新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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第二十三章
ゾーマ城⑤


 

 

 

 リムルダールの西の端には、未だに輝く虹の橋が架かっていた。不確かな物ではあったが、消えてなくなっている可能性もあった為に、カミュ達はその橋を再び視界に納めた瞬間、安堵の溜息を吐き出す事になる。橋を渡る前に野営を行い、体力などを回復させた後、一行は再び魔の島へと足を踏み入れた。

 気のせいなのか、本当に時間がないのか、魔の島全体に漂う瘴気が濃くなっているように感じる。復活を果たした大魔王ゾーマが、本来の力を取り戻したのかもしれない。目の前の視界さえも歪む瘴気をトラマナという魔法で防ぎながら、一行は大魔王城の前まで辿り着いた。

 

「ここからは後戻りはしない」

 

「そうだな。流石に、再びリムルダールに戻るような時間は残されていないだろう」

 

 城門の前に立ったカミュは、一度振り返り、宣言を行う。それは不退転の決意の表れであり、この門を一度潜れば、大魔王を倒さない限りは外に出て来れないという覚悟の表れであった。

 『倒さなければ出て来ない』のではなく、『倒さなくては出て来れない』のだ。それは、大魔王の討伐が成功しなかった場合、この場に居る四人全員が死んでいるという認識であり、誰かが欠ける可能性などなく、誰か一人でも欠ければ、即座に全滅となるという認識でもあった。

 真剣な表情のリーシャの横ではサラがしっかりと頷きを返し、メルエもまた、既に杖を握った状態で大きく頷きを返す。そんな三人の顔を見たカミュは、一度表情を僅かに緩めた。

 だが、そんな一行の覚悟を待っていたかのように突然開き始めた城門を見て、一気に緊張感が増して行く。重苦しい音を響かせ、ゆっくりと開かれる扉は、まるで意志を持っているかのような気味の悪さを持っていた。

 

「……最早、私達を帰すつもりもないのだな」

 

 全員が城の中に入ると、巨大な城門は開く時の同じ速度で閉まり、寂しい金属音を響かせて鍵が掛けられる。扉が閉じられると同時に一気に燃え上がった燭台の炎が、通路の隅々までを照らし、カミュ達を歓迎しているかのように、魔物達が姿を現した。

 一斉に武器を構えた一行は、前方に見える魔物達の数を数える事を止め、勝負を一気に決める為に戦闘態勢に入る。目の前には獅子の頭を持つマントゴーアを先頭に、後方には巨大な大魔人まで控えていた。

 とてもではないが、魔法力の温存などと考えていられる余裕はない。むしろ全力で挑まなければ、立ち向かう事さえも難しいだろう。

 

「力を示せ」

 

 先頭を切って襲い掛かって来たマントゴーアに向けて、カミュが王者の剣を掲げる。それと同時に、刃となった真空がマントゴーアに向かって十字を切り、その身体を切り刻んで行った。

 しかし、一体の犠牲で怯むような魔物達ではない。横合いから迫るマントゴーアの牙を盾で防いだリーシャは、前方から振り下ろされる大魔人の拳に合わせて魔神の斧を振り抜いた。金属と石がぶつかり合う甲高い音を響かせ、後方へと弾き飛ばされたリーシャは、背中から城門に激突し、一瞬ではあるが意識を飛ばす。

 そんなリーシャを庇って前に出たサラが、追い討ちを掛けるように飛び掛って来るマントゴーアに向かって手を翳した。

 

「バギクロス」

 

 カミュの持つ王者の剣が持つ付加効果は、バギクロスに等しい物である。だが、本来の使い手である者が己の魔法力を使用して生み出す物と比べれば、その差は歴然であった。更に言えば、賢者サラは、現状では世界で唯一のバギクロスを行使出来る人間なのだ。

 メルエが氷結系に特化した魔法使いであるとすれば、サラは僧侶系の呪文に特化した賢者である。常に悩み、苦しんで来た彼女は、やはり僧侶系の力を強めて行ったのだ。

 十字に切られた真空の刃は、飛び掛って来たマントゴーアを切り刻み、サラに向かって伸ばしていた前足を切り飛ばす。前足を失ったマントゴーアは立ち上がる事が出来ず、サラが抜いたゾンビキラーを頭頂部から差し込まれた。

 

「…………イオラ…………」

 

 カミュが一体の大魔人と戦闘を繰り広げる中、もう一体の大魔人が彼に向かって拳を振り上げる。しかし、それを許す程、メルエは甘い少女ではない。振り抜かれた杖は、一瞬で周囲の大気を圧縮し、溜めた力を一気に解放する。

 そしてこの少女こそ、呪文使いの常識全てを破壊して来た者であった。解放された大気は、周囲を巻き込むように爆発を生むのではなく、大魔人の腹部にのみ爆発の力を解放し、その巨体を奥へと弾き飛ばしたのだ。

 まるで、魔法力で配管を造り上げたかのように、爆発を一方向にだけ向けて送り込んだ事で、弾き飛ばされた大魔人は、奥の壁を突き破って吹き飛んで行った。

 

「これで、遠回りする必要もなくなったな」

 

 意識を取り戻したリーシャの援護を受けて、一体の大魔人の首を落としたカミュは、土埃が舞う方向に視線を向ける。大魔人の巨体によって崩された壁は、初回の探索時に下への階段を見つけた玉座の間のような場所へと続く道を生み出していた。

 残るは、奥へ消えて行った大魔人一体である。今のカミュ達四人であれば、全力を出す必要もない相手であった。

 土煙の中から立ち上がった大魔人目掛けてカミュが駆け出す。何故かリーシャはその場から動かず、大魔人に向かって剣を振るうカミュの背中を見つめていた。

 

「カミュの力量は、既に私を追い抜いているのかもしれないな……」

 

 大魔人が振るう拳を避けながら振るう剣は、正確無比に急所を斬り裂いて行く。石像に急所があるのかという問題もあるが、見る見る大魔人の動きが鈍くなって来ているのを見る限り、彼が振るう剣は、確実に大魔人を弱らせているのだろう。

 後方からその一連の攻撃を見つめていたリーシャは、誰に語り掛ける訳でもない独り言を呟く。その呟きを聞いたサラが、傍へと近付いて行った。

 

「それ程までですか?」

 

「ん? ああ、王者の剣という素晴らしい武器の威力もあるだろうが、同じ武器を手に取って対峙しても、私はもうカミュには勝てないだろうな」

 

 毎日のように繰り広げられるカミュとリーシャの模擬戦は、後方支援組のサラとメルエにとって恒例行事に近い物である。

 アリアハンを出た当初は、カミュがリーシャから一本を取れる事は皆無に等しかった。魔法という神秘を行使しない限り、カミュはリーシャに及ばなかったのだ。

 だが、その旅路の中で徐々にその勝敗の差は縮まり、最近では五分に近い物となっている。そして、この最終局面に来て、遂にカミュはリーシャを追い抜いたのだ。

 父であるオルテガを越え、ある意味では師と成り得るリーシャを越えた。彼もまた、この場所まで来て『勇者』として完成したのだろう。

 

「その割には、とても嬉しそうですよ?」

 

 最後の一撃を振り下ろし、大魔人を切り伏せたカミュの背中を見ていたサラは、それを見つめるリーシャの頬に笑みが浮かんでいる事を見て、自然と笑みを浮かべる。

 リーシャもまた、カミュと同じくらい負けず嫌いであった。模擬戦でカミュに圧された時など、殺意を込めた一撃を振るってしまう程である。

 そんなリーシャが、悔しそうに顔を歪めるのではなく、嬉しそうに微笑む事が、サラは無性に可笑しかった。

 

「そうだな……。確かに悔しい気持ちも寂しい気持ちもありはするが、男は女性を護らなければならないからな。な、メルエ?」

 

「…………ん…………」

 

 ゾーマ城の床に伝わる振動が、大魔人が戦闘不能に陥った事を示している。崩れ落ちた石像を越えて戻って来るカミュの姿を見たメルエは、リーシャの問いかけに満面の笑みを浮かべて頷きを返した。

 リーシャを母親のように慕っていたとしても、サラを姉のように慕っていたとしても、最後の最後でこの少女が頼りにするのは、間違いなくカミュという青年である。彼が世界を救う『勇者』であろうと、そうでなかろうと、メルエにとって彼こそが絶対的な保護者であり、どんな英雄も古の勇者も敵わない、彼女だけの『勇者』なのだ。

 

「ふふふ。リーシャさんの事を護れる男性は、カミュ様しかいないのかもしれませんね」

 

「な、何だそれは!?」

 

 リーシャとて女性である。男に負けぬようにと腕を磨いて来た過去はあれども、男性に護られたいという欲望はあるのかもしれない。だが、既に人類の枠を超え、魔物や魔族さえも超越してしまったリーシャという女性を護れる程の力量を有している者は、人類という種族の中にカミュ以外はいないだろう。

 いつも自分達の前に絶対的な防壁となって立っていた二人が、互いに護り合いながら戦って来た事をサラは知っている。勿論、それは恋愛感情などという陳腐な物でない事も知っていた。だが、この二人が互いに互いを大事に想っている事だけは確かであり、それをサラもメルエも知っているのだ。

 

「行くぞ」

 

 女性三人の会話の内容を知らないカミュは、剣を鞘へと納めた後で、そのまま玉座の間に続く道を歩き出す。『くすくす』と笑うサラとメルエの頭に少し強めの拳骨を落としたリーシャは、憮然とした表情でその後を続いて歩き出した。

 痛む頭を押さえながらも、サラとメルエはお互いの顔を見合わせて微笑み合う。大魔王ゾーマという最大の敵を間近に控えた状況の中、このようなやり取りが出来るというのは、彼女達の中に緊張感のある余裕がある証拠なのかもしれない。

 互いに互いを信じ合い、『この者達と共にならば』という確かな信頼がある。それが何よりも強い絆となり、何よりも強い自信となっているのだろう。

 

「トラマナ」

 

 玉座の間に入る直前に、サラが呪文を唱える。一度目の探索時よりも明らかに濃くなっている瘴気が、玉座の間に充満していたのだ。

 緻密な魔法力によって護られた空間内で、玉座の後方にある隠し階段から再びゾーマ城中枢へと降りて行く。先程遭遇したマントゴーアや大魔人のように、大量の魔物達が一行を待ち構えている可能性は高く、全員が武器を構えながらゆっくりと階段を降りて行った。

 

「このまま降りるぞ」

 

「わかった」

 

 玉座の間から降りてすぐに、再び下へ続く坂道が見える。その狭い空間内に魔物がいなかった事に息を一度吐き出したカミュは、剣を握り直して坂道を下り始めた。

 この先は、不思議な模様が刻まれた床のあるフロアになるだろう。脆くなった床はいつ抜けても可笑しくはない状態であり、その模様一つ一つを解読しながら進むしかない以上、時間が掛かる。だが、時間に余裕がない彼らにとっては、そのフロアでの魔物との遭遇は出来るだけ避けて通りたい物だった。

 

「サラ、頼むぞ」

 

 坂道を下った先にある燭台に火を灯し、周囲の明かりをある程度得た段階でリーシャがサラを前に出す。頷きを返したサラは、持っている『たいまつ』を床へ翳し、そこに書かれている模様を読み取って行った。

 既に、先にある三つの通路の内、真ん中の通路に先へ続く階段がある事を知っている彼等は、その方向へ進むべき床の模様を読み取って前へ前へと進んで行く。未だに自分の足で動く床に下りる事が出来ないのを不満に思っているメルエの頬が膨れているが、その事に気を回せない程、状況は緊迫化を辿っていた。

 

「カミュ、ここからは再び未知の場所だ」

 

「ああ、だが、最深部は近い筈だ」

 

 動く床のフロアを越え、下の階層に入った彼等は、数多くの魔物達を葬りながら更に下の階層へと降りて行く。そして、オルテガと竜種が戦っていた場所へと続く大きな橋の前に辿り着いた時、リーシャの纏う雰囲気が一変した。

 ここまでの道は既に通って来た道であり、遭遇する魔物も既知の物達ばかりである。だが、この先は未知の場所であり、オルテガが戦っていた巨竜のような魔物が多数生息しているのだとすれば、かなり難解な道となる事は明らかであった。

 だが、ここまで下って来た坂道や階段を考えると、最早、地下四階部分にまで達している。永遠に続く階層などないと考えれば、最深部は近いと考えても不思議ではなかった。

 

「メルエ、いつでも詠唱が出来るようにしておいて下さいね」

 

「…………ん…………」

 

 長い橋を渡りながら、サラは自分の手を取る少女へと指示を出す。その指示に大きく頷いたメルエは、自分の背丈よりも大きな杖を握り締め、厳しい瞳で周囲を警戒し始めた。

 初回の探索時に比べると、道が解っていた分、彼等の心に余裕がある。心の余裕は戦闘の視野を広げ、魔法力の温存をしながらも進んで来る事が出来た。

 だが、ここからはその余裕も徐々に消えて行く。大魔王ゾーマとの最終決戦が近付くにつれ、全員の身体を縛り付けるような緊張感が周囲を覆っていた。身体は硬くなり、必要以上に流れ落ちる汗は冷たい。その影が近付くごとに、その存在の大きさを知り、恐怖が心を襲って来る。それは如何に勇者一行とはいえ、一個の生物である以上、仕方のない事なのだろう。

 

「カミュ……」

 

「構えろ」

 

 橋の中腹を越えた頃、カミュ達が持つ『たいまつ』の明かりに何かの影が映り込む。リーシャの問いかけを待たずに剣を抜いた彼を見て、サラやメルエも臨戦態勢に入って行った。

 心許ない明かりによって映し出された影は、竜種のような大きさはない。むしろ壁に映る影という事を差し引けば、かなり小型の魔物である事が解った。更に言えば、その影は人影と言っても過言ではない物であり、それが魔族の物である事が推測出来る。

 バルログのような魔族よりも小型の影を見たカミュとリーシャは、互いに頷き合ってから一気に駆け出した。

 

「危ない!」

 

 しかし、カミュ達が駆け出した瞬間、敵影から魔法力を感じたサラが大きな叫び声を上げる。それと同時にサラが腕を振るい、メルエが杖を振るった。

 カミュとリーシャを取り巻くように、後方支援組二人の魔法力が展開される。光り輝く壁となった魔法力が前衛二人を包み込んだ時、前方に見える人影の一つが動き出した。

 一瞬で圧縮される空気、そして、それと共に光り輝く橋。その光によって前方の魔族の姿が露になった瞬間、音と光が消え失せる。

 僅かな間の後で響く凄まじいまでの爆発音が弾けた。それは、カミュ達が駆けていた大きく長い橋を巻き込んだ爆発であり、もし、彼等の身を魔法力による光の壁が護っていなければ、彼等の身体は木っ端微塵に弾け飛んだだろう。

 

「メルエ、走りますよ」

 

「…………ん…………」

 

 光の壁によって弾かれた最上位の爆発呪文であるが、正確に術者へと返せる訳ではない。メラミのような火球呪文であれば、その火球を弾き返し、術者へと向かって飛ばす事も可能であろう。だが、全体を巻き込むような爆発呪文となれば、カミュ達の身を護る事は出来ても、特定の物を攻撃する事は不可能であるのだ。

 そして、弾き返された爆発呪文は何処で爆発するのかとなれば、それは彼等が渡っていた橋である。強固に造られた橋であっても、最上位の爆発呪文である『イオナズン』の威力に耐えられる物ではない。爆発の余波によって亀裂の入り始めた橋を見たサラは、メルエの手を取って走り出した。

 

「間に合わない……」

 

 しかし、どれ程に強力な呪文を使おうと、魔法力を体力に換える事で大人と共に旅が出来るといえども、メルエの身体自体は幼子のそれである。短い足では大人のような回転は出来ず、必死に駆けても橋の崩壊を超える速度を出す事が出来なかった。

 メルエの手を引くサラの目の前で、橋を模る石が崩れ始め、濁流の中へと消え始める。今は幾つもの支えによって保たれている橋ではあるが、一部の決壊が全ての崩壊へと繋がる事は明白であった。

 崩壊が始まり、濁流へと落ちて行く巨大な石の塊によって生み出された飛沫によって視界は覆われている。土埃と水飛沫によって奪われた視界では、辿り着く為の目的地が見えない。目的地が見えない以上、一か八かのルーラ行使という方法も危険度が高かった。

 

「…………カミュ…………」

 

 それでも諦める事のないサラが必死に駆ける中、助けを求めるように呟かれたメルエの願いは、この世に光を齎す勇者へと届いて行く。

 崩壊する橋を越える水飛沫の中から、青白く光り輝く何かがサラとメルエの許へと飛び込んで来たのだ。まるで、そこに描かれる大きな神鳥が空を舞うように、その輝きは水飛沫を突き抜け、サラとメルエの前に着地した。

 

「そっちは任せた」

 

「わかった」

 

 着地した勇者は、メルエを小脇に抱え上げるように抱くと、再び水飛沫に向かって飛び込んで行く。飛び込む直前に発せられた言葉には、カミュの姿が水飛沫の中へ消えたと同時に飛び出て来た女性戦士が応えた。

 攫われるようにメルエを奪われ、呆然と水飛沫を見ていたサラは、既に目の前に来ていたリーシャの顔を見て頬を緩める。しかし、そんなサラの感情を無視するようにリーシャは彼女を肩へと担ぎ上げ、そのまま水飛沫の中へと消えて行った。

 

「ギャァァァ」

 

 飛ぶように水飛沫の中を越え、サラが対岸に辿り着いた時には、既にカミュとメルエは戦闘に入っていた。

 一体の魔族は、カミュによって斬り伏せられ、残る二体の同系統の魔族に対しては、メルエが呪文を行使する事によって牽制している。しかし、如何にメルエが卓越した魔法使いであっても、魔族二体との魔法合戦に圧勝出来る程の力はない。しかも、出来る限り魔法力を温存しようという想いが彼女にある為、中級の呪文での対抗になっている事もあって、サラの目には徐々にメルエが圧されているようにさえ感じる物であった。

 メルエが相手をしている二体の魔族の姿は、バラモス城で遭遇したエビルマージに酷似した姿をしており、全身を深い紺のローブで包まれている。両手を広げるようにして呪文を唱え、それをメルエがマホカンタで弾き返してはいるが、メルエが攻撃呪文を行使する隙を与えていなかった。

 

【アークマージ】

古代からの人間が確認した魔族の中で最上位に入る呪文使いである。『主席魔法使い』とも『最上位魔術師』とも伝えられる魔族であった。

その名に相応しく、最上位の魔族しか行使出来ない破壊呪文を得意とし、それを使いこなす。その魔法に対する腕は確かであり、大魔王の信頼も厚いのだろう。大魔王城の最奥の部分を任される程の力量を持ち、同僚の力量を持つ数少ない者達に与えられた名だと云われていた。

 

「マホトーン」

 

 メルエの援護をする為に立ち上がったサラは、右手を掲げてアークマージに向かった右手を掲げる。そして、初級に近い呪文とはいえ、呪文使いに対しては最も有効な呪文を行使した。

 自分の魔法力を強制的に捻じ込む事で他者の魔法力の流れを狂わせる呪文。だが、力量が拮抗している者に対してや、力量が上の者に対しては、その効果が著しく低下する呪文でもある。不意を付いたのならばその限りではないが、戦闘状態という流れの中での行使では、アークマージという魔族最高位の呪文使いに対して効果を発揮する可能性は薄かった。

 案の定、サラのマホトーンの効果は顕現されず、アークマージは再び最上位の爆発呪文を唱え始める。全てを破壊するとまで云われる爆発呪文の余波を受けて、カミュやリーシャも二体のアークマージへは近づけなかった。

 

「ブファァァァ」

 

 爆風が収まり、周囲の崩れた壁や天井が落ちて来る中、一体のアークマージがローブに隠れた口を大きく開け、何かを吐き出す。大気の爆発によって高温に曝された城内を冷やすような冷たい空気が流れ、その冷気に触れた手が悴んで行った。

 呪文使いであり、魔法という神秘に重きを置いているとはいえ、アークマージは魔族である。己の体内から冷たい息を吐き出す事によって、敵の行動を縛り、動けなくなったそれらを最上位の爆発呪文で消し飛ばすというのが、彼等の必勝パターンなのかもしれない。

 

「このままでは、魔法力を減らすだけですね」

 

 爆発を防ぐマホカンタも、中級の呪文とはいえども何度も行使していれば魔法力は目減りする一方である。しかも、爆発呪文を連発するアークマージの魔法力がどれ程の量なのかを測る術がない為、カミュやリーシャが迂闊に近づく事も出来ない。それでは、一向に戦闘が終了する事はないのだ。

 少し考える素振りを見せたサラであるが、何かを振り切るように顔を上げ、手を前方に掲げてアークマージを睨みつける。そして、傍にいるメルエにさえも聞こえない呟きを口にした。

 

「ザラキ」

 

 それは死の呪文。

 どれ程に強固な身体を持つ者であろうと、どれ程に強固な防具で身を固める者であろうとも、魂ごと死へと誘う禁忌の呪文である。死こそが幸福であり、死こそが最善と感じる程に深い闇の奥へと誘い、その魂を肉体から引き剥がす物であった。

 サラはこの呪文を行使する事を昔から躊躇っていた。そして、マイラの森でメルエの死体を見た時からは、一度も行使する事はなかったのだ。

 自分が行使した事によって、例え魔物であろうとも、魂を永遠に彷徨わせる事を良しとする事が出来ない。それこそが賢者サラの出した答えだった。

 それでも、この状況を打破する為には、魔族を一気に滅するしか方法がない。故にこそ、サラは自分の中へと封印した禁忌を紐解いたのであった。

 

「……一体だけですか」

 

「…………マホカンタ…………」

 

 サラが唱えた呪文による死への誘いに応じたのは、一体のアークマージのみとなる。崩れるように前のめりに倒れたアークマージを見たサラは、若干の落胆を滲ませた。

 だが、その余裕は残されておらず、残る一体のアークマージが奇妙な形をした杖を取り出した事で、メルエが即座に呪文を唱える。メルエとサラの身体を魔法力が覆い、光の壁となって顕現された。

 本来であれば、メルエの判断は正しい。強大な威力を誇る攻撃呪文を行使する呪文使いの動きを察して、それを弾き返す壁を生み出したその行動は迅速であり、仲間を護るという事に掛けては、最善の策であった。

 攻撃呪文に対してという点に限ってはであるが。

 

「……ザオリク?」

 

 杖を握ったアークマージがその杖に魔法力を流し、振るった時、その魔法力はサラやメルエの場所にではなく、死の呪文を受け入れたアークマージの身体に注がれる。暗い城内を照らし出すような神聖な輝きを放ち、その光に包まれたアークマージの身体に切り離された魂が戻って行った。

 その神秘的な光景を、この場に居るメルエ以外の者は目にした事がある。それはマイラの村でサラという賢者が命を賭して起こした奇跡。ザオリクよりも低級でありながらも、切り離された魂を呼び戻すという奇跡を生み出すザオラルを何度も行使し、魔法力が枯渇に近い状態になりながらも必死に紡いだ術式が、彼等の目の前で顕現していた。

 あの杖が特殊な物なのか、それともアークマージ自身が奇跡を生み出す呪文を修得しているのかは解らない。だが、立ち上がったアークマージを見る限り、中途半端に復活を果たした腐乱死体のような状態でない事だけは確かであった。

 

「残念だったな」

 

 だが、そんな驚愕の神秘を目の当たりにして行動を停止してしまったのは、サラ一人である。今の今まで、立て続けに唱えられていた爆発呪文によって動く事が出来なかった前衛二人は、そんな小さな隙を見逃す程、甘くはなかった。

 復活を果たし、再びサラ達へ呪文を行使しようと手を広げたアークマージの首がローブごと床へと落ちて行く。そして、同胞の最後を見届ける事も出来ず、杖を持ったアークマージもまた、肩口から入った斧によって身体を両断された。

 人間とは異なる色の血液が床を満たし、数度の痙攣の後で動かなくなったアークマージの死体を確認したカミュとリーシャは、付着した液を振り払い、武器を納める。

 

「まさか、ザオリクまで行使出来る魔族がいるなんて……」

 

「魔法というのは、元来『魔』が生み出す神秘と考えられて来た筈だ。全ての呪文を生み出した者が魔族であるという事はないだろうが、人の間に伝わる物が魔に伝わっていない事はないだろうな」

 

 驚愕から未だに戻る事の出来ないサラは、覚束ない足取りでカミュ達へと近付き、そんな彼女を心配そうに見上げるメルエの姿に、カミュが溜息を吐き出しながら答える。

 確かに、魔法という物の始まりは、人の間で恐怖の象徴であった。人間という種族の中には魔法力が宿っている者がいても、それを神秘として顕現出来る者は存在していなかっただろう。『人』の守護という役目を受けたエルフによって、作物の作り方や狩りの仕方、そして魔法という物を与えられているのだ。

 故に、魔法という神秘に関して云えば、エルフや魔族の方が先駆者であり、人が行使出来ない物をエルフや魔族が行使出来るという可能性は高く、それが当然の考えである。それを知っていてもサラは全てを受け入れる事が出来なかった。

 それは、切り離された魂を呼び戻すという、ある意味神聖な物にも映る神秘を『魔』という冠の付く種族が持っている事への驚きがあったのだろう。

 

「魔族といえども、やはり仲間を死から救いたいと願う者達もいるのだろうな。それはサラが一番解っている事だろう?」

 

「そうですね……そうでした」

 

 悩む仕草をするサラを見たリーシャは微笑みを浮かべる。いつでも悩むくせに、既に答えなど得ている彼女を立ち直らせる仕事も、終わりが近い事をリーシャは悟っていた。

 魔物や魔族、そしてエルフなどという人外の種族に対して、既にサラは偏見を捨てている。ただ、『悟りの書』という書物に記載された呪文という物が、古の賢者達によって編纂された物と伝えられている為に、その呪文を唱える魔族がいる事に驚いただけであった。

 

「遥か昔、まだ魔族もエルフも人間も共にあった時代に、この『悟りの書』は生まれたのかもしれませんね。多くの種族の大いなる知識を詰め込んだ書物が、時の賢者達によって受け継がれ、今にまで繋がっているのかもしれません」

 

「そうだな」

 

 サラとリーシャの会話が続く中、カミュがその場を離れ、それを追って行ったメルエがある場所に屈み込む。

 この少女が屈み込む場所には必ず何かがある。それは花であったり、虫であったりするのだが、時には見た事のない物である事があった。そして、それは今回も例外ではなく、屈み込んだ彼女は、それに手を伸ばす訳でもなく、不思議そうに床にあるそれを不思議そうに見つめている。傍に近付いて来たカミュへ顔を上げた彼女は、少し首を傾げて、疑問を口にした。

 

「…………つえ…………?」

 

「杖だな」

 

 拾い上げたカミュと共に立ち上がったメルエは、その奇妙な形の杖を見上げる。アークマージが手にしていた姿を見る限り、魔法使いや僧侶が使用する杖と同じ機能を持っている事は明らかであった。

 真っ直ぐに伸びた杖の先には、青く輝く宝玉が嵌め込められており、その宝玉を取り巻く穏やかな波のような彫刻が施されている。穏やかな波が宝玉を護っているようにも見え、その神秘的な姿は、この武器もまた、神代から続く希少な物である事を物語っていた。

 

「この杖がザオリクの力を持っているのでしょうか?」

 

「私は、そんなにあの呪文が容易な物だとは思えないのだがな。あの神秘を見た立場から言わせてもらえるのであれば、あの呪文を封じ込める事など不可能だと思うぞ」

 

 カミュが握った一本の杖に気付いたサラとリーシャが近付き、その杖を隈なく見つめる。先程のアークマージがザオリクを行使した可能性の方が高い事はサラも知っているが、もし、ザオリクという呪文の効果を有する杖が存在するのであれば、この世界に彷徨う魂が少なくなると考えると、そうであって欲しいという願いが口に出てしまったのだ。

 しかし、サラと同様にその可能性を否定的に見ているリーシャの言葉を聞いて、彼女もまた頷きを返す。

 アークマージという魔族でも頂点に立つ呪文使いが、ザオリクという呪文を行使する為に媒体として使用した杖である以上、その秘められた能力だけでなく、杖自体にも力を持っている事は確かであろう。そう感じたサラは、その杖をどうするのかという問いかけの為にカミュへと視線を動かした。

 

「これは、アンタが持っていた方が良いだろうな」

 

「…………サラ……ずるい…………」

 

 サラの方へと杖を差し出したカミュを見上げていたメルエは、いつものように頬を膨らませてサラを睨みつける。ここ最近は、『幸せの靴』や『不思議な帽子』と立て続けに自分の物となっているだけに、この少女の我儘に拍車が掛かってしまったのだろう。

 サラとしては、ここ最近では魔物相手にゾンビキラーを振るう事が少なくなっているだけに、呪文を行使する為の強力な媒体があればと考えていた。魔道士の杖を買い与えられたメルエの時のように、サラが魔法力を暴走させる事はないが、あの頃よりも強力な呪文を行使している事は確かであり、その影響が身体にないとは言い切れなかった。

 

「ふふふ。では、この杖と雷の杖を交換しましょう? 杖が二つあっても仕方ないでしょう?」

 

「…………むぅ……だめ…………」

 

 不満そうに頬を膨らませていたメルエであったが、サラの提案を聞いて雷の杖を握り締めて顔を逸らす。最早、メルエにとって雷の杖という武器は同士なのだ。

 スーの村という辺鄙な場所に封印されていたこの杖を手にしてから既に三年以上の月日が流れている。初代の同士である魔道士の杖との付き合いよりも長くなってしまった同士と別れる事を、彼女は良しとしなかった。

 その答えを知っていたサラは、柔らかな笑みを浮かべる。カミュから受け取った杖を右手に握り、その全貌を見るように『たいまつ』の明かりへと近づけた。

 揺れる波のような輝きを放つその杖は、サラの手に渡った事を喜ぶようにキラキラと瞬く。波の輝きは光の壁となってサラを包み込んで行った。

 

「…………マホカンタ…………?」

 

「そのようですね。この杖には、持ち主にマホカンタの効力を発揮する力が宿っているようです」

 

 不満そうな表情を浮かべていたメルエの顔が一変する。それが、先程まで自分が何度も行使して来た呪文と同じ効果を発揮していたからだ。

 今の状況を見る限り、サラが手にした杖は持ち主にしか効果を発揮しないのかもしれない。その杖を振るっても、サラが持っている以上、カミュやリーシャにマホカンタと同様の光の壁を生み出す事は出来ないのだろう。

 だが、一人分の壁を作る魔法力は削減される。それは、この先の戦いでかなり有利な物になる事は明白であった。

 

「……しかし、何か物静かな杖だな」

 

「そうですね。この彫刻にある小波のように静かな杖です」

 

 マホカンタという防御呪文の効果を持っている為か、カミュの持っている王者の剣や、以前の雷神の剣、稲妻の剣のような華々しさがある訳ではない。マイラの村にあった『賢者の杖』のような神秘的な輝きを放つ訳でもない。何処か物静かな、そして落ち着きのある輝きを放つ杖を見て、これ以上にサラに合う杖はないだろうとリーシャは思っていた。

 それはサラも同様であったのか、とても優しい笑みを浮かべて、その杖を撫でる。寄せては返す波のように静かで落ち着く彫刻が施されたその杖は、彼女が最後に取得する武器となった。

 

【さざなみの杖】

自然に吹く、優しい風に反応する波のように静かな杖。その杖を象徴するような青く輝く宝玉を護る彫刻は、細かな波を模して施されていた。

所有者である呪文使いを、敵対する呪文使いから護るような光の壁を生み出す効果を持っている。その光の壁も、生命の起源である海のように優しく、力強い物であった。

神代から繋がる物であろうそれは、賢者によって発掘され、その賢者が名付けた名によって、後世に伝えられて行く事になる。

 

「……誘われているのか?」

 

「大魔王ゾーマにとっては、私達など遊びの種にしかならないというのでしょうか?」

 

 アークマージとの戦いを終え、オルテガと竜種との戦った場所を越えた時、真っ直ぐに伸びた通路に掛けられた左右の燭台に一斉に炎が灯った。

 視界が一気に広がる眩しさを感じるよりも、自分達の行動が全て筒抜けになっている事に誰もが驚く。それと同時に、この城の主に対しての恐怖が高まって行った。

 まるでカミュ達を誘うように灯された炎は、大魔王の自信の表れであり、ここまでのカミュ達の戦いを知っていて尚、彼等など敵にもならないと考えている証拠でもある。それは、数多くの試練を越えて来たカミュ達の自信を砕き、胸の奥深くへ封印していた『恐怖』という感情を呼び覚ませる物であった。

 

「だが、後戻りなど出来ない」

 

「そうだな。私達は前へ進むしかない。だが、私は玉砕するつもりもないぞ。行くからには、必ず勝利を捥ぎ取って見せるさ」

 

 呼び覚まされた恐怖を押さえ込み、再び勇気という物を心に植えつけるのは、いつでも彼女達の前に立つ青年である。彼の言葉は決して優しい物ではない。それでも彼の瞳が、そして彼が纏う雰囲気そのものが彼女達の心に勇気を植え付けて行くのだった。

 そして、その勇気を大きくするのは、いつでもこの年長の女性戦士である。彼女の浮かべる笑みは虚勢ではない。嘘偽りのない想いの表れであり、揺るぐ事のない信頼の証。そして、その信頼は、彼女の周りにいる全員に向けられていた。

 呼び覚まされた恐怖が消えて行く事を感じながら、サラは前方にいる二人を見つめる。その力強い瞳で常に先頭を歩き続けて来た青年と、とても広く深い懐で、この場にいる全員を包み続けて来た女性。それは、サラやメルエにとって、姉や兄のようでありながら、母や父のような存在であった。

 自分よりも年下の青年を父のように見ている自分を不思議に思いながらも、それが当然のような可笑しさが湧き、サラもまた笑みを作る。そして、そんな和やかな空気の中で最年少の少女が浮かべる物といえば、それは笑顔以外に有り得なかった。

 

「カミュ様、明かりはありますが、罠の可能性もあります」

 

「罠であろうが、それを踏み越えて行くだけだ」

 

 真っ直ぐに伸びた通路の左右の壁に一直線に掛けられた燭台の炎によって、その通路の全貌は見えている。右に折れる通路のある突き当りまで魔物の影はないが、何かの罠が仕掛けれている可能性は高かった。

 だが、カミュの言う通り、この通路を歩く以外に道がない以上、どんな罠であろうとも踏み越えて行かなければならない。例え、それが彼等に全滅の危機を齎す程の物であってもだ。

 

「何もないのか……」

 

 しかし、カミュ達の警戒は杞憂に終る。真っ直ぐに伸びた通路には何の仕掛けもなく、魔物の襲撃もなかった。

 突き当りまで達し、右に折れる通路の奥を確認したリーシャは、気が抜けたような声を出す。実際に気を抜いた訳ではないのだろうが、それでもここまでの緊張と警戒が無意味であった事を感じ、僅かに息を吐き出したのだ。

 そんなリーシャの肩を一度叩いたカミュは、再び警戒をしながら通路を進んで行く。右に折れた先の通路に掛けられた燭台にも炎は灯されており、通路の隅々まで明るく照らされていた。

 奥の突き当りでは、再び通路が右へと折れている。そして、通路の丁度真ん中辺りの右手に大きな扉があり、何らかの部屋が見えていた。

 

「カミュ、入ってみるか?」

 

「更に奥へと通路が繋がっている以上、この部屋にゾーマがいるとは思えませんが……」

 

 巨大な門の前に立った一行は、扉に手を掛ける事を躊躇するように立ち止まる。この奥に大魔王ゾーマがいる可能性もあり、やはり最終決戦となれば、相応の覚悟が必要であるからだ。

 だが、サラの考える通り、最奥へと繋がる通路が見えている状態で、途中にある部屋にゾーマが居るとは考え難い。この部屋もまた、一階の玉座の間に居たトロルキングや、オルテガと戦った竜種のような手下がいるのであれば、敢えて扉を開ける必要などないのだ。

 それの確認の為にリーシャやサラはカミュへと視線を送るが、その視線を受けたカミュは、扉をゆっくりと押し開いた。

 

「宝物庫……でしょうか?」

 

 その部屋は、通路とは異なり、燭台に炎は灯っておらず、漆黒の闇に包まれていた。慎重に中へと入ったカミュが『たいまつ』の炎を立てられている燭台へ灯すと、ようやくその全貌が見えて来る。

 サラの発した言葉通り、その部屋には数多くの金塊や宝石などが納められており、中には武具なども転がっていた。所々に薄汚れた宝箱のような物も置かれており、ここが大魔王の宝物庫である可能性を匂わせている。

 宝物に目がない少女は、嬉々として宝箱へインパスを唱えるが、転がる宝箱全てが赤く輝くのを見て、肩を落としていた。

 

「宝箱は全て魔物が擬態した物ですね。近寄らない方が良いでしょう」

 

 インパスという呪文は、術者にとって危険な物がある場合、その宝箱を赤色に染める。剥き出しになっている宝物は別だが、宝箱は全てミミックや人喰い箱と考えても良いだろう。宝箱を開けようとした人間や、警戒をせずに近寄った人間などを襲う魔物であり、裏を返せば、無視すれば何の被害も無い魔物であった。

 そんなサラの言葉にがっかりと肩を落とした少女は、すぐに興味を失い、カミュのマントの中へと入って行く。転がる宝石などに特別な力を感じる事もなかったのか、燭台の炎に輝く数多くの宝石達にも彼女は興味を示していなかった。

 

「あの像の手にあるのは、祈りの指輪ではないか?」

 

「え? 本当ですね……」

 

 しかし、部屋の四方へと視線を送っていたリーシャは、部屋の奥にある大きな邪神のような像の片手の上に小さな指輪が乗っているのを見つける。まるで精霊ルビスの力の一部を封じるように乗せられた指輪は、力の全てを失っているかのように鈍い輝きを放っていた。

 その像は、見るからに禍々しく、エルフや人間のような姿をしてはいない。巨大な角を生やし、口からは角と同程度の大きさの牙を生やしている。爪は大きく伸び、腕は左右合わせて四本存在し、その一つを前方へと突き出していた。背中には巨大な蝙蝠のような翼が生えており、その体躯は竜の鱗のような物で覆われている。

 近寄る事も躊躇うその像の姿に、カミュ達は暫し呆然と見つめるが、宝箱のない道を探して少しずつ像へと近付いて行った。

 

「もしかして、これが大魔王ゾーマの姿なのでしょうか?」

 

「その可能性はあるだろうな。だが、この姿程度の者ならば、容易く倒せそうな気もするが……」

 

 像を見上げたサラは、その禍々しく恐ろしい姿に身震いをしながら、この先で対峙する最後の敵の姿を思い浮かべる。だが、そんなサラの想いとは正反対に、リーシャはその像に恐ろしさを感じる事はなかった。

 確かに姿は禍々しい。強大な力を持つ竜種を思わせる姿をしており、邪神や悪神として祀られていても可笑しくはない。だが、それでもリーシャはその像に何も感じる事はなかった。

 本体を目にした事はなく、ただの石像であるという事を差し引いても、この像が大魔王ゾーマを模した物であれば、絶対に勝てるという自信が、身体の奥から湧き上がって来るのだ。その感情の出所も理由も、彼女には説明出来ないのだが、事実としてそう感じていた。

 

「何にせよ、その指輪は貰っておけ。アンタが持っていれば、その指輪も力を取り戻すだろう」

 

「…………サラ……ずるい…………」

 

 この宝物庫に用もなく、この石像が動き出す事がない以上、この場所にいる意味はない。先を促す為に、邪神の像の手の上にある祈りの指輪を取るように促した。

 だが、それをマントの中から見ていた少女は、再びいつもと同じ言葉を呟く。マントの裾から僅かに出した瞳でサラを睨み、頬を膨らませていた。

 彼女のこの行動に深い意味はないのだろう。自分ではなく、他の人間にという部分が気に入らないというのもあるのだろうが、その相手が姉のように慕うサラだからこそ、彼女は声に出し、態度に出すのだ。

 これがもし、赤の他人であったのならば、彼女は悲しそうな表情を浮かべるだろうが、何も言わずに俯くだけであろう。これが彼女なりの甘えの表現の仕方なのかもしれない。

 

「もう……またメルエの『ずるい』が始まった」

 

「…………むぅ…………」

 

 先程、指輪を持っていた像に感じていた恐怖など、何処かに霧散してしまう。この最終決戦間近の場所まで来ても、交わされる会話はいつも通りであった。

 それがどれ程に勇気付けられる事か、どれ程に力強く感じる事か。その事を理解出来るのは、もしかすると、一行の中でもサラだけなのかもしれない。柔らかく微笑みながら祈りの指輪を取り、それを元から嵌められていた祈りの指輪とは異なる指へと嵌める。いつまでも恨めしそうに睨むメルエの頭に、優しい拳骨が落とされた時、カミュは扉を再び開けて外へと出て行った。

 外へ出た一行は、そのまま突き当りまで進み、再び右へと折れる。その先に続く真っ直ぐな通路の左右にある燭台ににも炎が灯っており、突き当たりにある階段の姿が見えていた。その階段までの一直線の道に魔物の影はなく、慎重に歩を進めて行った彼等は、遂にその階段まで辿り着く。

 そして、自分達が最終の場所にまで辿り着いた事を知るのだった。

 

「……この下だな」

 

「ああ、この先は、勝利か死しかないだろう」

 

 その階段の下から流れて来る瘴気は、継続的に行使して来たトラマナの壁さえも突き破る程に強い。今までとは比べ物にならない程の強敵がいる事を示しており、この下の階層が最終決戦の場所である事を物語っていた。

 この階段を降りれば、最早後戻りは出来ない。大魔王程の存在が、カミュ達を逃がす訳はなく、彼等にもそのつもりはないだろう。大魔王側はそう思っていないだろうが、カミュ達一行は互いの命を賭けた最終決戦としてこの場に立っている。残るは、勝利か死かのどちらかしかないのだ。

 アリアハンという小国を出立して七年目。遂に彼等は、この場所へと辿り着いた。

 闇と光が交差し、光の中に闇があり、闇の中に光がある場所。全ての光が闇に飲み込まれるのか、闇を晴らす程の光が輝くのは、全て彼等一行に懸かっていると言っても過言ではないだろう。

 奮い立たせた勇気を以ってしても震えて来る足を懸命に抑えながらも、彼等はゆっくりと最後の階段を降りて行った。

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。
遂に最終章です。
ここから、残り十話ほどで完結を迎えると思います。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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