新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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無名の土地【カミュ】

 

 

 

「その『くらげ』から倒して行け!」

 

 ポルトガ領海を抜けようとしている船上では、聞いた事のないような怒鳴り声を発する青年が剣を振っていた。青年の指示を受けた船員達が各々の武器を手に、船上でふわふわと浮いている白い物体に襲いかかって行く。次々と倒されて行く<しびれくらげ>の山が船上に出来上がって行った。<しびれくらげ>の針を避け切れないと諦めかけた船員の前には、いつの間にか移動していた青年の盾が掲げられる。

 ポルトガ港を出港してから既に一日が過ぎている。その僅か一日の間でも、この船の上では何度かの戦闘が行われていた。

 如何に比較的安全なポルトガ領海といえども、海は海。他の地域の海よりも穏やかであり、魔物の出現率も低いというだけで、魔物が生息する事には変わりはない。出現する魔物は下位種の部類に入る物ではあるが、ここまでの船旅とは違い、カミュは更に広い視野を持たなければならず、悪戦苦闘と言っても過言ではない戦闘を行っていた。

 

「危ない!」

 

「ぐっ……」

 

 <しびれくらげ>の針を、ポルトガで新調した<鉄の盾>で防ぎ、そのまま剣を振って<しびれくらげ>を両断したカミュが、傍で船員に腕を振り上げている<マーマン>へと向かって駆け出そうとしたその時だった。

 救われたばかりの船員の声がカミュの耳へと届き、反射的にカミュは身を捩る。カミュの後方から飛び出して来たのは、新たに船上へと上がって来た<しびれくらげ>の針だった。常人離れした反射神経で避けたかに思われたカミュの腕を、<しびれくらげ>の針が掠めて行く。

 

「大丈夫か!?」

 

 カミュを襲った<しびれくらげ>を横合いから斬り伏せた男が、カミュの傍へと近寄って来るが、その男を払い退け、最後の一体となった<マーマン>をカミュが斬り伏せた。 船上には魔物達の死骸が散乱しており、戦闘終了を理解した船員達が、魔物の死骸を海へと沈め、怪我人の治療を始める。

 

「大丈夫か? 毒にやられてはいないか?」

 

「……大丈夫だ……」

 

 船員達に指示を出し終えた頭目が、腕を抑えるカミュの許へと歩み寄り、その傷を覗き込んだ。<しびれくらげ>の毒に関しては、以前にメルエの症状を見ている為、遠巻きで船員達も心配そうにカミュへ視線を送っている。カミュは無表情を貫き、腕に<ホイミ>を掛けた後、何事もなかったように立ち上がった。

 既に対岸の陸地は微かに視界に納まっている。陸地の入江に停泊出来れば、余程の事がない限り、魔物に襲われる心配もないだろう。

 浅瀬であれば、<マーマン>のような半魚人は上がっては来れず、<しびれくらげ>のようなくらげ類もいない。故に、カミュは陸地へ近付ける事を速めるように頭目へ指示を出した。

 

 

 

 入江に停泊した船から小舟を出し、カミュは単身で陸地へと上がって行く。カミュが一人である事を危惧した頭目が、元カンダタ一味である人間の内、何人かを同道させようかと提案するが、『足手まといだ』というカミュの言葉を受け、不承不承に頷きを返した。カミュの真意が言葉通りの物ではない事を頭目は理解している。それでも、納得出来なかったのだ。

 陽が傾いて来ている為、カミュは浜辺で一夜を明かし、明朝にトルドが作っている町へと向かって歩き出した。

 東の大地から顔を出した太陽の強烈な光がカミュの背を押して行く。朝陽を背中に受けた彼は大地を踏みしめ、西にある森の中へと入って行った。森の中には陽の光は届かず、未だに眠りについている木々が侵入者に対してざわつきを示している。

 

「!!」

 

 森を歩く最中、カミュは森の木々の喧騒以外の音を耳にした。何かが羽ばたくような微かな音を感じ、カミュは足を止めて背中の剣を抜き放つ。動物達が寝静まる森の中で動き回る可能性があるとすれば、それは魔物以外の何物でもない。カミュは静かにそれが来るのを待っていた。

 

「シャ――――」

 

 そして、カミュの予想を裏切らない物体がカミュの左手から登場する。その数は二体。正確には二匹、いや二頭と言うべきなのだろうか。カミュの左手の森の中から登場したそれは、小さくはない羽をばたつかせ、空中を漂っている。鳥のような高度を保っている訳ではないが、カミュの目線の場所を漂うそれは、厭らしい笑みをカミュへと向けていた。

 その姿は、かなり昔にカミュ達が遭遇した物に酷似している。それは、メルエが加入するよりも以前。カミュ達が未だにアリアハン大陸を彷徨っていた頃の話である。

 

<しびれあげは>

その姿は、アリアハン大陸にある<ナジミの塔>に生息していた<人面蝶>に酷似している事から、その上位種ではないかと推測されていた。ただ、本来は、海を渡る事が難しい昆虫類の姿をしている事から、完全に別の種類という説もある。<人面蝶>のように身体に持つ羽を動かして空中を漂い、その腹に浮かぶ人面の口に生えた牙によって人を襲う。その牙には<人面蝶>とは異なり、その名の通り、<しびれくらげ>と同様の毒が含まれていると云われていた。

 

 襲いかかって来る<しびれあげは>の攻撃を避けたカミュは、右手に持つ剣を振るおうと手を掲げるが、それはもう一体の<しびれあげは>によって妨げられた。

 右側から襲いかかる魔物の動きは<人面蝶>よりも遙かに素早い。連携するように左側から牙を剥く<しびれあげは>の攻撃がカミュの頬を掠めた。

 傷口から血が滲み出て来てはいるが、カミュの身体を違和感が襲う事はない。牙からの毒の進行は防げたようであった。

 

「ちっ!」

 

 しかし、カミュは大きな舌打ちを発し、一度後方へと大きく下がる。魔法を詠唱する素振りを見せないカミュにしては、とても珍しい行動であった。

 大きく距離が空いた事により、<しびれあげは>達は、カミュへの視線をそのままに警戒するように飛び回っている。カミュは息を吸い込み、小さく吐き出す。自身の身体に問いかけるようなその行動は、実は前日の船上まで遡る。

 <鉄の盾>が装備されていたカミュの左腕は、船を降りる辺りから上手く稼働してはいないのだ。まるでカミュの指示が腕に伝わらないかのように、垂れ下ってしまった腕には、<鉄の盾>の重量は厳しく、出発する際に、背中の剣の鞘の上に被せるように結びつけてあった。

 今もカミュの左腕は硬直したように動く事はなく、<しびれあげは>の攻撃を弾く盾を持つ事さえ叶わない。メルエのように首筋を打たれた訳でもなく、身体が小さい訳でもないカミュは、針で刺されたというよりも、針が掠めただけであった為、左腕の麻痺というだけの障害で抑えられたのかもしれない。ただ、それも単身での戦闘の弊害となる事には変わりはない。

 

「シャ――――」

 

 <人面蝶>のように魔法の詠唱を行う様子のない<しびれあげは>は、本来であればカミュの敵ではない。しかし、今のカミュは一人である上に、手負いの状態。本来の動きが出来ないカミュにとっては、<しびれあげは>程度の魔物でも苦戦を強いられるのだ。

 動かない左手を庇いながら、剣を振るう。カミュが魔法を詠唱する為には、媒体となる手を使用しなければならないのだが、右手は<草薙剣>を握っており、左手は動かない。剣を鞘へと納める余裕もない以上、呪文の行使は不可能と言わざるを得ないのだ。

 

「くそ!」

 

 <しびれあげは>の牙を、辛うじて剣で弾き返したカミュは、横合いから飛び込んで来るもう一体に向かって蹴りを放った。高く飛び上がり、真上へ蹴り上げた足は、<しびれあげは>の腹に命中し、不快な感触を残す。

 自身の身体の中央を強烈に蹴り上げられた<しびれあげは>は、内部を傷つけられたのか、大きく開かれた口から大量の体液を吐き出して絶命した。

 

「キシャ――――」

 

 着地した所を狙い撃ちして来た残る一体を剣で払い退け、距離を保ったままカミュは<草薙剣>を振り下ろす。体制を崩して飛んでいた<しびれあげは>は、カミュの剣筋を避ける事が出来ず、羽を斬り飛ばされた。

 生命線である片羽を斬り飛ばされた<しびれあげは>は、飛ぶ事が出来ずに、地面へと落下する。もはや朽ちて行くだけしかない魔物を一瞥したカミュは、静かに止めを刺す為に、剣を突き刺した。

 

「ちっ」

 

 たった二体の魔物、それも魔物の中でも力が強くはない魔物に苦戦する自分に苛立ちを覚えるカミュであったが、今も尚稼働しない左腕に視線を向け、大きな舌打ちを発する。

 『麻痺』という症状は簡単に治る物ではない。前回のメルエは、全身に毒が回り、激しい痙攣を起こした後、白目を剥いて倒れてしまった。今回のカミュはそれ程に酷い症状ではないが、生涯残る物かもしれないという可能性は捨て切れないのだ。

 陽は、既に真上に上ろうとしている。トルドのいる町へ辿り着くには、それ程時間を要しないだろう。苛立つ心を押さえながら、カミュは剣を鞘へと納め、そのまま森を抜けて行った。

 

 

 

「………よく……きた………」

 

 以前見た時とあまり変化のない門を叩き、中から出て来た老人に会釈を返す。以前来た時よりも綺麗に整えられた更地は、大きく広がり、トルドが造った店舗はそのままに、町としての様相を変貌させていた。

 その変貌に驚く余裕は、今のカミュにはない。垂れ下がる左腕を押さえながら、カミュはトルドらしき男が立っている場所へ向かって行く。

 

「ん?……あれ? アンタ一人なのか?」

 

 後方から近付いて来る気配に気付いたトルドは、振り向いた先にいた人間に頬を緩めるが、その後方から近付いて来る筈の少女がいない事に眉を顰めた。

 トルドの問いかけを聞いて、カミュは表情を固める。トルドの問いかけが、カミュがここへ訪れた意味を失わせてしまったからだ。カミュを見て、メルエの存在がない事を不思議に思ったという事は、この場所にリーシャ達三人が訪れていない事を明確に示している。

 つまり、カミュの予測は全てが間違いだった事を証明したのだ。

 

「何故アンタ一人なんだ? 他の三人はどうした?」

 

 カミュの表情の変化は、トルドが把握できる程に顕著な物であった。普段はリーシャやメルエでなければ、カミュの乏しい表情の変化を把握は出来ない。それをトルドも理解しているからこそ、カミュの表情の大きな変化は、彼の胸に嫌な想像を浮かび上がらせた。

 船の頭目や船員達が想像したような、最悪な結末。それは、トルドにとって何よりも受け入れる事の出来ない結末だった。

 

「おい! 何とか言ってくれ! 三人は……メルエちゃんはどうしたんだ!?」

 

 もはや、トルドの声に余裕はない。カミュの肩に掴みかかったトルドはその肩を大きく揺らし、声を張り上げる。しかし、何かに放心してしまったようなカミュは、トルドの強い問いかけに答える事が出来なかった。それが、トルドの心に迫り来る不安を大きくしてしまう。

 暫しの間、揺らされ続けたカミュが、その右手をトルドの腕に掛けた事で、トルドはようやく我に返った。

 

「アンタ……その腕はどうしたんだ? 魔物か? その魔物にメルエちゃん達は……」

 

「……メルエ達は無事な筈だ。それを確認する為に俺はここに来た……」

 

 カミュの動かない左腕を確認したトルドは、それが魔物との戦闘によって受けた物である事を察し、自分の頭の中に膨らみ続ける最悪の想像に絶望する。しかし、その想像は、即座に否定された。

 気休めのような言葉を発するカミュに強い視線を向けたトルドは、カミュの瞳に映る強い炎を見て、心を落ち着かせて行く。カミュの瞳には『絶望』や『諦め』は見えない。それが、カミュが発した言葉が真実であると信じさせた。

 

「ならば、どういう事だ?」

 

 落ち着きを取り戻したトルドは、カミュの肩から手を離し、まっすぐカミュの瞳を見つめて問いかけた。

 何がどうあろうと、カミュの口から真実を聞き出すつもりなのだろう。真実を歪めて伝える事など出来る訳がない。カミュは、一度呼吸を整え、彼が三人と別れる事になった経緯を話し始める。陽はリーシャ達が消えて行った西の空へと沈み始め、トルドの影が地面に長く伸び始めていた。

 

 

 

「……そうか……とりあえず、陽も落ちてしまったし、家の中へ入ろう」

 

 カミュが経緯を話し終えた時には、太陽は西の大地へ半分ほど身体を隠し、空を真っ赤に染め尽くしていた。

 トルドは一つ息を吐き出し、カミュを誘って一軒だけある店の中へと入って行く。既に陽も落ちた以上、カミュもこの町を出る気も無く、また次の目的地も定まっていない事から、トルドの後ろに続いて建物の中へと入って行った。

 

「……人を弾き飛ばす魔法ね……とんでもない物があるのだな……」

 

 建物の中に入ったトルドは、カミュを椅子に座らせた後、店の倉庫から<かぶ>のような作物を持って出て来た。それを摩り下ろし、湯と混ぜ、カップに入れた物をカミュの前へと差し出す。目の前に出された物が何であるのかが解らないカミュは、窺うようにトルドを見つめた。

 只の飲み物ではない事は理解出来る。だが、何故それを飲まなければならないのかがカミュには理解出来ないのだ。

 

「アンタの左腕は、『麻痺』状態になっているのだろう? <しびれくらげ>や<しびれあげは>と戦う時は、この<満月草>は必須だぞ?」

 

「『麻痺』を治療する道具があるのか?」

 

 先程トルドが取って来た物は、<満月草>と呼ばれる道具であった。<薬草>や<毒消し草>のように摩り下ろし、その成分を体内に入れる事で治療する事の出来る道具。

 『賢者』と呼ばれる者しか行使出来ない<キアリク>という魔法以外には治療方法がないと考えていたカミュは、その存在に純粋な驚きを示す。もし、この存在を知っていたら、船上での戦いは飛躍的に楽になっていた事だろう。<しびれくらげ>の存在に気を遣う必要はなく、戦闘の際にカミュの行動の制限がある程度緩和されていた筈だ。

 

「存在自体を知らなかったのか? 『麻痺』に罹ったのは初めてなのか?」

 

「いや……『麻痺』を治療する呪文を、あの『僧侶』が行使できた」

 

 今度はトルドが驚く番だった。トルドは細かな情報をも仕入れているという自負はある。商売には情報が必需品であり、それ無くして大きな商売は成り立たない。俗に『商人』と呼ばれ続ける者には、必ず独自の情報収集力があるのだ。そんなトルドであっても、『麻痺』という症状を治療する魔法という存在を示す情報は持っていなかった。

 教会で治療出来る物は、単純な『毒』であり、『麻痺』を治療する事の出来る僧侶の存在など、トルドの記憶が正しければ、この世には存在しない筈。それは、この世界の常識であるのだ。

 

「『僧侶』ではないな……今は『賢者』か……」

 

「姿が変わったと思っていたが、凄い人になっていたんだな、あの人は」

 

 何かを思い出したように話すカミュを見て、トルドは笑いを洩らした。

 確かにトルドが初めて見たサラは、法衣を纏い、僧侶帽を頭に被っていた。しかし、この場所へとトルドを誘う為に再び訪れた彼女は、既に法衣を纏ってはおらず、『僧侶』と認識する事の出来る物は、その身に纏った異なった法衣のような衣服に、申し訳程度に刺繍された十字架だけであったのだ。

 そんな事を思い出したトルドの優しげな笑みを見て、カミュは口を閉じる。

 

「まぁ、気に病むなとは言わないが、おそらくメルエちゃん達は無事だろうな。何と言っても、あの『戦士』さんが、俺と約束してくれたしな」

 

「……その『戦士』が問題の原因なのだがな……」

 

 メルエを大事に想っているトルドだからこそ、今回の事への追及があるかもしれないと考えていたカミュは、予想とは異なり、力強い言葉をかけて来るトルドにようやく薄い笑みを浮かべた。

 事実、カミュの言う通り、彼女達三人が飛ばされたのは、魔法の影響を受けたリーシャを抑える為に飛びついたメルエとサラも一緒に飛ばされたからなのだ。だが、今となっては、このような形になって良かったさえ、カミュは考えていた。

 何故なら、リーシャ一人で飛ばされていたとすれば、魔法を使えない以上、自分の身体の治療方法も無く、移動する術もない。必然的にそれは『死』へと直結し、メルエを悲しませる事になっていたからかもしれないからだ。

 

「その飲み物を飲んで、今日はここでゆっくりと休んで行けば良い。明日には『麻痺』も取れているさ。何なら、<満月草>も幾つか持って行くか?」

 

「いや、売ってくれ。船で移動する以上、必ず必要になる筈だ」

 

 カミュは、資金と在庫が許す限りの数をトルドから購入する事にした。カミュの言葉通り、今後も船で海を渡る旅は続いて行くだろう。その中で<しびれくらげ>と遭遇する機会は多くあるだろうし、サラがいない以上、それに対する対応策は必須となる。

 カミュの言葉に若干の驚きを示したトルドであったが、暫し笑った後、『商人』としての顔に戻っていた。

 

「よし。ならば、大量購入って事で少し割引してやろう。明日の朝に店のカウンターに在庫を出しておくよ」

 

 トルドの言葉に頷いたカミュは、客室へと通され、ポルトガ帰港時以来の睡眠を取る事になる。ゆっくりとベッドへ入ったカミュは、未だに痺れたように動かない左腕を抱くように瞳を閉じた。

 彼の考えていた候補地は全て空振りに終わった。リーシャ達が行く場所など、カミュにはもう浮かんでは来ない。振り出しに戻るどころか、完全な闇の中へと落とされたような物である。

 

 それでも、彼は前へと進まなければならない。

 例え、一人での旅の限界を痛烈に感じていたとしても。

 彼が『勇者』である限り、彼に生き方の選択肢は与えられてはいない。

 

 

 

 

 

 翌朝、カミュが目を覚ました時には、既に建物の中にトルドの姿はなく、店のカウンターには、昨日見た<満月草>が所狭しと置かれていた。

 外へ出ると、既に陽は完全に大地から顔を出し、明るく世界を照らし出している。ここまでの一人旅による肉体的、精神的の疲労がカミュへと襲いかかり、珍しいまでの眠りに落としていたのだろう。

 外へ出たカミュは、周囲を見渡し、昨日同じ場所に立っているトルドを発見した。広く更地にされた場所には、数多くの材木と石、そして煉瓦のような物が積まれている。それは、何かを建設する予定である事を窺わせているが、当のトルドは、腕組をしたままその場所を眺めているだけであり、思い出したかのように手を広げたり、数歩だけ歩いたりしている姿は、カミュには奇妙な物に映っていた。

 

「何をしているんだ?」

 

「おお、おはよう。実は、この場所に劇場を建てようと思っているんだが、なかなかその建物の構図が出来上がらなくてな」

 

 カミュが近付いて来た事に気付いたトルドは、朝の挨拶を返すが、すぐに腕を組み直し、再び難しい顔を始める。カミュは、トルドの答えを聞いて若干の驚きを見せた。

 基本的にトルドは『商人』であっても『建築家』等ではない。町は『商人』がいなければ成り立たないが、『商人』がいれば出来上がる訳でもない。人の住む家屋等の建築は、この時代であれば個人でも行う事は出来る。自分の住む家を隣人の協力を仰ぎながら建てる事などは日常茶飯事であり、そこに専門職の出番はない。だが、劇場や城などとなれば、そこにデザインや趣向、そして防備に関しての知識や才能もなければならなくなる。とても一介の『商人』が行える範疇ではないのだ。

 

「アンタが建てるのか?」

 

「他に人がいない以上、そうする他ないだろう。人が集まる所には、何かしら華やかな物がなければいけないからな。まぁ、見ていてくれ。立派な劇場を建てて見せるさ」

 

 カミュの疑問を、さも当たり前の事のように答えるトルドに、カミュは目を丸くする。それと同時に、トルドの笑みの裏にある影にも気が付いた。何か危惧している事があるのか、更地を見つめるトルドの瞳が、出来上がった劇場の姿を見ていないようにも感じたのだ。

 そして、その胸の内を表すように、トルドは落ち着きなく周囲を歩き回っていた。

 

「それにしては、何か不安があるようだが……」

 

 既にカミュの左腕の『麻痺』は取れている。完全な状態ではないが、腕に命令は確実に通り、指の先までを動かせるようになっていた。その左腕を動かしながら、トルドの背中に向かって告げられたカミュの言葉は、トルドを驚かせるのには充分な威力を誇る物となる。

 弾かれたように振り向いたトルドは、自分を見つめるカミュの瞳を見て、諦めたように大きな息を吐き出した。

 

「アンタに言う事ではないから、聞き流してくれると助かるのだが」

 

 そう前置きを呟いたトルドは、ぽつりぽつりとこの町の現状について語り出した。それは、確かにカミュにはどうする事も出来ない事ではあったが、この場所にトルドを連れて来たのがカミュである以上、全くの無関係ではない事であった。

 

「アンタ方のお陰で、この場所の特産である材木は、ポルトガとの貿易を可能にした。比較的安全な航路である為か、多くの『商人』がこの町を訪ねて来るのだが、その船の多さが災いして、面倒な連中に目を付けられちまってな」

 

「……面倒な連中……?」

 

 トルドの言葉をそのまま返すカミュであったが、その存在に関して大凡の予想は出来ていた。

 『商人』等の人間にとって面倒な人間と言えば、その商売を邪魔する者以外には有り得ない。それが魔物でない以上、残る可能性は一つか二つだろう。それを示すように、トルドは軽く頷きを返した後、カミュの予想を裏切らない答えを口にした。

 

「ああ。この大陸の南部に居を構える海賊らしいんだが。その連中に襲われる『商人』達が相次いでな。貿易にも支障が出始めている」

 

 カンダタのような『盗賊』がいる以上、その活動場所を海や山に移している『海賊』や『山賊』がいても何ら不思議ではない。カンダタ達は、町等の拠点を襲うのに対し、『山賊』は山を渡る者達を、『海賊』は海を渡る者達に襲いかかる。荷やゴールドを奪い、最悪の状況であれば船に乗る者達をも襲い、殺して行く。そういう賊に襲われた者達の噂が広まれば、危険を冒す者は少なくなり、必然的に商いの道は閉ざされてしまう。

 この時代で商売が衰退して行った理由である『魔物による被害』という物が、『賊による被害』と名を変えただけの事である。

 

「しかし、この時代で船を使って渡る人間は多くない。根こそぎ奪っていては、その内に船も海に出なくなり、海賊の収入源も枯渇するのではないか?」

 

「ああ。アンタの言う通りだ。だからこそ、奴等はここへ来た。自分達の収入を確保する為にな」

 

 カミュの言う通り、海で生きる『海賊』にとって、貿易船は何物にも代え難い程の収入源であり、それ無くしては成り立たない物。故に、余りにも狼藉が激しければ、その収入源自体が無くなり、『海賊』としての生活も成り立たなくなるのだ。

 だが、カミュの疑問は、トルドが発した言葉によって、意外な方向へと向かって行った。

 

「奴等が来たのは、もう一ヶ月程前の事だな。この場所に町を作っている事を知らなかったのだろうが、襲った貿易船の人間が口を滑らせたのだろう。貿易船がこの場所へ来なければ、商売は成り立たないし、この町の発展も望めない」

 

 カミュは、頷きを返す。この町はまだ単体で活動できる程の規模を有してはいない。他の場所へ物を売り、他の場所にある物を買う。そして交流を続けている内に、この場所へ住み着く人間が出来る事を待っている段階なのだ。

 人が集まらなければ、この場所が町として成り立つ事はない。故に、トルドの考えは正しいと言って良いだろう。

 

「……それで……?」

 

「奴等は交換条件を出して来た。貿易船を襲わず、魔物等から護る為に護衛をする代わりに、利益の分け前を寄こせという物だ」

 

 続きを促したカミュに向かって発したトルドの答えは、どこか納得の行く物であった。『海賊』としての要望としては、至極真っ当な物であろう。この時代の海は、魔物の被害によって商いの衰退へと進む程に危険に満ちている。その護衛代金として利益の分け前を要求するのであれば、随分と良心的な『賊』と言っても過言ではない。

 

「……随分とまともな海賊なのだな……」

 

「何でも、最近になって代替わりをしたらしい。だがな、その要求されている分け前の率が難しい。それに……」

 

 要求されている割合が、『商人』としてのトルドは納得が行かないのだろう。それとは別に、何かを口籠るように下を向いたトルドを見て、カミュはその胸の内を悟った。

 彼は、『賊』と名乗る者達の明確な被害者でもあり、加害者でもあるのだ。

 彼がとある村の活性化の為に引き入れた盗賊一味は、思惑通りに資金を村へと落として行った。しかし、その後に一味の一部が独断で行った行為は、トルドを立ち直れない程の後悔の谷底へと落として行く。カミュ達の前では気丈に振る舞っている彼ではあるが、その後悔の念は、彼の胸に刻み込まれ、生涯消える事はないのだろう。

 

「その回答を出すのは何時だ?」

 

「後二週間ちょっとだな。もう一度その海賊の首領を伴ってここを訪れると言っていた」

 

 おそらくここを最初に訪れた時、海賊達は首領を乗せてはいなかったのだろう。偵察を兼ねて上陸したのか、それとも首領からそういう指示を受けていたのかは解らない。ただ、その要求内容を考えると、後者の方が可能性は高いだろう。その代替わりをした首領が優秀なのかもしれない。

 

「……二週間……」

 

「ん?……あっ! 済まない、アンタに考えさせるつもりはなかった。アンタにはアンタの旅がある。この町は俺がアンタから託されたんだ。相談するような事を言っておいて申し訳ないが、この件は俺に任せてくれ。それよりも、アンタはメルエちゃんを見つけてくれよ。四人でここを訪れてくれるのを待っているよ」

 

 何かを考えるように俯いたカミュに気付いたトルドは、慌てて言葉を紡ぐ。矢継ぎ早に発する言葉は、カミュの反論を認めないという意思表示にも見えた。

 トルドは基本的に頑固な男である。それを理解しているカミュは、ここでトルドの意志を覆す事の難しさを悟り、一度大きく息を吐き出した。

 

「ここは、アンタの造る町だ。こう言ってはあれだが、アンタの思うようにすれば良い。だが、それ程心配をする必要性も感じない。要求内容を聞く限り、海賊の首領も只の馬鹿ではないのだろう。多少の無理はあるかもしれないが、交渉の余地は残されている筈。アンタを殺す事の利がない以上、こちら側の要求もある程度は通る筈だ」

 

「……そうだな……よく考えてみる」

 

 真っ直ぐトルドを見つめるカミュの瞳は、彼の内心を正確に物語っている。事実、その海賊と会っていない以上、無責任な事は言えないのだが、カミュはトルドの身をそれ程心配してはいなかった。

 海賊側の要求内容を考えると、それは『交渉』というテーブルを用意する事も可能であり、カミュの言う通り、海賊側にはこの町を造り出そうとするトルドの存在を消す利が何もない。むしろ、如何にお互いが納得の上で自分の要求を押し通すのかという、至極真っ当な方法を選んでいると言えるのかもしれないのだ。

 

「あの<満月草>という物には、どれぐらいのゴールドを支払えば良い?」

 

「おう! 割り引くと言ってしまったからな。本来であれば600ゴールドは貰うが、半額の300ゴールドで良い」

 

 話題を変えたカミュの言葉に、トルドも先程までの張りつめた表情を崩した。トルドの中で不安と葛藤があったのだろう。それが和らいだ事で、トルドの中にもある程度の余裕が生まれていた。この分であれば、海賊との交渉も上手く行くのかもしれない。後は、相手がならず者でない事を祈るばかりである。

 支払う金額を尋ねたカミュは、トルドの言った金額をそのまま支払った。カミュからすれば、初めて見る道具の標準価格は解らない。半額と言われても、実際の売値が解らない以上、安くなったのかも解らないのだが、相手がトルドという事で全面的な信頼を寄せているのだろう。

 事実、トルドの言う通り、<満月草>を置いている店では、一つ30ゴールドで販売している。それが20個ほどであるのだから、600ゴールドとなるのだ。故に、半額というのは、トルドの誠心誠意の心尽くしなのだろう。

 

「危なくなったら、迷わずに引け。その後の事は、俺達も間に入る」

 

「ふっ、そうだな。その時は、迷わずにアンタ達を頼る事にするよ」

 

 町の出口まで見送りに出たトルドに向かって、カミュが最後に口にした物は、リーシャやサラがいたら、驚きで目を丸くしてしまう程の物だった。彼が他人の心配をするという事自体が驚きであるのだが、更にはその他人の問題に干渉する事を宣言したのだ。

 アリアハンを出た頃では全く考えられない事である。それが、この二年以上の長い旅の中で、彼が少しずつ変化して行った結果なのかもしれない。

 しかし、トルドは昔のカミュをそこまで知らない。故に、カミュが口にした『俺達』という言葉に嬉しさを込み上げていた。

 彼は、リーシャ達三人を見つけ出す事を諦めてはいない。それを明確に感じ取ったのだ。故に、トルドは満面の笑みを浮かべて大きく頷きを返した。彼等四人の再会と、彼等の旅の無事を確信して。

 

 

 

 向かうべき場所は全て潰された。

 次に向かう目的地はない。

 それでもカミュは歩き出す。

 その先に、彼を待つ者達がいる事を信じて。

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

今週は、今日以外は更新は難しそうですので、昨日までに描いた物を区切りの良い所まで描き終えての更新となりました。次話は来週になると思われます。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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