新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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ガルナの塔③

 

 

 

 冷たい石質の床の上で横たわる鉄像の色がゆっくりと変化して行く。

 上層から落下して来た衝撃からか、その鉄像を中心に石で作られた床は窪み、その破片が周囲に飛び散っていた。

 

「……うぅぅ……」

 

 鋼鉄色をしていた鉄像が温もりを持った人肌の色へと変化し終えた頃、ようやくその鉄像であった者が動き始める。左腕の部分に火傷を負った人間が、自身の腕に向けて回復呪文を唱えた。

 

「……ここは……」

 

 『勇者』と呼ばれるその青年は、周囲を見渡し、意識を覚醒させる。

 上層から落下して来たそのフロアは、周囲に何もない狭いフロアだった。

 

「……あの僧侶は……ちっ!」

 

 カミュはそのフロアに自分が落下する原因となった人間を探す為に隅々まで視線を動かすが、サラの姿は何処にもない。そして、ある一点に視線が止まり、カミュは盛大な舌打ちをした。

 そこには、大きく裂けるように出来た溝があり、その溝はさらに下の階層へと繋がる穴となっている。一度、上部に視線を向け、再びその溝を見るカミュは、ゆっくりとその溝へと近づいて行った。

 溝から下を覗くと、それ程高さはない。おそらくこのフロアと下のフロアとの間に作られた中フロアなのかもしれない。

 

「……降りるしかないか……」

 

 諦めたように溜息を吐いたカミュは、溝に手を掛け、身体を滑り込ませた。サラが落下した場所がちょうど溝の部分となり、そのまま下の中フロアまで落ちて行ったとカミュは考えたのだ。

 その証拠に、溝の淵の部分が、何か重い物がぶつかったように砕けていた。

 

 

 

 中フロアへは、『アストロン』を唱える必要はなかった。多少、足に衝撃はあったが、カミュの足の骨に異常をきたす程ではない。そして、下のフロアに足をつけたカミュは、その場所にある何とも不思議な光景に驚愕した。

 そこは、『人』が生活するような扉がある空間があったのだ。

 周囲を壁で覆い、その入り口となる扉がある。まるで、そこに以前誰かが居住していたような、それでいて数十年も使われていなかったような、そんな場所であった。

 

「……ここは……」

 

 カミュは驚きながらも、注意深く周囲を見渡すが、その部屋のような空間以外そこには何もない。そして、その部屋への入り口となる扉は、カミュを誘うように開け放たれていた。

 慎重に歩を進め、その扉の中を覗いたカミュは、再び大きな溜息を吐く事となる。そこには、カミュがこの場所に来る原因となった女性僧侶が、呆然と立ち尽くしていたのだ。

 

「おい!」

 

「はっ! カ、カミュ様」

 

 溜息の音にも反応しないサラに、カミュは少し声を大きくして呼び掛けた。

 その声で、ようやく自分以外の存在に気がついたサラは、弾かれたように振り向き、そこに立っている人間の姿を見て、安堵の溜息を吐いた。

 

「……アンタも他人の部屋に無断で入る癖でもあるのか?」

 

「えっ!? あ、あれ? わ、わたしはここで何を……」

 

 カミュの頭の中に、常に自分の部屋に許可なく入って来る女性戦士が浮かんでいた。

 そんな溜息交じりのカミュの言葉に、サラは今やっと自分が何をしているのかを確認したような声を上げる。カミュから声を受け、改めて周囲を見渡すサラの姿にカミュは驚き、暫し考え込んだ。

 

「わ、わたしは……あの通路から落ちた筈……」

 

「……」

 

 自分が体験した出来事を振り返るように呟くサラを見ながら、カミュは<ダーマ神殿>にて教皇から告げられた言葉が思い浮かんだ。

 

 『選ばれし者であれば、それの方から呼び掛けるだろう』

 

 その言葉は、今のサラを表していた。

 おそらく、『アストロン』の効力が解けた後、サラは無意識にこの場所へと向かったのだろう。

 何かに導かれるように、そして誘われるように。

 それは、サラが特別な存在である事を明確に示していた。

 

「カ、カミュ様。ここは……?」

 

「……俺には解らない……」

 

 サラは、ここまでの旅で、何もかもを知り、何もかもを見通して来た『勇者』へと問いかけるが、答えは期待通りの物ではなかった。そして、まるでサラの疑問は、問いかけた相手であるカミュの瞳に映る自分だけが知り得るとでもいうような物であった。

 それがサラには理解できない。

 何故、カミュが知り得ない物を自分が知っていると言うのか。

 何故、カミュは周囲の光景ではなく、自分の瞳を見つめているのか。

 

「……カミュ様?」

 

「……ここは、アンタが見つけた場所だ……」

 

 何かに縋るように、再度カミュへと問いかけたサラの瞳を見つめた後、カミュは視線を外し、周囲をようやく観察し始めた。

 ようやく外された視線に安堵したサラは、カミュと同じ様に周辺を改めて観察し始める。

 そこは、『人』一人が何か作業をする為に設けられたような空間に見えた。

 簡素な本棚と、簡素な机。

 その机の傍に一つの椅子があり、机の傍には暖炉らしき物まである。

 だが、寝具のような物はなく、生活をするような場所ではない事が窺えた。

 

「……あれは……?」

 

 そんな簡素な空間で、サラはある一点に視線を止めた。

 それは机の上に無造作に置かれた一冊の書物。

 そして、その脇に小さな木箱が添えられていた。

 

「……」

 

 気付いたサラがカミュへと振り返るが、カミュはその場を一歩も動こうとはせず、そして言葉も発しようとはしない。そんなカミュの姿をサラは不審に思うが、カミュが何も言わずに一つ頷いた事で、サラはその机へと進んで行った。

 その書物は日記帳のような大きさであるが、その厚さはサラが持っている『経典』にも勝る程の物だった。

 恐る恐る手を伸ばしたサラは、その書物に手を触れようと伸ばす。しかし、触れるか触れないかの所で、再び手を戻してしまった。

 

「……カミュ様……」

 

 何かに怯えるように、もう一度振り返ったサラに対しても、カミュの態度は変わらない。何も語らず、動こうともしない。まるで『アンタの仕事だ』とでも言いたいのか、鋭い視線だけを向けていた。

 ただ、サラにもその瞳が宿す物が理解出来たのだ。それは、とても暖かな感情。おそらく、サラが起こした行動によって何か危険があれば即座に行動に移すだろう。そういった『見守っている』というような瞳であったのだ。

 

「!!」

 

 カミュの瞳を見て、再び意を決したように書物に手を掛けたサラは、書物に触れた途端に自分の腕ごと書物に吸い込まれてしまうような感覚に陥る。しかし、現実にはそのような事はなかった。

 書物はサラの手の中に納まっており、振り返れば先程と同じ様にカミュがこちらを見ている。自分の状況を確認した後、サラは恐る恐るその書物を開こうとして、その手を止めた。

 開き掛けた書物を閉じ、一度大きく深呼吸をしたサラは、静かに最初のページを開く。

 

「こ、これは……」

 

 そこにあったのは、人の手によって記された文字。

 そして、その文字の下には、精密に描かれた魔法陣。

 それは、サラの知りえない魔法の契約方法だった。

 サラが持つ『経典』にも記載されておらず、メルエの持つ『魔道書』にも記載されていない呪文。それは、カミュが使う『勇者』専用の魔法ではないとすれば、正しく古の賢者が残した呪文しかあり得ない物。

 最初のページの契約方法を見たサラは、次のページへと指を進める。

 

「えっ!?」

 

 しかし、そこには何も記載されてはいなかった。

 魔法陣どころか、インクの染みすらない真っ白なページ。

 再び最初のページに戻れば、そこには先程見た物がしっかりと記載されている。

 しかし、次のページはやはり空白であった。

 サラが手に持つ書物は、二ページ三ページの量ではない。かなりの厚みがある書物なのだ。

 それが最初の一ページしか記載されてはいない。その奇妙な光景に、サラは何度もページを捲ってみるが、最初のページ以外に何かが記載されている場所はなかった。

 

「……それが『悟りの書』か?」

 

「はっ!? い、いえ……最初のページしか記載されてはいないのです」

 

 突如後ろに現れたカミュであったが、サラへの問い掛けと相反し、サラが持つ書物へは視線を向けようともしなかった。それでも、サラは自分が見た光景をカミュへと伝えようと言葉を紡ぐ。

 そんなサラの言葉にもカミュは関心を示さず、『そうか』と一言漏らしただけであった。

 

「……そこの箱は?」

 

「えっ!? 開けても良いのでしょうか?」

 

 書物の横に添えられるように置かれていた木箱に視線を向けたカミュを見て、サラは書物を閉じ、もう一度机へと向かう。自分の問い掛けに返答がない事を肯定と受け取ったサラは木箱を引き寄せ、ゆっくりと蓋を開いて行った。

 

「……髪飾り……?」

 

 サラが開いた木箱には、以前アッサラームでメルエがアンジェから譲り受けた物と似た形の髪飾りが入っていた。

 錆などは微塵もなく、眩いばかりの輝きを示すそれは、『銀』で出来ているのだろう。その高価そうな装飾品をしばらく眺めていたサラであったが、我に返り、『銀の髪飾り』を木箱に戻そうとする手をカミュに止められた。

 

「……それも貰っておけ……」

 

「えっ? し、しかし……」

 

 カミュなりにこの空間に何かを感じたのかもしれない。戸惑いを見せるサラに対し、一度首を横に振った後、踵を返して部屋である空間を出て行こうと歩き出した。

 

「あっ……」

 

「……その書物は、アンタの物だ。遠慮なく貰っておけ……」

 

 背中に向かって声をかけたサラの声に、カミュは何かを思い出したように振り返り、サラが手に持つ一冊の書物を見て、小さく呟いた。

 その小さな呟きは、声量と反して、逆らう事の出来ない程の圧力が籠められている。盗賊の真似事をする事にサラは抵抗感を感じるが、自分の手の中にある書物から不思議な感覚を受けている事は事実。

 そしてそれは、もう片方の手に持つ『銀の髪飾り』に関しても同様だった。

 

「あっ! カ、カミュ様!」

 

 まるで『持って行ってくれ』とでも言うような雰囲気を放つ物に考えを巡らしている内に、カミュはその部屋のような空間から既に出ていた。

 もう一度手の中にある物に視線を落としたサラは、少し考えた後に、髪飾りをポケットに押し込み、書物を小脇に抱えてカミュの後を追って外へと飛び出す。

 

 

 

「グォォォォォォォォ!」

 

 サラが外に出た瞬間に、周囲に響き渡る雄叫び。

 既に、カミュは背中から剣を抜き放ち、構えを取っていた。

 瞬時に、気持ちを立て直したサラも槍をその手に構えた。

 

 カミュ達の前に姿を現したのは<スカイドラゴン>。

 魔物と言うよりも神獣に近い存在。

 おそらく、先程カミュ達に襲い掛かり、サラやカミュがこの場所へと辿り着く原因となった魔物に間違いがない。階段を下りたリーシャ達を追うことはせずに、下へと落ちて行ったカミュ達を追って、ここまで来たのだろう。

 いや、もしかすると、サラがあの時感じたように、この神獣こそが本当に『悟りの書』の護り手なのかもしれない。

 

「グォォォォォ!」

 

「くっ!」

 

 その凶暴な口を大きく開き、<スカイドラゴン>は燃え盛る火炎を放つ。咄嗟に<スカイドラゴン>とサラの間に身体を滑り込ませたカミュが、左手に持つ<鉄の盾>を構え、その火炎を受け止めた。

 

「カミュ様!」

 

 しかし、<スカイドラゴン>が放った燃え盛る火炎は、カミュの持つ<鉄の盾>を溶かしてしまうのではないかと思う程の威力を誇り、盾では防ぎきれないカミュの身体を焼いて行く。

 カミュの纏う<鋼鉄の鎧>も高熱により、赤く変色していた。

 

「……ホイミ……」

 

 <スカイドラゴン>からの火炎が収まった事を確認したカミュが、掲げていた盾を下ろし、自身の身体に回復呪文を唱えた。

 高熱によって焼け爛れた皮膚が再生し、盾を持っていた手の皮も蘇って行く。しかし、盾を下げたカミュには、決定的な隙が生じていた。

 火炎を吐き終えた<スカイドラゴン>は、空中でその長い身体を旋回させ、身体に比べて小さな前足にある鋭い爪をカミュ目掛けて振り下ろしたのだ。

 

「ぐっ!」

 

 金属同士がぶつかり合うような乾いた音と、肉を切り裂く音が、狭い空間に響き渡る。一拍置いて、液体が噴き出す音がサラの耳を襲った。

 <鋼鉄の鎧>で護られていた胴体部は無事ではあったが、肩口から袈裟斬りに振り下ろされた<スカイドラゴン>の爪は、カミュの首筋から太腿までを切り裂いていたのだ。

 <鋼鉄の鎧>には鋭い爪痕が残り、カミュの首筋や太腿は大きく裂け、真っ赤な血液を噴き出させる。

 

「……ホ、ホイミ……」

 

「カ、カミュ様! ホイミでは間に合いません!」

 

 尚も自身の身体に最弱の回復魔法を唱えるカミュに、サラが詠唱準備に入ったままで駆け寄って行く。サラの言う通り、カミュの唱えるホイミでは、流れ出る血を止める事は出来ても、一気に傷口まで塞ぎ切る効果はなかった。

 

「ベホイミ!」

 

「くそっ! 下がれ!」

 

 駆け寄ったサラの詠唱と、カミュがサラを突き飛ばしたのは同時だった。

 後方に突き飛ばされたサラの腕を通って開放された魔力が対象を失い、淡い緑色を放ったまま霧散して行く。

 

「グォォォォォォ!」

 

「くっ!」

 

 再び振り下ろされた<スカイドラゴン>の鋭い爪を<鉄の盾>で受け止めたカミュは、踏ん張りの利かない足で耐え、瞬時に右手に持つ<鋼鉄の剣>を突き出す。

 しかし、カミュの突き出した剣が<スカイドラゴン>の背中に突き刺さったと思った時、その背中を覆う硬い鱗にカミュの剣は弾かれた。

 態勢を崩したカミュの足は、既にその突発的な動きに耐える事は出来ず、尻餅を着くように後ろへ倒れ込んだ。倒れ込んだカミュへ、再び<スカイドラゴン>の鋭い爪が振り上げられる。

 

「マヌーサ!」

 

「グォォォォォ!」

 

 <スカイドラゴン>がその前足を振り下ろそうとする瞬間、カミュの後方から呪文の詠唱が飛ぶ。同時に、<スカイドラゴン>の身体全体を光が包み込み、その光が消えた時、<スカイドラゴン>は、先程までとは全く違う方向に向かって腕を振り下ろしていた。

 

「カミュ様! 大丈夫ですか!? 今すぐ<ベホイミ>を!」

 

「……」

 

 在らぬ方向に攻撃を繰り出している<スカイドラゴン>から身を離すように、カミュの身体を引き摺ったサラは、<ベホイミ>の詠唱を開始した。

 サラの両腕を包み込む淡い緑色の光がカミュの身体全体を優しく癒して行く。傷口は塞がり、熱された鎧によって負った火傷は皮膚等を再生して行った。

 

「……あの龍の鱗が硬すぎる……」

 

「はい。<ルカニ>を唱えます」

 

 回復を受けているカミュが呟く一言で、サラは全てを察した。

 足の傷も癒え、立ち上がったカミュは、未だに狂ったような攻撃を壁に向かって行っている<スカイドラゴン>へと視線を向けて<鋼鉄の剣>構える。

 

「……機会はアンタに任せる……」

 

「は、はい!」

 

 振り向かずにカミュが呟いた言葉に、サラの心は震えた。

 カミュと二人だけで戦闘をする事は、アリアハンを出てから初めてだろう。そして、そんな状況の中、自分を信じて行動するカミュの言葉に、サラの胸に緊張感と歓喜が湧き上がったのだ。

 サラの返事を待たずにカミュは<スカイドラゴン>に向かって駆け出していた。

 実際は、もはやカミュに魔法を行使する余裕がないのだ。

 この塔に入り、かなりの数の魔物と戦闘を行っている。そして、サラと自分に唱えた<アストロン>、自身の傷へと唱えた数回の<ホイミ>、既にカミュの魔法力は底を突きかけていた。

 

「やぁ!」

 

 カミュが<スカイドラゴン>が振るう腕を掻い潜り、その<鋼鉄の剣>を振るうが、またしても硬く覆われた鱗に弾かれる。

 サラの援護はまだない。

 まだ機会を窺っているのか、それとも今はカミュにとっても危険が伴うのか。

 

 カミュも機会を窺っていた。

 もはや魔法の詠唱は不可能。

 この魔物を倒した後、カミュ達がここを脱出するには、<リレミト>という魔法を使用する他ない。あの高所から落ちて来たため、登る事など不可能である以上、魔法による強制脱出以外はないのだ。

 

「グォォォォォォォ!」

 

 位置を固定させず、動きながら対峙するカミュに向かって、<スカイドラゴン>の口が再び大きく開かれた。そして、開かれた<スカイドラゴン>の口の中に渦巻く火炎を見た時に、カミュも動き出す。

 

「やぁぁぁ!」

 

 雄叫びと共に、カミュは火炎が吐き出される寸前に<スカイドラゴン>との距離を一気に詰めた。

 火炎を吐き出そうと口を開いたままの<スカイドラゴン>は一瞬目を見開く。彼の魔物が今まで対峙してきた者の中で、自分が火炎を吐き出す際に身構える者は数多く見て来たが、その火炎に向かって飛び出して来た者を見たのは初めての事だったのだ。

 

「グシュゥゥゥゥゥ!」

 

 突如飛び込んで来たカミュの動きに虚を突かれた形となった<スカイドラゴン>は、火炎を吐き出す機を失ってしまう。躊躇いを見せた<スカイドラゴン>の顎の下付近に移動したカミュは、そのまま右手に持つ<鋼鉄の剣>を上部に突き上げた。

 カミュの剣先は鱗の護りのない顎裏を一気に突き刺す。顎裏から突き刺さった剣が上顎まで突き通し、<スカイドラゴン>の口を強制的に閉じさせた。

 

「ルカニ!」

 

 その時、待っていた援護の声が木霊する。

 カミュが勢い良く剣を抜くと、体液と共に<スカイドラゴン>の頭部が落ちて来た。

 カミュは、サラの魔法によって発光している<スカイドラゴン>の頭部に向けて、一気にその剣を振り下ろす。

 

「やぁぁぁぁ!」

 

「ギヤォォォォォォ!」

 

 サラの<ルカニ>によって脆くなっている鱗を突き抜け、カミュの剣が<スカイドラゴン>の首を深々と抉って行く。

 自身の体内に入り込んで来る異物に、断末魔に似た叫び声を上げた<スカイドラゴン>の身体が床へと落ちた。床へと落ち、身体を捩っている<スカイドラゴン>を苦しみから救うように、カミュはその眉間に剣を突き刺す。

 もがくように動いていた<スカイドラゴン>の命はそこで潰えた。

 

「……はぁ……はぁ……」

 

 もはや肉塊と化した魔物を見下ろしているカミュは、珍しく息が上がっている。それ程の強敵であったのだ。

 正直に言えば、リーシャやメルエなしに勝利出来た事がカミュ自身も信じられないと考えるほどの相手だった。

 

「カミュ様! 大丈夫ですか? 援護が遅くなってしまい、申し訳ありません」

 

「……いや、充分だ……」

 

 駆け寄ったサラは、カミュの身体に回復呪文を唱えて行く。先程の<スカイドラゴン>から受けた火傷は完璧に治療はされてはいなかったのだ。

 自身の身体を癒して行くサラを一瞥し、カミュは軽く首を横へと振る。

 

「……一度外へ出る……」

 

「えっ!? あ、は、はい」

 

 治療が終わった事を確認したカミュは、他に魔物の気配がないかを確認するように周囲を見渡した後、サラへと方針を告げた。

 その言葉を聞いたサラは、発見した書物を抱えて、カミュの服の裾を握る。

 

「リレミト」

 

 サラが自分の服を掴んだ事を確認し、カミュは詠唱を完成させる。

 瞬時に光の粒となった二人の身体は、そのまま塔の外へと向かって飛んで行った。

 

 

 

 メルエの<リレミト>によって、先立って塔を脱出していたリーシャとメルエは、もう一度塔へと入り直し、一階部分の火が焚かれている場所で、その身体を温めていた。

 

「メルエ? もう少しでカミュ達が戻って来る筈だから、眠っては駄目だぞ」

 

「…………」

 

 目の前で揺らめく炎を見ながら、身体をリーシャに預けていたメルエが舟を漕ぎ始めている。雨に濡れた身体が乾いて行き、温もりに変わって行っているのだ。幼いメルエに眠るなと言う方が無理なのかもしれない。

 そんなメルエに苦笑を浮かべながらも、やはりリーシャの頭にはサラ達の事が気がかりになっていた。

 故に、メルエの様子が可笑しい事に気付けなかったのかもしれない。

 

「あっ!? リーシャさん!」

 

 メルエの身体を抱きながらも、入り口に視線を向けていたリーシャの視界に、見慣れた法衣が入って来たのはそんな時だった。

 リーシャの姿を見止め、こちらに手を振りながら歩いて来るサラの表情は、どこか晴れやかに見える。その後ろから歩いて来るカミュは疲労を隠し切れてはいないが、それでも歩く事が困難な程ではない。

 そんな二人の無事な姿を見て、リーシャの顔にも安堵の笑顔が浮かんだ。

 

「サラ! 無事でよかった」

 

「は、はい。カミュ様が居てくれましたから」

 

 自分の下へと辿り着いたサラの顔を見て、リーシャは柔らかく微笑んだ。

 そんなリーシャに向けて、晴れやかな笑顔を向けたサラの言葉に、リーシャは笑顔のままで、後ろから歩いてくるカミュへと視線を移す。

 

「よくサラを護ってくれた。ありがとう」

 

「……アンタに礼を言われる事ではない……」

 

 愛想なく呟くカミュに、リーシャは苦笑を浮かべる。カミュはこう言うが、アリアハンを出た頃のカミュを知っている者であれば、彼の行動に驚く事は間違いないだろう。

 実際、サラにしてもカミュが自分を救いに来てくれた事は本当に予想外の事だったのだ。

 

「それでもだ。サラが無事なのは、お前のお陰だ。ありがとう」

 

「……そのお陰で、俺の魔法力は空だがな」

 

 尚も謝礼を述べるリーシャに、カミュは大きな溜息を吐き、照れ隠しのように皮肉を述べる。そんなカミュにリーシャも苦笑を強くし、サラも笑顔を浮かべた。

 ただ一人、メルエだけはそんな二人のやり取りをぼんやりと見上げているのだった。

 

「さぁ、ダーマ神殿に戻ろう。メルエも眠そうだしな」

 

 傍で佇むメルエに苦笑しながらリーシャが、一行を促す。

 その言葉にサラもまたカミュへと近づいて行った。

 

「……俺の魔法力は空だと言った筈だが……」

 

「な、なに!? 冗談ではないのか!?」

 

 当然のようにカミュへと寄って行っていたリーシャが驚きの声を上げ、カミュが再び大きな溜息を吐く。

 リーシャは、カミュの『魔法力が空』という言葉を、照れ隠しの皮肉と考えていたのだ。しかし、この状況でもう一度口にするという事は、もはや<ルーラ>を使用する魔法力も残ってはいないという事なのだろう。

 

「で、では……再び歩いてあの山を……?」

 

 ダーマ神殿に続く山道を思い出し、サラの声は沈んで行く。それはリーシャも同じで、雨により気温の下がった夜道を歩く事は奨励したい事ではないのだ。

 

「……メルエ、<ルーラ>は使えるな?」

 

「…………」

 

 そんなリーシャとサラを無視するように、カミュはメルエへと声をかけ、その言葉に応じるようにメルエは小さく首を縦に振った。

 カミュはメルエの返事を当然の事として受け入れ、それに応えるように頷くが、リーシャとサラは驚きの表情を浮かべた。

 

「ちょ、ちょっと待て。メルエに<ルーラ>を使わせるつもりか!?」

 

「……アンタは既にメルエの<リレミト>を経験している筈だが……」

 

 リーシャの疑問に、今度はカミュが驚きの表情を見せる。

 カミュからしてみれば、<リレミト>よりも<ルーラ>の方が原理は簡単なのだ。故に、<リレミト>を行使する事の出来るメルエであれば、<ルーラ>を使用し、仲間を運ぶ事など容易い事だとも考えていた。

 

「わ、わかった。メルエは私が抱こう」

 

 カミュの表情に、自分が要らぬ心配をしていた事を悟らされ、未だに自分の足元で『ぼうっ』と見上げているメルエをリーシャは抱き上げた。

 そのリーシャの腰をサラが掴み、リーシャに抱かれたメルエの服をカミュが掴む。

 

「メルエ、頼む」

 

「…………ルーラ…………」

 

 全員が纏まった事を確認したカミュが、メルエに視線を向けて合図を出す。『ぼうっ』とカミュを見つめていたメルエは、一つ小さく頷くと、いつもよりも更に小さな声で囁くような詠唱を行った。

 詠唱と同時に、メルエの魔法力が一行を包み込み、上空へと浮き上がらせる。一度上空で静止した後、一行を包んだ光は夜空に光る流れ星のように東の空へと飛んで行った。

 

 

 

 

 

 一行を包み込んだ光は、東の空を飛び、大きな山脈を越えた辺りで急速に失速した。急に安定感を失くした光は、そのまま山を越えた先にあった平原へと落ちて行く。

 

「ぐっ!」

 

「きゃぁぁぁぁ!」

 

 凄まじい音を上げて、一行が平原へと墜落した。

 あれだけの高さから、墜落と言っても過言ではない落ち方をした一行ではあったが、地面と衝突するその瞬間までメルエの魔法力で覆われていた為、衝撃こそあったものの、傷一つなかった。

 

「あいつつ……カ、カミュ……やはり、メルエには無理だったんじゃないか?」

 

 メルエを護るように抱き抱えていたリーシャが、強かに打った臀部を摩りながらカミュへと声をかけ、その声に反応するように起き上ったカミュも軽く頭を振って意識の覚醒を図っていた。

 

「いたた……大丈夫ですか?」

 

 カミュやリーシャとは少し離れた場所に投げ出されたサラが、背中や腕を押さえながら歩み寄って来る。その視線は、カミュやリーシャにではなく、メルエへと向けられていた。

 サラにしても、カミュと同様にメルエの魔法の才に関して疑問を持った事などない。むしろその才能に恐れすらも抱く程の物であった。

 故に、メルエが唱えた<ルーラ>が、その本来の機能を発揮しなかった事が不思議だったのだ。

 

「リ、リーシャさん?……メ、メルエ!メルエ!?」

 

 そんなサラが見た物は、リーシャの腕の中でぐったりと首を落としている少女の姿だった。

 今まで見た事のないメルエの姿に、サラはリーシャへと駆け寄り、メルエに声をかけるが、それに対しても何の反応もない。

 

「メ、メルエ!? お、おい、サラ!?」

 

「!! す、すごい熱……」

 

 サラが駆け寄って来た事によって、初めてメルエの姿を認識したリーシャは、抱えている腕を軽く揺すっても反応を示さないメルエに困惑し、メルエの身体を触っているサラに視線を向けた。

 リーシャの視線にも気付かない様子で、サラはメルエの顔や身体を触診して行き、その小さな少女が抱えている熱の高さに驚きの声を上げる。

 

「何!? メ、メルエは熱があるのか!?」

 

「!! 何故、気付かなかった!?」

 

 自分の腕の中でぐったりと意識を失くしている少女に再度視線を向けたリーシャに、サラの後方から怒気を含んだ叱責が飛んで来た。

 周辺を見渡していたカミュが、メルエの様子が異常である事に気付き、駆け寄って来たのだ。

 

「今まで、メルエと共にいて、何故メルエの具合に気がつかなかった!?」

 

「な、なに!? そ、それは私の台詞だ! 塔の中では、常にお前のマントの中にメルエはいた筈だ! お前こそ、何故メルエの変調に気がつかないんだ!?」

 

 サラが今まで見た事もない程の怒気を含んだ叫び声をあげるカミュにリーシャも一瞬たじろぐが、それこそ自分感じている憤りである事を思い出し、カミュへと怒りの反論を繰り出す。

 

「今はそんな言い争いをしている場合ではありません! カミュ様、誰も<ルーラ>が使用出来ない以上、徒歩で<ダーマ神殿>へ戻る他ありません! ここが何処なのか、まず確認してください!」

 

「……ああ……」

 

 しかし、カミュやリーシャの怒りの叫びよりも、そんな二人に対するサラの怒りの方が上であった。

 彼女自身もメルエの体調を気遣う余裕が自分になかった事を悔いている。しかし今は、責任の追及や後悔をしている場合ではないのだ。

 それにも拘らず、その事を誰よりも理解している筈の二人がくだらない言い争いをしている事にサラは憤りを感じていた。

 

「最悪、<ダーマ神殿>に戻れないとしたら、この近くにある町や村を探してください! それと、カミュ様のマントを!」

 

 矢継ぎ早にカミュへと言葉を投げつけるサラは、カミュからマントを奪うように受け取ると、リーシャの抱いているメルエをそのマントで包み、自分の水筒の水で濡らした布をメルエの頭に巻き付けた。

 

「サ、サラ……メルエは……」

 

「今は何とも言えません。この場所が分かり次第、メルエを休ませる事の出来る場所へ向かいます。その時はリーシャさんにメルエを抱えて走って頂きます」

 

 迅速に処置をして行くサラに、眉尻を下げたリーシャが容態を問うが、それに対してもサラは表情を緩める事なく指示を出して行く。自分が成すべき事を告げられたリーシャは、再び眉を上げて力強く頷いた。

 

「カミュ様! まだですか!?」

 

 いつもなら、早急に道を指し示す筈のカミュの声が聞こえて来ない事に、サラは厳しい表情のままカミュに振り返り、愕然とする。

 そこでサラの瞳に映ったカミュの顔に浮かんでいた物。

 それは『焦り』『怯え』『恐怖』。

 そして、『後悔』。その全てが入り混じった物だった。

 

 メルエの現状を見ての『焦り』。

 そして、メルエの容態が悪くなって行く事の『怯え』に、その結果起こり得る『メルエを失う』という可能性に対する『恐怖』。

 更には、『何故、自分は気がつかなかったのだ』という物と、『何故、自分は<ルーラ>を行使するぐらいの魔法力を残さなかったのか』という『後悔』。

 そこには、もしかすると『何故、自分はサラの意思を尊重し、この塔を探索し続けたのか』という『後悔』もあるのかもしれない。

 

「カミュ様!」

 

「わかっている!」

 

 しかし、その何れにしても、カミュの表情を見た瞬間にサラは気付いてしまった。

 『事、メルエに関してだけは、この二人は駄目なのだ』と。

 それは、サラの急かすような言葉に苛立ちながら答えるカミュを見て、確信へと変わった。

 

 いつも、サラが迷う時に力強い言葉を掛けて、暗い道から引き上げてくれる女性戦士は、メルエを抱き抱えながら眉を下げておろおろとするばかり。

 常に一行の歩む道を冷静に見守り、その行為に対する代償等も考えて行動する『勇者』と呼ばれる青年に、いつものような冷静さは欠片も残ってはいない。

 

「たいまつを!」

 

「は、はい!」

 

 苛立ちながらカミュは灯りを要求し、雨に濡れないように革袋に入れてあった<たいまつ>をサラが取り出した。

 火を灯したそれをカミュへと手渡すと、カミュは何度も周囲と地図を照らし、自分達がいる場所を探り出そうとする。

 

「……」

 

 何度目かの視線の往復の後、カミュの視界の端に、木造の橋が入って来た。その橋を見たカミュは、もう一度地図を見て一つ頷く。

 

「あの橋を渡り、北へ進めば、その先に村がある筈だ!」

 

「村ですね!」

 

 地図を持ったままで、リーシャとサラの方へ視線を動かしたカミュの言葉を聞いたサラは、一度顔を伏せた後、何かを決意したように顔を上げた。

 その瞳は先程から見せていた厳しい光を宿し、カミュとリーシャを射抜く。サラの只ならぬ雰囲気にカミュとリーシャは声を出す事が出来なかった。

 

「リーシャさん。聞きましたね? あの先にある橋を渡って北へ進めば、村があります」

 

「……あ、ああ……」

 

 サラの雰囲気に呑まれたまま、リーシャは首を縦へと振る。

 そのリーシャの動きを確認したサラは、厳しい瞳のままに続きを口にした。

 

「カミュ様とリーシャさんは、メルエを抱えたまま、村まで脇目を振らずに駆けて下さい! 息が切れても、魔物が出て来ようと、村までは一気に駆けて下さい!」

 

「……」

 

 サラの言葉の強さは、カミュでさえ口を挟む事は許されない物。

 それ程に、サラの纏う空気は鬼気迫る物であったのだ。

 それは、カミュと同じ感情がサラの中にもあったのかもしれない。

 『焦り』と『恐怖』。

 そして『後悔』が……

 

「村に着きましたら、村の住民の迷惑など考えず、寝ている者は起こし、メルエの休む場所の確保。そして、薬師の手配をして下さい」

 

 どれ程高名な『僧侶』であろうと、病を治療する事は出来ない。

 サラが得意とする回復呪文である<ホイミ>や<ベホイミ>は、確かに瀕死に陥った者をも救う事は出来る。ただ、それは外傷に関してだけなのだ。

 例え、それが死に至る程の深い傷であろうと、回復呪文によって修復する事は可能である。しかし、身体の内から発症する病に関しては、この万能に見える回復呪文は効果がない。

 

 毒等の外部から進入したものの治療は、『経典』に記載されている魔法でも出来る。しかし、実際に現状では、何故『人』が病に伏すのかすら解明はされていないのだ。

 故に、大抵の町や村では、『僧侶』達が所属する教会とは別に、薬師達が一人は住んでいる。

 ただ、薬師も万能ではない。どんな病も治す者というのは、この世界に存在はしないのだ。

 

 それは、『人』だけではなく、『人』とは比べ物にならぬ程の寿命を有する『エルフ』であろうと変わりはない。長寿と言って良い『エルフ』達の中でも、病に勝てずに命を落とす者達がいる。

 それ程に『病』という物は、恐怖の対象となっているのだ。

 

「良いですね。何があっても、村まで駆け抜けてください!」

 

「……サ、サラ……」

 

 サラの言葉が何を示しているのか。

 それが理解できないカミュやリーシャではない。

 

「大丈夫です。私にはまだ魔法力がかなり残っています。この辺りの魔物から逃げ、村まで辿り着くぐらいの能力が、私にはあると信じています」

 

「……」

 

 カミュは、唯じっとサラを見つめている。

 その瞳に宿る強い光を感じ取るように。

 その心に宿る強い信念を信じるように。

 

「……わかった……」

 

 そして、リーシャも強く頷いた。

 サラの提案に諸手を挙げて賛成等出来ない。

 しかし、サラ程の『僧侶』がこれだけの決意を示したのだ。

 それは、それ程にメルエの状況が逼迫しているということ。

 故に、リーシャは頷いた。

 

「はい! 私も懸命に付いていきます」

 

「ああ! しっかり付いて来い!」

 

 ようやく笑顔を見せたサラの表情を見て、リーシャも軽い笑顔を見せた後、カミュのマントに包まれたメルエを大事そうに抱えたまま立ち上がった。

 それに続き、カミュも前方に小さく見える橋の方角へと視線を移す。

 

「さぁ、行きましょう!」

 

「……いくぞ……」

 

 最後尾にいるサラの掛け声を聞いてから発したカミュの呟きが消える前に、三人の足が地を蹴る。

 高々と放り上げられた<たいまつ>の炎が周囲を照らし出し、地面へと落ちた時、周囲には夜の闇が支配する静けさが広がっていた。

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

これにてガルナの塔編は終了です。
次話はあの村です。
FC版ではさして重要ではなかったですが、SFC版ではかなりの重要度を誇るあの村。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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