新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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戦闘①【アリアハン大陸】

 

 

 

「和やかなところ申し訳ないが、戦闘態勢に入ってもらえるか?」

 

 リーシャとサラがお互い微笑み合っているところに、それにまったく関心を示さず、少しも表情を変えない人間が言葉を発した。

 戦闘態勢という単語にリーシャは素早く反応し、腰にかけた剣を抜く。サラも慌てて帽子をかぶり直し、腰のホルダーから使った跡がない綺麗な短剣を抜いた。

 身構えてすぐに近くの茂みから、青い物体が現れる。

 それは、アリアハン大陸に住む最古の魔物、スライムであった。

 魔物の中でも最弱と呼ばれる物で、主に女や子供を襲う。力がない者に飛びつき、体当たりや噛みつきを攻撃の主とする魔物。

 取り付いた者をその体液で溶かし消化するという、見た目に反し至極残酷な形で人を食す魔物である。

 

「……スライムか……まぁ、着ている物は別として、見た目は女と子供だからな……可哀そうだが、食事は出来ないだろうな……」

 

「女と子供!? くっ! 人間だけではなく、こんなスライム如きにまで女である事で馬鹿にされるのか!」

 

「……可哀そう……?」

 

 スライムの登場を見て、背中の鞘から剣を抜くカミュが発した言葉に、他の二人は異なる反応を示した。

 

 スライムは最弱の魔物であるが、最古の魔物でもある。

 自分の力量を過剰評価はしない。

 自分の目の前にいるものが自分よりも強い存在であれば、躊躇なく逃走を図るのだ。

 

 今、食を求め出てきた三匹のスライムも同様であった。

 目の前にいる三人の内、子供の方の女は三匹一斉にかかれば何とかなるのかもしれないが、残りの二人はいけない。

 特に、女だと思っていたもう一人の方は、何故か憤怒の表情を自分たちに向け剣を構えている。三匹のスライムには選択肢がほとんど残されていなかった。

 そして、一匹のスライムが剣を構える女の発する気に怯え、恐怖から飛び出してしまう。

 

「ピキ――――――――!!」

 

 奇声を発しながら、自分に向かってくるスライムをリーシャは怒りの中でも冷静に見ていた。

 一直線に何の策もなく飛び込んで来るスライムに構えていた剣を合わせる。

 下級騎士に配給される大量生産の剣とはいえ、リーシャが毎日手入れを欠かさないその刃はスライムの身体に何の抵抗もなく入って行った。

 それほど力も込めず、カウンター気味に入ったリーシャの一閃はスライムの身体を真ん中から真っ二つに断ち切る。地面に落ちた二つに分かれたスライムの身体は、その形状を保つ事は出来ず、青い粘着性のある液体に変わっていった。

 瞬く間に一匹の仲間が土に返ったのを見て、残りのスライムがパニックに陥っているのが見て取れる。

 そんな中、カミュはリーシャの動きとスライムの動揺を見て、剣を鞘に戻していった。

 サラはカミュの行動に疑問を持ったが、戦闘経験の少ないサラは自分に対しているスライムへの対応で手一杯になっていたのだ。

 

「ピ、ピキ―――――――――!!」

 

 パニックに陥っているスライムが二匹同時に剣を鞘に収めたカミュに向かって飛びかかっていった。

 それをカミュは微動だにせず、拳を握り込み立っている。

 スライムも必死である。

 一匹はカミュの顔を目掛け、もう一匹は地面すれすれから足元に攻撃をかけて行った。

 

「あっ、勇者様!」

 

 サラは二匹の魔物の同時攻撃を見て、反射的に勇者と呼ばれる少年の名を口にする。

 自分が信じ、憧れる『勇者』であれば、このような所で苦労する事はないとは思っているが、それでも無意識に声を出してしまっていた。

 

「ピキュ!!」

「プキュ!!」

 

 サラが危ないと思ったスライムの攻撃は、二匹の潰れた声で終わりを告げていた。

 カミュは顔に飛びかかって来たスライムを右拳で払い除け、足元から腹部目掛けてきた方を左拳で地面に叩きつけたのだ。

 カミュのカウンターを受けたスライムは目を回してはいるが、死には至っていない。

 カミュの様子を見ると、スライムへの攻撃は手加減を加えていた事は明白である。

 剣を使っていない事もそうだが、例え拳だけでもスライムを叩きつけ、土に還す事も可能であったように思われる。

 サラはそんなカミュの行動に不信感を覚えた。

 『なぜ、魔物に手心を加えるのか?』

 その微かな不信感は、次に発したカミュの言葉で決定的な物となった。

 

「逃げるのなら、早くしろ。追いかけはしない。次は相手を見誤るな」

 

「な、なにを!」

 

 その言葉は、サラだけでなくリーシャにとっても信じられない言葉だった。

 目の前にいる魔物を逃がそうとする。

 

 『そんな勇者がいるのだろうか?』

 『それ以前に魔物を逃がそうとする者が勇者と呼べるのだろうか?』

 

 リーシャは改めて、この世界的な英雄の息子の異常さを見た気がした。

 スライム達は起き上がるが、すでに戦意は消失していて、怯えた目で自分達の攻撃を軽く捌いた人間を見つめていたが、言葉を理解する事が出来ないまでも、相手が自分達に追い打ちをかけてこない事を悟ると、身を翻して茂みに身を隠そうとした。

 しかし、命を拾ったスライム達の希望は、身を隠す事が出来るまであとわずかの所で潰えた。

 

「ニフラム!」

 

 後方からかかった声に呼応するように、二匹のスライムの周りに光があふれ、その存在を跡形もなく消していく。

 

<ニフラム>

聖職者である僧侶にのみ使用可能な魔法。聖なる光で相手を包み込み、この世に生を持っていない者に効力を発揮する魔法ではあるが、スライムのような最下級の魔物にも効果があるのだ。

 

 魔法を行使したサラは、右手を天に向かって広げたまま、スライムが消え去った場所を見つめていた。

 逃がした筈の魔物が目の前で消されたにも拘わらず、カミュは何の感慨も持っていないような表情で踵を返し、歩き出す。

 

「お、おい! ちょっと待て! 今のは何なんだ!」

 

 リーシャは、何の説明もなしに歩き出すカミュの肩を掴み、強引に振り向かせた。

 その声に我に返ったサラは、身を正して、リーシャの後ろに控える。

 

「何がだ?」

 

 本当に何の事かも解らないといったように、カミュはリーシャの顔を眺めている。

 リーシャはそのカミュの態度、表情、言動の全てが気に喰わない。

 自然と語気も激しくなり、怒鳴り散らすように言葉を続けた。

 

「『何がだ?』ではない! 何なのだ、お前は! 戦闘中に剣を鞘に戻すなど、戦う気があるのか! 手加減をして魔物を叩き、挙句の果てには逃げろだと! 勇者が魔物を逃がしてどうするんだ! お前は魔王を倒す為に旅に出たのではないのか!?」

 

 リーシャの興奮度合いは、とても仲間に向けて発している言葉とは思えない。

 後ろに控えているサラにしても、無言でカミュを見ている事から、リーシャの意見に同意しているのは明らかだった。

 そんな熱くなっている二人の言動をカミュは冷めた目で見つめながら表情も変えずに聞いている。

 一通りリーシャが捲くし立てた後、いつものように溜息をついたカミュは重い口を開いた。

 

「別に魔物が相手とはいえ、無駄な殺生をする必要はない筈だ。スライムなどを今さらいくら殺したとしても、俺の剣の腕前が上がる訳でもない。確かに、アンタの言うとおり、俺は『魔王討伐』の旅に出た。だからと言って、この世から魔物全てを滅ぼすつもりは毛頭ない」

 

「な、なんだと!」

 

「!!!」

 

 リーシャの驚きも相当なものであったが、その後ろで事の成り行きを見ていたサラは目の前が暗くなるような錯覚に陥った。

 サラにとって、勇者とは人類の希望であり、『精霊ルビス』の加護の下に魔物たちの手から人間の平和を取り戻す事のできる世界で唯一人の人間であった。

 その勇者が、こともあろうに魔物を殺すつもりはないと宣言したのである。

 

 『では、何の為に旅に出たのか?』

 『人間の敵である魔物から平和を取り戻すためではないのか?』

 『その為に、この世界に蔓延る魔物達を根絶やしにするのは正しい事ではないのか?』

 

 サラのいた教会の教えでも、魔物は悪であった。

 人を殺す事を最大の罪とする教会の教えの中でも、魔物を殺す事はむしろ正義であったのだ。

 

「ちょ、ちょっと待て、カミュ!」

 

「では、勇者様は何の為に旅に出ているのですか?……人々の幸せのためではないのですか?……魔物は人々の生活を脅かしています。子供を魔物に攫われた親は、昼夜問わず涙に暮れています。私のように親を魔物に襲われ、親を失った孤児は世界中でも数えきれません。その人達を、悲しみや苦しみから救うべく立ち上がったのが勇者様ではないのですか?……魔物は人類にとって敵です。ルビス様の護る世界を、我が物顔で暴れ回る絶対悪です。その魔物に情けをかけるなど、ルビス様の慈悲を裏切る行為に他なりません!」

 

 溜息交じりに話すカミュに文句を言おうと口を開いたリーシャの言葉を遮って、今まで後ろで黙っていたサラが一気に捲くし立てた。

 リーシャは突然のサラの変貌に驚いたが、発している言葉はリーシャの言いたい事を八割方表現しているので、その成り行きを見守る事にした。

 

「魔物を逃がせば、また別の人々に襲いかかります。そうすれば、また泣く人達が出て来る事でしょう。魔物の命など救う必要などありません!」

 

 最後の方は感極まっているのか、サラは眼に涙を浮かべながら叫んでいた。そんなサラの肩を、リーシャは抱くように支える。

 しかし、二人とも自分の考えをカミュにぶつける事に必死になり、それを聞いている相手の表情にそれほど注視していなかった。

 サラの肩を支え、どうだと言わんばかりにカミュの目を見たリーシャは、アリアハン城下での恐怖を思い出す事になる。

 そこには、表情を失くし、汚らわしい物を見るような、本当に冷たい瞳で二人を見るカミュが居た。

 

「……だから、教会の人間は嫌いなんだ……」

 

 一言。

 本当にたった一言だけ。

 まるで、スラム街の道端で寝ている浮浪者に吐き捨てるように。

 

 自分の感情を爆発させ、詰めよった言葉を、たった一言で切り捨てられたサラは、しばらく呆然としていた。

 同じように、一度味わった恐怖を思い出させられたリーシャも、カミュが先に歩き出した後も、しばらくはその背中を呆然と眺めている事しか出来なかった。

 

 

 

 


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