はまるで定まっていない。当然だ、明らかに即病院送りのレベルの大怪我なのだから。大量の流血でその制服はむしろ血の付いていないところを探す方が難しいほどだろう。しかし、その表情からは微塵も痛みや恐怖は感じ取れない。理由無く殴られることもズタズタに裂かれることも当然のように受け入れている。そして、いつもと変わらない笑みを浮かべたまま志布志に話しかける。

 

『それに飛沫ちゃんもありがとう。僕は悪くないけど、僕の態度が少し悪かったかもね。暫定的にとはいえ、僕がマイナス十三組のリーダーを務めさせてもらうことになっているし、至らないところを指摘してもらえて嬉しいよ』

 

志布志が息を飲んだのが分かった。自分をズタズタにした相手に何の負の感情も抱いていない。まるで何てことのない日常であるかのように気にも止めていない。負け惜しみでも皮肉でもない。球磨川さんが心底から笑みを浮かべて礼を言っているのがわかったのだろう。それは負け続け、迫害され続けてきた志布志にすら理解できない感性だった。

 

 

 

「おい、球磨川。なぜこの学園に転校してきたのだ?マイナス十三組とは何だ?いや、そんなことより――」

 

黒神めだかが再び問いかけてきた。何かを堪えるように忌々しそうに唇を噛んでいる。そして、死体となって横たわっている王土を指差して激昂したように叫ぶ。

 

「これは一体どういうことなのだ!?なぜ、このようなことを!?許されることではないぞ!」

 

側頭部を貫通するように突き刺さったネジ。都城王土は間違いなく死んでいた。しかし、球磨川さんは何を言っているか分からないという風に首をひねっている。

 

『なぜ?うーん、理由はちょっと思いつかないから、めだかちゃんが適当に決めちゃっていいよ』

 

「貴様っ……!」

 

理由なんて、意味なんて無い。あったとしても黒神めだかに理解できるものではないだろう。もしかしたらボクにも……。それがこの学園の過負荷(マイナス)の頂点、球磨川禊なのだ。

 

『それにしてもめだかちゃん、非道い冤罪だよ。一体何のことを言っているんだい?』

 

「この期に及んで何を……え?」

 

驚愕の表情を浮かべる黒神めだか。この場にいる全員が同じように驚きで声を失っている。それにつられるようにボクもそちらへ目を向けると、そこには無傷で横たわっている都城王土の姿があった。側頭部を貫いていたはずの巨大なネジは、近くの床に突き刺さっているだけだ。まるで何も起きていなかったかのように、床の血溜まりまでもが綺麗さっぱり消失してしまっていた。見間違いではない。――これこそが球磨川さんの過負荷(マイナス)。

 

『あ、そういえばめだかちゃんも今は生徒会長やってるんだってね。善良な生徒に無実の罪を着せようだなんて、めだかちゃんも生徒会長らしくなったねー。昔の僕を見習ってくれたのかな?』

 

「……くだらん冗談はよせ。失敗例として以外で貴様を参考にするところなどない」

 

『ふーん、そう。じゃあ、僕もそろそろ戻ろうかな。意外と転校手続きって面倒みたいだし』

 

そう言って踵を返して去っていく球磨川さん。

 

『じゃ、また明日とか』

 

 

 

 

 

 

 

しばらくして、球磨川さんの重圧から解き放たれた阿久根と善吉くんは安堵のあまり思わず膝を着いてしまっていた。肉食動物と獲物が対峙していたかのような恐怖だったのだろう。他のメンバーもたった数分の会話でどっと疲労を感じているようだ。まるで異界にでも取り込まれていたかのような異様な空気に飲み込まれていたのだ。台風に遭遇した後のような滅茶苦茶にかき乱された感覚。これが今後の学園に撒き散らされることを思い、黒神めだか達は表情を厳しくさせている。そして対照的にボクはこれからの学園生活に心躍らせるのだった。

 


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