新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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ルビスの塔①

 

 

 

 妖精の笛という貴重な物を森の精霊から譲り受けた一行は、マイラの森を抜け、ラダトーム城のある大陸に繋がる海岸へと出る為に歩き出していた。

 森の中には、地面から湧くマドハンドなどの魔物達も出現していたが、根元から刈り取るようにそれらを打ち倒して突き進む。既にこの辺りに設置されていた英雄達の石像がないのか、マドハンドが大魔人を呼び寄せる事はなく、森の中という事で配慮されたサラとメルエの氷結呪文によって凍りついた魔物を砕くという単純な作業であった。

 既にカミュの背中にある剣は『雷神の剣』に変わっている。リーシャとの協議の末、この剣はカミュが持つ事になっていた。装備していた『稲妻の剣』は今はカミュの腰に下がっており、戦闘の邪魔にならないようにその力を封印している。

 リーシャとしては、強力な武器である事は理解していても、既に彼女の中で斧が最も扱いやすい武具に変化しているのだろう。思えば、アッサラームで購入した鉄の斧に続き、次に購入した武器もまたバトルアックスという斧であった。その後、ドラゴンキラーという人類が加工出来る最上位の剣に装備を変えるが、やはり彼女の攻撃スタイルが斧のような武器に適した動きになっていた事は否めない。故にこそ、彼女は敢えて『魔神の斧』を選び続けた。

 実は、そこに、純粋なメルエの瞳があった事も理由の一つである。幼い少女にとって、『斧』という武器は強者の証でもある。それを振るうリーシャという戦士の強さに誰よりも惹かれているのもこの少女であり、その瞳に宿る期待をリーシャが裏切れる訳もなかった。

 

「海に出るのか?」

 

「この舟では極力戦闘を避けなければなりませんね。魔物によって舟底に穴を開けられたら全員が溺れてしまいます」

 

 一日の野営を挟んで海へ出たカミュ達であったが、巨大な川のような海を見てリーシャが一言呟きを漏らす。マイラの村に暫し住居を構える事にした漁師の了解は既に得ており、この小大陸へ移動した際に使用した小舟を借りてルビスの塔がある小島への向かう事は決定していた。

 だが、カミュ達四人は舟に関しては素人同然であり、ここから小島へ向かうのにどれ程の時間が掛かるかも解らず、そしてどのような航路を辿れば良いのかも解らない。船というには余りにも頼りない小舟であるだけに、魔物との戦闘によって転覆する危険性も十分に孕んでいる。そのような危険を含んだ海の旅を前に、リーシャは再確認の言葉を発したのだ。

 

「地図によれば、それ程の距離はない筈だ。対岸にあるラダトーム城のある大陸へ渡る倍程の距離だろう。太陽さえ昇っていれば、日暮れ頃には辿り着ける程度の時間しか掛からないと思う」

 

「そうか……だが、闇に包まれた海を渡る作業は想像以上に厳しい筈だ。進む方向はお前に任せる。頼むぞ」

 

 カミュの言葉に一つ頷いたリーシャは、繋いでいた小舟を浜辺に浸け、メルエを抱き上げて船の中へと下ろして行く。二人の会話を聞きながら、この行動がかなり危険性を孕んでいる事を再確認したサラも表情を引き締めて小舟へと乗り込んだ。

 進む方向に関しては、これまでの旅の経路を考えれば、カミュが誤る訳がない。ならば、小舟を漕ぐ作業をするのはリーシャとなり、それをカミュとサラが補助するような形になるだろう。海上での戦闘では、勇者の洞窟とは真逆となり、サラとメルエしか役に立たないと言っても過言ではない。カミュとリーシャの振るう剣や斧は、相手も自分と同じ土俵に居なければ効力は半減以下になってしまうからだ。

 故にこそ、戦闘要員であるサラやメルエを主体での構成となる。『たいまつ』を持つのも、舟を進めるのもカミュやリーシャであり、周囲を警戒する役目をサラが担う事となった。実は、これは上の世界にいるときとそう変わりはない。ポルトガ国王から下賜されたあの船から上陸する時の小舟では、このような陣形が当然のように行われていたのだ。

 

「メルエ、頼むぞ。この小舟の上ではメルエが頼りだからな」

 

「…………ん…………」

 

 真っ黒な海を残念そうに眺めていたメルエは、不意に肩を叩かれ、真剣な表情で言葉を発するリーシャを見て表情を引き締める。今の彼女にとって、頼りにされていると感じる事は何よりの喜びであるのだが、その重圧の強さを実感出来るだけの経験を積んでいる為、楽観的に構えるような事はしない。その責任の重さを知り、しっかりと視線を前方へ向けた少女は、周囲の音に惑わされる事なく、己の役目を全うしようと身構えた。

 頼もしい少女の姿に頬を緩めたリーシャは、舟に取り付けられた小さな帆を張り、舵を取るカミュへ視線を向ける。カミュが向かおうとする方角へ行く為、帆の調節などはリーシャがする事となる。漁師でも船員でもない彼らが舟を操るというのは想像以上に難しい事であり、通常の漁師であれば一人で行う事を二人で行うしかないのだ。そして、それは長い時間、共に旅を続けて来た彼らだからこそ成し得る事なのかもしれない。

 

「カミュ、方角は大丈夫か?」

 

「問題ない。このまま進む」

 

 陸を離れた彼等の舟は、アレフガルド大陸を吹き抜けて行く風を受けてゆっくりと海原へと乗り出して行く。上の世界で彼等が乗っていた船であれば、荒れ狂うような嵐の時でもなければ大きな揺れはない。だが、一漁師が使用するような小舟では、それ程に荒れていない海の波でも大きなゆれとなる。押し寄せる波を乗り越えるように上下に動く小舟は、湖に漂う枯葉のように危うく、しっかりと舟の縁を掴んでいなければ、真っ黒な海へ投げ出されてしまうだろう。

 乱暴に揺らされる揺り篭の中にいても、座り込んだメルエの視線が揺れ動く事はない。しっかりと前方の闇を見据えながら、自分が大事に想う者達に危害を加えようとする物の来訪を経過していた。

 

「うっぷ……」

 

 だが、そんな頼もしい最年少の少女と対照的に、もう一人の戦闘要員は早々に戦線を離脱しそうな状態へ陥り始める。元々船という移動手段が苦手であったサラは、それを慣れという生物の持つ強みによって克服したかのように思われていた。だが、それは上の世界でも最高傑作と謳われ続ける巨大な船があればこそなのだ。枯葉のように頼りない小舟が齎す大いなる揺れは、再び賢者を役立たずへと落としてしまう。

 何度も口元を押さえながら、今にも海面に向けて胃の内部を吐き出してしまいそうになるサラを見たリーシャは、先程まで自分が必要以上に身体に力を入れていた事に気付く。船旅が未知なるものではないが、舟や海を熟知した者達がいない船旅は始めてである為、どうしても肩に力が入ってしまっていたのだ。

 

「サラ……この際、胃の内部を全て海に吐き出してしまえ。サラの嘔吐物が周囲を漂えば、魔物も近寄らないかもしれないぞ」

 

「ひ、ひどいですよ! ……うっぷ」

 

 冗談交じりの言葉に、涙を浮かべて抗議をするサラではあったが、生物としての機能を無視する事は出来ない。急激な揺れによって乱高下する景色に、サラの脳の認識が追いつかないのだろう。まるで目を回した者のようにふらふらと座り込んでしまった彼女は、舟の縁から顔を出して胃の内部を吐き出し始めた。

 まだ陸を離れて数刻も経過していない。未だにルビスの塔らしき物は視界には入らないが、戻る陸地も見えなくなっている。大きく揺れ続ける舟は、波を生み出す風を受けて順調に前へと進んでいる証拠であった。

 

「…………メラゾーマ…………」

 

 そんな何処か間の抜けた航海が進むかと思われた時に、突然少女が杖を前方へと突き出し、彼女が持つ最上位の攻撃呪文を解き放つ。瞬時に真昼のように明るくなった小舟の周囲に、離れた海の光景が映し出され、まるでカミュ達を待ち受けるように顔を出していた三体のマーマンキングの姿が見えた。

 しかし、哀れなのはそんな三体のマーマンキングであろう。暫く見る事もなかった人間の舟を見つけ、襲う為に待ち受けていたにも拘らず、海面に上半身を出した直後に迫って来た大火球によって、瞬時に命を奪われてしまったのだ。

 上半身が高熱によって融解し、巨大な尾ひれだけを残した三体のマーマンキングは、そのまま海の底へと沈んで行く。真昼のように真っ赤に周囲を染めていた大火球もそのまま海の中へと落ちて行き、派手な水蒸気を生み出しながらも消滅して行った。

 

「カミュ、どうやら私の不安は杞憂だったようだ……」

 

「メルエの事よりも、あそこで蹲ってる馬鹿を何とかしろ。大型のイカが出て来た時は、メルエだけでは対処出来ない」

 

 戦闘に入るよりも前に消滅した脅威を見ていたリーシャは、既に次の脅威への警戒へと戻った少女の姿を見て、舵を取るカミュへと声を掛ける。陸を離れる時にあれ程に警戒していた事が、何をするでもなく消滅した事に対して安堵の想いと、それ以上の不安が襲ったのだろう。

 そんな女性戦士の心の内を理解したカミュは、敢えて彼女の奥にある不安を避けるように話題を変更した。マーマンキングが現れていた事にさえも気付かないように嘔吐しているサラへ厳しい視線を向け、リーシャの意識を逸らす。

 

「だが、船酔いはどうにもならないぞ?」

 

「アレはキアリーでもベホマでも行使出来る筈だ。どんな方法でも、一時の気休めでも、いざという時に戦闘に入れるようにしておけ」

 

 船酔いは、サラが長く苦しんでいる病魔に近い。どんな理由でその状況が起るのかも正確には解らず、慣れる事のみで対処していただけにそのような考えに至る事もなかった。回復呪文の効力が船酔いにまであるとは考え難い。キアリーのような解毒呪文や、キアリクのような麻痺を治療する呪文も効力があるとは思えない。だが、船酔い自体を状態異常として括るのであれば、若干ではあっても船酔いが軽減する可能性もあるだろう。

 カミュの言葉に頷いたリーシャは、舟の縁に掴まって項垂れているサラへと近寄って行く。既に胃の中身を全て吐き出した後なのか、彼女は虚ろな瞳で胃液のみを海面に吐き出していた。

 

「サラ、ベホマでなくても良い。ベホイミを自身に掛け続けろ。それが駄目なら、キアリーという解毒呪文も試せ。悪いが、この小さな舟での移動は、サラの体調不良を許せるようなものではない」

 

「げほっ……は、はい」

 

 目が回っているかのように焦点の合わない瞳を上げたサラは、力なく頷きを返す。自分のこの状況を知って尚、厳しい言葉を投げかけるリーシャは、サラにとっては鬼に映ったかもしれない。それでも、大きな舟から上陸するまでの短い距離の移動ではないこの船旅は、かなりの危険性を孕んでいる事を理解出来る為、サラは必死で自分の身体を奮い立たせる。

 平衡感覚も狂い、真っ直ぐ立つ事も出来ない状況にも拘らず、サラは自身に向けて回復呪文を唱える。淡い緑色の光がサラを包み込み、身体の内部を浄化するように輝いた。船酔いによって奪われた体力が完全に戻る事はない。それでも幾分か気分が和らいだサラの瞳が生存本能に従って焦点を合わせ始めた。

 

「大丈夫そうだな。直ぐにまた気分が悪くなるだろう。無理をさせてしまうようで申し訳ないが、ルビス様の塔がある小島に着いたら、ゆっくり休ませてやるからな」

 

「こ、こちらこそ、申し訳ありません。何とか頑張ってみます」

 

 完全回復とは言えない。今のサラでは、精神集中が必要な呪文行使という手段の中でも更に別格である死の呪文の行使を成功させられるかは定かではないだろう。それでも、この一行の中に『賢者』がいるという事が重要なのだ。それだけの信頼と、実力を、彼女はこの五年の旅で勝ち取って来ていた。

 サラという賢者が居るという安心感が、強力な魔法使いの幼い精神を安定させる。その二人が安定するからこそ、前衛二人は魔物に向かえるのだ。今は船の上で前衛二人の役割は戦闘ではないが、それでもサラという一人の女性の存在感は、彼女自身が考えているよりも遥かに大きい事だけは確かである。

 

「カミュ、微かだが塔のような物が見えるぞ」

 

 その後、何度かマーマンキングやマリンスライムとの遭遇があったが、全てメルエの放つマヒャドによって氷漬けにされて海へと還って行った。夜の闇の中で魔物を発見する事はかなり困難ではあったが、メルエがその襲来に気付き、舟へ近寄るよりも先に呪文を行使するという先手必勝の動きから敵を葬っている。

 既に数刻の船旅の中、サラの体力消耗は顕著であり、青白い顔をしながらも何度も回復呪文を行使し続け、魔法力の残りも多くはない事が窺える。それでも何度かメルエへと指示を出しながら、自身も攻撃呪文を行使していた事を見る限り、やはり彼女もまた勇者一行の一人であるのだろう。

 

「小島の近くに岩場はないと思うが、座礁にだけは注意してくれ」

 

 舟がゆっくりと小島へと近づいて行くにつれ、天へ突き出すように伸びている塔が大きく見えて来る。空を飛べない人間であっても天にいる神や精霊神へ届こうとする傲慢さなのか、それとも神や精霊神が地上へ降りて来る際の移動の距離を僅かでも縮めようとする忠義心の表れなのかは解らないが、カミュ達の視界に入って来る塔の頂上は、雲が掛かったように見えない程の高さにあった。

 闇に包まれたアレフガルドには太陽の光は届かない。だが、本来太陽の光を遮る役目を担う雲は空中を漂っており、低い場所を漂う雲を突き抜けて伸びる塔の姿は、闇を突き抜けて天へと上る希望の架け橋のようにさえ見えていた。

 

「サラ、地上に下りて横になれ。休憩は取るが、一眠りした後には直ぐに出る事になるぞ」

 

「は、はい……」

 

 小島へと上陸した舟を近場の木々に括りつけたカミュは、闇が支配する海岸でさえも懸命に生きる小動物に夢中になっているメルエの周囲を警戒する。舟から真っ先に降りたリーシャは、ぐったりと力尽きたサラを背負い、木々が生い茂る森の入り口まで歩いて行った。

 木にもたれ掛かるように座り込んだサラへ横になるように指示を出したリーシャは、枯れ木を集めて火を熾す。心地良い暖かさと、何処か安心出来る木々が燃える音を聞きながら、サラは直ぐに眠りに就いた。

 体力的にも精神的にも限界であったのだろう。即座に寝息を立て始めたサラに笑みを浮かべたリーシャは水筒の水で濡らした布をその額へと置いてやる。人間の身体は不思議な物で、どれ程に揺れ動く乗り物に乗っても酔わない者もいれば、どれだけの時間を掛けてもそれを克服出来ない者もいるのだ。それでも、懸命に自身の役割を全うしたサラを誰が責める事が出来よう。リーシャは小さく賞賛の言葉をサラへ向け、未だに海岸で目を輝かせている少女の方へと視線を移した。

 

「カミュ、メルエ、少し休もう。私は食料となる物を探して来る。火の番と、サラを頼むぞ」

 

「…………ん…………」

 

 リーシャの言葉を聞いたメルエの表情が再び変化する。責任感を持った表情を浮かべて少女は大きく頷きを返した後、『とてとて』と小走りでサラの傍へ移動し、座り込むとじっと焚き火の炎を見つめ始めた。その姿に苦笑を浮かべたカミュとリーシャは、それぞれの役割を果たす為に動き出す。

 その後、リーシャが取って来た果物や獣の肉を調理して食事を取り、サラが覚醒するまで休息を取る事となった。カミュとリーシャが交互に火の番をし、闇の中で焚き火を絶やさぬように過ごして行く。そんな中、通常であれば夜が明けるかという時間が経過した頃、サラの横で丸くなって眠っていたメルエが不意に身体を上げた事で、火の番をしていたカミュは傍に置いてあった雷神の剣の柄を握った。

 

「起きろ、魔物だ」

 

 いつもならば寝ぼけ眼で周囲を見回すメルエが、上空に視線を向けたまま動かない事で魔物の襲来だと確信したカミュは、傍で眠るリーシャの身体を軽く揺する。僅かな振動で目を覚ましたリーシャも斧を握って戦闘態勢へと入って行った。

 森の入り口から海岸の方へ出ると、闇の空から大粒の雫が落ちて来るのが解る。それはカミュ達の旅で何度も経験して来た雨という現象であり、旅を続けて行く中で魔物の襲来以上に厄介な相手であった。

 未だに目を覚まさないサラを護るかのように火の傍を動かないメルエの瞳が警戒を続けている事に気付いたリーシャは、大粒の雨を降り注ぐ空へ目を凝らす。『たいまつ』の炎が雨の雫で小さくなって行く中、突如としてそれは現れた。

 

「ちっ」

 

 僅かでも勇者の盾を掲げるのが遅れていたら、カミュの目は串刺しにされていたかもしれない。重厚な金属音が響く中、その勢いに押された彼は小さな舌打ちを鳴らした。雨が激しくなって来た小島の海岸に空から襲来して来た魔物は二体。

 カミュやリーシャよりも大きな身体を持ち、その体躯と同等の大きさの翼を広げている。翼を広げると大魔人に迫る程の巨体。激しくなった雨に打たれながらも空中を飛び続ける強靭な翼を持った魔物は、森の入り口の大木の枝に足を掛け、カミュ達を虎視眈々と狙い続けていた。

 

「今回は何処かへ吹き飛ばされるなよ」

 

「当たり前だ!」

 

 雨に濡れて小さくなった『たいまつ』の炎を掲げたカミュは、大木から見下ろすように自分達を狙う二体の魔物を見て口端を上げる。その言葉を聞いたリーシャは、ここ最近では珍しく切れ長の瞳を吊り上げて叫んだ。

 二人を見下ろす魔物は、以前エジンベアという特殊な国家を訪れた際に遭遇した魔物と酷似していた。ヘルコンドルとその地方で呼ばれていた鳥類に似た魔物は、鋭い嘴と鋭利な足の爪を持って敵を抹殺するのと同時に、特殊な呪文を行使する魔物でもある。既にサラも行使が可能な呪文であり、魔王バラモスとの死闘の際にはその魔法に苦しめられた経歴もある。だが、一行の記憶に最も残っているのは、その呪文によって四人が離れ離れになったあの時の事であろう。

 エジンベアを出立し、船へと向かうその道中でヘルコンドルと遭遇した一行は、『バシルーラ』と呼ばれるその呪文を受けたリーシャとそれにしがみ付こうとするメルエとサラがあらぬ方角へ吹き飛ばされ、カミュ一人が残されるという受難に合う。その後、数ヶ月の間、別々に行動した時間は彼等の心に深く刻み付けられていた。

 

「雨が邪魔だな」

 

「天候に文句を言っても仕方ない。作物を育てる者にとっては恵みの雨かもしれないからな」

 

 魔物を見上げるカミュが、豪快に降り注ぐ雨の雫を鬱陶しそうに払うと、リーシャは柔らかな笑みを浮かべながらその言動を窘める。太陽が昇らなければ生物はいずれ死に絶えるだろう。だが、雨が降らなければ生物の死は加速度的に進むのだ。水は生物の根幹である。水無くしては作物は生長出来ず、それを食す生物達も水がなければ身体を維持出来ない。

 今は鬱陶しくとも、この場面では邪魔以外の何物でもなかろうと、降り注ぐ雨は明日の希望となる。明日の飲み水となり、明日の食料となる。リーシャの言葉は端的にそれを示しており、カミュは小さな笑みを浮かべ、『そうだな』という言葉と共に剣を構え直した。

 

<極楽鳥>

本来は天の国の鳥と謳われる程に美しい鳥である。色鮮やかな体毛を持ち、不死鳥ラーミアと対を成すかのような輝きを所持する。不死鳥ラーミアのように伝承の中だけで生きていた物とは異なり、アレフガルド大陸などで数多く生息していた事から、天の国から下向してきた鳥として語り継がれて来た。

だが、大魔王の魔法力による瘴気が強まって行く中、魔物としての攻撃的な本能を覚醒させ、人を襲うようになって行く。元々肉食であったこの鳥は、人類を捕獲し巣に持ち帰って食すのだ。覚醒したばかりの極楽鳥に人が攫われるのを見た者達は現実を認める事が出来ず、『極楽である神の国へお連れ下さった』と解釈したと云う。それ以来、魔物として認識されてからも当時の名残を残した極楽鳥という名で通っていた。

 

「飛来して来る時を狙う」

 

「私は一体を引き付けながら、メルエ達の許へ戻ろう」

 

 雷神の剣を構え直したカミュは、一体の極楽鳥が翼をはためかせたのを見てリーシャへ方針を伝える。頷きを返したリーシャはじりじりと後方へ動きながら、サラとメルエが待つ森の入り口へと向かう為に動き始めていた。

 バシルーラという特殊呪文を極楽鳥が所持している場合、魔法力への抵抗が薄いリーシャは格好の的となる。人類最高位の魔法使いであるメルエであれば、リーシャへの行使に対してマホカンタという光の壁を生み出す事も可能であり、不測の事態を回避する事も可能なのだ。

 リーシャという女性戦士は、自身に足りない所を素直に認める事の出来る旅を続けて来た。アリアハンを出た頃は、女性であるという事にさえ劣等感を感じていたが、頼もしい仲間と、その仲間と共に戦う誇りが彼女を大きく変化させている。己に足りないもの、出来ない事を飲み込み、己にしかないもの、己にしか出来ぬ事を真っ直ぐに成し遂げる強さ。それを持つ彼女こそ、人類最高位の戦士なのだろう。

 

「クエェェェェ」

 

 一体の極楽鳥がカミュ目掛けて一気に降下を開始する。攻撃方法をそれ程持たないこの魔物が取る行動としては解り切っている事ではあるが、その鋭い爪と巨大な翼で作り上げる速度は並みの人間であれば十分な脅威であった。

 しかし、この魔物が今対峙しているのは、大魔王ゾーマという精霊神や竜の女王でさえも敵わない相手に挑もうとする勇者である。砂浜に足を踏ん張った彼は、その速度に臆する事なく、手にした神代の剣を振り抜いた。

 極楽鳥の足の鋭利な爪が青年の頬を掠めて鮮血を飛ばし、被っていた兜が砂浜へと飛んだ。しかし青年の迸る一撃は、極楽鳥の腹部を斬り裂き、致命的な傷を与えていた。

 

「クワァァァァ」

 

 腹部の傷から夥しい体液を流した極楽鳥が砂浜へと落ちると、もう一体の極楽鳥は空へと飛び上がり、奇声を発する。その瞬間、砂浜へと転がった極楽鳥の身体全体を淡い緑色の光が包み、そして上空を旋回する奇声を上げた極楽鳥の身体までも包み込んだ。

 その光景に、剣に付着する体液を振り払ったカミュは驚きの表情を浮かべる。メルエの許へと辿り着いたリーシャもまた同様であった。何故なら、それは彼等が最も頼りとする賢者が何度か行使した事のある回復呪文に酷似したものであったからだ。

 魔王バラモスの戦闘時には何度も仲間達を救い、本来単体で患部に手を当てる事で行使が可能である回復呪文を複数に向けて放つという高度な呪文。ベホマラーと呼ばれるそれは、『悟りの書』と云う古の賢者が残した遺産に記された物であった。

 

「クエェェェ」

 

 カミュが刻んだ致命的な傷を癒した極楽鳥は、大粒の雨が降る海の方へと飛び去り、砂浜に転がっていたもう一体も、懸命に態勢を立て直して飛び上がる。砂浜という安定しない足場にも拘らず、大きく翼を広げて飛び立った極楽鳥は、カミュ達を振り返りもせず、必死に海原へと飛んで行った。

 一瞬の出来事に流石のカミュも行動が伴わず、リーシャもまた真っ黒な空へと飛んで行った極楽鳥の影を眺める事しか出来ない。魔物の襲来と云う危機は去ったが、何とも言えない後味を残した戦闘は、彼等の心に一抹の不安を残した。

 

「カミュ! 雨が激しい、早くこっちへ来い!」

 

 戦闘が終了しても、雨は激しくなるばかり。降り続ける雨はカミュの身体を濡らし、気付かぬ内に体力を奪って行く。それを知っているリーシャは、雨を遮る木々が生い茂る森へとカミュを呼び、集めていた枯れ木を焚き火へと移して行った。

 小さくなっていた焚き火は、新たな燃料を注ぎ込む事によって火勢を取り戻し、周囲を熱で暖めて行く。雨が何時まで降り続けるのかは解らないが、ルビスの塔へ向かうまでに衣服を乾かしておかなければそのまま探索をする前に体力が底を尽きてしまう事は明らかであった。

 

「メルエ、サラは寝かせてやろう。この雨が降り止めば良いが、そうでなくともサラが起きたら動き出すぞ」

 

「…………ん…………」

 

 先程までの厳しい表情は鳴りを潜め、いつも通りの笑みを浮かべたメルエは、サラの傍で焚き火の暖かさに頬を緩めている。雨による湿気を帯びた茶色い髪の毛をくしゃりと撫で付けたリーシャは、そんな小さな身体を抱き上げ、抱き抱えるように焚き火の傍へ座り込んだ。

 森で集めた木々が湿気に帯びてしまう前に、ある程度の数をカミュ、リーシャ、サラの三人が持つ革袋の中へ納める。この雨が続くようであれば、塔の探索中に何度か火を熾す必要があると考えたからだ。

 

「しかし……何故か私達が塔を目の前にすると、いつも雨が降るな」

 

「……偶然だろう」

 

 失った体力を懸命に戻すように眠り続けるサラの横で、森の木々が伸ばす葉に当たる雨の音を聞きながらリーシャは小さな呟きを漏らす。それを聞いたカミュとメルエが同時に上空を見上げるように首を動かした。

 この五年の旅の中で、彼等が入った塔というのは幾つかある。

 アリアハン大陸にあった『ナジミの塔』。

 ロマリア大陸に聳え、盗賊達の隠れ家となっていた『シャンパーニの塔』。

 ルビス教の聖地と呼ばれるダーマ神殿の傍にあり、古の賢者が遺産を残した『ガルナの塔』。

 エジンベアが発見した新大陸に残る、人間の罪を隠し続けた『アープの塔』。

 奇妙な事に、その内三つの塔で、探索する為に近付く時は常に雨が降り始めている。塔に入る前から降り始めた雨は、その探索が終わるまで降り続ける。今の雨の量はシャンパーニの塔へ入った頃のような豪雨に等しい。

 

「ここまでの雨となると、まるで私達が塔に入る事を拒んでいるようだな」

 

「その考えは、間違いではないかもしれないな。ルビスなどの解放を誰も望んではいないのだろう」

 

 リーシャの言うように、森の入り口から外の様子が見えない程に雨は強まっている。いつの間にかサラの横で再び丸くなってしまったメルエを起こさないようにマントを掛けたカミュは、リーシャの考えを肯定するように言葉を漏らした。

 それは、上の世界と呼ばれる場所だけでなく、このアレフガルドでさえも禁忌となる程の言葉。流石にリーシャもその言動を許す事は出来ず、窘めるように瞳を細くする。肩を竦めるようにしたカミュは、静かに焚き火へと枯れ木をくべた。

 

 

 

 雨は降り止む事はなく、むしろ更に強まっている感がある。木々に当たる雨粒の音が激しさを増し、風も強まっている為に木々が揺れ動き擦れる音が響いていた。

 ようやく目覚めたサラは、その状況を見て塔へ赴く危険性を感じるが、塔の探索時は雨が降り止まないという常の状況をカミュ達に説かれ、森を抜けて塔へ向かう事を了承する。サラに遅れるように目覚めたメルエの準備が整った事を確認し、一行は森を抜けて小島の中心部を目指して歩き出した。

 

「地面さえもぬかるんで来たな。サラ、足元に気をつけろよ」

 

「はい」

 

 雨を避けるように森を抜ける事にした一行であるが、森の中とは言っても雨は降り注ぐ。木々の隙間から降り注いだ雨によって水分を含んだ土が緩くなっている事が、降り注ぐ雨の激しさと量を物語っていた。

 いつものようにカミュのマントの中へ潜り込んだメルエは、大きなマントで雨風を凌いで入るが、カミュやリーシャと比べて体力が少ないサラにとってこの雨と風は着実に体力を削って行くだろう。そう感じたリーシャがサラを気遣うように声を掛けるが、十分な睡眠をとったサラは余裕のある笑みを浮かべて頷きを返した。

 

「この水の羽衣は、外からの水に対してもある程度護ってくれるようです」

 

「そうなのか? 良い防具を手に入れたな」

 

 サラが身に纏っているのは、マイラの村で手に入れた『水の羽衣』である。既に製作出来る者も皆無に等しく、その原料となる『雨露の糸』も今では希少な物。そんな希少価値の高い防具はそれなりの価格がしたのだが、高額な金額に伴う実用性を有していた。

 火炎や吹雪などの他に、雨風にも抵抗力を持つなどとは聞いてはいないが、実際に身に纏っているサラが感じているのであればその通りなのだろう。カミュやリーシャが纏う重量感のある鎧のような防御力はなくとも、賢者であるサラにとってはこれ以上ない防具と言っても過言ではなかった。

 

「……雨雲に隠れて塔の上部は見えないが、かなりの高さがありそうだな」

 

「雨が激しすぎて、根元さえも見えないぞ」

 

 森を護る木々が疎らになり、降り注ぐ雨粒の量が多くなって来ると、前方の視界が一気に開ける。広がる平原の中心に、海を背にして聳える巨大な塔は、真っ直ぐに天に向かって伸びていた。真っ黒く分厚い雲に隠れて上部は全く見えないが、これまでに上って来た塔の中でも最上位に位置する程の高さを誇っているだろう。

 しかし、リーシャの言うように雨の勢いが強すぎて、塔の全貌ははっきりと視認出来ない。根元の入り口さえも見辛い程の豪雨が何を示しているのかは解らないが、彼女の言葉通り、何者かがカミュ達を拒んでいるようにさえ感じる物であった。

 

「サラ、カミュのマントの裾を掴んで逸れないように進め」

 

「はい」

 

 激しさを増す雨のよって視界が遮られている。先頭を歩くカミュはそれを物ともせずに豪雨の中へ足を踏み出すが、常にその背を見て歩いて来たサラにとって、彼の背中さえも隠そうとする豪雨の中の行軍は難しい。故にリーシャはいつものメルエのように先頭を歩く勇者のマントの裾を掴んで歩く事となった。

 既に各々の声さえも聞き取り辛い程に雨風は強まっている。カミュのマントの裾を掴んだサラは地面へ視線を落としたまま歩き続けた。精霊神ルビスが封じられていると云われる塔へ入る前としては不吉な予感しか沸かない状況であり、サラはそれが大魔王ゾーマの魔法力による妨害なのかと考えていた。

 だが、ふと雨に濡れる瞳で空を見上げた彼女の頭に、空に掛かる真っ黒な雨雲とそこから落ちて来る大粒の雨を見て一つの考えが過ぎる。それは、彼女にとって思い当たってはならない予感であり、考えてはいけない事柄であった。故に、サラは一度大きく首を振り、即座に視線を地面に向けて歩き続ける。

 

『ルビス様自体が、今の自分達を拒んでいるとしたら』

 

 賢者として成り立つ時、彼女はルビス教の教えに背いた事に罪を感じていた。その行動を後悔はしないし、その頃の自分の悩みを捨てもしていない。だが、精霊神ルビスに対して彼女が負い目を感じている事もまた事実である。

 魔王バラモスを討ち果たした時に、カミュへ語りかけた声が精霊神ルビスの物であるとすれば、その言葉はアレフガルドへ赴く事を拒絶する内容であった。その言葉に反するように一行はアレフガルドへ渡り、封じられし精霊神を解放しようと動いているのだ。

 今の行動自体が正しい物であると信じてはいるし、この世界に精霊神が必要である事も十分に感じている。それでも、信仰の対象の言葉への裏切り行為である事は事実なのだ。僧侶として勇者と共に旅をし、賢者となって魔王討伐を果たしたサラは、カミュ以外の世界中の誰よりも精霊ルビスを感じて来たし、その信仰心も厚い。だからこそ、彼女は自分が感じた僅かな疑問を必死に振り払うのだった。

 

「早く入れ!」

 

 いつの間にか辿り着いた塔の入り口の重厚な扉を押し開いたカミュは、マントの中のメルエを先に入れた後、サラとリーシャを誘う。天から降り注ぐ大量の涙は激しく塔の壁部を打ち、周囲の気温を下げている。吐く息さえも白くなる塔の内部を見る限り、即座に何処かで火を熾さなければならないだろう。

 リーシャが内部へ入った事で、最後にカミュが内部から扉を押し閉める。ゆっくりと動き出した扉が重厚な音を立てて完全に閉まると、闇に包まれたアレフガルドに降り注ぐ大量の雨の音だけが残された。

 

 五年の月日が経過した勇者の旅が、遂に精霊神ルビスとの交差へ近付く。

 信仰の対象として、上の世界では伝承としてしか語られないその存在を信じてさえいなかった一人の青年の旅は、佳境へと向かって加速度的に動き始めていた。

 

 

 




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ルビスの塔編の開幕です。

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