ここは、英雄を産みし国アリアハン。
昔、人と魔物はそれぞれの住み分けをし、共存共栄が暗黙の了解のもとに成り立っていた。
しかし、人間の繁殖能力は恐ろしく優秀であり、人口の増加に伴い人はその領分を広げて行くことになる。
森を切り開いて平地にし、人の往来があるところに町ができ、今や未開の土地という場所は限られてきた。
その為、住処を奪われた魔物達は徐々に凶暴化して行き、次第に人間を襲う事が多くなっていったのだ。
それでもまだ人間の繁栄に衰えという言葉はなかったのだが、その人間にとっての平和が崩れる時が来た。
『魔王バラモス』の登場である。
バラモスの登場により、人を襲っていた魔物はより凶暴になり、今まで人に牙を向ける事がなかった魔物達までもが人間を襲い食すようになった。
その結果、街と街の間の移動も困難となり、商品を輸送するにも傭兵を雇う分赤字になってしまう為、商品の供給も満足に出来なくなって行く。
日増しに強くなる魔物の脅威は人々から笑顔を奪い、活気を消した。
そして、自分達では対抗出来ない恐怖に対し、人々は自分達の信じる神である『精霊ルビス』へ祈りを捧げる事しか出来なくなっていたのだ。
そんな中立ち上がった一人の青年がいた。
彼の名は『オルテガ』
アリアハンの若き勇者である。
腕っ節はアリアハン随一の腕前であり、宮廷騎士達が数人でかかっても太刀打ち出来ない程のものであり、
自国の勇者が魔王討伐に立ち上がったのだ。
国王は嬉々として各国に書状を送り、その勇者への支援協力を要請。
国を挙げて魔王討伐を後押しした。
そして、オルテガは旅立った。
まだ幼ささえも残す若い妻と、生まれたばかりの息子を残して……
旅立って一年、その知らせは魔王消滅を心から願う人々を絶望の淵に落とした。
『オルテガ死去』
その知らせは、瞬く間に全世界へと広がった。
アリアハン国王はその知らせを聞いた時に、目の前が暗い闇に覆われる。
しかし、国王の決断は迅速だった。
早急に大臣達に命を下し兵士を招集させ、レーベの村の東にあるアリアハン大陸と別大陸を結ぶ旅の扉の破棄を命じる。
命を受けた兵士達は、旅の扉の洞窟に分厚い壁を製作し、他国との繋がりを断ったのだ。
これにより、別大陸から強力な魔物たちがアリアハンに入って来る事はなくなった。
同時に、アリアハンの他国との交流すらも断絶し、鎖国状態となる。
年に何度か海上からの渡航はあるが、それも海の強力な魔物達の影響で渡航成功率は皆無に等しかった。
アリアハンの勇者『オルテガ』の死。
たった一つの人類の希望は、たった一人の青年の死によって永遠に閉ざされたかに思われた。
しかし、彼には息子がいた。
これはそんな生い立ちを持ち、後に伝説となった少年の物語である。
「カミュ、朝ごはんは出来ているから、席に座って」
母親はやっと降りてきた息子に対し席に着くように促す。
すでに食卓には祖父は着席しており、料理もテーブルで主を待っている。
祖父は息子であるオルテガを、三十歳を過ぎて授かった為、既に齢七十に近い。
しかし、若い時は剛の者として名を馳せていた事もあり、腰も曲がらず、その体躯はとても七十歳の身体には見えなかった。
「お爺様、おはようございます」
少年は慣れ親しんだ自分の場所に座り、家長である祖父に丁寧に挨拶をする。
「うむ。カミュ、いよいよ今日じゃな。わしやオルテガの名に恥じぬようしっかりとやるのだぞ」
カミュと呼ばれた少年は、既に耳にタコが出来る程に聞いている祖父の言葉にうんざりとしながらも、それを表情には出さず『はい』と答え頷いた。
「大丈夫ですよ、お義父様。カミュはオルテガ様の子です。立派に果たしてくれますよ」
台所から卵を焼いたものと、具がそれほど多くはないスープをお盆に載せて、にこやかな笑顔で母親が出て来た。
彼女の名はニーナ。
魔王討伐に行く前の諸国を旅していたオルテガと恋に落ち、十八歳という若さで妻となりカミュを身籠った。
二十歳で未亡人となり、オルテガの功績による国からの補助や、宮廷騎士であったオルテガの父の老後手当があったとはいえ、女手一つでカミュを育てた女性である。
「さぁさぁ、スープが冷めないうちに頂きましょう。大事な日に登城を遅刻する訳にはいかないでしょう?」
「ふむ、そうじゃな。カミュ、王にお会いする時に失礼のないようにな」
堅苦しい会話を幾度も交わす母と祖父の言葉に返事を返しながらも、どこか上の空でカミュは食事を済ませた。
「では、お爺様、行ってまいります」
食事を済ませ、休む暇もなくカミュは城へと向かう事になった。
「うむ、くれぐれも王に失礼の無きようにな。そして、アリアハンの勇者としてオルテガの後を継ぐのだ、その名に恥じぬ行いを心掛けよ。それに、勇者としてこの家を出るのじゃ、目的を果たすまでは、この家の戸を開ける事は許さん。あとは……」
「お父様、その辺りで……登城が遅れてしまいます」
果てしなく続きそうな祖父の小言にカミュが辟易していると、ニーナが祖父の言葉を遮る。
それは、カミュを助ける為というよりは、言葉通りに城へ行く時間を気にしているようであった。
「さあ、カミュ、お城までは私も一緒に行きます。私の後についていらっしゃい」
自宅の敷地を一歩出ると、ニーナはその表情を一遍させ、悠然とカミュの前を歩いて行く。
外に出れば、ニーナは勇者オルテガの妻であり、カミュは勇者オルテガの忘れ形見なのである。
「おはよう、ニーナさん。あら、そう……今日だったのね……」
「頼んだぞ、カミュ! 魔王を倒して平和を取り戻してくれ!」
「夫とあの子の敵討ち、貴方に託すわよ」
家を出て、城までの道で街の住人がそれぞれの想いをカミュに託す声が響く。
ある者はこの荒れすさんだ時代からの解放を……
ある者は失った身内の敵討ちを……
ある者は無念にも命を落としたアリアハンの勇者へ託した希望を……
十六歳の少年に背負わせるにはあまりに重すぎる責任と希望を嬉々として投げかける。
それに対し、ニーナはにこやかな笑顔で応対しながらも、悠然とカミュの前を歩き、一方のカミュは能面のような、表情の抜け落ちた表情で、街の住民を一瞥もせずに前を歩くニーナを追っていた。
アリアハンの城下町から城へと続く橋の麓に着くと、ニーナは振り返りカミュを見つめる。
「さぁ、ここからは一人でお行きなさい。お父様もおっしゃっていましたが、オルテガ様の名を汚すような事のないようにね。貴方はこのアリアハンが産んだ英雄の息子なのです。その事は忘れてはいけませんよ。それと、お父様はああ言っていましたけれど、あそこは貴方の家でもあるのですから、いつでも帰って来て良いのですからね」
「……ああ……」
家を出る前に祖父がカミュに言ったことをそのまま繰り返すような母の言葉に、カミュは無表情のまま返事を返し、それっきりニーナの方を振り返る事なく城門に向かって歩き出した。
『いってらっしゃい』、『いってきます』という世間でありふれた親子の会話すらもなく、ニーナとカミュの別れは済んだ。
「オルテガ様……カミュをお守り下さい……」
そのカミュの背中を見つめながら、呟くニーナ。
これが、ニーナが見るカミュの最後の姿になるとは当のニーナは考えもしなかった。