新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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エジンベア城②

 

 

 

「カミュ、灯りを点けなければ進めない」

 

 後ろ手に扉が閉まる音が響くと、中は何一つ見えない世界だった。リーシャの言葉に頷きを返したように見えたカミュが、手探りで袋の中から<たいまつ>を取り出し、<メラ>の詠唱を行って火を灯す。途端に明るさが広がり、闇に包まれていた世界に色が付き始めた。

 前方へと<たいまつ>を向けると、その先は緩やかな階段が見える。それ以外には何もない空間である為、彼等の道としては、それを下るしか方法はなかった。

 

「なんだ、この場所は?」

 

 階段を降り切った場所に広がる光景を見たリーシャは、思わず疑問の声を上げてしまう。周囲を照らす<たいまつ>の炎が映し出す景色に、ただ呆然とするだけであったサラも同様に、驚きの表情を浮かべた。

 カミュが周囲の立ち並ぶ灯篭に火を移し、その空間全体を灯りが照らし出した時、その驚きは最高潮に達する。

 

「このような場所に宝物を安置しているのでしょうか?」

 

 サラが言う事も尤もな事だった。

 その場所は何もない空間。

 いや、正確にはそうではない。

 あるのは、地下から湧き出して出来た湧水の泉。

 そしてそれを縫って続く道のような陸地と、岩で出た壁。

 

「しかし、なんなのだ。あの二つの大岩は……?」

 

 そして最大の違和感。それは、前方に見える壁の両脇にある二つの大岩だった。大岩と言っても、前が見えなくなる程の岩ではない。ちょうどメルエの背丈より少し大きい程の岩である。

 

「リ、リーシャさん、無闇に触っては駄目ですよ。どんな仕掛けがあるか解りません」

 

「そ、そうだな」

 

 悲痛な叫びに近いサラの声を受けたリーシャは、岩に触れようと伸ばした手を素早く戻した。エジンベア大臣は、『仕掛けが解けない』と言っていたが、その仕掛けの内容が何なのかと言う事をカミュ達に伝えてはいない。故に、この場所にどのような仕掛けがあるのか、それが命に係わる程の物なのかまでは解らないのだ。

 

「とりあえずは歩いてみる」

 

 二人の様子を無視するように、カミュは灯篭に火を灯しながら奥へと歩いて行く。自分の背丈よりも大きな岩を見ていたメルエもその後に続いて歩き出した。

 何かを思案するように黙り込んだサラとは違い、『考える事は自分の範疇外』とでも言うようなリーシャは、興味深げに周囲を見渡しながら奥へと進んで行く。

 

「あっ! ま、待って下さい!」

 

 一人取り残されたサラが、自分が置いて行かれた事に気が付いたのは、カミュ達の姿が先の曲がり角を曲がる為に消えて行く頃だった。最後尾を歩いていたリーシャの姿が完全に消えてしまった事で、サラは慌てて駆け出す。大岩に視界を奪われながらも駆け抜けて角を曲がった先で、サラはもう一度驚愕の表情を浮かべる事となった。

 

「カミュ、これで三つ目だぞ?」

 

「しかも、三つともほぼ同じ大きさの物だ」

 

 先程見た大岩と同形等のメルエの背丈よりも大きな岩がカミュ達の前方を塞いでいたのだ。大岩の為に進めない訳ではない。乗り越える事は不可能だが、少しずれれば、岩の隙間を縫って奥へと進む事は出来る。だが、目の前にある三つ目の大岩の衝撃の方が大きく、それは些細な事であったのだ。

 カミュ達四人は、大岩の前で暫く間動けずにいた。しかし、その胸の内は二通り。それは全く同じのようで、決定的な違いのある物。

 リーシャとメルエに関しては、『何故、このような大岩がこの場所にあるのか?』という疑問。それに比べ、カミュとサラの胸の中には、『この大岩は、何に使う物なのか?』という想いが湧き上がっていた。

 それは、全く同じ意味のようで、全く違う意味を持つ。リーシャやメルエは、岩があるという事実を疑問に思うが、その使用目的にまでは意識は行かず、『何の為にあるのか?』という疑問にまでは行かないのだ。

 

「カミュ様、奥へ進んでみましょう」

 

「……ああ……」

 

 思考を中断し、先へ進む事を提案したサラに頷いたカミュは、そのまま奥へと進んで行く。岩を見る事にも飽きたメルエは、傍に湧いている泉に顔を映し、中を覗き込むように眺めていた。

 見たところ、その泉は相当な深さを誇り、今リーシャが驚いている岩程度であれば、そのまま全てを沈めてしまえる程であろう。何か生き物はいないかと覗き込んでいるメルエの肩を叩き、手を繋いで歩き出すリーシャの後ろを、眉を顰めたサラが続いて奥へと進んで行った。

 

「今度は何もないのか?」

 

「妙な印が地面に記されていますね」

 

 奥へ進むと、そこは完全な行き止まりであった。前後左右を見渡しても、見えるのは岩で出来た壁。無機質な岩の壁に<たいまつ>を掛けられる場所が何箇所かに分かれて付けられており、そこには何本かの枯れ木が突き刺さっていた。

 カミュは<たいまつ>から枯れ木へ火を移し、周辺の明かりを灯して行く。そして現れたのが、サラの口にした奇妙な地面であった。閉鎖的な空間の奥にある地面がここまでの物とは明らかに異なっているのだ。ここまでの地面は、土で出来た物であったのに対し、その部分だけは、人工的な物である。まるで何かを乗せる為に作られたような石で出来た床と言っても良い地面に、青く何かが記されている。

 

「カミュ、解るのか?」

 

「……アンタに考える気はないのか?」

 

 サラの発言を受けたリーシャは、即座にカミュへと問いかける。その問いかけにいつも通り溜息を吐き出したカミュは、呆れたような視線をリーシャへと送った。もはや、リーシャは考える事を諦めている節がある。勿論、パーティーの中で誰かが困り、苦しみ、悩んでいるのだとしたら、この心優しき戦士は、我が胸を痛めても考え続けるだろう。

 しかし、今は違う。

 

「私には考えても解らない。余計な事を言って、カミュやサラを混乱させるぐらいなら、何も言わない方が良い筈だ」

 

「そこまで考えているにも拘わらず、何故、行く道を示そうとするのかが、俺には解らないが……」

 

 至極真っ当な答えを返すリーシャに、カミュの溜息は大きくなって行く。洞窟や塔などを探索する際、リーシャは意地になったかのように道を示そうとしていた。カミュはその事を揶揄しているのだ。ほぼ確実に行き止まりへと進む事が確定している道を、懲りもせずに指し示そうとするリーシャを皮肉ったのだ。

 

「…………リーシャ………だめ…………?」

 

「そ、そんな事はないぞ。駄目なのはカミュだ。私は悪くないぞ」

 

 カミュの皮肉に青筋を立てるリーシャであったが、メルエの純粋な問いかけを聞いて、慌てたように弁明を開始する。しかし、その弁明は全く説得力も無く、そして何の根拠もない物だった。

 そんなリーシャの姿に首を傾げるメルエを見て、リーシャは尚更慌て、必死に何かを発しようと口を開くが、言葉が出て来ない。リーシャにとってカミュの嫌味などは慣れたものではあるが、それを純粋に問いかけられると、自分でも非を認めている部分があるだけに答えに窮してしまうのだ。しかも、それが本当に純粋な疑問であれば、尚更の事であろう。

 

「カミュ様、ここに来るまで、三つの岩がありました。そして、あの石で出来ている床も、おそらく岩三つ分程の広さを有しています」

 

「……つまり、あの床の場所まで岩を動かして来るという事か?」

 

 そんなリーシャとメルエの掛け合いに興味を示す事無く、思考の渦へと落ちていた『賢者』が満を持して口を開いた。『賢者』と呼ばれてはいても、サラが世界で一番賢い訳ではない。

 だが、考え、悩み、答えを見つけて前へ進む事に関してだけは、サラがこの世界の頂点に立つ事をカミュ達三人は知っている。彼女が考えて出した答えであれば、それが誤りであったとしても試してみる必要がある事も知っている。

 

「……アンタの出番だ……」

 

「なに!? わ、わたしか!?」

 

 やる事は決まった。

 ならば、それを誰がやるかという事になる。

 そして、その人選は満場一致で決定した。

 それは、考える事を放棄していた者。

 『戦士』と呼ばれ、力での戦いに特化した職業の者だった。

 

「わかった。先程見た大岩をここまで運んで来れば良いのだな!?」

 

「あっ! リーシャさん少し待って下さい!」

 

 不承不承に引き受けたリーシャであったが、それを制止する声が掛る。それは、リーシャが動く原因となった考えを口にした筈のサラ本人であった。『動かす』と言った張本人からの否定の言葉をリーシャは理解が出来ない。立ち止まったリーシャに向かって再び考え込むような表情を見せサラに、必然的な視線が集まった。

 

「無計画に岩を動かしてしまっては、おそらく手詰まりになってしまいます」

 

「は? 何故だ?」

 

 尚更リーシャを混乱に陥れるような事を口にするサラへ視線を送り、リーシャは疑問を口にする。しかし、サラはその問いかけを無視するようにその場に屈みこんだ。

 突如として屈み込んだサラは、土の地面に何やら描きながら『ぶつぶつ』と呟きを洩らし始める。興味を持ったメルエがサラの隣に屈みこみ、サラが描いている物を覗き込むが、理解が出来ないのか、困ったように首を傾げていた。

 

「お、おい、サラ……」

 

「もう一度、全体を見て来ます」

 

 不安になったリーシャが恐る恐る声をかけると、その声に反応したように、サラは突如として立ち上がり、そのまま歩き出してしまった。救いを求めるようにリーシャはカミュへと視線を送るが、そこで見たのもまた、何かを考えるようなカミュの姿だった。

 既にメルエはサラの後ろに付いて歩き出している。取り残されたような気分に陥ったリーシャは、サラの背中とカミュの顔を交互に見比べる事しか出来なかった。

 

「アンタの出番は必ず来る。今は大人しく待っていろ」

 

「そ、そうか……わかった」

 

 そんなリーシャの様子に気が付いたカミュは、溜息混じりに言葉を放ち、どこか納得いかないリーシャは、それに頷く事しか出来ない。だが、カミュがこう言う以上、リーシャが岩を動かす時が必ず来るのだろう。そしてその時は、サラの指示通りに動かせば良いのだ。ようやく心が決まったリーシャは、腕を組んでサラが何かを得るのを待つ事にした。

 

「この場所の見取り図は、大凡このような形です」

 

 戻って来たサラは、再び屈み込み、地面に図面を描き始めた。面白そうに屈み込んだメルエの両隣にカミュとリーシャも屈み込み、三人がサラの描く図面を注視する。皆の視線を気にしていないのか、それとも気付いていないのかは解らないが、サラはそのまま図面に小さな三つの円を描いた。

 

「これらの場所にそれぞれ岩があります。見た限り、横一列に等間隔で岩が配列されていますね」

 

「ならば、一番近い岩から石の床へ運べば良いのではないか?」

 

「アンタは黙っていろ」

 

 岩の状況を描き込んだ地面を眺めていたリーシャが、奥の空間へ入る通路の手前に置いてある岩の部分を指差し、サラへ問いかけた。しかし、その問いかけは、このパーティーのリーダーである青年が洩らした溜息と、呆れを含む言葉に遮られる。リーシャが鋭い視線をカミュへ送るが、そこで怒鳴り声を上げる程、リーシャも愚かではなかった。

 

「おそらく、この岩を最初にあの場所に持って行く事は不可能です。この岩は、この空間に向かって右か左の方角にしか動かせません。壁に接している為、この空間に向かっては動かせないからです」

 

 確かにサラの言う通り、石の床のある空間にいるカミュ達の目の前に見える岩は、石で出来た壁に接しており、こちら側に押し出す事は不可能であるように見える。つまり、リーシャが提案した物は、完膚無きまでに否定された事になった。言葉に詰まってしまったリーシャを余所に、カミュは真剣に地面の図面を見つめている。同じように見つめているメルエと違う所は、その頭の中で様々な思考を巡らせている事だろう。

 

「ならば、この岩から動かすのか?」

 

「そうですね。まずはこの岩をこっちに動かして、それから目の前の岩を左に動かします」

 

「ん?……最初に動かした岩をここまで持って来ないのか?」

 

 もはやカミュとサラの語り合いのような状況になっている事が悔しいのか、所々でリーシャが疑問を挟んで来る。その度にカミュが溜息を吐き出し、呆れたように首を横に振った。悔しそうに唇を噛むリーシャに苦笑を浮かべたサラは、リーシャに仕事を与える為に、その口を開く。

 

「では、リーシャさん。申し訳ありませんが、あの岩をあそこまで押してもらえますか?」

 

「よし! 任せろ!」

 

 カミュへ勝ち誇ったような視線を送ったリーシャは、力強い言葉を残し、石の床のある空間から向かって右手にある岩へと向かって行く。入口から見て左手にあるその岩は、先程メルエが覗き込んでいた泉のすぐ傍にあった岩であった。リーシャは、その岩を右手ではなく、石の床のある方角へと押し出す。リーシャが岩に両手をかけ、力を入れ始めると、地面を擦る音を立てながら、徐々にその位置を移動させて行った。

 

「改めて見ると、本当に凄いものですね」

 

「まさか、本当に一人で動かせるとは……」

 

「…………リーシャ………つよい…………」

 

 たった一人でメルエの背丈ほどある岩を動かすリーシャの姿に、カミュ達三人は正直驚いていた。

 『戦士』としての実力は、既に世界の頂点に達しているかもしれないが、リーシャは女性である。力自慢の巨体を持つ大男ではない。女性らしさを失わないその姿からは想像出来ない程の怪力を発揮するリーシャをメルエは輝く瞳で見つめていた。

 

「サラ、言われた場所まで動かしたぞ!」

 

「あっ、はい! では、次は……申し訳ありませんが裏側からこちらに来て頂けませんか!?」

 

 動く岩を呆然と見つめていたサラへ達成報告が響く。我に返ったサラは、自身が描いた図面に目を戻し、指示を待っているリーシャへ声を張り上げる。その指示は今動かした岩を放置して別の場所へ移動する物だった。

 サラの思考が理解出来ないリーシャは一瞬首を傾げるが、もう一度入口の方向へ戻り、反対側にある岩の場所まで移動する。

 

「移動したぞ!」

 

「では、その岩を入口の方向へ少し動かしてください! 少しで良いです。人が通れるぐらいの隙間があれば良いので!」

 

 相変わらず、全くサラの思考が理解出来ないリーシャであったが、それに対して不満を漏らす訳でもなく、嫌な顔をする訳でもない。大きく頷きを返した後、先程と同様に両手を岩に掛けて力を込める。再び大きく擦るような音を立てて岩が動き始めた。

 それを見ていたメルエは再び目を輝かせ、岩が動き、隙間から見えたリーシャへと近付いて行く。

 

「…………リーシャ………すごい…………」

 

「ん? メルエ、こっちに来ては危ないぞ」

 

 岩を動かし、息を大きく吐き出したリーシャは近付いて来たメルエに笑顔を向け、その肩に手を乗せる。『危ない』と窘められたにも拘わらず、メルエは相変わらず笑顔を作っていた。何がそれ程に嬉しいのか、何がそれ程に楽しいのかが全く解らないリーシャは少し困ったように苦笑を浮かべる。

 

「では、カミュ様。目の前にある岩を、最初にリーシャさんが動かした岩の方向へ動かしてください」

 

「……一人でか?」

 

「なんだ? 私は一人で動かしたぞ? カミュは出来ないのか?」

 

 突然自分に向けられた指示に驚いたカミュは、サラへ疑問をぶつけた。しかし、その小さな呟きは、何かに勝ち誇ったような笑みを浮かべる女性騎士によって遮られる。幼いメルエの肩に手を置き、カミュへ向けられているのは、会心の笑み。その表情を見たカミュは、大きな舌打ちをして、岩へと向かって歩き出した。

 岩に両手をつき、力を込める。しかし、その岩は、カミュが考えていたよりも重い物であった。手加減をしたつもりはないが、目一杯の力を込めてもいない。そんなカミュの行動を嘲笑うかのように、岩は全く動く様子を見せなかった。

 

「…………カミュ………だめ…………?」

 

「だらしないな。メルエに笑われているぞ!」

 

「……ちっ……」

 

 全く動かない岩を見ていたメルエの呟きは、カミュの自尊心を大いに傷つける物であり、それを遠目で確認したリーシャは、ここぞとばかりに責め立てる。再び舌打ちを発したカミュは、先程よりも力を込めて岩に相対した。

 そんな三人の様子を『くすくす』と笑みを漏らして見ていたサラは、徐々に動き始める岩を見て、リーシャとカミュの常人離れした筋力に改めて驚いていた。指示は出したものの、一人で動かす事は難しいと考えていたのも事実。しかし、この二人はそれを難なくこなしてしまったのだ。

 

「……動かしたぞ……」

 

「ふぇ!? あ、はい。それでは、リーシャさんはもう一度先程の岩に戻って、こちら側に押して来て下さい」

 

 カミュの完了報告を聞いたサラが続けて指示を出す。指示を受けたリーシャは、カミュが押した岩の隙間を抜けて先程自分が押し出した岩の裏手へと回った。先程と異なるのは、リーシャの後ろをメルエが付いて歩いている事だろう。再び岩に手を掛けたリーシャの横で、メルエも岩に手をかける。『危ない』という注意にも首を横に振って聞かないメルエの様子に溜息を吐き出し、リーシャは岩を動かし始めた。そのまま真っ直ぐ押し出された岩は、石の床が敷かれている空間の入口の前まで進める。

 

「では、この岩をそのまま床の上まで移動してしまいましょう」

 

「わかった」

 

 サラの指示を受け、リーシャは方向を変えて岩を押し出す。重い音を立てて動き始めた岩は、そのまま壁際にある岩の床まで到達した。

 石で出来た床の中央に置かれた岩を端の方へと動かし、まず一つ目の岩の移動は終了した。岩の移動を見届けたサラは、再び地面に描かれた図面に視線を落とし、考えを纏めている。

 

「では、カミュ様の動かされた岩を先程の岩と同じようにこちらへ持って来て下さい」

 

「……わかった……」

 

 サラの指示に頷いたカミュは、リーシャが石の床へと移動させた岩と同じ軌道で岩を動かし始める。一度泉の近くまで動かした岩を、方向を変えて動かす。壁に密着するまで動かした岩を今度は、石の床がある空間に向けて動かした。

 リーシャを見ていると、軽々と動かしているように見えていたが、実際には相当な重量があるのであろう。カミュの額には珠のような汗が光っていた。

 

「これで二つ終わりましたね。では、先程のように裏手から回って頂き、先程ずらした岩を元の場所に戻して貰えますか?」

 

「任せろ!」

 

 先程、人が通れる程の隙間を作る為に動かした岩を元に戻し、それをカミュが動かした岩と同様の軌道を辿って動かして行く。今度も隣にはメルエが付いており、『うんうん』と唸りながらも岩を押していた。

 メルエの力など、岩を動かす事に貢献してはいないのだが、メルエなりに力を込めているのだろう、岩が動く度に嬉しそうに微笑み、再び唸り声を上げて力を込めている。そんな微笑ましい姿に笑みを浮かべながら、サラは最後の岩の到着を見守っていた。

 

「これで最後だな」

 

「そうですね。では、その岩をこの床の上に」

 

 石で出来た床がある空間へと運ばれた最後の岩が、一番中央へと乗せられる。最後は本当に危ないからと離されたメルエは頬を膨らませてはいたが、リーシャが押す岩が床の上に乗った瞬間に響き渡った轟音に驚き、カミュのマントの中へと逃げ込んでしまった。

 それは何かが崩れ落ちるような轟音。まるで岩で出来た壁が上から落ちて来たような振動が響き、地面が大きく揺れ動く。立っていられない程の衝撃に、リーシャはサラを護るように抱え込み、カミュもまたマントの中にいるメルエに覆い被さるように姿勢を低く取った。

 轟音と震動はしばらく続いたが、ゆっくりと収まりを見せ、周囲に再び静けさが戻って来る。土煙と砂埃が舞う中、咳き込みながらも四人は立ち上がった。音と揺れは収まったが、視界は未だに戻らない。それぞれが離れてしまわないように相手の身体を掴み、視界が戻るのを待つしかなかった。

 

「な、なんだ今のは……」

 

 土煙が収まり、前方が微かに見える頃になって、ようやくリーシャは口を開いた。だが、リーシャの問いかけに答えられる者は誰もいない。三つの岩を石で出来た床へ移動するという行為自体、状況から予想した方法なのである。もし、万が一それが罠だったとすれば、彼等四人の命はないかもしれないのだ。

 ただ、カミュもリーシャもその危険性を理解してはいた。それでも敢えて、サラが考えた方法に乗ったのだ。

 

「けほ、けほっ……皆さん、大丈夫ですか?」

 

「……どうやら、間違いではなかったようだな……」

 

 周囲の砂埃で咳き込んでいるサラを追い抜き、前方へと歩いて行ったカミュが、サラの方法が正しかった事を確認していた。前へと進み出たリーシャもまた、その光景を目にして仲間の知恵を心の中で称賛する。

 もし、彼女がこのパーティーにいなければ、この光景を見る事は出来なかったかもしれない。いや、絶対に出来なかったとリーシャは確信している。カミュであっても、岩を石の床へ移動させるという所までは気付いただろう。だが、その岩の動かす順番や動かす方向までもを考え出せたかと言えば、リーシャの答えは『否』であった。

 前方に広がっているのは、先程まで岩を乗せた床の向こうに開いている、奥へと続く通路であった。その通路の入口は岩の壁で先程まで完全に塞がっており、周囲の岩壁と同様に見えていたそれは、隠し通路の入り口などとは夢にも思わない程に完璧に偽装されていたのだ。

 砂埃も消え、澄んだ空気が戻って来た空間の中で異様な雰囲気を持つ隠し通路は、カミュ達を誘うように暗い闇で覆われていた。

 

「……いくぞ……」

 

 壁に掛けておいた<たいまつ>を手に取り、カミュは先を歩いて行った。そのマントの裾を握りしめたメルエが続き、未だに咳き込むサラの背を摩りながら、リーシャが続く。

 静けさを取り戻したそこは、長年誰も通る事がなかったのだろう。粛々とした空気が流れ、<たいまつ>の灯りにも負けない程の闇を誇っている。真っ直ぐ長い通路は、果てしなく続くように伸び、<たいまつ>の燃える音と、カミュ達の足音だけが響いていた。

 

「…………はこ…………」

 

「少し待っていろ」

 

 ようやく開けた場所に出た事で、カミュは<たいまつ>を高々と掲げ、周囲を照らし出す。それ程広くはないその場所は、祭壇のような物が置かれており、その上にはある程度の大きさの箱が置かれていた。

 宝箱と言っても過言ではない見栄えの箱を見たメルエは、何かを望むようにカミュを見上げる。以前、ピラミッドの探索中に、散々言い聞かせられていた為、宝箱に向かって駆け出す事はなかったが、『箱を開けたい』という欲求は健在であるようだ。

 

「良いぞ」

 

「…………ん…………」

 

 宝箱へ近付いたカミュは、足で数回小突き、手で触った後、メルエに許可を出す。許可が下りたメルエは、嬉しそうに頷きを返し、宝箱へと走り寄った。

 メルエの後を追うようにリーシャとサラが続き、メルエが宝箱を開けた時に何が起きても対処出来るように、メルエの周りを三人で固める。一度振り返ったメルエに向けて、三人が同時に頷いたのを見届けたメルエが宝箱に手を掛けた。

 

「…………???………なに…………?」

 

「壺だな」

 

「壺ですね」

 

 開けた箱の中身を見たメルエは、期待していた物と違ったのか、何処か不服そうに首を傾げて振り返る。後ろから覗き込んでいたリーシャが中身を確認して、その名称を呟くと、同じように覗き込んでいたサラが同意の言葉を発した。

 中に入っていた物は、姿形は何処か異様な雰囲気を持って入るが、『壺』である事は確かであるようだ。国王や大臣の話通りであるのならば、この奇妙な姿形をしている物が『渇きの壺』と呼ばれる物なのであろう。

 

「カミュ、その中に<最後のカギ>が入っているのではないか?」

 

「……いや、何も入っていないようだ……」

 

 ランシールの村で出会った<スライム>の話では、『最後のカギを手に入れるには<壺>が必要』という事であった筈。<スライム>本人にも、その謎掛けの答えは解らず、唯一の手掛かりとなる物が、この『渇きの壺』だったのだ。

 しかし、その壺の中にはカミュ達が求めている道具はなかった。

 

「では、この壺も<最後のカギ>を手に入れる為に使用する道具と考えるべきなのでしょうね」

 

 壺の中に求めている物がないとなれば、サラの言う通り、この壺もまた、<最後のカギ>を手に入れる為の道具という事になる。しかし、その使い所も、使う方法も解らない。カミュ達が現在持っている情報の最後がこの壺であったのだ。

 <スライム>が話した、<消え去り草>、エジンベア、壺という三つの手がかり。それが、この場所で潰えた事を示していた。

 

「そうか……また振り出しという事だな」

 

「そ、それでも『渇きの壺』は手に入れました。後は、この壺を何処で、どのように使うかという情報だけですよ」

 

 落胆を見せるリーシャの顔は、サラの言葉で強制的に上げられる。それは、ここまでの旅で初めての出来事だったのかもしれない。常に落ち込み、悩み、迷い、苦しんでいたサラの顔を上げさせ、再び前へと進ませていたのは、紛れもなくリーシャであった。

 だが今は、落ち込むリーシャを励ますように、サラが前向きな発言をしている。その事実に、リーシャは一瞬驚きの表情を見せるが、即座に笑みへと変化させた。

 

「そうだな。このパーティーには、何と言っても『賢者』様がいるからな」

 

「ふぇ!? リ、リーシャさんも考えて下さいよ!」

 

 場違いな程のおどけたやり取り。慌てるサラに苦笑を溢すリーシャと共に、メルエも柔らかな笑みを浮かべている。彼等の旅は、一歩一歩前へと進んでいる事だけは確か。それは、本当に些細な一歩かもしれない。そして、次に踏み出す足を何処に着けば良いのかはまだ解らない。それでも、着実に前へと進んではいるのだ。

 

「……戻るぞ……」

 

 『渇きの壺』を持っていた革袋の中に押し込んだカミュは、二人のやり取りを一瞥し、そのまま入口へと戻る為に歩き出した。

 目的の壺さえ手に入れば、この場所に用はない。そして、このエジンベアという国にも用はないのだ。振り返りもせずに歩いて行くカミュを追って、メルエが走り出す。苦笑した顔を見合せながら、リーシャとサラも出口へと向かって歩き出した。

 

 

 

 

 階段を登り切り、再びエジンベア城内へとカミュ達が戻る頃には、エジンベア城内は闇に閉ざされていた。中で岩を動かす為に相当の時間を使ってしまったのであろう。既に陽は落ち、城内には微かな明かりだけが灯されていた。陽が落ちてから結構な時間が経過しているのであろう。城内を出歩いている人間は誰もおらず、静けさだけが広がっていた。

 

「結構な時間を使ってしまったのですね」

 

「そうだな。まさか夜になってしまっているとは……」

 

 周辺を確認しているサラとリーシャの横をカミュがすり抜けて行く。予想以上に時間がかかってしまった事に驚いていた二人は、カミュが何処へ向かって歩いているのかを瞬時に理解する事が出来なかった。

 『とてとて』と続くメルエの後姿を見ながら、その方角にある場所に思い至り、慌ててカミュを追って走り出す。

 

「カミュ様、謁見の間に向かわれるおつもりですか?」

 

「『渇きの壺』は手に入れた。その報告ぐらいはしておいた方が良い筈だ」

 

「しかし、既に陽は落ちている。そのような時刻に謁見の間に行く事は失礼ではないか?」

 

 カミュの言う事も尤もである。だが、サラの疑問やリーシャの疑問もまた、尤もな事あった。既に陽が落ちて、城内は夜の闇が広がっている。そのような時刻に謁見の間に通して貰える訳はないだろうし、国王がいる筈もない。故に、行ったとしても近衛兵に行く手を阻まれるのが目に見えており、行くだけ無駄であると考えるのが普通であろう。

 

「近衛兵などに壺を手に入れた事実だけでも伝えられればそれで良い」

 

 リーシャやサラにしても、このエジンベアという国に長居するつもりは毛頭ない。故に、このまま城を出てしまえば、エジンベアの町も出て、外で野営をする事になるだろう。だが、壺を手に入れる許可を与えられたという事は、その仕掛けを解き、手にした事を報告しなければならない義務も生じて来る。だからこそ、カミュはその事実を告げに、謁見の間へと向かっているのだ。

 それを告げる相手は誰でも良い。それが国王や大臣でなくとも、兵士であろうと、近衛兵であっても良いのだ。

 

「…………ねてる…………」

 

 しかし、カミュの目論見は、謁見の間へと続く階段の下で眠りこけている兵士を指差すメルエの一言で崩れ去った。

 まさか、衛兵が夜半の見張り中に眠りこけているとは考えていなかったのだろう。カミュは大きな溜息を吐き、リーシャは呆れたように、その兵士を見下ろしている。『どうするべきか』とカミュへ視線を送るサラを無視して、カミュは階段を上って行った。

 階段を上り切った場所にある謁見の間も、既に灯りは落とされ、差し込む月明かりだけがその厳粛な場所を照らし出している。その時、謁見の間を一通り眺めていたカミュの動きが突然止まった。

 ゆっくりと背中に回されたカミュの手を見て、後ろの三人もそれぞれの武器に手をかける。まさか、城内で魔物と遭遇するとは考えていなかったリーシャやサラは、困惑に近い表情を浮かべながら、周囲を警戒した。

 カミュの視線は、一点を見つめたまま動かない。その視線の先へと目を向けると、そこにあるのは玉座。通常はその国の王しか座る事の出来ない高貴な椅子。その場所で影が揺らめいていたのだ。

 国王が、この時間まで玉座で職務をこなしているとは考えられない。ましてや、ここはエジンベア国。昼間に謁見した国王からは、そのような事は皆目見当もつかなかった。

 

「……行ってみる」

 

 小声で呟かれたカミュの言葉が闇に溶けて行くのと同時に、ゆっくりとカミュは玉座の方角へと進んで行く。気付かれないように、気配を悟られないように近付くカミュの少し後ろをリーシャ達が続いて行った。

 月明かりは、優しく謁見の間を照らし、玉座付近に出来た闇を際立たせている。近付くにつれて明確になる影。それは玉座にしっかりと腰かけた人影であり、魔物ではない影の形にリーシャとサラの気が若干緩んだ。

 

「……大臣様ですか?」

 

「!!」

 

 玉座の後ろに回り込んだカミュは、その人影をはっきりと認識し、そして背中にまわしていた手を元に戻す。不意に掛けられた声に心底驚いたのか、玉座に腰掛けていた影は、言葉通り飛び跳ね、玉座から転げ落ちてしまった。

 玉座から転げ落ち、驚きの余り声も出ないその影は、リーシャやサラもあった事のある人物であった。昼間にこの謁見の間にいた人物であり、この玉座の傍らに立っていた人物。

 このエジンベア国の大臣その人である。

 

「このような時刻に何を……」

 

「ひゃ! や、や……な、なにもしておらぬ」

 

 カミュの問いかけを聞き、ようやく声をかけて来た人間が、昼間に謁見を申し込んで来た田舎者だと気が付いた大臣は、体裁を取り繕うように、立ち上がって衣服を整えた。

 だが、そんな大臣の言葉を素直に聞き入れる程、カミュ達は愚かではなかった。このような時刻に謁見の間に入って来ているカミュ達ではあるが、このような時刻に一人残っている大臣もまた、異質であるのだ。

 

「くっ……まずい所を見られてしまったな……」

 

 このような時刻に一人残っている事も異常ではあるのだが、それ以上の問題点があった。サラやメルエは気が付いていないようだが、宮廷騎士であったリーシャの大臣を見据える瞳は厳しく冷たい。その細く鋭い瞳が視界に入った大臣は、後悔するように顔を歪め、顔を俯かせてしまった。

 本来、玉座とは王が座る物であり、そこは何人たりとも犯してはならない聖域と言っても過言ではない場所なのだ。一国の王とは、『精霊ルビス』からその土地で暮らす『人』の守護を託された高貴な人物と伝えられている。そのような高貴な人物が政務を行う為に着座する場所が玉座である。その場所に許可なく座るという事は、現国王に成り変わって国権を握ると宣言している事と同義なのだ。

 

「この事は、見なかった事にして欲しい。その代り、お前達の問いかけに一つだけ答えてやる」

 

 カミュは、身嗜みを整えた大臣の言い草に心底呆れ、溜息を一つ吐いた。この期に及んでもまだ、カミュ達を『田舎者』として見下しているのだ。

 常識的考えて、この状況では大臣側が条件を出せる立場にない事は、幼子でも理解できる。それでも優位に立とうとするこの大臣にリーシャやサラも呆れを通り越し、憐れにすら感じてしまった。

 

「では一つ。このエジンベア国の植民地となっている<スーの村>の場所を教えて頂けませんか?」

 

「なに?」

 

 大臣としては、カミュの言葉は意外だったのであろう。今までの出来事を無視するようなその問いかけは、大臣の理解の範疇を大きく超えていた。故に、間抜けな声を出し、カミュへと呆けた顔を向けてしまったのだ。

 それでも直ぐに気持を立て直し、咳払いをした後の表情は一国の大臣と呼ぶに相応しい物であった。

 

「<スー>とは、遥か昔、我がエジンベアが船を出して発見した大陸にある村だ。このエジンベアより南西に船を進めれば、数週間ほどで辿り着ける。原住民であるインディアンが暮らしており、訛りが酷く聞き取りにくいが、それ以外は普通の村だ」

 

「このエジンベア国は、西の果てにある国ではないのですか?」

 

 世界地図を広げると、エジンベアは北西の端にある島国である。一番西に表記されており、そこより西は海しかないと記されてあった。故に、サラは思わず問い返してしまったのだ。

 実際は、トルドが町を作っている場所も、ポルトガから西へ行った場所であり、ポルトガ自体が世界地図の西の端に描かれている事から、海の向こうに大陸がある事は立証済みではある。世界地図は一つではない。それは、どこを中心に描かれているかが焦点となる。ポルトガを中心として描かれた世界地図であれば、エジンベアは北西の端にある国ではないのだ。

 

「だから、我らエジンベアが発見した大陸だと言うておる。南西に進めば、何れその大陸が見えて来る。その中央部分にある村だ」

 

 サラの問いかけを不愉快そうに払いのけた大臣は、そそくさと片付けを始めていた。彼の中では、既に一つの質問に答えた事になっているのだろう。カミュ的には、聞きたい事は聞けたのだが、サラはどこか釈然としない面持ちで考え込んでいた。

 トルドがいるあの場所に流れ着いた時、船員達は何も言わなかった。故に、ポルトガの西にある小さな島か何かだと、サラは考えていたのだ。大陸だという考えに結びつかなかったのは、サラが常に船酔いに悩まされ続け、周囲を見る余裕がなかった事も原因の一つではあったのだが。

 

「もう遅い。外の宿屋に宿を取ってやる。そこで休んで、明朝には出国しろ。その分だと、『渇きの壺』は手に入ったのだろう? 国王様にはご報告申し上げておく」

 

「……ありがとうございます……」

 

 軽く頭を下げるカミュに鼻を鳴らして、大臣は夜の闇へと溶けて行った。カミュにとって、彼がこの国で何を成そうとしているのかに興味はない。この国がどうなろうと、何も感じはしない。万が一、この国の王族が絶え、新たな王族が誕生しようとも、カミュにとって大きな問題ではないのだ。

 それはリーシャも同じなのだろう。国家に仕える人間として、先程の大臣の行動が許せない物であったとしても、ここはあくまでも他国。リーシャが口を挟める問題でもなく、挟んで良い物でもない。故に、リーシャは大臣が消えて行った闇を暫くの間睨んでいる事しか出来なかった。

 

「…………メルエ………ねむい…………」

 

「ん? そうだな。カミュ、宿へ向かおう」

 

 今までの会話に対し、別の意味で全く興味を示していなかった少女は、目を擦りながら、自身の身体の限界を訴え出た。緊迫した空気は一気に緩和され、月明かりのように優しい空気が流れ始める。サラも思考を中断し、柔らかな笑みを浮かべてメルエの手を取った。

 

 次の目的地は<スー>。

 あの場所に町を作りたいと考えた老人が口にした村。

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

第九章はもう一話あります。
そちらの方は、手書きで描き終わっていますので、早めに更新できると思います。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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