新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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幕間~【テドン周辺】~

 

 

 

 一度ポルトガへ戻ったカミュ達は、一夜を明かした後、再び船に乗り込み、南へと下って行った。

 頭目の提案によって、南に見える大陸沿いに船を走らせ、常に陸地を見ながらの航海となる。

 

 大きな帆が全身に風を受け止め、船を前へと走らせて行く。流れる潮風を一杯に受けながら、もはや定位置となった木の箱の上からメルエが海を眺めていた。

 その顔にあるのは満面の笑み。未だに物珍しい船からの眺めもそうだが、再びトルドと出会い、トルドが町を創る事を決意した事もメルエの顔に笑顔を浮かべる要因となっているのだろう。

 

「メルエ、余り顔を出すなよ。落ちたら助けられないぞ」

 

「…………ん…………」

 

 隣に立つリーシャの忠告にも笑顔で頷くメルエに、リーシャもまた笑みを浮かべる。空は青く澄み、太陽は暖かな陽射しを降り注いでいる。何もかもが順風満帆の船出であった。

 

「トルドさんは、どのような町を創るのでしょうね?」

 

「そうだな。機会があったら覘いてみるか?」

 

 サラの疑問にリーシャは少し考えた後、カミュへと問いかける。

 しかし、カミュの顔には笑顔等浮かんではいなかった。

 

「……アンタは何を目的に旅をしているつもりだ?」

 

「なっ!? わ、わかっている! だが、近くに立ち寄った時にでも顔を出す事は可能な筈だ!」

 

 溜息と共に吐き出されたカミュの言葉に、リーシャは顔を赤らめた。

 この穏やかな空気に、旅の目的を忘れた訳ではない。だが、カミュの言う通り、多少浮かれた気分がなかった訳でもない。

 それをリーシャは恥じたのだ。

 

「俺達の旅は、あの場所と再び交差する事などない筈だ」

 

「ぐっ」

 

 カミュが言うように、『魔王討伐』という目的の中に、新興の町が交差する事はないだろう。それをリーシャも理解しているため、言葉に詰まるのだ。

 サラも同様にカミュへと反論する言葉を持ち合わせてはいなかった。

 

「…………メルエ………やくそく………した…………」

 

「……」

 

 しかし、たった一人、今まで目を輝かせて海を見ていた幼い少女だけは違った。話の内容を敏感に感じ取り、哀しそうに眉を下げてカミュへと振り返ったのだ。

 その幼い視線を受け、カミュは盛大な溜息を吐き出す。

 

「メルエもこう言っているんだ。区切りが付いた時にでも、顔を出してみよう」

 

「……この旅の何処で区切りが付くと……」

 

 カミュもリーシャも気がついてはいないが、メルエにとって『約束』とはとても重い物である。

 メルエが『約束』を交わした相手。それは、カミュ達三人以外では、『アン』、『アンリ』、そして『トルド』の三人しかいないのだ。

 今まで他人との接触が極端に少なかったメルエが交わした約束。それはとても重く、メルエの心にしっかりと刻まれている。

 

「……確かにそうですが、<ルーラ>で船を運べない以上、どちらにせよ一度ポルトガに戻らねばならないのですから、再びポルトガから出港する際にあの場所を訪れれば良いのではないですか?」

 

「そ、そうだな。サラの言う通りだ」

 

 思わぬ援護を貰ったリーシャは、勢い良くカミュへと視線を戻した。

 『三対一だ』とでも言うかのように、勝ち誇った瞳を向けるリーシャに、カミュは再び大きな溜息を吐き出す。

 

「……わかった……」

 

「よし! よかったな、メルエ」

 

「…………ん…………」

 

 諦めと共に吐き出されたカミュの答えに、満足そうに頷いたリーシャは、隣で心配そうに見つめていたメルエの頭を撫でる。その温かな手を頭に受け、メルエは満面の笑みを浮かべた。

 カミュもリーシャも、そしてサラも気付いてはいない。

 メルエは確かにトルドと約束を交わしていた。しかし、その前にあのイシスの女王とも約束を交わしていたのだ。

 『魔王を倒した暁には、必ず顔を見せに行く』と。

 

「おおい! 何か建物が見えるぞぉ!」

 

 そんな四人のやり取りに、割り込んでくる一際大きな声。

 マストの上にある見張り台で大陸を監視していた船員の声だった。

 

「ん? カミュ、どうする?」

 

「……」

 

 リーシャは、船員の声を受け、即座にカミュへと指示を促す。カミュは何かを考えるように陸地を眺め、暫し言葉を発しはしなかった。

 不思議そうにカミュを見つめるメルエは、船員が指し示す方角とカミュを見比べている。

 

「うぉぇ……できれば、上陸したいと思うのですが……」

 

 先程、カミュに向かってまともな事を語っていたサラではあったが、既に名も無き土地を出港してから数日が経過している。船酔いも限界に近かった。

 顔を青ざめさせながらカミュへと視線を送るサラは、その言葉の途中で何度も空気を吐き出している。

 

「……あの場所へ近づけるか?」

 

「おお! 大丈夫だ。野郎共! 上陸の準備だ!」

 

 カミュの言葉を受け、頭目が船員達に指示を出す。

 大きな掛け声と共に、船の舵は陸地へと向けられた。

 

 

 

 船員の手によって錨が下ろされ、船は砂浜から少し離れた場所に停止する。もはや慣れた手つきでカミュとリーシャは小舟を下ろし、ロープを伝って小舟へと降りて行った。

 その際に、メルエを抱き上げたカミュに向かって、リーシャの『自分がメルエを抱いて降りる』という言葉は、カミュの溜息と船員達の笑い声に包まれたのは、また別の話。

 

「メルエ、まだ遠くに行くなよ」

 

「…………ん…………」

 

 カミュと共に小舟を木の幹に結び付けてながら発したリーシャの忠告に、メルエは小さく頷き、砂浜を歩く小さな蟹を見つめていた。

 メルエの視線から逃れるようにちょこちょこと動き回った後、蟹は砂浜に掘られた穴に入り、姿を隠してしまう。残念そうに肩を落とすメルエを見て、サラが青白い顔をしながら笑みを溢した。

 

「これで良いな。カミュ、あの建物まではどのくらいだ?」

 

「……俺も実際に歩いた事はない筈だが……」

 

 小舟を結び終えたリーシャの問いかけに、カミュは呆れたように溜息を吐き出す。もはや、恒例になりつつあるリーシャの問いかけは、やはりカミュに一任する物だった。

 カミュの返答を聞き、渋い顔をするリーシャではあったが、それはどちらかと言えばカミュが浮かべる表情の筈。しかし、サラは何気なく、それが自然な流れに見えて、再び笑みを溢す。

 

「夜までには着くだろう? 少し休憩を取らなければ、サラが辛そうだ」

 

「……まだ陽は高い。前のように眠り扱ける事がなければ大丈夫だ」

 

「はぅ!」

 

 微笑むサラに視線を移したリーシャは、自分が何故カミュに問いかけたかの理由を述べ、それを理解したカミュが溜息混じりに背中の剣を結ぶ紐を解いた。

 そんなカミュの容赦ない言葉に、サラは言葉を詰まらせ、申し訳なさそうに俯いてしまう。

 

「そういう事だ。サラ、眠らないようにゆっくり休め」

 

「は、はい……申し訳ありません」

 

 リーシャの言葉にますます小さくなるサラを余所に、カミュは近場に水を汲みに行き、リーシャはメルエを眺めながら、横たわるサラの看病をする。

 メルエは砂浜に打ち上げられていた貝殻を拾い上げ、その綺麗さに目を輝かせていた。

 

 休憩を挟み、歩き出した一行は、陽が傾いて来た頃に一軒の家屋に辿り着く。

 

「……教会なのでしょうか……?」

 

 サラが洩らした言葉通り、その家屋の屋根の部分には、教会である事を示す十字が取り付けられていた。

 町にある教会のように、ステンドグラスが取り付けられていたりはしない。普通の家屋を改造しただけのようにも見えるそれを見上げ、サラは胸の前で手を合わせた。

 

 このような場所でも、ルビスの教えが広められている。

 そして、この教会に訪れる人もいたのだろう。

 それが、サラには、誇らしさすら感じる物であったのだ。

 

「入りましょう」

 

 教会である事で、木戸を開け、先頭を切って中に入る役はサラとなった。

 サラに続きメルエの手を引いたリーシャが入り、最後にカミュが中へ入る。

 

 中は外から見た物と変わるところはなく、本当に普通の家屋を教会のように改装しただけの物だった。

 中央に木造のルビス像が建てられ、その前に祭壇を設けている。祭壇も簡素な物で、上に掛けられた赤い布だけが上質な物であるのか、サラ達の目を引いた。

 

「あら、珍しい。貴女方はここまで船で来られたのですか?」

 

「あっ! ご苦労様です。先日ポルトガを出港したばかりです」

 

 目の前に佇むルビス像に向かって祈りを捧げていたサラの横から、柔らかな女性の声が掛った。

 慌てて視線を向けたサラの答えは、どこか見当違いな物で、法衣に身を包んだ女性は目を丸くした後、柔らく微笑む。

 

「ポルトガの港から出る貿易船は、必ずこの教会を訪れ、ルビス様に航海の無事を祈願して行ったものです。最近はその数もめっきりと減りはしましたが……」

 

 サラからルビス像へと視線を移したシスターは、何か遠くを見るように語り出す。その内容が、現状の『人』の社会を物語っていた。

 『魔王』の登場により、魔物の凶暴化が進み、海に出る船自体が皆無に等しい。故に、この教会を訪れる船乗りも同様に皆無となっているのである。

 

「それ程までに……」

 

「そうですね。ここを通る船乗りの目的地でもあった<テドンの村>があのような事になってからは尚更ですね」

 

「……テドン……?」

 

 言葉を失ったサラの呟きに、シスターは哀しく目を伏せながら言葉を綴る。その中に出て来た村の名前は、先日訪れた灯台の炎を灯していた男が語った物の中に入っていた。

 それにカミュは気付き、シスターへと疑問を向けたのだ。

 

 基本的に、教会内ではサラ以外が口を開く事はない。それは、今まで交渉事がなかったという事もあるが、それでも教会内でカミュやリーシャが口を開く事はないのだ。それは、この場所がサラの場所である事を知っているからなのかもしれない。

 

「ええ。その祭壇の上に敷かれている布も<テドン>の特産なのですよ。昔は<テドン>からここまでお見えになられる方も多かったのですが」

 

「その村で何があったのですか?」

 

 シスターの話しぶりから、その村に何かが起こった事は明白ではあるが、その内容が分からないサラは、シスターへと疑問を投げかける。

 何かを感じたカミュがメルエをマントの中へと誘い、リーシャはそんなカミュの横へと位置を動かした。

 

「ご存じないのですか?」

 

「申し訳ございません」

 

 シスターが、サラの疑問に対して眉を顰め、疑念を露にする。その態度を見て、それ程に大きく、凄惨な出来事であった事を悟ったサラは、素直に頭を下げた。

 この広い世界の中でも辺境と言っても過言ではないアリアハン大陸育ちにサラは、世界の情報を仕入れる術を持ち合わせてはいなかった。

 『オルテガ』のような世界的な英雄の話であれば、育ての親である神父から聞く事はあったが、世界情勢のような物は知る為の術がないのだ。

 

「……そうですか……貴女方の年齢であれば、知らないのも無理はないのかもしれませんね」

 

 頭を下げるサラを見て、深い溜息を吐いたシスターは、木造のルビス像を見てから胸の前に手を合わせる。そして、何かを吐き出すように、その重苦しい内容を話し始めた。

 

「もう、十年以上になるでしょうか……ここから南に進み、川を登って行った先にある<テドンの村>は、夥しい数の魔物の群れに襲われ、滅びました。生き残った者は誰もいません」

 

「!!」

 

「……」

 

 衝撃の事実。

 それは、鎖国に近い状態であったアリアハンには流れて来なかった情報。

 『魔王バラモス』の登場によって凶暴化した魔物に襲われた人間は数多い。だが、魔物の群れに襲われ、滅びた国や町などはなかったのだ。

 これ程に魔物の存在が脅威とされ、『人』の力では太刀打ち出来ない存在である『魔王』が登場して数十年。どこの国も疲弊こそすれ、滅びてはいなかったという現実の方が奇妙ではあったのだが、貧困に苦しむ『人』は、その事を深く考える事はしなかった。

 

「そ、その村は、今は……」

 

「今も村であった名残は残っています。しかし、もはや廃墟。泉は毒沼と化し、家屋は崩れ、『人』であった者達の亡骸は土へと還っています」

 

 解りきった質問をするサラの心は、自分の中にある微かな望みを繋げようとする物だった。

 彼女は決意し、努力すると誓った『人もエルフも魔物も幸せに暮らせる世界』という考え。それが根底から崩れて行きそうな感覚を味わっているのだ。

 

「サラ、見失うな!」

 

「はっ!?」

 

 しかし、再び自らの道を見失いそうになるサラを引き止め、強引に戻してくれたのは、姉のように慕う女性騎士だった。身体ごと強く引かれるように戻されたサラの心は、動揺を残したまま、再び事実と向き合う事を選択する。

 

「私も<テドン>へ赴いたのは、事後に一度だけ。その後の事は解りません」

 

「なぜ……何故、魔物の群れが……」

 

 再度問いかけるサラの声は震えていた。

 町や村には、その領有権を有する国の兵士や、自治都市の場合は自衛団等が駐在している。しかし、殆どが村や町に近づく数少ない魔物を追い払うのが役目であり、押し寄せて来る魔物の群れを撃退する為の物ではない。

 それは、決して『人』の怠慢ではなく、過去の歴史で、そのような事がないからなのだ。

 

「わかりません。あの夜、突如北東の空を数多の影が覆い尽くし、闇に包まれました。そのまま空を覆い尽くした影は南東の方角へと飛んで行き、北東にそびえる険しい山々からも雪崩のように黒い波が南へと下って行きました」

 

「……」

 

 シスターが見た影は、間違いなく魔物の群れ。

 何があったのか解らない。

 <テドン>という村に何かがあったのか。

 それとも、『人』への見せしめなのか。

 ただ、何者かの指示によって魔物達が動いた事だけは確かであろう。

 

「未だにルビス様の御許に還る事の出来ない者達が、夜な夜な彷徨い歩いている等という噂も絶えません。嘆かわしい事です」

 

「……カミュ様……」

 

「……このまま南に向かえば、必ず通る道だ」

 

 シスターの言葉を聞き終えたサラが、カミュへと視線を向ける。サラの視線を受けたカミュは、一度溜息を吐き出した後、<テドン>へと向かう事を了承した。

 これで、一行の次の目的地が決定する。

 

 滅びし村<テドン>

 何かと不気味な噂が多い<ネクロゴンド>と呼ばれる地。

 その麓に位置する場所で細々と営まれていた人々の息吹が宿る村。

 周囲は海から流れる数本の川に囲まれ、豊かな森と、豊かな土。

 長閑ながらも、食物や原料に恵まれ、特産となる『絹』を産み出した村。

 

「ありがとうございました」

 

「いえ。こちらこそ、辛い昔話をしてしまって。無事の航海をお祈りしています」

 

 カミュの返答を受け、笑みを浮かべたサラは、シスターに向かって頭を下げる。眉間に皺を寄せながら過去を語っていたシスターの表情も和らぎ、胸の前に手を合わせ、『精霊ルビス』へサラ達の航海の無事を祈った。

 

「……行くぞ……」

 

 興味を失ったようにカミュは出口へと歩き出す。元々サラ達の会話に興味がなかったメルエは、カミュが歩き出した事に気づき、その後を付いて出口へと向かった。

 もう一度、シスターに向かって手を合わせたサラもリーシャの後を付いて小さくも皆の拠り所となっていた教会を後にする。

 

 

 

 一行を乗せ終えた船は、夜の航海の危険性を考え、錨を下したまま夜を明かす事になる。それは、頭目の提案であった。

 灯台等がない場所を航海する際には、無理をしない事が一番重要な事だった。

 海の上でも方位磁針等を使用し、航海する事は可能である。そして、頭目を始め、多くの船員達はそれを経験して海を渡って来ていた。しかし、今は海の素人もまた何人か乗船しているのだ。

 

「メルエ、もう何も見えないだろう? こっちにおいで」

 

「…………ん…………」

 

 周囲を闇が包み込み、穏やかな風が頬を撫でるだけとなっても、メルエは船の手摺りに掴まり海を眺めていた。

 その様子に苦笑を洩らしたリーシャは、メルエを呼び寄せる。どこか寂しそうに頷いたメルエは、リーシャの許へ戻り、寒さを凌ぐために毛布を掛けられ、客室へと入って行った。

 

「アンタ方は、客室でゆっくり休んでくれ。海の見張りは俺達でするさ。まぁ、強い魔物が出た時には叩き起こさせてもらうがな」

 

「……すまない。魔物が出て来た時は遠慮なく起こしてくれ。一応<トヘロス>を唱えておいたが、海で効果があるのかは解らない……」

 

 船頭の言葉に頷いた言葉通り、カミュは船全体を包むように<トヘロス>という呪文を唱えていた。その効果を何度もサラ達は目にしてきたが、それは陸地での事。絶えず流れる海水の上でその魔法の効果が発揮されるのかどうかはとても怪しいのだ。

 

 <トヘロス>という呪文の効果自体を知らない船頭ではあったが、カミュの言葉に笑顔で頷くと、船員達に指示を出し始めた。

 おそらく彼は眠るつもりがないのだろう。それもまた船乗りの楽しみの一つなのかもしれない。

 船員達も嬉々として動き始める。実際、昼間は交替で眠りにつく者達も多く、全船員の半分は夜の航海に備えていたのだ。

 

「よろしくお願いします」

 

「ああ、任せな。錨を下しているから、揺れもそこまで酷くはならないと思う。ゆっくり休みな」

 

 青白い顔でお礼を言うサラに苦笑を浮かべた船頭は、そのまま船員達の中に消えて行った。サラもふらつく足を引きずり客室へと入って行く。

 先日の嵐など幻であったかのような穏やかな海は、天に輝く月の光を受けて輝き、船を揺り籠のように優しく揺らしていた。

 

 

 

「……眠れないのか……?」

 

「は、はい」

 

 客室のベッドに入り、暫しの時間が流れた。

 リーシャと同じベッドに入ったメルエは、リーシャの横で静かな寝息を立てている。隣のベッドに入っているサラから大きな溜息が吐き出された事で、リーシャは声を掛けた。

 身動きをしたサラは、隣のベッドのリーシャへと視線を動かした。サラが眠れない理由は、波の動きに合わせて揺れる船だけの物ではないだろう。それは、サラの瞳が物語っていた。

 それを理解したリーシャは、少し考えるように口を閉じた後、もう一度首を動かし、メルエを起こさないように話し始める。

 

「テドンの事か?」

 

「!!」

 

 リーシャが皮切りに口を開いた一言目で、サラが過剰な反応を返した。

 その反応はリーシャの考えが間違ってはいない事を明確に示している。

 

「何故、魔物が村を襲ったのか。何故、今まで魔物は町や村、そして国を襲わなかったのか。それは私には解らない」

 

「で、ですが! 何故、テドンなのですか!? 大きな町でもなく、大きな国でもない。『魔王』や魔物の脅威となる事はない筈です」

 

 『人が魔物の脅威となる』

 サラが無意識に口にした言葉。

 それにリーシャは驚きを隠せなかった。

 

 少なくとも、アリアハンを出た当初、彼女がこの言葉を口にする事はなかっただろう。

 『魔物』が『人』の脅威とはなっても、被害者である『人』が、加害者であり悪である『魔物』の脅威となるという考えは、どこをどう探しても出て来る物ではない。それをサラは平然と口にしたのだ。

 

「……そうだな……だがなサラ。私達『人』と、『人』を食糧とする『魔物』は基本的に相容れない存在なんだ。正直、今まで何もなかった方がおかしい事を理解しないといけない」

 

 だが、リーシャはサラのその変貌に嫌悪を覚える事はなかった。

 彼女の考えは、突然変化した訳ではない。様々な想いを抱え、悩み、考え、泣き、そしてこの考えに辿り着いた。

 それをリーシャは誇りにこそ思え、軽蔑をする事はなかった。

 

「……それでは、何故、今まで『魔王』は動きを見せなかったのですか?」

 

「さぁな。それは解らない。確かに私達『人』の数は『魔王』の出現によって減少の一途を辿っている。だが、絶滅している訳ではない」

 

 しかし、サラの問いに対する答えをリーシャは持ち合わせていなかった。

 確かに、人口は明らかに減少した。

 『魔物』に襲われ、命を落とした者も数多い。

 それでも、『人』は生きている。

 それは、サラの言うように、城下町や村が襲われた事がないからだ。いや、正確に言えば、襲われた事はある。だが、その魔物の数は人でも対処できる物であり、町や村を壊滅に追い込む程の脅威はなかったのだ。

 

「……カミュなら、解るかもしれないな……」

 

「えっ!?」

 

 ベッドの中に潜り込んでしまう程に顔を伏せたサラに向かって呟かれたリーシャの言葉は、サラに驚きの声を上げさせるのには充分な物であった。

 そして、その言葉を理解したサラは、無意識に笑みを溢してしまう。

 

「何がおかしい!?」

 

 サラが急に笑い始めた事に、リーシャは声を荒げる。しかし、リーシャの声にメルエが身動ぎした事によって、リーシャは口を慌てて閉じた。

 そんな様子にサラの忍び笑いは熱を帯びて行った。

 

「私は変な事を言ったのか?」

 

 部屋を包む闇の中でも、はっきりと視線が認識できる程の睨みを利かせるリーシャに、ようやくサラの笑いは終息を迎える。笑いを収め、沈黙を守るサラを相変わらず睨むリーシャ。

 そんな重苦しい雰囲気にサラはついに口を開いてしまった。

 

「あ、あの……リーシャさんは、本当にカミュ様を信用されているのだなと……」

 

「なに?……サラはまだカミュを信じてはいないのか?」

 

 サラの口から出た言葉に、リーシャは睨むのを止め、逆に問いかけてしまう。

 それは、リーシャからすれば、至極当然の疑問だったのかもしれない。しかし、サラにとってみれば、それはリーシャの変化以外何物でもなかった。

 

「えっ!?い、いえ。そういう訳ではありません」

 

「それなら、サラも同じだろう」

 

 闇で見えないが、リーシャは確かに表情を和らげた筈。

 何かに安堵したような、何かに納得したような。

 サラはそんなリーシャに再び笑みを浮かべる。

 

「そうですね。同じです」

 

 静かに溢したサラの言葉は、しっかりとした物だった。

 対立して来た『勇者』と『僧侶』それは、お互いの育って来た環境や刷り込まれて来た教育とは別に、それに対して育ってきた思考の違いが一番大きな要因となっていた。

 

 交わる事はないと思われた。

 理解し合う事はないと思われた。

 それでも、確実にカミュとサラは歩み寄っている。

 それをリーシャは感じたのだ。

 

「まずは、テドンに行ってみる。その先で考えるのはカミュとサラに任せる」

 

「ふぇ!? リ、リーシャさんは考えないのですか?」

 

 いつも通り、考えるということをカミュとサラへと一任するリーシャの言葉に、サラは素っ頓狂な声を上げ、思わず身体を起こしてしまった。

 

「……悔しいが、私が考えたところで、良い答えが出る訳ではない。今、話したように、私はサラの事もカミュの事も信じている。疑問を挟む事もあるだろうが、基本的に私は、お前達が決めた道を共に歩む」

 

「……リーシャさん……」

 

 リーシャの『覚悟』とも言える程の『想い』それは確かにサラの心に響いた。

 それと共に、サラの胸に責任が圧し掛かる。感情だけで道を決める事は、もうサラには許されない。

 あらゆる方向から物事を見て、あらゆる方向から物事を考え、偏った物ではない答えを出さなければならないのだ。

 

「サラ。私は、サラを信じている。サラとカミュが歩む道の先を私は見てみたい。間違った道だと気がつけば、全力で止める。だが、何故だろうな。私はそんな事にはならないと自信を持って言えるんだ」

 

「……は、はい……」

 

 リーシャの言葉はサラの胸に響き、ベッドのマットを濡らして行く。

 リーシャの信頼が重い。

 それでも、その信頼が心からの喜びになっているのだ。

 

「だが、本当に間違っていると思った時は、私はカミュやサラを全力で止めるぞ」

 

「……はい……おね…がい……します」

 

 もはや、サラは声を出す事すら出来なくなっていた。

 <テドン>の惨劇の理由は解らない。しかし、『魔物』が『人』の村を襲った理由を探そうとする事自体がサラの変化。

 その変化を認め、理由を知った後のサラの答えを後押ししてくれる人がいる。その事は、サラに何よりの勇気を与えた。

 

「眠ろう。明日は朝から再び船旅だ。船酔いに備えて、体力は蓄えておかないとな」

 

「……ぐずっ……」

 

 リーシャの冗談に、困ったような笑顔を浮かべたサラの表情はリーシャには見えない。それでもリーシャは笑顔を浮かべ、隣で眠るメルエの髪を一撫でして目を瞑った。

 サラもまた、次々と溢れて来る涙を拭い、瞳を閉じて深い眠りへと落ちて行く。

 

 

 

 翌朝、日の出と共に、船は再び南へと進路を取った。潮風をその全体で受け止めた帆が、船を大陸沿いに走らせる。

 ゆっくりと変わる景色に目を輝かせ、メルエは今日も手摺り越しに身を乗り出していた。

 

「テドンへ向かうのか? あそこには何もない筈だぞ」

 

「テ、テドンが何故襲われたのかご存知なのですか?」

 

 カミュから行き先を聞いた頭目は、その村の名が出た瞬間眉を顰める。

 それを見たサラが、昨晩の疑問をそのまま頭目へと投げかけた。

 しかし、サラの期待を裏切るように、頭目は首を静かに横に振る。

 

「解らない。見せしめという話だったが、見せしめにしては規模が小さすぎる」

 

 頭目の言葉通り、『人』に対しての見せしめであるならば、<テドンの村>は規模が小さすぎるのだ。

 国家の中心にある城や城下町であるならば、充分な効果があるだろう。しかし、<テドン>はネクロゴンドの麓にあるとはいえ、その名を知らない者も多い小さな村。

 そこを壊滅させたとしても、『人』の世界に多大な脅威を与えるとまではいかない筈なのだ。

 

「……そうですか……」

 

「サラ。昨晩も話したが、サラは自分の目で確かめ、その場所で直に感じなければならない。まずは、そこに行くしかないんだ」

 

 肩を落とすサラの後ろから掛ったリーシャの言葉。それは、とても厳しい。サラはもう、他人の考えや、他人の目から見た物で判断してはいけないのだ。

 それが『精霊ルビス』に最も近しい者と云われる『賢者』の努め。

 

「本当に行くのか? あそこはもう何もない廃墟だぞ?」

 

「それでも構いません」

 

 頭目の問いかけに答えたサラの瞳には、再び赤々とした炎が宿っていた。

 リーシャは満足そうに頷き、カミュは薄い笑みを浮かべる。

 しかし、頭目の次の言葉に、サラの瞳が揺らぎ出した。

 

「しかしなぁ……あそこは、夜な夜な無念を残した村の人間達の亡霊が彷徨い歩くと言われているしな……」

 

「……え……?」

 

 サラの顔色が瞬時に青ざめて行く。それが、決して船の揺れによる物ではない事は、カミュやリーシャには解っていた。そして、それはパーティー最年少の少女にも理解出来る物だったのだ。

 

「…………あわ………あわ…………」

 

「メ、メルエ!」

 

 いつの間にかカミュの足下に移動していたメルエが、会話の内容を聞き、いつものからかいを口にする。幼いメルエにとって、サラのその態度が面白いために繰り返すのだが、当のサラには解らないのだ。

 サラの叫びにカミュのマントの中に潜り込もうとするメルエはリーシャに捕まり、軽い拳骨を頭に受けた。

 

「……行くしかない以上、その近辺まで頼む……」

 

「わかった。この大陸沿いに進み、三つの川が交差する場所に<テドンの村>はある筈だ。この船の大きさでは川へ入る事は出来ないから、陸に上がってから暫く歩く事になるが構わないな?」

 

 何も答えられないサラの代わりにカミュが答える。

 それを聞いた頭目は、船の航路を説明し、その提案に一同は揃って頷いた。

 

 

 

 船は陽が傾き、闇の支配が進む中、ようやく目的の場所まで辿り着いた。小舟を下ろし、陸へと上がった一行は、カミュを先頭に歩き出した。

 気を張っていたためか、先日までのような酷い船酔いにはならなかったサラは、休憩を挟む事なく、カミュの後ろをメルエと共に歩き出す。船の上では、船員達に任せ、身体を休める事の多かったカミュ達は、夜が更けて行くのも構わず、先へと進んで行った。

 

 森を歩き続け、夜の闇が一層濃くなった頃、一行は森を抜ける。平原が広がり、周囲は高い山々に囲まれた場所。

 それは、ロマリア大陸でも過疎化が進んでいた村と同じような雰囲気を出していた。

 

「カミュ、ここからどっちに進むんだ?」

 

 周囲が遠く見渡せるにも拘らず、目的の村の気配がない事に、リーシャはカミュへと声をかけるが、いつも通りのカミュ任せの言葉にサラは苦笑し、カミュは溜息を吐き出した。

 溜息を吐きながらも、船の上で頭目に印を付けてもらった地図を眺め、カミュは方向を指し示す。夜の帳は完全に辺りを覆い尽くし、カミュとリーシャが手に持つ<たいまつ>の明かりしかない平原を、一行は北へ向かって歩き出した。

 

 カミュを先頭に夜の平原を歩く一行。どのくらい進んだ事だろう。雲に隠れていた月が顔を出し、カミュ達の歩く道を優しく照らし出した頃、不意にサラの手を握っていたメルエがあらぬ方向に首を動かし立ち止まった。

 

「メ、メルエ?……どうしたのですか?……ま、まさか……」

 

 メルエの行動に、頭目の話を思い出したサラは、声を震わせながら立ち止まったメルエに問いかける。後ろを歩くリーシャは、立ち止まった二人を奇妙に思い、慌てて近寄って来た。

 サラの声に振り向いたカミュも用心深く周囲に<たいまつ>を向け、警戒感を強くする。

 

「…………なにか………くる…………」

 

 正直、魔物の気配に敏感なのは、このパーティーの中でもメルエが群を抜いていた。

 カミュやリーシャは、経験から周囲の空気の変化を感じ取る事で魔物の襲来に気が付くのだが、それに対して、メルエは本能で魔物の襲来を感じている節がある。

 

「カミュ!」

 

「……構えろ……」

 

 既に、カミュやリーシャはメルエの言葉を疑うという選択肢を持ち合わせてはいない。

 すぐに臨戦態勢を取ったカミュ達が各々の武器を取る中、サラの身体は小刻みに震え出す。それを見たリーシャが珍しく溜息を吐いた。

 

「サラ。正直、お前のその感覚が私には解らない。腐乱死体は大丈夫で、何故霊魂を恐れるんだ?」

 

「こ、こわくはありません!」

 

 気の抜けたようなリーシャの問いかけに答えるサラの言葉に信憑性など皆無。明らかに声が上擦り、震えを帯びている。

 だが、いつもならそんなサラの様子にからかいの言葉を口にする筈のメルエは、サラの手を離した後、一方を凝視するように見詰めていた。

 

「……来るぞ……」

 

 メルエの視線の先を追ったカミュの言葉に、リーシャは再び<鉄の斧>を構え直した。そして、それと同時に周囲に響き渡って来る奇妙な音。

 まるで重い甲冑を擦り合わせるような乾いた金属音が徐々にカミュ達へと近付いていたのだ。

 

「メ、メルエ! 私の後ろに!」

 

「…………ん…………」

 

 魔物の姿を遠くに確認したサラは、それが以前出会った事のある魔物によく似た形状をしている事を見て、メルエを後方に下がらせた。

 <魔道士の杖>を手にしたままメルエはサラの後ろへと下がり、サラの背中越しに近づいてくる魔物へと視線を送る。

 

「来たぞ!」

 

 その魔物の姿がはっきりと確認できる程の距離になった時、リーシャはカミュへと言葉を掛けた。

 近付いて来たのは、発していた音の通り、甲冑を着込んだ者。いや、正確には甲冑そのものと言うべきなのだろう。

 <エルフの隠れ里>周辺で遭遇した魔物と酷似したそれは、おそらく中は空洞に違いない。

 

「やぁぁぁ!」

 

 先手を打ったのはリーシャだった。

 手にした<鉄の斧>を甲冑に向かって横薙ぎに振り抜く。凄まじい程の音を立て、リーシャの斧が何かにぶつかった。

 それは、甲冑の胴体ではなく、甲冑が持つ盾。軽々とリーシャの斧を受け止めた甲冑は、盾で斧を払い、反対の腕に持つ剣をリーシャに向かって振るう。

 

「ぐっ!」

 

 同じ様に左腕につけている<鉄の盾>で受け止めたリーシャが苦悶の声を上げた。そして小さくはないリーシャの身体が後方へと吹き飛ばされ、リーシャは地面へと倒れ込む。

 

「リ、リーシャさん!」

 

 サラはその光景が信じられなかった。

 確かに<エルフの隠れ里>周辺で遭遇した甲冑も強くはあった。

 しかし、あの頃よりもリーシャは数段腕を上げている。

 

 カンダタの子分であり、他人から『殺人鬼』と恐れられた者の一撃も軽々と受け止め、以前はその力量差が明白であったカンダタ自身が振るうハルバードの一撃をも受け止めたリーシャが、たった一振りの剣に吹き飛ばされたのだ。

 

<地獄の鎧>

その名の通り地獄からの生還者である。名のある騎士が無念を残したまま倒れ、その無念により黄泉を渡る事を拒んだ結果、『魔王』の魔力によって再び現世へと戻って来た者達。しかし、それは朽ち果てた肉体にではなく、生前に身に着けていた甲冑へと魂が宿ってしまったため、実体を持つ事はなかった。<さまよう鎧>が無念を残した兵士達の魂であるのならば、<地獄の鎧>はその上級に位置する騎士達の魂。しかも、『魔王』の魔力の補助もあり、生前の力量の数倍の力を誇る。

 

「ちっ!」

 

 後方へと吹き飛ばされたリーシャに視線を向けたカミュは、大きな舌打ちをした後、<地獄の鎧>に向かって剣を構えた。

 にじり寄る魔物にカミュが一筋の汗を流した時、ゆっくりと流れていた時間が急速に動き出す。

 

「ふん!」

 

 一気に間合いを詰めたカミュが、<地獄の鎧>の兜の付け根目掛けて突きを繰り出した。

 それは、<エルフの隠れ里>周辺で戦っていた頃とは比べ物にならぬ程の速度を誇り、真っ直ぐ<地獄の鎧>に突き刺さるかと思われた。

 

「なっ!?」

 

 しかし、それは再び大きな円形状の盾によって防がれた。

 サラはリーシャに続いてカミュの剣も防がれた事に驚愕の声を上げるが、カミュはそれを予想していたのか、盾で弾かれる前に剣を引き、再び大きく振り被る。

 そのまま振り下ろされた剣もやはり<地獄の鎧>の盾によって防がれた。

 

「カミュ!」

 

 盾によって防がれ、弾かれないように力を込めたカミュの後方から声が掛かった。

 その声を耳にした瞬間、カミュは腕の力を緩め、<地獄の鎧>が盾で押し返す力を利用して後方へ飛ぶ。態勢を崩された<地獄の鎧>に向かって振り抜かれたリーシャの斧は、確実に魔物の甲冑へと滑り込んだ。

 

 大きな音を立てて甲冑の胴体部分に突き刺さった斧は、<地獄の鎧>の胴体を抉る。

 しかし、予想通り、その中は何も見えない闇。傷つけられた事に怯む事もなく、再び剣を掲げた<地獄の鎧>を見て、リーシャは慌てて後方へと下がった。

 

「どけ!」

 

「…………ベギラマ…………」

 

 カミュが前へ出ようと声を発したのと、後方に控える小さな『魔法使い』が詠唱を口にしたのは、ほぼ同時だった。

 前へ出ようとしたカミュの腕はリーシャによって掴まれ、その二人の脇を熱風が通り過ぎる。カミュの髪の毛を数本焼いた熱風は<地獄の鎧>の前に着弾し、破裂音を発して炎の海を作り出した。

 炎に巻かれるように飲み込まれて行く<地獄の鎧>を見て、一瞬リーシャは気を抜いてしまう。しかし、それは戦闘のプロフェッショナルである『戦士』としてのリーシャにとってあるまじき行為であった。

 

「どけ!」

 

 掴まれていた腕を逆に引き戻し、カミュが盾を構えてリーシャの前へ出る。乾いた音を立ててカミュの盾が弾いたのは、<地獄の鎧>の剣だった。

 メルエが放った灼熱呪文による炎の海の中を掻き分けて来るように進んで来た<地獄の鎧>が繰り出した剣を間一髪で避け、カミュは再び剣を振るう。

 

「…………うぅぅ…………」

 

「メルエが使う事の出来る物は、灼熱呪文だけではない筈ですよ!」

 

 自分の行使した呪文が効果を示さなかった事に、メルエは小さな唸り声を上げるが、それは隣に立つサラによって窘められた。

 むくれたまま頷いたメルエは、再び杖を掲げるが、その杖は先程メルエに違う方向性を示した『賢者』の手によって下げられてしまう。

 

「まだ駄目です。今、メルエが呪文を行使すれば、カミュ様を巻き込んでしまいますよ」

 

「…………うぅぅ…………」

 

 メルエとサラの視線の先には、<地獄の鎧>と剣の攻防を続けるカミュの姿があった。

 息も吐かせぬ程の速度で両者は剣を繰り出している。剣を盾で受けては、己の剣を繰り出す。剣を盾で弾かれれば、繰り出される相手の剣を自らの剣で弾き返す。

 カミュは、自らの両手にある剣と盾で、確実に<地獄の鎧>の攻撃を裁きながら、隙を見つけては剣を繰り出していた。

 

「……カミュ……」

 

 カミュの攻防は、どこかで見た事のある戦い方。それをリーシャだけではなく、サラも気がついていた。

 それは、あの盗賊達のアジトで、『殺人鬼』と恐れられた者と戦ったリーシャの戦い方。

 『人』と戦うために編み出された戦闘方法である。

 

 この旅に出てから何度も繰り返されて来たリーシャとカミュの模擬戦。その中で、着実にカミュは腕を上げていたのだ。

 獣に近い魔物との戦い方だけでは、この先の成長が見込めない事を感じていたカミュは、何度となく繰り返されるリーシャとのせめぎ合いの中、その戦闘方法を取り込み、自分なりのスタイルを作り上げていた。

 

「やぁぁぁ!」

 

 一際大きな声を上げたカミュの剣が、<地獄の鎧>の左腕の篭手の隙間に滑り込む。そのまま剣を振り上げたカミュの剣は、<地獄の鎧>の篭手を砕き、篭手に装備されていた盾を無力化させる。

 剣の技能という点では、カミュは<地獄の鎧>を凌駕していた。

 

「!!」

 

「カミュ!」

 

 しかし、カミュは見てしまった。

 <地獄の鎧>の後方に数体の巨大な山羊の姿を。

 その僅かな隙を見逃す<地獄の鎧>ではなかった。

 一瞬気を取られたカミュに向かって、<地獄の鎧>は剣を突き出した。

 カミュの盾は間に合わない。

 リーシャの叫びが虚しく響き渡った。

 

「ぐっ!」

 

 <地獄の鎧>の剣は、カミュが着こんでいた<鋼鉄の鎧>に突き刺さる。

 カミュの苦悶の声と、リーシャの叫び。そして、メルエの声にならない悲鳴が響く。

 それは、生前の騎士としての意地なのか、それとも『魔王』の魔力によって強化された能力故の物なのか。カミュの胸部に突き刺さった剣は、<鋼鉄の鎧>を容易く貫き、その下にある肉体をも突き抜ける。

 鎧の背の部分までをも貫いた剣は、カミュの背から生えて来たかのようにその刀身を露にした。

 

「カミュ様!」

 

 サラの叫びと共に捩られた刀身に、カミュは苦悶の声を上げる。

 <地獄の鎧>はそのまま剣を上部に引き上げた。

 噴き出す血潮。

 倒れ込むカミュ。

 

 リーシャもサラも、そしてメルエにとっても信じられない光景だった。

 カミュは、あのカンダタにも勝利しているのだ。

 現に、先程まではカミュが<地獄の鎧>を圧倒していた。

 

「カミュ!」

 

「リーシャさん! 早くカミュ様をこちらに! メルエ、援護を!」

 

「…………ん…………」

 

 カミュの下へと駆け寄ったリーシャがその身体を担ぐように抱え、サラの待つ後方へ下がる。追う素振りを見せる<地獄の鎧>へ、メルエの杖が降り降ろされた。

 横たわるカミュの肩口からは止めどなく赤黒い命の源が流れて落ちている。その量は一刻を争う程の物。

 

「サラ! カミュは大丈夫なのか!?」

 

「…………カミュ…………」

 

「大丈夫です! 一度の<ベホイミ>で駄目なら、何度も呪文を唱えるだけです!」

 

 それは、正に『痛恨の一撃』

 パーティーの頭脳であり、パーティーの要となる人間を襲う一撃。

 その一撃は、三人の強者を混乱に陥れる程の威力を誇った。

 

「べホイミ!」

 

 しかし、それは以前の話。

 もはや、その混乱を自力で立て直す力を彼女達は持ち合わせている。

 サラの回復呪文によって塞がって行くカミュの傷を見ながら、リーシャは一つ息を吐き、安堵の表情を浮かべ、もう一度表情を引き締め直す。その顔は間違いなく『戦士』。いや、正確に言えば『騎士』の物なのだろう。

 

「サラ、カミュは任せたぞ」

 

「えっ!? あっ、は、はい」

 

 カミュの傷が塞がり、苦悶の表情が安らかな物へと変わって行くのを確認したリーシャは立ち上がった。

 <地獄の鎧>に向かって立ち上がったリーシャの表情はサラには見えない。しかし、今リーシャがどんな顔をしているのかがサラには理解できた。

 

「メルエ、後ろにいる山羊の魔物は任せた」

 

「…………ん…………」

 

 アリアハンの宮廷に仕えていた頃のリーシャをサラもメルエも知らない。だが、もしあの頃のリーシャを知る者がここにいたのなら、このリーシャの言葉に驚きの表情を浮かべたに違いない。

 

 父親を失くし、爵位も剥奪され、リーシャには何も残っていなかったのだ。それでも、父の残した威信を取り戻そうと懸命に働いた。それは周囲から更なる蔑みの視線を受ける事となる。

 貪欲な程の向上心は、生まれた時からその地位を有する貴族の子供達には浅ましく映り、宮廷の上位貴族からは疎まれるようにもなって行く。それでもリーシャは積極的に魔物の討伐隊に加わり、戦績を上げて行った。

 だが、討伐隊に入ったリーシャは、出世欲の為なのか、目の前の魔物を一人で相手をしようとする事が多かったのだ。

 誰も信用せず、誰も必要とはしない。

 

 それが、宮廷におけるリーシャの評価だったのだ。故に、戦績があるにも拘らず、部隊長などに推挙される事はなかった。

 勿論、リーシャが女性であるという理由や下級貴族の出という理由だけで、その出世を阻もうという者が大半ではあったが、リーシャのそういう性質を見ていた者も確かにいたのだ。

 

「リーシャさん、気を……!!」

 

「やぁぁぁぁ!」

 

 サラがカミュの傷に再度<ベホイミ>を唱えながら促した忠告は、リーシャに届く事はなかった。

 サラが口を開いた時には、既にリーシャの姿は目の前になかったのだ。

 掛け声と共に繰り出された斧は、メルエの魔法から立ち直った<地獄の鎧>の剣に弾かれる。弾いた剣でリーシャを貫こうと突き出されるが、それをリーシャは<鉄の盾>で上へと弾いた。

 そんなリーシャの後方から近付く小さな影。

 

「…………ヒャダルコ…………」

 

 <地獄の鎧>の後方から迫る山羊の魔物に向かって振り翳したメルエの杖の先から迸る冷気。

 数体の山羊の魔物を飲み込んで行く冷気はその体躯を凍らせて行った。

 駆け出した魔物の足を凍らせ、叫びを上げる口を凍らせる。

 

<ゴートドン>

山羊とバッファローの魔物。<マッドオックス>の上位種に当たる魔物ではあるが、その特徴に大差はない。魔物同士の縄張り争いで<マッドオックス>に競り勝った程度の魔物である。

 

「…………イオ…………」

 

 思うように身体を動かせない程に凍りついた<ゴートドン>を襲う圧縮された空気。

 再び振り降ろされた杖が、<ゴートドン>が最後に見た光景だった。

 夜の闇に支配された平原に響き渡る爆発音。圧縮された大気の解放と共に、凍りついた<ゴートドン>の身体が粉々に弾け飛んだ。

 

「やぁぁぁぁ!」

 

 メルエの一人舞台を見る事なく、リーシャは斧を振っていた。

 もはや戦いも終盤。

 リーシャの斧を捌き切れなくなった<地獄の鎧>は踏鞴を踏み、後方へと一歩下がる。その隙を見逃さず、リーシャは大きく振り被った斧を下へと勢い良く落とした。

 

「おぉぉぉぉ!」

 

 乾いた音を立て、リーシャの斧を剣で受け止めた<地獄の鎧>はその斧を弾こうと力を込めるが、リーシャは構わず手に力を込める。徐々に押し込まれる斧は、<地獄の鎧>の持つ剣に食い込み、遂にはその刀身を真っ二つに圧し折った。

 剣を圧し折った斧は<地獄の鎧>の甲冑へ振り下ろされ、兜の部分から胸部までを突き破る。

 

 そして、戦いに終止符は打たれた。

 勢いをそのままに地面に突き刺さった斧から遅れて、<地獄の鎧>が二つに分かれ、地面に崩れて行く。

 <さまよう鎧>と同様、中身が空洞であった鎧は、その呪いが解かれ、沈黙した。

 

「……ふぅ……」

 

 動かなくなった鎧を見て、リーシャは一つ息を吐く。

 最後の一撃は、リーシャの持てる力を出し切った一撃だった。

 言うなれば、それは『会心の一撃』。

 

「…………ん…………」

 

「ん? ああ、よくやったメルエ。ありがとう」

 

 斧を背中に掛けたリーシャの足下に近寄って来たメルエは、帽子を取り、頭を突き出す。恒例となったその行為をリーシャは受け止め、メルエの頭を優しく撫でた。

 気持ち良さそうに目を細めるメルエに、ようやくリーシャも笑顔を見せる。

 

「サラ、カミュの容体はどうだ?」

 

「大丈夫です。傷は塞がりましたし、今は血液の補充の為に気を失っているだけだと思います」

 

 眠るように目を閉じているカミュを見て、リーシャは苦笑を浮かべた。

 サラはリーシャの笑みの理由が分からない。ただ、カミュの容体の安定を喜んでいるのだと考えた。

 しかし、リーシャの想いは別の所にあったのだ。

 

 カミュが血を流すのは初めてではない。そして、どんな時も彼は気丈に振舞い、弱みを見せる事はなかった。だが、今は全てを任せるように眠りについている。

 それ程に重い傷だったのかと問われれば、そうではない。以前のカミュであれば、リーシャに運ばれてサラの下へと移動する間に意識を手放す事などなかった筈。

 

 『誰も信じず、誰も必要とはしない』

 

 それは、この青年も同じだった筈なのだ。

 何時しかリーシャは、自分よりも年若い三人を心から信じ、頼りにしていた。もしかすると、この眠りについている青年も同じなのかもしれない。

 そう思うと、リーシャは無意識に笑みを浮かべてしまったのだった。

 

「今夜はここまでだ。あの大きな木の下で野営を張ろう」

 

「……そうですね……」

 

 眠るカミュを担ぎあげたリーシャは、後方で唖然とするサラを置いて、メルエと共に移動を開始する。

 カミュの青白い顔を心配そうに見上げるメルエに優しい笑顔を向けながら歩くリーシャに、サラは苦笑を浮かべながら腰を上げた。

 

 目的地はまだ見えない。

 だが、彼らの歩む道は確実に交差し始めていた。

 夜空に輝く大きな月に寄り添うように光を放つ星々のように。

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

今回は少し長かったですね。
良い所で区切る事が出来れば良かったのですが、何とも……

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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