新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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アープの塔③

 

 

 

 十数年前、この大陸には<スーの村>以外にも小さな集落が幾つか存在していた。

 魔物の脅威が高まって行く中、『人』は寄り添い、自分達の生活を護る為に団結して行く。集落を襲ってくる魔物達をそこに生きる者達が力を合わせて撃退した。狩りをし、作物を育て、細々と生きて行く『人』の群れ。

 これは、そんな小さな集落の一つの話。

 

 彼は、この村とも呼べぬ小さな集落に『精霊ルビス』の教えを広めに来た修道士の一人だった。世界各地を渡る為に乗船した船が魔物に襲われ、命辛々漂流した先で辿り着いた大陸の浜辺に打ち上げられたところを近くの小さな集落で暮らす者達に救い出されたのだ。

 救い出された彼は、海辺の近くにそびえ立つ高い塔を視界に納めながら、近くの集落へ運ばれて行った。

 

 

 

「……教…会……そこ……」

 

 数日の時間を経て、意識を取り戻した男は、集落を見て回れる程に回復して行った。

 男が運ばれた集落で暮らす住民達が話す言葉は、訛りが酷く聞き取り辛い物。男は四苦八苦しながらも何とか自分の身分を伝え、その身分の者が集う場所を聞くが、村人は顔を俯けながら村の一角を指差した。

 『教会』という言葉を知っている以上、この地方にも『精霊ルビス』の教えは伝わっている事に安堵した男であったが、その場所へ行って愕然とする事となる。それは、教会という姿形はしておらず、既に朽ち果て掛けた物置小屋のような物であったのだ。

 

 何とか話を聞いてみると、この集落にいた修道士は高齢の為に亡くなったという。そこで初めて、男はこの集落で暮らす者達が高齢者ばかりである事に気が付いた。

 若者など、もう十数年この場所に近寄る事もない。今いる老人たちの子供達は色々な理由で村の外へと出て行った。

 ある者は夢を掴むため。

 ある者は一向に良くならぬ暮らしに嫌気が差したため。

 そして最も多かったのが、魔物に襲われて命を落としたため。

 村を出て行った者達の中にも、船での渡航中に魔物に襲われた者もいただろう、森で魔物に喰われた者もいただろう。ただ、言える事は、この集落の未来へと繋げる若い命は皆無であるという事。

 

「……これはルビス様が与えて下された試練なのかもしれない……」

 

漂流して来たこの男は、『人』としても『修道士』としても真面目な男であった。故に、この未来が見えない者達が集う集落に自分が来た事も、神や精霊が与えし試練と考え、この村に留まる事を決意する。廃屋のような教会を修理し、その場所で暮らす事に決めたのだ。幸い、それを喜んだ老人達は、食料や機材を男へと提供し、とても親切に対応してくれた。その修道士の男も、一人で世界を渡ろうと考えるだけの身体を持っていた為、自身で木材を運び、廃屋を教会へと変えて行く事となる。

 

 

 

「ま、魔物じゃ!」

 

修道士の男が自身の住む教会の修理を終えてすぐ、その事件は起こった。集落は小さく、魔物の襲撃を抑える為の柵なども不十分。故に、夜の闇の支配が及ぶと、魔物が集落の人間や家畜を襲う事があったのだ。この魔物の襲撃を撃退する為に散った命も数多い。この集落の中にも集落に残ると考えた若者はいた筈である。だが、そんな若者達も、度重なる魔物の襲撃で命を落として行った。

 

修道士の男は、逃げ惑う老人達を教会へと誘い、教会の修理の木材を調達する為に使っていた<鉄の斧>を手にして魔物の前へと踊り出した。彼は修道士といえども、ルビス教の布教を目的として世界を旅する程の者。旅した場所に教会がなければ、その場所で教会を設立し、神父となる許可を貰っている。つまり、司祭となる事の出来る者なのだ。『教典』の中の魔法も、ある程度は行使する事が出来たし、武器を振るう事も出来る。一般的に神父となる者は、魔物討伐の為の回復役として同道する事も多いため、己で武器を振るう事も必要となるのだ。

 

「皆さん、教会に入って。武器を持てる方は、私の後ろに」

 

修道士の力強い言葉を受け、逃げ惑うばかりであった老人達の心も振い立つ。襲撃して来る魔物も、莫大な数ではない。魔物が大軍となって襲いかかって来たのであれば、攻撃魔法の行使出来ない『僧侶』が何をしても無駄なのだが、一度の襲撃で出て来るのは多くても三体か、四体。<バギ>の行使が出来れば、何とか撃退できる程度の物ばかりであった。<バギ>で怯んだところを<鉄の斧>で一閃する。木を切り倒し続けた修道士の腕は丸太のように太くなっており、魔物の皮膚へ斧を喰い込ませる事も可能だったのだ。

 

魔物の撃退を成功させた修道士に、集落の老人達は歓喜する。魔物が襲って来た時は、家に閉じこもり、自らの家が襲われない事を祈る事しか出来なかった老人達が見た光明。その後も毎日ではないが、何度か現れた魔物は、彼の力と、集落の老人達の結束によって退けられた。先頭を切って魔物へ向かい、様々な呪文を駆使しながら斧を振るう修道士の姿は、老い先の短い老人達の目には『英雄』のように映った事であろう。

 

そして、一年が過ぎる頃には、修道士に称号が与えられた。

この地方の言葉で、『除去する者』という意味を持つ名。

<エリミネーター>と。

 

 

 

 

 

「……下がっていろ……」

 

雄叫びを上げ、斧を高々と掲げる狂人を前にして、カミュは一歩前へと進み出た。それは、サラにとって予想外の行動だったのだろう。驚きの表情を浮かべたサラは、思わずリーシャへ視線を送ってしまった。リーシャは、狂ったように斧を振り回す『人』のような物を見て、悔しそうに唇を噛んでいる。そこで、ようやくサラは気が付いた。先程、サラがカミュへと質問した内容は、無言で肯定されたという事を。今、目の前で白目を血走らせて雄叫びを上げている者は、『人』であった物であるという事。いや、事実は解らない。ただ、カミュも、そしてリーシャも、間違いなくそう考えているのだろう。故に、カミュは前に足を踏み出し、その行為を止める事の出来ないリーシャは唇を噛んでいるのだ。

 

「カミュ、私が……」

 

「……こういう事は、俺の役目だ……」

 

そんなサラの考えは、直後に交わされた二人の会話で肯定される。リーシャもサラも、そしてメルエも、この旅の中で『人』を殺めた事はない。<くさった死体>や<ミイラ男>などのような、既にこの世に命を持っていない物を倒した事はある。だが、目の前で斧を振って、覆面の切れ端から見える口から涎のような物を垂らしている者は、明らかに命を持った生者。魔族と思えるような禍々しい魔法力を感じる訳でもないが、『人』のような温かみも欠片すらない。『人為らざる者』という言葉が最も当て嵌まるのかもしれない。

 

「グオォォォォ!」

 

前に出たカミュに向かって振り抜かれる斧は、空を斬る。瞬時に横へ飛んだカミュは、盾で防ぐ訳でもなく、駆け抜け様に剣を振り抜く。脇腹を掠めた剣が一筋の液体を飛ばした後、けたたましい雄叫びをあげた『人為らざる者』の脇腹から夥しい量の血液が飛び出した。その血液を見たサラは、息を飲む。魔物のような体液ではなく、真っ赤な液体。カミュやリーシャ、そしてサラとも同じ色をした命の源。それは、目の前で雄叫びを上げる者が『人』であった者の証。

 

「ラリ……」

 

「グモォォォォ」

 

態勢を崩した『人為らざる者』へ片手を向けて詠唱を開始したカミュであったが、それは、対象となる者の叫びによって遮られた。まるでカミュの行使する呪文を跳ね返すかのように掲げられた『人為らざる者』の左手を見たカミュは、一つ舌打ちをして横へと飛ぶ。横へ跳びはしたが、カミュがいた場所に変化はない。呪文の行使ではないかと考えていたカミュは、自身の身体の変化を確認した。

 

「ま、まさか……マホトーンですか?」

 

カミュの感じた疑問は、別の人間によって答えが齎される。それは、カミュの後方に位置する場所へ移動していたサラであった。メルエはリーシャの後ろに控えている。だが、サラはいざという時に戦局を把握しておくために全体が見渡せる場所へと移動していた。それが仇となり、サラはカミュと同様に呪文の効力を受けてしまったのだ。自身の中に存在する魔法力の流れに感じる違和感。それは、以前に受けた事のある物と同様の物であった。

 

「ちっ! 呆けるな!」

 

「えっ!?」

 

思考の渦に飲み込まれていたサラは、カミュの声で我に返る。既に目の前には錆びて刃毀れしている<鉄の斧>。間一髪で左腕を上げたサラであったが、態勢は不十分。その威力によって後方へと弾き飛ばされた。それでも、彼女は『勇者一行』として旅をする者。一撃で気を失う程に脆い旅はして来ていない。すぐさま立ち上がったサラは、リーシャの傍へと移動した。

 

「カミュもサラも魔法が行使出来ないのであれば、回復手段がないのと同じだ。一つの怪我が命取りになる可能性もある。気を引き締めろ」

 

「……わかっています……」

 

リーシャの言葉に頷いたサラであったが、どうしても頭の隅から消えて行かない物が存在していた。心配そうにこちらに向けて眉を下げているメルエの肩に手を置きながらも、サラはカミュと剣戟を繰り広げている『人為らざる者』へと視線を向ける。肉弾戦は、確実にカミュが圧していた。『人為らざる者』の攻撃はカミュによって防がれ、避けられる。逆に、カミュの攻撃は確実に『人為らざる者』の身体を傷つけ、その生命を刈り取り始めていた。だが、その姿を見て、サラは思う。『それもその筈だ』と。何故なら、今カミュと相対している者は、本来ならばカミュのような『勇者』と剣を交える事など出来ない者なのだから。そう考えながら、サラは悔しそうに下唇を噛みしめる。

 

『人為らざる者』とはいえ、『人』であった事は間違いないだろう。そして、それはこの者が呪文を行使した事によって、更なる事実を浮き上がらせたのだ。サラは、ここまでの旅で魔物が『教典』の呪文を行使する姿は何度も見て来た。その度に悩んでは来たが、今ではそれが当たり前の事として受け入れ始めている。だが、カミュに向かって斧を振り回しているあの者が、『人』であった者となれば、話は変わって来るのだ。本来、『人』は『教典』と『魔道書』に記載されている魔法の内、片方としか契約する事は出来ない。そして、『教典』とは、教会という特殊な場所に保管されている為、外へ流出する事は殆どない。カミュのような、特殊な存在となれば、国家や教会が後ろ盾となる為、『教典』の閲覧も可能となるだろう。だが、本来は『僧侶』と呼ばれる者達でなければ、閲覧は不可能となっているのだ。

 

「……何故……何故、そのような姿に……」

 

それらの事実が示す事は唯一つ。

それは、目の前で斧を振るう狂人の過去。

それは、『人為らざる者』の『人』の部分。

そして、『僧侶』として歩んでいた者の変わり果てた姿だった。

 

 

 

 

 

小さな集落で魔物の撃退を繰り返す内に、修道士の男の身体は『僧侶』らしからぬ程に鍛え上げられて行った。本来、斧や剣を振るう職業である『戦士』には遠く及ばないが、この村周辺に生息する魔物とならば、引けは取らない程の技術と力を有する程に至る。それは、『導く者』としての修道士の本質を微妙に変化させて行く事となった。

 

「貴方方は間違っている!」

 

修道士の男が目指していた物は、本当の意味での『導く者』。『精霊ルビス』という絶対的な存在の教えを広める事を目的としているが、それはそこにいる者の考えを捻じ曲げ、押し付ける物ではない。そこにはそこの生活環境があり、信じる物がある。『精霊ルビス』を信仰していても、ルビスの下に位置する場所に立つ精霊達に感謝を奉げる者達もいる。それらを尊重し、認め、その上で『精霊ルビス』の偉大さを説く事こそが自分の役割だと男は考えていた。だが、日を追うごとに増えて行く魔物の襲来。そしてそれを撃退しているのが自分唯一人だという自負が、修道士の心に暗い闇を落とし始めて行く。

 

そして、その修道士は集落の老人から与えられた称号通りの道を歩み始めた。日増しにその言動に強制力を含ませる修道士を、集落の老人達は疎み始めたのだ。魔物を退ける程の力を恐れたとも言えよう。魔物を撃退する程の力は、意に従わぬ者達を力尽くで服従させる事も可能な程の物である。集落の老人達が『英雄』のように崇めた修道士は、彼等にとっての恐怖の対象に変わり始めていたのだ。

 

そして、<エリミネーター>としての称号を与えられていた修道士は、魔物を『除去する者』から、集落から『除去する者』へと変貌を遂げる事となる。修道士が暮らす教会に立ち寄る者は数を減らし、遂には誰一人いなくなって行った。食料などの寄与も少なくなり、細々とした生活を送る事となる。老人達の余所余所しい態度を不審に思った修道士ではあったが、彼自身が自分の変化に気付く事はなく、月日は流れて行った。

 

そして、運命の日はやって来る。

 

「魔物の拠点?」

 

久方ぶりに集落の老人の半分程の人数が教会を訪れた事を喜んでいた修道士であったが、老人達の話を聞く内に、表情を厳しい物へと変化させた。既に老人達の訛りにも慣れた修道士は、その内容を聞き取り、口を開く。老人達の話では、この村を襲う魔物達の棲み処を特定したという物であった。不定期で襲来する魔物達がこの集落の傍にある塔から現れるのを目撃したという物。たまたま集落が魔物に襲われた日に船で漁をしていた老人の帰りが遅くなり、塔から集落へ向かう魔物達を目撃したという事だった。

 

老人達の真剣な話を信じた修道士は、魔物の駆逐の為に塔を目指す事を了承した。彼一人に何もかもを任せるのではなく、村の老人達も手に武器を携え、共に行く決意をしていた事も修道士の背を後押しさせたのだろう。明朝に塔へ向かって出発する事を伝えると、老人達は各々の家屋へと帰って行った。修道士の男は、老人達の背中を見つめながら、少し表情を緩める。『これで、前のように戻れるかもしれない』、『彼等も自らの過ちを認め、自分の説く教えを受け入れるかもしれない』と。だが、修道士の男の根本的な考えが歪み、元へ戻らないのと同様に、一度宿った不信感と不快感は消え去る事はなかった。

 

「私が先頭を行きます。皆さんは後ろからついて来て下さい」

 

塔へ辿り着いた一行は、入口にいる魔物達を一体ずつ倒して行き、奥へと進んで行く。傷を受けても、修道士が<ホイミ>を唱え、その傷を癒した。老人達を庇いながら<ラリホー>や<マヌーサ>を唱え、魔物が惑わされている内に勝負を決める。次第に疲労が蓄積されて行く修道士ではあったが、老人達を庇うように前へ進み、周囲に散乱している鎧などに目を向けながらも、ようやく階段を見つけた。入口を入ってからここまでの通路には、鉄で出来たような扉が存在していた事を修道士は見ている。その金属製の扉は、この階段のある空間へ繋がる場所にも存在していた。人工的な建造物である為、扉がある事を不思議に思いはしなかったが、修道士の頭の片隅に何故か錆も浮かんでいない金属製の扉が残る事となる。

 

「まずは私が階段を上り、魔物がいないかを確認して来ます。私が合図を送ったら、皆さんも上って来て下さい」

 

正直、入口からこの階段までの間で出て来た魔物は、手強い物ではなかった。修道士一人でも何とかなる物も多く、老人達でも五、六人いれば一体は倒せる物。ならば、塔の上階層へ登って行く程、強い魔物が登場して来る物だと考えていた。故に、彼はゆっくりと上へ続く階段を上って行く。その時、修道士の背中を見る老人達の瞳に宿る不穏な光に気付かないまま。

 

「大丈夫のようだな……皆さん、上がって来て下さい……皆さん?」

 

上の階層に顔を出し、ゆっくりと周囲を見渡した修道士は、魔物の姿がない事を確認し、その階層へ足を踏み入れる。完全に安全だと把握した修道士は、下の階層で待っている筈の老人達へ声をかけるが、応答はなかった。代わりに響いた大きな金属音。まるで重い扉を閉じたような音を聞いた修道士は、胸に湧き上がる不安を抑えながら、下の階層を覗き込んだ。だが、老人達が持っていた<たいまつ>による明かりなどはなく、暗闇が広がっているのみ。胸に湧き上がる不安が現実へと変わって行く恐怖を感じた修道士は、勢い良く階段を下りて行く。

 

「み、皆さん!」

 

暗闇に支配された空間が、先程まで開けていた通路へ続く場所にある扉が閉じられた事を意味していた。あの時見た金属製の扉が閉じてしまった以上、この場所から出る方法がなくなったに等しい。木製の扉であれば、修道士の持つ<鉄の斧>でも破壊する事は可能であろう。だが、金属で出来た扉に外から鍵を掛けられれば、二度と出る事は不可能。それを理解した修道士は、力の限り扉を叩き、そして叫んだ。

 

「何のつもりですか!? 冗談にしても酷すぎますよ! 早く開けて下さい! 今ならば、ルビス様もお許し下さる筈です!」

 

しかし、何度扉を叩こうと、どれ程大きな声で叫ぼうと、重く冷たい扉が再び開かれる事はなかった。一度声を発する事を止めた修道士の耳に、金属音が小さく響く。その音が意味する事を理解した修道士は、その場に座り込んでしまった。この扉の先の通路の扉も閉められ、彼は何重にも念を入れられて幽閉されてしまったのだ。修道士の頭には『何故?』という疑問しか浮かばない。

 

『何故、自分はここにいるのか?』

『何故、彼等は帰ってしまったのか?』

『彼等にはルビス様のお言葉は届かなかったのか?』

『自分にはルビス様の御加護は届かないのか?』

 

頭の中を駆け回る疑問は、彼の自我を崩壊させて行く。修道士の男は、数日の間、その扉の前で座り込み、何度も何度も自問自答を繰り返す。浮かんでは消え、消えては浮かぶ疑問は、彼の心を蝕み、崩壊させて行った。自らの半生を省み、自らの行いを省み、そして、彼はある想いへと到達するのだ。

 

それは『哀しみ』。

それは『憤怒』。

そして何よりも強い『憎悪』。

 

「うわぁぁぁぁぁ!」

 

そこへ到達した修道士は、天に向かって叫び声を上げる。

自分をこのような場所へ閉じ込めた老人達への『憎悪』。

自分に加護を与えない『精霊ルビス』への『憎悪』。

そして、このような境遇に陥れた神への『憎悪』。

 

修道士は、狂ったように叫び、<鉄の斧>で扉を何度も殴り、そして階段を上って行った。その後、彼は生きる為に塔の道脇に生える雑草を食す。だが、『人』であった彼は、雑草だけでは生きていけない。故に、塔を棲み処とする魔物を殺し、それも食した。その頃から、彼が行使出来る呪文は数を減らし、<バギ>のような攻撃魔法はおろか、自身を回復する為の<ホイミ>さえも行使不可能となって行く。唯一つ、この塔で全く役にも立たない<マホトーン>だけを、彼の身体が覚えていたのは奇跡に近い事であろう。まるで言葉を失ったかのように叫び声しか上げない修道士に、呪文の詠唱など出来る筈もなかったのだ。いや、『精霊ルビス』への想いを失くした時点で、彼は『僧侶』としての能力を失ってしまったのかもしれない。

 

そして、その修道士は『人為らざる者』となった。

 

 

 

「グオォォォ」

 

カミュと『人為らざる者』との戦いも既に終盤を迎えていた。如何に『人為らざる者』となった人間でも、所詮は『僧侶』であった者。ある程度の魔物を駆逐する事は出来ても、『勇者』を倒す力を有している訳ではない。苦し紛れに振るった<鉄の斧>は、カミュの持つ<魔法の盾>によって弾き返され、肩口を深々と斬られた。噴き出す血飛沫が塔の床を濡らし、真っ赤に染め上げる。もはや力も速度も無い斧を避けたカミュは、一つ息を吐き出し、そして剣を構えた。

 

「アンタにどれ程の無念と憎悪があるのかは解らない。だが、それを俺達に向けるのならば、容赦はしない」

 

呟くようにカミュが言葉を発した時、白目を剥いていた『人為らざる者』に瞳が戻ったようにサラは見えた。まるで泣くように、そして苦しむように歪められた口からは、叫び声ではなく、無念の呻きが漏れているようにも聞こえる。だが、それも一瞬の事だった。カミュを捉えた白目は真っ赤に血走り、雄叫びを上げて、両手に持ち替えた<鉄の斧>を振り上げる。もはや、その身体は満身創痍。夥しい程の血液が流れ落ち、それと共に命の炎も徐々に弱まりを見せていた。

 

「……その無念、その憎しみ、俺が忘れない……」

 

振り上げられた斧が動き始めた瞬間、カミュが動いた。本当に一瞬の出来事、リーシャ以外、カミュの動きの全てを捉えられた者はいなかったのかもしれない。サラが気付いた時には、カミュと『人為らざる者』は擦れ違い、そして全ては終わっていた。振り下ろされた斧は静かにその手から離れ、乾いた音を立てて床に転がる。最後に、『人為らざる者』の首が床に落ち、そして中央の吹き抜けへと転がり落ちた。

 

噴き上がる血液が天井からゆっくりと後方へと移動して行く。身体を支える命の灯火が消え失せ、『人為らざる者』の身体は、その魂とは逆に、吹き抜けを通って下の階層へと落ちて行った。十数年の間閉じ込められていた無念と憎悪は、彼の信じていた『精霊ルビス』の加護を受けし『勇者』によって解放される。全てから解き放たれた肉体は、まるで糸の切れた人形のように、吹き抜けを落下し、暗闇へと消えて行った。

 

彼をこの塔に幽閉した老人達と、自身の力に酔って心を変えてしまった修道士のどちらが悪いと言う訳でもないのだろう。強いて言うならば、どちらにも言い分はあり、どちらにも罪はある。余談ではあるが、十数年前に彼を幽閉した老人達の暮らす集落は、彼を幽閉した直後、魔物の襲撃を受け、草一つ残らずに滅びた。魔物の拠点はこの塔ではなく、この大陸全てであったのだろう。その時、あの老人達が何を想ったのか、それはもはや誰にも解りはしない。

 

 

 

「カミュ……それで、この縄を渡るのか?」

 

「それ以外、何処へ行くつもりだ?」

 

『人為らざる者』の血液が色濃く残る塔の最上階で心を落ち着かせる事は至難の業である。だが、一息吐き出したリーシャは、この後の行動をカミュへと問いかけた。未だに後方にいるサラは、思考の海へと潜ったまま。何を考えているのか、リーシャには解らないが、その瞳に絶望の色が宿っていない事は見て取れる。故に、リーシャは再びカミュへ視線を戻すが、返って来た答えは、リーシャを挑発するような物が含まれていた。

 

「だが、あの先に何かがあるようには見えないが……メ、メルエ、危ないから出て来ては駄目だ」

 

「…………はこ…………?」

 

カミュの挑発を必死で受け流したリーシャであったが、その足下から顔を出した人物を見て、平静に戻した心が再び騒ぎ出す。リーシャの足に手を掛けて吹き抜けを覗き込むのは、先程まで一切の言葉を口にして来なかった幼い少女。リーシャの窘めも気にする様子はなく、覗き込んでいた視線を上げ、カミュに向かって小首を傾げた。視線を向けられたカミュは、不思議そうに小首を傾げるメルエを見て、一度吹き抜けの奥へと目を凝らす。覗き込んだ、暗闇が支配する吹き抜けの奥に、微かに何かの色が見えた。

 

「メラ」

 

カミュは、吹き抜けの対岸へと掛けられている縄に燃え移らないように、その隙間から火球を放つ。下層に向かって放たれた火球は、一瞬周囲を明るく照らし出し、そこにある物を映し出した。吹き抜けの中央に見える床、そしてその床の中央に置かれた木箱。それをカミュもリーシャも確認する。おそらく、三階層にあった浮島であろう。その浮島の上に木箱が置かれていたのだ。だが、一瞬ではあるが照らし出した浮島へ渡る通路などは見えなかった。つまり完全な離島となっているという事になる。

 

「この場所から下へ落ちるか、それとも縄を伝って下りる以外に方法はないようですね」

 

浮島の存在と、その場所にある木箱の入手方法をカミュとリーシャが考え始めた頃、ようやくこのパーティーの頭脳が返って来た。血液の残る床を避けるように吹き抜けを覗き込んだサラは、暫し考えた後、実質二つの方法しかない事を口にする。確かに、下層から浮島に渡る方法がない以上、この場所から飛び降りるか、それとも何かを伝って下りる以外には方法などないだろう。

 

「カミュ、お前が<アストロン>を使って落ちれば良いんじゃないか?」

 

「いえ、確実性に欠けます。意識ごと刈り取られるあの呪文では、カミュ様が浮島の真ん中にでも落ちない限り、二階層まで落ちてしまいます」

 

リーシャの一言は、当の本人ではなく、隣にいたサラによって却下された。確かに、<アストロン>という呪文で鉄になった者は、その間の意識を刈り取られてしまう。自分の意志で身体を動かす事も出来ず、目覚める時を指定する事も出来ない。故に魔法を行使する事は愚策となる。必然的に残るは何かを伝って下へ降りて行く事なのだが、その伝う物がないのだ。

 

「……この縄しかないか……」

 

カミュは対岸とを結び付けている縄を見下ろし、背中から剣を抜き放った。一番左手にある縄を根元から斬り、その端を握る。そして、対岸の縄の根元に向かって<メラ>を放った。寸分の狂いもなく燃え上がった縄は、根元から焼け落ち、即座に回収される。回収した縄の燃えている部分を踏みつけ、火を消したカミュは、その隣にある縄も同様の形で回収しようとするが、それは中央の縄と結ばれている横に繋がる縄によって邪魔される事となった。

 

「ちっ! あの場所へ行くしかないな……あの場所へは俺が行く。アンタ達は、先に<リレミト>で塔の外で待っていてくれ」

 

「いや。お前が行くというのなら止めははしないが、お前があの場所へ辿り着くまで何があるか解らない以上、私達はここで待っている」

 

カミュの言葉を即座に否定したリーシャの足元では、メルエも首を横に振って、カミュの言葉を拒絶している。カミュが無事戻って来る事を確認しなければ、この少女は決してこの場を動こうとはしないだろう。それをリーシャとサラは理解していた。もう二度と離れる事を了承するつもりはないメルエの瞳は強く、カミュは溜息を吐き出し、一つ頷きを返す。

 

「腰にその縄を結びつけろ。私が端を握っておく」

 

「わかった」

 

使用するつもりの縄ではあるが、中央に移動し、もう一本の縄を斬らない限り、手に握っていても邪魔になるだけと考えたカミュは、リーシャの言葉を受け入れた。腰にきつく結びつけた縄の端をリーシャが握り、それを確認したカミュは中央を結ぶ縄に足を掛ける。以前、<ガルナの塔>にあった細い通路とは異なり、不安定な縄の上を歩く事は流石のカミュにも至難な事であった。何度もよろめき、その度にサラとメルエが声を上げる。手に力が入るリーシャであるが、余計な力を縄に伝えれば、それだけでカミュのバランスが崩れる事となる為、意識的に綱が張りつめないように握り直していた。

 

「……一度戻る……」

 

中央の縄とを結び付けている横へ伸びる縄を斬り、その手に縄を握ったカミュは、一度三人が待つ場所へと戻って来る。相当な時間をかけて戻って来たカミュは、安定した床に足を着けた瞬間、深い溜息を吐き出した。そんな様子を不安そうに見上げるメルエを見たカミュは、小さな苦笑を浮かべ、メルエの被っている<とんがり帽子>のつばを撫でる。その間にリーシャとサラは、カミュが持って来た二つの縄を固く結び付け、更には横へ伸びていた縄も結びつけた。出来上がった縄は、相当な長さを誇り、下層に見える浮島付近までは問題なく降りられると考えられる程の物。

 

「カミュ、次に命綱はない。もし落下したら、すぐに<アストロン>を唱えろ。私達も二階層まで降りる」

 

「……ああ……」

 

縄へと近付くカミュに向けられた真剣な瞳は、カミュの胸に何かを落とした。三人の心を代弁するように告げられたリーシャの言葉が、彼等の歩んだ旅の縮図なのかもしれない。<ナジミの塔>でこのような場面があっても、この言葉は出なかっただろう。<シャンパーニの塔>で、カミュが一人で行動すると告げたならば、リーシャは許可する事はなかったかもしれない。<ガルナの塔>では、自分の事で精一杯だったサラに、カミュの身を案じる余裕はなかった。一歩ずつ歩んで来た四人だからこそ、今、この行動が可能なのだろう。

 

ゆっくりと、そして慎重に歩を進めるカミュが縄の中央部分に辿り着いた時、リーシャの手にはじっとりとした汗が溜まっていた。中央部分で自分が立っている縄に先程の縄をカミュが結び終えると、サラは小さく息を吐き出す。無意識の内に、サラはカミュが歩いている最中、息を止めていたのだ。結びつけた縄の具合を確かめながら、下へと降りて行くカミュを見ていたメルエは、眉を下げながら吹き抜けを覗き込むように座り込む。

 

「メルエ、危ないですよ」

 

「…………うぅぅ……………」

 

「大丈夫だ。心配するな。カミュは必ず戻って来るさ」

 

心配そうに覗き込むメルエの瞳から、カミュの姿が消えて行った。闇に飲み込まれるようにその姿を消して行ったカミュを何とか見ようと、更に身を乗り出したメルエをサラが窘めるのだが、眉を下げたメルエは不安な瞳をサラへと向ける。そんなメルエの顔を覗き込んだリーシャは、柔らかな笑みを浮かべて、強く断言した。この幼い少女の心に忍び寄る不安を吹き飛ばすような笑みは、サラの表情も笑みに変えて行く。

 

暫しの間、暗闇を見続けていた不安に揺れるメルエの瞳が、小さな灯りを捉えた。カミュは降りる前に、口に一本の小さな枝を咥えていたのだ。それに小さな火を灯し、周囲を照らしている。その小さな灯火が上空に向かって数度振られた。ゆっくりと揺れる灯火を見たメルエの頬は喜びを湛えている。笑みを浮かべてリーシャを見上げたメルエの瞳は、喜びの雫で潤んでいた。

 

「だから大丈夫だと言っただろう?」

 

「…………ん…………」

 

メルエの濡れた瞳を拭ってやりながら、リーシャはとても優しい笑みを浮かべる。サラも何故か解らないが瞳を潤ませ、メルエの笑みに応えるように笑顔を作った。喜びに満ちていた三人は、先程まで振られていた小さな灯りが突如消えたのに気が付く。その代りに大きな光が中央で膨れ上がり、収束したと同時に一瞬で消え去った。それは、カミュが<リレミト>という脱出呪文を行使した事を示している。

 

「メルエ、<リレミト>の準備を。さあ、カミュ様の所へ戻りましょう」

 

「…………ん…………」

 

涙を拭ったサラの言葉にメルエは大きく、そして力強く頷きを返した。その顔にあるのは笑顔。もう一度大きく頷いたメルエは、しっかりと立ち上がり、リーシャとサラの間に移動する。メルエの身体を抱き上げたリーシャは、サラに視線を送り、それを受けたサラは、リーシャの腰元にしがみ付き、メルエと手を繋いだ。準備は完了した。後は、世界最高の『魔法使い』による詠唱を待つだけ。

 

「…………リレミト…………」

 

詠唱の完成と共に輝き出したメルエの身体は、その身体を抱くリーシャと手を繋ぐサラの身体を共に光となって収束して行く。収束した光は、瞬時に塔の外を目指し飛び出した。光を失った塔の五階層は闇に包まれる。暗闇の戻った<アープの塔>は、再び静けさを取り戻した。

 

 

 

閉鎖された死臭の漂う塔に渦巻く『無念』と『憎悪』は、勇者一行によって十数年ぶりに開けられた扉と共に解き放たれた。自分達の保身の為に閉じられた門は、その中へ幽閉された修道士の心と共に塔の時間を止め、塔で生きる様々な生命の時も止めてしまったが、幽閉された修道士の心の解放によって、古代の建造物は再び時を刻み始める。

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

これにてアープの塔は終了となります。
三話もかかるとは思いませんでした。
戦闘シーンをもう少し長く描くつもりではあったのですが、考えてみれば、たかだか「エリミネーター」です。この辺りを旅する勇者一行の内、「勇者」と「戦士」であれば、一撃で倒せる可能性もある魔物。故に、このような形になりました。

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