新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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城塞都市メルキド

 

 

 

「これは、想像以上だな……」

 

「そうですね……一国の王城を護る城壁のようです」

 

 マクロベータとの戦闘場所にあった焚き火からそれ程歩かずに一行はメルキドと思われる町へと辿り着く。だが、その姿は一行全員が考えていた物よりも異様な光景であり、リーシャとサラは圧倒されたように言葉を無くし、その手を握っていたメルエは口を開けたままそれを見上げていた。

 町全体を覆うように廻らされた壁は高く、煉瓦で作られたそれは二重三重となって町を護っている。壁に対して小さく感じる門ではあるが、それでもカミュ達の背丈の倍近い高さを誇っていた。正直に言えば、その高さと堅固さは、このアレフガルド大陸の首都と呼べるラダトーム王都の城壁よりも上であろう。この国の最重要人物を護るかのように張り巡らされた壁は、とても一地方の町の物とは思えない物であった。

 

「ここは城塞都市メルキド……。こんな時代にここまで来るとは物好きな者達だな」

 

 門の前で身分を証明し、門を開けてもらったカミュ達は、門兵の疲れ切った表情を訝しげに見つめる。その表情は疲れているというような物ではなく、言い換えれば無気力と言っても過言ではない物であったのだ。

 人は希望を持つからこそ生きて行ける。『今日より明日、今年より来年』という未来への希望と夢があるからこそ、それに繋げる為の今日を精一杯生きる事が出来るのだ。

 だが、その希望という物は脆い。それを失い、望みが絶たれれば絶望感に苛まれ、それが深くなれば全ての気力を失う事になる。気力を失った人間は、今日を生きる力も失い、座して死を待つのみとなるだろう。そんな末期の表情をこの門兵は浮かべていたのだ。

 

「しかし、このような城塞など、大魔王の手に掛かれば一溜まりもないのだろうが……」

 

 それは、礼を言って町の中へ入ろうとしたカミュ達の耳に入って来た言葉ではっきりとする。このメルキドにも大魔王ゾーマの存在は大きく伝わっているのだろう。そして、このメルキドという町は、王都であるラダトームから最も離れた場所にあるのだ。

 土地の距離は、心の距離に比例する。ドムドーラはまだラダトームが近い分、王都の状況などの情報が入って来るのだろう。王都が無事であり、このアレフガルド大陸を治める王が健在であれば、そこで生きる者達の希望となる。

 『いつかこの闇も晴れる時が来る』

 そんな不確かな物だけでも、人が前へ進む為の活力となるのだ。それがこのメルキドにはない。ラダトームからは遠く、既に旅人さえも寄り付かなくなっている。それでは外の世界から隔離されてしまい、情報も入って来ない為、不安は募り恐慌になり、最後には諦めとなる。全てを諦めた者達は生きる活力を失い、無気力な屍となった。

 それが今のメルキドという町の実情である。

 

「国という組織がどれだけ大事なのかが解るな。国王様がいるだけで、その国で生きる者達の希望になる。どれ程の圧制を受けようと、どれ程の地獄を味わおうと、その先にある未来を夢見る事が出来るのだろう」

 

「上の世界にも、このような町はありませんでした。これ程に、全てを諦めてしまうという事は恐ろしい事なのですね」

 

 町へ入り、その中を歩き始めてみれば、自分達が感じていた事が正しい事が解る。この町全体を覆い尽くすような空気は、決して心地良い物ではない。全てを諦め、誰もが関心をなくしている。隣で誰が倒れようとも、その者が死んでいようとも、興味を失ったかのように虚ろな視線で見つめている人間の姿は、恐怖さえも感じる物であった。

 幾つかの店舗が並んで入るが、その全てが開店休業状態。いや、正確に言えば、閉店作業さえもしていないのだろう。店の棚には商品など何もなく、カウンターに居る筈の商人は誰一人いない。荒れ果てた店内は、暖簾が破れ、扉は壊れている。一見すれば廃屋にさえ思えるそ家屋では、一人の男性が寝そべっていた。

 

「……店はやっていないのか?」

 

「はあ? どうせ、俺達は皆死ぬんだ! 働いても仕方ないだろう!」

 

 その店の軒先には武器と防具の店を示す看板が付けられており、何かあるのではないかと考えたカミュが一応声を掛けたのだが、それは完全な徒労に終わる。全てを諦めた男の言葉は、カミュ達四人には全く理解出来ない物であった。

 彼等に『諦め』という言葉は似合わない。ここまでの長い旅の中で、何度かその心を手放しかけた事はあるが、それでも必死に前を向いて歩いて来た四人である。どれ程の強敵を前にしても、死に至る程の傷を受けようとも、彼等は真っ直ぐ前を向いて来た。そんな四人に、死を恐れて動かなくなる者達の気持ちなど解る筈がないのだ。

 

「大魔王を恐れ、絶望に押し潰されたこのメルキドの住人は、自ら働き生きる事を投げ出してしまいました」

 

 武器と防具の店であった場所から出たカミュ達を見た一人の老人が、中で全ての気力を失ったように倒れている店主を見て、弁解の言葉を口にする。この老人にとっては、自分よりも若い人間が絶望によって全てを投げ出している若者達に思う所があったのだろう。通常であればカミュ達のような旅人に話しかける事はないのだろうが、それだけ忸怩たる思いがあったに違いない。

 老人に一礼したカミュ達は、再び町の中を見て回るが、町全体が重い空気に包まれており、無気力に覆われている。誰もが生きる希望を失い、明日への望みを捨てているのだろう。最早、ここは死の町であった。

 

「カミュ、この町に来る必要はあったのか?」

 

「……結果的に言えば、全く必要はなかったのかもしれないな」

 

 このような状態の住人達ばかりでは、有力な情報が手に入る訳も無い。このメルキドに来たのも、僅かでも新しい情報が入ればと考えての事である。それが叶わないとなれば、このような武器や防具の店さえも開いていない場所に長居する必要はないのだ。

 今は無駄な時間を過ごす余裕はない。心の余裕はあっても、時間的な余裕はない筈である。ルビスの塔と呼ばれる場所への再戦を願う彼等は、不必要な町に長期滞在するつもりは毛頭なかった。故に、早々と町から出ようとするが、何かに気付いたメルエが『とてとて』とある建物の方へと向かって歩き出した事で、静止される事になる。

 基本的にメルエはカミュ達から大きく離れる事はない。外にいる時に、海の傍で小さな生き物を見つけた時などは好奇心に負ける事はあるだろうが、真剣に怒られた時の事を憶えているのか、ある程度の距離が離れると、何かに気付いたように顔を上げてカミュ達を確かめるように振り返るようになっていた。だが、このような町の中であればそれが適応されない。

 滅多に無い事だが、彼女の好奇心を躍らせる物があった場合、誰にも声を掛ける事なく、その場所へ行ってしまうのだ。幼子によくある迷子の特徴の一つであるが、安全な場所であれば、自分の好奇心を抑制する箍が外れてしまうのだろう。今回もいつの間にか離れていたメルエが一つの建物に向かって歩き出したのをリーシャが見つけなければ、彼女を見失っていたかもしれない。

 

「メルエ! また勝手に歩いて! 駄目だと言ったではないですか!」

 

 大きな声を上げてメルエの許に走り出したサラであったが、建物の空いている扉の中を覗き込んでいた少女が何かに驚いたような表情をして戻って来た事に首を傾げる。今のメルエの驚きようは、サラの声に反応した物ではなかった。サラの言葉を無視しているのではなく、サラの声と彼女の驚きとの時間差があったからだ。

 首だけ建物の中に入れたメルエが何を見たのか解らないが、その中にあった何かに驚いた事だけは確かであろう。自分の許へ戻って来た少女が腰にしがみ付き、何かを訴えるように見上げて来た事が全てを物語っていた。

 

「どうした、メルエ? 何かあったのか?」

 

「…………なにか………いた…………」

 

 見上げて来るメルエを見たリーシャが屈み込み、視線を合わせて問いかけるが、それに対する少女の答えは理解不能な物であった。

 『何を見たのか?』という問いかけに、『何かが居た』では答えにならない。確かに闇に包まれたアレフガルドではあるが、各建物には明かりが灯っている。無気力であっても、己の生活区域が闇である事は生物として恐怖を増徴させるのであろう。メルエが覗き込んだ大きな建物もまた、窓のような部分から明かりが漏れており、建物の中が真っ暗闇で何も見えないという訳ではない事が解っていた。

 

「魔物でしょうか?」

 

「城塞都市を謳っている町の中に魔物が入り込むのか?」

 

 この少女が何かに気付いた時は、魔物の襲来などが多かった為に、サラは魔物が入り込んでいるという可能性に辿り着いてしまう。しかし、魔物の襲来を感じる事はあっても、メルエがそれらに怯える事はない。今のメルエは、見た物に驚き、それが未知なる物であった為か、絶対の保護者であるカミュ達に助けを求めて来ていた。

 リーシャが言うように、城塞都市と呼ばれる町に魔物が入り込む可能性は限りなく低いが、アッサラームの時のように猫に化けた魔物が入り込んでいないとは言い切れない。今のアレフガルドはそれ以上に危険な大陸である事は確かであった。

 

「行ってみましょう」

 

「…………おおきい………かお………あった…………」

 

 メルエの手を引き、建て物に向かって歩き出したサラを追うようにカミュ達も歩き始める。しかし、そんなサラを見上げて口を開いたメルエの言葉に、三人は首を傾げてしまった。

 この少女が何を伝えたいのか全く解らない。しかし、その瞳を見る限り、彼女が真剣に口を開いている事だけは確かであろう。巨大な顔があったという事が確かであるとなれば、それが何に結びつくのかがカミュ達には見当も付かなかったのだ。

 一行がその建物の前へ付くと、扉は開け放たれており、中から光が漏れていた。もう一度サラの手を握りながら首だけで中を覗き込んだメルエは、先程と同じように身体を跳ねさせて首を引っ込める。少女の珍しい行動に頬を緩ませたリーシャは、その小さな身体を抱き上げ、カミュと共に建物の中へ入って行った。

 

「こ、これは……」

 

「何だ、これは?」

 

 しかし、メルエの行動を笑っていた一行もまた、扉の中へ入った瞬間に、立ち尽くしてしまう事になる。扉を入ってすぐに、メルエの言葉通りの物があったからであった。

 そこにはこのメルキドの城壁の材料である煉瓦を組み合わせて作った大きな顔が鎮座していたのである。四角い物だけでなく、曲線を持つ煉瓦なども組み合わせ、円筒のような形で組み合わされた巨大なそれには鼻や口が無くとも、それが何かの顔であると云うのは、見る者全てが認識出来る物であった。

 まるで今にもその空洞部分に光が灯り、動き出してしまうのではないかと思う程に精巧に作られたそれは、この建物に入る者を威嚇するようにそこに佇む。カミュやリーシャまでも声を失ってしまった事で、リーシャに抱き上げられていたメルエはそれから顔を背けてしまった。

 

「おや、お客様ですかな?」

 

「あっ……失礼しました。扉の外から見えてしまった物で、何かと気になってしまいお伺いしてしまいました」

 

 巨大な煉瓦の顔の後ろから現れた老人に気付いたサラは、固まってしまっているカミュ達に代わって挨拶を述べる。このメルキドに蔓延る無気力に犯されている様子のない老人は、サラの挨拶に対して笑みを浮かべながら手を振った。

 その頃になってようやく再起動したカミュ達は、老人に向かって頭を下げる。しかし、メルエだけは先程顔を背けた筈の大きな顔に視線を釘付けにし、老人へ意識を向ける事も無かった。

 

「この怪物は、ゴーレムという名前にしようと思っております。このゴーレムに町を護らせようと、怪物の研究をしておるのですよ」

 

「ゴーレムですか……」

 

 皆の視線がそこに集まっている事を感じた老人は、巨大な煉瓦の顔を一撫でし、笑みを浮かべてその名を口にする。初めて聞くその名前は、何故か心に自然と入って来る物であり、四人はその名を反芻しながらもう一度大きな顔を見上げた。

 大魔王という大きな力を感じて絶望し、全てを諦めてしまう者達が多い中、この老人はそれさえも跳ね返す力を生み出そうとしている。人間の強さを改めて感じたサラは、この怪物が完成し、メルキドの守り神となってくれるように静かに願うのだった。

 だが、カミュは少し眉を顰めながら、老人の方へと視線を送る。その雰囲気に気付いたリーシャは、彼が何を口にするのか解らず、少し不安な表情を浮かべた。

 

「このアレフガルドには大魔王の魔法力の影響が強まっています。もし、腕や足などを完成させてしまえば、その魔法力の影響で人間を襲うかもしれません。今は、このゴーレムをどのようにして動かすのかを研究されるだけの方が良いと思います」

 

「……なるほど、それは道理ですね。大魔王から町を護りたいが為に造った物が、町に住む人間を襲うなど考えただけでも恐ろしい。解りました、今はこのゴーレムに魂を入れ込む事の研究に力を入れましょう」

 

 カミュの瞳が真剣である事を理解した老人は、その忠告が決して悪意ある物でない事を知る。カミュとは違い、この老人は動く石像や大魔人の存在を知らないのかもしれない。無機物にも命が宿るという事自体が神の域に入った神秘なのだが、現実にこのアレフガルドに起こっている出来事でもある。長い時間を掛けて命という物を宿したのであろうが、それでもこのゴーレムにも同じような事が起こる可能性はあるだろう。その時、被害の対象となるのはこの町であり、町で生きる人間であるのだ。

 首だけであれば、何が出来る訳でもないだろう。だが、腕や足が出来てしまえば、それを振るう事で破壊活動は可能であり、この場所から歩き回る事も可能である。動く石像や大魔人のように、各地でその姿を現れた時、このアレフガルドは崩壊してしまう可能性も否定出来なかった。

 

「大魔王の魔法力に邪魔をされず、町を護るという使命を果たす魂を注ぎ込む事が出来たら、この町も昔のような活気が戻って来る筈。昔のように安全である事が解れば、昔のような賑やかさも戻るでしょうな」

 

 カミュの言葉から未来を見た老人は、ゴーレムの顔を撫でながら一人頬を緩める。魂を注ぎ込むという行為自体が不可思議な事であり、その方法がどのような物であるのかなどカミュ達には見当も付かない。だが、この老人の口ぶりでは、その方法の欠片程度は研究成果として出ているのだろう。無機物が己の意志を持って動くという現状は、魔法という神秘が当然として受け入れられている世界であっても実現困難な物であるにも拘わらずだ。

 魔物の中には多くの無機物が存在している。例を挙げた動く石像や大魔人もそうであるが、彷徨う鎧系統や、溶岩魔人や氷河魔人のような魔物も同系列と言っても良いだろう。それらは大魔王の魔力によって誕生した魔物ではあるが、彷徨う鎧系統のように、生前の持ち主の未練が大魔王の魔法力の影響を受けて鎧を動かすという事情もあるのだ。

 長い年月が経てば、物に魂が宿るという考えはルビス教の物ではない。どちらかと言えば、カミュの起源であるジパングに伝わる教えに近しい物であろう。だが、そんなジパングでも、故意的に魂を注ぎ込む事が出来る訳ではない。

 

「大魔王でもないのに、あのような煉瓦を組み合わせた物を動かす事など出来るのか?」

 

 老人に礼を述べて表へと出た一行であったが、メルエを抱き上げたままのリーシャが発した疑問に、サラとメルエも首を傾げる事となる。

 勇者一行の呪文使いである二人は、この広い世界の中でも最上位に位置する者達である。その二人が無機物に命を与える方法を知らないとなれば、人間には不可能な技術であると言っても過言ではないだろう。ならば、あの老人がどのようにしてゴーレムという巨大な化け物を動かそうとしているのかが尚更解らなくなったリーシャは、視線をカミュへと動かした。

 『解らない事はカミュに』という行動を、この五年という長い期間で一貫して行うこの女性戦士を見て、カミュは小さく溜息を吐き出した。

 

「このアレフガルドは、上の世界よりも神や精霊に近しい。既に失われた技術があっても可笑しくはないだろう。もしかすると、あの老人の魂自体を注ぎ込むつもりなのかもしれない」

 

「あの方の命を入れ込むつもりなのですか?」

 

 最初はカミュの言葉に頷きを返していたサラであったが、最後に告げられた言葉に驚きの声を上げてしまう。精霊神ルビスという大いなる存在が下向してくる世界なのだから、神代の技術や物がこのアレフガルドにあっても可笑しくはないだろう。現に、他者の魔法力を回復する事が出来る者がラダトーム城に存在していた事を考えれば、上の世界で既に失われてしまった神秘が受け継がれている可能性は大いにあるのだ。

 だが、それが人の命を賭けての物となれば、賢者であるサラにとっては避けたい物でもある。ここまでの旅の中で、彼女は多くの人間と接して来た。その中には、己の命さえも厭わずに未来を託して来た者が何人も存在している。サラはその者達と別れる時に、やり切れない悔しさを何度も味わっていたのだ。

 ナジミの塔の老人、レーベの村の老人、エルフのアンやメルエの義母であるアンジェ。出会った事は無くとも、オルテガやサイモンのような英雄もまた、己の命を未来へと賭けた存在であろう。そのような者達が出て来ない世界を造りたいというのがサラの悲願である以上、やはりカミュの言葉は聞き捨てならない物であったのだ。

 

「あの老人の願いは、この町の守護。それならば、その願いごとゴーレムに閉じ込めようと考えても可笑しくはない筈だ。まぁ、方法が解らない以上、只の推測だ」

 

「あり得ない話ではないな。哀しい事ではあるが、もしそれが事実であっても、私達に止める事は出来ないだろう。サラ、もしそれを止めたいのであれば、ゴーレムに守護させる必要がない世界にする必要がある。大魔王を倒し、サラの目指す世界の実現が、多くの幸せに繋がる道筋の筈だ」

 

「……はい」

 

 カミュの言葉通り、それは推測の話でしかない。ゴーレムに命を吹き込む方法が解らない彼らが勝手に考えた結果であり、それが事実ではない。だが、リーシャもそんなカミュの考えが的を外した物ではないと考えていた。

 老い先短くなった者の願いは、己が紡いで来た命の連鎖の幸せ。自分の子や孫の未来が輝ける物である事を願い、その為に己の短い命を捧げようと考えても可笑しくはないのだ。リーシャもまた、幼い頃からそのような者達を多く見て来ている。そして、彼女もまた、それが悪い事ではない事を知っていながらも、許せない事であると考えていた。

 自己犠牲という物をリーシャは一番嫌う。その理由が良くも悪くもリーシャにとっては、残された者の心を考慮に入れていない行為であるのだ。だが、同時にそれを抑止する事は他者には出来ない事も彼女は知っている。誰が何を言おうとその者の命はその者の物であり、それをどのように使おうと他者が何かをいう資格は有しないのだ。

 ならば、その者がそれを行わない状況を作り上げれば良い。この場合であれば、この町がゴーレムの手を借りなくても安全であるという状況であろう。そしてそれが可能なのは、サラという賢者であるというのがリーシャの結論であった。

 

「この町を見る限り、その望みは薄いのかもしれないがな」

 

 リーシャもサラも、そんなカミュの言葉に対して反論する事が出来なかった。今のメルキドの状況はそれ程に悪い。誰もが気力を失い、この町を変えて行こうなどという想いさえも捨て去っている。そのような町が大魔王という脅威がなくなったからといって、劇的に変わるだろうか。

 現実的に見れば否である。人間の心は弱い。一度捨て去ってしまった希望を取り戻したからといって、一度堕落してしまった心を奮わせる事は難しいのだ。大魔王ゾーマという脅威がなくなり、このアレフガルドに陽の光が戻った時、この大陸は波がうねるように移り変わって行くだろう。その流れに、メルキドは飲み込まれてしまうかもしれない。そう感じる程に、今のメルキドは酷い有様であった。

 

「あれ? その袋は……」

 

 気持ちが沈み、会話が少なくなった一行の横から不意に掛けられる。その声は若い男性の物でありながらも女性のように透き通った色を持っていた。

 声を掛けられたサラが顔を上げて横を向くと、そこには長く伸びた金髪の髪を後ろで結んだ青年が立っており、線の細い女性のような身体と顔をサラの腰元へ向けていたのだ。メルキドの住人達のように覇気や生気を失っている訳ではなく、その瞳にはしっかりとした意志が宿っている。それが、この青年がメルキドの住人ではない事を物語っていた。

 

「突然で失礼ですが、それは銀の竪琴ではありませんか?」

 

「えっ、あ、はい、そうですが……」

 

 顔を上げた青年は、サラが腰に括っていた袋を指差して、その名を告げる。ラダトームの北西にある家で受け取った銀の竪琴は、自分が持つと主張するメルエを抑えてサラが持つ事になっていたのだ。

 竪琴と共に貰った専用の袋に入れ、戦闘などの邪魔にならないように腰に括りつけていたのだが、その羽のような軽さから、存在自体を忘れていたサラは、突然の指摘に戸惑いを見せる。これが銀の竪琴であると解る人間など限られており、袋に入った状態でそれを指摘出来る者など、この竪琴の持ち主だけであろう。

 

「貴方がガライさんですか?」

 

「ええ、私がガライですが、何故その竪琴を貴女達が?」

 

 訝しげに自分を見つめる金髪の青年に、サラはここまでの経緯を話し始める。母親や父親がその身を案じている事、青年の無事を確認する為にも竪琴を託された事などを話し、腰に括っていた竪琴を袋ごと手渡した。

 母親の状況を聞いたガライという青年は、困ったような笑みを浮かべ、袋から取り出した竪琴を撫でる。その竪琴を鳴らした時の現象を知るリーシャは、突如それを弾き始めるのではないかと慌てて止めようとするが、青年は笑みを浮かべて頷きを返した。

 

「貴女達は、この竪琴を鳴らしたのですね」

 

「も、申し訳ありません」

 

 リーシャの慌てぶりで、この竪琴の効果を知っているとガライは理解する。サラは慌てて頭を下げるが、ガライは再度笑みを浮かべて、その謝罪を遮った。

 詩人などのように楽器を使う者達にとって、それは相棒であり友である。他者が使うなどという事を快く想う訳は無く、むしろ叱責されても文句は言えないだろう。だが、この青年は愛おしそうに竪琴を撫でながらも弦に触れようとはせず、その弦に触れたカミュ達に怒りを向ける事もなかった。

 竪琴に向かって手を伸ばそうとするメルエを窘めたリーシャは、再度ガライに対して頭を下げる。手を振ってそれを遮った彼は、袋の中へ竪琴を納めた。

 

「少し前までは、この竪琴を奏でると皆が集まってくれたのです。それこそ、魔物達であっても、静かに曲を聴いてくれましたし、私の家は人里から離れていた為、集まって来た魔物達に曲を聴いて貰っていました」

 

「魔物も曲を聴くのですか?」

 

 袋に納めた竪琴を撫でながら、ガライは遠い昔の事のように経験を語る。それはサラのような人間にとっては夢物語のような話でありながらも、希望を持てる美しい話でもあった。

 人間が奏でる曲を魔物が聴くという姿を想像する事は難しい。だが、エルフであっても吟遊詩人のような職は存在するだろうし、もしかすると魔族の中でも楽器を奏でる者は存在するかもしれない。それでも、凶暴な魔物達が人間に襲い掛かる事なく、大人しく曲を聴くという姿は今までの常識から考えられないのだ。

 それでも目の前の青年の語りに嘘は見られない。この青年にその力があるのか、それともあの銀の竪琴に特殊な力があるのかは解らない。おそらく後者である事は、彼のような人物がこのメルキドと呼ばれる町まで来れた事で想像は付く筈である。

 

「それが、大魔王の話が出始めて、このアレフガルドが闇に包まれるようになってから、この竪琴は魔物達を呼ぶだけの物になってしまいました。竪琴の奏でた音で集まって来た魔物達は、何かに耐えるように曲を聞いてくれるのですが、その内に突如として凶暴になってしまうのです」

 

「ゾーマの影響だな」

 

「ああ」

 

 この不思議な青年であるガライという人間は、類稀なる才能を秘めているのだろう。だが、そんな彼の才能も、大魔王ゾーマの前では無力であったのだ。彼が奏でた竪琴の音は魔物達の胸にも響き、その曲を聴こうと集まって来た魔物達は皆が大魔王の魔法力の影響を受けている。魔物にさえも安らぎを与える曲を奏でるガライによって、凶暴化する心と安らごうとする心が戦い、最後には大魔王の魔法力が勝ってしまうのだ。

 銀の竪琴の音色が魔物にも響く物であるという特殊な点もあるだろうが、やはりそれを奏でるガライの力量と才能も特殊なのだろう。だからこそ、彼は一人でも旅を続ける事が可能であり、ここまで命を失う事はなかったのだ。それがサラが感じたガライという人物であった。

 

「ですので、私は銀の竪琴を封じました。これを奏でた人間が魔物に襲われてしまう可能性があり、そのような危険が続けば、きっと人間は魔物を許せなくなるでしょう。もし、アレフガルドに朝が来て、魔物達も昔のように穏やかな姿に戻った時、また私の曲を聴きに集まってくれる日を夢見て、私は笛を吹くのです」

 

 銀の竪琴の入った袋を持ちながら、ガライは懐から細い笛を取り出す。綺麗な装飾が施された笛は、カミュが森の精霊から託された妖精の笛には及ばないまでも、とても美しい物であった。神代のものとまでは行かなくとも、それなりの物なのだろう。大事そうに懐に納めたガライは、銀の竪琴をサラに返そうとする。

 だが、サラはそれを受け取る事はせず、このメルキドに入った時とは比べ物にならない程に輝いた瞳をガライへと向けた。

 

「私達はこれから一度ラダトームへ戻ります。一緒に戻りませんか? アレフガルドに朝は必ず訪れます。それまでの間、ご両親の許でお過ごしになり、安心させてあげて下さい」

 

「そうだな。両親共に健在であるというのは、とても幸せな事だ。親に心配を掛ける事も子供の特権であり、役目なのかもしれないが、余り心配を掛け過ぎるのは論外だからな」

 

 見上げたサラの言葉にリーシャが同意を示す。このアレフガルドに於いて、朝が来るなどと断言する事は誰にも出来はしない。それをするとすれば、状況や現状を理解していない阿呆か、大魔王の恐ろしさを理解出来ない幼子ぐらいな物である。それでも、目の前で自分を諭す女性の言葉は、力強い説得力がある事にガライは驚いた。

 カミュ達がどのような存在なのかはガライには解らない。だが、魔物を呼び寄せる竪琴を鳴らして尚、この場所にいると云う事は、それを退けるだけの力量を有しているという事を物語っていた。青年が一人で、他は全て女性。その内の一人は幼子である。そんな歪な一行でありながらも、何故かガライはそれを全て受け入れる事に抵抗感はなかった。

 

「そうですね。母さんや父さんにも暫く会っていません。竪琴をまた奏でる事の出来る日までは、親孝行でもする事にします」

 

「はい!」

 

 自分の提案を受け入れてくれた事を喜ぶ女性を見て、ガライは胸が熱くなる想いを持つ。その感情が何なのかは解らないまでも、魔物さえも曲を聴くという現実味のない話を真剣に聞いてくれたこの女性を、ガライは好意的な笑みで見つめていた。

 最早、この町でやる事のない一行は、そのまま町を出て、メルエを抱き上げたリーシャを中心に集まって行く。何をするつもりなのかが解らないガライは、どうして良いのか判断出来ず、それを見たサラに手を引かれるように移動した。

 全員が集った事を確認したメルエが己の魔法力を放出し始める。五人を包み込むように展開された魔法力が、全員を護る壁となって輝いていた。

 

「…………ルーラ…………」

 

 少女の呟きと共に魔法力で包まれた五人の身体は浮かび上がる。予想もしていなかった出来事に慌てふためくガライを抑えながら、サラは笑みを浮かべる。

 ガライがそんな笑顔に見とれている内に、一行を包み込んだ光は、北西の方角へ向かって一気に飛んで行った。

 

 

 

 魔物と人間は、相容れる事は出来ない。それは、喰う者と喰われる者という違いがあるからである。多くの生物が居れば、そこに弱者と強者が生まれ、連鎖が成り立つ。それは自然界の掟であり、世界の理でもあった。

 だが、相容れない物達は寄り添えないのかとなれば、答えは否である。互いの存在意義を認め、互いの領分を認める事が出来れば、寄り添い生きる事は可能であろう。

 その道は単純な物ではなく、平坦な物でもない。それでも、その道へ続く光は差し込んだ。小さく細い輝きであっても、見る者が見れば、眩いばかりの輝きとなる。その輝きが今、闇に包まれたアレフガルドに差し込もうとしていた。

 

 

 




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