新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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ジパング①

 

 

 

 船を岸に付け、上陸したカミュ達は、陸地を北へと進路を取る。充分な睡眠を取ったメルエは、元気一杯に浜辺の岩場で動き回る船虫を追いかけていたが、同じように睡眠を取っていた筈のサラの顔色は優れなかった。

 

「サラ、大丈夫か?」

 

「あっ! は、はい」

 

 顔色の優れないサラを心配して声を掛けたリーシャの脇をすり抜けて、メルエは岩場から近くの森へ向かって行く。そこは森というよりは山への入り口と言っても過言ではない。

 海岸は、これまで上陸した大陸とは違い、砂浜ではなく、ごつごつした岩が集まる岩場であった。

 

「メルエ! 勝手に行くな!」

 

 リーシャの叫びが虚空に舞うが、久しぶりの大地はメルエの気分を向上させていた。

 船の上から見えていた未知の土地。

 そこに上陸した事で初めて出会う小動物達。

 それらを見て、幼いメルエに気持ちを抑えろと言う方が無理な注文であろう。

 サラに肩を貸すように歩くリーシャは、素早く動くメルエを追う事は出来ない。カミュが溜息を吐き出し、メルエの後を追うように歩き出した頃には、メルエは既に森の入口に到達していた。

 

「…………」

 

 満面の笑顔を浮かべ、木の根下で動き回る虫達や、咲き誇る花々を座り込んで眺めるメルエに、周囲を気遣う余裕などない。

 メルエが覗き込んでいた花は、朝陽を受けて輝いていた筈だが、いつの間にか影が射し、花だけではなく、メルエの周囲を暗く染めて行った。

 

「…………???…………」

 

 不意に射した影に顔を上げたメルエの目の前には、メルエの数倍もある体躯を持つ大型の動物がメルエを見下ろすように立塞がっていた。

 見た事もない動物を、メルエは首を傾げて不思議そうに見上げる。これまで遭遇した魔物のようなおぞましい姿をしている訳ではない。本当に自然界に暮らす動物のような姿にメルエは警戒心を浮かべるよりも、逆に好奇心を持ってしまったのだ。

 

「メルエ!」

 

 不思議そうに見上げるメルエの後方から、カミュの普段出す事のない大声が轟いた。それとほぼ同時に、大型の動物の、メルエの顔より大きな掌が振り下ろされる。

 後方から駆け寄るカミュは間に合わない。何が起きているのかも理解できないメルエが、振り降ろされる腕を呆然と見上げてた。

 

「ラ、ラリホー!」

 

 鋭い爪の生えた掌がメルエの頭に振り下ろされる直前に、駆け寄るカミュの後方から聞き覚えのある魔法が発動した。

 的確に大型の動物を直撃した魔法は、その神経を狂わせる。メルエの頭上に落ちる筈だった腕は力無く地面へと落ち、メルエを掠めるように、その大型の体躯も地面へと崩れ落ちた。

 

「サラ!」

 

「……間に合いました……」

 

 リーシャの肩に身体を預けたまま、苦しそうに息を吐き出したサラは、無理やり笑顔を作り出した。そんなサラに、リーシャも柔らかな笑顔を向ける。一瞬立ち止まっていたカミュは、思い出したようにメルエへと駆け寄って行った。

 呆然と崩れ落ちた動物とカミュを見比べるメルエを抱き上げたカミュは、うつ伏せに倒れて眠る魔物を見下して眉を顰める。

 

<豪傑熊>

魔物というよりは、凶暴化した動物と呼んだ方が良いのかもしれない。元々、気性の荒い熊の中でも凶暴な熊が、魔王の魔力を受けてその血をたぎらせた結果に生まれ落ちた魔物。既に同様の熊とは一線を画し、冬眠等もせず山道を歩き回り、山に入って来た『人』を襲う。その力は、もはや熊の物ではなく、魔物の中でも上位に位置する程の物となっており、以前カミュ達は遭遇した<暴れザル>以上の凶暴性と暴力を有するまでになっている。

 

「メルエ! 勝手に動いては駄目だと、あれ程言っただろ!」

 

「…………うぅぅ…………」

 

 サラを座らせ、大慌てで駆け寄って来たリーシャの拳骨がメルエの頭に落ちる。『ゴチン』というカミュでさえ顔を顰める程の音を響かせ、メルエは頭を抱えて涙目になって唸ってしまった。

 

「メルエの身にもしもの事があったら、私達はどうすれば良いんだ!? 何を見ていたって良い。色々な物に興味を示す事は悪い事ではない。だが、絶対に私達の傍を離れるな」

 

「…………ごめ……ん…な……さい…………」

 

 涙を浮かべながら、リーシャの目を見て謝罪の言葉を漏らしたメルエは、カミュの首に顔を埋めてしまう。自分が真剣に怒られている事を悟ったのだろう。

 『ふぅ』と一つ息を洩らしたリーシャは、表情を緩め、帽子を取ったメルエの頭を優しく撫でる。

 

「だが、無事で本当に良かった。サラにはお礼を言っておけよ」

 

「…………ん………ぐずっ…………」

 

 顔を上げる事なく、こくりと頷いたメルエを見て、リーシャはサラの許へ戻って行く。もう一度メルエを抱き直したカミュは、眠り扱ける<豪傑熊>への警戒を緩めずにその場を離れて行った。

 

「サラ、大丈夫か?」

 

「は、はい。少し落ち着きました」

 

 座り込んでいたサラが、リーシャの言葉に立ち上がる。その顔色は、船を降りた頃に比べれば格段に良くなってはいた。

 揺れない大地に立ち、不安定だった足元は、しっかりと大地を踏みしめている。そんなサラを見て、リーシャは本当に柔らかく微笑んだ。

 

「よし! やはり、サラはサラだな!」

 

「は?」

 

 リーシャの意味不明な言葉に、サラは素っ頓狂な声を上げた。しかし、そんなサラの表情を見ても、リーシャは笑みを崩さず、『解らないのなら良い』とサラの頭を一撫でする。

 

 リーシャは誇りに思っていた。

 どんなに状態が悪い時でも、周囲に目を向けているサラを。

 そして、その状況を打破する事の出来るサラの強さを。

 

 サラという人物は、『誰かを護る』時にこそ、その真価を発揮する者だとリーシャは考える。

 自分の力で何が出来るのかを常に考え、そしてその時の最善の道を見つけ出す事の出来る目をも持っている。それは、世界を救うと云われている『勇者』としてのカミュの能力に匹敵する程の力。だからこそ、サラの足はしっかりと大地を踏みしめているのだ。

 それは、リーシャにとってとても誇らしい事だった。

 

「カミュ! この先はどこへ向かうんだ?」

 

「地図によれば、ここから若干東の方角に集落がある筈だ」

 

 地面に下ろされたメルエが、リーシャに怯えるようにサラの足下に移動し、その腰にしがみつく。不意を突かれたサラの身体がよろめくが、その背中は、リーシャの力強い腕に支えられた。

 

「メルエ、私はもう怒ってはいないぞ」

 

「…………まおう…………」

 

 サラの腰にしがみつくメルエに自分が怒ってはいない事を伝えたリーシャへ返って来たのは、以前サラがメルエに話したリーシャの印象の一つであった。

 リーシャの方にチラリと視線を向けたメルエが発した言葉に、サラは驚愕し、リーシャは一瞬何が起こったのか理解できなかった。

 

「ふふふ。そうか……まだサラは私の事をそう呼んでいるのか……?」

 

「ふぇ!? い、いえ! そう思った事はありますけど、も、もう呼んだ事はありませんよ!」

 

 顔を落としたリーシャの呟きに、サラは反射的に答えてしまう。しかも、最悪な方向へと。

 それを聞いて、カミュは大きな溜息を吐き、メルエはサラの腰からカミュのマントへと移動してしまった。

 

「……そうか……思ってはいるのか……」

 

「えっ!? あっ! い、いえ! 以前はですよ!」

 

 徐々に近づくリーシャの影に怯えるように後ずさり、サラは懸命に弁明をするが、何故か弁明をすればする程にサラの身が窮地に晒されて行く。そんな二人のやり取りを見ながら、もう一度溜息を大きく吐き出した。

 

「……行くぞ」

 

「あっ!? 待って下さい!」

 

「サラ! 待て!」

 

 カミュが身を翻し、山道へと入って行くのを見て、サラは慌ててその後を追いかける。そのサラを追いかけるリーシャ。リーシャが来た事にカミュのマントの中で慌てるメルエ。

 何ともこの一行らしい穏やかな時間が流れて行った。

 

 

 

 山道を歩き続ける中、カミュ達は何度かの戦闘を行った。しかし、意外な事に、この周辺を住処にする魔物は、テドン周辺などにいるような魔物程の実力がある物ではなく、以前イシスのピラミッドで遭遇したような<大王ガマ>や海岸で遭遇した<豪傑熊>等、カミュ達が苦労する程の魔物と遭遇する事はなかった。

 

 そして、船を下りて何度目かの夜が明ける頃、カミュ達はある場所へと辿り着く。

 

「ここか?」

 

「変わった雰囲気ですね」

 

 山道を下り、平原が広がる中で見つけた集落。それは、サラが口にしたように、他国とは一線を画したような、不思議な空気を纏った場所だった。

 国というよりは村に近く、国の象徴である筈の城はない。集落の周囲を深い堀が囲うように掘られ、その堀に掛け橋が掛けられている。

 木で出来た門は、人を拒むように閉ざされており、堀の上に巡らされている柵の中には桃色に輝く花を咲かせている木々が、集落を護るように植えられていた。

 

「……いくぞ……」

 

「あ、ああ」

 

 不思議な光景を見るように放心していたリーシャとサラに一声かけ、カミュは大きな木の門へと近付いて行く。

 門の前で声を上げると、奇妙な形で髪を結っている男が顔を出した。顔を出した男の髪の色を見て、サラは驚き、リーシャはどこか納得してしまう。

 

「……黒髪ですね……」

 

 奇妙な形で結っている髪の色は、艶のある黒。

 カミュと同じようにどこまでも深い『漆黒』と言っても過言ではない程の物。

 それは、この世界では珍しく、サラにしてみても、その色の髪を持っている人物はカミュ以外に見た事はなかった。

 イシスの女王であるアンリも黒に近い髪の色をしていたが、カミュや顔を出した男程、濃い色をした髪の毛ではなかった。

 

「……カミュと申します。旅の途中でこの大陸に流れ着きました。一晩の宿をお借りしたいのですが……」

 

「……」

 

 仮面を被ったカミュが語りかける言葉に、顔を出した男は無言を貫く。訝しげに細められた瞳がカミュ達四人を射抜き、何かを見定めるように眺め回していた。

 居心地の悪い視線に、メルエはカミュのマントの中に隠れ、サラは顔を俯けてしまう。ただ、カミュとリーシャだけは、その男の視線を真っ向から受け止め、毅然とした態度で返答を待った。

 

「そうか。ガイジンは招き入れる事は少ないが、一日二日であれば、ヒミコ様もお許し下されるだろう」

 

 『もしかしたら、言葉が通じないのかもしれない』と思う程の時間が流れた後、ようやく男は口を開いた。

 言葉はカミュ達が使う物と変わりはない。ただ、その中にいくつか意味不明な単語があった。

 

「ガイジン?」

 

 その単語に反応したのは、リーシャだった。

 今まで浮かべていた真剣な表情を崩し、その解らない単語自体を問いかけるように、カミュへと視線を送る。しかし、そんなリーシャの視線にカミュは大きな溜息を吐き出すのみであった。

 

「……俺はこの国で生まれた訳ではない……」

 

「いや……お前なら知っているかと思っただけだ」

 

 カミュとリーシャがやり取りを行っている間に、男が大きな門の(かんぬき)を抜いた音が響いた。その音が聞こえた後、重厚な音を立てた門が開いて行く。

 次第に見えて来る中の様子に、サラは声を失った。それはサラだけではなく、リーシャやカミュも同様で、メルエは感嘆に瞳を輝かせる。

 

「さあ、入りなさい。ようこそ、ジパングへ」

 

「……ありがとうございます……」

 

 門を開け終えた男が、先程とは違う優しい笑顔を浮かべてカミュ達を迎え入れる。優しい笑顔に対し、リーシャもサラも表情を和らげ、誘われるまま門を潜って行った。

 しかし、男に礼を述べるカミュだけは、その男の笑顔を裏にある影を見つける。

 何かに疲弊しきっているような影。

 どこか怯えたような瞳。

 それは、何もカミュ達一行に向けた物ではなく、それ以外の見えない何かに向けられた物のように感じたのだ。

 

「……美しいな……」

 

「はい。まるで別世界のようですね」

 

 カミュのそんな考えを余所に、先に門を潜ったリーシャとサラは、他国とは違うその光景を目にして感動を覚えていた。

 城下町という程の物ではない。まず、城等どこにもない。

 立ち並ぶ家々は、今までカミュ達が訪れて来た場所のように煉瓦等を使った物ではなく、全てが木造であった。

 屋根は藁を敷き詰めたような物で、高さはないが横に広がるような物。二階建ての家等は皆無で、全てが平屋のような高さの家屋が建ち並ぶ。

 歩いている人々は、先程、門を開けてくれた人物と同じように、奇妙な形で結ってはいるが、皆総じて艶のある黒髪を有している。衣服は似たような物が多く、麻のような生地で出来た物を身に付けていた。

 

「……暗いな……」

 

 リーシャとサラは、物珍しそうに歩く人々や立ち並ぶ家屋を眺めていたが、カミュは二人とは違う場所を見て、違う感想を持った。

 カミュが呟いた言葉を不審に思ったリーシャが、視点を切り替え、周囲を見渡してみる。そこで初めて周囲を満たす空気の重さに気がついた。

 

「何故だ、カミュ?」

 

「……アンタは俺を何だと思っているんだ?」

 

 空気の重さに気付きはしても、その理由が理解できないリーシャはカミュへと問いかけるが、それは大きな溜息と共に斬り捨てられた。

 

「ああ! ガイジンだ!」

 

 カミュの返答に怒気を向けるリーシャの横から、メルエと同じ年頃の男の子が指を指して大きな声を上げた。

 それを聞いたリーシャは驚いて視線を動かすと、何か奇妙な物を見つけたように目を輝かせていた少年が、『わぁ!』と声を上げて逃げて行く。

 

「な、なんなんだ?」

 

「リーシャさんが『ガイジン』という事でしょうか?」

 

 何が起きたのか解らないリーシャが、カミュ達に視線を戻すと、サラは自分の考察を披露する。だが、それが正しい解釈だとは、リーシャやカミュにはどうしても思えなかった。

 その間に、大声に驚いたメルエが、カミュのマントから顔を出す。

 

「…………リーシャ………ガイジン…………?」

 

「なに!? ち、ちがう……と思うぞ」

 

 『ガイジン』という言葉の意味を理解できないリーシャは、メルエの問いかけをはっきりと否定する事が出来ない。メルエと共に首を傾げるリーシャに、サラは自然と笑みを浮かべた。

 

「話しを聞いてみれば解る。とりあえずは、この国を治める人間に会うしかないだろう」

 

「そうですね。入国の許可も頂かなければいけないでしょうし」

 

 頭の上に疑問符を浮かべたリーシャを余所に、カミュは周囲に視線を送り始め、その言葉を聞いたサラも、カミュの意見に同意を示した。

 見た目は村でも、この<ジパング>は世界に認められた国でもあるのだ。

 『異教徒の国』という不名誉な物ではあるが。

 

 町とも村とも言えない集落を歩く内に、カミュは自分が感じた影の正体を見る事になる。そして、それは一人の母親らしき女性に泣きつく少年の姿を見て、決定的となった。

 

「え~ん。やだよ。やだよ。ヤヨイお姉ちゃんが生贄なんて嫌だよぉ!」

 

「坊や、お母さんだって嫌なのよ。でも、ヒミコ様のお告げなの」

 

 『生贄』

 その単語を聞いたカミュ達の首が一斉に少年へと向けられる。それは、日常生活で発せられる言葉ではないからだ。

 そして、古代よりも『人』の知識も文化も成長したこの時代に出て来る単語ではあり得ない物であった。

 

「……カミュ……」

 

「……カミュ様……」

 

 リーシャとサラの視線が少年からカミュへと移動する。まるで、何かを期待するように。

 カミュという『勇者』の起こす『必然』を信じ切っている二人だからこそ向けられる視線に、カミュは大きな溜息を吐き出した。

 

「……情報が足りない……」

 

「そ、そうだな! よし!行こう!」

 

 溜息と共に吐き出されたカミュの言葉は、通常の人間が聞けば、否定的な物である。だが、リーシャやサラにとって、その言葉は、『情報さえあれば、動く』という肯定に間違いないのだ。

 そして、この言葉を発したカミュが、情報を収集する為に動き出す事は確実。ならば、サラの役目はその情報をカミュと共に考える事であり、リーシャはその情報の先にあるであろう戦闘に備え、誰が敵であるのかを見定める事が仕事となるのだ。

 

 

 

「ヤマタノオロチは化け物じゃ!」

 

「ヤマタノオロチに生贄を差し出さないと、この国の人間は皆、喰われてしまうのです」

 

 周囲を歩き回るカミュ達は、他国との文化の違いに驚き、そして、この国で暮らす者達の発する悩みに愕然とした。

 立ち並ぶ家々は、入口から入ると、土間が広がり、そこから一段上がった部分が居住空間となっている。履物を脱がなければ居住空間には入れず、その部分は藁のような植物を編んだような敷物が敷き詰められていた。

 そんな場所で暮らす彼等の口から出る名は二つ。

 一つは<ヤマタノオロチ>と呼ばれる化け物。それは、生贄を要求し、その要求に応えられない場合は、国を滅ぼすと伝えられていた。

 

「生贄は、ヒミコ様がお聞きになるお告げによって決まります」

 

「オーブ? 何じゃそれは? よう解らぬが、宝の玉ならば、ヒミコ様がお持ちになっていたのう」

 

 そして、国の中で出るもう一つの名は『ヒミコ』。

 敬称を付けられて語られている事から、それがこの国<ジパング>の統治者であろう。『ヒミコ』の名を口にする者達の顔に浮かぶのは、総じて『誇り』であった。

 ただ、その中に微かに見える『怖れ』と『怯え』がある事をカミュは見逃さなかった。

 

 カミュ達のような、異国の者に対し、最初は警戒を示していた国民であったが、丁寧に話を聞くカミュの姿に、彼等はその二つの名を溢したのだ。

 彼等の内に何か渦巻く物があったのだろう。それが、<ヤマタノオロチ>に対してなのか、自国の王に対してなのかは解らないが、この国の国民の中に渦巻いている暗く重い空気が、彼等を饒舌にしていたのかもしれない。

 

「私は、この国に『精霊ルビス』様の教えを広めに来ました。でも、ここでは『ヒミコ』が神様。誰も私の話に耳を傾ける人間はいません」

 

 そして、広間の一角で見慣れた法衣を着用している男を見かけたサラが近寄り、声を掛けたところ、その男はこのジパングへ布教に来た宣教師であった。

 告げられた内容に驚いたサラは、そのままカミュへと勢い良く振り返る。

 その視線を受けたカミュは眉こそ顰めるが、強い光を宿した瞳をサラに向けるだけだった。

 

 それが意味する物。

 それは、この国が『精霊ルビス』を信じない、異教徒の国であると言う事実。

 そして、それをカミュは知っていたと言う事実。

 

「サラ、大丈夫か?」

 

 リーシャはサラを気遣って声をかける。何故なら、サラの反応はリーシャが考えていたよりも軽かったのだ。

 カミュがその事実を知っていた事を受けたサラは、『そうですか』と小さく呟いたきり、何も言わなくなってしまった。

 

「もう、慣れました。ルビス様を敬う事のない人を、ずっと見て来ましたから」

 

「……サラ……」

 

 暫しの時間の後、顔を上げたサラは笑顔だった。

 困ったような笑みを浮かべるサラは、先程振り返った青年にチラリと視線を向け、リーシャにもう一度微笑みを返す。その行動に今度はカミュが驚く番となった。

 あれ程、ルビスという信仰の対象を盲信し、その『教え』に背く者は『悪』とまで考えていた人物が、ルビスの存在を認めない国を受け入れる。その事実に、カミュもリーシャも言葉を失ったのだ。

 

「……まずは『ヒミコ』という者に会うしかないな……」

 

「そうだな。生贄とは、穏やかな話ではないからな」

 

「今の時代に『生贄』なんて、あってはならない物です……あれ?……メルエは?」

 

 カミュの言葉に力強く頷いたリーシャに同意するように、サラは拳を握り締めた。しかし、不意に自分の足下に居た筈のメルエがいない事に気が付き、慌てて周囲を見渡す。

 サラの言葉に、『またか!』とリーシャは視線を巡らし、カミュは最悪の事態に備え、背中の剣に手をかけた。

 しかし、メルエはすぐに見つかる事となる。カミュ達からそれ程離れていない場所で咲き誇る桃色の花をつける木々を嬉しそうに見上げていたのだ。

 

「メルエ……勝手に動いては駄目だと言っただろう……」

 

「…………ん…………」

 

 駆け寄るリーシャは、呆れたような溜息と共に、メルエに注意を促すが、振り返ったメルエの顔は満面の笑みを湛え、すぐに首を上げて、咲き誇る花を見つめ直す。

 そんなメルエを抱き上げたリーシャも、今まで見た事のない木々を見上げた。

 

「綺麗ですね」

 

「そうだな」

 

 その木々は、この<ジパング>を護るように立ち並び、その枝という枝に淡く輝く花を咲き誇らせていた。

 近寄って来たサラの洩らす感想に相槌を打ち、三人が桃色の花弁に見惚れていると、一人の老人が近付いて来る。

 

「ほっほっほ。ガイジンさんは、この花を見るのは初めてかな?」

 

 三者三様の笑顔で花を見つめるリーシャ達に声をかけた老人の顔にも優しい笑顔が浮かんでいる。

 『ガイジン』という聞きなれない単語に首を向けたリーシャが頷くと、老人は笑顔を濃くして、その花の名を口にした。

 

「これは、『サクラ』と呼ばれる花じゃ。ジパングの象徴とも云える花。我らジパングの国民の『誇り』の花じゃ」

 

「…………サク………ラ…………」

 

 老人が口にする花の名を聞き、メルエは小さな声でそれを復唱する。そして、再び笑顔で『サクラ』と呼ばれる淡く桃色に輝く花を見上げた。

 <ジパング>は、この『サクラ』と呼ばれる木に囲まれている。風が吹く度に、その花弁を散らす木々によって、まるで吹雪のように舞い散る花弁は、集落を淡い桃色に染め上げ、他国とは違う自然な美しさを醸し出していた。

 

「…………ん…………」

 

「ん? ああ、ありがとう、メルエ」

 

 舞い散る花弁を掌に乗せたメルエは、一枚の花びらをリーシャへと手渡した。自分の分を大事そうにポシェットに仕舞い込んだメルエに笑顔を向け、リーシャはその花びらを受け取る。

 

「僅かな時に咲き誇り、その美しさで我々を魅了し、そして儚く散って行く。それが何とも潔い。一年でこの時期だけじゃ。ガイジンさんも良い時に<ジパング>を訪れられた」

 

「すぐに散ってしまうのですか? それが良いのですか?」

 

 同じように『サクラ』の木々を見上げた老人が口にする内容がサラには理解できなかった。

 確かに、これだけの数の木々が桃色の花弁を咲かせると、淡くはあるがそれなりの色合いを持つ。しかし、サラが今まで見て来た花々の中には、もっと色鮮やかで季節の間は咲き続ける花が多くある。美しさの度合いであれば、そちらの方が良いのではないかと考えたのだ。

 

「サラ、それが良いんだ。我ら『人』と同じだろう? 『エルフ』や『魔物』とは違い、短い生を全うし、その中のどこかで自分という才を咲き誇らせ、そして次代に受け継いだ後は潔く消える。『人』の理想のような花だ」

 

「おお! お若いのに、よう解っていなさる」

 

 サラに語るリーシャの言葉に、老人は嬉しそうに微笑む。しかし、その横に立つカミュは、唖然とした表情でリーシャを見つめていた。その表情が面白かったのか、リーシャの腕の中で『サクラ』を見上げていたメルエが笑みを濃くする。

 

「な、なんだ!? 私は、変な事を言ったか?」

 

「……いや……すまない」

 

 珍しく、素直に頭を下げるカミュに、サラは驚いた。頭を上げたカミュも、『サクラ』を見上げ、柔らかな笑顔を浮かべる。もう一枚降り注いで来た『サクラ』の花びらをメルエから受け取り、カミュは何かを口にした。

 

「……本当に……変わり過ぎだ」

 

「ん? 何か言ったか?」

 

 カミュが呟くように洩らした言葉はリーシャには届かない。聞き直すリーシャに対し、無言を貫いたカミュに、リーシャは少し眉を潜めたが、舞い散る花びらに再び表情を緩め、暫しの間『サクラ』を見つめていた。

 一行の様子に笑顔を向けていた老人であったが、花を見ている間に表情を強張らせて行く。何かを憂うように、深い溜息を吐いた老人に視線を移したリーシャが、一度カミュを見た後に問いかけた。

 

「ご老体……何か心配事でもあるのか?」

 

「はっ!? いやいや、お気になさらずに」

 

 問いかけるリーシャの声に、自分の気持ちが沈んでいた事に気付いた老人は、慌てて手を振って答えるが、そのような態度を取られて、このパーティーの中にいる女性陣が放っておく訳がない。

 

「そう言われましても……私達は外部の者ですが、何かお力になれる事がありましたら、言ってください」

 

「いえ。本当にお気になさらずに」

 

 やり取りを聞いていたサラが老人に声をかけるが、再び柔らかな断りを受け、顔を強張らせる。サラの言う通り、所詮カミュ達は、この<ジパング>では外部の者なのだ。

 そのような者達に己の悩みを打ち明ける訳がない。

 

「……それは、<ヤマタノオロチ>と呼ばれる化け物に関する事ですか?」

 

「!! そ、それをどこで……」

 

 しかし、カミュが洩らした一言は、そんな頑なな心に一石を投じるのに充分な威力を誇った。

 <ヤマタノオロチ>という名を聞いた瞬間、老人の表情は固まり、恐怖と怯え、そして理不尽な物に対する怒りの感情が徐々に浮かんで来たのだ。

 

「<ヤマタノオロチ>とは?」

 

「……ふぅ……」

 

 カミュの言葉に続いて質問を続けるサラに、老人はもう一度深い溜息を吐いた。何かを躊躇うように泳ぐ瞳が固定されて行き、恐怖に震えていた口元はしっかりと結ばれて行く。

 そして、老人はゆっくりと、この異国からの訪問者に<ジパング>の内情を語り始めた。

 

「<ヤマタノオロチ>とは、我が<ジパング>を護る神です」

 

「えっ!? 神が化け物なのですか?」

 

 老人の口から出て来た『神』という単語に、サラは素っ頓狂な声を上げる。

 サラにとって『神』とは、『精霊ルビス』の更に上の存在。

 その姿が化け物だと言う事は、サラにとって全く結び付かない物だったのだ。

 

「遥か昔から、この<ジパング>の大陸に住む産土神であったそうです」

 

「……ウブ…スナ……??」

 

「……あったそうです……?」

 

 老人の語る単語は、聞きなれない物で、カミュ達は理解が出来ない物だった。サラが復唱しようとするが、全てを正確に口にする事は出来なかった。

 サラやリーシャとは異なり、カミュは老人の語尾に引っかかりを覚える。

 

「産土神とは、我々の生まれ育った土地を護る神という意味です」

 

「……なるほど……それが何故化け物に?」

 

 そこに来て、ようやくカミュが一歩前に踏み出した。それが、ここからの会話はカミュが行う事の意思表示である事を認識したリーシャとサラは少し後ろに下がり、カミュと老人の会話に耳を欹てた。

 

「我々は、そのお姿を見た事はありません。ただ、ヒミコ様の予言で告げられた生娘は生贄となって東の洞窟に連れて行かれ、その後戻って来た事はありません。皆、娘達は<ヤマタノオロチ>に喰われたのだと口にしています」

 

 老人の話す内容は、この<ジパング>の民達の不満その物だった。

 『ヒミコ』という絶対的統治者を信じ切っている事は言葉の節々に窺える。だが、その取り決めにより命を落としている者達がいる事も、また事実。

 それが不満や疑惑となって、国民達の中で消化しきれなくなって来ているのだろう。

 

「……その生贄の儀式もまた、遥か昔から……?」

 

「いえ、ここ十年程です。大地が大きく揺れ、山が怒りを吐き出した時、<ヤマタノオロチ>が現れました。我々は神の怒りと恐れ、ヒミコ様が<ヤマタノオロチ>の怒りを収めるため、単身東の洞窟へと向かわれました」

 

 老人の話の内容を聞く限り、<ヤマタノオロチ>という神が現れたのも、生贄を必要とし始めたのも、数年程前からという事になる。では何故、そのような怪しい存在を神と認めてしまったのか。

 

「……それで……」

 

「ヒミコ様が戻られた際に、<ヤマタノオロチ>は古くからこの土地を護る産土神とおっしゃられ、毎年、生娘を生贄として差し出せば、怒りを収める事ができ、<ジパング>に再び平和が訪れると」

 

「……そんな……」

 

 老人が繋げた話の内容は、サラにはとても納得ができる物ではなかった。『生贄』によって怒りを収めるなど、とても世界の創造主である神の所業とは思えない。

 

「そして、今年の生贄は、ヤヨイとお告げがありました。私の孫娘です」

 

「カミュ! ヒミコという人物に会いに行くぞ!」

 

 老人の最後の言葉を聞いたリーシャが、カミュへと振り返り、歩き出そうと足を踏み出す。その肩をカミュはがっしりと掴み、静かに首を横に振った。

 『熱くなるな』と諌めるように。

 リーシャにとって、『ヒミコ』という存在は、異国の王である前に、異教徒の王なのだ。文化も風習も全く違う暮らしを見て、リーシャはその王に畏敬を持つ事はなかった。

 

「……勘違いするな……どれ程、アンタの考えと隔離していようと、その人物は一国の王だ」

 

「しかし!」

 

 肩を掴まれたリーシャは動けない。かなりの力で掴まれてはいるが、振り切れない程ではない。だが、カミュがこう言う以上、自分が身勝手に動けば、事が良い方向に転じる事がない事をリーシャも学んでいたのだ。

 

「……何度も言わせるな……アンタ方の考えが全てではない。アンタ方の考え全てが正しい訳でもない」

 

「ですが、『人』を生贄になんて!」

 

 カミュの瞳は、久しく見ていなかった冷たさを宿していた。

 冷たく射抜くカミュの瞳に、急速に冷えた汗を掻くリーシャの横からサラが口を開く。しかし、カミュは冷たい瞳を移動するだけだった。

 

「……俺には、さも当然の事のように、『生贄』を否定するアンタ方の神経が理解できないが……」

 

「!!」

 

 そこまで言われて、リーシャとサラは、カミュの冷たい瞳の理由(わけ)を知る。

 目の前で冷たい瞳を向ける彼もまた『生贄』の一人なのだ。

 世界中の『人』が恐れる『魔王』という存在の討伐の為に、たった一人で立ち向かわされている『生贄』。

 

 『魔王を倒せば平和になる』

 『勇者であれば魔王を倒せる』

 『自分達が平和に暮らすために』

 そんな想いの結晶である『生贄』がカミュなのだ。

 

「すまない。君達を争わせる為にこのような事を口にした訳ではないのじゃ。その青年が言うように、我々の平和は、ここまでで命を捧げて来た数多くの娘の犠牲の上に成り立っている。それを忘れた事は一度たりともない」

 

「……ですが……」

 

 言い争いを始めたと感じた老人は、三人の間に入り自分の失言を詫びた。自分達が過ごす仮初の平和は、その犠牲となって来た若い娘達によって作られた物であり、その犠牲の対象が自分の縁者になった事に取り乱した事を恥じる。

 

「ヒミコ様がお認めになった以上、<ヤマタノオロチ>は産土神なのじゃ。それを疑う事も、否定する事も我らには許されておらん。ガイジンさんよ、つまらない話をしてしもうた。忘れて下され」

 

「……」

 

 もはや語る事はないとでも言うように、一度深々と頭を下げた老人は、肩を落としながら去って行った。

 その寂しそうな背中を見て、サラは声をかける事が出来ない。ただ、呆然と見守る事しか出来ないのだ。

 

「カミュ! あの言い方はないだろう!? お前の境遇も解っている! だが……」

 

「アンタこそ忘れているのか? この国の問題は、この国で解決する事案だ。『ガイジン』とは、おそらく異国の者の総称なのだろう。外部から来た者が国の案件に口を出す事の危険性をまだ理解出来ないのか?」

 

 リーシャの叫びに被せるように、静かに語り始めたカミュの言葉に、リーシャは言葉を詰まらせる。今まで、この旅の中でカミュ達は数多くの村や町、そして国を訪れて来た。

 その中では問題が噴出している国もあったことは事実。そして、カミュ達が、その意志で介入して来た物もあれば、なし崩しに介入せざるを得なかった物もある。

 

「……もう二度と、この<ジパング>に足を踏み入れられない可能性もある……」

 

「……カミュ……」

 

 カミュ達が介入した事によって、幸せになった者もいれば、そうでない者もいる。それは立場の違いだけではなく、カミュが起こす『必然』によって、暗い闇から引き上げられる者もいれば、逆に闇へと落される者もいるのだ。

 そして、その行為が必ずしも万人に受け入れられる物ではない事は、既にバハラタで証明されていた。

 

「……それでも……それでも、このまま見過ごす事は、私には出来ません」

 

「……サラ……」

 

 暫しの静寂の後、口を開いたのは、常に悩み続ける者。

 そして、答えを探し続ける者。

 

「……俺は、今回の件で責任は持てない。この国が行う『生贄』の儀式によって、本当に国が救われているとしたら、どうする?……アンタ達のような教会側が常々口にする『尊い犠牲』によって、一つの国で暮らす大勢の人間の命が救われていたとしたら、アンタはどうするつもりだ?」

 

「……そ、それは……」

 

 しかし、何時になく真剣に、サラの目を見ながら語るカミュの言葉に、サラは即座に反応が出来なかった。

 確かに『生贄』を神に捧げる事によって、雨乞い等を行って来た歴史はアリアハンにもある。しかし、それは大昔の事であり、現代ではそのような馬鹿げた儀式はないのだ。

 

 ただ、もし、万が一にも、その儀式が効力を発揮していたとしたら。

 この<ジパング>という国は、実際に異教徒の暮らす国。

 『精霊ルビス』も、その上にいる神も信じはしない国。

 つまり、サラが聞いて来た『教え』という枠に当て嵌らないのだ。

 

「……実際、<ヤマタノオロチ>が神かどうかは別にしても、『生贄』を捧げる事によって、この国で暮らす人間が襲われる事がないのも事実だ」

 

「カ、カミュ……<ヤマタノオロチ>が神でないとしたら、何なんだ?」

 

 俯き始めたサラに代わって、リーシャが口を開く。

 その問いかけに、一度息を吐き出したカミュは、静かに言葉を繋いだ。

 

「……魔物だろうな……」

 

「や、やはり!」

 

 カミュの回答に顔を上げたサラは、自分の予想通りの答えに、眉を顰めた。

 テドンに続き、この<ジパング>でも露になった魔物の所業。

 それがサラの心を大きくぐらつかせる。

 

「……それも、知識の備わった魔物だろうな……」

 

「知識?」

 

 リーシャはカミュの続けた言葉に首を傾げた。

 魔物と知識が結び付かない。

 魔族であれば、それなりの知識を有する者もいるだろう。

 だが、魔物となれば、話は別なのだ。

 

「もし、可能性として魔物であったとしても、この国では『神』だ。この国の儀式である『生贄』を否定し、<ヤマタノオロチ>に手を出したとすれば、俺達は『神に逆らいし者』となり、最悪『神殺し』の烙印を押される事になる」

 

 そこでカミュは一つ言葉を区切った。

 もう一度、サラの方に視線を向けたカミュは、瞳を細め、口を開く。

 

「もう一度聞く。アンタはその烙印をメルエにまで背負わすつもりなのか?」

 

「!!」

 

 サラの顔が弾かれたように上へと上がる。

 そこには、自分を厳しく見つめる『勇者』の瞳。

 全てを背負うと決めた強い瞳であり、他者を護ると決めた強い瞳でもあった。

 

「しかし、カミュ! ここは、お前の祖母の故郷なのだろう? 何とかしようとは思わないのか?」

 

「……アンタは俺に何を求めている?……俺が家族愛を持ち合わせているようにでも見えているのか?」

 

「カミュ様は、この国の血を継いでいるのですか!?」

 

 感情のままに口走ったリーシャの言葉は、カミュの顔から表情を奪い取る。『愛国心を持たない人間に、今度は家族愛を求めるのか?』と。それは、リーシャの甘えだった。

 メルエと出会ってから、カミュは確かに変化した。それは、肉体的な強さも然る事ながら、心の変化という成長が大きかった。リーシャやサラを仲間として見ているのだ。

 毎朝の鍛錬で、リーシャはカミュにまだ負けた事はない。だが、もし負けたとしても、もう彼は『一人で行く』とは言わないだろう。そんなカミュの変化に、リーシャは甘えていたのかもしれない。

 

 故に、彼が憎しみすらも覚えている『家族』という物を出してしまった。それは、冷たく返される。

 何も、秘密にしていた訳ではないだろう。彼の祖母がジパング出身という事を隠す必要もなく、そして、今のカミュを見る限り、リーシャがそれを溢してしまった事に怒りを覚えている様子もない。

 

「そうですか……カミュ様のお婆様は……」

 

 愕然とするリーシャの横でサラが何やら唸っている。

 カミュの信仰心の奥には、祖母からの教えがあったのではないかとでも考えているのかもしれない。しかし、それは全くの的外れであった。

 

「……悪いが、俺は祖母に一度も会った事はない。俺が生まれた時には既に他界していたからな……」

 

「えっ!? そ、そうなのですか……申し訳ございませんでした」

 

 サラの考えている事が分かったカミュは、その思考に抑制を掛ける為に言葉を繋ぐ。暴走しかけたサラの思考は急速に停止し、カミュに向かって軽く頭を下げた。

 それは何に対しての謝罪なのか。亡くなったカミュの祖母を辱めた事への謝罪なのか。それとも、カミュを異教徒として括った事への謝罪なのか。

 

「……何をするにも、この国の内情と『ヒミコ』という人物の情報が不可欠だ……」

 

「カミュ!」

 

 止まった一行の時間を再び動化したのはカミュだった。そのカミュの言葉にリーシャの顔は輝きを取り戻す。

 このパーティーに所属する、リーシャ、サラ、メルエの三人に共通する認識。それは、このパーティーの指針を定めるのはカミュだという事。

 カミュが、やると決めたのなら、それはパーティー全員の意思となる。

 

「よし! では、目的地はあそこだな」

 

 カミュがこう言う以上、情報次第では動く事を示唆しているのだ。

 リーシャには、確かな想いがあった。

 カミュが起こす『必然』という名の確信が。

 

 リーシャが指差す位置には、見た事もない建造物が建てられている。二本の丸い柱のような物の上に、並行に二本の柱が横たわっていた。

 この<ジパング>では、これを『鳥居』と呼ぶ。

 由来の起源は解ってはいない。ただ、この起源の一つに『精霊の門』という物も存在する事から、もしかすると、『精霊ルビス』という存在と関係が全くない訳ではないのかもしれない。

 

 カミュの後をメルエが続き、その後ろをサラとリーシャが歩く。

 見た事のない文化に、交わした事のない会話。

 感じた事のない心地良さに、感じた事のない不快感。

 それを肌に感じながら、四人は見た事もない建造物を潜って行った。

 

 

 

 




読んで頂きありがとうございました。

あの中盤最強のボスの登場です。
この章は少し力が入っていますので、楽しんで頂ければ嬉しいです。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしています。

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