After La+ ジュピトリス・コンフリクト 作:放置アフロ
虹の向こうに男は渡っていった。
何もない白い世界。
いや、天地だけはあるらしい。膝を抱えて座り込む。
(ここが天国・・・・・・、いや地獄か)
男は人生の労苦を全て吐き出してしまうかのように、深く長くいつまでも嘆息した。
(疲れた。もう何もしたくない。ひどく眠い)
うつむいた男の隣に何かの気配が湧き起こる。鼻腔をくすぐる太陽の匂い。よく外で遊んで、日に干された金髪の匂い。
(アーンして、パパ)
小さなスプーン。
顔の前に差し出されるままそれを口にすると、とろっとした食感とトマトの酸味、バジルの香りが口中に広がった。
懐かしいダブリンの朝食。スクランブルエッグだった。
男の目に光るものがあった。
目線を上げると、蒼い瞳の娘の向こうには、美しい妻も佇んでいた。こちらへあの頃と変わらぬ微笑を投げかける。
(ずっと、パパのこと待ってたんだよ。これからはまた一緒でしょ? もうどこにも行かないでしょ?)
(あぁ、・・・・・・一緒だ。二度と離れないよ)
ようやく、空虚だったカールの胸は温かいものに満たされていくのを感じた。
(すまなかった)
その懺悔に妻は首を振った。
(あなた、おかえりなさい)
(・・・・・・ただいま)
*
(目を覚まして、マリア。
君を待っていた。君を、ずっと待っていた。さあ、起きて。
僕の妹。大切な妹、マリア)
名前を呼ぶ声が聞こえる。
新しくもらった名前。
そして、私を人間として認めてもらった名前。
その声に呼応するかのように、目をおおっていた白い霧がはれていき、視界がひらけた。
まぶしい。ここはどこだろう?
柔らかい風が肌をなでながら、駆け抜けている。身を起こすと、私は黄金色に輝く野原に倒れていたらしい。
遠くから甲高い歓声が聞こえてくる。向こうの丘の上で何人かの少女が戯れているようだ。
お互い飛びついてじゃれあったり、まるで飛行機のように腕を広げて走り回ったり。
(マリア・・・・・・)
聞き覚えのある声に振り向くと、金髪の青年が立っていた。
(グレミー・・・・・・)
彼は今まで見たことがない、穏やかで安らぎに満ちた表情をしていた。
(僕のことを、許してくれるだろうか?)
グレミーの優しさが私の心に流れ込んでくる。
昔、瀕死の私を看護してくれたあの人、セイラさんの言葉を思い出す。
『強くなりなさい。他人に優しくできるように。
そして、他人の優しさが受け入れられるように』
そうか。セイラさん、私は馬鹿だね。やっと、大人になれたような気がする。
今まで背伸びばっかりして、外面だけ、強く見せようとしていた。
「許すも許さないもないよ。だって、グレミーがいなかったら、きっと今の私はいないんだから。
グレミーは私にとって、・・・・・・家族、でしょ?」
彼の瞳が何か光っているように見えた。
(ありがとう)
短い礼を言うと、グレミーは背を向けた。
気が付くと、彼の視線の先に虹がかかっていた。
(さあ、もう時間だよ。みんな行こう)
(えー、もう行くのー? やだよぅ、グレミー)
(私、久しぶりにあったツー姉さんと、おしゃべりしたい)
(あっ、あたしも、あたしもー)
丘で遊んでいた姉妹たちがこちらへやってきて、思い思いに好きなことを言う。
そっか。グレミーはもう独りじゃないんだ。でも、きっと私のことも、きっとどこかで心配してくれて・・・・・・。
そう、今まで見ていたのは、彼の幻影。私の罪悪感が生み出した虚無に過ぎなかった。
誰かが私の袖を優しく引っ張っている。
(ねえ、ツー姉さんも、一緒に、来てくれる、かな?)
栗毛の少女が少し俯きながら、こちらを窺うように蒼い瞳を向けている。
そっか。この子たちと一緒に、虹の向こうへ行ってみるのも、悪くないかもしれない。
でも。
「ごめんね。私も行きたいけど、私のことを待ってくれてる人たちがいるんだ」
その言葉に少女は、さらに顔を俯け、栗毛の中に表情を隠した。
(でも、わたしも、ツー姉さんのこと待ってたよ。ずっと)
泣いているのかもしれない。それを見せまいとしているのかもしれない。
その時、その子の肩を優しく抱いてあげる人がいた。
長い栗毛。同じ瞳の色はしているけれど、それは深い母性に満ちている。
(スリー。姉さんを困らせないで)
(でも、でも、マリーダ、やっと会えたのに・・・・・・)
見上げた少女はやはり泣いていた。
そっか。この子が私のすぐ下の子なんだ。私は目線を合わせてしゃがみ、ぽろぽろ、と涙をこぼれ落とす少女を見た。
みんな同じ姿、声だけれど、よく見れば、みんな違う【色】をしてる。みんな、違う魂を持っている。
だからこそ、家族なんだ。
今の私には、スリーを精一杯抱きしめてあげることしかできない。でも、いつか、きっと。
グレミーと姉妹たちは、虹の向こうへ消えていった。
マリーダが最後まで残って見送った。
その彼女が私に笑いかける。
(いつか人は、肉体を持ったまま、虹の向こうへ行ける日が来るかもしれない)
「ロマンチストだな」
マリーダの気持ちに、私も微笑んだ。
「そんなあなたのことを、私は素敵だと思う」
(ありがとう、姉さん)
「礼を言うのはこっちだよ。虹の向こうに気付かせてくれた。
でも、マリーダ、私は・・・・・・」
不思議そうな顔をしてマリーダがこちらを見る。
「たとえ、解脱してそっちに行けるとしても、機械の力を借りて行けるとしても、私はもう逃げない。この生の苦しみを受け尽くして、肉体が限界を迎えてから行くことにするよ」
マリーダもにっこりと微笑んでいた。
(スリーはきっと、ずっと待ってくれますよ。他のみんなも、私も。
それに姉さん。生は苦しみだけではないことを、もう知っているでしょう?)
そして、マリーダは自身の下腹部に手をやる。
(喜びと共に。人生に幸多からんことを)
黄金の野を強い風が吹き抜け、それに乗ってマリーダは家族の元へと帰っていった。
*
《ダイニ・ガランシェール》ブリッジにて。ノーマルスーツのフラストとアレクは別の意味で戦っていた。
『こっちはもう弾がねぇ! 斧一丁だけだ』
『俺はその斧もねぇ。AMBACも50%を切った』
―なんてこった! ほとんど丸腰じゃねえか!?
アイバンとクワニからの無線を聞いた、フラストがレーザー通信で怒声を送る。
「そんなんじゃ敵のいい的になる。補給に戻れ!」
『大丈夫だ、まだ! それにベイリー少尉の《ゲルググ》が。キャノンもあるし』
『すまん。ジェネレーターが不安定だ。発射不能だ。ポンコツめっ!』
アイバンのセリフをベイリーが遮った。
「いいから、さっさと戻れ! お前らまでやられるぞ!」
『「まで」ってどういう意味だ、こらっ!? マリアはやられてねぇ! 爆発の前に脱出するとこを見た。ちんたらして、今頃来やがって。このMっ禿げがっ!!』
「なんだと、この野郎! テメー、上官に向かって」
『こんな時だけ、上官面してんじゃねーぞ、ボケっ!』
アイバンもフラストも普段の様子からは考えられない喧嘩腰、というよりほとんど怒鳴り合いであった。何かに怒っていなければ、二人とも精神を保っていられないような焦りを感じていた。
「うるさいぞっ! 《ジュピトリス》はどうなった?」
キャプテン・シートを一喝したアレクが短く無線に問う。
『この宙域を離脱するようだ。モビルスーツは、もう出てこな・・・・・・
いやっ!』
ベイリーの鋭い声に、ブリッジの雰囲気が張り詰めたものに変わる。
《ゲルググキャノン》の全天周モニター下方。《ジュピトリスⅡ》から、3機のMSが、夜空に上がる花火のように、スラスター光を見せる。放射状にMSは展開していった。
『ジム系、3!』
―3機も! おっとり刀で今頃出してきやがって!
フラストは歯噛みする。
(最初から数に頼んで囲んでいれば、《ZZ》だって圧倒できたかもしれないのに。まして、敵を墜としてから、出てくるとは)
《ジュピトリスⅡ》の無能な指揮官に、恨み言のひとつも言いたいフラストである。
(あいつは何のために、あの船に戻ったっていうんだ!
畜生、こんなんじゃ、お前が死んじまったら、俺は何のために、・・・・・・)
何のために、火星に送り届けたのか?
何のために、点心を食わしてやったのか?
何のために、仲間として認めてやったのか?
「おいっ、フラスト!」
自問の堂々巡りは、アレクの短い呼びかけに打ち砕かれ、フラストは現実に戻る。
「クワニは帰還させる。少尉が連中と交渉に行く」
ブリッジ正面上部のモニターを見れば、《ゲルググキャノン》のシルエットが最大望遠でも豆粒のようになっていた。遠ざかるそれは、両マニピュレータを上に挙げ、攻撃の意思がないように示しているようだった。
「アイバンは少尉を補佐しながら、もう、捜索をしている」
続くアレクの言葉。キャプテン・シートを振り返らず、航空士席のモニターをにらみながらのそれは、わずかにフラストを非難しているような響きを含んでいた。
(そうだ。俺だって、こんなとこで呆けていられねぇ。やれることをやらなきゃならねぇ)
思い出したかのように、フラストはヘルメットの無線を艦内に切り替えた。
「俺だ。フラストだ。全員に伝える。
360度全天捜索。マリアの脱出ポッドを探せ! クソをしている間もねぇぞ!」
*
脱出直後に起きた反応炉の暴走とハイメガキャノンの誘爆は、激しい衝撃波を引き起こし、脱出ポッドは大洋の荒波に揉まれる一葉となった。
そして、気を失っていた私の肩を誰かがゆすっている。なんとなく、小さい手のような気がする。しゃくり上げる嗚咽も聞こえる。
私は瞳を開けた。
でも、そこはまだ黒い幕がかかっているかのように、何も見えなかった。
(やっぱり、そうか)
肉体の喪失感に私は、わずかに奥歯を噛み締めた。
しかし、
「お姉ちゃ・・・・・・、しっかりし・・・・・・。起き・・・・・・」
泣きべそのエイダがむしろ、私に勇気を、力を与えてくれているようだった。
手探りでその感触を見つけると、引き寄せ抱きしめてやった。
「大丈夫。生きてるよ」
目は見えずとも、少女の喜ぶ様子がノーマルスーツを通して分かった。
しかし、その頃には苦痛が知覚されていった。他の器官にも大分、悪影響が出ているようだ。
鼻の奥の出血はいよいよ酷く、まったく役に立たない。
苦しく口呼吸するが、感触が変だ。歯茎からも大量に出血していた。
エイダの言葉がよく聞き取れないのは、彼女がベソをかいているからだけではあるまい。
「エイダ、よく聞いて」
私は彼女のヘルメットを探り当てると、自分のそれに直接接触させて回線感度を上げる。
「コクピットにエアがちゃんと入ってて、漏れてないか確かめて。
それができたら、救急キットを探して」
やがて、確認を済ませサバイバルキットを探し当てたエイダが、「平気だよ。あったよ」と声をかける。
あれだけの衝撃波と撒き散らされたMSの装甲片の中で、ポッドに深刻な空気漏れを起こさせるほどのダメージが無かったことは、よほどの幸運か、神の気まぐれとしか言いようが無い。
私は大きく深呼吸し、その胸が膨らむのを感じた。意を決して、バイザーを上げる。
エイダが私の顔を見たのだろう。
「あ、ぁぁ。お姉ちゃん、ごめ、んなさい。ひっ」
やがて、それは息を吸うような子供らしい嗚咽に変わる。
私は幾度となく、声をかけ安心させようするが、まだ上手く感情をコントロールできない少女はいつまでも泣き続けた。
半ば諦め、右手で少女を抱き、左手で受け取ったウェットティッシュで私は顔を拭った。
(きっと、血でとんでもなく汚れてるだろうな。でも拭けば綺麗にすることができる。
消せない汚れは、アンジェロと一緒に支えあっていくことができる。希望の光と一緒に)
私は手をそこへやろうとして、・・・・・・
『お前の光を奪ってやった!』
最後の黒い思惟を思い出し、鳥肌が立った。
背中に氷の塊を突っ込まれたかのような感覚。
(そうだ。あの時、撃たれた)
胃の上辺りまで降りていた手が震えて止まる。
私は意識を下腹部へ向けた。目では見えない。
しかし、そこにある小さな光は、確実に、少しずつ、
しぼんでいった。
(ああ、また)
哀しみというよりは、もう落胆だった。
(マリーダ、アンジェロ、ごめん。ダメだったよ。また、盗られちゃったよ)
諦めかもしれない。
(ごめんね。こんな私の体に宿ったばっかりに……)
私は名を与えられる前に消えようとするその命をせめて、慰めてやろうと手をやった。
果たして、そこには銃創のどろりとした血の感触が、
しなかった。痛みもない。
(ど、どうして?)
私は慌てて、光の周辺をまさぐる。そこには腰に巻いたポーチがあるだけで、他には何も感じられない。
そうしている内にも、その光はどんどんと、小さくなっていった。
柔らかい金色の光。それは湖面に反射する太陽のようにきらめいていた。
そして、私は唐突に思い出す。
「エ、エイダっ! 私のポーチを開けて。早くっ」
声が上ずる。
驚いた様子の少女が素早くポーチを開け、中の品物を取り出し私に手渡す。
「これ、分かるよ。わたしにも」
エイダにも見えている、感じているらしい。
それは、私の13歳の誕生日プレゼント。
壊れたペンダントウォッチ。
ちょうど真ん中の五芒星に弾着し、マッシュルーム化した銃弾がめり込み、蓋が開かなくなっていた。
そして、ひしゃげた隙間、一筋の金色の輝きから、彼女のもっとも強い想いが心に入ってきた。
(ああ、キアーラ・・・・・・)
頬をバラ色に染め、うつむき加減に少し恥ずかしそうに。
しかし、大切な人に想いを伝える少女。
(そこに私の髪の毛が入っているの。あなたのことをずっと守るように息を吹きかけておいたから・・・・・・)
そう、彼女はずっと守っていた。
死してなお現世に残る彼女の思惟が、マリアとエイダ、そしてこれから生まれいずる小さな命を守ったのだった。
こらえようとしても私の口からは嗚咽がこぼれ、蒼い瞳から涙は止めどなくあふれる。
きっとあなたはもう虹の向こう側へ行ってしまった。
私には震える手で壊れたペンダントウォッチを握り締め、胸に抱くことしかできない。
(ごめんね、キア。私、あなたのこと全然知らなかった。知ろうとしてなかった。
私のこと、こんなにも大切に想って。最後まで守ってくれたんだね。
あなたのこと、忘れない。ありがとう。
だから今はもう、・・・・・・おやすみ)
私はそっと瞳を閉じた。
いく百、いく万、いく億の星たち。
そのやさしい光が虚空に漂う脱出ポッドをただ照らしていた。
After La+ ジュピトリス・コンフリクト ~完~