新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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~幕間~【アリアハン宿営地】

 

 

 

 夜も更け、あと数刻もすれば日も昇って来るであろう時刻に、リーシャは目を覚ました。

 眠る前に、見張りをする事を譲ろうとはしなかったカミュと口論に発展したが、数刻毎に交代で行う事で同意を得た。

 それにも拘わらず、カミュに起こされる事もなく、ここまで眠ってしまった自分にも腹が立つが、起こす事をしないカミュへ沸々と怒りが湧いて来る。

 文句の一つでも言おうと身を起こし、火の傍にいるはずのカミュを探すが、その姿がなかった。

 一瞬、『置いて行かれたか?』という疑問が湧き上がるが、荷物がそのままである事から、席を外しているだけなのだろう。

 リーシャは昨夜のカミュの様子もあり、カミュの動向が気になり始めていた。

 サラはまだ自分の横で深い眠りに落ちている。サラの上には何時の間にかけたのであろうか、カミュが身につけているマントが掛けられていた。

 自分がこの場所を離れた後のサラの身を案じはしたが、聖水が撒かれている事を考え、カミュを探す為に森の中へと入って行った。

 

 

 

 森の中では方向感覚が狂い、迷った挙句に森から出る事が出来なくなるケースも多いが、そこは宮廷騎士として数多くの戦闘を経験して来たリーシャである。

 微かな人の気配を探り、ついにカミュの姿を視界に収めた。

 そこは、木々達が犇めき合う森の中にあって、異様な場所であった。

 中央に小さな水の湧き場が存在し、そこから下流に向かい河が出来ている。

 カミュはその湧き場の傍で、剣を振っていた。

 その動きは、幼い頃から積み上げてきた物に他ならない。リーシャ自身、アリアハン随一の剣の使い手である故に、そのカミュの剣捌きを正直に美しいと感じた。

 まだまだ荒削りな部分は残されているが、これから努力と経験を積めば、その剣は更なる高みへと昇って行く事であろう。

 

『自分にあれほどの剣の才能があるのだろうか?』

 

 そんな嫉妬にも似た感覚を味わいながらカミュの動きを見ていると、どうやら一通りの型が終了したようである。

 

「……なにか用か?」

 

 振っていた剣を鞘に納め、リーシャのいる場所に視線も向けずにカミュは口を開いた。

 自分の存在に気付かれていた事に気まずい想いを抱いたリーシャであったが、気を取り直してカミュの下へと近付いて行く。

 

「い、いや、交代の時間になっても起こさないお前に文句を言おうとしたら、いなかったのでな」

 

 カミュの動きに見惚れていた自分を認識してしまったリーシャは、誤魔化しも含め、幾分不機嫌そうに答えを返す。

 そんなリーシャの心の葛藤を知ってか知らずか、カミュは大きな溜息を吐き出した。

 

「……また、文句か?……余程、アンタ達は、俺が気に食わないのだろうな」

 

 リーシャは文句を言うつもりではなかったが、カミュのその物言いに夕食時の事を思い出し、同時にその時の怒りも再沸して来る。

 顔を上げたリーシャの瞳は吊り上がり、睨む眼光は、常人であれば竦み上がる程の強さを宿していた。

 

「当たり前だ! なぜ、あのような事を言った! 私は良い……確かにお前の言う通り、私は国王様の側近連中に媚を売る貴族連中のようには、世を渡る事のできない下級貴族だ。だが、サラは違う。自分を拾ってくれた神父を信じ、その幸福を与えてくれたルビス様を、心から信仰しているんだ。お前のような男が簡単に否定して良いものではない!」

 

 アリアハンを出てから一度もこの少年に口論で勝てた事がないのにも拘わらず、またその口火を切ろうとしている自分を可笑しく思いながらも、リーシャは真剣にカミュと渡り合う事にした。

 

「そうかもしれないな……それでも俺は、人間と同じように、魔物にも生きる権利はあると思っている」

 

 リーシャの言葉に、表情を変えずに間を置いてから、カミュは呟いた。

 その言葉は、夕食時のような熱はなく、まるで自問自答しているような呟き。

 そのまま、リーシャを背にするように、水の湧き場で水を少し口に含んだカミュは、その場に座り込んだ。

 

「生きる権利だと……?」

 

 リーシャはカミュの様子を訝しみながらも、その言葉を聞くためにカミュの傍に近寄り、そしてその横に座った。

 そんなリーシャの行動を咎める事なく、カミュは視線を目の前の湧水に向けたまま、ゆっくりと口を開き出す。

 

「……ああ……俺は、剣を握れる歳には、強制的に街道の魔物討伐隊に同行させられるようになった。オルテガの息子ならば、それが当然の事なのらしい。魔物が出てくれば、オルテガの息子というだけで、その魔物の群れの中に単身で放り込まれた。オルテガの息子ならば、魔物を打ち滅ぼすのは当然だという言葉と共にな……」

 

 不意に話し始めたカミュに驚くリーシャであったが、何よりあのカミュが、自分の生い立ちを語っている事に驚いた。

 もしかしたら、カミュは夕食時の事を後悔しているのかもしれない。

 リーシャの勝手な解釈ではあったが、カミュの話をそう受け取り、静かに先を促す事にした。

 

「俺は生きる為に、魔物を殺すしかなかった。数え切れない程の魔物を殺した。傷だらけになりながら帰って来ると、教会の人間が魔法で傷を癒し、次の場所に放り込まれる。その繰り返しだった」

 

 絶句した。

 先を促した身でありながら、その壮絶な幼少時代に驚き、かける言葉も見つからない。

 幼い身でありながら、大人たちの重圧に押され、単身で魔物と戦い、傷つき帰れば、休む暇もなく戦いに出される。

 例え、身体の傷は癒されても、それでは心が壊れてしまうだろう。

 

「ある討伐隊に連行されている時に、森の中で一人の人間が行方不明になった。そいつは討伐隊のメンバーではあったが、碌な戦闘もせず、支給品にある酒を飲みながら俺に指図するような奴だった」

 

 討伐隊には夜の食事の際に、士気を上げるためと、多少のアルコールが用意されている。

 軍には規律が必要ではあるが、あまり規律を締めすぎると、命をかけている分、割に合わないと言って志願する冒険者がいなくなるといった理由からのものでもあった。

 

「当然のように、俺一人が探索隊となる。その指令の内容は森の入り口で討伐隊が待ち、俺が中を確認し、その男を連れて来る事だった。森の奥に入り暫く行くと、人間の腕が落ちてあり、そこから血糊が続き、少し行った所にある巣穴まで続いていた」

 

「殺されていたのか?」

 

 答えは解っている。

 巣穴まで引きずられているのだ。

 生きている訳はない。

 

「……ああ、その男は疾うに死んでいた。俺の気配に気づいたのか、巣穴から一匹の<一角うさぎ>が出て来た。口の周りは血で汚れ、食事中だったのだろう」

 

 カミュは魔物が人を襲う事を食事と言う。リーシャはその考えを理解する事は出来なかったが、カミュにとって人が獣を食す事と、魔物が人を襲い喰らう事は同等の行為なのであろう。

 

「俺の存在を認識し、警戒を強めた<一角うさぎ>は、その身の毛を逆立て威嚇してきた。今考えると『去れ』という意思表示だったのかもしれない。それでも俺は剣を抜いた。その瞬間に<一角うさぎ>は、俺に向かって牙を剥いて飛びかかって来ることになる」

 

 そこで、一息入れるように、『ほうっ』とカミュは息を吐いた。

 まるで、その時の状況を思い出すのを躊躇うように……

 

「無我夢中だった。まだ、歳もようやく二桁になったばかりで、大抵は<スライム>か<大ガラス>が相手だったからな。<一角うさぎ>の予想外の動きに戸惑いながら、夢中で剣を振るった」

 

「二桁になったばかりだと……?」

 

 リーシャは、カミュの話で『剣を握れるようになってから』というのは、剣を振るえる歳になってからだとばかり考えていた。

 しかし、今の話であれば齢十になったばかりだと言うのだ。

 リーシャにしても、討伐隊に同行するようになったのは、十八になる頃からだ。

 未だ十歳にしかなっていない少年を、単身魔物の群れに放り込むなど、人間の行いではない。

 

「ああ、家の者も同意していた事だ。まさか単身魔物の群れに放り込まれているとは思ってなかったのだろう。いや、率先して俺を討伐隊に同行させていた感がある以上、むしろ知っていたのかもしれない。この際、それはどうでも良い。俺も、<一角うさぎ>と戦った事がない訳ではなかったが、その<一角うさぎ>は何かが違い、俺に向かって来る気迫は鬼気迫るものだった。それでも、夢中で放った俺の一撃が、たまたま<一角うさぎ>の首を捉え、その命を奪い、その死骸を前にして、俺は身体の力が抜け、座り込んだ」

 

 カミュから、もう一度溜息が洩れる。それは、何かを悔やむような儚い溜息。

 リーシャはそんなカミュが醸し出す雰囲気に飲み込まれてしまった。

 

「その時、あの巣穴から出てくる影を見た。流石に、もう一度<一角うさぎ>と戦う体力などない俺は、半ば諦めにも似た覚悟を決めて、出てくる影を待った。出て来たのは、二匹の<一角うさぎ>。だが、身体が異様に小さかった事から、それが今、俺が殺した魔物の子である事は容易に想像できた。その子うさぎたちは、血を流し動かなくなっている親を見た後、怯えた目で俺を見ていた。その身体は気のせいか、小刻みに震えていた」

 

「そ、それで……」

 

「おそらく、死んだ馬鹿な男は、あの<一角うさぎ>の縄張りに入ったのだろう。小さな子供がいる親は、子を護るために必死で抵抗し、その結果、男を殺害した。だとすれば、人と何が違う?……そう思った。俺が子供だと安心して、剣を支えに立ち上がると、二匹は凄まじい勢いで逃げ出して行った」

 

 これで、終わりだと言わんばかりに、カミュは瞳を閉じる。

 横からその姿を見ていたリーシャは、水が湧く泉の畔で静かに目を閉じるカミュの姿がとても幻想的に見えた。

 

「親や子が魔物に命を奪われ、憎しみに燃える人間は多い。討伐隊の中にも、そんな人間は多かった。だが、人間がそうであるならば、俺が魔物を殺せば殺す程、魔物の人間に対する憎悪も増えるのではないかと考えるようになった……まあ、そんな話だ」

 

 そう言うと、カミュは横に置いた剣を再び背に装着し、腰を上げた。

 立ち上がるカミュを追うように、リーシャの視線と共に顔が上がる。

 そんなリーシャの方を見る事もなく、溜息と共に言葉を吐き出した。

 

「つまらない話をした。今のは忘れてくれ。アンタ達の考え方の方が常識だ。俺の考えと、世間の一般常識が相容れない物である事は重々承知している。レーベの村に着いたら、アリアハンに帰ってくれ。一人の方が気楽だ」

 

 背を向けながら話すカミュに、リーシャは言葉をかけられない。

 ただ単に、自分達を否定し、受け入れない為に、このような態度を取っているのだと思っていた。

 だが、実際は、自分の考えと世間の常識とがかけ離れている事を認識しているからこそ、一人で旅に出ようとしていたのだ。

 

「まぁ、アンタの場合、アリアハンに帰ったとしても、今度は、腐った王族から貴族の称号を剥奪されて、宮廷騎士ですらなくなるかもしれないがな」

 

 泉から離れて行くカミュがリーシャに聞こえるようにわざとらしく呟き、その言葉を聞いたリーシャの怒りの炎は再燃した。

 『もしかすると、王家や貴族への侮辱は、自分を旅から外すために敢えて口にしていたのかもしれない』と、一瞬でも考えた事をリーシャは後悔する。

 

「そんな訳に行くか! 私は、国王様から魔王討伐の命を受けているんだ。例え何があっても、その使命を投げ出す事などあり得ん! それに、サラだって同じ筈だ」

 

 『こんな偽勇者の思い通りになってたまるか』

 そんな思いが、リーシャの言葉から滲み出ていた。

 リーシャの叫びに振り返ったカミュは、またいつものような無表情に戻っている。

 

「アンタの考えは解った。ただ、あの僧侶は無理だな。教会の人間は昔から苦手だが、あれはその中でも筋金入りの者だ。自分の身内を、前世での罪人として扱われたら、大抵の者は怒り狂う。アンタも、そうではないのか?」

 

 カミュの言葉を聞き、リーシャは唇を噛む。

 確かに、サラの考えには、納得が出来ない部分もある。

 貧富の差や生まれの差は、前世での行いの違いという教会の教えは知っていた。

 その為に今生でその罪を償い、徳を重ね、そして来世での幸せを夢見る。

 だが、ルビス様の加護の違いにも当て嵌るとなれば話は別であるのだ。

 

「確かに、納得は出来ない。だが、あの時のサラは、お前に追い詰められて正当な考えから言葉を発していない。それにサラはまだ幼い。しかも、アリアハンから全く出た事がなかった。これから、世界中を旅し、見聞を広げれば、少しずつ変わって行く筈だ」

 

「感情で話をしている時の方が本音を話すと思うが……それに、あの僧侶の歳は俺とそう変わらない筈だが……」

 

 確かにあの時、サラは感情的になっていた。自身の培ってきた価値観を真っ向から否定するカミュに対し、何も反論できない自分への苛立ちとも取れる。

 自分が誇って来た知識では対抗できない理論。

 それは、サラから冷静さを奪ってしまっていたのだ。

 

「お前が異常なんだ!」

 

「お前に続いて、すでに俺は異常者か・・・」

 

 もう、リーシャとカミュの間でやり取りされている事は、売り言葉に買い言葉となっている。

 実際、カミュは買うつもりはないのだろうが、リーシャはカミュの淡々と、尚克冷静に紡がれる言葉にどうしても荒れてしまっていた。

 傍から見ると、とてもいいコンビなのだが、リーシャは絶対にそれを認めないだろう。

 短めに整えてある髪が逆立つような意気で迫るリーシャに、溜息をつきながら宿営地に向かうカミュは、その後一言も言葉を発する事はなかった。

 そんなカミュの後ろを歩きながら、これから先の旅への不安が、アリアハンを出た当初よりも大きくなっている事に、リーシャは気持ちが暗くなって行く。

 

 火の場所に戻れば、薪をくべる事を怠っていたせいで、火が小さくなっていた。

 傍で寝ているサラも寒さを感じているのか、掛っていたカミュのマントに(くる)まっている。

 リーシャは慌てて火に薪をくべ、火の大きさを安定させ、カミュはその傍に座りながら、静かにその様子を見ていた。

 

「お前も、少し寝ろ。ここから朝までの見張りと火の番は私がやっておく。明日は陽が落ちる前にはレーベに着くつもりなのだろ?……その為に寝ておけ」

 

 薪をくべながら、隣に座るカミュに声をかける。

 剣を振っていた事を考えると、カミュは寝てはいないのだろう。

 故に、リーシャは、カミュの代わりに見張りの番を買って出たのだ。

 

「……わかった……少し眠らせてもらう」

 

「ああ。一人旅では、眠れないだろうからな。仲間がいるのも悪い事ばかりではないだろう?」

 

「……一人旅であれば、既にレーベの村に着いている頃だろうな……」

 

 意趣返しのつもりでリーシャが放った一言は、カミュの容赦ない切り返しで、逆にやり込められてしまった。

 確かに、戦闘を極力避け、休憩なしで歩き続ければ、夜中から朝方になるかもしれないが、レーベには着いているのかもしれない。

 ただ、引き下がれないリーシャは、尚もカミュに言い募ろうと顔を向けると、すでに革袋を枕にカミュは寝息を立てている。

 その顔は、先程までの捻くれた考えと物言いをする男ではなく、年相応の幼い寝顔である事に、リーシャは溜息を吐き出した。

 

「寝顔を見れば、サラの寝顔と然程違いはないのにな……」

 

 小さな笑みを作りながら溢したリーシャの呟きは、安定してきた焚き火の中に吸い込まれて行った。

 

 

 

 

 

 


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