新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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イシス城①

 

 

 

イシスの町に入って、サラは驚く事になる。

町は活気に溢れていた。

 

いや、活気に溢れているとは言えないのかもしれない。夜とはいえ、人の往来が激しい。そして、皆同様に何かに焦っているような表情を浮かべている。それは、決して<アッサラーム>で見た、夢と希望の詰まった活気ではなく、<ロマリア>で見たような充実した活気でもない。どちらかと言えば、<みかわしの服>を買う為に戻った時の<ノアニール>に似た雰囲気であったのだ。

 

「カミュ!まずは宿屋だ!」

 

「……ああ……」

 

周囲を見渡すサラの様子を見たリーシャが、そのサラではなくカミュへと口を開く。実に理不尽な物言いではあるが、カミュはそれに黙って頷いた。サラもメルエを心配するリーシャの胸の内を理解し、すぐさまカミュ達の後を追う。

 

 

 

宿屋はすぐに見つかった。いつもの様に部屋を三部屋取り、今回はサラとメルエを同室に、リーシャとカミュは個室となるように配分される事となる。

 

「カミュ様。メルエは私が見ています。リーシャさんとカミュ様のお二人は情報収集を」

 

「なに!?」

 

部屋に入ろうとするカミュに、サラが口を開き、その内容にリーシャはメルエを取り落としそうな程に驚きを表す。完全な意趣返し。まるで、<アッサラーム>で受けた自分の苦しみをリーシャに投げ返すようなサラの姿にリーシャは愕然とした。

 

しかし、実情は違ったのだ。サラもまた、明らかに疲れを露わにしていた。おそらく、湯浴みを済ませた後には、食事も取らずに、メルエと共に深い眠りに就く事だろう。それがサラの表情に明確に表れていたのだ。

 

「サ、サラ!……わ、わかった。一度メルエを起こして湯浴みをさせてやってくれ。砂と埃で汚れているだろうからな……それと軽くでも良いから食事も取らせてやってくれ。」

 

「はい」

 

まるでメルエの母親の様なリーシャの言葉に、サラは柔らかな笑みを浮かべて頷く。カミュはそんな二人のやり取りを横目で眺め、自分の部屋へと荷物を置きに行った。未だに釈然としない表情を浮かべるリーシャではあったが、疲れきっているサラを休ませる為にも、一度サラ達の部屋のベッドにメルエを寝かせた後、自らの部屋へと入って行く。

 

 

 

メルエは案の定、サラと共に湯浴みをした後、食事を取りながら舟を漕ぎ出した。せっかく洗った髪をスープの中に浸してしまうのではと心配したサラが、メルエを部屋へと連れて行く。そして、サラとメルエの二人は、食堂に戻って来る事はなかった。メルエを寝かせたサラもその横で添い寝をしている最中に、本格的に寝入ってしまったのだろう。

 

「……食事が終わったなら、もう一度町へ出る……」

 

「ん?……ああ、わかった」

 

最後の肉の切れ端を口に放り込んだリーシャは、テーブルの上に残った食器を片づけて行く。メルエが残した物はカミュが食べ、サラが残した物はリーシャが食していた。

 

「うぐ……もぐ……それで、カミュ?……何処へ行くつもりだ?」

 

「とりあえず、この国の現状を把握しなければ何も出来ない」

 

口の中の物を飲み込み、問いかけるリーシャの方を振り返る事なくカミュが答える。<イシス>に入る前に会った老人の話がこの国でどういった意味を持つ言葉だったのかをカミュ達は確かめなければならない。その為にも、今この町がどういう状況なのかを把握する必要があるのだ。

 

「わかった。では行こう」

 

食器を片付け終えたリーシャと共に、カミュは夜の町へと踏み出した。

 

 

 

宿屋を出た右側。<イシス>の町の門を入ってすぐの場所に墓地がある。<カザーブ>の村とは違い、その墓地は教会と隣接はしておらず、小さな柵で囲まれた簡素な墓地であった。そこに男が一人立っている。

 

「おや?……旅の方ですか?……貴方たちにもこの声が聞こえますか?」

 

「「??」」

 

墓地の横を歩くカミュ達に突然かかった声。それは、墓地に立つ一人の男からだった。語りかける内容が全く理解出来ないカミュ達は首を傾げるが、そんな事に興味を示さずに男はそのまま話し続けた。

 

「ここにいると、死者達の声が聞こえて来るようです……私達も何れ土へと還って行くのでしょうね……」

 

墓の上に輝く星空を眺めながら、そんな事を話し出す男にカミュは曖昧な答えを返し、二人はその場を後にする。残された男は、立ち去るカミュ達を気にした様子もなく、そのまま夜空を見上げていた。

 

 

 

「カミュ……あれは一体何だったんだ?」

 

墓場から離れた所で、カミュに真意を問いただすリーシャの表情は困惑を極めていた。あの男が何を言いたかったのかがリーシャには皆目見当もつかなかったのだ。

 

「……さぁな……何にせよ、俺には関係がない事だ……俺は自分が土に還れるとは思っていない……魔物の腹の中か、もしくは魔法で骨すら残らないかのいずれかだ」

 

「……カミュ……」

 

まるで自分を嘲笑うかのような表情を浮かべるカミュにリーシャは言葉を失った。それ程にカミュの語る内容はリーシャに取って胸に詰まるものがあったのだ。

 

自分にまともな『死』などあり得ない。

魔物と対峙し死ぬか、魔物の使う魔法にて殺されるか。

 

しかし、リーシャも気がついてはいなかった。

カミュの言葉の中には、『人』によって殺される可能性も示唆していた事を。

 

 

 

再びカミュ達は夜の町を歩き出す。各店はすでに店仕舞いを終え、それぞれの家へと入って行っていた。それでも、町には人が往来している。そんな中、カミュはふと、何人か人間がお互いを軽く罵りながら、ある場所に入って行くのが見えた。

 

それは、塀に囲まれた場所で、下へと続く階段を降りて行っている。

リーシャは頭の中で、その姿がある場所と結びついた。

人が狂気と化す場所。

それは、<ロマリア>にあり、カミュ達三人の心に重い影を背負わせた場所である。

 

「……」

 

「カ、カミュ!こ、ここは止めておいた方が良いと思うぞ」

 

その階段をじっと見つめたカミュへのリーシャの悲痛な叫びは、無言の拒否を受け霧散した。そのままカミュは、リーシャを振り返る事無く階段を降りて行く。

 

 

 

「ようこそ!血肉湧き躍る『闘技場』へ!」

 

『やはり!』

リーシャは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。そこはリーシャの予想通り、ロマリアが行っていた国民不満の捌け口となる場所であった。兵士達が捕獲した『魔物』同士を戦わせ、生き残る物を予想して賭け事とする。それは、魔物を悪と考えるリーシャやサラにしても吐き気がするほどおぞましい物だった。

 

血走った目をして、狂気じみた叫び声を上げる人間。

生死を賭けて己の身を傷つけ合う魔物に罵声を飛ばす人間。

どれもこれも、リーシャが信じていた人間像を根底から覆す光景なのだ。

 

「さあ、次の試合が始まってしまいますよ。貴方の予想がピタリと当たれば、大儲け間違いなし!」

 

「……カミュ……出よう……」

 

アナウンスに応じる周囲の声に、心が沈みこんでいくような感覚を覚えたリーシャは、言葉少なにカミュへと懇願するが、その願いも無駄に終わってしまう。

 

確かに、この『闘技場』によって、国民の不満の幾分かは解消されるだろう。そして、賭け事という物は、常に胴元に利益が出るように作られている。配当はあるだろうが、それ以上に掛け金が多いのだ。その回収された掛け金は、運営費を差し引いても一日当たりで莫大な金額となるだろう。それは、この『闘技場』全体を揺らす程の怒声にも似た歓声を上げる人の多さが物語っている。

 

では、その莫大な金はどこへ行くのか。それはもちろん国家にである。国民の不満も解消し、尚克、税収には劣るものの、相当な金額が国家へと入って来る。これ以上の施策があるだろうか。

 

「おや?……アンタ方見ない顔だね?……旅人かい?」

 

「……ああ……」

 

カミュの後ろを、顔を歪ませながら歩いていたリーシャの耳に前方からの声が入って来る。ふと顔を上げると、青年とも中年とも言えない歳の頃の男がカミュへ話しかけているところだった。

 

「そうかい!凄い『闘技場』だろう?ロマリアにもあるらしいが、ここ程ではないらしいからな。しかも新しい!」

 

「……」

 

男の言うように、この『闘技場』は<ロマリア>にあったものより、一回り大きい物だ。そして、まだ制作されて数年と言ったところなのだろう。『闘技場』特有の血生臭さが染み付いてはいなかった。

 

「ここには、一度だけ女王様もお見えになった事があるのだ。あの若くお美しい女王様がだぞ。まぁ、すぐにお帰りになられてしまったが……」

 

「……一度……?」

 

<ロマリア>国王は、他人に国政を放り投げてでも通う事を切望していた。それがたったの一度ということに、カミュは疑問を覚える。それはリーシャも同様であった。

 

「この国は、神聖なる女王様の治める国。神聖でお美しい女王様が我々の住むこのような下界の町に降りて来られるなど、数十年に一度なんだ。その女王様が、この『闘技場』が出来たばかりの時に視察に来られた。それがどれ程凄い事なのかは、旅人のアンタには解らないだろうがな」

 

「「……」」

 

男は悦に入ったような表情を浮かべ、虚空を見上げて話す姿は、どこか空恐ろしい物に感じる程のものだった。自分が生きて来た世界とは、また違った価値観のある国なのではないかとさえ、リーシャは考える。

 

「……ただ……」

 

「「???」」

 

しかし、ふと表情を曇らせた男は、そのまま言葉を続ける。

その内容に、リーシャだけではなく、カミュまでも驚きを露わにした。

 

「……先代の女王様は美しいばかりでなく、国民を第一に考えるお方だった。国民は皆笑顔で過ごし、そして、外敵に怯える事もなかった……」

 

突然話し始めた男の内容。

それは、決して他国からの旅人に話す内容ではなかった。

 

男の様子を訝しげに見るカミュの瞳にも、男の発言に何か思惑があるようには見えない。つまり、国民感情の中に、抑える事の出来ない不満が溢れ始めている証拠と言っても過言ではない程の国家の状況が見て取れた。

 

「……今は、税金も高い。この『闘技場』に来る人間も少なくなる一方だ……代々の女王様がお守りして来た<ピラミッド>にも墓荒らしが横行し、もはや王家の宝もないのではないかと噂される程……この国はどうなるのだろう……」

 

「……そこまでに……」

 

カミュは静かに男の傍に近寄り、声をかける。

うわ言のように不満を漏らし始めた男を軽く制したのだ。

 

「……周囲の兵士がこちらに注意を向け始めています……」

 

「はっ!?す、すまない……今の言葉は忘れてくれ……」

 

カミュが言うように、魔物対策という建前によって『闘技場』に配備されていた兵士が、見慣れぬ服装のカミュ達と、男の会話に疑念を持ち、注意を向け始めていた。このまま、男が話し続ければ、その不満は熱を持ち始める。当然、その内に声量も大きくなり、兵士達の耳にも入って行くだろう。そうなれば、男は間違いなく国家反逆罪となる。それを聞いていたカミュ達も同様に処罰される危険性もあるのだ。

 

「……出る……」

 

慌てて離れて行った男を見送り、カミュは『闘技場』を後にするため、身を翻して出口への階段を上って行く。今の男の話を消化しきれていないリーシャは、ただカミュの背中を追う事しか出来なかった。

 

 

 

「カミュ!どういうことだ?……この国はどうなっているんだ?」

 

『闘技場』を出て、町に入ってからリーシャが前を行くカミュへと疑問を投げかける。それは、リーシャにとっては当然の行為だったのかもしれないが、当のカミュにとっては呆れる行動だった。

 

「……なぜ俺に聞く?……俺は、終始アンタと共に行動して来たと思うが?」

 

「そ、それは……」

 

老人の家にいる時も、話を聞いていたのはカミュとリーシャの二人であるし、今も片時もリーシャと離れて行動した事はない。頭に入れた情報量はカミュもリーシャも変わらない筈なのだ。それでもリーシャはカミュへと問いかけた。生来、リーシャとカミュでは、その情報の処理方法も、処理スピードも、理解の度合いも違うのだ。リーシャにもそれは解っている。それはカミュも同じであろう。その証拠に、カミュの口端はいつの間にか上がっていた。

 

「くっ……い、今までの話を私の中で考えても答えは出ない!」

 

「……ふぅ……あの老人が言っていただろう……女王は幼くして即位し、周辺の者達の傀儡となっていると……」

 

悔しそうに顔を歪め、それでも理解しておきたいという気持ちを誤魔化す事の出来ないリーシャは、素直にカミュへと答えた。その言葉を聞いた途端、カミュの表情はいつもの無表情へと戻り、周囲に漏れないように音量を絞った声でリーシャへと話し始める。

 

「……税を上げたのも、周囲の人間の政策だろう……おそらくだが、女王は印を押す仕事しか与えられていないのではないか?……その証拠に、一度『闘技場』に来ている。」

 

「……『闘技場』とそれに何の関係が……」

 

カミュの話す内容がリーシャには未だに理解しきれない。いつも思うが、カミュは回りくどいのだ。リーシャの様な人間には結論だけを言えば済む筈である。しかし、カミュはそれをしない。結果が出る過程から始めるのだ。それは、逆に言えば、リーシャに本当の意味での理解をさせようとしているとも見る事が出来る。

 

「……『闘技場』には一度しか来ていない。それは、施策として作った物が女王の命であると示す為のものだ。だが、すぐに席を外し、帰ったと言う。おそらく、見ている事が出来なかったのだろう」

 

「……」

 

まだリーシャは理解出来ない。故に、無言でカミュを見つめ、次の言葉を待っていた。そのリーシャの表情を見たカミュは、大きな溜息を吐き出し、再び口を開く。

 

「通常であれば、女王陛下が観覧するのであれば、特等席を用意し、それなりの時間を過ごさせる。しかし、自分はただ印を押しただけで、何が出来るのか、それがどういう物なのかも分からない状態で連れてこられた場所が、あの人間の狂気を映し出す場所であれば、通常の神経の者は持たないだろうな……」

 

サラも初めて『闘技場』を見た時は、その腹にある物全てを吐き出した。リーシャにしても、目の前が暗くなって行く感覚を味わっている。魔物と対峙し、何度も魔物を殺して来た者達であってもそれ程の衝撃を受けるのだ。ましてや、宮廷という温室で育てられた人間にとっては、世界が一変してしまっても可笑しくはない。

 

「……では、カミュ……お前は、女王は何も知らなかったと言うのか……?」

 

「……はぁ……アンタは今までの話を聞いていたのか?」

 

自信を失くした表情を浮かべながら聞くリーシャに、カミュは更なる追い打ちをかける。その言葉に一瞬むっとした表情を見せるが、怒りを抑えカミュをもう一度見るリーシャに、カミュはゆっくりと話し出した。

 

「……あの老人は……宮廷から追い出されたと言っていた……先代から仕えて来た敏腕文官は、幼い女王を担ぎ挙げ摂政政治を行うには邪魔だったのだろう……それに、幼い子供が大人の都合に振り回される事は、アンタも<アッサラーム>で知った筈だ」

 

「……カミュ……」

 

「ここは、<アッサラーム>でもなければ、相手はメルエの様な捨て子でもない。俺達に出来る事など何もない」

 

やっと理解が出来始めたリーシャは、今まで数々の難題を越えて来た目の前に立つ『勇者』へと伺いを立てるが、それは無碍に斬り捨てられた。確かにカミュの言う通り、国家の問題にカミュの様な平民。しかも、他国の人間が入る余地などありはしない。

 

「……カミュ……お前なら……お前なら何とか出来るのではないか?」

 

それでも納得の出来ないリーシャが発した言葉は、カミュの顔から表情を消し去った。カミュにとって、それは最も言われたくない言葉だったのかもしれない。

 

「……アンタ方が求める、『そういう存在』にも限界はある……『人』を救う為に川へ飛び込む事や、『尊い貴族様』を救う為に魔物の群れの中へ放り込まれる事は出来る。だが、一個人が国の問題の何を変えられると?……そんな事が出来るのならば、疾うの昔にやっているさ……」

 

「はっ!?す、すまない……そういう事ではない……そうではないんだ……」

 

無表情に戻ったカミュの顔を見て、その発言を聞いたリーシャは、自分の口から出た言葉がどういう意味を持っていたのかに気が付いた。それは、リーシャが意図していたものではなかった。

 

自分が伝えたいこと。

自分が問いかけたい事が正確に相手に伝えられない。

リーシャは自分の不甲斐なさに哀しさすら浮かんで来ていた。

 

「……ただ……先代の女王が……何故死んだのか……」

 

「……何……?」

 

リーシャの表情に気が付いたのか、カミュは溜息を吐きながら言葉を続ける。

それは、またしてもリーシャを混乱に陥れるものとなった。

 

「……傀儡が必要である前に、賢王は邪魔となる……」

 

「……先代の女王か……?」

 

ようやく答えに辿り着いたリーシャが、恐る恐る問いかけた名に、カミュは静かに頷きを返す。周囲を気にかけ、声を押し殺しながら歩いている為、必然的にリーシャの顔はカミュへ近づいていた。

 

「……ああ……現女王を傀儡にする事を目論む人間であるならば、それなりの下準備は必要だ。いきなり倒れた女王に代わって、即座に幼い王女を即位させ、その権力を握る事など不可能に近い……」

 

カミュが言っている結末にリーシャもようやく辿り着く。

それは、一国の国情としては最も醜悪なもの。

 

「……女王が殺されたとでも言うつもりか……?」

 

「……毒殺にしろ……暗殺にしろ……足がつかなければ問題はない」

 

淡々と語るカミュの言葉のないように、リーシャは身震いする。

それは、途方もない罪。

一国の王の謀殺など、死を持っても償う事など出来はしないのだ。

 

「……しかし……あの老人は奇病で亡くなったと言っていたぞ!」

 

「……あの老人は『男』だ。<イシス>は代々女性国家と云われているとも言っていた。男であるあの老人が、緊急事態とはいえ、女王の部屋に入る事など出来ない筈だ。ならば、女王に近しい者達が入り、状況を確かめて皆に報告する」

 

藁にも縋る思いで、先日出会った老人の言葉を思い出したリーシャであったが、その願いもカミュの語る正論によって打ち砕かれた。淡々と語るカミュの表情は冷たく、その言葉は、推測とは思えない程に淀みない。

 

「……それは……」

 

「……中の状況がどういう物であれ、実際見た者しか知らないという事だ……」

 

カミュの言う事は、もう予想や想像という枠を超えている。実際、まだ城に上がっていない状態にも拘わらず、リーシャにもその光景が鮮明に思い浮かべる事が出来た。

 

とても、十六歳の青年が考えつくものではない。

改めてリーシャはカミュが恐ろしく思え、また哀しく感じた。

 

「な、ならば!その証拠を掴めば……」

 

「……それは無理だ……『毒殺』であれば、確かめる術はない。まさか、十年以上前に使用した毒物を後生大事に持ってはいないだろう……『暗殺』だとしても、それを実行した者達は、既にこの世にはいない可能性すらある」

 

「……そんな……」

 

カミュの言う通り、毒殺の証拠など残っている訳がない。暗殺にしても、依頼したものだとすれば、依頼された人物は口封じの為に殺されている可能性もある。万が一、徒党を組む者達だとしても、この近辺にいない可能性が高いのだ。

 

「……どちらにせよ……俺達ができる事など何もない。」

 

「……カミュ……」

 

リーシャにしても、甘い事は重々承知している。本来ならば、これはサラの発するべきものだ。しかし、リーシャもこれまで遭遇してきた出来事から、『救う事が出来るのであれば、何とかしたい』という騎士精神にも似たような感情を湧き上がらせていた。それは無残にも叩き壊される事となってしまったのだが。

 

その後、終始無言で宿屋へと帰ったカミュ達は、それぞれの部屋に入り、朝を待つ。リーシャはベッドに入ってからもなかなか寝付く事は出来なかったが、それでも砂漠を歩き続けた疲れからなのか、自然と意識が吸い込まれて行った。

 

 

 

その頃、一人起き出す人物がいた。自分の隣に眠る幼い少女に一度顔を向けた後、寝巻きから自分の服へと着替え、外へと出て行く。夜空には星が瞬き、もはやかなり夜も更けているためか、人も町には皆無の状況である。その町から町の外へ出る少女。

 

未だに眠るメルエと共に就寝したサラである。

サラは、カミュとの情報収集をする役目をリーシャに託した。

それには、三つの理由があったのだ。

 

一つは、そのまま。

身体が疲れで言う事を聞かなかったという事。メルエと同様、炎天下の中歩き続け魔法を行使していた疲れが、町に着いた安心感からどっと出て来ていたのだ。

 

二つ目は、町に着く前に遭遇した<火炎ムカデ>との戦闘。

あの時、サラは一匹の魔物を逃がした。それは、カミュに止められてしまったからではない。あの時、サラの目には、傷を負いながらも必死に身を隠そうとしている<火炎ムカデ>の姿がメルエの姿と重なってしまったのだ。傷を負いながら、その身を護ろうと必死にあがく姿が、親からの虐待を受ける子供の姿に見え、その手を下してしまった。魔物が子供であれば、弱い者に手を上げる親が自分という事になる。

 

「……何が正しかったのでしょうか……」

 

サラは、自分のした行為が正しいと胸を張る事は出来ない。聖職についている僧侶として、教会の教えに背く行為をしてしまったのだ。それは、『精霊ルビス』の子としては裏切りに等しい行為。しかし、その事を考えていた途中に、自分の手を引くメルエの姿を見た時、サラは自分の行為を否定も出来なくなってしまった。

 

魔物を逃がしたにも拘わらず、メルエがサラに向ける顔は笑顔だった。アリアハンで魔物を故意に逃がしたとなれば、それは決して許される事ではない。むしろ非難の対象となり、住民からは白い目で見られ、アリアハン国民として生きて行く場所を失う事となる。

 

「……私は……私はどうすれば……ルビス様……」

 

サラは夜空に輝く星達を見つめ、胸の前で手を結ぶ。

祈るように、そして救いを求めるように。

サラはそのまま町の外へと出て行った。

カミュとの情報収集をリーシャに押し付けた三つ目の理由を実行するために。

 

 

 

夜が明け、朝食の時には、眠そうに目を擦るメルエとサラの二人が降りて来る。カミュとリーシャはすでに席に着いており、顔を洗い終わった二人が席に着くのを待っていた。

 

朝食を取り終えた一行は、昨晩カミュとリーシャの間で話題の上がった女王と謁見するために<イシス城>へと向かう事となった。<イシス城>は町とは別になっており、一度北側の出口から町を出なければならない。その為に町を横切る一向の前に、一件の家が見えた。本当に何気ない家。しかし、一行の目を引いたのは、その家の前に立つ一人の男。

 

その男は玄関の前で、ぼうっと空を見上げていた。日差しの強い太陽の光に目を細める訳でもなく、手をかざす訳でもない。只々、空を仰いでいるだけだった。

 

「おい、カミュ……一体あれは何をしているんだ……?」

 

「……はぁ……だから、何故俺に聞く?」

 

その不思議な男を横目で見ながら、リーシャが前を歩くカミュへと声をかけるが、カミュは『またか?』とでも言いたげに、溜息を吐きながら振り向いた。もはや、リーシャの頭の中には、『解らないこと=カミュに聞く事柄』という項目が成り立っているのだろうか。それが、ここ最近はかなりの頻度となっている事にカミュは溜息を洩らしたのだ。

 

「……貴方達は旅人ですか……?」

 

今まで空を仰いでいた男が、不意に視線をカミュ達の方に動かし話し始めたため、メルエは驚きのあまりカミュのマントの中へと隠れてしまった。

 

「先程から、空を仰いで何をやっているんだ?」

 

「……おい……」

 

疑問に思った事を口にしなければ気がすまないリーシャに、カミュは呆れてしまう。それはサラも同じであった。余りにも不躾なリーシャの言葉であったが、男は大して気にもせず、笑顔を浮かべた。

 

「私はソクラスと言います。こうやって空を見上げながら、夜が来るのをただ待っているんです」

 

「……夜を……?」

 

男から出た、一行の予想を遥かに超える奇妙な言葉に、サラは疑問を洩らしてしまう。ただ、空を仰いで夜を待つ事に何の意味があるのか解らない。

 

ソクラスと名乗った男は、そのまま再び空を仰ぎ見た。

会話はそれだけ。

リーシャの疑問が晴れる訳はない。

 

 

 

「……カミュ……さっきの男は一体何だったんだ?」

 

男が立っている家から離れ、町の出口に当たる門をくぐる辺りで、ついにリーシャが疑問を口にした。その相手は、やはり彼女の疑問解消機である、表情の少ない青年である。

 

「……何度も言うが……何故、俺に聞く?」

 

「……私にも解りません……カミュ様はお解りなのですか?」

 

「…………メルエも…………」

 

カミュがリーシャに先程と同じ答えを返した時、一歩後ろにいたサラが同じ疑問を口にした事で、メルエも同じ様に答えるが、メルエに関しては周りの人間がカミュに答えを求めた為、自分も口にしただけであって、内容を理解している訳ではないだろう。

 

「……はぁ……陽が落ちれば夜が来るという事だろう……」

 

「当たり前ではないか!真面目に答えろ!」

 

カミュのやる気のない答えに、リーシャの怒声が響く。

余りと言えば、余りの言葉。

陽が落ちれば暗くなるのは当然と言えば当然なのだ。

 

「……俺やアンタにとってみれば、それは余りにも当然の結果だろうが、それを不思議に思う人間もいる」

 

「……どういうことですか……?」

 

怒鳴るリーシャを無視するようにカミュが続けた言葉は、サラにも理解出来なかった。常識という物を幼い頃から擦り込まれている二人には、全く理解出来ない言葉なのだ。

 

「……アンタ方は、夜の後に朝が来る事や、太陽がなくなれば夜が来て月が輝く事の理由を明確に説明できるのか?……俺には出来ない」

 

「「……」」

 

カミュがサラの疑問に答えるように、視線も向けずに話す言葉を聞いたリーシャもサラも、喉から言葉が出て来ない。確かに、『当然だ』『常識だ』と言う事は出来る。しかし、『何故?』と問われれば、その理由を明確には答える事が出来ないのだ。

 

「……あの男は、他の人間が『常識』として考える事を放棄した事を考えているのだろう。それに答えが出るのかどうかは解らない。そして、その答えが、『常識』という物に囚われている人間に対して通じるかどうかもな……」

 

「「……」」

 

もはや、リーシャもサラも言葉が出る事はなかった。カミュの言うとおり、夜が来る理由をリーシャやサラは鼻で笑うかもしれない。

 

「……例えば、メルエの魔法にしても同じだ。おそらく生涯を賭けても、俺やアンタには理解が出来ないだろう。『魔法が使えれば、杖に魔力を通す事は当然出来る』というように思っていた俺やアンタにはな……メルエは、俺達には見えない何かを掴んだのかもしれない……」

 

「…………メルエ…………?」

 

自分の名前が出た事に、不思議そうに首を傾げて見上げるメルエの頭を撫でながら、カミュは前にそびえ立つ<イシス城>を見上げた。

 

「……ただ……これから先は……俺達の常識など一切通用しない旅になるだろうな……」

 

「……カミュ……」

 

『これが本当に自分より年下の男が考える事なのか?』

リーシャはそう感じずにはいられなかった。カミュの生い立ちはリーシャも知っている。その生い立ちは決して平坦なものではない。彼は隠してはいたが、先程の男の様に『常識』を『常識』とは認めない人間だったのだろう。それは、この世界では異端。

 

メルエの頭を撫でながら城を見上げる青年をリーシャは複雑な想いで見ていた。サラもまた、リーシャとは違う複雑な想いを抱いている。サラが『常識』と考えていた物が、この旅で通用した事がない。その度に悩み、苦しむ。カミュが言うには、それこそが『当然』だというのだ。それがサラをまた悩ませていた。

 

 

 

町の門を出て、一度外へと一行は歩き出す。町の門から真っ直ぐ続く石畳の道が、目の前にそびえ立つ<イシス城>の城門へと伸びていた。カミュを先頭に、メルエ、サラ、リーシャといういつもの順序で一行は<イシス城>へと向かう。その間、誰一人口を開く事はなかった。いや、メルエだけは、にこにこと笑顔を浮かべながら、強い日光を浴びていた。

 

「ここは、<イシス城>だ。何用だ?」

 

「……アリアハンから参りましたカミュと申します。女王様への謁見をお許し頂きたく登城致しました。お取次ぎをお願い致します」

 

城門に辿り着くと、両脇に控える門兵が手に持つ槍を交差させ、カミュ達の進行方向を遮った。その門兵へカミュは目的を話し、懐に入れておいた<ロマリア>国王の書状を手渡す。カミュから手紙を受け取った門兵は、その書状の刻印が<ロマリア国>の物である事を確認し、城の中へと入って行った。暫くの間待った後、一行は奥へと通される事となる。

 

城の中で一行を待っていたのは一人の若い女官。威風堂々とはいかないが、それでもその女官は、この仕事に誇りを持っているような立ち振る舞いであった。女性が王位に就くこの国では、自然と女性の権力が高くなる。その中でも、宮廷で女王の傍に仕えるという事は、とても名誉な事なのであろう。それがカミュ達を先導する女官の身体から溢れていた。

 

「……貴方方も<ピラミッド>の探索のご依頼に来たのですね……」

 

そんな女官が振り返りもせず、口を開く。それは通常ではありえない。いくら女性上位の国とはいえ、引率する者が客人の内情を探る事が失礼な行為である事は、万国共通な物だからだ。

 

「……はい……」

 

「……何と無謀な……今や魔物すら住処とする場所……幾人もの墓荒らしを飲み込み、そしてイシス王家の尊い方々が眠る場所へ……」

 

カミュの返答を嘆かわしげに溜息を吐く女官は、その足を緩める事なく、顔だけを俯かせる。リーシャもサラも、その女官の言葉が胸に刺さった。<魔法のカギ>という物を求めてとはいえ、他人の安らかな永久なる眠りを妨げる行為である事は否めない。それは本当に『人』として正しい行為なのか。それが、サラには解らない。

 

「……気をつけなさい……王家の力はとても強い。<ピラミッド>には魔法の使えない場所があると云われている……」

 

「……魔法が……?」

 

『魔法が使えない』という言葉にメルエの肩が震える。そんなメルエの肩に手を置きながらリーシャが口を開いた。魔法の有無は、正直このパーティーの死活問題に係わってくるのだ。しかし、リーシャの疑問に女官が答えるよりも前に、一行は女王のいる謁見の間への扉を開いていた。

 

 

 

そこは謁見の間というには、余りにも広く開けた広間。周囲は開け放たれ、砂漠の中にある城にも拘わらず、オアシスの傍に立つ事から心地よい風が謁見の間へと入って来ていた。

 

「女王様、<アリアハン>のカミュなる者をお連れ致しました。」

 

カミュ達を先導していた女官は、前方に一礼した後に脇へと身を引いて行く。

必然的に前方への視界が開けたカミュ達の目に玉座が映り込んだ。

 

「……そなた達が、ロマリア国王が言っていた『勇者』か……?」

 

視界の先にある玉座に座る女性がこの<イシス>を治める女王。その姿は、ここへ来る前に会った老人が言っていたようにカミュとそう変わらない程の若さ。そして、何と言っても、その美しさは、もはや神格のレベルに達しているのではと思わずにはいられない程のものだった。サラとリーシャは無礼と知りながらも、その視線を玉座に座る女王から外す事が出来ない。それ程の美貌であったのだ。

 

カミュ程ではないが、黒くしなやかな髪は綺麗に切り揃えられ、肩に付くか付かないかという所で同じ長さに揃っている。前髪も眉の所までで切り揃えられており、その黒い髪を引き立たせるように金のサークレットの様な冠をかぶっていた。瞳は切れ長ではあるが、リーシャとは違い、吊り上がってはいない。唇は薄く、口は小さい。鼻は高すぎず、低すぎず。一つ一つのパーツであれば、リーシャもサラも引けを取らないが、それら全てが集まった時の完成度が余りにも違ったのだ。

 

「……『勇者』と呼ばれるような事は、まだ何も成してはおりません……」

 

女王の姿に唖然としてしまっているリーシャとサラを余所に、仮面を被ったカミュが、玉座の前に跪く。カミュの行動を見ていたメルエもまた、カミュの一歩後ろで跪き頭を下げた。

 

「……そなたは、あの『オルテガ』殿の息子とか?……同様に魔王討伐という旅をしていると聞くが、相違はないか?」

 

「はっ!?『魔王討伐』などいらぬ事を……他の国は知らぬが、我が<イシス>は魔王等、恐れるに足らず。女王様のお美しさに、魔王すらもひれ伏すというものを!」

 

頭を下げるカミュへ再び声をかけた女王の言葉を聞いた直後に、ようやくリーシャとサラは、この謁見の間に女王以外の人物がいる事を理解した。それは、女王が座る玉座のすぐ横に立つ老婆。若く美しい女官達が立ち並ぶこの謁見の間において、異彩を放つ人物。おそらくこの女性が、玉座に座る女王の祖母に当たる人物なのだろう。その権勢は相当な物である事が、一目で理解できる。一国の王の言葉を遮って話す姿は、その老婆の権力を物語っていた。

 

「……アリアハン国王様からは、『魔王討伐』の命を受けております……」

 

「それは、そなたの意志か?……それとも『オルテガ』の呪いか?」

 

「「「!!!!」」」」

 

カミュの発言に被せるように発した女王の言葉に、メルエ以外の一行は全員息を飲んだ。それは、一国の王としてはとんでもない爆弾発言。とある国が『英雄』と崇める者を侮辱する言葉であり、その国が『勇者』として送り出した者を疑う言葉。

 

何よりも『呪い』という言葉が指し示す意味をリーシャとサラは量りかねていた。だが唯一人、カミュだけは違う。どの国にいても、謁見の間で顔を上げた事のない青年が、イシス女王を真っ直ぐと見つめていたのだ。

 

「……女王様のお言葉の意味が、私の様な者には……」

 

珍しく言葉を濁すカミュの胸の内の動揺をリーシャは見る事となる。

この旅で、誰一人、カミュの本質を突いた者はいなかった。

それにも拘らず、初対面の人間の最初の発言がそれであったのだ。

 

「……解らぬと申すか?……そなたはこの世の『人』を救う為とはいえ、自らの命を犠牲にする事に対して何も感じてはおらぬのか?」

 

「……」

 

故意的に言葉を濁し、会話を打ち切ろうとするカミュの目論見は脆くも崩れ去る。女王は敢えて理解していないふりをするカミュへ追い打ちの様な言葉を繋げた。それに対し、カミュには沈黙で答えるしか方法は残されていなかったのだ。

 

「……そなたは自殺志願者か?……それとも只の戦闘好きなのか?……魔物を打ち倒す自分に酔っておるのか?」

 

「……」

 

「……そなたは……そなたは……自分の意志で生きたいとは思わぬのか?」

 

最後の女王の言葉は、どこか切実な想いが籠っていた。この女王は、先日カミュ達が会った老人の言うように、非常に聡明で、非常に優秀な人間なのであろう。カミュの物言い、カミュの瞳を見て、その内情を正確に把握していた。

 

「……私は、そういう存在ですので……」

 

暫しの沈黙の後、口を開き絞り出すように紡いだ言葉は、リーシャもサラも聞いた事のある、あの哀しい言葉だった。その言葉にリーシャの顔が歪む。カーペットを睨みつけ、悔しそうに歪めるその表情の内にどんな想いがあるのか、それはリーシャにしか解らない。いや、リーシャにも解らないのかもしれない。

 

「……そなたも……私と同じなのですね……」

 

「さ、さあ!女王様はお疲れです!そなた達は<ピラミッド>探索を願い出ていましたね。許可します。本日の謁見はここまで!さあ、女王様、こちらへ……」

 

カミュの言葉に反応した女王の言葉は、呟くように小さい。

その声が聞きとれたのは、横にいる老婆とカミュだけであった。

 

呟くような言葉を発した後、押し黙ってしまった女王に対し、傍の老婆は慌てたような声を上げ、一方的に謁見を打ち切る。カミュ達に<ピラミッド>の探索の許可を与えた後、女王を伴って早々に謁見の間の奥にある扉を開け、中へと入って行ってしまった。

 

 

 

「……カミュ……行こう……」

 

女王が退室された事で発言が可能になったリーシャが、未だに跪いているカミュへと声をかける。その空気はとても重苦しい。サラはこのような空気を今まで味わった事がなかった。どれ程偉い国王や、エルフの女王の前にいても、サラにこのような空気が及ぶ事はなかったのだ。ここで初めてサラは気付く事になる。

 

どんな時も、どの場所でも、自分達の前にカミュが立っていた。他国の国王や、他種族の女王からのプレッシャー。そして、険悪な態度を取る兵士や、『勇者』一行として見る老人からの容赦のない言葉や罵声。そういった物から、自分達はカミュによって護られて来たのだという事に。サラよりも年下のこの青年が前に立つだけで、パーティーに及ぶ空気は、まるで濾紙を通ったように澄んでいたのだ。

 

「…………カミュ…………」

 

「……ああ、行こう……」

 

しかし、今メルエの呼びかけに、ようやく女王がいなくなった事に気が付いたかの様な素振りを見せるカミュに、後ろの人間を護る余裕はなかった。カミュ自体が放つ空気が既に重いものであったのだ。

 

「……<ピラミッド>へ向かうのならば、子供らが謡う童歌を聞いて行きなさい。私には全く理解できないが、<ピラミッド>の謎を解く鍵が隠されていると云われている」

 

玉座に背を向け歩き出した一行に、先程カミュ達を先導してくれた女官が口を開いた。もはや、謁見の間にはカミュ達とこの女官しかいない。しかし、例え誰も聞いていないといえども、<イシス>の中枢となる女王の傍に仕える女官が、その王家の先祖が眠る墓の謎を他国からの旅人に教える事自体がサラには不思議に思えて仕方がなかった。

 

それはカミュも同じであったのだろう。

明らかな疑惑の目を、この若い女官に向けている。

 

「……訝しがるのも解る……私は幼い頃に、そなたの父『オルテガ』殿に命を救われているのだ」

 

「「「!!!」」」

 

暫し、カミュと睨み合っていた女官であったが、ふっと息を洩らした後、その経緯を話し始めた。再び出て来た『オルテガ』の名に、カミュの顔が歪んだ。

 

「幼い頃、家族で砂漠を歩いていた私は、周辺に住む魔物に襲われた。戦う術のない私達は逃げる事しか出来なかったが、魔物に回り込まれてしまい、どうする事も出来なくなった時に『オルテガ』殿に救われた。父はその前に死んだがな……」

 

女官が話す内容は、この時代にはよくある出来事。家族で商売の為か、移住の為かは解らないが、この<イシス>に向けて歩いていたのだろう。そこで魔物と遭遇した。カミュ達であっても、<イシス>に到着するまでに相当の数の魔物と遭遇していたのだ。おそらく、この女官の父親は、妻と娘を逃がす為に単身で魔物に戦いを挑み、命を落としたのであろう。そして、その後逃げようとする二人の前に、『オルテガ』が現れたというのだ。

 

「……息子であるそなたに恩を返すのは筋が違うかもしれぬが、返す相手亡き今、これぐらいしか私には出来ぬ」

 

そう言って、呆然とする一行を置き去りに、女官は謁見の間を出て行った。リーシャもサラもすぐには動けない。彼女達にとって、『オルテガ』という存在は、女官の話通りの人物であるのだが、これまでのカミュの言動、そして、先程この謁見の間を支配した重苦しい雰囲気の原因となった女王の言葉が二人の心を縛りつけ、思考を停止させていたのだ。

 

 

 

その後、謁見の間の横にある部屋にいた二人の子供に、童歌を謡ってもらい、サラがその歌詞を書き留めてから、一行は<イシス>の城を出た。いつもより重苦しいパーティーの雰囲気に、メルエは頻りに首を傾げている。カミュを見て、その表情がいつもと変わらないものの何かが違う事に首を傾げ、サラを見ては、その眉間に皺が寄っている事にまた首を傾げる。

 

「……メルエ、おいで……」

 

そんなメルエの姿にリーシャが声をかけた。首を傾げていたメルエは、リーシャの呼びかけに振り向き、その手を握るためにリーシャへと駆け寄って行く。一行はそれぞれの胸に、それぞれの想いを抱え、太古からイシス王家が眠る壮大な建造物へと向かう為、北へと歩を進めて行った。

 

 

 




読んで頂きありがとうございました。

イシス女王登場です。
皆様の中のイシス女王のイメージはどのような物でしょうか?
ここから、久慈川式のイシスが始まります。
ご期待に応える事が出来るか解りませんが、楽しんで頂ければ幸いです。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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