新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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ロマリア大陸②

 

 

 

 『この先何時まで、自分はこの男を相手に優勢を維持出来るのだろうか』

 

 リーシャは、カミュの剣筋を受けながら、嫉妬にも近い感情を抱く自分に苛立っていた。

 カミュの剣を弾き、自分の剣を突き入れる。もはや、リーシャにもカミュに手心を加える余裕などない。カミュの突き入れてくる剣を払い、その剣を横薙ぎにカミュの腹部に斬り入れる。払われた剣を強引に戻し、カミュはリーシャの剣を受け止めた。

 暫くの間、力比べが続くが、無理やりな態勢であるカミュの分が悪い。剣を滑らせ、リーシャとの距離を取ろうとするカミュを許す程、リーシャは甘くはなかった。

 剣を滑らし後方に引こうとするカミュと同じスピードで、リーシャはそれについて行く。リーシャの剣を離しきれないカミュは、その剣を横に薙ぎ、リーシャの剣を弾いた。

 その行動を予測していたリーシャは弾かれた反動を利用し、がら空きになったカミュの左胸に蹴りを入れる。カミュにはその蹴りに対応する余裕はなく、リーシャの足はカミュの左胸に吸い込まれて行った。

 

「ゲホッ!!」

 

「……残念だったな」

 

 胸を強く打たれ、呼吸が止まったカミュの首筋に剣を突き付けたリーシャが口を開いた。

 以前とは異なり、リーシャの呼吸も若干乱れている。それが、カミュの成長を如実に示していた。

 

「……カミュ、何か悩んでいるのか?……今日のお前の剣は、どことなく覇気がない」

 

 リーシャはカミュの成長は認めたものの、今のカミュの剣に迷いがあるように見えていた。しかも、カミュに語りかけるリーシャの表情を見ていると、その理由も理解している様子である。

 要は確認の儀式なのであろう。

 

「……」

 

 呼吸はすでに回復している筈のカミュからは、答えが返って来ない。それがまた、リーシャの疑問を肯定している事を示していた。

 返答をしないまま、剣を鞘へと戻そうとするカミュの行動をリーシャは許さなかった。

 

「メルエの事か?」

 

「……」

 

 続くリーシャの言葉に、胸を押えながら膝を着いていたカミュは立ち上がり、リーシャの脇を抜けようと歩き出す。何としてでも答えない姿勢を見せるカミュに気分を害す事無く、リーシャは冷静に問いかけ続けた。

 

「……メルエをここに置いて行くべきかを悩んでいるのだろ?」

 

「!!」

 

 リーシャにはカミュの考えていることが本当に解っていたようだった。推測の域ではなく、もはやその口調は断定である。

 しかし、カミュは足を止めたものの振り向く事はしなかった。

 

「別に、お前が『連れて行く』と決めた事を覆していると責めるつもりはない。お前が見て、メルエが幸せに暮らせると思うのなら、そうすれば良い」

 

「……」

 

 リーシャの声は、その言葉通りにカミュを責めるような物ではなかった。むしろ、本当にそう思っているのだろう。数日前に出会ったばかりのメルエを可愛がってはいるが、その処遇に関しては、カミュに一任している事もまた事実なのである。

 

「……ここで暮らすとしたら、あの親子はメルエを本当に可愛がってくれるだろう。それは間違いない………ただ、これだけは言っておく。ここで可愛がられるメルエは、『アン』という娘の代わりだ。あの親子は否定するだろうが、メルエは常に『アン』という少女と重ねられて見られるだろう」

 

「……」

 

 リーシャの言葉に、カミュの肩が小さく揺れた。

 振り向く事はせずとも、リーシャの言葉をしっかりと聞いている事が解る。それは、リーシャにも解っていた。

 故に、リーシャは再び口を開く。

 

「……お前が悩んでいるのは、そこなのだろう? 『アン』という少女の代わりに愛される事がメルエにとって幸せな事なのか………それをよく考えて答えを出せ」

 

 リーシャが話す事は、カミュが考えている事と全く同じ内容であった。おそらく、あの道具屋にメルエを置いて行き、トルド一家と暮らせば、メルエは家族全員から愛を注がれる毎日を送る事が出来るだろう。

 『だが、それは本当にメルエとして愛されているのか?』

 『彼らが失った『アン』という娘や孫の代わりとして愛されるのではないか?』

 『それは、本当にメルエにとって幸せな事なのか?』

 カミュが昨日の夜、溜息を吐きながら考えていた事はそこであったのだ。それをリーシャは、その場にいなかったにも拘らず、正確に見抜いていた。

 このコンビは、どこか深い所で似通っているのかもしれない。

 

「……アンタは……そこまで人の心情が理解出来るのに……」

 

「ん?……なんだ?」

 

 カミュの考えを全て理解していたリーシャに振り向いたカミュは、どこか悔しそうに顔を歪めながら何かを呟くが、それを最後まで話す事はなかった。

 途中で話を止めてしまったカミュを不思議そうに見ているリーシャの視線に耐えられなくなったかのように、カミュは話題を変える。

 

「……今日は、あの僧侶の鍛練はないのか?」

 

「ん?……いや、サラもメルエもまだ寝ている。明け方まで起きていたんだ。今日ぐらいゆっくりさせてやるさ」

 

 メルエもサラも、日付が変わる頃まで起きていた為、早朝鍛練に参加していなかった。

 いや、サラに至っては、昨晩の出来事への自己嫌悪で寝込んでいるような状態と言っても過言ではない。

 

「……まあ、あんな事があれば、起きて来る事が出来ないのも無理はないな……」

 

「カミュ!! その事は、もう言うな! サラも昨日の事は忘れたいと思っている筈だ。良いか? 今後その事に触れる事は、禁止するからな!」

 

 カミュが言っているのは、昨晩のサラの失態だ。

 リーシャとしても、もし自分がそんな姿を晒す事になれば、旅を続けられないだろう。いや、その前に手に持つ剣で自分の首を刎ねるかもしれない。

 

「……わかった。しかし、メルエはどうするつもりだ?……流石に、メルエの口までは責任は持てない」

 

「それなら、昨晩メルエと二人で話した。幸いな事に、サラの失禁の事は、夜であった為にメルエは気がつかなかったらしい」

 

 メルエは、サラが気を失っている事に気が付くとすぐに、カミュを呼びに道具屋へ駆けた。そして、サラを心配し、しゃがみ込むカミュの後ろから覗いていた為、サラの失態は、気を失った事しか知らないのだ。

 サラの腰が抜けた事も、ましてや最大の恥辱の部分も、メルエが去ってからカミュが話した事で、メルエに気が付かれてはいない。メルエが解るとすれば、サラが幽霊と呼ばれる物を恐れているという事だけである。

 

「……なるほどな……」

 

「カミュ、これについては、お前の配慮に感謝する他ない」

 

 リーシャは、カミュへと軽く微笑みを返す。

 その微笑みから視線を外すように、カミュは顔を背けた。

 

「……そこまで考えていた訳ではない……」

 

 カミュはそう答えるが、リーシャはそうではないと思っていた。

 サラの失態に気がついた段階で、メルエを必要以上にサラに近付ける事をせず、すぐに注意を自分に向けた後、その場を立ち去らせた事。それが、女性であるサラに対する配慮でなくて何だというのだ。

 

「ふふっ、まあ、そういう事にしておこうか」

 

 天邪鬼のように否定するカミュを微笑ましく見るリーシャが気に入らず、カミュは鋭い視線を向けるが、表情のあるカミュに対しては、恐怖を感じなくなったリーシャはどこ吹く風である。

 

「しかし、メルエはあんな夜中に、ただ幽霊に会う為に外に出たのか?」

 

「……さあな……」

 

 リーシャに答えるカミュは言葉とは裏腹に何かを解っている様子であった。メルエが夜中に外に出る理由など、カミュには一つしか思い浮かばない。その予想は、おそらく外れてはいないだろう。

 

「……そうか……まあ、メルエの事はお前に任せたぞ。メルエを置いて行くにしろ、連れて行くにしろ、今のお前なら真剣に考えた結果だろう……ならば、私達はそれに反対を唱える事はない」

 

 リーシャは、『メルエがパーティーに加入してから、カミュは変わった』と感じていたが、カミュから見れば、リーシャも同様なのである。

 リーシャの今の言葉は、決してアリアハン大陸では出なかった物だろう。

 

 『今のカミュであれば、真剣にメルエの幸せを考える筈』

 

 リーシャが考えている事は、ある意味、カミュの人柄を信じているという事になる。

 何度も衝突を繰り返し、価値観や見聞の違いをまざまざと見せつけられているのにも拘わらず、リーシャはカミュのその人間性を信用し始めているのだ。

 おそらく、リーシャ本人は気付いてはいないだろうが、確実に、この二人は変化している。

 

「……」

 

 そんなリーシャに、カミュは見た目では分からない程の悔しそうな表情を再び浮かべ、無言で踵を返し道具屋へと向かうのであった。

 

 

 

 サラとメルエが起床した際、サラは鍛練に遅れた事を必死にリーシャに謝るが、リーシャは優しく微笑みながらそれを許した。

 何度も頭を下げていたサラが、リーシャの後ろから現れたカミュの姿を発見した時の表情は、後にメルエにからかわれるものとなる。

 それは、まさしく絶望。

 この世であり得ないものを見たような、自分の生を諦めたような、そんな表情。

 目を見開き、顔は青ざめ、歯が噛み合わない。昨晩の失態を見られたという事は、サラにとって恥ずかしいという次元の問題ではなく、もはや死を望む次元の物なのかもしれない。

 

「……随分遅い起床だな。大事なお祈りとやらは、しなくても良かったのか?」

 

「えっ!?」

 

 カミュの言葉通り、サラは起きてから日課の礼拝を行う為に、教会へ向かってはいなかった。

 それは、昨晩の出来事に対する心の動揺によって忘れていたのではなく、潜在意識の中で故意に教会に向かいたくないという表れであったのかもしれない。

 教会に足を踏み入れれば、否応にも昨晩の事が思い返される。ルビス像に祈りを捧げている最中にその事を思い出せば、サラはきっと、こんな試練を自分に与え給うた『精霊ルビス』に愚痴を言ってしまうだろう。それでは、『精霊ルビス』の下にいる僧侶として失格である。

 

「今日は良いだろう。サラ、今日は部屋でお祈りをしろ」

 

「あっ、は、はい!」

 

 容赦のないカミュの指摘に、顔をしかめたリーシャがサラへと妥協案を出し、思わぬ助け船に青ざめていたサラの顔に生気が戻る。しかし、それもサラの後方から忍び寄る小さな影に即座に奪われた。

 

「…………あわ………あわ…………」

 

「メ、メルエ!……うぅぅぅ……」

 

 サラをからかうように、昨日意識を失う前のサラの言動を真似するメルエが、服も寝巻きのままでサラの後方から現れたのだ。

 そんなメルエからの揶揄に、再び暗い影を背負ったサラは顔を俯かせる。他人の機微を感じる事を学んでいないメルエには、それが楽しい物として理解されたのだろう。 

 

 ゴツン!

 

 再び昨夜のサラの口調を真似しようとしたメルエの頭に衝撃が走る。昨晩、カミュに落とされた拳骨の衝撃とは比べ物にならない程の痛みが、メルエの頭部を襲った。

 驚いたメルエは、痛む頭に手を翳し、衝撃が来た方向へと視線を移す。

 

「メルエ、サラが嫌がっているだろう! 人の嫌がる事をするのは、いけない事だ」

 

 メルエが見た方向にあったのは、出会ってから初めて自分に向けられたリーシャの表情であった。

 メルエには何故、自分が叩かれたのかが理解出来てはいない。自分は面白いと思った事をしていただけなのだ。

 訳が分からず、助けを求めようとカミュの方を見るが、カミュの瞳は、厳しくメルエを見据えている。メルエを受け入れる様子がないカミュを見て、メルエの胸中に不安が広がって行った。

 

「メルエ、今メルエがサラにした事は、サラにとってとても嫌な事なんだ。メルエを心配して、夜中に探しに来てくれたサラに対して、メルエは嫌な事をするのか?……感謝の気持ちも表わさずに、メルエは大事な仲間を傷つけるのか?」

 

 常に自分を優しく包んでくれていたリーシャが豹変した事に、暫く驚いていたメルエであったが、尚も続くリーシャの叱責に、昨晩と同じように無意識に目に涙が溜まって行く。今のリーシャには、昨日のカミュのように優しく諭すような雰囲気はない。

 

「あっ、メルエ!」

 

 リーシャが怖くなってしまったメルエは、その場から逃げる事を選択した。

 『とてとて』と走り、味方だと信じるカミュの所へ辿り着き、そのマントの中に潜り込もうとする。

 しかし、それは唯一の味方と信じる者によって阻まれた。

 

「!!」

 

「……」

 

 カミュによってマントに隠れる事を阻害されたメルエは、その双眸を大きく見開き、溜まっていた涙を床に溢す。味方だと信じていた相手に裏切られたメルエの瞳には、新たな涙が溢れ出し、もはや止める事が出来ない。

 そんなメルエと視線を合わせるようにしゃがみ込んだカミュは、ゆっくりとメルエへと語りかけた。

 

「……メルエ……昨晩、俺とした約束は果たしたのか?」

 

「!!…………………」

 

 静かなカミュの声に顔を上げたメルエは、しばらく黙り込んでいたが、観念したようにゆっくりと首を横に振った。

 小さな溜息を吐いたカミュは、メルエの肩に手を乗せる。カミュの手が自分の両肩に乗った事に身体を跳ねさせたメルエであったが、それ以上の暴力が自分に及ばない事を理解し、再びカミュの顔を涙の溜まった瞳で見詰めた。

 

「……謝り方が解らないのか?」

 

「…………」

 

 カミュの言葉に、メルエは黙ったまま、頷きもせずに佇んでいる。そのメルエの姿が、カミュの問いかけを如実に肯定していた。

 再び小さな溜息を吐き、カミュは再度口を開く。

 

「……感謝の言葉は、昨日言っただろう?」

 

「…………」

 

 今度はメルエの首が縦に動く。

 それを確認し、カミュは言葉を続けた。

 

「まずは、夜中にも拘わらず、メルエの身を心配して歩き回ってくれたあの僧侶に感謝の言葉を。自分の事を、あれ程に心配してくれる人間がいる事は、メルエにとってとても幸せな事だ」

 

「……カミュ様……」

 

「……カミュ……」

 

「…………」

 

 カミュの言葉に、サラとリーシャの二人も驚きを隠しきれない。あのカミュがサラの擁護をしているのだ。

 メルエは、涙が流れ続ける瞳を拭う事もせず、カミュの瞳を見つめ、小さく頷いた。

 

「謝り方は、あの戦士に聞け」

 

 しかし、再び突き放され、先程自分に拳骨を落とした相手に突き出されそうになると、メルエの目に怯えの感情が現れる。眉を下げて、許しを乞うような視線を向けるメルエに、カミュは小さく溜息を吐き出した。

 

「……大丈夫だ……あの戦士には脳味噌は足りないが、訳もなくメルエに暴力を振るう人間ではない。メルエが悪い事をしない限りは、心配する必要はない」

 

「…………」

 

「……カミュ……覚悟は良いのか……?」

 

 真剣に見つめ合うメルエとカミュの二人を見ていたリーシャが、カミュの一言が引っ掛かり、怒りを露わにする。そんな、いつものやり取りに近い状況になって初めて、サラの表情にも余裕が生まれてきた。

 リーシャの怒りを余所に、カミュにこくりと頷いたメルエは、恐る恐るといった印象を持つ足取りで、再びリーシャの下へと戻ってきた。

 『とてとて』という覚束ない足取りで近寄って来るメルエに視線を向けたリーシャの瞳から、怒りの炎が鎮火して行く。

 

「…………」

 

 何かを期待するような、メルエの涙の溜まっている瞳に、リーシャはカミュへの怒りを内に戻し、メルエと会話をする方を選んだ。

 

「……メルエは、謝り方が分からないのか?」

 

「…………ん…………」

 

 リーシャの言葉に、今度は素直にメルエが頷く。

 その動作で、未だに流れるメルエの涙が床に落ちて行った。

 

「私達が謝罪をしているところを見ていただろう?」

 

「…………すま………ない……………?」

 

「ぶっ!!」

 

 リーシャに返したメルエの言葉にサラは盛大に吹き出してしまう。

 確かに自分達の行動を見ていたとしたら、カミュにしろリーシャにしろ、その言葉しか言っていない筈だ。これは、リーシャの問いかけが悪い。

 しかし、自分が一生懸命に考えて発した答えを笑われた事に、怒りと悲しみを宿したメルエは、吹き出したサラに鋭い視線を送る。

 

「……ご、ごめんなさい……」

 

 メルエの視線の強さに、サラは条件反射的に頭を下げて謝ってしまった。

 サラが頭を下げても、厳しい瞳を向けるメルエに苦笑を浮かべながら、リーシャはもう一度メルエと視線を合わせ語りかけた。

 

「……メルエ、今、サラが言った言葉が謝罪の言葉だ。人は相手に謝る時には『ごめんなさい』と謝る。それが万国共通の言葉だ。サラは今、メルエを笑った事を謝った。今度はメルエの番だぞ」

 

「…………」

 

 どこか納得しきっていない様子のメルエではあったが、サラが自分に謝罪をした事は理解出来たのだろう。カミュの言う通り、昨晩サラが自分を心配してくれていた事も理解している。

 故に、メルエはリーシャに小さく頷くのだった。

 

「…………」

 

「メ、メルエ?」

 

 いざ、サラの前に移動したメルエであったが、何の抵抗があるのかなかなか口を開かない。もしかすると、サラには不本意だろうが、メルエにとって、サラはライバルに近い存在なのかもしれない。

 

「…………あり………が………とう…………」

 

「は、はい!!」

 

 ゆっくりと、本当にゆっくりと口を動かすメルエの言葉を聞き逃さないように、サラは耳を澄ませる。溜めに溜めた感謝の言葉を聞き、サラの顔に笑顔が戻った。

 メルエは一度頭を上げた後、もう一度サラの瞳を見つめる。

 

「…………ごめん………な……さ……い…………」

 

「は、はい! もう大丈夫ですよ」

 

 メルエの内情が分からないサラは、一生懸命自分に向かって感謝と謝罪の意を表そうとするメルエがとても愛おしい者に映る。

 謝罪を言い終わったメルエを、サラはその胸に掻き抱いた。

 モゴモゴとサラの腕の中で動いていたメルエではあったが、先程までの緊張が抜けて行くのを感じ、再び涙を流し始める。結局、サラの胸でメルエは声を殺して泣く事となった。

 

 

 

「少し話をしたいのだが……」

 

 朝食を取り終えたところで、不意にトルドが口を開いた。

 食卓には昨日の夕食時と同じようにトルドの両親も席に着き、総勢七人での賑やかな食事であったため、重苦しく口を開くトルドに全員の視線が集まる。

 

「アンタ達は、そんな小さな子供まで討伐のメンバーとして扱うのか?」

 

 全員の注目に耐えられなかったのか、トルドは下手に溜めを作らず、考えていた事をそのまま吐き出した。

 それは、今朝カミュとリーシャが語っていた事である。

 

「そ、それは……」

 

 しかし、黙って鋭い目を向けるカミュとリーシャの代わりに答えたのはサラ。それは、如何にも曖昧な、確固たる決意を持ってトルドの意見に対抗する事が出来ない物であった。

 

「アンタ達は良いかもしれない。お二人が腰に差しているのは、この村で売っている<鋼鉄の剣>だ。その剣は、そんじょそこいらの人間に振るえる程の物じゃない。しっかりとした腕を持っている筈だ。お譲さんだって、法衣を纏っているのだから、どこかの僧侶さんなのだろう?……ならば、身を守る魔法も使える筈だ。だが、メルエちゃんは幼すぎる」

 

 トルドは、自分の問いかけに答えたサラでも、目を瞑って腕を組んでいるリーシャでもなく、後ろから鋭い視線を向けるカミュだけを見つめて語っていた。

 対するカミュも視線をトルドから外す事なく、その疑問を真っ向から受けていた。

 

「し、しかし……」

 

「……サラ……」

 

 トルドの言葉に反論しようと口を開くサラを、リーシャが静かに抑える。振り向いたサラに、リーシャは尚も首を横に振る事で、サラの言葉を許さなかった。

 

「カンダタは義賊を謳ってはいるが、所詮盗賊だ。そんな場所に、こんな小さな少女を連れて行く事を俺は認められない」

 

「……であれば、何だと言うのだ?」

 

 やっと開いたカミュの口から発せられた言葉は、この家に入って来てから初めて余所行きの仮面を取り払った物であり、その豹変ぶりに、トルド一家は驚く事となる。

 久しく見ていなかったカミュの能面のような表情のない顔。その表情に、サラの身体は凍り付き、リーシャの瞳は抉じ開けられた。

 

「……メルエちゃんを、うちで預かりたい……」

 

「……」

 

「そ、そんな……」

 

 驚きはしたが、カミュから目を離さず紡いだトルドの言葉に、カミュとリーシャは何も語ることなく、サラは言葉を失っていた。

 カミュは、表情を変えないまま、鋭い視線をトルドへと向けている。

 

「…………いや…………」

 

 その時、一行の話を今まで黙って聞いていた張本人が、満を持して口を開いた。

 一行の視線がその発言元に集まると、そこには、食事をしている最中には横に置いてあった<とんがり帽子>をしっかりと被り、鋭くトルドを睨むメルエの姿があった。

 

「し、しかし、メルエちゃん! 君はまだまだ幼い」

 

「…………いや…………メルエも………行く…………」

 

 メルエの言葉にトルドは反論するが、メルエはその言葉に聞く耳を持たず、椅子から降りてカミュの下へと駆けて行く。

 カミュの下へと辿り着いたメルエは、カミュのマントの裾を掴み、その顔を見上げて自己主張をした。

 

「……メルエ……決めるのはお前だ。ここにいれば、メルエは今までのような不自由をする事なく暮らしていける筈だ」

 

「…………」

 

 カミュの言葉に、メルエは全力で首を横に振る。

 完全なる拒絶。

 リーシャはこの時、メルエの決意を感じた。

 おそらくこの先、どんな人間が現れても、メルエはカミュの傍を離れる事はないのかもしれない。例え産みの親が彼女を再び引き取りたいと言っても、メルエの首は縦に動かないのでないかとさえリーシャは思った。

 

「……わかった……申し出はありがたいが、そう言う訳だ。メルエはこのまま俺達と共に行く」

 

「し、しかし!!」

 

 涙を溜めて見上げるメルエの頭を撫でたカミュは、再びトルドと渡り合う。その口調は、トルドの提案を拒絶する物であり、メルエの望みを叶える物。

 故に、メルエの顔に笑顔が戻って行った。

 

「……アンタの心配も十分に理解出来るが、これは俺達の問題だ。もし、このまま強引にメルエをここで引き取ったとしても、このままでは、決してメルエはアンタ達には懐かないだろう。むしろ、俺達から引き剥がした人間として、恨みの対象となるかもしれない。ここまでお世話になった人間に、そんな想いを抱かせたくないというのも俺の気持ちだ。わかって欲しい」

 

 尚も言い募ろうとするトルドをカミュは静かに拒絶する。相手の気持ちを配慮しながらの物ではあるが、逆に反論する事が出来ない程の拒絶である。それはトルドにも届いたのか、その場に押し黙る沈黙が流れた。

 暫く黙ってテーブルを見つめていたトルドではあったが、おもむろに立ち上がると、後ろにある小物入れから小さな箱を取り出して戻って来た。

 

「……ならば……これを持って行ってくれ」

 

 カミュの傍まで来たトルドは、しゃがみ込んで、その箱をメルエの手の上に乗せる。メルエは、不思議そうにその箱とトルドとカミュを何度も見比べていた。

 

「……これは……?」

 

「開けて見てくれ」

 

 トルドの答えを聞いたカミュはメルエへ箱を開ける事を促した。こくりと一つ頷いたメルエは、その手にある小さな箱の蓋を開いて行く。そこには、小さな棒しかなかった。

 その尖った短い棒には、持ちやすいように布が巻いてあり、その尖った先端は金属にはあり得ない色をしてる物だった。

 

「…………???…………」

 

 開けた箱の中身が全く分からないメルエが、箱を開いたまま小首を傾げる。それはカミュも同じで、箱の中身に皆目見当もつかない。リーシャやサラも同様であった。

 

「それは、<毒針>だよ」

 

「ど、どくばり!!」

 

 問い質すように向けられた四人分の瞳に怯む事なく、トルドは箱の中身の正体を明かす。その内容にサラは驚きを返すが、カミュやリーシャは納得し、メルエに至ってはその品の本質が解らず、反対側に小首を傾げていた。

 

「昔は、この道具屋で売っているような、ありふれた物だったのだが、今はおそらくその一本しか残ってない。それで急所を刺せば、人間は勿論、魔物でさえ一撃で仕留められる筈だ」

 

「……それ程の物なのか……」

 

 トルドの話す内容に、そこまでの品と理解出来たリーシャが素直に感嘆を表す。メルエは箱から毒針を取り出し、しげしげと眺めていた。

 

「これなら、いくら非力なメルエちゃんでも、魔物と戦う事は出来るだろう?」

 

「……しかし、ここまで短い武器では、相当魔物に近づかなければ意味がないだろうな……」

 

 カミュの言う通り、魔物の急所をこの短い<毒針>で刺す為には、ゼロ距離まで近づかなければいけない。それこそ危険という物だ。

 メルエに武器を持たせる事を反対する訳ではないが、わざわざ危険に晒す必要もない。

 

「当たり前だ! それは、いざという時の為の武器だ。メルエちゃんに魔物を近付けないのが、アンタ達の役目だろう。それでも魔物に捕まったりした場合の最後の手段としてくれと言っているんだ!」

 

 トルドはカミュの物言いに、憤慨したように怒鳴りつける。もはやカミュは、トルドにとって、メルエと暮らす事の出来る未来を奪った悪者であったのだ。

 故に、カミュの言動に必要以上の感情を吐き出す。

 

「なるほどな……良かったな、メルエ」

 

「……」

 

 トルドの説明を理解したリーシャは、メルエを見下ろして微笑みを浮かべる。その使用目的を未だに理解しきれていないメルエだったが、リーシャの笑顔から、それが良い物だと理解し、一つ頷いた。

 

「…………あ……りが……とう…………」

 

「!! うぅぅ……ぐすっ……良いんだよ……気をつけるんだよ……」

 

 昨日学習した感謝の言葉を自発的に発したメルエに、トルドの涙腺は再び制御不能に陥る。サラもその様子を静かな微笑みを浮かべていた。

 

 

 

「カミュ殿……少しよろしいか?」

 

 そんな居間での空気を少し離れた所で見ていたカミュは、突然掛けられた声に振り向くと、トルドの父親が暗い顔をして立っていた。

 

「……ああ……」

 

「では、こちらに」

 

 未だに居間で響く笑い声から少し離れた場所まで移動させられたカミュは、トルドの父親の真意を測りかねていた。

 深刻そうに俯くその顔から、あまり楽しい話題ではない事が窺える。

 

「……実は、迷ったのですが、カミュ殿にはお話しておこうと思いまして……」

 

「……なんでしょう?」

 

 再び仮面を被り直したようなカミュの言葉に、父親は話を始める。俯きながら一つ一つ呟くように話す父親の心情は、決して良い物ではないのだろう。

 

「あの子の言葉に気を悪くしないでください」

 

「……いや、全く気にしてはいませんが……」

 

 カミュの返答に、一つ息を吐いた父親は、何度も口籠り、それでも意を決したように語り出す。

 

「そうですか……よかった。あの子は必死なのです。ロマリア国から収入源を奪われた、この村を立て直す事に……」

 

 謝罪から始まった父親の話は、カミュには考えつかないものであり、その証拠に、カミュは父親が何を言いたいのか分からずに、次第に表情を失くしていった。

 

「……あの子には、私達にない商才がありました。私達の代では細々とした商いをしていましたが、あの子の代になってから商売は大きくなり、<薬草>や<毒消し草>の販売だけではなく、この地方独特の<満月草>などの販売も始め、アクセサリー等の販売、そしてこの地方で古くから伝わっていた、あの<毒針>の独占販売など……」

 

「……」

 

 カミュは黙して何も語らない。

 相槌も打たない。

 ただ、何も感じていないような表情で、父親を見つめている。

 

「それが、ロマリア国の鉱山国有化で全てが変わりました。国内の人間の覇気が日々失われ、それに伴い人々の来訪も皆無になって行く。この村に残された選択肢は、滅び逝くだけとなりました」

 

 父親の話は、昨日カミュが仲間に語った予測が当たっている事を物語っていた。

 それと同時に、寂れた村の道具屋に似つかわしくない立派な住居の理由も明らかになる。

 

「そのような時も、行動に移したのはあの子でした」

 

「……カンダタか……」

 

 父親の話の流れで、行きつく先が予測でき始めたカミュが話に入る。カミュの割り込みに、気を悪くする事なく、少し驚きの表情を浮かべた後、父親は大きく頷いた。

 

「その通りです。あの子はカンダタ一味を村に入れる事を提案しました。当初、村の住民は、盗賊を村の内部に入れる事に猛反対しましたが、カンダタが通りかかる時に、あの子が必要な物資を一味に販売し利益を得ている事を知り、反対意見も次第に鳴りを潜めて行きました」

 

「……」

 

 ロマリア界隈でも有名になりつつあったカンダタの一味を村に引き入れる事は、通常村を破滅へと導くような物である。村の住人にしてみれば当然の反対だったのであろう。

 しかし、それでも、トルドは危険な賭けに出たのだ。

 

「村への出入りを許可されたカンダタ一味は、この村に膨大なゴールドを落として行きました。それは、店の種類を問わず。教会にさえも、寄付という名目でゴールドを渡しています」

 

「!!」

 

 カミュは最後の一言に驚きを示す。

 食堂、宿屋、道具屋に武器屋、それらにゴールドを落とす事は、需給の面から見て当然の事だろう。しかし、教会にまで寄進をしていくという事がカミュには信じられなかった。

 教会が崇める『精霊ルビス』は、カンダタのような盗賊を前世での罪人として冷遇している。およそ、盗賊が『精霊ルビス』を崇める理由がないのだ。

 

「教会へのゴールドは、連中が酒に酔った時のものですから、定期的に寄進していた訳ではありません」

 

「……」

 

 カミュの驚きの意味を察したトルドの父親は、慌てて訂正をし直した。盗賊が教会に寄付を行うという行為自体が常軌を逸していただけに、カミュは父親の言葉に納得する。父親のほうは、息を一つ吐き出し、もう一度ゆっくりと語り始める。

 

「ただ、この村が今も尚、村としての形状を保っていられるのも、カンダタ一味が齎したゴールドのお陰と言っても過言ではありません。そして、あの子はカンダタ一味がゴールドを落としやすいように、色々な趣向も凝らして行きました」

 

「……それでか……」

 

 父親の話を聞き、カミュは全てを理解した。

 トルドの感じている罪の意識を。

 そして、この父親が話そうとしている事を。

 

「ええ、ですから、あの子は自分の妻と子がいなくなり、そこにカンダタ一味の影がちらつく事に、誰よりも後悔したのです。自分のやって来た事が間違いだったのかと日々苦しんで来たのです……」

 

 最後の方は、もはやトルドの父親の言葉は声になっていなかった。息子が苦しみ塞ぎ込んで行く事を傍で相当悩み苦しんだのであろう。

 妻や子を失い、そしてその影響で母親まで倒れる。

 その原因は全て自分が作ったのかもしれない。

 それは、一人の人間の心を壊すには十分な威力を持っていただろう。

 

「……それで……アンタは俺に何を望んでいる……?」

 

 一部始終を冷ややかな無表情で見つめながら聞いていたカミュの言葉は、その場の空気を凍らす程に冷たいものであった。そんなカミュにトルドの父親は絶句する。

 

「……一晩の宿と暖かな食事には、本当に感謝している。だからこそ、アンタの息子の願いは、自分に出来る限りの事をすると約束した。それ以外に、何を求めている?」

 

「……い、いえ……」

 

 カミュの強い言葉に、父親のほうは二の句を繋げなくなる。それ程に、カミュの瞳に宿る光は強いのだ。

 明らかな拒絶を示すその光は、父親の勇気を根こそぎ奪って行くのに充分な威力を誇っていた。

 

「例え、真実を知ったとしても、過去が戻って来る訳ではない。むしろ、今よりも酷い状況になるのかもしれない」

 

「……それは、わかっております……」

 

 カミュが語る言葉は、正論であるが、他人を突き放す冷たい物であった。

 トルドの父親も、勿論トルド本人も理解している事。それを敢えて突き付けるカミュの姿は、トルドの父親には鬼のように映っていただろう。

 

「……貴方方がどう望もうと、メルエをここに置いて行く事は出来ません。貴方方の気持ちも理解は出来ますが、それとこれとは別です。メルエ本人も我々と行動する事を望み、我々もメルエと行動する事を望んでいます」

 

「……そうですか……」

 

 最後に、カミュは再び仮面を被り直す。トルドの父親の目的は、やはりメルエであった。

 希望も覇気も失いかけている自分達に、メルエという光を与えて欲しいという願い。しかし、口調を丁寧にした分、カミュの言葉の拒絶の強さが明確に示されていた。

 

「……時間をとらせてしまいました。申し訳ございませんでした」

 

 最後にカミュに向かって頭を下げ、居間に向かっていくトルドの父親の背中は、初めて会った時よりも更に小さくなってしまったような錯覚を受ける。いや、なまじメルエという希望の光を見せられた事により、その落胆が加えられ、気力が尽きてしまったのかもしれない。

 それ程、彼らの絶望は強かったのであろう。

 

 

 

 

 

「本当にありがとうございました」

 

 道具屋の前でサラが声を出して頭を下げる。リーシャやカミュもトルド一家に向かって頭を下げているのを見て、メルエも慌てて頭を下げた。

 

「……いえ、いいのです。お気をつけて……」

 

 未だにカミュとの対話のショックを引きずっている様子のトルドの父親の顔色は優れない。トルドも未練がましく頭を下げるメルエを見つめていた。

 顔を上げたメルエは、自分に集まっている視線の理由が分からず、首を小さく傾げていた。

 

「しっかりメルエちゃんの身を守ってください……」

 

「ああ、言われなくても、メルエは私の命に代えても護って見せるさ」

 

 トルドの絞り出すような声にリーシャが笑顔で答えた。朝は、カミュに対してあのように言ったリーシャではあったが、実際はもはやメルエに対し相当な愛着を感じていたのだ。

 その証拠に、トルドが『メルエを引き取りたい』と言った時に、リーシャの表情は固まってしまった。無表情に近いように見えてはいたが、内心は焦燥感に襲われていたのだ。

 故に、カミュがそれを断る発言をした時には、溜めていた息を吐き出し、全身の力が抜けて行くのを感じていた。そんな自分の心の変化にリーシャは驚き、そしてそれを嬉しくも思う。

 それが今、トルドに答えるリーシャの表情に出ていたのだ。

 

「……」

 

 トルドが確認を込めてみた方向には、無表情に頷くカミュの姿があった。その横には、彼が欲してやまない、生前の娘と同年代の少女がマントの裾を掴んでこちらを見ていた。

 別れの儀式も済み、カミュ一行は村の出口へ向かう。

 トルド一家は、入口の木の門が閉じられるまで、その背中を見つめていた。

 

 

 

 

 

「それで?何処へ向かうんだ?」

 

 村から出て、再び平原にでた一行が向かう場所を、メルエの手を引きながらリーシャがカミュに問いかける。メルエは、まるで何処かに遊びに行くような笑みを浮かべ、リーシャの手を握っていた。

 

「村の西の方面に向かうと<シャンパーニの塔>という塔があるらしい。おそらく宿屋の前であった男が言っていたのは、その塔だろう」

 

「……シャンパーニの塔?」

 

<シャンパーニの塔>

アリアハン大陸にある<ナジミの塔>と同じように、有史以前に建立されたと思われる塔だが、<ナジミの塔>とは違い、近くに海はあるが港はなく、何の為に建立されたのか現在の研究者達を悩ませている塔である。

 

「数年前からは、カンダタ一味のアジトとなっているらしい。トルドが教えてくれた。盗賊達だけではなく、魔物の住処ともなっているようだがな」

 

「では、一先ずはそこへ向かう訳ですね」

 

 サラの問いかけにカミュは静かに頷く。未だにカミュの目を見る事が出来ずに、サラは明後日の方向を向いてカミュに問いかけていた。

 そんなサラの様子に、メルエは何かを言いたそうな表情をしていたが、鉄拳を恐れて何とか言葉を飲み込んでいた。

 

 村を背に西の方角に進み、一行は山道へと入って行く。四方全てを山に囲まれている<カザーブ>から出るには、どこに向かうにしても峠を越えなければいけない。

 そんな中、<カザーブ>へと進む山道と違い、メルエの足は軽やかだった。

 カミュが、自分をあの村に置いて行こうとしなかった事。

 カミュ達が自分に帽子といえ、物を与えてくれた事。

 そして、あれ程に自分を怒ったリーシャが、今は既にいつもの優しいリーシャに戻っている事。

 それらの全てが嬉しく、被っている<とんがり帽子>のつばの部分を常時触りながら、メルエは笑顔を作っていた。

 サラはそんなメルエの姿に心が和んで行く。昨晩の失態に関して、リーシャからは、カミュとリーシャの二人しか知らない事を聞いていた。

 メルエには、自分がうわ言のような物を口にしながら失神した事しか気づかれてはいないと言う。カミュにしても昨晩の事を口にする様子はなく、リーシャがサラの嫌がる事をするなどあり得ない。

 そんな安心感から、サラは昨晩の出来事を強引に頭の隅に追いやっていた。

 

「メルエ、そんなに走ると疲れてしまいますよ」

 

「…………だいじょう………ぶ…………」

 

 サラの微笑みを混ぜた忠告に、メルエは若干『むっ』とした表情を浮かべ、反論する。

 メルエは何故か自分に対しては、強硬な態度を取る。その事に少し疑問を持つサラではあったが、子供の強がりとして受け止め、柔らかな笑顔を浮かべた。

 

 

 

 山道の中腹まで来たときに、先頭を歩くカミュの背中の剣が抜かれた。もはや見慣れた戦闘の合図である。

 カミュの姿を見たサラが、背中に担ぐ<鉄の槍>を構え、最後尾でメルエの手を引いていたリーシャもまた、腰の剣を抜き放った。

 しかし、山の木々の隙間から不穏な空気は流れてくるが、その元凶であるはずの魔物の姿が一向に見えない。

 一瞬、『自分だけが見えないのでは?』と思ったサラではあったが、カミュやリーシャも辺りの様子を探っている事から、全員が魔物の姿を確認出来ていない事を理解する。

 

「メルエ! 私の傍を離れるな!」

 

「…………ん…………」

 

 リーシャの叫び声に、カミュの下へと移動しようとしていたメルエが大きく頷き、再びリーシャの足下に戻る。リーシャも目を凝らして魔物の姿を探すが、その姿は未だに見えなかった。

 

「!!」

 

 もしや、魔物ではない何かが発する殺気なのかと勘繰り始めた頃、周囲に変化が起こった。まるで、霧が立ち込めるかの様に一行の周りが曇り始めたのだ。

 一行を取り囲むように発生した霧のような煙は、次第にその姿を固定させて行く。

 カミュの持つ<鋼の剣>が上段に構えられ、徐々に収束していく煙を一閃するが、煙を霧散させるだけの効力しか発揮しない。必然的に、煙が完全にその姿を現すまで、見守るしかなかった。

 剣を構えたまま何も出来ない一行の前にようやく魔物がその姿を現した。灰色に染まる煙が円を描くように集まり、その中央に顔のような物が浮かび上がる。

 

<ギズモ>

その繁殖方法及び、生態は全く解明されていない魔物の一つである。雲のような煙のような身体を持ち、魔法を使いながら人々を襲う。<ギズモ>の食事の状況を見た人間がいない事から、どのように人間を食すのかも解ってはいない。ロマリア大陸に住む魔物の中でも中位に属する魔物だ。

 

「ふん!!」

 

 煙が収束されたことを確認し、カミュの剣が再び振り下ろされる。カミュの顔の位置をふわふわと飛ぶ<ギズモ>に抵抗なく剣が入って行くが、顔が浮かび上がる中央から真っ二つにされたにも拘わらず、その表情は変わる事なく嫌な微笑みを浮かべたまま、再び元の形状に戻って行く。

 

「なっ!!」

 

 カミュの剣の行方を見ていたリーシャは、その魔物の構造に驚きの声を上げた。サラも同じ様に目を見開き、<ギズモ>を見ている。今のカミュの攻撃の一部始終を見ていていれば、剣での斬撃では効力が乏しい事がはっきりと証明されたのだ。

 パーティーとして、カミュとリーシャの剣に頼りがちである一向にとって、深刻な問題が浮き彫りとなってしまった。

 

「……カミュ、どうする?」

 

 一旦、リーシャの傍まで後退したカミュに、周囲への警戒を緩めずリーシャが問いかける。メルエもリーシャの足元からカミュを見上げていた。その瞳は、何かを訴えかけるような色を帯びている。

 

「……剣での攻撃では、ほとんど意味がないとなると……」

 

「…………メルエ………の…………」

 

 カミュが<ギズモ>の方から視線を離さずに話し始める内容を聞き、途中でメルエが口を開く。メルエのたどたどしい言葉に被せるように、カミュは視線をメルエに移し、頷きを返した。

 

「…………あたらしい………おぼえた…………」

 

「なにっ!? 新しい魔法を覚えたのか!?」

 

 カミュの言葉に頷いた後、メルエから発せられた言葉に、再びリーシャが驚きの声を上げる。

 メルエが<ルーラ>までの約七種類の魔法の契約が済んでいる事をカミュから聞いた時、リーシャは驚きを通り越して呆れてしまった。

 成人の『魔法使い』でも、<ルーラ>を覚えるのには何年もの修行や鍛練が必要なのだ。それをメルエはこの歳で、階段を飛び越えるように契約を済ませ、行使する事が出来ると言う。更には、新しい魔法の契約も済ませたと言うのだ。

 正直、異常にも程がある。元々、魔法に特化した家の出なのか、それとも突発的な才能なのかは解らないが、メルエの魔法の才能は、おそらくこのパーティーの中だけでなく、世界中の『魔法使い』と呼ばれる人間の中でも飛び抜けたものなのかもしれない。

 

「リーシャさん! カミュ様! メルエと一緒に、少し下がっていて下さい!」

 

 リーシャの驚いた顔を見て、満足そうにメルエが頷いた時、三人と少し離れた場所にいたサラの声が響いた。

 声に気が付き、視線を<ギズモ>からサラへと移すと、既にサラは詠唱の構えに入っていた。その様子に何らかの魔法を行使しようとしているのが解る。しかし、カミュ達が今までの旅で見てきた限り、サラが行使出来る魔法の中で、あの魔物に有効的な魔法はない筈だ。

 

「サ、サラ……」

 

「バギ!」

 

 サラに向かって、問いかけと共にメルエの魔法の行使を伝えようとリーシャが口を開くのと同時に、サラの魔法詠唱の声が辺りに木霊した。

 サラの詠唱と共に、サラの周囲を取り巻く空気という空気が唸りを上げ始める。しかし、サラの変化に気がついた<ギズモ>の内の一体も、人語ではない音で詠唱を行った。

 <ギズモ>の詠唱と同時にその口から火球がサラ目掛けて飛び出して来る。それは、カミュの得意呪文である<メラ>と同様の大きさを持つ火球であった。

 

「サラ!」 

 

 リーシャは、<ギズモ>から発せられた火球の狙いがサラである事に声を上げる。しかし、サラの手が上がり、その指先が四体の<ギズモ>へ向けられると、渦巻いていた空気は一斉にサラが指し示した方向へと、まるで風龍のように突っ込んで行った。

 真空の風は、飛んで来た火球を怒涛の勢いで飲み込み、それを霧散させながら<ギズモ>の集団へと向かって行く。

 

「!!」

 

 戦闘に取り残されたような状況になった三人は、サラが行使した魔法の威力に驚き、言葉を失った。

 サラが起こした風の渦は、<ギズモ>四体を巻き込み、その流動的な体躯を切り刻んで行く。凄まじいまでの速度で、四方八方から真空の刃を受けた<ギズモ>達は、風が収まり辺りに静けさが戻ると、跡形もなく消えていた。

 

「……良かった。上手く行きました……」

 

 振り上げていた手を下ろし、額の汗を拭ったサラは、安堵の溜息と共に充実感に満ちた言葉を溢した。

 

「サ、サラ! 凄いな! 新しく魔法を契約出来たのか!?」

 

「あっ、リーシャさん! は、はい! 持って来ていた『経典』の中に、攻撃呪文がありましたので……」

 

<バギ>

教会が管理する『経典』の中に存在する魔法の一つで、『経典』の中から魔法を契約する僧侶にとって、唯一と言っていい攻撃魔法である。術者の詠唱と共に、周辺の空気に動きが起こり、風を産み出す。その風が真空となり、対象に襲いかかるのだ。真空の刃に襲われた対象は、その刃で体躯を切り刻まれる。

 

「…………むぅ…………」

 

「……ふぅ……」

 

 リーシャに褒められ、頭を撫でられて笑顔を作るサラを、カミュのマントの裾を掴んでいる少女が頬を膨らませながら見ている。そんなメルエの表情に苦笑しながらも、カミュはサラの成長に驚いていた。

 アリアハン大陸を旅する時には、全くの足手まといと言っても過言ではなかったサラが、先日の戦闘でも今回の戦闘でも、勝利に大きく貢献している。いや、今回に限っては、サラ一人で戦闘を終わらせているのだ。

 メルエが加入するまでは、全く頼りなかった僧侶が、徐々に『人』を導く者としての能力を開花させ始めているのかもしれない。

 

「メルエ、大丈夫でしたか?」

 

 リーシャからのお褒めの言葉に、上機嫌でメルエの安否を確認しようとするサラが見たのは、決して友好的とは言えないメルエの表情であった。

 

「…………サラ………きらい…………」

 

「えっ!? えぇぇぇぇぇ!!」

 

 メルエを護る事に貢献出来たと自画自賛していたサラには些かショックな言葉。しかし、驚くサラの耳に続いて入って来たメルエの声は、更にサラを落ち込ませるものだった。

 

「…………あわ………あわ…………」

 

「メ、メルエ!! うぅぅ……」

 

 機嫌を損ねてしまったメルエの口に戸は立てられない。今朝、拳骨と共にあれ程リーシャに叱られた言葉を、メルエは再び口にするのだった。

 

「あはははっ……メルエ、それは今朝、もう口にしないと約束した筈だろ?」

 

 メルエの言葉を聞き、リーシャが再びメルエを諌める。しかし、その表情は柔和な笑みを浮かべており、諫めてはいるが怒ってはいない事を示していた。

 

「…………メルエ………あたらしい………の…………」

 

「……メルエ……新しい魔法は今度見せてもらう。その時を楽しみにしている」

 

 リーシャの言葉に俯いてしまったメルエが途切れ途切れに話す言葉を理解したカミュは、メルエの頭に手を乗せて慰める。

 最後にカミュから『楽しみにしている』と言われたメルエは、顔を上げてこくりと頷いた。

 メルエにとって、魔法を使う事が、このパーティーの中で自分の存在価値を示す、たった一つの方法だと思っている節があった。せっかく、その機会が巡って来たのに、同じ様に新しい魔法を習得したサラによって、その出番は奪われてしまったのだ。

 そして、本来自分に齎される筈だったリーシャの褒め言葉を、サラが受けてしまう。メルエにとって、それは何よりも悔しい事だったに違いない。

 

「うぅぅ……メルエは、私が本当に嫌いなのですか?」

 

「…………きらい…………」

 

 両親の生前でも、教会での生活でも、一人っ子として育ったサラにとって、メルエは初めて出来た小さな妹のような者なのである。そんな妹から嫌われているというのは、サラには耐えがたい哀しみであった。

 

「…………じゃない…………」

 

 メルエの表情は、悔しそうに歪んではいるが、事実を語っているのだろう。口では『嫌い』と発しているが、どんな事を言っても自分を気にかけてくれているサラを、悔しいながらも嫌いにはなれないのだろう。

 リーシャに褒められるサラを見ていると、悔しくなる。

 カミュにお礼を言われているサラを見ると邪魔をしたくなる。

 それでも、メルエはサラが好きなのだ。

 

「メ、メルエ!!」

 

 溜を作ったメルエの言葉を聞き、サラは嬉しそうに笑顔を浮かべ、メルエを抱きしめる。サラの腕の中でモゴモゴ動くメルエに構わず、サラはその少女をしばらく抱きしめていた。

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

今週中には、第二章の全てを更新して行きたいと思っています。
ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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