新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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ナジミの塔①

 

 

 

 一行はレーベの村を出て、真っ直ぐ南に進む。

 既に陽は高く昇り、強い日差しがアリアハンの大地を照らしていた。

 気温が上昇して行く中、カミュを先頭に進む一行の前を、広大なアリアハンの大地が広がり、雲一つない青空がカミュ達を見守っている。

 

「森の中とは、どの辺りなのですか?」

 

 いつものように先頭を行くカミュとの距離を少し空け、サラは隣を歩くリーシャに問いかけた。

 周囲を警戒しながら歩いていたリーシャは、視線をサラへと向け、何かを思い出すように考える。

 

「ああ、レーベの村から真っ直ぐ南に向かった森の中に、小さな小屋があるらしい。その横に地下へと続く通路があるはずだ」

 

「その小屋は森のどこにあるのですか?」

 

 リーシャの話す内容は、サラの予想に反して具体的な物だった。

 『森の中にある小屋の近くにある地下への通路』とは、まるでその場所を見て来た事があるのではないかと思う程に明確な物。

 故に、サラはその森の場所もリーシャは知っていると思い、もう一度訪ねた。

 

「真っ直ぐ南にだ」

 

「…………」

 

 結局、『ナジミの塔』への通路の入口の場所を聞いた筈が、返って来たのは目印についてだけであり、しかも、その目印の場所は何とも曖昧な物でしかない事に、サラは言葉を失った。

 カミュは、この曖昧な情報だけでどうやって探すつもりなのだろうか。

 サラは今日の旅に一抹の不安を覚えながら、前を行くカミュの背中を見つめた。

 

「他に『ナジミの塔』への行き方はないのですか?」

 

「先程も言ったが、アリアハン城内にも通路はある……ん? そう言えば、もう一つ何処かにあったような気が……う~ん、思い出せないな……」

 

 期待をせずに聞いてみると、何やら重要な事を、リーシャが呟いている。

 耳を傾けるが、それはすぐに落胆に変わった。

 肩を落とすサラを不思議そうに見た後、リーシャは再び視線を前へと移動させる。

 

「まあ、気にしても仕方がない。今は地下通路への道を探そう」

 

 『それを探すのが難しいのでは?』

 そんな言葉を何とか飲み干し、サラは再び前を行くカミュに目を向ける。

 視線を受けた『勇者』は、こちらに視線を向け立ち止まっていた。

 何かあったのかと慌てて駆け寄るリーシャの後ろを、サラも小走りについて行く。

 

「見つけたか?」

 

「……いや、まだ森にも入っていない……アンタの言葉を信じるのなら、森の中にあるのではないのか?」

 

 カミュに近づいてすぐに声を掛けるリーシャに、溜息を吐きながら返すカミュの言葉は、サラの顔に笑顔を戻す物であった。

 先程も森の中の小屋の近くにあるという話をしたばかりだというのに、まだ日差しを強く受けるこの平原で見つかる訳がないのだ。

 自分が言った手掛かりにも拘わらず、そのような事を問いかけるリーシャに嘆息するカミュの姿は、サラの心の中に、一時の休息を与えてくれた。

 

「そ、そうだな……森の中に小屋があるはずだ。その近くに、地下へ続く通路がある」

 

「……小屋……?」

 

 今初めて聞いた新たな情報に、カミュの瞳が鋭く細められる。

 サラには話していたが、カミュに小屋の事を話すのは初めての事であったのだ。

 完全に足を止めたカミュは、リーシャの瞳を真っ直ぐ射抜き、その視線の強さに若干怯みながらも、彼女はもう一度口を開いた。

 

「ああ、本当に小さな小屋らしいんだが……」

 

「…………」

 

 カミュはリーシャの『小屋』という単語を聞くと、何かを思い出すように目を瞑り黙り込んでしまった。

 突然黙り込んでしまったカミュにリーシャは疑問を覚え、サラは不安を覚える。

 

「……その小屋らしき物なら、憶えがある」

 

「本当か!?」

「本当ですか!?」

 

 暫くの瞑想の後に、突然目と共に開いた口から発せられたカミュの言葉は、二人を驚かせるのに十分な物であり、更にそれは、先程まで感じていたサラの不安を払拭させる物であった。

 

「……以前、森の中での休憩時に使った宿営地の近くに、そんな小屋があった。まあ、あれは小屋というより、牢屋に近かったような……確か、古い鍵がかかっていて、中には入れなかったが……」

 

「おそらく……それだな……」

 

 カミュの言葉に対して、情報源であるリーシャはしきりに頷いていた。

 サラはそんなリーシャの様子に苦笑しながらも、行き先が確定し、その行き方についても先頭を歩くカミュが知っている事に安堵する。

 

 

 

 森に入った事で、平原を歩く時と違い、カミュと他の二人の距離は空く事なく、密着した状態での移動となる。

 このアリアハンでも、平原に出て来る魔物よりも、森の中で生活する魔物の方が手強いのだ。 

 故に、唯の旅団や商団は、街道から外れて森へ入る事は、余程の事がない限りあり得ない。

 ただ、それでも雨を嫌い、森の入口で野営をしていて魔物に襲われたという話が減らない事から、人々の意識はそれほど強くないのかもしれない。現に、今一行の前に姿を現した魔物も、ここアリアハンでは中堅クラスの魔物と言っても良い物だった。

 

<おおありくい>

この魔物もアリアハンに古くから住む魔物の一つであり、その体躯は<一角うさぎ>よりも一回り大きい。ありくい特有の長い舌を持ち、その舌で人間に襲いかかる。鋭い武器となる長い舌は、人間の体躯など容易く貫く程の強度も誇っていた。

 

 その<おおありくい>が三匹に、<一角うさぎ>が二羽。

 そんな魔物の群れが今、カミュ達の前に立ち塞がっている。

 腰の鞘から剣を抜き放ったリーシャは、そのまま<一角うさぎ>に突っ込み、瞬く間に一羽を切り倒す。一瞬の攻防に驚いた残りの一羽も、その刺突によって絶命を迎えた。

 二羽の<一角うさぎ>を葬ったリーシャが後方に視線を向けると、カミュも二匹目の<おおありくい>を、その剣で突き刺しているところであった。

 その様子を見たリーシャに多少の安堵から来る油断があったのかもしれない。

 残った一匹の<おおありくい>は、攻撃を加えていたカミュでも反対側にいるリーシャでもなく、二人の動きを呆気にとられて眺めていた人物に向かって行った。

 <おおありくい>の動きに我に返ったサラは、慌てて<聖なるナイフ>を構えるが、<おおありくい>の動作はそれよりも早かった。

 その口の中に納められていた長い舌を、サラ目掛けて飛ばし、ナイフを持つサラの右手に絡めて来る。

 突然自分の手に巻きついてきた舌に驚き、その臭いまで漂ってきそうな感触を受けて、サラは硬直してしまった。元々の魔物嫌い故に、汚されたという想いまで抱いてしまう。

 

「サラ!!」

 

 追い詰められた魔物の本能を知っているリーシャは、自分の迂闊さを悔やんだ。

 大抵の魔物は、人間を殺す事も、自分が逃げる事も敵わないと知ると、その人間の集団内で瀕死の者や弱っている者、もしくは元々力の弱い者を狙い、そこから突破しようとする。

 リーシャの叫びもサラの硬直を解く事は出来ず、その魔物特有の強い力に引かれたサラの右手首から上の色が変わり始める。遂には<聖なるナイフ>を握っている事も難しく、その手からナイフが零れ落ちた。

 魔物へ対抗する武器をも失い、死すらも覚悟したサラの目にこちらに飛びかかって来る魔物とは別の何かが移り込む。

 

それは、拳大の火球であった。

 

 

 

 カミュが二匹目の<おおありくい>を刺し殺し、三匹目に剣を走らせようとすると、既にそこに最後の一匹はいなかった。

 リーシャによる、<一角うさぎ>の瞬殺と、自分達に飛び込んで来るカミュを見て、力量の違いと命の危険を感じた一匹の<おおありくい>は、この場からの離脱のみを考えたのだ。

 離脱をするのなら、三方向に分かれた人間達の間を縫うか、誰かを殺して、その方角を無人にするしかない。

 狙いをつけたのは、一人何も行動を起こさず佇んでいる子供だった。

 魔物の意図に気がついたのか、僧侶姿の少女はその手にナイフを構えるが、魔物の動きの方が早い。

 

 カミュは心底うんざりしていた。

 自分の力量を図る事も出来ずに、『魔王討伐』に出ようとすること自体が『死』を意味する。

 しかも、そんな人間と共に行動した場合、その人間が一人で死ぬのなら問題はないが、魔物が強くなって行くに連れ、その他の同行者にも危害が加わる事になる可能性が強い。

 女戦士の方の剣の腕は、『アリアハン随一』と云われるだけの力量はあった。

 しかも、鍛練も怠らず、その腕はこれから先も伸びて行くのは間違いない。

 この先の旅で、アリアハン大陸から出れば、今まで見た事もない魔物が現れ、いずれカミュ一人での限界にぶつかることだろう。

 

『その時は、そこで朽ち果て、魔物の食料となる』

『それならば、それで良い』 

 

 カミュはそう思っていた。

 リーシャに関して言えば、カミュのその限界を幾分か延ばしてくれるのかもしれないが、この教会に属する少女に関しては逆だ。

 カミュのみに降りかかる危害を前倒しにし、この旅の終了を早める存在になるだろう。

 

「サラ!!」

 

 リーシャの叫びと共に、サラの手からナイフが滑り落ち、その瞬間を狙った<おおありくい>がサラ目掛けて飛びかかった。

 その瞬間、カミュの身体は無意識に動き出す。

 考えた訳ではない。

 葛藤を振り払った訳ではない。

 それでも、彼は動いた。

 

「メラ」

 

 一瞬、『見捨てるか?』という想いが胸をかすめるが、自然とカミュの左手は前に出され、詠唱が行われる。

 カミュの左人差し指から出現した火球は、飛び出した<おおありくい>に寸分の狂いもなく命中した。

 

 

 

 サラは、<おおありくい>の爪が自分の左手を掠めた途端、目の前の魔物が炎に包まれて行くのを呆然と見つめていた。

 魔物の舌が絡みついていた右手は、魔物の飛び出しと同時に外されている。咄嗟に庇うように挙げた左手からは血が滴り落ちていた。

 

「サラ!! 大丈夫か!?」

 

 血相を変えながら、自分に駆け寄ってくるリーシャを見て、ようやくサラは自分の状況を確認する。

 我に返ったサラは、自分の右手首に残る鬱血した痕と、そこに残る不快な感触に眉を顰め、血が出ている左手をその部分に添えた。

 

「……は、はい……」

 

「そ、そうか……左手を見せてみろ! おい、カミュ。薬草をくれ!」

 

 力なく返事を返すサラを気遣い、リーシャはそれ以上質問せず、サラの怪我の処置に入ろうとする。

 しかし、自分の左腕を掴むリーシャの手を解き、サラはもう一度、傷がある左手を右手首に添え直した。

 

「あっ、この程度、大丈夫です」

 

「何を言っているんだ! どんなに小さな傷だろうと、魔物につけられた傷を甘く見てはいけない。<おおありくい>の爪に毒はないだろうが、水で洗った後に薬草をつけておいた方が良い」

 

 リーシャの言っている事は尤もな話だった。サラはこのような些細な事でもリーシャに心配をさせている事に心苦しさを覚える。

 『自分は本当に役立たずだ』 

 『役に立たないどころか、足を引っ張っている』

 そういう想いが浮かんでは消えて行く。それを振り払うように、嫌な感触の残る右腕を左手の傷口に添え、サラは自身の中にある能力を解放した。

 

「ホイミ」

 

 詠唱と共に、サラの左手の患部は癒しの光に包まれた。

 <おおありくい>の爪によって出来た裂傷が、淡い緑色の光に包まれながら徐々に塞がって行く。

 

<ホイミ>

教会が所有する『経典』の最初のページに記載されている初歩の回復呪文。魔法力を有した『人』の進むべき道を示唆する程に重要な呪文の一つである。最初にこの魔法との契約を済ませた者は、以後は『経典』に記載されている魔法以外の契約は不可能となり、同じように魔法力を所有する『魔法使い』という職業とは一線を画す存在となる。

 

「……ほぅ……」

 

 サラと出会って三日目にして初めて見た魔法。教会に属する僧侶として十年以上教えを受けて来たのだ。サラが回復呪文である『ホイミ』を行使できる事は予想出来ていたが、実際に行使している場面を見て、リーシャは改めて感心した。

 そんなリーシャの眼差しを受け、自分の不甲斐なさも合わせ、更に恥ずかしくなるサラであったが、傷に当てていた右手を離し、傷口に視線を落とす。先程まで、<おおありくい>の爪痕から血が滲みでていたサラの左腕の傷は、その傷跡も残らない程に綺麗に消えていた。

 

「流石はアリアハン教会の僧侶と言うべきか」

 

 サラの左腕の傷が消えたことを確認したリーシャは、その腕を手に取りサラに褒め言葉をかけるが、サラは困ったような苦笑を浮かべ俯いた。

 そして、思い出したように顔を上げたサラは、先程自分の危機を救ってくれた青年を目で探し、その姿を捉えると、以前と同じように、被っていた帽子が落ちてしまう程の勢いで頭を下げた。

 

「カミュ様、先程はありがとうございました」

 

「……」

 

 カミュからの返答はない。『役立たず!』と罵られるのではないかと思い、恐る恐る顔を上げるサラではあったが、そこで見た光景は罵られた方がまだ良かったと思えるほど冷たい物だった。

 カミュは何も言わず、まるで何か言うほどの価値もない者を見るような目で自分を見下ろしていたのだ。 

 サラは心底震えた。

 『この勇者にとって、自分の存在は何の価値も無い物なのかもしれない』と思う程に、カミュの瞳の中にサラは映ってはいなかったのだ。

 

「……俺が仕留め損なった魔物を殺しただけだ……礼を言われる筋合いはない」

 

「そ、そうだぞ、カミュ。仕留めるなら最後まで気を抜くな!」

 

「リ、リーシャさん!」

 

 カミュにとっては、三匹いる<おおありくい>を全て仕留めきれなかった事を納得はしていないのだろう。リーシャに剣の闘いで勝てない事は勿論、魔物に対しても、この先強い魔物に相対すれば苦戦する事は、現状では明白である。

 先程、サラを見捨てる事をせずに自然と身体が動いたのは、そういう事があるからだと結論付け、カミュはサラの感謝を否定した。

 

 リーシャは、カミュがサラを救った事に驚いていた。

 今まで、どんな状況であっても、自分に向かって来る敵以外には全く関心を示さなかった男が、仕留め損ねた為とはいえ、サラの窮地を救うとは思わなかったのだ。

 確かに、今日の朝、カミュとは自分達を仲間として扱う事を約束させたが、昨日まで、いや正確には今日の朝までは、自分達を仲間と思うどころか邪魔な存在として見ていた節のあるカミュの心が、ここまで変化するなど、リーシャにとって予想外にも程があったのだ。

 故の困惑した発言なのである。

 

 サラは、先程自分がカミュの眼差しに感じた印象とは正反対の言葉に、呆気にとられた。

 実際、救う価値もないと思っているのかもしれないが、もしかすると自分が取り逃がした責任を感じているのかもしれない。

 やはり、この『勇者』は自分が憧れていた通りの人物なのかもしれない。

 若干、自分の都合の良いように考えて行こうとする、サラの強引な楽観主義が発揮されていた。

 

「……余計な時間を使わされた……このままでは、地下道への入口を見つける頃には陽が沈むな……」

 

 それぞれの思いで各々を見ていた一行であったが、カミュが森の木々の隙間から見える太陽の傾き加減を見て、今後の予定が狂い始めていると洩らした事によって現実に戻された。

 カミュの言う通り、太陽の場所が西の方角へと傾きかけている。時機に太陽の傾き加減と比例し、闇の支配が始まる事だろう。

 

「……そうだな……まあ、地下道を進むのだから昼でも夜でもあまり変わりはないがな」

 

「……アンタは地下道や塔のような、<聖水>の効力がない場所で眠るつもりなのか?……ああ……眠るつもりはないのだな。ならば、アンタに見張りを任せて、ゆっくり眠らせて貰おう」

 

「ぐっ」

 

 少し緊迫していた空気を、リーシャなりに和ませようと楽観的な軽口を叩いたつもりであったが、カミュの容赦のない現実的な言葉で言葉を詰まらせた。実際、教会の販売する<聖水>は、カミュの言葉通り、洞窟や塔ではその効力を発揮する事はない。既に出来上がっている空間には、それぞれの縄張りが出来上がっている。その部分に強制的に新たな結界を敷く事は難しいのだ。

 

「……まぁ、アンタに任せた挙句、途中で眠られたお陰で、全員が魔物の腹の中という可能性がある以上、それも無理な話か……」

 

「カミュ様……」

 

「~~~~~~!!」

 

 更に続けられたカミュの厭味に、サラはリーシャを気遣うように声をかけるが、リーシャは事実なだけに反論できず、悔しそうに唇を噛むだけであった。皆を勇気づけようと口にした言葉の上げ足を取られ、俯くリーシャの肩が震えている。

 

「じ、時間も勿体ないですので、先に進みましょう」

 

「……そうだな」

 

 サラの自分の事を棚に上げたセリフに、若干疲れた様子のリーシャは頷くしかなかった。

 カミュ、サラ、リーシャという順序で三人は警戒しながらも森の奥へと進んで行く。

 森の中は静けさが広がり、徐々に近づく夜の闇を待っているかのようだった。

 

 

 

 カミュの記憶は正確であった。まるで、昨日ここに来たかのように迷う事なく道を選択し、進んで行く。

 カミュが討伐隊に同道していたという話は、リーシャも聞いた事がない。理由は解らないが、カミュはリーシャが討伐隊に組み込まれた頃には、既に参加をしていなかったのかもしれない。であるならば、カミュが討伐隊の宿営に参加していたのは四年以上前になる。そんな昔の事を明確に憶えており、更にはその道すらも記憶にあることにリーシャは驚いていた。

 途中で、<一角うさぎ>や<大ガラス>、<おおありくい>と、魔物に遭遇しては戦闘を行っていた為、陽も落ち切り、少し開けた場所に出た頃には、森の中は暗闇による支配が始まっていた。

 

「……ここが俺の記憶にある場所だ……小屋とはあれの事ではないのか?」

 

 開けた場所には森に入る前にカミュが語った、小屋というよりも牢屋に近いような建物が建っていた。岩を加工した物で造られたその建物は、入口を鉄格子で塞ぎ、頑丈に鍵が掛けられている。

 とても小さな建物ではあるが、その中は窺い知れず、何か言いようのない不穏な空気が立ち込めていた。

 

「……森の中に、このような場所があるのですか……」

 

 サラはその光景に驚いていた。二日前に野営をした森の中で、カミュとリーシャが対峙していた場所も幻想的であったが、あそこの上空は木々の枝や葉に覆われていて、その隙間から月光や日光が差し込む程度であった。

 だが、この場所は空を隠す枝や葉は一切なく、見上げれば一面の空が広がっている。

 

「……まずは、地下道の入口を探す……ここは、魔物の気配がないな……」

 

 カミュは、口を開いたまま空を見上げるサラを放って、小屋の方へ歩いて行く。リーシャはサラの様子に苦笑しながらも、そんな背中を叩くと、カミュの後に続いた。

 カミュの言う通り、サラが見惚れていたこの幻想的な場所には、何故か魔物の気配が一切ない。まるで、何かに護られているかのようなこの場所を野営地と決め、一行は野営の準備の前に、<ナジミの塔>へと続く地下道の入口を探す事にした。

 暫くの間、三人で手分けするように入口を探していたが、陽が完全に落ち、足元を照らす月明かりさえも雲によって一旦隠れてしまった為、『一旦休憩して、火を熾そう』というリーシャの提案を受け入れる事となった。

 リーシャとカミュが火熾しを行っている間、手持無沙汰になってしまったサラは、熾した火の為の薪や木の枝を拾っていた。暗い足元を、足を動かしながら探っては拾うという行為を繰り返していると、足に当たって飛んで行った小石が金属音を立てて転がった事にサラは微妙な違和感を覚える。

 サラは拾った枝を抱えながら、小石が飛んで行った方向へ歩き、その場を確認する為に屈み込んだ。落ち葉と、石や木の枝が散乱している地面は、暗さで分かり難いが、通常の地面とは違う光沢を持っている。

 

「リ、リーシャさん! カミュ様!」

 

 突然の叫び声に、リーシャはサラの身を案じ、カミュは「またか」というような雰囲気で振り返った。魔物にサラが襲われたのかと思ったリーシャは、サラの周りに魔物がいないことに安堵したが、屈み込んでいる事に再び不安を感じ、サラの近くまで歩み寄る。

 

「どうした、サラ! 何かあったのか!? 毒虫にでも刺されたのか!?」

 

 自分に近づき、開口一番に心配をしてくれるリーシャに嬉しさを感じながらも、サラは自分の足元にある土で出来た地面ではない物を指差す。雲が移動し、再び照らされた月明かりがサラの指差す大地を映し出した。

 

「これ、金属の蓋ではないでしょうか? もし、地下通路の入口を塞ぐ蓋だとしたら」

 

「なに!!」

 

 リーシャはサラの指差す地面へと慌てて視線を落とした。確かにサラの言うように、下の地面は土で出来た物ではない。サラとリーシャが、足元の落ち葉などを手で掻き出すと、ほぼ正方形の金属による蓋が姿を現した。

 リーシャは、サラに『お手柄だ』という言葉と共に微笑みを向け、サラはそんなリーシャの微笑みに恥ずかしそうに微笑を返す。そんな二人に火を熾し終えたカミュが近付き、二人が露わにした金属の蓋を見下ろしていた。

 少し重量のある蓋を、『一人で大丈夫だ』と言い張るリーシャをサラが宥め、カミュとリーシャでずらして行く。ずらされた蓋の隙間から、地下へと続いている証拠となる風が吹き出して来た。完全に陽も落ちた事もあり、穴の奥は何も見えないが、入口の渕に掛けられている梯子が、奥まで続いている事を推測させる。

 

「よし! これで明日は朝早くから地下道へ入る事ができるな。サラお手柄だ!」

 

 確認が終わると、今度はリーシャ一人で蓋を戻し、サラに褒め言葉をかける。

 いつもは無表情なカミュも『そうだな』という同意の言葉を残し、火の下に戻って行った。火の下へと戻った三人は、<レーベの村>で補充した干し肉などを口に入れ、リーシャとカミュとで一応の見張りを交代で行うことを決めて就寝した。

 

 

 

 翌朝、サラは耳元で響く金属のぶつかる音で目が覚めた。

 目元を擦り、徐々に覚醒していく瞳でサラが見た物は、以前見たようなカミュとリーシャの剣の打ち合いであった。

 流れるような動きではあるが、素人のサラにはお互いがお互いを殺す意図で打ち合っているのではないかと思う程の緊迫感があった。リーシャの振るう剣の一撃は、まともに身体に受ければ、致命傷どころか即死の可能性がある程の剣であり、対するカミュの剣もまた同じであった。『また喧嘩か?』とも思ったが、真剣でありながら、お互いの身体に傷はない事からも『鍛練なのだろう』と納得する。

 だが、それと同時に、昨日自分を襲った焦燥感が再び湧き出てきた。

 『自分は、このままでは置いて行かれる』

 それは、二人の鍛練を見ている時間が経過すれば経過する程に強くなり、サラの心にある決意をさせる事に至った。

 

 

 

「……ここまでだな。まあ、お前に負けるつもりは、私もないからな」

 

 カミュの剣を弾き、腹部に剣をリーシャが突きつけたところで今日の勝負は決着がついた。魔法を使っていないとはいえ、二日続けてリーシャに敗れた事を、カミュは表情に出さないまでも悔しく思っていた。

 彼もまた、自分の力量を低く見ている。

 正直、一国の騎士の中でも随一と謳われた程の実力者と渡り合っているのだから、それはそれで認められる事実ではあるが、カミュはそれに納得している様子はないのだ。

 

「……」

 

 いつも無表情を貫いているカミュの表情が憮然とした物に変わり、無言で剣を鞘に押し込める。カミュはリーシャに剣で敗れると、いつも同じような表情になるのだ。

 そんなカミュの子供らしい仕草に少し頬を緩めながら、リーシャも剣を腰に戻して火の下に戻って行った。

 

「おっ、サラ、今日は珍しく早起きだな」

 

 火の近くに戻ると、先程まで夢の中であったサラが起きていたことに、リーシャは驚きを正直に出したが、その言葉はサラにとっては心に突き刺さる物であった。

 何かの決意に燃えていた瞳は、自信なさ気に揺らぎ、顔自体を伏せてしまう。

 

「……いつも、いつも、申し訳ありません……」

 

 リーシャは、自分の軽口に意気消沈といった態度を取るサラに慌てるが、カミュはそのやり取りを無視するように、火に木の枝を入れて行く。カミュの無関心さを非難するように、一瞬鋭い視線を向けたリーシャであったが、一向に上がらないサラの顔を見て、サラへと近付いて行った。

 

「い、いや、そう言う訳ではないんだぞ、サラ。ただ、まだ太陽も姿を現したばかりだったからな」

 

「……はい……」

 

 リーシャの弁解を聞いても、更に下を向いてしまうサラではあったが、何か意を決したように顔を上げ、リーシャを睨むように見つめた。

 そんなサラの瞳に怯みながらも、何かサラが真剣に話そうとしている事を感じたリーシャは、先程までの表情を一変させ、真面目な顔でサラと向き合う事とする。

 

「リ、リーシャさん!」

 

「どうした、サラ?」

 

 自分の気持ちが伝わっている事を理解したサラは、逆にそれを言い出し難くなってしまい、真剣にこちらを見ているリーシャから視線を外して、口籠ってしまう。

 そんなサラの様子に苦笑を浮かべ、リーシャはサラの前にゆっくりと座り込んだ。

 

「サラ、何か言いたい事があるのだろう?……焦らなくても良い。私は、今のサラのように、何かを決心したような真剣な想いを笑ったりはしない」

 

「は、はい! あ、あの、わ、わたしにも……剣を教えてください!」

 

 リーシャの柔らかな笑顔を見て、サラは先程胸に抱いた『決意』を吐き出した。

 それは、サラがこのパーティーに残る為の自衛手段。回復呪文という『僧侶』の強みまでも、世界を救う筈の『勇者』が脅かそうとする中、サラにはこの選択以外に自分の存在価値を護る方法がなかったのだ。

 

「……わかった」

 

 サラは、『笑われる』と考えていた。

 自分の願いを爆笑される事はないにしても、少なくとも『カミュには、鼻で笑われるのでは?』という思いがあった事は否定できない。だが、リーシャは勿論、その後ろで聞いていた筈のカミュにすら、そんなサラの考えは、良い意味で裏切られる形となった。

 それどころか、呆気に取られたりする事もなく、少し考えただけで、その願いを受け入れてくれたのだ。呆気に取られたのはサラだけであった。

 

「なんだ、サラ。自分が言い出した事に何を呆けている? 今日はもう準備をして出なければいけないから、明日からだな」

 

「あっ、は、はい!」

 

 リーシャは先程とは違い、少し緩めた表情で、サラに稽古開始日を告げる。

 サラは、この後自分に降りかかる苦難を知らずに、そんなリーシャの優しさに感謝していた。

 もしかすると、実際に剣を交えていたカミュは、サラに少なからず同情していたのかもしれない。

 

 その後、支度をし終えた三人は、昨日見つけた地下道への入口に入る為、金属の蓋を再び動かした。

 その中は、昨夜程ではないが、闇に包まれ奥まで見る事は叶わない。奥へと続く梯子の姿が、昨晩より少し見えるようになった程度であった。

 

「私が先に行こう。次にサラ、最後にカミュが続いてくれ」

 

 未知の閉鎖空間に入るには、慎重さが重要である。

 その点でカミュは反論をしようとするが、この地下道はアリアハン国が管理している物であり、宮廷騎士として、誰かを先に入れるという事は、リーシャの気持ち的にも穏やかではないのかもしれないと考え、面倒事を起こす事を躊躇い、リーシャの提案に首を縦に振って肯定した。

 レーベの村で購入しておいた<たいまつ>に火を灯した物を片手に、リーシャは中に入って行く。徐々に小さくなって行く<たいまつ>の炎を見ながら、サラはその深さを知り、同時にリーシャの身を案じた。

 

「ふむ。とりあえずは、大丈夫そうだな。お~い、大丈夫だ。降りてきても良いぞ!」

 

 暫く炎の行方を見守っていたが、炎が小さくなる事がなくなると、下からリーシャの声が聞こえてきた。

 その内容を聞くと、人が呼吸に困難する事などもないようだ。

 

「おい、アンタの番だ。下を見ないようにゆっくり下りて行け。ゆっくりで良い。決して焦るな」

 

 リーシャの声を聞いたカミュは、サラに降りるよう促すが、その口調は今までのような冷たさはなく、サラを気遣っているような物である事に、サラは驚きながらも頷いた。

 カミュに言われたように足元は確認しながらも、下を覗き込む事はせず、そしてゆっくりと降りて行く。その梯子は、金属で出来ていたが、長年放置されていた為か、苔のような物が全体を覆い尽くし、金属の部分は錆で赤茶けており、掴んだ手にもその色は付着していた。

 苔による滑りに気を付けながらも本当にゆっくりと降りているサラに、下にいるリーシャも、上で待つカミュも一言も文句を言わず、黙って待っている。

 そして、サラの足が、硬い石で出来た地下通路の床に付いた。

 『ほぅ』と安堵の溜息を漏らし、サラはにこにこと優しい微笑みを漏らしているリーシャと笑い合う。最後のカミュが金属の蓋を閉めながら降りてきたため、地下道内は<たいまつ>の灯りだけとなり、薄暗い物となって行く。

 カミュがその手に<たいまつ>を持ち、難なく降りて来るのを二人は唯じっと見守った。

 

 地下道に全員が降り立ち、リーシャとカミュの持つ<たいまつ>で周りを照らし出す。

 洞窟という場所を想像していたサラは、この地下道に人の手がかなり加えられている事に驚いた。

 床は石畳が敷かれ、壁の所々に、明かりを灯す台が設置されている。カミュとリーシャは近くの燈台に<たいまつ>の火を移して行った。

 灯された明りによって、地下道の一部が明るくなり、三人はいつものようにカミュ、サラ、リーシャという縦の列を作りながら慎重に歩を進めて行く。 

 

「息苦しくはないな?……サラ、足元に気をつけろよ。カミュ、もう少しゆっくり進め!」

 

 前を歩くサラを気遣いながら、リーシャはカミュへと隊列を維持するように声をかける。カミュはリーシャの声を聞き、少し歩を緩めた。

 余り時間を掛けたくないのは当然だが、周辺の燈台に火を灯しながら前を進むカミュと、後方の二人の距離が離れる事はできるだけ避けたい。

 

 しばらく一本道を進むと、別れ道が現れた。

 真っ直ぐ進む道と、左へ曲がる道だ。

 

「ここは、真っ直ぐだろ」

 

「……リーシャさんらしいですね……」

 

 『何事も真っ直ぐに』という言葉が妙にイメージと合うリーシャに、サラは素直な感想を述べて微笑む。カミュの了承があり、一行は真っ直ぐ進む事となったが、すぐに少し開けた広間、つまり行き止まりへと行き着いた。

 

「……」

 

 カミュ、サラの二人がある人物へと視線を送る。その人物であるリーシャも無言で俯くといった何とも言えない空気が地下道内に流れた。

 一息溜息をついたカミュは、持っていた<たいまつ>を掲げ、周囲を照らし出す。左側を照らしたが、岩の壁が広がっていた。

 そして、右側を照らした瞬間、ある一点に緑色の物体が折り重なるように固まっているのが映り、三人は身構える。その物体は、急な明かりを突き付けられた事に驚き、凄まじい速さで散開して行った。

 

「……あれは……」

 

「……バブルスライムか……ちっ、数が多い……」

 

 サラは初めて見た生物に驚きを表すが、カミュが呟くように返答した。

 カミュの言う通り、魔物の数は四匹。

 カミュ達を取り囲むように四方を囲んだ緑色の魔物は、独特の質感の体躯を揺らしながら、虎視眈眈とカミュ達を見つめていた。

 

<バブルスライム>

通常のスライムよりも潰れたように見えるその体躯は、スライムが青色をしているのに対し、淡い緑色をしている。最古のスライムの変種と云われているが、その出生は未だに解明されてはいない。瘴気の多い場所を住処にしていたスライムとも云われ、その体躯には毒素を宿している。毒を受けて動けなくなった対象に張り付き、その対象を消化して行くという残酷な方法を取る魔物である。

 

「サラ、気をつけろ。<バブルスライム>は毒を持っている。それほど強い毒ではないが、傷口から入る」

 

 リーシャの忠告に、サラは神妙に頷くが、気をつけ方が良く解っていない。

 リーシャの忠告と同時に、カミュは背から剣を抜き、<たいまつ>をサラへ手渡すと、<バブルスライム>に向かって飛び出した。

 カミュの飛び出しを確認したリーシャも、サラを庇うように立ちながら腰の剣を抜き放つ。<バブルスライム>はその身に毒を有してはいるが、基本的な性能は<スライム>と大差ない。その攻撃に気を付けていれば、例え傷を受けたとしても、毒に侵される危険性は五分といったところだ。

 突然の出来事に動揺していた<バブルスライム>は、カミュとリーシャに苦もなく斬り捨てられて行く。<たいまつ>を持たないカミュは、動転して動き出そうとする一匹目を真っ二つに切り捨て、それを見て動けない二匹目を上から突き刺した。命の灯を失った魔物達は、その形状を保つ事が出来ずに地面に溶けて行く。

 リーシャも一匹の<バブルスライム>を切り捨てるが、後方から飛んで来た<バブルスライム>が、避けるために態勢を変えたリーシャの左腕を掠めた。

 

「くっ!」

 

 リーシャは苦悶の表情を表すが、<バブルスライム>が地面に着地する前に、その体躯を切り捨てる。空中で二つに分かれた<バブルスライム>は左右に散らばり、液体へと変わって行った。

 

「リ、リーシャさん、大丈夫ですか!?」

 

「……ああ……だいじょ……」

 

 リーシャが魔物の攻撃を受けたことを見ていたサラは、慌ててリーシャへと駆け寄る。

 そんなサラに返答しようとしたリーシャだが、途中で眩暈を覚え、言葉に詰まった。そのまま壁にもたれるように座り込んだリーシャの肩をサラが支え、剣を鞘に納めたカミュが二人の下へと近付いて行く。

 

「……毒を受けたか……」

 

 リーシャの様子を見て、カミュは肩にかけていた袋から一枚の葉と布きれを取り出す。リーシャに駆け寄ったサラは、『毒』という言葉に過敏に反応を示し、リーシャの身体を壁際に座らせながら、カミュの行動を見つめていた。

 カミュは、取り出した葉を半分に裂き、片方を布の中に入れて揉み込み始める。

 カミュが再び開いた布は、擦り潰れた葉から出た液によって緑色に染め上げられていた。

 

「……まず、これを患部に押し当て、その上からこれを巻いていろ」

 

 カミュはその布と包帯のような物をサラに手渡し、また作業を始めた。

 再び革袋から小さなお椀のような物を取り出し、水筒から水を少し注ぐ。

 先程の布よりもずっと薄い布で、残った半分の葉を丸めた物を包み、手で絞り出すように葉液を水に溶かして行った。

 

「巻き終わりました」

 

「……今度はこれを飲ませろ……<バブルスライム>の毒は、多少熱は出るだろうが、少し休めばその熱も引く」

 

「は、はい」

 

 サラはカミュから受け取ったお椀をリーシャの口へと運び、少しずつ飲ませて行く。即効性のある毒なのか、リーシャは先程から口も開かずにぐったりとしている。

 カミュの言葉を信じてはいるが、やはり心配である事は変わらず、サラはカミュにお椀を返しながらも、リーシャの顔を心配そうに見つめていた。

 

「……<バブルスライム>が群がっていたのはこれか……」

 

 一通りの作業を終え、袋に道具を仕舞終えたカミュは、先程緑色の魔物達が折り重なるように群がっていた場所に移動し、珍しく眉間に皺をよせながらその場所を見つめていた。

 そこにあった物は、二つの人骨。

 その大きさから見て、おそらく親子なのだろう。

 大きな人骨が小さな人骨に折り重なるように横たわっている。

 

 何故、この場所に親子が来たのかは解らない。

 白骨の具合から見て、つい最近というわけではないが、それほど古い物ではないだろう。

 おそらく、ここ数年といったところか。

 骨となって尚、魔物に吸い付かれていたその様を見て、自然とカミュの表情に変化が出ていたのだ。

 その骨の脇には、一本の<銅の剣>と、一つの袋があった。

 カミュはその両方を拾い、袋の中身を確認する。袋の中には、32ゴールドと小さな指輪が入っている。

 

「あ、あの……カミュ様」

 

 リーシャの顔から苦悶の表情が消えた事により、その場を離れてカミュの傍に寄ったサラは、その骨を見て魔物への憎しみが湧いて来ていた。

 隣に立つカミュを見ると、その表情も険しい物である事に疑問を持ち、思わずサラは声をかけてしまう。

 『何故、自分の魔物への憎悪を否定する彼が、このような表情を浮かべるのか?』

 そんな疑問がサラの表情に表れていた。

 

「……これは、アンタが持て……剣の鍛練をするのであれば、<聖なるナイフ>では難しい。この<銅の剣>であれば、重さも申し分ないだろう」

 

 カミュはサラの方を見ずに、袋の紐を締め、床に転がる人骨の手の部分に戻した。

 そして、その脇に転がる<銅の剣>をサラに手渡す。

 手渡された<銅の剣>を受け取る事が出来ず、サラは呆然とカミュの顔を見上げる事しか出来なかった。

 

「そんな……死体から物を奪うなど……」

 

「ああ、この袋に入っている物はそのままにしておく。だが、これは何処にでも売っている武器だ。呪い等の類が掛けられている訳ではないだろう」

 

「そういうことでは……」

 

 自分の伝えたかった事を全く理解出来ていないカミュに、サラは困惑する。

 呪いがかかっているという事を心配して言っている訳ではない。

 ただ、死人が持っていた武器を、断りもなく奪うのが遣り切れないだけなのだ。

 

「……ならば、無残にも魔物に殺された親子の武器を手に取って、この二人の無念も晴らしてやったらどうだ?」

 

「うっ……」

 

 サラはカミュの言葉が、自分を少なからず軽視している事は理解できた。

 しかし、それに対して反論する言葉が見つからない。

 確かに、魔物への復讐のためにこのパーティーに参加させてもらってはいる。そして、復讐への想いは、この親子らしい人骨を見て、更に膨れ上がった事は事実だ。

 

「……わかりました……すみません、貴方の剣をお借りいたします。そして、貴方方の無念を晴らす事をここに誓います。貴方方の冥福と、来世での幸福を祈ります」

 

 サラは、カミュの持つ<銅の剣>を受け取り、そしてその持ち主であった物言わぬ屍に向かい、手を握り合わせてその誓いを行った。

 そのサラの姿を、冷めきった目でみるカミュの姿があった。

 

「う、う~ん」

 

「あっ!リーシャさん、眼が覚めたのですか!?」

 

 サラの祈りが終わり、合わせていた手を解いた辺りで、意識を失っていたリーシャが覚醒を果たし、それに気がついたサラがリーシャの下へ駆け寄って行く。

 カミュはサラが去った後、もう一度床に倒れている人骨を一人で見下ろしていた。

 

「……来世があるとしたら、幸せに暮らせ……次に生を受けたら、他種族の縄張りには近付かない事だ……」

 

 

 

 

 

 

「先程は済まなかった。ありがとう」

 

 自分が落ちた状況と、その後の処置の事をサラから聞いたリーシャは、戻ってきたカミュに素直に感謝の意を表し、頭を下げていた。

 

「……毒消し草は基本装備の物。一回分の宿代を使わされただけだ」

 

 頭を下げるリーシャから逃げるように、荷物を取って歩き出したカミュに、リーシャは『多少の厭味にも慣れるものだな』と思いながら、苦笑していた。

 

 一行は、先程あった別れ道まで引き返し、もう一つの道を歩き出す。

 暗闇に支配されているが、燈台に火を灯すと、うっすらとではあるが、その道が真っ直ぐな道である事が推測できた。

 先程と同様に、カミュを先頭に二人が続くという形で通路を歩いて行く。

 歩けど歩けどその一直線の通路に果ては見えず、<たいまつ>の効力の範囲外は真っ暗な闇が広がるだけであった。

 通路の途中で何度か魔物と遭遇するが、カミュ達の行く手を阻む事は出来ず、屍と化して行く。

 <たいまつ>の火種も残り少なくなり、新しい物に切り替えようかと思っていた頃に、長く続いた一直線の通路は終わりを告げ、突き当たりに階段らしき物が見えて来た。

 

「……あれか……?」

 

「そうではないでしょうか?……既にかなりの距離を歩きましたから……海を越えたのではないでしょうか?」

 

 サラは疲れていた。地下であるという事もあり、陽の光は見えないが、何度かの休憩を挟みながら歩いている事を考えると、地上ではもう太陽が傾き始めている時間であろう。

 しかも、最初の<バブルスライム>と遭遇して以来、サラはその手に慣れない<銅の剣>を手に持ちながら戦闘を行っていた。

 最初にその姿をみたリーシャは、ため息を漏らしながら、まずは構え方から教える事となる。

 付け焼刃で振るえる程、剣の道は甘い物ではない。

 サラの姿は、剣を振っているというよりも、剣に振り回されているといった物であった。

 まだまだ、旅慣れたと言うには無理があるサラは、そんな理由もあり、いつも以上に肩で息をしていたのだ。

 カミュを先頭に階段を昇り始める。階段を上る度に、明るくなってくる様子が、地上に出ていることを実感させた。

 昇りきった場所は、石畳が一面に敷き詰められ、夕日が眩しい程に差し込む塔の内部であった。

 

「はぁ~~~~~」

 

 穴が空いただけの窓らしき物が壁一面に空けられ、無数の穴から差し込む、橙色に光る夕日がとても美しく、装飾が施された石畳を更に幻想的に彩って行く。

 そんな光景にサラは溜息を漏らし、感嘆の声を上げた。

 

「……もう陽が落ちるな……落ち着ける場所を探す。陽が落ちれば、魔物の活動も活発になる筈だ」

 

「そうだな。まあ、良い場所があれば良いが」

 

 建物の中とはいえ、吹きさらしの風が入って来る塔では、陽が落ち、夜の帳が広がれば寒さに震える事となる。

 しかも、このような塔や、先程歩いていた地下道などは<聖水>の効力は届かない。

 大抵が魔物の住処と化している場所が多く、眠っている間に殺されていたという可能性があるだけに、野営地には神経を使わなくてはならないのだ。

 リーシャがサラの様子を気遣いながらも、前を行くカミュに続いて塔内部を歩き出した。

 『ナジミの塔』はその建立が何時なのかはわかっていない。

 アリアハン初代国王がこの大陸に城を築く以前から立っていたとも、『精霊ルビス』がこの世界を創造した時に作られたとも云われている。

 柱や床の石畳には、様々な彫刻や絵画が装飾として成されており、その内部の広さも相当な物であった。

 

「……なんだ……これは……」

 

 前を行くカミュが、ある広間で立ち止まり、独り言を呟く姿に、リーシャとサラは首を捻りながらカミュの下へと歩く。カミュの傍まで近付くと、その不思議な光景を見て、二人は更に首を傾げる事となった。

 少し開けた場所に、木造の机とその両端に同じく木造の椅子があるのだ。

 このような魔物の住処となっている塔の中に、なぜ人が憩うような設備があるのか。

 ご丁寧にその机と椅子の周りには鉢植えに入れられた花が飾られている。

 

「……人がいるのか?……こんな場所に?」

 

 カミュと同じようにその不思議な光景に飲まれてしまっていたリーシャの呟きが、他の二人の覚醒を促した。

 

「カミュ様! あれは……?」

 

「!!」

 

 リーシャの声に我に返ったサラが、周辺を見渡して指差した物は、ここに来る前の野営地で地下道への入口を塞いでいたような、金属で出来た板であった。リーシャが金属板に近づき、地下道への入口の時のように少しずつずらしていく。

 

「お、おい、階段があるぞ?」

 

「……また地下道へ戻るのですか……?」

 

 下へと続く階段だという言葉を聞き、サラは再びあの地下道へ戻るのかと、肩を落として溜息を吐き出す。

 

「……いや、そうとは限らないな……地下道から上がってきた階段のような長い階段ではないようだ。下の階の床が、ここからでも見えるからな」

 

「降りるのか?」

 

 カミュが言うようにリーシャの目にも、階下の床が見えているのであるならば、先程の階段の半分の長さもないという事になる。

 状況から考えて、ここは地下道ではなく、この塔の地下部分になるのだろう。

 リーシャの疑問に、軽く頷いたカミュは、金属板を完全にどかし、下へと階段を降りて行った。

 リーシャはその後を続き、サラもしぶしぶカミュの後に続く事になる。

 

「お、おお! 久々のお客さんだ! いらっしゃい!」

 

 サラはそこで信じられない物を見た。

 下へ降りると、そこは完璧な家が存在していたのだ。

 いくつかの部屋に続くドアがあり、降りてすぐの場所にはカウンターもあり、そこに一人の中年の男性が立っている。

 

「……や、宿屋なのか……ここは?」

 

 リーシャもまた、その異様な光景に言葉を失っていた。

 リーシャの言葉通り、その佇まいは宿屋そのもの。

 いくつかの部屋へと続くドアの先には、ベッドが置かれた部屋が広がっている事だろう。町であれば当然の光景ではあるが、ここではこれ以上に異様な物はないという程の物だった。

 

「……どうやら、そのようだな……オヤジ、三人は泊まれるのか?」

 

「おう、大丈夫だ。三部屋で6ゴールドだな」

 

「い、いや、ちょっと待て、カミュ。どう考えてもおかしいだろ! 何故こんな場所に宿屋があるんだ?……その前に、この男は本当に人間なのか?」

 

 なんでもないように会話を進めるカミュ達に、リーシャが待ったをかける。確かにリーシャの疑惑は真っ当なものだ。

 このような魔物の住処で宿屋を営むなど、考えられる事ではない。

 故に、この男自体、魔物が姿を変えた者ではないかとリーシャは考えた。

 ただ、今まで人間に姿を変えた魔物など、リーシャも見た事はなかったのだが。

 

「あはははっ! お客さんが疑うのは尤もだ。ただ、俺は紛れもない人間だよ。まあ、色々あってこんな場所で暮らしてはいるが、お客さん方を取って食おうなんて事はないから、安心してくれ」

 

 リーシャの失礼な物言いに気を悪くした様子もなく、豪快に笑いながら答えを返す男に、サラは『苦手な部類の人』という印象を受けていた。

 

「……しかし、言葉は悪いが、何故このような場所で宿屋を?……それに、ここではまともな食事など出せないだろう?」

 

「……また、食事についてか……」

 

 男の言葉を信じきれていないリーシャが続けて発した言葉に、カミュは嘆息を漏らし、うんざりといった表情を見せる。

 

「な、なんだ!? 食事は大事なものだろ! お前も、散々私の料理を頬張っていただろうが!」

 

「そ、そうですよね……」

 

 リーシャとカミュのやり取りを見ていたサラは、そんないつもの光景に安堵したのか、力なく言葉を発した後、近くにある椅子に座り込んでしまった。

 サラが座り込んでしまった事に気が付いたリーシャは、慌てて近くへと駆け寄って行く。

 

「サ、サラ!!」

 

「……とりあえず、6ゴールドだ……食事に関しては、気にしなくても良い」

 

「あ?……ちゃんと材料はあるぞ……俺は元々漁師なんだ。アリアハンの海で取れる豊富な海産物が、うちの宿の自慢だ。塔の外で小さな畑も作っているから、新鮮な野菜もあるぞ」

 

 袋から金を取り出し、カウンターに置いたカミュが言った言葉に、心外だと言わんばかりに胸を張って答える男に、リーシャの目は輝いた。

 

「ほ、本当か!? アリアハンの海産物なら貝や魚等も結構あるのか?」

 

「ああ、今朝取ってきたばかりだからな。まあ、作るのは俺だから、大した物はできないけどな」

 

 自分の問いかけに返って来た言葉が、リーシャの瞳を益々輝かせて行く。

 材料があるのならば、何も問題はないのだ。料理を作る人間ならば、ここにいる。

 

「いや、それなら問題はない。食事は私が作ろう。材料と調味料、そして調理器具さえあれば、それなりの物を作れる自信はあるからな。なあ、カミュ?」

 

 宿屋の男に負けじと胸を張って答え、先日自分の料理を褒めた後に、他人の分まで取り上げて、貪るように食べていたカミュに問いかけるリーシャの顔は、先程までの疑惑の表情ではなく、意地の悪い笑みを浮かべていた。

 

「おお、そりゃありがたいが……本当にアンタで大丈夫なのか?」

 

「ぶっ!」

 

 勝ち誇るリーシャに対して放った宿屋の一言は、椅子に座ったままやり取りを傍観していたサラを直撃し、盛大に吹き出してしまった。

 宿屋の男の発言に続き、サラの態度に腹を立てたリーシャの喚く声が、この魔物しかいないはずの塔にあった、奇妙な宿屋に響いた。

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

本日は、初回投稿と言う事で、一気に第一章を公開しようと思ったのですが、力付きました。明日の夜にでも続きを公開したいと思います。

宜しければ、ご意見ご感想を頂ければ嬉しく思います。

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