新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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~幕間~【リムルダール地方】

 

 

 

 リムルダールを出たカミュ達は、西の外れにある岬へではなく、南へと進路を取る。リムルダールを囲う湖の縁を歩きながら『たいまつ』の炎を眺めていたメルエは、湖の傍に生い茂る草の隙間から『たいまつ』の炎に煌く何かを見つけた。

 握っていたサラの手を引き、自分が見た何かを指差したメルエは、何かを感じたように一歩後方へと下がる。それに合わせて下がったサラは、カミュとリーシャを呼び寄せ、戦闘態勢へと入った。

 戦闘となれば、サラ達は一旦後方へ下がらなければならない。今のサラであれば、並みの魔物相手に前衛で戦う事も可能であろう。だが、幼く直接戦闘能力が皆無であるメルエを護るという役目を持つ彼女は、魔物の影を感じた少女と共に後方へと下がらなければならなかった。

 

「カミュ、あのスライムだ」

 

「ちっ、数が多いな」

 

 湖の方を向いて各々の武器を構えた二人は、草の陰から姿を現した生物に『たいまつ』の炎を向けて、確認する。そしてその姿を認識した二人は、あからさまに顔を歪めた。

 出て来た生物は、銀色に輝く体躯を持ちながらも、その形状を維持出来ないかのように崩れたスライム。スライムの希少種であるメタルスライムという種の更に亜種。その体躯ゆえにメタルスライムの群れからも逸れてしまった『はぐれメタル』という種であった。

 その崩れたように見える体躯は、見た目以上の強度を誇り、人間の放つ攻撃では傷一つ与える事が出来ない。更に、その銀色に輝く身体は全ての呪文の効果を受け入れる事なく、弾き返すと云われていた。

 

「メルエ、呪文は効果がありません。無闇に放っては駄目ですよ」

 

「…………むぅ…………」

 

 後方へと下がったサラは、その魔物の正体を把握し、メルエへと注意を告げる。しかし、唯一の誇りを封じられた少女は、不満そうに頬を膨らませ、恨めしげに魔物へと視線を向けた。

 スライムベスに対しては、無邪気に近寄った彼女であったが、形状が全く異なるはぐれメタルに対しては、そのような動きは一切ない。彼女の中でスライム種という括りには入っていないのかもしれなかった。

 

「ふん!」

 

 不用意に近づいて来た一体のはぐれメタルに対してリーシャが斧を振り下ろす。しかし、如何に魔神が愛した斧といえども、このはぐれメタルの身体を斬り裂く事は出来なかった。

 乾いた金属音を響かせて弾かれた斧は、真上に上がり、その隙を付いて他のはぐれメタルがリーシャの胴目掛けて飛び込んで来る。咄嗟に振り下ろしたカミュの剣が、空中に浮いていたはぐれメタルの体躯を打ちつけ、小さな傷を付けた。

 一瞬の間の攻防ではあるが、前衛二人の攻撃の効果が見られない事など、この魔物に対してだけであろう。一体のはぐれメタルの金属のような身体に入った筋がカミュの付けた傷痕だとしても、これだけの強者が剣を振るってもその程度である事が異常であったのだ。

 

「……囲まれたか。適当に剣を振るっていれば、逃げ出す可能性も高いが、呪文を使う奴もいる。アンタは抗魔力が低いのだから、気を付けろ」

 

「そうだな。確か、ギラのような呪文を使っていたな」

 

 カミュ達二人を取り囲むように配置したはぐれメタルの数は四体。揺らめく『たいまつ』の炎を受けて銀色に輝く体躯を揺らし、生理的に受け付ける事の出来ない不気味な笑みを浮かべた口を歪に歪めていた。

 逃げ足は恐ろしく速いが、仲間が多い状態であれば逃げ出す理由がない。四体のはぐれメタルが一斉にギラという灼熱呪文を唱えれば、その効果はベギラマのそれを超えるだろう。呪文の行使によってそれを相殺出来るカミュとは異なり、リーシャはその防具によって身を護るしか術がない。

 

「ふん! まぁ、後ろにはメルエ達がいる。余程の事がない限り、アンタに呪文の火炎が届く事はないだろうがな」

 

「当たり前だ! 私の妹達を侮るなよ!」

 

 飛び掛って来たはぐれメタルを一閃したカミュが不敵な笑みを浮かべる。その笑みを見たリーシャは、近付こうとするはぐれメタル達に向かって斧を振り回しながら一歩前へと踏み出した。

 今のサラとメルエは、魔族さえも凌ぐ程の呪文使いである。その行使も絶妙な機会で行えるし、その威力の調整も問題はない。はぐれメタルがギラを発したとしても、リーシャの身体に危害を加えずにそれを相殺する事など容易い事であろう。

 それを絶対の信頼の下に告げるカミュに対し、喜びを隠し切れないリーシャは満面の笑みを浮かべた。とても魔物を前にして浮かべる表情ではないが、このアレフガルドで大きな山を越え続けて来た四人にとって、はぐれメタルなど恐れる物ではないのだ。

 

「@#(9&)」

 

「!!…………ヒャダルコ…………」

 

 そして、彼等の考えていた通り、はぐれメタルの一体が何処かで聞いた事のある奇声を発すると同時に、後方の少女が大きな杖を振るう。リーシャに向かって襲い掛かる灼熱の火炎を、後方から吹き荒れる冷気が壁となって防いだ。

 一気に吹き上がる蒸気が、火炎を冷気が飲み込んだ事を証明している。そのまま行使者であるはぐれメタルへ襲い掛かった冷気ではあったが、それはまるで掻き消されるように霧散して行った。

 しかし、そのような結果を想定済みである戦士は、己の斧を力一杯振り下ろしている。金属と金属がぶつかる甲高い音が響き、それと同時に一体のはぐれメタルの体躯が形状を保つ事が出来ずに地面の染みに変わって行った。

 

「逃げようとする奴を追う必要はない!」

 

「わかっている!」

 

 一体のはぐれメタルが死に絶えた事を見て、残る三体に動揺が走る。カミュ達へ向かって来る事なく、じりじりと後方へと下がり始めたその内の一体を見たカミュは、追撃の不要を告げた。それに対して大きく頷きを返したリーシャは、未だに動かない二体に向かって斧を振り上げる。しかし、振り下ろされた斧がはぐれメタルの体躯に命中する事はなく、乾いた地面へと突き刺さった。

 元々、人間の目では追う事の出来ない程の素早さを有している魔物である。襲い掛かって来る力を利用したカウンターか、呪文行使後の硬直状態時での攻撃しか倒す方法が無いのが事実であり、通常に相対した場合は、その速度に剣を合わせる事は至難の業であった。

 

「プキュ……」

 

 しかし、そんな前衛の苦労も余所に、逃げ出した一体の力無い奇声が闇の中に響く。後方へと振り返ったカミュとリーシャは、先程大きな杖を振るった少女が、自分の方へと逃げ出して来たはぐれメタルに向かって『毒針』を突き刺している姿を見る事となった。

 逃げ出す為に一直線に進んで来たはぐれメタルに攻撃を合わせる事は、呪文の応戦という瞬時の判断が必要となる戦闘を繰り返したメルエにとっては容易い事であったのかもしれないが、歴戦の勇士でも攻撃を合わせる事が難しい攻撃を、絶妙の形で突き入れた彼女を見る限りは、運が良かったと考えるべきだろう。

 しかし、これで四体中の半分が消滅した事によって、戦闘は概ね終了した。メルエの姿に目を奪われていたカミュとリーシャが我に返ってはぐれメタルへ視線を戻した時には、既に残っていた二体の姿は無かったのだ。生い茂る草の中へと消えたのだろう。

 

「……相変わらず、逃げ足だけは速いな」

 

「だが、あれ程の強度の相手を、刃毀れせずに斬り裂く事が出来れば、竜種の鱗も斬れるようになるだろうな」

 

 戦闘が終了した事で溜息を吐き出したリーシャは、既に影も形も見えない相手に対して呆れたような言葉を漏らす。それを聞いたカミュは、小さな笑みを浮かべながら遠回しにリーシャの腕を褒めていた。

 他者から見れば褒め言葉だとは気付かないだろう。だが、三度目の遭遇と言っても良い、はぐれメタルとの戦闘は、リーシャの戦士としての腕の上昇を明確に示している。一度目は完全に翻弄されていた。二度目は、一対一という戦闘形態に持ち込んだ事によって優位に進め、三度目は数に勝る相手に対して一刀の下に斬り伏せている。それは、彼女の戦闘の流れを見る眼や、相手の隙を見逃さない眼が進化している証明であった。

 別段、リーシャだけの物ではないだろう。カミュであっても、その剣筋は昔に比べて遥かに鋭くなっている。それを誰よりも理解しているのは、先程解り辛い賞賛を受けたリーシャ本人に違いない。

 

「メルエ? また何か見つけたのですか?」

 

「…………ん………これ…………」

 

 そんな二人のささやかなやり取りは、後方支援組の二人の発する間の抜けたような声で終わりを告げる。一体のはぐれメタルを葬り去った少女がその場で屈みこんだ事を心配したサラが近付き、怪我を負った訳ではない事に安堵した後に尋ねた問いかけであった。

 小さく頷きを返したメルエが指差した先にあった物に、サラは驚きの表情を浮かべる。既に銀色の液体が地面に染み込むように消え、残っていた物も大気に溶けるように揮発してしまった後に残されたそれには、はぐれメタルであった液体の名残は残っておらず、金色の輝きを放っていた。

 

「何だ? 何を見つけたんだ?」

 

「……靴なのでしょうか?」

 

 二人の奇妙な様子が気になって近づいて来たリーシャが、メルエの横から顔を覗かせる。首を傾げて振り向くメルエの頭に手を乗せた彼女は、反対側から覗き込んでいるサラの言葉に小さく頷きを返した。

 はぐれメタルがあったその場所には、サラの言葉通りに一足の靴らしき物が残されている。形状は間違いなく靴なのだが、その姿は通常の物とは異なっていた。

 金色に輝き、足を入れる穴の前には、青色に輝く宝玉が埋め込まれている。爪先の部分は、奇妙に曲がり、青い宝玉に向かって曲線を描いていた。そして何よりも、そのサイズがとても大人が履けるような物ではないのだ。

 

「靴にしては小さいな……。辛うじてメルエが履けるぐらいではないか?」

 

「…………メルエの…………?」

 

 最後に近づいて来たカミュが発した言葉に、首を傾げていた少女の顔が輝きを取り戻す。自分の物と言われた訳ではないのだが、それでもその可能性が高まった事に喜びを表現しているのだ。そして、そんな少女の願いは、現実になる。

 小さな靴を拾い上げたサラは、それをメルエの足元に合わせ、大きさが丁度良い事を確認すると、優しい笑みを浮かべた。それは、その靴がこの一行の中で最も幼い少女の持ち物である事が確定した証明である。

 

「メルエが倒したスライムが持っていた物ですから、メルエの物ですね」

 

「そうだな。そろそろメルエの靴も買い換えなければならなかっただろうし、丁度良いだろう」

 

 姉が認め、母が認めた。その現実に満面の笑みを浮かべたメルエは、喜び勇んで今履いている小さな革の靴を脱ぎ出す。長い旅の中で何度か買い換えて来た靴ではあるが、どれも何の変哲も無い革の靴であった。新しい物というだけでも嬉しいメルエである。それがこのような珍しい物となれば、その喜びは尚更であろう。

 すっぽりと小さな足が入ったその靴の具合を確かめるように、何度か足を交互に踏み締めたメルエは、満面の笑みを浮かべてカミュ達を見回す。嬉しそうな笑みを浮かべるメルエに優しい笑みを浮かべたサラは、脱いだ革靴を革袋の中へと入れ、荷物と一緒に仕舞った。

 

「メルエがそんなに幸せそうに微笑むんだ。それは『幸せの靴』だな」

 

「幸せの靴ですか……。見た事も無い靴ですからね。本当にそうかもしれません」

 

 嬉しそうに微笑むメルエの頭に帽子を乗せたリーシャは、何度も何度も地面を踏み締めるその姿に頬を緩める。そんなリーシャの言葉に、サラもまた笑みを浮かべて頷きを返した。

 魔物を打ち倒した後に残された物を『幸せの~』と呼ぶのも可笑しな話であり、本当の名が何であるのかも解らず、そして根本的に只の靴なのかも解っていない。だが、それでも今のメルエを見る限りは、呪われた物ではないだろうし、不吉な物でない事だけは確かであった。

 このはぐれメタルという魔物がたまたま持っていた物なのか、それともはぐれメタルの体内で生み出された物なのかは解らない。だが、もしはぐれメタルという魔物だけが有する物であったとすれば、世界広しと言えども、この靴を所有する者はメルエだけとなるだろう。

 まず、他の魔物達との遭遇回数から考えても、このはぐれメタルとの遭遇回数は圧倒的に少ない。そして、アレフガルドはおろか、上の世界にも、この魔物を倒し得る者達は誰もいない筈である。つまり世界で一品しかない物であると言っても過言ではなかった。

 それを手に入れた幸運という事で考えるのであれば、正に『幸せの靴』と呼ぶに相応しい逸品なのかもしれない。

 

「さぁ、メルエも新しい靴でどんどん歩いて行こうな?」

 

「…………ん…………」

 

 後世でも語り継がれる程の希少な靴を履いた少女は、母親のような女性戦士の呼び掛けに力強く頷きを返し、満面の笑みで手を取る。再び歩き始めた一行は、そのまま南へ真っ直ぐ進み始めた。

 深い森へと入り、それでも歩みを止めずに南へと下る。途中で何度も魔物との遭遇があったが、最早竜種さえも退けるカミュ達を脅かす魔物は存在しなかった。

 数日の行動は、森の中での野営を経て続き、魔物を退けては進み、休んでは続く。その間も、歩く自分の足元へ目を落としては微笑むメルエの様子に皆が笑みを浮かべ、和やかな旅が続いた。

 

 

 

 

「……カミュ、これはどうしようもないぞ」

 

「人がいない可能性は考慮に入れていましたが、ここまでとは思いませんでした」

 

 だが、二週間程続いた和やかな旅は、緩やかな山道を降りた先にある海岸で終わりを告げる。砂浜近くにあった小屋らしき物は既に朽ち果て、建物としての機能は残しておらず、そこにあるのは雨風に晒され、薪としてさえも使用出来ない程の廃材ばかりであった。

 既に人が退去して久しいのだろう。生活感など何処にも残っておらず、そこにあった舟さえも影も形も残されていない。朽ち果てた木の板があちこちに散ばっているが、預言者が居た建物内でカミュが発した冗談のように筏を作る事さえも出来ない屑板ばかりであった。

 

「この先にあると云われる『聖なる祠』がある小島は見えないぞ? かなりの距離があると考えれば、生半可な舟では向かう事は出来ないだろうな」

 

「そうでしょうね。見えない以上はルーラも行使出来ませんし、ルビス様の塔とは違い、向こうからお呼び頂ける事はないでしょう」

 

 闇が支配するアレフガルド大陸では、幅の狭い海峡でもなければ、対岸など『たいまつ』の炎だけで見える事はない。それでも、この場所を吹き抜ける潮風と、打ち寄せる波の音からも、小島までの距離が近しい訳ではない事が解った。

 ルビスの塔の時のように、特別な条件が揃っている訳でもなく、ましてや一度も向かった事のない場所を思い浮かべる事は不可能である為、ルーラの行使という手段は使えない。預言者の館では楽観的な物言いをしていたリーシャでさえも、難しく顔を歪める事しか出来なかった。

 現実的に考えて、今の彼等には海を渡る術がない。魔の島周辺の海域のような特別な渦がある訳ではない海であっても、泳いで向かうという手段は取れない。彼等が纏う防具は、既に人類が手にするには大き過ぎる力の物が多い。それを置いて海を渡ったとしても、アレフガルド大陸の強力な魔物達を相手にする事は難しい。更に言えば、強行的な手段にサラとメルエが付いて行く事は不可能である事は明白であった。

 

「マイラ近辺に戻って、あの小舟でこちら側まで回るか?」

 

「……その方法が何ヶ月も掛かる物だと理解しているのか? しかも、あの小舟でアレフガルドの北から南へ大きく迂回する。魔物と遭遇すれば、転覆する可能性を大きく秘めたあの小舟で渡れると思うのか?」

 

 カミュへと視線を向けたリーシャの言葉は、誰が聞いても思いついたまま口にしたような戯言である。しっかりと考えれば、カミュが答えたような内容が思い付く筈であった。

 ここまでの道をカミュ達が歩いて来るには、ルーラと徒歩を組み合わせて来ている。それでもかなりの日数を必要としており、航海術を持っていない彼等が小舟を動かして大きく大陸を迂回する方法を取れば、その日数は相当な物となるだろう。

 しかも、あの小舟では、テンタクルスのような巨大な魔物が出現した瞬間に転覆する可能性を秘めており、それ程の危険を冒す事は現在のカミュ達にとって得策ではなかった。

 

「レイアムランドからポルトガへ戻った時のようには出来ないのか?」

 

「あれは港町であるポルトガだからこそ出来た芸当です。マイラ近辺から向かうには、どの町も海から遠過ぎます」

 

 そんなカミュの言葉を予想していたかのようなリーシャの提案は、彼には予想外の物だったのだろう。驚いたように目を見開いた後、確認を取るようにカミュはサラへと視線を送る。しかし、そんな彼等二人の小さな希望は、一行の賢者が首を振った事によって打ち砕かれた。

 確かに、レイアムランドで不死鳥ラーミアを甦らせた彼等は、巨大な客船ごと貿易都市ポルトガへ帰還している。だが、それはポルトガ港近くの海へ着地出来るという確信があればこそであったのだ。

 ルーラという呪文は、基本的に頭に思い浮かべる情景が無ければ移動が出来ない。その情景が鮮明でなければ、移動は着地が危うくなり、不透明であればそもそも行使すらも難しい。目の前に見えている場所への移動であれば、魔法力の応用で対処も可能であるが、それもサラやメルエと超一流の呪文使いであればこそであった。

 

「では、方法がないではないか!? どうする、カミュ!?」

 

「ここまでの話の流れの中で、解決方法を俺に聞く理由が解らない」

 

 全ての出口を塞がれてしまったリーシャは、久しぶりにカミュへと疑問を丸投げる。そんな彼女に対して、彼は大きな溜息を吐き出した。

 先程まで、彼もまた期待を込めた視線をサラへと投げかけていたのだ。そんな彼が即座に解決方法を口に出来る訳がない。それでも尚、全面の信頼の瞳を向けるリーシャに対して、溜息を吐き出しながらも真っ黒な空を見上げたカミュは、何かを考えるように黙り込んだ。

 そんなカミュを見上げていたメルエもまた、真似をするように首を直角に曲げて真っ黒な空を見上げる。だが、何も見えない真っ黒な空には星一つなく、幼い少女の心を躍らせるような物は何一つ無かった。困ったように首を傾げようとする少女であったが、直角に上を向いている為、そのまま『こてっ』と引っ繰り返ってしまう。そんな可愛らしい少女の姿に『くすくす』と笑い声を上げたサラが近付いた時、空を見上げたままの少女の目が大きく見開かれた。

 

「…………くる…………」

 

「え?」

 

 突如呟かれた少女の言葉。それは、ここまでの旅で何度と無く聞いた物であった。

 それが指し示す事は、敵の襲来。竜の因子の成せる技なのか、この少女は魔物に対しての感覚は抜きん出ている。その言葉に何度もカミュ達は助けられており、魔物からの不意の襲撃を回避してきたのだ。

 だが、それを警戒して周囲を見渡したサラは、空を見上げたままのメルエが一向に起き上がる素振りを見せず、尚且つその顔には満面の笑みが浮かんでいる事に気付く。状況が理解出来ないサラは救いを求めるようにカミュとリーシャへと視線を動かすが、その先にある二人もまた、真っ黒な空を見上げて目を細めていた。

 

「……あの光は、なんだ?」

 

「わからない。だが、武器は構えておけ」

 

 空を見上げたままのリーシャが呟いた言葉に対して、カミュは王者の剣を抜き放つ。メルエがその言葉を呟いた以上、この場所に向かって何かが近付いている事だけは確かである。だが、それが何なのかまでは二人には解らなかった。

 見上げた空には、相変わらず星一つ輝いてはいない。上の世界でカミュがいつも見上げていたような月も浮かんではおらず、ささやかな光さえもない空である。だが、そんな空に小さな光の筋が見え始めていた。

 その光の筋は、空の更に向こうから続いており、まるで空の切れ目の外側から何かがアレフガルド大陸へ入り込んだようにも見える。そんな光の筋を見上げながらも未だに起き上がろうとしないメルエだけが笑みを浮かべて空へと手を伸ばしていた。

 

「…………ラーミア…………」

 

「え?」

 

 空に輝く一筋の光を見て警戒心を強めていた三人は、空へと手を伸ばしたまま不意に呟いた少女の言葉に心底驚きを見せる。転んだ拍子に頭でも打ったのかという心配が胸に湧き上がった時、徐々に大きくなる光の筋が、加速度的に彼等の元へと近づいて来た。

 太陽の光も、月の輝きも無い真っ黒な空でも、その姿が見えて来る程に、それは大きな輝きを放っている。真っ白な体躯を大きく広げ、闇に包まれた空に光の輪を描くように舞うその姿は、カミュ達でなくとも見惚れてしまう程に美しい。それはまるで、神話の世界で描かれる神の輝きのようであった。

 

「キュエェェェ!」

 

 カミュ達三人にも、メルエが呟いた者の姿がはっきりと見えて来た頃、その雄叫びがアレフガルド大陸中に響き渡るように轟く。この広い大陸に居る風の精霊達が喜びを示すように舞い上がり、カミュ達の周囲を嵐のように吹き抜けて行った。

 起った出来事に思考が追い付かないカミュ達三人を余所に、勢い良く立ち上がったメルエは、傍に着陸した神鳥に向かって駆け出して行く。満面の笑みで近付いて来る少女に目を細めた神鳥は、ゆっくりと翼を広げ、迎え入れるように彼女を包み込んだ。

 柔らかな羽毛に包まれ、先程以上の笑みを浮かべたメルエは、嬉しそうにその神鳥の名を再度口にする。その名は上の世界で知る者も少なく、このアレフガルドでも古の勇者に関連する者としてその武具に掘り込まれてはいても知られてはいない物であった。

 

「その鎧、その盾……。やはり、貴方が継ぐに相応しい」

 

「……ラーミア様、何故ここに?」

 

 ようやく起動を果たした三人がラーミアへと近付いて行く。先頭を歩くカミュの姿を見たラーミアは、まるで懐かしむように彼の姿に目を細めた。

 やはり、この神鳥とアレフガルドに伝わる古の勇者は関連を持っているのだろう。敢えてそれを口にしなくとも、このラーミアの姿を見れば、理解は出来た。

 だが、それよりもこのアレフガルドに何故ラーミアがいるのかという疑問が先立ってしまう。この神鳥は、守護者不在の上の世界を見守る為に、あの世界へと戻った筈であった。今、この場所にいるべき者ではなく、カミュ達の前に再び現れる筈のない者でもある。そして、その理由がサラには理解出来なかった。

 

「貴方達が精霊神ルビスを解放してくれた為です。ルビスの解放により、上の世界の守護者は戻りました。今後、竜の女王の卵が孵るまではルビスの光が照らす事でしょう」

 

「……ルビス様は、上の世界へ戻られたのですね」

 

 静かに語り始めるラーミアの言葉に、サラは嬉しそうに微笑みを浮かべる。ルビスの解放という物だけでは、このアレフガルド大陸に朝は訪れていない。だが、それでもその解放によって、上の世界の安全は護られたのだと理解し、喜びを表したのだ。

 精霊神ルビスという存在は、大きな物である。大魔王ゾーマというそれよりも大きな存在に立ち向かわなくてはならないという彼等四人の道は険しいが、竜族の王の誕生までの間、彼等の故郷をその威光が照らし続けるのであれば、これ以上に心強い事はない。人もエルフも、そして魔物達も生きて行く事の出来る世界になるだろうと、サラは心から喜んだ。

 

「いえ、ルビス自体が上の世界へ向かった訳ではありません。ですが、解放された彼女の力があれば、魔物達の凶暴化や人間の暴走も防ぐ事が出来るでしょう。そして、私のこの世界での役目も終わりました」

 

「……役目が終わった?」

 

 サラは自分の考えが少し異なっていた事に驚きを見せるが、それよりもラーミアの語った最後の言葉に意識を持っていかれてしまう。それはカミュやリーシャも同様であり、訝しげに目を細めたカミュがそれを問いかける。今まで羽毛に抱かれながら嬉しそうに微笑んでいたメルエでさえも、その言葉が帯びる不穏な空気に眉を下げた。

 ラーミアが告げる『この世界』というのが、上の世界の事なのか、それともアレフガルドの事なのかは解らない。もしかすると、その両方かもしれないが、それでもこの神鳥の言葉が意味する事がカミュ達には理解出来なかったのだ。

 

「元々、私は一つの世界に留まる者ではありません。ルビスや竜の女王のように、世界の守護を担う者ではないのです。繋がる魂の糸を手繰り、世界を渡る者……。それが、私です」

 

 神鳥ラーミアの伝承は、上の世界で語り継がれていた。だが、それは書として残されていたのではなく、伝聞として残されていた節が強い。親から子へ、子から孫へと伝えられて来た物。ある者は神の使いと謳い、ある者は精霊ルビスの従者と伝える。そして、このアレフガルドでもまた、この神鳥の存在は、古の勇者に関係する不死鳥として伝えられていた。

 今は繋がっているが、元々は上の世界とアレフガルドは全く異なる世界である。神が造った世界と、精霊神が生み出した世界。そこに繋がりは無く、行き来する事など出来はしない異世界であった。その二つの世界に同じ存在が伝承として残る事こそが、この神鳥という存在を証明している事になるのかもしれない。

 

「また、私は別の世界へと旅立つ事になるでしょう。その前に貴方達の姿を見ておこうと思い、僅かに残る世界の切れ目を通ってこの場所へ来ました」

 

「…………ラーミア……いない………だめ…………」

 

 今まで黙った話を聞いていたメルエは、泣きそうに眉を下げながら、首を横へと振り続ける。だが、そんな幼い我儘は、神鳥の優しい瞳によって沈黙する事になった。

 幼い少女であっても、その瞳が物語る事を理解出来る。避ける事の出来ない別れであり、自分が阻止する事の出来る物でもないという事を。そして、その哀しい別れが、もうすぐそこに来ているという事を。

 最早、瞳に溜まった涙が溢れ出していた。そんな少女の身体を再び優しく包んだ神鳥は、すすり泣くような少女の嗚咽に、目を細める。

 

「メルエ……。その身に宿る物全てを受け入れたのですね。貴女は大きな力を持っている子です。その力を貴女の愛する者達の為に振るいなさい。決して悪しき心に呑まれる事なく、無邪気に振るう事なく、今の心を忘れる事のないように」

 

「…………ぐずっ…………」

 

 今思えば、ラーミアは復活当初にメルエを一度拒絶している。あれは、もしかするとメルエの身体に残った竜の因子に反応していたのかもしれない。既に絶滅種となった氷竜の因子を受け継いだ人間が、世界の敵とならないという保証はない。それが幼子というのであれば、未来の危険分子と考えても不思議はないだろう。

 だが、それでもその心を真っ直ぐに見つめれば、彼女の心が純粋無垢であり、彼女がカミュ達と共にいる限り、その力が悪しき方向へ向かわない事が解る筈である。そして、その力全てを受け入れた今のメルエであれば、世界を託すに値する者として見る事さえも可能であった。

 鼻を啜りながらも小さく頷いた少女に、ラーミアは満足そうに目を細める。

 

「貴方達がルビスを解放した事によって世界が安定し始め、上の世界とこのアレフガルドを繋いでいた裂け目も小さくなりつつあります。もし、貴方達が大魔王ゾーマを討ち果たした時には、その小さな裂け目も消え、その道は閉ざされる事になるでしょう。それでも、貴女達は進むのですか?」

 

 少女の姿に目を細めた後、ラーミアはカミュ達へ視線を向けて衝撃的な言葉を告げる。今までの疑問など、遠い彼方へ行ってしまう程の衝撃的な内容に、三人は暫く呆然とラーミアを見つめる事しか出来なかった。

 最早、二度と上の世界に戻る事は出来ないだろうという確信に似た想いはあった。それでも、僅かな期待がリーシャやサラの胸の中に残されていた事は否定出来ない。だが、そんな小さな希望は、世界を渡る神鳥によって完全に否定されてしまったのだ。

 そんな心の揺らぎがリーシャやサラを襲う中、真っ直ぐにラーミアを見つめていたカミュは、小さく頷きを返す。そして、それを見たリーシャとサラは、自分達が何故このアレフガルドに降り立ったのかという事を明確に思い出した。

 カミュの頷きと、それを機に変化した二人の女性の表情を見たラーミアは、何処か嬉しそうに目を細める。彼等の答えなど、既に解り切っていたのだ。それでも、ラーミアは問いかけずにはいられなかった。そして、それに対しての答えは、何度も世界を渡り歩いて来た神鳥を満足させる物であった。

 

「バラモス程度の瘴気であれば容易いですが、今の私では大魔王ゾーマに近付く事は出来ません。ですが、貴方達を海の向こうにある場所へ連れて行く事は出来ます。さぁ、お乗りなさい。このアレフガルドの夜明けを見て、私は旅立つ事に致しましょう」

 

 大きく広げられた真っ白な翼が、未来を託された一行を最後の旅へと誘う。長く険しい六年以上の旅が終わりを告げる時も近い。世界の守護者である竜の女王から未来を託され、世界の創造さえも可能な精霊神からその愛を受け、そして再び降り立った神鳥から加護を受けて、彼等は大空へと舞い上がった。

 闇に包まれた真っ黒な空に、対照的な白い光が輝く。その光の筋は、未来へと続く光の道のように、真っ直ぐに続いていた。

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございます。
今年も残すところ、あと2週間です。
もう一話を頑張って更新出来るよう、頑張ります。

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