After La+ ジュピトリス・コンフリクト   作:放置アフロ

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光の鼓動

 深夜の応接室は照明も薄暗く落としていた。

 その薄闇の中でソファに座るキアーラは深く息を吐く。向かいのさすがにベイリーも疲れた様子だ。

 

「イリア・パゾム。油断できませんね」

 

 小さく独り言のようにキアーラがつぶやく。

 

「パイロットとしても、策略家としても、腕が立ちます。自分は人づてに聞いただけでしたが、今日会って只者ではないと確信しました」

 

 相槌をうちながら、ベイリーが応える。

 

「ですが、今日はキアーラ様ももうお疲れでしょう。心配ごとは数多くありましょうが、とにかく今はお休みになりましょう」

「そうですね」

 

 キアーラが、ふっ、と笑う。キアーラは聖書の一節を思い出した。

 

「『明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む』と。だからもう寝ましょうか」

「もう『明日』になりましたしね。日付が変わって大分経ちます」

 

 そう言ったベイリーの言葉にふたりは顔を合わせて、微笑んだ。

 キアーラはソファを立ち、自室に戻ろうと扉の方へ目をやった。

 彼女は異変に気が付いた。

 扉が半開きの状態になっている。人が横向きで入れるぐらいに。侍女がティーセットのワゴンを仕舞いに出たときに閉め忘れたのだろうか。そんなはずが無い。

 その時、いつの間にいたのか。部屋の隅に立つ人影が動いた。

 

「ーー!ベ・・・」

 

 キアーラが危険の声を発する間もなく、人影の腕が真っ直ぐ上がっていき、それに背を向けたベイリーと一直線上になったとき、その手から閃光と銃声が発した。

 背中の正中線に被弾したベイリーは声も無く、倒れた。

 

「しょ、少尉!しっかり・・・」

 

 うつ伏せのベイリーはぴくりとも動かず、彼の元に屈んだキアーラの瞳には軍服の背の真ん中に開いた銃痕がやけにはっきりと映った。

 ベイリーを撃った人影が硬い足音を響かせて、彼女に迫った。

 

「イリア・パゾム・・・」

 

 キアーラの予想通り、そこにはイリアが無表情に見下ろしていた。

 

「なぜ・・・」

 

 イリアを問い詰めようとするキアーラだったが、その瞳は恐怖に震え、それ以上は続かなかった。

 

「理由などどうでもいいのです」

 

 相変わらず、無表情のままイリアが続ける。

 

「『明日のことまで思い悩むな』、なぜなら今日ここで死ぬのだから。ご安心ください。あなたはやっと光の中を歩むことができる。

 暗殺されたミネバ・ザビとして」

 

 イリアは続けざまにトリガーを絞った。

 弾丸のひとつが右肺を貫通し、またひとつが背骨を傷付け、最後のひとつが首を掠めていった。

 ソファに崩れ落ちたキアーラは口から血を吐きながら、断末魔の苦しみに手足をもがいた。

 初めて、イリアは動揺した。

 

(なぜ、外した!?)

 

 心臓を狙ったはずなのに。

 改めて、彼女に狙いを定めようと拳銃を構え直したとき、室外、廊下から銃声を聞きつけた声と足音が近づいてきた。

 

「ちっ!」

 

 ひとつ、舌打ちしてイリアはこの場から逃げることを決めた。

 

(私としたことが・・・。血筋とはいえ、・・・

 あんな小娘の中に、あのお方を感じてしまうとは)

 

 廊下を走りながらイリアは、ぎりり、と奥歯を噛み締め、苦い思いを振り払った。

 彼女は、キアーラの顔にキアーラ自身でも、ミネバ・ザビでもなく、かつての主ハマーン・カーンの面影を見出してしまった。

 

 

 マリア、フラスト、アレクの3人と、ベイリーの部下の兵長、侍女の2人が応接室に駆けつけたのは、ほぼ同時だった。

 応接室前の廊下ではち合わせた両者は、

 

「何者だッ!!銃を捨てろ!!」

 

 兵長とアレクがお互いの拳銃を突き合わせた。アレクは無言だが、その巨躯と表情から発せられる圧力は兵長のセリフと拮抗するものだ。

 

「ま、待て!落ち着け」

 

 まだ脚がおぼつかないマリアを横抱きに抱えたまま、フラストが兵長に声を掛ける。

 その時、いち早く部屋に入っていた侍女が、絹を裂くような悲鳴を上げた。あまりの凄まじさに思わず、その場にいた全員の視線はそちらへ奪われることになった。

 ソファに倒れたキアーラが赤いジオンの軍服を自分の血で黒く染めていた。

 

「ああぁぁ・・・、キアーラ様、なんで、どうすれば・・・」

 

 顔面を蒼白にして今にも倒れそうな侍女の様子に、フラストは意を決した。

 

「マリア、悪いな。しっかりしろよ」

 

 一声かけ、彼女を床に下ろすと、応接室の中へと踏み込んで行った。

 

「貴様ぁ!!何を・・・」

 

 銃口をフラストへ移す兵長の前を、アレクが遮った。

 パーァン。

 乾いた音が響いた。

 フラストが侍女の頬を張ったのだった。

 

「しっかりしろ!!傷口を強く手で押さえるんだ。これを太股に刺せ。大丈夫だ、死なないから!!」

 

 フラストがモルヒネの注射を渡し、侍女はよろよろとキアーラの元へと向かった。

 

「お前は医者か衛生兵を連れてこい。早くしろッ!!」

 

 命令され迷った顔の兵長はフラストを見て、次にキアーラの方へ目を移し、意を決して医務室へと走り出した。

 

「おい、フラスト」

 

 マリアの肩を支えてやりながら入室したアレクは指差した。フラストがそちらを見ると、キアーラが倒れたソファの向かいに別の軍人がひとり倒れていた。

 フラストが介抱にしゃがむ。軍服の背中に弾痕があったが、不思議と出血の様子は無い。思い切って、体を裏返し、仰向けにさせる。

 

「うっ・・・」

「お前は・・・ベイリー」

 

 うめき声を上げた男にフラストは見覚えがあった。先日、補給物資を届けたときに対応した少尉だった。

 上着を脱がしてやると、その下に着込んでいた防弾シャツが目に入る。

 

「おい、しっかりしろ!」

 

 何度か頬を張ると、ベイリーは意識を取り戻した。

 

「・・・お、お前は・・・!?」

「《ガランシェール》のフラストだよ。味方かどうかは分からねぇが、少なくとも敵じゃねぇよ」

「そ、そうか・・・、それよりキアーラ様は・・・」

 

 ぐっ、とフラストの顔付きが渋いものになる。

 

「ま、まさか・・・」

 

 ベイリーはまだ力がはっきりと出ない腕で必死に上体を起こし、そこで彼女の惨状を目の当たりにした。

 

「おおぉ、なんという・・・」

 

 這うように、キアーラの元へ行き、彼の口から苦悶の声が漏れた。

 

「キア・・・どうして・・・」

 

 アレクに支えながら、マリアもキアーラのそばへと向かった。

 モルヒネが効いてきたキアーラは幾分落ち着いた様子だったが、彼女の姿を見たフラストは、

 

(もうダメだな・・・)

 

 すでに死相が現れ始めていた。全身の肌に血の気が無く、唇、手足は紫色。とろんとした焦点の合わない目は、壊れた蛇口のように涙がこぼれ落ちていた。

 そのエメラルドグリーンの瞳が、フラストに怒りと憤りを新たにした。

 

「キア・・・帰ろう、《ジュピトリス》に。みんな待ってる。BBも、カールも、ウドさんも・・・」

 

 マリアは自分が涙を流していることに気が付かなかった。屈み込んだ彼女はキアーラの手を取る。

 

「マ、リィ・・・?本当に?・・・夢じゃないんだ・・・ね。来てくれた」

 

 しかし、キアーラはすでにマリアの顔を見ていなかった。

 

「ああ、もう・・・目が・・・見えない。あなたの・・・顔が・・・見えない」

 

 マリアは強く彼女の手を握った。

 しかし、キアーラの手はどんどんと冷たくなっていった。

 

「ああ!!キア、行くな!」

「あなた、の・・・声を聞けて良かった・・・」

 

 微かに、キアーラがその手を握り返した。

 そして、彼女の思惟が流れ込んできた。

 

 

(伝えたいことがあるの)

 

 

 私は長く暗い穴の中を落ちていくような感覚に捉われた。その出口に光が広がっていた。

 それは彼女の原始の記憶だった。

 気が付くと私は思念体として、その部屋の一角にたたずんでいた。貴族の屋敷の一室のようだった。扉、壁、調度品、すべてが洗練されていた。

 その部屋の中央に、大人3人が悠に横になれるような巨大な天蓋付きベッドが置かれていた。

 ベッドの端に腰掛け、美しく若い女性が赤ん坊を抱きあやしていた。

 その隣に腰かけた大柄な男性を私は知識として知っていた。

 大柄というより、巨漢だろう。その男はベッドに腰かけてなお大きかった。筋骨隆々の肉体、顔に刻まれた深い傷跡、ジオン軍服の肩から伸びたスパイク状の棘。

 

(この人知ってる。ドズル・ザビ)

 

 私にとっては研究所の資料で見た歴史上の人物の一人でしかなかった。

 赤ん坊を抱いた女性は知らなかった。だが、なにか見覚えというか、

 

(誰かに似ている・・・?)

 

 淡い赤毛、先尖りの顎の輪郭。

 私を不安にさせるその面影に反して、その女性はとても柔和な母の顔をしていた。

 

「すまんな、マレーネ。苦労を掛ける」

「閣下が気に病まれることではありませんよ」

 

 心底申し訳そうなドズルに、その女性、マレーネが深い慈愛に満ちた笑顔で答える。

 

「ふたりだけの時に閣下はやめろ。

 正妻でないとはいえ、その子もこの俺の子であることには違いないのだ。いずれ名家に嫁がせて・・・」

「そのような先のことまでお考えで」

 

 ころころと鈴を転がすような声で、マレーネが微笑んだ。

 

「無論だ」

 

 ドズルがその巨大な胸をさらに大きく逸らして力説した。

 

「俺も妾の子ゆえ、冷たい扱いを受けたことも、ままある。

 この子にはそんな思いはさせたくない」

「それでしたら、・・・」

 

 マレーネが赤ん坊をドズルへと優しく抱き渡した。

 

「今はただこの子を愛してやってくださいませ」

 

 その時、私はその赤ん坊の波動を感じた。

 母親譲りの淡く赤い髪。灰がかった黒目。私が知っているキアーラと容姿は異なるがその子は、

 

(間違いないキアだ・・・。それじゃ、キアはドズル・ザビとこの女の人の間の・・・)

 

 

 そこで場面が移り変わり、私の意識は螺旋を描いたトンネルを通って、違う時空に飛ばされた。

 有機プラスティックの窓の向こうに暗い銀河が広がっていた。広い展望室だった。

 

(知っている。私はここに来たことがある・・・)

 

 私は記憶の奥底をさらうようにして、思い出そうとしていた。

 

(ここは・・・アクシズの展望室だ。そして、私は研究室から出されて・・・)

 

 目を落とし、床を見つめていた私は突如、前方から湧き上がったプレッシャーに背筋が凍る思いがした。

 かつて彼女に謁見されたときに感じた、押し潰されんばかりのプレッシャー。

 忘れえぬその人がいた。

 その女性は窓から広がる星のきらめきを眺めているのだろうか。しかし、その後ろ姿だけで私は分かる。

 淡い赤毛。イチョウの葉のような末広がりのヘアー・スタイル。タイトな黒のワンピース。

 呼吸が早く、荒くなる。頭では、これは現実でない、他人の記憶の中だと理解していても、指先が震えてくる。膝に力が入らない。

 後ろから軽い足音を響かせて、何かが近づいてきた。それは私の思念体をすり抜けて、その女性の元へ走り寄っていった。オレンジがかった栗毛の幼児体型の少女。

 見覚えがあった。

 

(ダメだ!その人は危ないんだ!!)

 

 私はその子供に危険を叫ぼうとしたが、少女の方が早かった。

 少女はその女性の腰に抱きつきながら、

 

「ハマーンさまぁ!!」

 

 うれしそうな声を上げた。

 振り返ったその女性、ハマーン・カーンはにっこり微笑んで子供に応えた。それは私が知らないハマーン・カーンだった。

 

「こんな処にいたのか。ハマーン様にご迷惑をかけてはダメだ」

 

 その声に私は後ろを振り返ると、見覚えのある年老いた禿頭の研究員と、手をつないだ少女が目に入った。

 

(そうか、これは私で・・・)

 

 私は研究員に手をつながれた、幾分落ち着きのある少女を見やり、

 

(あっちはプル姉さんか)

 

 ハマーンに頭を撫でられ、喜ぶ少女を見た。

 

「さぁ、二人とも戻るんだ」

 

 研究員に促され、二人は元来た道へと戻って行った。

 幼児の姉が口を尖らせ、次には頬を膨らませている表情が私にはおかしかった。

 展望室の入り口で振り返ると、

 

「ハマーンさま、また遊んでください」

 

 プル姉さんが手を振った。

 それを見送るハマーンの顔に慈しみがあったことが、私には意外でならなかった。

 

(あのハマーンがこんな顔をする・・・)

 

 研究員にも言う。

 

「たまには研究室から出しなさい。それでなくては、人としての心が育つまい。

 人工ニュータイプとはいえ、機械ではないのだからな」

 

 やがて、その研究員も一礼し退室すると、そこはまたハマーンと私の思念体だけとなった。

 どれほど、星を眺めていただろうか。

 こつこつと床を打つ物音に私は振り返った。

 小柄な人影が杖にすがるように、展望室の入り口に立っていた。うつむいたその表情はうかがい知れない。

 ハマーンもその人影に気が付くと、

 

「キアーラっ!!」

 

 うわずった声を上げ、その人影、キアーラに駆け寄った。

 驚いた私も彼らの元へ近づく。そして、息を飲んだ。

 子供の私よりも少し幼いキアーラは髪の右半分は金色に輝き、左半分はハマーンと同様の赤毛だった。

 染めたような色ではなく、どちらも自然な色だったことが、むしろ私には『不自然』に感じられた。

 

「おばさま・・・」

 

 呟きながら、顔を上げたキアーラを見て私はさらに驚愕した。右の瞳はエメラルドグリーンで、左は灰がかった黒。虹彩異色症の目だった。

 

「まだ手術の経過がよくないのだろう?お部屋で休んでいなさい」

 

 ハマーンの口調は年の離れた妹を気遣う姉のそれであった。

 

「お星さまを見てると、気分がよくなるから」

 

 ハマーンはそう言うキアーラをうれしいような、哀れむような複雑な表情で見ると、杖を持たぬ方の手を支えて、窓際へ連れてきてやった。

 二人そろって星を眺める。

 おもむろに、ハマーンがキアーラの小さな肩に手を置き、身を寄せた。

 

「お前の体のこと、すまないと思っている」

 

 キアーラが首を振る。

 

「いいのです。私もカーンの家に生まれた子です。死ぬまでザビ家に尽くします」

「マレーネ姉と同じ道を行くか・・・」

 

 ハマーンが何か苦いものを噛み潰したような顔になる。

 

「お前の母はザビ家に尽くし、宇宙の果てで死んでいった」

 

 キアーラがハマーンの手を強く握り返す。ハマーンの口調は強くなっていった。

 

「しかし、我らは死ぬものか。

 キアーラ。すぐにお前の姿はミネバ様の生き写しと変わろう。

 だがな、お前がミネバ様の影となって尽くす身になったとしても、いつかお前が光の中を歩む日が必ず来る!

 そう。・・・たとえ、私が主殺しの汚名を着ようともそうさせてみせようとも!」

 

 その意味は分からぬとも、含んでいる不穏な響きにキアーラは不安に恐れ見上げる。

 

「おばさま、何をしようというのです?」

 

 ハマーンは無表情に虚空を見つめていた。

 

「今は分からずとも良い。

 だがな、私をおばと呼ぶのは今日限りだ。これよりお前はミネバ様の影として生き、私はお前を導く摂政に徹せねばならぬ。

 辛く厳しき道だが、これもジオン再興のため。許してほしい」

 

 広い銀河で小さく寄り添うその二人の姿は私にはひどく寂しく見えた。

 

 

 そして、私の思念は上へ上へと現実に引き戻されて行った。

 

 

 私は強くキアーラの手を握ったが、彼女はもうその手を握り返すだけの力も残っていなかった。その顔はすべての血液を失ったかのように紙の色をしていた。

 

「ミネバ・ラオ・ザビ、・・・キアーラ・ドルチェ、どれが本当の私なの・・・」

 

 何も映さなくなった瞳でキアーラが呟く。

 

「あぁ・・・、マリィ・・・、私を・・・、見て・・・」

「見てるよ、キア。

 ・・・・・・キア?」

 

 涙で歪んだ視界の向こう、キアーラの呼吸と鼓動が止まっていた。

 

 

「ーーー!」

 

 私はキアーラの頭を胸に抱き、必死にこらえた。

 

「う、・・・う・・・・・・」

 

 それでも食いしばった歯の隙間から水滴がこぼれ落ちてしまうように嗚咽が漏れた。

 侍女が泣き崩れ、ベイリーが床を叩き拳を固めた。アレクとフラストの二人は絶望と怒りに顔を歪めた。

 その時、大きな爆発音が屋敷を揺らし、連続的な銃声が続いた。拳銃の乾いた音とは異なる、ライフルの野太い銃声だった。

 ベイリーの部下の兵長が息せき切って、部屋に駆け込む。

 

「【木星ジオン】が襲撃を!この屋敷も焼夷弾で燃えています。早く避難を!!」

 

 拳を固めたままベイリーが立ち上がった。

 

「イリア・パゾム、許さんぞ!!」

 

 言いつつ、廊下へ向かう。付いて行こうとする兵長を制し、

 

「お前は彼らを脱出させろ」

「少尉はっ!?」

「私は《ゲルググ》で出る」

 

 敬礼し兵長はベイリーの後ろ姿を見送った。

 

 

 硬い軍靴の足音が壁に反響する。石作りの廊下をベイリーは駆ける。この総督府の地下深くはMS格納庫になっていた。

 

(盾になるべき私が生き延び、キアーラ様が天に召されるなど・・・)

 

 後悔ここに極まれり、といった表情のベイリーはただひたすら走りに走った。

 

(いや、まだだ。まだ終わらん!このままでは終われん!!武士道とは死ぬことと見つけたり。下郎ども思い知らせてやる!!)

 

 ベイリーは決意を新たに強くした。

 

 

「火はすぐ階下に迫っている。下への脱出は無理だ」

 

 兵長が言っているそばから、床の隙間から次々と煙が天井に上っていった。

 

「上に逃げるしかないか」

 

 フラストが応える。

 

「よし!アレク、マリア、行くぞ・・・。何してる?」

 

 見ると、マリアはキアーラの亡骸を抱えて、床に座り込んでいた。キアーラの頭を抱きかかえて俯き、表情は分からない。

 フラストはずかずかとマリアに近づき、彼女の栗毛を掴むと、乱暴に引き上げた。無表情の顔が露わになる。

 フラストは先ほど侍女にやったようにマリアの頬を張った。しかし、その表情はまるで変わらなかった。

 

「死んだ奴のことは諦めろ」

「いやだ!」

 

 ガツッ。

 フラストは今度は甲の方で、マリアの頬を殴った。さすがに、衝撃で床に倒れる。殴ったフラスト自身にも拳の傷の痛みが跳ね返ってきた。しかし、激情でそれを抑える。

 

「いい加減にしろ!!このままだとお前も死ぬぞ!!」

「死んでもいい!ここにいる!キアのそばにいる!!」

 

 マリアはキアーラと引き離されないように彼女の上に覆いかぶさった。

 

「この!!分からず屋・・・」

 

 フラストは拳を振り上げた。

 だが、それが振り下ろされることはなかった。アレクがフラストの腕を掴み、その首を横に振った。アレクが腕を離すと、フラストはやり場のない拳を力なく下ろした。

 ふと、壁を見やったアレクは一角にジオンの大きな国旗がかけられていることに気付いた。すぐにそれを引き剥がすと、キアーラをかばうマリアの元へ持っていき跪いた。

 彼女の背に、アレクは大きな手のひらを載せる。びくりと背が一瞬震えたが、それで十分だった。彼女に自分の意志が伝えられたはずだった。

 何も言わずとも、すぐにマリアは横にどき、アレクがジオンの旗でキアーラの亡骸を包んでやった。

 小さく気合を入れると、彼女の亡骸をアレクは軽々と背負った。

 

「行こう」

 

 

 キアーラを背負ったアレク、マリアの手を引いたフラスト、兵長と侍女。5人はスペースボート発着場を兼ねた屋上へ避難した。

 マリアの手を離すと、フラストは上着から無線機を取り出し送信ボタンを押す。

 

「こちらフラスト。聞こえるか《ダイニ・ガランシェール》!応答しろ!」

 

 しかし、無線機は虚しく雑音を伝えるのみだ。

 

「くそっ!連中、ミノフスキー粒子をまきやがったな」

 

 フラストがまわりを見ると、立ち昇る煙の勢いが増していた。アレクも侍女も口に腕やハンカチを当てて何とか耐えているという様子だ。

 

(やべぇ。このままじゃマジで焼け死ぬぞ)

 

 マリアはそんな状況も意に介さず、アレクが下ろしたキアーラの亡骸のそばに張り付いていた。

 屋上から戦火がホルストの街の暗闇に広がっているのが見えた。

 

「ぐっ、あいつら!このコロニーを焼き尽くすつもりか」

 

 煙に咳き込みながら、手すりを強く握り締めた兵長が歯噛みする。

 彼の視線の先に燃える歓楽街があった。

 

 

 ネオンの電飾の明かりに照らされていた街は、今や紅蓮の炎に焼かれようとしていた。

 表通りは阿鼻叫喚の騒ぎだったが、アンジェロ・ザウパーが座り込む路地裏は相変わらずの静けさだった。時折、通りから流れ込む炎の揺らめきが無気力な彼の横顔を照らし出していた。

 今の彼にとって、人の生も死も、争いも、何もかもが興味の対象でなかった。

 その彼の前に緑の光が集まり出した。初め小さな光の泡ともいうべき微細なものでしかなかったそれは、すぐに寄り集まり集合体を形成し、彼の前に人の姿をもって現れた。

 エメラルドグリーンの優しい緑の光だった。

 

 

(私の大切な人を助けてください)

 

 なぜ自分がそんなことをしなくてはならないのか。私の大切な人、大佐は行ってしまわれた。これ以上、世界に何の意味がある。

 

(あなたがいて世界はある。世界があるからあなたがいる。それは残酷なほど等しいのです)

 

 それは詭弁だ。実際には、死ぬ奴、生き残る奴、豊かな奴、貧しい奴、めちゃくちゃじゃないか!?

 

(そう思う、あなたの気持ちは正しい。そして、その気持ちがまだあなたを生かしている)

 

 違う!!私は惰性で生きているに過ぎない。こんな生に意味などない。

 

(では、なぜあなたはあの時、死ななかったのです?)

 

 そう、あの時、わたしはなぜ死ななかったのだろう?大佐の死を受け入れたときに。

 

(あなたはまだ『可能性』を捨てきれずにいる)

 

 可能性だと!?何だというのだ?大佐が存命している可能性か?馬鹿にするな!!

 

(いいえ。自分の内に秘める可能性。そして、この世界が持つ可能性。それをあなたは捨てきれない。でも信じることもできない)

 

 だって、・・・だってまた裏切られるかもしれないじゃないか。悪い結果や事実しかないかもしれないじゃないか。

 

(そうね。でも、そうではないかもしれない。人はね、みんなそうやって希望をもって生きてきた。くじけたとしても、何度でも立ち上がる心)

 

 そうやって、私を惑わしてぼろぼろにしてきただろう、お前たちは!醜い甘言を囁きながら、私から奪うだけ奪い、何もしようとしないで!

 

(そうね。無責任だよね。ごめんね。さびしかったよね)

 

 僕を・・・ひとりにしておいて、皆勝手に、どこかへ行ってしまうんだ・・・。

 

(人はひとりじゃ生きていけないんだよね。だから、今は私が一緒にいるから)

 

 ・・・かあ、さん・・・?

 

 

 その優しく肌を撫でるような感触は、アンジェロの記憶の奥底に眠っていた昔の母のようであった。

 

(なんなんだ・・・)

 

 アンジェロは自分の体に熱いものが湧き上がってくることが苛立たしかった。腹立たしかった。

 

(もういいんだ。こんな世界いらない。何もしたくない。死んでもいい。なのに・・・)

 

 膝に力がみなぎり立ち上がった。

 

(なぜ胸がこんなに高鳴るんだ)

 

 そして、路地の闇へと飛び去ろうとする、緑の光を追いかけた。

 

 

 ホルストの倉庫街。

 《キュベレイMkーⅡ改》を隠した倉庫を見張っていた《ダイニ・ガランシェール》のクルー、タダシは地下から小さく響いてくる銃声や爆発音に気が気ではなかった。

 だが、続く大音量で近くの倉庫が内部から破壊されたことには、心臓が止まるほど驚いた。しかも、4個の倉庫がである。

 それぞれからMSが飛びたち、1機は港へ、残る3機は市街ブロックへ通じる巨大エレベーターの方へ向かった。

 暗くて機種の確認もできなかったが、

 

(とりあえず、船に知らせないと!)

 

 しかし、手にした無線はミノフスキー粒子の影響でまったく役に立たなくなっていた。

 

(やべぇ、やべぇよ、コレ)

 

 実戦経験の浅い、ラプラス戦争後のクルーであるタダシは気が動転し、そこらを犬のようにぐるぐる回るだけで何も考えが思いつかなかった。

 

(もう逃げるしかないよ!)

 

 尻尾を巻いた犬のように《ダイニ・ガランシェール》へ逃げ帰った。

 

 

 そして、誰もいなくなったその倉庫の前にアンジェロは到達した。

 緑の光はさらに倉庫の中へ入っていったようだった。アンジェロも後を追う。

 暗い倉庫の中に沈むような濃紺のMSは尻もちを付くような姿勢で潜んでいた。

 

「これは《キュベレイ》か・・・?」

 

 だが、アンジェロには全景が見えなくとも、その特徴的なシルエットと頭部形状からそれが《キュベレイ》であることを見抜いた。

 

「なぜ、ここにこんなものが・・・」

 

 緑の光が《キュベレイ》のコックピットが収まる胸部の前できらめいていた。

 

「乗れということか・・・。

 フン!やってやろう。せいぜい利用されてやる」

 

 アンジェロの心中はどうにでもなれという投げやりな気持ちと、何かを成し遂げようという気持ちが半々であった。

 

(しかし、私に使えるか・・・)

 

 コクピットハッチを開き、リニア・シートにその身を収めながら、アンジェロは独り言を呟く。

 

「そもそも、起動手順が・・・」

 

 その疑問に呼応するかのように、緑の光がコンソールパネルのそこかしこを順々に指し示していった。

 

「はっ、お前は天使なのか、それとも悪魔が私を地獄へ連れて行こうというのか」

 

 やがて、《キュベレイ》の熱核反応炉に火が灯り、頭部のデュアルアイ・センサーが不気味に光る。

 立ち上がった《キュベレイ》は右マニピュレータを頭上に伸ばすと、袖口に装備されたビームサーベルを形成する。

 通常のそれと異なり、三つ叉に形成されたそれが天井を貫通する。ひねると、いとも簡単に天井が円形に抉り取られ、分断された鉄骨の破片が《キュベレイ》の装甲に当たって不協和音を鳴らす。

 頭上の障害物を取り除くとビームサーベルを格納し、アンジェロはフットペダルを踏み込み倉庫上に《キュベレイ》をホバリングさせる。軽く踏んだだけで、この機体が以前の搭乗機と比べてすさまじい大推力、機動力を誇るMSなのだとアンジェロは実感した。

 

「さて、どこへ行く?どうすればいい?」

 

 そう呟くと、緑の光がまたきらめき、全天周モニターのある一角を指し示した。

 

「搬入エレベーターか。こいつをコロニーの中で戦わせるつもりか?」

 

 

(私があなたを導きます。大丈夫、巻き添えはできる限り減らします)

 

 

「赤の他人の死にいちいち動揺するほど私はヤワじゃない!」

 

 アンジェロは《キュベレイ》を前傾させると、フットペダルを踏み込んだ。地下コロニーの低い天井すれすれを《キュベレイ》が高速に擦過していった。

 

 

 




あとがき

 一時、メインタイトルを『ミネバ暗殺計画』にしようか思いましたが、結局最初から考えていた今のタイトルにしました。
 話全体の趣旨が暗殺計画ではないので。
 明日はようやく、MS戦闘描写。文字数減ります。


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