新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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アレフガルド大陸②

 

 

 

 翌日、再び謁見の間にて国王に宴の謝礼を述べた一行は、多くの者達に見送られてラダトーム王都を出立する。カミュ達に手を振る子供達の中には、太陽の光を受けた事のない者達も居る事だろう。何故、周囲の大人達がカミュ達を盛大に見送るのかも、大人達が何を待ち望んでいるのかも解らないだろう。それでも、皆が笑顔でカミュ達を見送る多くの人間の姿は、彼等にとって初めて経験する心躍る物であったに違いない。

 

「サラ、昨夜は王子様と長くお話されていたな」

 

「え? あ、はい。こちらの物を拝借致しました」

 

 王都と平原を隔てる大きな門を潜り、その門が再びしっかりと閉じた事を確認したリーシャは、隣を歩くサラへと声を掛ける。その声に反応した彼女は、腰の袋から大事そうに小さな木箱を取り出した。

 サラが何かを取り出した事で、メルエが興味深そうにサラの手を覗き込むように背伸びをし、先頭で『妖精の地図』を見ていたカミュも、近づいて来る。背伸びをしてもサラの手の中が見えないメルエが何度か小さく飛び跳ねる姿に苦笑を浮かべ、リーシャがメルエを抱き上げた。

 サラの掌の上に乗せられていた木箱の中には、上の世界で集めたオーブ程の大きさの石。ただ、その石は球体ではなく、鉱石と一体化した物で、まるで台座に置かれた宝玉のように輝きを放っていた。その輝きは赤いようで赤くはなく、それでいて輝きは眩い程の物である。凄まじい熱量が渦を巻いているような輝きを放つ石は、それだけで神代の物である事が窺えた。

 

「『太陽の石』と呼ばれる物だそうです」

 

「……太陽の石? 随分と畏れ多い名前だな」

 

 輝く石に頬を緩めるメルエの横で、リーシャが難しい顔をする。確かに、ルビス教の教えの中では、太陽とは精霊ルビスの威光であるとされていた。その名を冠にする石となれば、それが人間の命名によるものではない事が解る。

 リーシャの問いに一つ頷きを返したサラは、昨晩の王子との会話を思い出した。

 

 

 

 勇者と共に旅をする『賢者』として見ている未来について共感を得る事が出来たサラは、美しい笑みを浮かべながら、漆黒の空を見上げていた。そんな彼女の横顔を見ていた王子は、自分の懐の中から、一つの木箱を取り出す。王子の行動に気付いた彼女は、その木箱へと視線を移した。

 ゆっくりと木箱が開かれると、彼女達二人がいるバルコニーが眩いばかりの光に包まれる。目を開いている事自体が難しい程の輝きに、辺りが昼間のような明かりを得て、二人の顔が照らし出された。

 

「雨と太陽が合わさる時、虹の橋が架けられるであろう」

 

「え?」

 

 ようやく目を開ける事が出来るようになった時、木箱の中にある宝玉の姿が見えて来る。燃えるような赤でありながら、透き通るような輝きを放つその宝玉は、己の役目を全うするその時を待つかのように、木箱の中に納まっていた。

 覗き込むようにその宝玉に魅入られていたサラに対し、王子はゆっくりと何かを語り始める。その文言は、先程までの王子の口調ではなく、人伝に聞いた物である事が推測された。顔を上げたサラの顔を見た王子は、優しい笑みを浮かべて一つ頷きを返す。

 

「アレフガルド大陸に古くから伝わる伝承です。そして、この石の名は『太陽の石』……サラ殿の旅に役立つのではないかと思い、お持ちしました」

 

「お借りしても宜しいのでしょうか?」

 

 柔らかに浮かぶ年頃の青年の笑みに、サラは頬を染める。しかし、即座に『賢者』の顔となった彼女は、差し出される物が一国の国宝に値する物である事に気付き、窺うように王子を見上げた。

 神代から語り継がれるような伝承を持つ物が、粗末に扱って良い品である訳がない。一国の王城の宝物庫に納まる筈の物を持ち出し、貸し与えたなどという事が明るみに成れば、この王子の立場も悪くなってしまう可能性が高い。サラはそれを危惧していた。

 だが、対する王子はゆっくりと、首を横へと振る。サラの危惧を理解して尚、この王子はそれを貫こうとしていた。

 

「ご心配には及びません。大魔王ゾーマに奪われたという事にでもしましょう。第一に、この『太陽の石』を見る事が出来るのは、私とラルス国王だけです。国民達が紛失に気付く事もありませんし、元々、このラダトーム城にあると云う事も噂の一つにしか過ぎないのです」

 

「……それでも、大魔王ゾーマに奪われたとなれば、国家の沽券に係わる事では?」

 

 つまりは、国宝として『太陽の石』が存在している事を知っているのは、ラダトーム王族だけである故に、例えそれが紛失してしまっても、誰にも解らないという事なのだろう。確かに、誰も見た事もなく、噂や伝承の域を出ない物であるならば、誰も確かめようはない筈だ。

 だが、それでもラルス国王に知られれば、この王子が責を負う程のものであろう。それは、後継者として指名され、ラダトーム王国の次期国王と目された者とはいえ、かなりの危険を伴う物である。それでも尚、それをサラへ託そうとする王子の言葉に彼女は疑問を口にした。

 

「遥か昔、我が国には古の勇者の装備していた武器や防具があるという伝承がありました。精霊ルビス様から、我が国の初代国王が譲り受けたという言い伝えです」

 

 しかし、王子は故意にサラの疑問の矛先を避けるように言葉を紡ぐ。全く関係のない方向から飛んで来る言葉を理解するのに時間が掛かったサラではあったが、その内容を聞いている内に表情が真剣な物へと変わって行った。

 『古の勇者』と呼ばれる人物が誰であるのか、その人物が何を成したのかという事をサラは理解していないが、それでもその人物が精霊神ルビスと関係のある者であり、尚且つラダトーム国にとって伝説の存在である事だけは納得出来る。だが、何故それを今この王子が口にするのかという事だけは解らなかった。

 

「しかし、それは伝承でしかありません。我が国にはそのような武器や防具は存在していなかったのです」

 

「え?」

 

 若干困惑気味であったサラは、完全に混乱状態へと陥る。この王子が口にした内容はそれだけの破壊力を持った物であったのだ。

 本来であれば、部外者であり、尚且つこのアレフガルド大陸の住民でもないサラへ語る内容ではない。国家が抱える最大級の隠遁内容であり、禁忌に近い物である。それが外へ漏れてしまえば、このアレフガルド大陸を治めるラダトーム王家の信頼の失墜は明確であるのだ。

 王族が特別視されるのは、過去から続く歴史が在る故である。その血筋が高貴な物とされ、国家を統べる者として納得させるには、その王族が持つ伝承という後ろ盾があればこそなのだ。その信用の証が、このアレフガルドでは古の勇者の武器や防具であったのかもしれない。それを精霊ルビスから譲り受けたという伝承があるからこそ、彼等は王族として認められていたのだとすれば、先程の発言は国家を揺るがしかねない物であった。

 

「大魔王ゾーマにより、このアレフガルドが闇に包まれました。必然的に民衆の最後の拠り所は古の勇者の装備品へ向かいます。王家がそれを出し惜しめば、同様に信頼は失墜するでしょう。それ故に、我が王家は、伝承にある盾、鎧、剣は大魔王ゾーマによって奪われたという噂を流しました」

 

「そ、それでは、国家の威信が崩れてしまわれるのでは?」

 

 嘘を嘘で蓋をする。いや、正確に言えば、古の勇者の装備品がラダトーム王家へ下賜されたというのは伝承であり、国家が吹聴した嘘では無い為、語弊があるかもしれない。だが、その偽りの伝承を隠す為に、国民を欺いたという事実は拭えない。

 そして何よりも、それを身元も定かではない者へ語る王子の真意がサラには解らなかった。

 

「アレフガルド大陸に伝わる伝承とは別に、我が王家に伝わる物があります。『盾は地深く、その身は精霊の許へ、威力を恐れて砕かれし剣は元始に戻る』と。装備品に纏わる伝承は確かにこの国に存在していましたが、その場所を特定出来る物でもありません。ですが、貴方達には必要な情報だと思ったのです。精霊ルビス様に愛されしあの勇者ならば、と」

 

「カミュ様がルビス様に愛されていると、何故お考えに?」

 

 確かに王子の語る内容は、大魔王ゾーマを打倒しようと考えているサラ達には大いに役立つ物である。古の勇者の装備品が本当に存在する物なのかどうかは定かではないが、伝承として残り続けているのであれば、可能性は無ではない。そして、その装備品が対ゾーマに役立つ事は明白であった。

 だが、古の勇者が身に纏っていた装備品をカミュ達が装備出来るかは別の話である。精霊ルビスがラダトーム王家へ下賜したという伝承が残るのであるから、古の勇者と精霊ルビスが懇意であった事は確かであろう。それは、古の勇者もまた、神代の者であり、神に近しい存在であった事を意味している。そのような者が身に纏った装備品を通常の人間が纏えるのかとなれば、それは不可能に近い物でもあったのだ。

 

「ラルス国王も私も、あの勇者の言を以て、彼こそがルビス様に愛されし者である事を確信しました。彼の瞳に魔物への憎悪はない。そして、我々人間に向ける偏愛もない。常に平等であり、どの種族を遇するつもりもないのでしょう。それこそが、このアレフガルドに伝わる精霊ルビス様の教えなのです」

 

「……このアレフガルドには、正確にルビス様のお心が届いているのですね」

 

 自然と零れ落ちる涙は、サラの心を表す物だったのかもしれない。王子の話には色々と疑問に感じる事はある。太陽の石という神代の道具から派生した話は、ルビスの教えへと続いた。そのルビスの教えは、二年以上前にダーマ神殿にて教皇から聞いた物であり、サラ達が生まれ育った上の世界では既に衰退してしまった物でもある。だが、同時に、サラの目指す世界の道標ともなる教えであったのだ。

 サラは、カミュが精霊神ルビスの教えに帰依しているとは考えていない。ただ、王子の言葉通り、彼が全ての種族に対して平等な瞳を持っている事は理解していた。決して魔物や魔族の敵ではなく、決して人間の味方でもない。アリアハンを出て魔王バラモスを打倒する為に旅を続けていた時の彼は、それ以外の生き方を許されてはいなかったが、今の彼の歩みは真の意味で自由である。

 このアレフガルドに来る事さえも拒否する権利はあったし、大魔王ゾーマを打倒する事が使命でもない。精霊ルビスの言葉を受けていたとしても、このアレフガルドへ足を踏み入れたのは彼の決断であり、ラダトーム国王へゾーマ打倒の為という口実で謁見したのも彼の決意であってそれ以上でも、それ以下でもないのだ。

 例え、その真意をサラが掴み切れていないと言えども。

 

「大魔王ゾーマに挑み、それを討ち果たす事の出来る可能性を持つのは、貴方達だけでしょう。このアレフガルドは、全てを貴方達に託し、貴方達と運命を共にするしか残された道はないのです。精霊ルビス様がそれをお望みでも、そうでなくとも、来るべきその日まで、我々はこのアレフガルドで生きる者達を護らなければなりません。それこそ、人であろうが、動植物であろうが、魔物であろうが……」

 

「……ラルス二世次期国王の尊き志、このサラの胸に深く刻み付け、アレフガルドの地に再びルビス様の威光が戻る為、全力を尽くします」

 

 王子の言葉に感動を抑える事が不可能となったサラは、そのまま崩れるように跪き、頭を垂れる。ここで『必ずや大魔王討伐を果たしてみせます』と答えなかった事こそ、彼女の成長なのだろう。何度も言うが、彼女には大魔王ゾーマの思惑は解らない。それが、魔物達の繁栄を望むものなのか、それとも全世界の生物の死滅を望むものなのか、はたまたそれ以外の望みがあるのかが彼女に特定出来ないのだ。

 全世界の生物の死滅を望むのであれば、サラとして許すつもりもなければ、それを受け入れるつもりもない。だが、魔物の繁栄を願う物であれば、その願い自体は何に基因しているのかが問題であり、それを完全に否定する事も今のサラには出来なかった。

 それでも、このアレフガルドに太陽の恵みを戻す為には大魔王ゾーマの討伐が不可欠であり、それが避けて通れない事であるという事実を忘れる事はない。賢者サラは、常に迷い、悩み、苦しみ、泣き、それでも前に進む者であり、それは今も昔も変わる事はないのだ。

 

「先程も言いましたが、私はサラ殿の見ている未来を見てみたいと心から願っています。再び、サラ殿がこの城へ戻る日を楽しみにしています」

 

「はい!」

 

 跪くサラへ手を伸ばした王子は、柔らかな微笑を浮かべる。その微笑みは、メルエのような眩い太陽の微笑でもなく、カミュのような静かな月の微笑でもない。どちらかと言えば、リーシャの浮かべるような微笑み。正しく『人の微笑み』なのだろう。

 強い信頼を感じるその微笑みを受けたサラは、優しい笑みを浮かべて力強く頷きを返す。若者二人の柔らかな微笑みがこのアレフガルド大陸の未来を照らす物となるかは定かではないが、闇に覆われた絶望の世界に一筋の光明を生み出した事だけは確かであったのかもしれない。

 

 

 

「カミュ、どう思う?」

 

「その伝承が真実かどうかをここで判断する事は出来ない。いつも通り、今はっきりとしている事を一つ一つ潰して行くだけだ」

 

 昨晩のサラと王子の会話の中身を聞いたリーシャは、その伝承についてカミュに問いかける。太陽の石が関連する伝承にある『虹の橋』や、古の勇者が身に着けていた装備品などについて、不可解な部分も多い為、リーシャでは判断する事は出来なかった。それはカミュも同様であり、それを判断する材料が乏し過ぎたのだ。

 だが、彼等は常にそのような道を歩み続けて来た。アリアハンという辺境の島国を出てから、魔王バラモスという諸悪の根源に辿り着くまで、彼等は細く頼りない糸を懸命に手繰り、時には分かれる糸を紡ぎ合わせて歩いて来ている。それは気の遠くなるような道程でありながらも、最も確実で最短な道であったのかもしれない。そして、それはこのアレフガルドという未知の大地でも変わりはしなかった。

 

「そうですね。一つ一つ解決して行きましょう。時間はそれ程ある訳ではありませんが、大魔王ゾーマを討ち果たす近道もまた、ないのですから」

 

「よし! 次は何処へ向かうんだ?」

 

「ラルス国王が語っていた『勇者の洞窟』という場所へ向かう」

 

 サラの言葉に強く頷いたリーシャは、カミュが広げ始めた『妖精の地図』を覗き込む。それに呼応するように彼女の腕の中に居るメルエもまた地図を覗き込んだ。そんな二人の頭を押し退けるように指差された地図の場所は、ラダトーム王都から北西に当たる場所にある砂丘であった。

 距離からいえば、一日もあれば辿り着ける距離であろう。砂丘の広さもそれ程でもないと思われる為、途中の何処かで野営を行えば、明日の昼前には辿り着けると推測出来た。

 しかし、それよりも何故、カミュがその場所を目指す事にしたのか、そして何故その場所が『勇者の洞窟』という呼称なのかという事にサラとリーシャの気持ちは向いて行く。その視線を受けた彼は、明りが灯るラダトーム王都から方角を確認した後、徐に口を開いた。

 

「その洞窟は魔王の爪痕が在る場所と云われているらしい。全てを飲み込むと云われるその爪痕は洞窟の奥にあるのだそうだ。古の勇者の装備が本当に存在するのだとすれば……」

 

「あ! 『盾は地深く』ですね?」

 

 カミュはこの場で伝承を判断する愚を嫌いはしたが、それを確認するという作業自体を遠ざけた訳ではない。サラが王子から聞いた伝承の一つを聞き、昨晩に国王から聞いた話を統合させた結果、『勇者の洞窟』へ向かう理由が生まれたのだった。

 その洞窟の奥にあると云われている魔王の爪痕を見た者は誰もいない。その洞窟に入る事さえも、このアレフガルドの住民には不可能であったのだ。通常の力も魔法力も上の世界の人間よりも劣るアレフガルドの住民達が、大魔王ゾーマと同じ世界で生きていた魔物に対抗出来る訳がない。

 誰も辿り着く事も出来ないという理由が、逆にその伝承の信憑性を高めているのだった。

 

「わかった」

 

 カミュとサラが旅の方向性を確定した事で、リーシャは抱いていたメルエを下ろし、その手を握る。暗い闇に包まれた場所に下ろされた事で一瞬眉を下げたメルエではあるが、優しく暖かな手を握った事で花咲く笑みを浮かべた。

 『たいまつ』はカミュとリーシャが持ち、一行は広がる平原を僅かな明かりを頼りに歩き始める。ラダトーム王都の北側にある山脈の麓から伸びる森を避け、王都を背にして西へと向かい歩き始めた一行は、自分達の足元さえも覆い尽くす闇の厄介さを改めて感じていた。

 見えないのだ。後方を歩く仲間の顔も、周囲に迫る魔物の影も、己の歩く道の先も、何一つ見えないからこそ、それに気付く事が出来るのはやはり幼い少女であった。

 西へ向かって歩いて数刻、太陽が見えれば、西へと傾き始めるようなその時に、それは訪れた。

 

「…………くる…………」

 

「カミュ、剣を抜け!」

 

 自分の手を握っていたメルエの足が止まり、前方を見据えた瞳が厳しく細まる。僅かに口にした呟きを聞き逃さなかったリーシャは、『たいまつ』をサラへと手渡し、魔神の斧を手にした。リーシャの声に反応したカミュは即座に地図を袋へと戻し、稲妻の剣を抜き放つ。そして、前方へと『たいまつ』を向け、臨戦態勢に入った。

 前方へと向けた『たいまつ』の明かりに照らされた大地に奇妙な動きが見え始めたのは、カミュが完全に戦闘態勢に入ってからである。まるで地面から湧き上がるように姿を現したのは、このアレフガルドへ入る直前のギアガの大穴で遭遇した手の化け物であった。

 

「ちっ! 増援を呼ぶ前に一体ずつ倒して行く!」

 

「わかった!」

 

 地面から湧き上がるように姿を現したマドハンドは、その身体の全てが形成される前にカミュの剣とリーシャの斧によって分断される。サラの横を抜けたリーシャは、戦士とは思えない俊敏さで次々とマドハンドを葬って行った。

 だが、この場に現れるマドハンドの数の方が、カミュやリーシャの俊敏さよりも上であったのだ。次々と葬られるマドハンドを余所に、攻撃を向けられていないマドハンドが例の動きを始め、次々と新たなマドハンドが生み出されて行く。葬り去られる速度よりも、マドハンドが増殖する数が上になってしまった時、サラがカミュやリーシャへ声を掛け、後方へと下がらせる。

 

「一体一体潰して行くのは効率的ではありません。ある程度数が揃った時に、ベギラゴンで一掃する方が良さそうです」

 

「あの魔物が呼ぶ仲間が同種だけではない可能性がある」

 

「ああ、もしあの時に感じた感覚が正しければ、かなりの強敵だぞ」

 

 サラの忠告は尤もであり、一体一体潰していては限がない。だが、それでも仲間を呼ぶだけではマドハンド達は消え去って行くのみであり、いつかは攻撃に転じる事を考えると、その攻撃方法が無駄な作業だとは言い切れないだろう。

 そして、何よりもカミュとリーシャには一つの大きな懸念があった。それは、ギアガの大穴で感じた恐怖である。背筋を冷たい汗が流れるような感覚は、長く強敵と相対して来た二人であっても滅多に感じる事の無い物であったのだ。

 サラもそれを感じていた筈ではあったが、その感覚に対する脅威に度合いが前衛二人とは大きく異なっていた。彼女もゾンビキラーという剣を握り、一国の兵士長などよりも数段上の技量を持っている。並みの戦士であれば、彼女は容易く打ちのめす事も出来るだろう。だが、それでも彼女は『賢者』であり、魔法に重きを置く者であるのだ。

 

「メルエ、ベギラゴンの詠唱の準備を」

 

「…………ん…………」

 

 例え、カミュ達が言うような脅威があったとしても、今いるマドハンドを一掃してしまえば、その脅威すらなくなると考えたサラは、メルエへ魔法詠唱の指示を出す。指示を受けたメルエは、大きく頷くと前方に杖を向けて詠唱の準備に入った。

 サラ自身もベギラゴンという灼熱系最高位呪文を行使する事は出来る。だが、サラは極力メルエへ指示を出す事で自ら行使する事はない。メルエの呪文だけでは対処出来ない場合や、自分自身が魔物と向き合う時など以外には、攻撃系呪文はメルエへ任せる事が多かった。一度リーシャがその事をサラへと尋ねた事がある。その時のサラの答えは、『私が唱える必要のない呪文を唱えると、メルエが拗ねてしまった挙句に、無理な行使をしてしまいかねませんから』という物であった。今までの経緯を考えると、その傾向は確かにあり、魔法の師としてサラを敬愛する一方で、メルエは師に対して対抗意識をも持ち合わせているようである。呪文の行使に伴う魔法力の制御や、その行使の機を見る目など、彼女の教えを忠実に護る反面、『攻撃呪文の威力ならば負けない』という思いも強いのだ。

 

「…………ベギラゴン…………」

 

 前方に見えるマドハンドは全部で六体。だが、『たいまつ』に照らされている部分だけがカミュ達に見えているだけであり、メルエが詠唱を完成させたベギラゴンの灼熱が前方へ噴出すと同時に、全部で十体のマドハンドが映り出す。如何にこの闇の中での戦闘が困難であるかの証明であり、今後の戦闘の中では細心の注意が必要である事を物語っていた。

 噴出した火炎は、マドハンド全体を覆うように着弾し、周囲の闇を一気に晴らす。真っ赤に燃え上がった炎の海は、吹き抜ける風を味方に付け、マドハンドを包み込んで荒れ狂う嵐となる。一気に戦闘終了へと近付いた事で、カミュとリーシャは己の武器を納めようと動くが、その時恐れていた感覚が彼等二人を襲った。

 炎に包まれる直前に、一体のマドハンドが行った例の行為が、それを呼び寄せる。魔王バラモスさえも討ち果たした勇者と戦士が戦慄する程の存在であり、このアレフガルドに古くから伝わる古の存在。それが今、彼等へと真っ直ぐに向かっていた。

 

「……カミュ、来るぞ」

 

「メルエを下げろ。悪いが、後方に気を取られる暇はないぞ」

 

 鋭く前方へ視線を向けたリーシャが再び魔神の斧を両手に構える。カミュもまた、後方を振り返る事もなく、サラへと指示を飛ばした。しかし、彼女もまたそんなカミュに返答を返す余裕はなく、杖を手にする少女を庇うように一歩前へと踏み出す。

 一行が再び戦闘態勢に入ると同時に、アレフガルドの大地に大きな振動が響き渡った。それは、何処かで火山が噴火したのではないかと思う程の振動であり、地震に近い程に人間の深層心理に恐怖を齎す。

 徐々に大きくなる振動と、大地に響き渡るような重低音。前方を覆うベギラゴンが最後の炎柱を吹き上がらせるのと同時に、それがカミュ達の前に姿を現した。

 

「避けろ!」

 

 その圧倒的な姿に気を取られたリーシャは、カミュの叫び声と同時に襲い掛かる巨大な何かに殴りつけられ、遥か向こうへと吹き飛ばされる。何度か地面へ激突した後に止まったリーシャは、必死に立ち上がろうと動くが、身体の各所が傷つけられ、思うように身体を動かす事が出来ない。その姿を見て泣きそうになるメルエに喝を入れたサラは、瞬時に呪文詠唱の準備に入りながら駆け出した。

 動き始めたサラを視界に納めたそれは、標的を定めたように身体を動かすが、その前方に立ち塞がった小さき者の放つ威圧感に行動を停止させる。カミュの倍以上あろうかと思われるその巨体は、生物としての機能を持ち合わせていないように見えるが、それでもその巨体に相応な太い腕や足は、関節を通常の人間のように曲げ、握り込まれた拳を形成する指は、一本一本綺麗に動いている。

 しかし、その身体は明確に石であった。暗闇に覆われ、乏しい明かりの中でしか全貌を見る事は出来ないが、それでも間違いなくそれは石像である。柔らかな石ではなく、自然が生み出した鉱石に近い光沢を持ち、乏しい明かりに照らされて緑色に煌くそれは、血肉で造られた身体ではない事だけは確かであった。

 

<大魔人>

アレフガルド大陸の各地には、古の勇者を祀る石像が配置されていた。精霊神ルビスの教えを正確に受け継ぐアレフガルドの民達は、魔物と人間の生活圏を明確に維持し、それを不可侵の領域として護って行く。魔物の棲み処と人間の生活圏の境目に、古の勇者の許に集いし英雄を模した石像を配置する事でそれを明確にし、人間の領域に踏み入れようとする魔物を討ち果たし、魔物の領域に入ろうとする人間を弾き飛ばす存在として崇め奉った。

しかし、大魔王ゾーマの力が戻り、このアレフガルド全てを覆う頃から、その石像が意思を持つように動き始める。魔物から人間を護り、人間から魔物を護る神のような存在として祀られていた石像は、人間を悪と定め、人間のみを淘汰する存在として成り代わってしまったのだ。

何時しか、人の間では、英雄達を模した石像は人間の神ではなく、魔人として恐れられるようになった。

 

「メルエ、バイキルトを」

 

「…………バイキルト…………」

 

 大魔人を前にして一歩も退こうとしないカミュは、剣を構えながら後方に残されたメルエへ指示を飛ばす。我に返るようにそれに反応した少女は己の身長よりも大きな杖を振るい、稲妻の剣を魔法力で覆った。

 標的を変えた大魔人の太い腕が振り抜かれ、咄嗟に距離を取ったカミュの顔前を一閃する。その風圧だけでもカミュの身体が吹き飛ばされそうになる程であり、カミュの鼻先はその風圧が生み出す鋭い刃によって切られ、鮮血が噴き出していた。

 

「…………スカラ…………」

 

 カミュの身体が傷つけられた事を見たメルエが、即座に呪文詠唱を行う。彼女が大事に思う青年の身体が、彼女の膨大な魔法力によって包み込まれた。

 自分を覆う柔らかな魔法力を感じたカミュは、そのまま一気に大魔人へと肉薄し、再度振り下ろされた反対の腕を稲妻の剣で振り払う。固い金属同士がぶつかり合ったような激しい金属音を響かせ、大きく仰け反ったカミュの身体目掛けて大魔人の片足が振り抜かれた。

 元々腕力に差がある人間と魔物であり、尚且つその身体の大きさが倍違うとなれば、カミュが力負けしても致し方ない。だが、身体が泳いでしまった今の状態でカミュが大魔人の足を身体に受ければ、先程のリーシャ同様戦線を離脱せざるを得ないだろう。それは、後方に居るメルエの死に直結する事柄であり、この若き勇者にとって絶対に許す事が出来ない物であった。

 態勢を無理やり変え、ラダトーム王都で購入したばかりの水鏡の盾を掲げる。それと同時にカミュを襲った衝撃は、盾を突き抜けて彼の骨を軋ませる程の物であった。

 

「…………イオラ…………」

 

 衝撃を逃がすように後方へよろけたカミュと大魔人の隙間に、人類最高の魔法の使い手が放つ攻撃呪文が炸裂する。瞬時に圧縮された空気が一気に弾け、大魔人の身体が後方へ吹き飛ばされた。

 だが、如何にメルエの放つ中級爆発呪文が人類の枠から逸脱していたとしても、大魔王ゾーマに命を吹き込まれた大魔人の身体を粉々にする程の威力はない。多少の亀裂を生みながらも態勢を立て直した大魔人は、再び巨大な拳をカミュへと振り下ろした。

 未だに盾を持っていた左腕に痺れが残るカミュは、その拳を避ける為に盾を掲げる事が出来ない。尚且つ、よろけた状態から態勢を立て直し切れていない彼はそれを避ける為に身体を動かす事も出来なかった。

 

「うおりゃぁぁぁ!」

 

 しかし、この一行の直接攻撃を担う前衛はカミュ一人ではない。初撃で相当な被害を被り、それによって立ち上がる事も困難であった彼女は、既に賢き者によって全快していた。一気に肉薄し、豪快に振り抜かれた斧は、巨大な腕を肘の部分から切断する。鉱石にも近い程の強度を持つ大魔人の身体の一部を切り落とす斧の威力も相当な物だが、それを可能とする女性戦士の技量も並大抵な物ではないだろう。

 腕が切断された事で大魔人は攻撃方法を変更し、片足をもう一度振り抜く。片腕が途中から失われた事で身体の均衡が取り辛くなってはいるのだろうが、それでも人一人を内部から破壊する事など容易い程の威力のある一撃がリーシャに向かって襲い掛かった。

 

「退け!」

 

 しかし、その一撃も女性戦士には届かない。態勢を立て直した青年が、迫り来る片足に合わせるように剣を薙いだのだ。再び炸裂する金属音が響き、お互いがその威力に押されるように後方へと弾かれる。自身の倍もあろうかという巨体から放たれる一撃と同等の力を発揮したカミュも並大抵の者ではない。リーシャの一撃のように、綺麗に切断する事は叶わずとも、その威力に押し負ける事もなく、再び距離を作った事をみれば、その力量の上昇も解るというものだ。

 そして、僅かとはいえ、前衛と大魔人との間に距離が出来たという事は、彼等の後方に控える者達の出番となる。それは、この一行の最強の布陣であり、磐石の布陣でもある。

 

「…………イオラ…………」

 

「イオラ!」

 

 瞬時に圧縮された空気が、大魔人の顔前で一気に弾ける。凄まじい炸裂音が響き、大地が震えるように振動した。そして、爆発呪文によって更に開いた距離の間に、再度同呪文破裂を起こす。一気に弾け飛んだ圧縮された空気が、大魔人の顔面を襲った。

 一度目の爆発によって刻まれた小さな亀裂が、二度目の爆発を受けて大きく広がって行く。大魔人の顔面に入った細かな亀裂が広がり、首筋まで亀裂が入って行った。だが、それでも尚、この屈強な石像の活動を止める所までは行かない。

 斧を握り直したリーシャが、若干下がって来た大魔人の首筋に向かって大きな跳躍と共に斧を振り下ろす。細かな亀裂は大きな衝撃によって致命的な裂傷となり、破壊する事が出来る筈。誰もがそう考えた瞬間、跳躍したリーシャの姿が消え去った。

 

「リ、リーシャさん!」

 

 凄まじい音を立てて地面へと叩き付けられたリーシャは、身体の外部も内部も大きく傷つけられているのだろう。身動き一つ出来ない彼女に襲い掛かる巨大な足を見たサラがその名を叫ぶ。残る片腕で、煩い蝿を叩き落すように彼女を攻撃した大魔人は、追い討ちを掛けるようにその足を振り上げ、彼女を踏み潰そうとしていた。

 如何にここまでの戦いで何度となく死に瀕した者であっても、人間という枠を大きく超える者であっても、生物としての枠から逸脱する事は出来ない。彼女の身体は生身の物であり、自分の身体の倍以上もある石像の重量で踏みつけられて生きていられる訳がないのだ。

 盾でその攻撃を防ぎ、耐える事は出来るかもしれない。だが、意識を失っている状態であれば、待ち受けているのは死だけである。

 

「邪魔だ!」

 

 だが、思わず前へ出ようとしたサラを強引に弾き飛ばし、その足の真下へ向かった者がいた。それは、このアレフガルドへ降り立った『勇者』。誰も成し遂げられなかった偉業を成し、世界の守護者さえも討ち果たす事の出来なかった者へ向かおうとする勇ましき者。

 大陸を覆い尽くす漆黒の闇の中で煌く一閃は、その剣の名を表すかのような一筋の稲妻にさえも見える。尻餅を突いてしまったサラが見たその一閃は、今まで見た彼のどんな一撃よりも美しく、どんな攻撃よりも力強かった。

 聞こえる筈の金属音が聞こえない。巨大な鉱石の足と神代の金属がぶつかり合ったにも拘わらず、一切の衝突音が聞こえないのだ。それは、彼のその一撃が、如何に常識を外れた物であったのかを明確に表している。それは正に『会心の一撃』。メルエの詠唱したバイキルトによって魔法力を纏っていたとはいえ、それはカミュが放つ事の出来る最高の一閃であった。

 

「回復!」

 

「は、はい!」

 

 倒れ伏すリーシャの前に立つ背中から短い指令が轟く、我に返ったサラは一気に立ち上がり、回復呪文の詠唱を始める。カミュが放った先程の一撃が会心の一撃だとすれば、戦闘の勝利を確信したリーシャを襲った大魔人の一撃は痛恨の一撃だった。意識を失っているリーシャの傍に屈み込んだサラは最上位の回復呪文を唱えながら、前方で仁王立ちするカミュを見上げる。

 既に戦闘は終了していた。カミュの一閃によって片足を真っ二つに割られた大魔人は、既に立つ事は出来ず、その切れ目は腹部まで広がっている。こちら側へ倒れてきそうな大魔人を見上げたまま、カミュは稲妻の剣を背中の鞘へと納めた。

 

「イオラ」

 

「…………イオラ…………」

 

 同時に紡がれた中級の爆発呪文。カミュが放った呪文によって、こちら側に倒れ込んで来る巨体を押し返し、それによって更に広がった亀裂は、人類最高位に立つ魔法使いの放った爆発呪文に耐える事は出来なかった。

 粉々に粉砕された鉱石の石像は、上半身だけではなく、下半身さえも只の鉱石の塊へと変わって行く。人間が『魔物』と『人』の平和を願って生み出した石像はその調和を乱す者となり、平和を取り戻そうとする者達に打ち砕かれる事となった。

 

「……このアレフガルド大陸に旅人がいない理由が解ります」

 

 リーシャの身体が回復した事を確認したサラは、闇に覆われたアレフガルド大陸を歩く者達を見かけない理由を実感する。始めは、闇に覆われた大陸は魔物の時間であり、それによって人間に襲い掛かる危険性を考えての物だと考えていた。だが、実際はその程度のものではなかったのだ。

 今、遭遇した大魔人は、カミュ達一行であっても全滅する可能性がある程の強敵である。そして、それはマドハンドという比較的弱い魔物が呼び寄せるという特殊な敵でもあったのだ。そのような所をアレフガルド大陸で生活する者達が歩ける訳がない。例え歩く事が出来たとしても、遭遇した途端、確実な死が待っているだろう。

 旅人がいない訳ではない。居たとしてもカミュ達が出会う事が出来ないだけである。

 

「ソイツが意識を取り戻したら直ぐに歩き始める。地図にある砂丘に入る直前の森までは行きたい」

 

 粉々に散った鉱石の塊を呆然と眺めていたサラは、カミュの言葉に意識を取り戻し、状況を把握する。確かに、このアレフガルドはかなりの危険性を伴っている。一箇所に何時までも留まっている訳にもいかず、一寸先も見えない闇の中で魔物の警戒をし続ける事は疲労を溜めるだけの物であった。

 森に入る事で、周囲の木々や枯れ草などが、その警戒を若干容易にさせる。火を熾す事も出来るし、体力の乏しいメルエを休ませる事も出来る。サラは、改めてこのアレフガルド大陸を旅する難しさを理解した。

 

 その後、再びマドハンドと遭遇する事はなく、バラモスの居城で遭遇した事のある地獄の騎士やスライムと同等の力しか持たないスライムベスを駆逐しながら、カミュ達はラダトーム王都の北西を目指して歩き続ける。上の世界であれば、既に陽も落ちきり、夜の帳が完全に下りる程の時間を掛けて、彼等はようやく森の入り口へと辿り着いた。

 サラに手を引かれるメルエは頻りに目を擦り、己の眠気を我慢してはいるが、一度腰を下ろしてしまえば、直ぐに眠りに就いてしまうだろう。そんな幼い少女の頑張りに頬を緩めながら、カミュとリーシャは野営の準備を始め、森の入り口で火を熾す。食料を取りに行くよりも前にメルエが眠りに就いてしまった事から、三人も保存食である干し肉を口にするだけで、身体を休める事とした。

 

 ラダトーム王都を出て僅か一日。その僅かな時間だけでもこのアレフガルド大陸の厳しさと、大魔王ゾーマの強大さが身に染みて理解出来る程、この大陸に蔓延る魔物達が強力である事を実感する。

 勇者一行が歩む旅路は、険しく長い。しかし、果てしない程に長い旅路も必ず終わりはやって来る。その終幕の結末がどのような物であろうとも、旅は終わるのである。

 その一歩目を彼等は歩み始めたのだ。

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございます。
新年明けましておめでとうございます。
本年も頑張って描いて行きますので、よろしくお願い致します。

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