「おい、カミュ! 何故、<ノアニール>に戻る必要があったんだ!?」
ノアニールに戻った一行は村の様子に若干の驚きを覚える。それは、カミュ達が出て行った時と比べると、村人の表情の輝きが失われているように感じたからだ。
これが、カミュが恐れていた事。
おそらく、カミュ達が出て行ってすぐに、ロマリア王国はこのノアニールに足を踏み入れたのだろう。
「……」
「おい!? 聞いているのか?」
カミュは周囲の変貌を気にも留めず、リーシャの問いにも答える事もなく、ある一点に向かって迷いなく歩を進める。その姿に、リーシャは先程より、大きな声を上げた。
メルエも<ノアニール>に着いてから、リーシャに手を引かれるように村の中を歩いている。<アッサラーム>というメルエにとって嫌な思い出しかない町を出たからだろうか、メルエの表情は晴れやかだった。
そのメルエと共に笑い合うサラ。
無表情に歩く男に、その男に向かった怒鳴る女性、そしてその横を笑いながら歩く少女達。
村の人間から見れば、異様な一行に映った事だろう。
「……ここは……」
結局、カミュはリーシャの問いに答えることなく、目的地へと辿り着いた。
そこは、ノアニールを出る際に買い物をした武器屋。
「お! いらっしゃい。あれ?……アンタ達は……また来てくれたのか?」
「……<みかわしの服>をくれ……」
カミュ達の顔を覚えていた店主は、その笑顔を営業の物から、自然な物へと切り替える。そんな店主に向かって発したカミュの言葉に、リーシャとサラは首を傾げた。
「ん?……それは良いが……なんだ? 破れちまったのか?」
「……いや、今回は、その人間と俺の分を頼む……」
てっきり、メルエかサラの分の服が破れてしまったのかと思った店主の言葉を否定し、カミュはリーシャを指差す。
「おい! カミュ、説明しろ!? 私はいらんぞ。この<鉄の鎧>がある」
「……アンタは本当に馬鹿なのだな……」
自分の分の<みかわしの服>を買うと宣言するカミュに、リーシャは反論をするが、胸を張って答えるリーシャを心底馬鹿にしたような溜息をカミュは吐いた。
「なんだと!? メルエも、もうその種はいい!」
カミュの物言いに頭に血が上ったリーシャは、カミュの言葉に自分のポシェットを探ろうとするメルエに大きな声を上げた。
びくっと身体を震わせたメルエは、サラの後ろに隠れてしまう。
「……アンタは、その装備で砂漠を渡る気なのか?」
「いけないのか?」
「あっ!?」
カミュの本気の溜息に、リーシャは少し戸惑いながらも、先程より萎んでしまった声量で声を出す。それは、まるで悪い事をしてしまった子供が、その事を問うような物だった。
しかし、リーシャの横で、メルエを庇いながら事の成り行きを見ていたサラは、カミュが何を言おうとしているのかに気が付く。
「……アンタがそれで良いのなら、もう何も言わないが……そのまま砂漠に入れば、アンタ、死ぬぞ?」
「なに!?」
「リ、リーシャさん……砂漠には、日差しを避ける場所がありません。常に直接日光に当たり続けている為、異常な熱を持ちます。カミュ様の言うとおり、<鉄の鎧>などを着たまま砂漠に入るのは、自殺行為に近いかと思います」
カミュの中途半端な説明をサラが補足する。その内容に、リーシャは驚いた表情を浮かべた。
その驚きの大半が、<鉄の鎧>を着ている事で生じる問題よりも、カミュが自分を心配し、その装備を変えようと思った事に対してだったのだが。
サラの言う通り、砂漠は一面砂の場所。基本的に、木が生えている場所もなければ、水が湧き出している場所もない。
そんな中を延々と歩かなくてはならない上、炎天下の中で歩くのであれば、気温は異常なまでに跳ね上がる。そして、日差しを遮る物がない以上、陽が落ちるまで延々と直射日光をその身に受け続ける事になるのだ。
着ている物には熱が溜まり、汗となった水分塩分は身体から抜け落ちる。もし、<鉄の鎧>などを着ていれば、汗によって錆びがつくだろうし、その熱により肌を焼いてしまう可能性もある。
「……そうか……」
「……理解したなら、さっさと寸法を合わせてくれ」
カミュの言葉ではなく、サラの言葉で納得したリーシャは、自分の考えが至らなかった事に肩を落とし、追い打ちをかけるカミュを睨みつける。
カミュと、リーシャの寸法合わせが終わり、後は待つだけとなる中、メルエは『ぼうっ』と店から見える人の営みを眺めていた。その先に目をやると、メルエと大差ない程の歳の子供達が駆け回っている。
そんなメルエの視線の先に気が付いたサラが、その心を痛めた。
自分も感じた事のある孤独感。
サラも親無しの孤児であった事から、アリアハンの子供の輪には入れなかった。たまに人数合わせで入れて貰えたとしても、話しかけられもしない。
それは、小さな子供の心には辛い経験である。
「……メルエ……メルエは、歌を知っていますか?」
「…………???…………」
サラは、メルエの過去を知っているため、メルエが劇場で下働きをしていた事を思い出し、劇場で流れる歌などを知っているのかを聞いたのだ。
不意に自分に掛けられた声に、慌てたように振りかえったメルエは、サラの言葉に小首を傾げた。
「私は、小さな頃、たくさん歌を謡っていました。私もいつも一人でしたから……」
「…………う………た…………?」
「はい! これでも、神父様に褒められるぐらいには上手に謡えるのですよ」
少し自嘲気味に笑うサラにメルエの首が更に曲がる。そんなメルエの姿に笑みを柔らかくしながら、多少誇張気味に話すサラは、<ノアニール>に明るい光を降り注ぐ太陽の様に暖かかった。
不思議そうに見上げるメルエと視線を合わせたサラは、その口を開き、謡い始める。
それは、教会の人間なら誰でも知っている歌。礼拝の時に僧侶達が謡う歌だった。
「…………」
突然謡い始めたサラにメルエは目を丸くするが、その声の美しさに、瞳が輝き始める。
サラの声は美しかった。
それこそ、メルエの沈んだ心を再び浮き上がらせる程に。
「ど、どうでしたか?」
「…………サラ………すごい…………」
「そ、そうですか? ありがとうございます」
謡い終わったサラが、少し恥ずかしそうにメルエへ視線を向けると、明らかにメルエのサラへの視線が変わっていた。
それは、リーシャが<鉄の斧>をサラに向けた時に見た物と同じもの。
「…………メルエ………も…………」
「えっ!? あっ、は、はい! メルエも勿論謡えますよ! 今度一緒に謡いましょう。私も数多く知っている訳ではありませんが、私の知っている歌をメルエにも教えてあげます!」
「…………ん…………」
サラの言葉に笑顔で頷いたメルエの表情を、そんな二人の後ろから、カミュとリーシャは見つめていた。
サラの意外な才能に驚いた二人であったが、サラとメルエの交流にそんな驚きも忘れ、心に暖かな風が吹いて行く。
「できたぞ。着て見てくれ」
そんな中、ようやく、カミュとリーシャの<みかわしの服>が出来上がる。カミュとリーシャが試着室へと向かい、その間もメルエとサラは、鼻歌のように笑顔で歌を口ずさんでいた。
「なんだこれは!!」
「ぶっ!」
試着を終えたカミュが試着室から出てきた後、遅れて出て来たリーシャはかなりの大声を店主にぶつける。その声に反応し、慌てて視線を向けたサラは、謡う為に吸い込んでいた息を盛大に吹き出してしまった。
隣のメルエの目も大きく見開かれている。カミュに関しては、呆れたような溜息を吐くばかりだ。
「な、なにか不都合があったかい?」
「『何かあったか?』ではない!」
店主はリーシャがこれ程怒りを露わにする理由が分からず、その理由を聞くが、カミュ達三人はその理由がはっきりと分かった。
「何故、私のはスカート状になっているのだ!?」
「えっ!?」
そうなのだ。リーシャが着ている<みかわしの服>はメルエが着ている物や、サラが着ている物と同じように、スカート状になっている。それも、サラは長いスカート状になっているが、背の高いリーシャの物は短い丈になってしまっていた。
「ぷっ、くくくっ……」
「……サラ……何がおかしいんだ?」
リーシャの女性らしい姿など、エプロン姿しか見た事のないサラは、その意外性がつぼに入り、笑いを堪え切れなかった。
その笑い声を聞き逃す事のなかったリーシャがゆっくりとサラに振り返る。リーシャの表情に、あれ程堪える事が困難であった笑いも、サラの腹に引っ込んだ。
笑いを止めたサラから再び視線を店主へと移したリーシャに店主の顔も青くなって行く。
「……悪いが、店主。これは女性ではあるが、騎士だ。俺の様に動き易いように仕立て直してくれるか?」
「えっ!? ああ、そうなのか?……鎧を着ていたから、そうなのかと思ったが、寸法を取ったのは家内なもんでな……すまないが、もう一度仕立てなおすよ」
いきり立つリーシャの口が開くよりも早くにカミュが店主へと声をかける。目の前に迫った脅威から救い出してくれる声に縋り付くように、店主は慌てて奥へ引っ込んで行った。
「まっ、待て! 私はまだ脱いでいないぞ!」
奥へ引っ込もうとする店主を追いかけるリーシャ。
その姿は、滑稽以外何物でもない。
「…………ふふ…………」
そのリーシャの姿に真っ先に反応したのは、メルエ。
声を出して笑う事など今まで皆無に等しかった少女が笑った。
カミュはメルエの姿に目を細めるが、サラの最後の紐は切れてしまった。
「ふっ、ふふふ……ふふ……あはは……ふふ……あははは……」
我慢していた笑いは、もう止まらない。
メルエと笑顔を見比べながら、サラは笑い続ける。
メルエの顔に笑顔が戻った事への喜びに。そして、メルエに笑顔を戻したリーシャの姿に。
それは、奥まで響いており、仕立て終えたリーシャが戻って来た時に、報いを受ける事にはなるのだが。
一行は、<ルーラ>で<アッサラーム>へ戻り、カミュとサラがもう一度町に入って旅支度を整え始めた。
町の人間に話を聞き、砂漠の旅に必要な物資を買って行く。必需品である水や食料。特に水は多めに購入した。
また、昼は差すような日差しが降り注ぐが、陽が落ちると凍えるような寒さへと気温を落とすという事から、数枚の毛布も購入する。
町に入りたがらないメルエは、町から無事カミュとサラが戻って来た事に安堵の表情を浮かべ、花咲くような笑顔で二人に向かって行った。
メルエの表情を見たサラは、そのメルエの心に表情を曇らせるが、すぐに笑顔を浮かべ、メルエを迎え入れる。
メルエという楔で、このパーティーが繋がり始めていた。
砂漠へと入って、数刻。
雲一つない空からは、容赦ない日差しが降り注ぎ、一行の身体から水分という要素を根こそぎ奪って行く。
「…………お水…………」
「だ、駄目ですよ……先程飲んだばかりじゃないですか……」
カミュとリーシャに挟まれながら歩くメルエは、手を握るサラに向かって喉の渇きを訴えるが、休憩も碌に取れない中、先程メルエに水を飲ませたばかりである為、サラが窘める。
そのサラも、直射日光の影響を否定出来ない状況にあった。
<アッサラーム>で購入した水は、移動するのに邪魔にならない程度であるが、通常よりもかなり多めに準備してはいた。
しかし、予想以上の気温の上昇の為、その減る速度もまた、通常の倍以上であったのだ。
その為、幼いメルエや体力の乏しいサラに優先的に水を回して行く事となり、必然的に、カミュとリーシャは水を口にする事が少なくなって行く。
「……メルエ……カミュ様もリーシャさんも、メルエの為に水を口にしていないのですよ。あまり我儘を言ってはいけません……」
「…………ん…………」
サラの忠告に、眉を下げながらも神妙に頷くメルエの姿に、サラは疲れた表情を見せながらも笑顔を浮かべた。
「……メルエに関しては、飲みたい時に飲ませてやれ……」
「またそのような事を!……カミュ様は、メルエに甘すぎます……喉が乾くのは皆同じです」
サラとメルエのやり取りに振り返ったカミュの言葉は、サラにとって聞き捨てならないものだった。
サラにしてみれば、カミュはメルエを甘やかし過ぎなのだ。
例え子供といえど、我慢する時は我慢させなければならない。それが、故意的に食事や水分を与えないという虐待でない限り、サラはメルエの躾だと思っていた。
「…………おに…………」
「だ、だから、私は鬼ではありません! メルエの為を思って言っているのですよ!」
「サラ……そんなに興奮すると、体力がすぐに無くなるぞ……私やカミュの事は余り気にするな……水分を取れない状況には慣れているとは言わないが、経験があるからな」
ぼそりと呟くメルエの言葉に過敏に反応するサラ。
そんなサラに、今度は後ろから声がかかる。リーシャは、<アッサラーム>で購入した布を頭に乗せて歩いていた。
カミュやリーシャは、サラやメルエと違い、その頭に帽子を被ってはいない。故に、二人とも布を頭に乗せてこの砂漠に入ったのだ。
「……皆さんはメルエに甘すぎます……それではメルエは我儘な大人になってしまいますよ」
「…………だいじょうぶ………サラ………いる…………」
リーシャの言葉にも納得のいかないサラは、流れ落ちる汗を見ながら一人呟くが、その呟きはサラの手を握るメルエにしっかりと届いていた。
自分の名が出た事に不満を見せず、『自分の行く末には、カミュとリーシャ、そしてサラがいるのだ』という事を信じて疑わないメルエに、サラは汗とは違う水分が流れ落ちそうになる。
その後、陽が高くなり、体力も衰えて行く一行の前に容赦なく魔物が現れる。
<キャットフライ>に<バリィドドッグ>。
以前に相対した魔物達ばかりであったが、その中に<暴れザル>がいない事に、サラは内心安堵していた。
『もし、今の状況で<暴れザル>を相手にしなければならないとなると、正直全滅も覚悟しなければいけないかもしれない』
サラはそうまで考えていた。
周囲は見渡す限り『砂』。
砂漠である為、当たり前の事ではあるが、身体からの水分と共に歩く気力すらも奪って行くような景色に一行は辟易し始めていた。
サラには、右も左も分からず、ましてやどちらが北でどちらが南なのかも分からない。
自分がどこを歩いて、どこへ向かっているのかも分からない中、ただ前を行くカミュの背中を追って足を動かしているだけなのだ。
「…………サラ…………」
「ん? どしたのですか?」
そんな中、不意にサラの手を握るメルエが口を開いた。見上げるように、サラを見つめながら声をかけたメルエの表情に浮かぶ物は『困惑』。
それが何を意味しているのかが分からないサラは、首を傾げるしかなかった。
「…………あれ…………」
「えっ!? どれですか……あれ?……何か砂から出ていますね?」
メルエが指し示す方角に目を向けると、今までと同じような何もない砂が広がっていたが、その一点の場所に、不思議な物が見えた。
まるで砂の中から飛び出すように何かが出ているのだ。
「……何でしょうね?」
「…………メルエも…………」
それが気になってしまったサラは、その場所へと歩を進める。
真っ先に気が付いたメルエもまた、サラの後を追って隊列を外れてしまった。
近付いて行くと、その飛び出していた物が徐々に見えて来る。それは長細い管の様な物の先に、丸い何かが付いていた。
「……う~ん……なんでしょう? えっ!? きゃぁぁぁぁ!!」
「!!」
すぐ傍まで近寄った時、その細い管が動き出した。
管の先についていた丸い物が開き、見えたのは『眼球』。
突如ぎょろりと開かれた瞳に、サラは叫び声を上げる。
サラの後ろについていたメルエもまた、サラの叫び声に驚き言葉を失ったが、次の瞬間には、サラは跳ね飛ばされ、自分も宙に舞っていた。
出て来たものは『かに』。
<カザーブ>の村周辺で見かけたような巨大なハサミを持つ『かに』であった。
サラは文字通り、この『かに』が砂の中から飛び出して来る勢いで跳ね飛ばされていたが、宙に舞ったメルエは違う理由であった。
サラとメルエが隊列を崩し、違う方向に向かっている事に後方を歩くリーシャはいち早く気付いていた。前を行くカミュを止め、サラ達の後方からその様子を窺っていたのだ。
そして、サラが魔物に弾き飛ばされると同時に、メルエに駆け寄り、その身体を抱き上げて飛び退いたのはリーシャだったのである。
「勝手に隊列を離れてはダメだろ!」
「…………ごめん………なさい…………」
リーシャから叱責を受けたメルエは、そのリーシャの腕の中で小さくなって行く。
サラは甘い甘いと言ってはいるが、リーシャとて何もかもを許している訳ではない。叱る時には叱り、優しく包む時にはそれ以上ない程の愛情を注いでいるだけ。
しかし、サラに言わせれば、『何故メルエは助け出したのに、自分は魔物に跳ね飛ばされたのか!?』と抗議するかもしれないが、それは自業自得というものだろう。
「カミュ! 魔物だ!」
「……アンタ達は、魔物を見つけると近寄らなければ気が済まないのか?」
リーシャの叫びに、溜息を洩らしながらカミュは背中の剣を抜いた。
相手は明らかに堅い甲羅に覆われている魔物である。サラの補助魔法がなければ、実際の戦いでも苦戦する事が必至なのにも拘わらず、弾き飛ばされたサラは砂の上で気を失っていた。
<地獄のハサミ>
カザーブ周辺に生息する<軍隊がに>の上位種に当たる魔物。山の中などに生息する<軍隊がに>とは違い、砂漠地方の砂の中で生息する。直射日光の強い砂漠において、砂の中に身を隠す事によってその身を護り、砂漠を通る人間や動物を砂の上に出した目玉で確認し捕獲する魔物である。その強力なハサミは<軍隊がに>以上の物で、一度そのハサミで挟まれると、その身を抜く事は不可能であると云われており、万力の様に締め上げ、挟んだ物を文字通り『ぶった斬る』のだ。その行為から、このイシス地方では<地獄のハサミ>という名で呼ばれるようになった。
その<地獄のハサミ>が二体。今や、その体躯の全貌を砂の上に晒している。
カミュは抜いた剣を持ち、魔物へと突進した。
ただ斬るだけであれば、その甲羅にヒビも入れる事は出来ないだろう。故に、カミュは剣を寝かせ、そのまま突き刺すように突っ込んでいった。
「くっ!」
しかし、予想に反し、乾いた音を立ててカミュの剣が止まる。甲羅に突き刺さった剣は、その刀身の先が甲羅に刺さっただけであった。
カミュの突進力と貫通力を持ってしてもそれまで。
反撃のハサミを警戒し、カミュが素早く剣先を引き抜き、後ろに跳ぼうとするが、意外にも<地獄のハサミ>の反応は早かった。
「くそっ!」
カミュが飛び退くタイミングに合わせて出された<地獄のハサミ>のハサミは、カミュの横っ腹を殴りつけた。
踏鞴を踏むように一瞬よろけたカミュであったが、剣をもう一度構え直す。
「メラ」
尚も攻撃を加えようとする<地獄のハサミ>に対して、カミュの指が上がり、火球の呪文の詠唱を完成させた。
火球は見事に魔物の顔面を唱えるが、それは<地獄のハサミ>からすれば、少し注意が逸らされた程度の物。むしろ、それによって怒りを露わにする<地獄のハサミ>の攻撃は、加熱して行く筈だった。
ただ、カミュ以上の攻撃力と破壊力を持つ者にとってすれば、その隙が出来れば十分だったのだ。
「カミュ! どいていろ!」
カミュの蔭から現れたのは、<アッサラーム>で購入した一振りの斧を高々と掲げたリーシャ。サラが『魔王』とまで称した強者である。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
ひらりと道を空けたカミュの横を駆け抜け、<地獄のハサミ>の両腕の間も抜けたリーシャは、その手に持つ斧を力任せに振り下ろした。
「ギャオォォォォォォォォ!!」
リーシャの腕から渾身の力を込めて振り下ろされた<鉄の斧>は、<地獄のハサミ>の飛び出した目玉と目玉の間に深々と突き刺さる。いや、それは突き刺さるというものではなく、『粉砕』と言った方が正しいのかもしれない。
事実、<鉄の斧>が突き刺さった部分を中心に、<地獄のハサミ>の甲羅はヒビが入り、粉々に砕かれていた。
一度大きく両腕についたハサミを高々と掲げ、一体の<地獄のハサミ>は絶命する。
まさに『会心の一撃』。
リーシャは、新しく自分の武器となった<鉄の斧>で、<地獄のハサミ>を一撃の下に倒してしまったのである。
その光景に、カミュは勿論の事、メルエまでもが後方で目を丸くしていた。
「クギャァァァァァ!!」
それは、もう一体の<地獄のハサミ>にとっても同様であった。
共に人間と相対していた仲間が、一瞬で死に追いやられたのだ。
パニックの為なのか、残った<地獄のハサミ>は奇声を発する。
「くっ! 何か魔法を行使したのか!?」
「…………スクルト…………?」
奇声を上げたと同時に、<地獄のハサミ>の身体は淡い光に包まれる。その光景に、リーシャが魔法の行使を示唆するが、その答えは意外な方向から届いた。
「……スクルトか……もう、俺やアンタの攻撃は受け付けないかもしれない……」
「何!? ど、どうするのだ!?」
メルエが魔物を包む光を見て、その魔法の名を口にした。
それが間違いではない事を確認したカミュが、リーシャに不用意に近づかないよう警告するが、リーシャは他の対応が思い浮かばない。
「……あの僧侶の<ルカニ>があれば良いが……それがないとなれば……」
現状では、サラは気を失ったまま。
敵の防御力を低下させる補助魔法は、この中では『僧侶』であるサラにしか行使出来ない。故に、<スクルト>によって上げられた防御力を低下させ、再びカミュ達が斬りつけるという戦闘方法は使えないのだ。
となれば、相手の防御力など無視する程の力によって強引に突破する他ない。それを行使出来る者は、この四人の中で唯一人。
「…………メルエ…………」
「……ああ。メルエ、やれるか?」
カミュの言葉を最後まで言わさずに、手に持つ<魔道師の杖>を掲げたメルエは、カミュの問いかけに大きく頷いた。
横で見ていたリーシャも心配そうにメルエを見るが、メルエの自信を取り戻した表情にその勇姿を見守る事にする。
「…………ヒャド…………」
「ギャ!?」
まるで、<スクルト>によって自分の絶対防御を誇っているように掲げていた<地獄のハサミ>の片方の腕が、メルエの持つ杖の先から発せられた冷気によって凍りつく。
何が起こったのか解らないような瞳を自分のハサミへ向けた<地獄のハサミ>をリーシャの斧が一閃した。
「ギャオォォォォォォ!!」
凍り付いたハサミはリーシャの一線で根元から砕け散るように斬り飛ばされた。
いくら防御力を上げていようが、凍り付いた物は皆同じとなるのだ。
痛みと怒りに燃えた<地獄のハサミ>の腕は、斧を構え直したリーシャへと振り抜かれるが、そのハサミも、もう一人の人間によって阻まれる。
手に持つ<鋼鉄の剣>を振り下し、弾かれると解っていてもハサミの軌道を変えたのはカミュだった。
カミュの剣で弾かれたハサミが砂に突き刺さる。それを抜こうと躍起になっている<地獄のハサミ>の周囲には、既にカミュもリーシャもいなかった。
そこにあったのは、圧縮された空気だけ。
「…………イオ…………」
呟くような詠唱と共に、<地獄のハサミ>の目の前にある圧縮された空気の塊が弾け飛ぶ。
周辺が色を失ったかのように白く染まり、凄まじい轟音と共に全てを弾き飛ばした。
<地獄のハサミ>が見た、この世で最後の景色は真っ白で何もない世界であった。
「お、おい、カミュ……メルエの魔法は以前よりも威力が上がっているのか?」
「……ああ……そのようだな……」
<暴れザル>と対した時の<ベギラマ>の威力を知らないリーシャは、メルエの魔法の威力に驚き、カミュへと問いかける。
その時、カミュが浮かべた表情は、リーシャの胸に残る事となる。
『驚きと哀しみと後悔が入り混じったような表情』
後にリーシャは、その時のカミュの表情をこう表現していた。
「…………ん…………」
「あ、ああ……凄いなメルエ。本当に、しっかりと杖から魔法が使えるのだな」
<とんがり帽子>を脱ぎ、頭を差し出してくるメルエ。
手に持つ<魔道師の杖>を購入してから遠ざかっていた褒め言葉と、その報酬である頭を撫でてもらう事をメルエは切望していたのだ。
そんなメルエの様子に苦笑を浮かべながら、リーシャはメルエの頭に手を乗せ、優しくその髪を撫でてやる。気持ち良さそうに目を細めながらも、リーシャの言葉に誇らしげに頷くメルエ。それは、メルエ流の自己の存在を主張する方法なのかもしれない。
魔物がいた場所には、もはや何もない。
唯一、魔物が存在していたと感じられる物は、弾け飛んだハサミと周囲を満たす焦げくさい臭い。そして、散らばった甲羅の一部であろう。
「……しかし……あの僧侶は何とかならないのか?」
「あっ! そ、そう言えば、サラは大丈夫なのか?」
メルエを撫でるリーシャを余所に、カミュは後方で未だに意識を取り戻さず、砂の上に寝転がっているサラに視線を向け溜息を洩らす。
リーシャは、カミュの言葉を聞き、ようやくサラの存在を思い出し、慌ててサラの下へと駆け寄って行った。
「……」
「サ、サラも疲れていたんだろう……許してやれ……」
サラの下に辿り着いたカミュは盛大な溜息を吐く。
そんなカミュに場違いの様な弁明を繰り出すリーシャ。
そして、何事かも分からずに首を傾げるメルエ。
サラは眠っていたのだ。
初めは間違いなく、弾き飛ばされた衝撃で気を失っていたのだろうが、途中から幸せな夢でも見ているのだろうか、笑顔を浮かべながら眠りこけていたのだった。
「…………サラ………ねてる…………?」
「い、いや、メルエ。あの魔物が、眠りにつく魔法でも唱えたのではないか?」
「……とても<ラリホー>を唱えたようには見えないがな……」
サラの表情を見たメルエがぼそりと呟いた言葉に、リーシャがサラの弁護のために慌てて理由を作り出すが、それもカミュにばっさりと斬り捨てられた。
カミュの容赦のない言葉に言葉が詰まってしまったリーシャは、カミュに対して強い視線を向ける。まるで『余計な事を言うな!』とでも言いたげに。
「……どうでも良いが、さっさと起こしてくれ……このままだと、陽が落ちるぞ」
カミュの言葉通り、既に太陽はてっぺんを過ぎている。買い物などを済ませてから歩き出した一行は、正直砂漠に入るには時間が遅すぎたのだ。
陽が落ちれば、砂漠の気温は氷点下になる事もある。とてもではないが、毛布一枚でやり過ごせるものではない。
しかも、砂のど真ん中で毛布一枚を敷き、寝転がる訳にもいかないのが現状である。
「どうするつもりなんだ、カミュ?……私が言うのも何なのだが、とてもではないが、陽が落ちる前に<イシス>の城に辿り着けるとは思えないが?」
「……今は西ではなく南に進んでいる。当初から、今日中に<イシス城>に着く気はない」
サラを揺さぶりながらもカミュにこの後の進路について尋ねるリーシャに驚きの回答が返って来た。
サラを起こす作業をメルエに委ねたリーシャは、立ち上がってその答えを返して来たカミュを見据える。
『何を言っているんだ?』と。
「では、どこに向かっていると言うのだ? 私達は<イシス>へ行く為に歩いていた訳ではないのか?」
「……アンタはどこまで考えなしだ? これほどの広大な砂漠を一日で歩けるとでも思っていたのか?」
質問を質問で返す非礼。
そんなカミュの態度にリーシャの怒りが沸点を迎えた。
「だから、どこに向かっているのだと聞いているんだ!?」
「……<アッサラーム>で、この砂漠の南に一人で暮らす変わり者の老人がいると聞いた。まずはそこに向かう」
「何!? それは、確かな情報なのか!?」
リーシャの心配事は尤もである。不確かな情報であれば、リーシャ達はこの半日余計な労力だけを使った事になる。
それこそ、真っ直ぐ西に向かっていた方が良いという程に。
「……<アッサラーム>の商人の中にも<イシス>と商売をしている者がいた。そいつが<イシス>に行く途中で必ず立ち寄り、物を売っていると言うのだから本当の事だろう」
「……そうか……すまなかった。それで、そこまではどのくらいかかるんだ?」
カミュの話しぶりから、それが明確な理由のある行動であった事を理解したリーシャは、素直に頭を下げる。実際、カミュがメルエを危機に晒す事をする筈がないと考えていたリーシャであった為、冷静さを取り戻すのが比較的早かったのだろう。
「……馬車で半日というのだから、夜には着けるだろう……」
「……わかった……」
カミュとリーシャの会話が終わる頃、ようやくサラの意識が戻る。
いや、眠りから覚めたと言った方が正しいのかもしれない。
自分が眠っていた事を、言葉少なにメルエから聞いたサラは、飛び起きたように立ち上がり、カミュとリーシャに頭を下げた。
リーシャは苦笑しながらも気にしないように手を振り、カミュは呆れたように溜息を吐きながらも、サラの失態を追求する事はなかった。
それが、サラには尚のこと心苦しい。サラは、また自分自身のレベルアップを心に誓うのだった。
一行はそのまま、南へと進路を取り、休憩も碌に取らぬまま歩き続ける。
途中では、<キャットフライ>に<バリィドドッグ>、そして先程遭遇した<地獄のハサミ>等に遭遇したが、名誉挽回を胸に誓うサラが行使する<ルカニ>や<ルカナン>によって防御力を上げる事を阻止された<地獄のハサミ>は、強力は破壊力を持つ<鉄の斧>を持ったリーシャの敵ではなかった。
そんな戦いも終盤に差し掛かり、一体の<地獄のハサミ>をメルエが魔法で倒した時、不意に呟いたリーシャの言葉は、一行を凍りつかせた。
「……ふと思ったんだが……メルエの<ヒャド>で出来た氷を口に含めば良いんじゃないのか?」
「!!」
メルエが作り出す冷気によって出来上がった氷は、基本的に空気中にある水分を凍らせた物だと云われている。それならば、それを口に含めば、喉の渇きも潤わせる事が出来るのではないかというのだ。
これには、カミュも『何を馬鹿な事を』と斬り捨てる事が出来なかった。
ただ、このリーシャの驚くべき提案には、一つの難点も存在しているのだ。
「……それで、<ヒャド>の対象はアンタで良いのか?」
「な、なに!? 何故そうなる!?」
溜息を洩らしながら言葉を発するカミュに、リーシャはまた何か自分が変な事を言ってしまったのではと思うが、それを素直に認める事を良しとせず、声を荒げた。
「……こんな砂漠のど真ん中で<ヒャド>を使うのなら、凍らせる相手がいなければ氷など出来ない……そうであれば、『魔物』に向けて行使するか、『人』に向けて行使するかのどちらかだ。岩もなければ木もない。アンタ方は魔物を凍らせて出来た氷を口に含む事が出来るのか?」
「そ、そのような事は出来ません!」
「……そうだな……流石に魔物の身体についた氷を口に含むのには抵抗があるな」
カミュの言葉に真っ先に拒絶するサラ。
リーシャもまた顔を歪ませながら呟いた。
「……ならば必然的に、言い出したアンタを人柱にする事になる。アンタについた氷を口に含むのも抵抗はあるが……すまない……アンタの犠牲は極力無駄にしないようにする……」
「なっ!? なんだと!?」
「…………ごめん………なさい…………」
「メ、メルエまでか!?」
カミュの言う事に含む部分もあって、その部分にリーシャは反応したのだが、その後に続いた言葉にメルエが同調した事によって、話が自分が思っている遥か斜めに進んでいる事に気が付いた。
サラは例の通り、炎天下の砂漠で額に汗を浮かべながらも、くすくすと笑っている。
そこで、リーシャは自分がからかわれている事に思いが至った。
「~~~~~~~!! お前達! 私が今の状況を何とか出来ればと真剣に考えていたのに、何なんだ!」
強い日光にも負けぬリーシャの叫びが周囲に砂しかない砂漠に響き渡る。
メルエは素早くカミュの後ろに隠れ、サラはその笑みを引っ込める。
唯一人、口端を上げたままのカミュが、『時間を取られた。先を急ぐ』と何事もなかったかのように前を歩き出した。
やりきれない思いを胸に残し、自分の一歩前を歩くサラを睨みつけるリーシャ。
その視線に気が付きながらも、サラは隣のメルエに話しかけながら歩いた。
その額に日光による暑さのせいだけではない汗を浮かべながら。
辺りが薄暗くなったかと感じた後、砂漠はすぐに闇に覆われる。
陽と共に落ちた周囲の気温は、肌寒いを既に通り越し、刺すような寒さへ変わっていた。
メルエはその寒さに震え、すでにカミュのマントの中に潜り込んでいる。サラとリーシャも服の上に購入しておいた毛布をかけ、寒さを凌ぎながら歩いていた。
そんな一行の前に遂に目的地であった一軒の家が見えて来る。それは、本当に小さな家。
砂漠の南の果てに位置し、その家の後ろには雄大な山がそびえており、山から流れた水によって堀の様な物を作り、魔物の侵入を防いでいたのであろうが、その堀を満たす水も、今や腐り果て、毒素を撒き散らしているのではと思う程の色をしていた。
「……カミュ、本当にここがその家なのか?」
「……カミュ様?」
その家の佇まいに、リーシャとサラは疑問を呈す。それは無理もない。そこは、『人』が住む場所では決してないと思われるような場所であるからだ。
「……入ってみれば分かる……」
堀を満たす腐った水は、異様な臭気と瘴気を撒き散らしている。
その堀にかかった一つの橋を渡り、カミュ達は建物の玄関の戸を叩いた。
「……誰じゃ?」
中から返って来たくぐもった声。
それが、サラの恐怖心を煽った。
丁重に自分の身分を名乗ったカミュの言葉に、ゆっくりと扉が開いて行く。
中から出て来たのは、一人の老人。それは、リーシャやサラが考えていたような者ではなく、人の良さそうな笑みを浮かべる優しげな人物であった。
読んで頂きありがとうございました。
ようやく、イシスへ向かいます。
イシス城内に入るにはもう少し話数が掛ると思われます。
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