コーネリアが我関せずを通していた傍ら、インデックスという少女を巡る物語は幕を下ろした。その解決の過程は確かに正史とはやや掛け離れたものとなってしまっていたが、結果は変わらず、インデックスという少女を救う代わりに上条当麻という少年の記憶が消滅した――という形で落ち着いていた。
そんな物語の序章が終わってから約一ヶ月後の八月二十八日。
コーネリア=バードウェイはイギリスのロンドンにいた。
「…………帰りてえ、激しく帰りてえ」
炎天下のロンドンはランベス区。約三十万人が暮らすこの特別区はロンドンの中央付近にあり、新しさと古さが混在する観光地としてそこそこ有名だったりする。
そんなランベス区に何故コーネリアがいるのかというと、それは彼の実妹――レイヴィニア=バードウェイが彼に里帰りを強制もとい要求してきたからだ。本当は夏休みの間ぐらいは学園都市に籠ろうと思っていたのだが、さすがにあの無敵の妹を前にしては拒否の姿勢を見せることはできなかったため、こうして渋々ながらにイギリスへと帰国してきたという訳だ。
薄手のシャツの襟元をパタパタと仰ぎながら、コーネリアは頬を伝う汗を手で拭う。
「にしても、レイヴィニアの奴、遅っせえなぁ……いつもだったら俺が来るよりも早く出迎えに来てるってのに……今日は調子でも悪いんかね?」
極度のブラザーコンプレックスを患っているレイヴィニアは逸早く兄の顔を見るために最高のコンディションで最速の出迎えを行うのがいつもなのだが、何故か今日は彼女の姿どころか彼女の部下の姿すら見えない。自分が集合時間に間に合わないと分かった時点で保険としての迎えを寄越すのがレイヴィニア=バードウェイという少女であるが、今回はどうやら例外となっているらしい。
はぁ、と疲れたように溜息を吐く。
そして周囲を見渡し――
「……え?」
――ワンピースを着た屈強な黒人男性が目の前を横切って行った。
「………………」
たった今目撃した光景が信じられず、ぽかーんと口を開けて間抜けに呆然とするコーネリア。もしかしたら女装趣味の黒人男性だったかもしれない、と頭の中をクールダウンさせ、コーネリアは再び周囲に視線を向ける。
激しくスケボーに乗るよぼよぼの老人。
タクシーに寄り掛かってタバコを吸う五歳くらいの子供。
歩道の端の方で熱い抱擁と接吻を交わす黒人男性と日本人男性。
「………………まさか」
とてつもなく嫌な予感が頭の中を走り回る。これはまさか、『あの魔術』が発動しちまったってことなんじゃあ、と軽い頭痛に見舞われる。
身体が小刻みに震えるのを自覚しつつも、コーネリアは携帯電話で今日の日付を確認する。
八月二十八日。
流石に前世の記憶なので詳しい日にちは覚えていないが、『あの魔術』が発動するのはもしかしなくてもちょうどこの日ではなかったか……ッ!?
ツツー、と一筋の汗が彼の頬を伝う。しかしそれは先程とは別ベクトルの汗――暑さではなく言いようもない寒気から発生した汗だった。
まずい、これはまずい、とコーネリアは頭を抱える。何が一番まずいかというと、『自分が一体誰の見た目になっているのか』ということが分からない事が一番まずい。さっさと人に聞けばいいんだろうが、もし自分が有名人の見た目になっていたとしたら、絶対に大変なことになる気がしてならない。
さぁ、どうする? この状況下で俺はいったい何をすればいい?
そんな事を考えて頬をひくひくと引き攣らせていた――まさにその瞬間。
「な、何故こんなところに私が!?」
嫌な声が聞こえた。
その声色だとかそのセリフの内容だとか、もう完全に嫌な予感しかしない。自分がどんな人物になっているかなど、今の言葉を聞いただけで完全に理解できてしまっていた。
頭を襲う頭痛に顔を顰めながらも、コーネリアは声が聞こえてきた方向に顔を向ける。
そこには。
そこ、には――
「……よお。望まぬ形で華麗に再会しちまった気がすんな、神裂」
「その乱暴な口調と表情……もしかしてあなた、コーネリア=バードウェイですか!?」
――神裂火織。
一ヶ月ほど前に何故か知り合いとなってしまった女魔術師であり、世界に二十人と存在しない聖人の一人でもある幕末剣客ロマン女がそこにいた。
☆☆☆
その魔術の効果を分かりやすく言うと、人間の外見と中身を無差別に入れ替えてしまうといったもの。その術下にいる人間は他人や自分の入れ替わりに気づくことはできず、何が起きたのかも分からないままに他者との入れ替わりを実体験してしまう――という訳の分からない境遇に身を投じることになる。
この術の効果から精神だけでも守るためには強力な結界で身を守るしか方法はない。それでも外見と中身の入れ替わりだけは防ぐことができず、他者の入れ替わりに気づいてはいるが、他者からは自分は他の人間だと認識し判別されてしまう。――この効果に例外はなく、世界中の人間が凸凹アベコベの大惨事となっているのはまず間違いはない。
しかし。
そう、しかしだ。
何の結界も張っていないし結界の中にいたわけでもないコーネリアが他者の入れ替わりに気づくことができたのは、一体何故だろうか? もしかしたら彼には魔術を抑え込む性質があり、今回はその性質のおかげで最悪の事態を回避することができた、と言う事なのだろうか?
そんな疑問を抱いた神裂はその旨をコーネリアに問うが、コーネリアは「有り得ねえ」と首を横に振るだけだった。
「俺の能力――『荊棘領域』は人工物に荊を生やすしか能のねえ能力だ。そんな能力でこんな大がかりで強力な魔術を防げると思うか? っつーか、魔術を防げる能力だってんなら、魔術師相手にもっと上手く立ち回れるっつーの」
「……それはまぁ、確かにそうかもしれませんね」
やはり偶然なんだろうか? と神裂は首を傾げる。
そんな彼女の顔を見ながら、コーネリアは現在の自分の状況についてとても不機嫌そうな表情で問い詰めることにした。
「なぁ、神裂」
「はい。どうかしましたか?」
「いや、どうかしましたか? じゃねえよ」
コーネリアはびきりと額に青筋を浮かべ、
「何で偶然お前と再会しただけの俺が無理やり飛行機に乗せられて日本にとんぼ返りさせられてんのかについての質問をぶつけてもいいですかねぇ!?」
そう。
凶悪な実妹の指示でイギリスに里帰りしたはずのコーネリアは、神裂の強力な怪力に逆らえずにまさかのとんぼ返りを強制させられているのだ!
「俺、普通に無関係だよなぁ!?」と怒りを露わにするコーネリアに、神裂は申し訳なさそうに顔を伏せる。
「申し訳ございません。……しかし、あなたを飛行機に乗せたのには大きな理由があるんです」
「は? 理由?」
「ええ」
神裂は一拍間を置く。
「どういう訳か、あなたは『あの魔術』の効果を中途半端ながらも回避している。それはあまりにも想定外な事態です。もしかしたら今回の魔術を破壊するための鍵となる可能性も否めません。だから私は――というか、このにゃーにゃーサングラスがあなたを無許可かつ独断で連れていくことを決定したんです」
「にゃー。流石にその呼称には悪意が感じられるんだぜい」
そう言うのは、コーネリアの前の座席から顔を覗かせた金髪サングラスの少年だった。
学園都市の高校に通う学生でありながら、イギリス清教の『
ニヤニヤと何を考えているかよく分からない笑みを浮かべた土御門は猫のように口をにんまりと変形させ、
「コーネリア=バードウェイの外見がねーちんと同じであるという事態を重く見たオレの、僅かながらの心遣いの結果だと思ってほしいんだにゃー。ねーちんの姿になったこの不遇先輩が行く先々で問題を起こしたとしたら、その全てがねーちんの責任になっちまうんだぜい? ねーちんはそれでもいいっていうのか?」
「ぐっ……それは確かに、そうかもしれませんが……」
悔しそうに顔を歪ませる神裂。
土御門は相変わらずのニヤケ顔を少しだけ真顔に戻し、
「それに、この不遇先輩の能力について、ちょっと試してみたいことがいくつかあるってのも理由だな。そう考えてみれば今回の偶然は願ってもないチャンスだったんだぜい。――そういう訳で、事件解決までオレたちの実験動物になってもらうんで、そのつもりでお願いするにゃー」
「いやいやそんな勝手なこと言われても! ほら、あれ、イギリスでは今もレイヴィニアが俺が来るのを待ち続けてるっぽいし? 今すぐにでも行かねえと後が怖いんだって! どうすんだよ、あいつがキレたらもう止めようがねえんだぞ!?」
「イギリス清教の敵である『明け色の陽射し』のボスがいくら困ろうがオレたちには関係ない事なんだにゃー」
「て、テメェェエエエエエエエエエエエッ!」
八月二十八日。
世界規模の魔術の効果を何故か中途半端にしか受けなかったばかりに事件へと巻き込まれることとなったコーネリア=バードウェイの絶叫が、空を駆ける飛行機の中に響き渡った。
…………とりあえずレイヴィニアの事は頭から避けておこう。自分の安全のために。
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次回もお楽しみに!