新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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スーの村①

 

 

 

 遠ざかる船を見ていたリーシャ達三人は、船着き場を離れ、この場所から唯一辿り着ける集落へと歩き始めた。

 ある大国が植民地化を考えていた場所だけに、船の出着を行える船着き場は整理されてはいたが、その場所に人は誰もいない。閑散としたその場所は長らく使われる事もなかったのであろう。草木は伸び放題になっており、虫達や小動物の住処と化していた。見え隠れする小さな生き物達に目を輝かせたメルエは、リーシャの手を離し、色々な場所で屈み込んでいる。そんなメルエを窘めながら、一行は北へと歩き始めた。

 

 

 

 実は、深酒をしたサラの具合が思ったよりも悪く、海賊のアジトを出港するのに数日の時間を要していた。出港の際に、メアリと交わした約束と、自身が発言した内容を聞いたサラは、メアリやリーシャの予想通り、大半の記憶を失っていたが、それでも自身の発言の重みを理解し、メアリに向かってしっかりと頷いた後、深々と頭を下げる事となる。メアリの考えや気遣い、そしてその度量の大きさに、サラは改めて感謝したのだ。

 出港した船は、真っ直ぐ北へと向かい進み始めたが、その際に、メアリと共にトルドの町へと向かう事を主張する三人を、メアリは片手で制する事となる。メルエは単純にトルドと出会える事を喜んでいただけであるが、リーシャやサラはメアリとトルドのやり取りに想いを馳せていたのだ。だが、そんな二人をメアリは優しく制した。

 

「俺を信じてくれ。俺は、お前達と交わした約束を破らない」

 

 そのメアリの言葉を聞いたサラは、羞恥に顔を赤らめた。メアリの言う通り、ここで尚、リーシャ達三人が同席する事を主張すると言う事は、メアリという人物を疑っている事と同意であり、それはあれ程の器量を示したメアリを侮辱している事に等しい。それに気付いたリーシャは、メアリに向かって軽く頭を下げ、謝罪の意を示した。

 リーシャとサラの謝罪を笑いながら受け止めたメアリは、トルドに会えないという事実に肩を落とすメルエの頭を撫でながら笑みを濃くする。

 メルエとメアリは、サラとは別に、固い約束を交わしていた。それは、メルエ側だけではなく、メアリ側から見ても重く、固い約束。破る事は出来ず、自身の心を偽る事は許されない程の深い絆。それをメルエはメアリと結んでいるのだ。

 トルドとの交渉は正規の物である事を誓ったメアリに頷いたリーシャ達は、自分達の目的地を告げる。それは、海賊船に不時着した際にサラが告げた場所であった。

 エジンベアという大国が植民地化する政策を打ち立てたが移民が進まなかった村。そして、トルドが赴いたきっかけとなった老人の言葉にあった村。何よりも、カミュと共に歩んでいた際に、次の目的地として名前が挙がっていた村。

 

スーの村

 

 サラの記憶にある世界地図は、アリアハンにあった物。行く場所行く場所で、目新しい地図があった場合、カミュはその地図を購入していたが、リーシャやサラへ広げる事はなかった。

 故に、サラの中での世界地図は、アリアハンという辺境の小国に存在していた物で止まっているのだ。その中にスーという村があったかどうかは記憶にない。だが、その場所はエジンベアで聞いている。故にサラは、カミュもまたその場所へと向かっていると考えていたのだ。

 

「そうか、スーならば、近場に船着き場もある。そこまでは行こう。俺達はその後で、開拓地へ向かう事にする」

 

 目的地をメアリに告げると、メアリはその場所を知っており、その近くの船着き場までリーシャ達三人を送り届けた後、トルドの許へ行く事を口にした。もはや、リーシャ達三人が同席する事は叶わない以上、そこで頷く以外にない。メアリという人物は信用に足る人間である事をリーシャも理解している故の判断であった。

 

「お前達は、ルザミという場所へ行った事はあるか? 俺達のアジトよりも更に南に船を進めた場所にある小さな孤島にある村だが、忘れ去られたような場所でな。あの場所は俺達以外に知っている者は、もういないかもしれないな。機会があれば、一度行ってみれば良い」

 

 目的地を船員達へ告げたメアリは、ふと思い出したかのように、リーシャ達が聞いた事のない村の名前を口にした。

 その名もサラの見ていた世界地図にはなかった筈。もしかすると、カミュの持っている最新の世界地図にも記載はされていないのかもしれない。いや、それは最新だからこそ記載がない可能性も出て来た。『忘れ去られた場所』となれば、かなり過去の地図にしか載っていないと言う事もあるからだ。

 

 

 

 そんな船旅の中での会話もサラの胸には残っていた。サラにとって、メアリという海賊との出会い、そしてそのアジトで遭遇した出来事は、その心の成長に多大な影響を及ぼしている。サラという『賢者』が、この先でどのような者へと変化して行くのかは、このアジトが重要な分岐点となったのかもしれない。

 サラはまた一歩前へと踏み出している。彼女の場合、自身一人で前へと進める事は少ない。誰からの後押しが必要であったり、誰かとの出会いが必要であったりと、必ず他者が大きく影響を及ぼしている。前へと足を踏み出すのは彼女であるが、その足を動かしているのは、多くの『人』の想い。いや、『人』だけではないだろう。この世に生きとし生ける者達の見えない想いが、サラという『賢者』を成長させ、成り立たせていた。

 

「サラ、この方角で良いのか?」

 

「はい。大丈夫です。太陽があそこにありますから、こちらが北の方角である事は間違いないと思いますので」

 

 メルエの手を取って歩いていたリーシャが振り返り、思考に落ちていたサラの意識を現実へと引き戻した。意識を戻したサラは、上空で輝き、西の空へと移動を始めている太陽を見て、自身の歩む方角を導き出す。メアリが告げた『北へと歩いて行けば、スーの村まで辿り着く』という情報に基づいて、彼女達は真っ直ぐ北へと歩いているのだ。

 

「…………なにか………くる…………」

 

 そんな時、リーシャの手を握っていたメルエが、在らぬ方角へ視線を向け、口を開いた。その言葉が魔物の襲来を示す物である事を知っている二人は、それぞれの武器に手をかけ、メルエの視線を追う。その方角は静けさを纏い、魔物の姿など見えはしない。しかし、それでも、メルエが感じた気配は正確である事も二人は知っている。故に、警戒感を強めて、メルエを後ろに下がらせ、目を細めた。

 

「サラ、来るぞ」

 

「はい」

 

 やはりメルエの感覚は正しかった。次第にリーシャ達の立っている大地が小刻みな震動を始め、視線の先に土煙りが上がって来る。大きくなる土煙りと共に、大地の揺れは激しくなり、三人の耳には蹄が大地を叩く音が入って来た。

 近付いて来るのは、羊なのかバッファローなのかが解らない姿の魔物。何度もリーシャ達が相対して来た魔物達と変わらぬ姿をする魔物が四体。興奮状態をそのままに、口からは涎を垂らし、鼻息を荒げて、リーシャ達を囲むように布陣を完了させた。

 

「リーシャさん、一体ずつ相手をして行きます。他の魔物は私が引き付けますので、一体を確実に」

 

「わかった。任せたぞ」

 

<ビッグホーン>

マッドオックスやゴートドンといった、山羊とバッファローの交配によって生まれた亜種が魔物化した物。住処の違いや、その性質の違いから、縄張りを異なる場所に持ち、その能力などにも違いが生じている。集団での行動を主とし、『人』を襲い、食す。元は草食動物である事を忘れてしまったかのように、貪欲に『人』を襲う姿に、多くの者は恐れを抱いた。マッドオックスやゴートドンの上位種となる為に、その力は両者を凌ぎ、集団に遭遇した者は、辞世の言葉を考えざるを得ない存在である。

 

 リーシャは、サラの言葉通りに、先頭で到着したビッグホーンに向かって、その斧を振るった。斧の軌跡は、真っ直ぐビッグホーンの頭部に落ち、迫り来るビッグホーンの速度と相まって、その命を確実に奪い取る。

 あっさりと倒れた魔物に注意を向けていたリーシャは、内部を撒き散らして倒れ込む一体のビッグホーンの影から出て来たもう一体が大きく口を開けている事に気が付いた瞬間、咄嗟に後方へと飛んだ。

 

「バギ」

 

 サラの詠唱と、ビッグホーンが口内から息を吐き出したのは、ほぼ同時であった。サラの詠唱が風を味方につけ、ビッグホーンの周囲の風を真空へと変えて行く。巻き起こる真空の刃は、ビッグホーンの身体に無数の傷をつけ、その体液を撒き散らした。

 だが、その攻撃は、若干遅い。ビッグホーンの吐き出した息を避ける為に方へ飛んだリーシャであったが、多少は吸い込んでしまっている。

 

「くっ……」

 

 目が眩むような睡魔に襲われ始めたリーシャは、後方で斧を地面に着けてしまった。リーシャの神経は蝕まれ、抗えない程の誘惑が脳を痺れさせる。以前におばけきのこから受けたような甘い感覚に痺れ始めた脳を無理やり活動させたリーシャは、斧の柄を足の甲へ突き落した。

 目を覆いたくなるような音を立てたリーシャの足であるが、骨が砕けたような音ではない。顔を歪ませたリーシャは、バギによって傷を受けていたビッグホーンへ斧を振り抜いた。

 

「グモォォォォ」

 

 リーシャの斧は、ビッグホーンの肩口から胸部までを斬り裂き、その骨を砕く。堪らず倒れ込んだビッグホーンは、数度の痙攣の後、その命の灯火を消して行った。

 残る魔物は二体。瞬く間に絶命した同種の姿に、唖然としたように佇んでいた魔物達は、我に返ったように怒りに燃えた瞳をリーシャへと向ける。真っ赤に燃え上がった瞳は、その鼻息を更に荒くさせ、嘶きを響かせた。

 

「メルエ!」

 

「…………むぅ…………」

 

 満を持して、その二体へ攻撃呪文をぶつけようと考えていたサラは、その名を叫んで振り向くのだが、そこにいた幼い少女の表情を見て、全てを悟った。

 サラの後方に立っていたメルエは、その胸に木の棒と成り果てた杖を抱いて、眉を下げていたのだ。

 その腕の中にある杖は、嘗ては魔道士の杖と呼ばれ、世界最高位に立つメルエの魔法力を受け止めていた物。規格外と言っても過言ではないメルエの魔法力を、神秘へと変換して来たその杖は、今は赤く輝く宝玉も無く、その能力を半分も発揮できない状態になっていた。

 

「リーシャさん! 私がヒャダルコを放ちますので、間髪入れずに攻撃を!」

 

「承った!」

 

 メルエの自信は、あの魔道士の杖が元となっていたのだ。

 彼女にとって、魔法とは『誇り』でもある。初めて魔法を行使した時は、子供の無邪気な遊びであった。それが、あの杖を買い与えられた時から、変化を見せる。メルエにとって何の思考も無く発現出来た物が出来なくなり、様々な想いの中で育った『決意』と『覚悟』が、あの杖の存在を宝物へと高めて行った。

 あの時から、メルエにとって『魔法使い』としての旅が始まったのだ。『魔法』という神秘を武器に戦う者の総称を『魔法使い』という。そして、メルエはその才能を武器に、世界最高の『魔法使い』という地位に昇り詰めた。その称号は、メルエと魔道士の杖によって勝ち取った物なのだ。

 故に、今のメルエは、魔法に対する自信が湧かない。自信の源となる杖が起動しないのだ。だからこそ、メルエは杖を抱えたまま動けずにいる。『何かをしたい』、『リーシャやサラの助けとなりたい』、『自分も役に立ちたい』という想いは、おそらくこのパーティーの中でも格別に強い筈のメルエが動けない。それは、恐怖にも似た感情がメルエの中で育ってしまっているのだ。

 メルエの身体を心配し、与えた魔道士の杖という媒体は、幼いメルエに『依存』という感情を教えてしまっていた。そんな小さくはあるが、着実に積み上げられて行った感情に、リーシャもサラも、そしてこの場にはいないカミュも気付きはしなかったのだ。

 

「ヒャダルコ」

 

 手を前へと翳し、サラは自身が持つ最高の氷結呪文を詠唱する。後方に控えるメルエが唱えるヒャダルコとは比べ物にならない程の威力。特に氷結呪文に関しては、メルエの右に出る者は、この世はおろか、魔物の中にもいないのかもしれない。

 それでも、サラも世界で唯一となる『賢者』である。その威力は『人』の中では別格。一気に下がった周囲の気温は、空気中に漂う水分を凍らせ、冷気を迸らせる。

 

「グモォォ……」

 

 前へ出ていたビッグホーンの唸り声は、凍りつく口元によって、途中で消えるように小さくなって行った。真っ赤に燃え上がっていた瞳は、凍りついて行く中でその色を失い、前へ出る足は、凍りつくように固定される。メルエのように身体の芯まで凍らせ、その細胞までをも死滅させる程の威力はないのかもしれないが、リーシャがその手にある斧を振り下ろす時間は、充分に稼ぐ事が出来た。

 

「やあ!」

 

 振り下ろされた斧は、凍り付き始めたビッグホーンの首へ突き刺さり、氷を砕くような乾いた音を響かせる。砕け散るように体内へと入って行った斧は、そのままビッグホーンの首を地面へと落として行った。

 絶命したビッグホーンの身体が地面へと沈むよりも早く、リーシャは痛む足を酷使し、最後の一体へと飛び出す。目の前に迫るリーシャへ、大きく口を開いたビッグホーンであったが、横合いから襲いかかる魔法力によって、その意識を断ち切られる事となった。

 

「ラリホー」

 

 補助魔法に関しては、世界最高位に立つであろう者の呪文の行使。それは獣の延長線上にある魔物にとっては、抗う事が出来ない程の威力を誇る。一瞬にして意識を刈り取られたビッグホーンは、襲いかかるリーシャの斧によって、命を失う瞬間まで苦痛を感じる事無く、この世を去って行った。体液を撒き散らして倒れる巨体を視界に納めたリーシャは、一度斧を振い、体液を振り払う。

 

「リーシャさん、こちらへ。足にホイミを掛けておきましょう」

 

 甘い息によって朦朧とする意識を、強引に引き戻したリーシャの姿を見ていたのだろう。戦闘が終了した事を見届けたサラは、リーシャに向かって回復呪文を唱える為の準備を始める。サラがリーシャの許へ来るのではなく、メルエの傍へ移動した事を見たリーシャは小さく微笑み、『じんじん』と痛む足を引き摺りながら、メルエの許へと移動を開始した。

 

「…………ごめん………なさい…………」

 

 二人が自分の傍へ来た事を見たメルエは、泣きそうな程に眉を下げ、小さく謝罪の言葉を呟く。それは、自分へ魔法の行使を指示したサラの言葉を無視してしまったような形になってしまった事への謝罪なのか、それとも、魔法を行使する事の出来なくなった自分を見捨てられないようにする為の予防策の一つなのか。何れにしても、メルエが心を痛めている事だけは確かである。故に、リーシャもサラも、メルエを不安にさせないように優しい笑みを浮かべた。

 

「ふふふ。本当は、もう杖などメルエには必要ない物なのですよ。メルエが大事に抱えているその杖は、メルエを本当の『魔法使い』へと成長させてくれました。メルエこそ、世界で最高の『魔法使い』なのです。すぐに、それが解ります」

 

「そうだぞ、メルエは私の自慢の妹だからな。メルエならば、杖がなくても大丈夫だ」

 

 メルエを気遣うリーシャとサラの言葉にも、メルエは眉尻を下げたまま。自分達が考えているよりも、メルエの持つ『依存』という感情が強い事に、二人は驚きを浮かべた。

 しかし、それが一般の幼少時代と呼ばれる物を過ごした事も無く、幼い子供と接する事も無かった者達の限界なのかもしれない。それにリーシャとサラが気付くのは、もう少し後の事であった。

 

 

 

 三人は、何度かの戦闘を行いながらも、順調に歩を北へと進め、二日間の野営を経て、一つの村へと辿り着いた。そこは、村落という言葉がぴたりと当て嵌まる程の物。植民地化を計画した際に、エジンベアが修築したであろう村と外を隔てる壁は中途半端な形で途切れており、途中からは木で出来た柵で造られている。何処か物悲しい雰囲気を持つ村に、リーシャ達は言葉を発する事は出来ず、小さな門を潜って中へと入って行った。

 

「何と言うか……村だな……」

 

「そうですね。本当に『村』らしい村ですね」

 

 中へ入ったリーシャは、その集落の佇まいを見て、正直な感想を漏らす。そんなリーシャの呟きに、サラも同意を示した。

 二人の言葉通り、その集落は人も疎らで、建物もそれ程多くはない。集落の中で、家畜などは放牧されており、馬や牛、そして鶏などが村のあちこちを自由に歩き回っている。人と家畜が自由に行き来する光景は、サラの知識の中にある遥か昔の『村』という形態そのものであった。

 

「まずは、宿屋に行こう。宿屋に着いたら、私はこれを売却して来る」

 

 カミュと別れたリーシャ達は、無一文と言っても過言ではない。アリアハンを出た時に、サラは多少の資金を持ってはいたが、それは三人分の宿代を何日も支払える程の物ではない。パーティーの財布はカミュが握っており、彼女達はその財布から出る資金で、宿に泊まり、武器や防具を購入していたのだ。

 故に、リーシャはここまでの道程で倒した魔物の部位などを、メアリに貰った袋に入れて運んで来ていたのだ。ビッグホーンの毛皮や角などであれば、それなりの金額で買い取ってくれるのではないかと考えていた。

 

「宿屋は、あれではないでしょうか?」

 

 村の内部を見回したサラは、左手にある建物の看板を見て、そちらの方角へと歩いて行く。未だに眉を下げたままのメルエは、大事そうに杖を胸に抱えながらも、サラの後を『とてとて』と歩いて行った。リーシャは、そんなメルエの姿を痛々しそうに見つめ、小さく溜息を吐き出す。

 メルエは、船を降りた頃から笑わない。メアリという新たな出会いによって浮き立っていたメルエの心は、船着き場を降りた頃から現実へと引き戻されていた。

 手には、既に役目を終えた魔道士の杖があり、その存在の消滅と共に、メルエの自信も萎んで行ってしまったのだ。それと共に、メルエの中で必死に抑え込んでいた『恐怖』と『不安』が溢れ出し始める。

 

 『勇者』の不在

 

 メルエにとって、カミュという存在は、『勇者』ではなくカミュなのだ。故に、上記の不安とは少し異なるかもしれない。だが、メルエの心の中に存在するカミュという人物は、間違いなく『勇者』であろう。絶対的強者であり、絶対的な保護者であるカミュという人物は、メルエの心の支えであると共に、常に安心感をくれる存在なのだ。

 杖に関してサラやリーシャが何度話をしても、メルエの自信が戻る事はなく、媒体を使用せずに魔法を行使する事はなかった。それは、魔法という神秘をメルエに与えた人物がカミュという保護者であったからなのかもしれない。メルエに魔法についての細かな部分を教えているのはサラであるのだが、魔法というメルエの誇りを教えたのは、紛れも無くカミュなのだ。

 故に、メルエは笑わない。自身の誇りと自信が消え失せてしまった彼女は、今、とても深い絶望の底へと落ちているのかもしれない。

 

「メルエ、おいで。一緒に行こう」

 

「…………ん…………」

 

 寂しい雰囲気を醸し出すメルエの背中を見ていたリーシャは、片手をメルエへと差し出した。眉を下げたまま小さく頷いたメルエは、その手をしっかりと握り、宿屋への道を歩き出す。いつもならば、どんな『恐怖』をも打ち払ってくれるリーシャの暖かな手も、今のメルエの心を癒す事は出来ない。それが、リーシャは少し哀しかった。

 

「……いら……しゃ…い……」

 

 宿屋らしき建物の扉を開けると、カウンター越しにこちらに気付いた店主が笑顔と共に言葉を発する。しかし、その言葉は、訛りがとても強く、聞き取り辛い。まるでトルドのいる開拓地に住んでいる老人と同じような発音に、サラは必死にその言葉を聞き取ろうと耳を傾けた。

 何とか宿泊人数と宿泊日数を伝え終えたサラは、疲れたように肩を落とす。そんなサラへ苦笑を向けながら、リーシャは店主に魔物の部位を売却出来る場所を聞くが、聞き取れないし、伝えきれない。サラの苦労の一部を垣間見たリーシャは、身振り手振りと、袋に入っている現品を見せ、何とか目的の場所を聞き出す事に成功した。

 そのまま宿屋を出て行ったリーシャを見送り、サラとメルエは宿屋のカウンターの傍にある椅子に座って、帰りを持つ事にする。

 

「メルエ、その杖はどうするのですか? 大変言い難いのですが、その杖はもう役には立ちません。通常の『魔法使い』であるならば、媒体として使えるかもしれませんが、メルエの魔法力には耐えられませんよ。売却も出来ないでしょうし……何処かで捨てないと」

 

「…………いや…………」

 

 自分に向かって口を開くサラを虚ろな瞳で見上げていたメルエは、最後にサラが発した言葉に瞬時に反応した。首を横に振り、必死な抵抗を見せるメルエへ、サラは哀しげな瞳を向けるしかない。

 メルエにも解ってはいるのだ。だからこそ、メルエは赤い石を失った杖を使って魔法を行使する事はない。今の杖ではメルエの魔法力に耐えられない事は、サラから自身の魔法力の脅威を教わったメルエも理解していた。

 だが、それでもこの杖は、メルエの宝物の一つなのだ。

 

 どれ程に、この杖を憎んだ事だろう。

 どれ程に、この杖に憤りを感じた事だろう。

 どれ程にこの杖を頼りとし、どれ程にこの杖を誇りとした事だろう。

 

「メルエの気持ちもわかります。この杖は、メルエの宝物ですものね。ごめんなさい……『捨てる』など言ってはいけませんでした。何処かに、その魔道士の杖のお墓を作りましょう。今までメルエを助けてくれた感謝を込めて」

 

「…………」

 

 メルエの気持ちを察したサラは、無神経な自分の言葉を謝罪する。誰がどう考えようと、この杖はメルエの宝物なのだ。それを『捨てる』等、許せる事ではない。そんな当然の事に気付かなかった自分を恥じ、サラは深く頭を下げた後、メルエに先程とは異なった提案を示した。

 しかし、その提案も杖を手放す事に変わりはなく、メルエも容易に首を縦には振らない。『じっ』と自分を見つめるメルエの瞳を見て、サラは困ったように眉を下げてしまった。

 

「カミュ様も、そろそろこの村へ来られるでしょう。その時に、メルエの口から、その魔道士の杖の最後を教えてあげて下さい。きっと、カミュ様もその杖にお礼を言いたいでしょうから」

 

「…………ん…………」

 

 言葉に困ったサラは、話題を少し変える事にした。メルエの心の中にいる絶対的な保護者の名を口にしたのだ。その名を聞いたメルエは、尚一層に眉を下げ、小さく頷きを返す。そのまま、杖を胸に抱いたメルエは、宿屋の床に届かない足を動かす事無く、虚ろな視線を扉の外へと向けてしまった。

 

 

 

 

 

 宿屋に入ってから、一週間の時が経った。

 未だに、彼女達の待ち人はこの村を訪れてはいない。

 毎日、同じ様な時間が流れ、同じように陽が沈んで行く。

 そして、今日も昨日と変わらぬ陽が昇っていた。

 

「メルエ、中に入って待っていましょう?」

 

 あれから、メルエは一度たりとも笑顔を見せはしない。リーシャが笑いかけようと、サラが話しかけようと、その手を握ろうが、その身体を抱き締めようが、メルエは笑わない。何かを押し殺したようなメルエは、元々少ない口数を更に減らし、今は言葉を発する事が皆無になったと言っても過言ではなかった。

 ただ、陽が昇り、陽が落ちるまでの間、宿屋の扉の外にある花壇の淵に座り、村の入口を眺めているだけなのだ。その胸に石を失った杖を抱いたまま。

 そんなメルエを心配し、声を掛けに来たサラの言葉にも、視線さえ動かさず、口を開く事も無い。この数日、メルエは碌に食べ物も口にしていないのだ。心配したリーシャが作った料理にも、手を伸ばしはするが、口に入れた後、吐き出してしまう。メルエの心の奥には、カミュとの会話がある。故に、出された食べ物を残す事はないのだが、無理をして食べても吐き出してしまうメルエの姿は、リーシャとサラの心に哀しみを落として行った。

 

「カミュ様は必ず来ますよ。その時に、今のメルエをカミュ様が見たら、きっと悲しんでしまいます。ゆっくりとご飯を食べて、ゆっくり眠って待ちましょう?」

 

 カミュが現れない事は、リーシャとサラで散々話し合った。『やはり、一度ポルトガへ戻るべきではないのか?』と主張するリーシャの言葉をサラは否定する。初めに考えたサラの考えが間違っていた事を認めはするが、今、サラ達がポルトガへ戻ったところで、すれ違いになってしまう可能性が高かった。

 既に、カミュと別れてから二か月近くの月日が流れている。例え、カミュが当初はポルトガへ戻り、その場所で数週間待っていたとしても、リーシャが言うようにサラ達を探しているのであれば、他の場所へ移動している事は確実なのだ。

 だが、そんなやり取りをメルエは知らない。サラが『カミュはここへ来る』と言えば、それは絶対であり、メルエがそれを疑う事はない。『それが何時か?』という疑問が浮かぶ程、メルエの心は成長していないのだ。故に、メルエは只々待つのである。目が覚め、眠気に負けるまで、この場所で待ち続ける。

 カミュと逸れた当初の頃が嘘のようなメルエの変貌に、リーシャとサラは戸惑っていた。海賊のアジトで、メアリの気迫に負けないような視線を向けるメルエはいない。頭に置かれた手を、目を細めて受け入れるメルエもいない。何より、誰の心も和ますような花咲く笑顔を浮かべるメルエがいないのだ。

 

「……メルエ……」

 

 振り返りもせず、言葉も口にしないメルエを見るのは、もう何日目になるだろう。そんな哀しい姿を見たサラは、小さくその名を呟く以外なかった。

 おそらく、今回逸れたのがカミュではなく、リーシャであろうとサラであろうと、メルエはこのような状態に陥ったかもしれない。断定は出来ないが推測は出来る。メルエはリーシャとサラだけでは笑ってくれないが、それがカミュとサラだけであっても、カミュとリーシャだけであっても変わらないだろう。メルエは誰一人欠けても、その花咲くような笑顔を向けてはくれないのだ。それが解っているだけに、サラは言葉を失ってしまう。

 カミュだけに向けられた感情であったのならば、サラは『嫉妬』という感情を持ってしまったかもしれない。だが、そうでない以上、メルエの心の苦しみを取り除いてあげたいと考えているのだが、それが出来ないのだ。

 

「リーシャさんに何か作って貰って来ますね。何かをパンで挟んだ物であれば、ここでカミュ様を待ちながらでも口に出来ますよ。果実汁の飲み物も探して来ますね」

 

 既に陽は高く昇り、昼時を過ぎている。朝食も口にしていないメルエを心配したサラは、この場所でメルエと共にゆっくり食事を取ろうと考えた。

 この一週間、メルエはこの場所を眠る時以外に動いた事はない。だからこそ、サラは何の心配もせずに、メルエを一人にして奥へと消えて行った。『すぐに吐き出してしまうメルエの身体にも優しいスープなども、リーシャに作って貰おう』等と考えながら、サラはメルエから目を離してしまったのだ。

 

 

 

 サラが宿屋の中に入ってどれ程の時間が経っただろう。村の中を歩く人の姿や、メルエの大好きな動物達の姿にも目を向けず、メルエは村の入口唯一点を見つめていた。

 村は昼時の喧騒を見せ、放牧されている動物達は生えている草を無心に食している。そんな和やかな空気が流れる村の中で、メルエは身動き一つしない。一週間前までは、まるで置き人形のように動かないメルエを、村の人間達は奇異の目で見ていたが、今では当たり前の事のように気にも留めなくなった。

 

「…………!!…………」

 

 そんな宿屋の入り口近くの花壇にある置き人形に見向きもせずに通り過ぎようとしていた村の住民の一人は、突如動き出したメルエに驚き、身体を仰け反らせた。

 何かを感じ取ったように突如として立ち上がったメルエは、胸に杖を抱いたまま、周囲へ首を巡らす。四方八方へ動かしていたメルエの首は、ある一点で停止し、暫しの間、その方角の空へと視線を固定する。

 

 そして、少女は駆け出した。

 

 

 

 

「メルエ、美味しそうですよ……あれ? メルエ?」

 

 両手に飲み物とスープ、そして温かなパンを抱えたサラが宿屋の入口から出て来たのは、既にメルエが村の門から外へと飛び出して行った後だった。

 暖かく、食欲を誘うような湯気を立てているスープについての感想を述べていたサラは、視線を向けた花壇の淵にある筈の姿がない事に気付くが、それを理解するまでに暫しの時間を要する。料理を抱えたまま、花壇を見つめていたサラが、状況を理解した瞬間、湯気の立っていた料理は、冷たい地面へと落下して行った。

 

「リ、リーシャさん! リーシャさん!」

 

 料理を全て落としてしまったサラは、大声を上げながら宿屋の中へと入って行く。サラには、状況が正確には掴めていない。メルエがいない理由が理解出来ないのだ。誰かに攫われたのか、それとも自ら出て行ったのかさえ解らない。だが、『メルエがいない』という事だけは、紛れもない事実であった。

 サラは『賢者』である。しかし、このような状況には一番弱い者の一人でもある。突発的な出来事に対する順応性は、未だに遅いのだ。戦闘中ならばいざ知らず、混乱に近い状況に落とされたサラには、自身の考えを纏める力はない。助けを求めるように入って行った宿屋は、近年稀に見る騒がしさを見せていた。

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

少し短めとなりましたが、第十章も残りわずかです。
一週間で更新はしたいと思っていますので、楽しみにして頂ければ嬉しいです。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。


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