翡翠のグランクチュリエ  --What a beautiful museum--   作:三代目盲打ちテイク

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――音が響く

――音が響く

 

 暗がりに音が響いている。

 

 それは、何かの歯車を回す音。

 それは、何かの螺子を回す音。

 それは、何かを組み立てる音。

 

 数多の音が暗がりに響いていた。

 

 東洋において、彼の大碩学、《碩学王》と称される者とほとんど変わらぬ男が立てる機関の産声だった。

 遥かに劣る男が暗がりにて歯車を回す、螺子を回す、そして、組み立てる。

 

 ここは工房だった。暗い工房。あるいは研究室か。影の研究室、叡智の深淵と人は呼ぶ帝立碩学院の個人研究室。人はここをそう呼ぶ。

 ここは工房だった。暗い工房。この場を知る者は多いだろう。この国の碩学と概ねその数は同じだ。だが、ここを訪ねる者はいない。

 

 深淵の叡智を求め、自らの望みと夢を求めて訪ねる碩学の卵はいない。論争を求めて、自らの理論を持ってくる若い碩学もいない。協調し深淵へと至る老齢な碩学もここにはいない。

 

 ただ一人、誰かの幸せを求めた女以外には。

 

 彼の組み立てるもの。

 それを知ってはならない。

 命が惜しければ。

 

 それに手を出してはならない。

 命が惜しければ。

 

 ここにはまともな人間などひとりもありはしない。

 ただ暗がりと、ただ歯車の骨と機関の肉体を組み立てるだけの碩学と彼が作り出した機関の人型があるだけだ。ただそれだけだ。

 

 人型。人の形をした機械。概ね、それは欧州における碩学たちの組織であるところの結社に由来した機関人間の構造と同じではある。

 だが、一から創造したという点においてのみ、そこには敢然たる違い存在している。それは無から人を生み出したということに他ならない。

 

 それは神の所業。人が望み、進化(パラディグム)の果てに人がその肉体の機能として獲得したそれを人の()で行ったということ。

 人の身において、この男は、絡繰王と呼ばれるこの男は、人を子宮(うつわ)に頼らずに作り出すという古来からの夢を達成した。

 

 それは純然たる絡繰王(おとこ)の偉業。だが、だが、碩学王(かみ)には届かないと男は自虐する。自虐して、自虐して。

 ただ一つの結論へと至るのだ。己が、及ばぬものであるという事実に。己がどうしようもなく、ヒトであるという結論(ぜつぼう)

 

 ゆえに男は実験を続けるのだ。帝国全土に張り巡らせた機関情報網と明治天皇の威光を利用した数式実験を続ける。

 碩学王が都市を一つで実験をしたというのなら、自分は国一つを使って実験するまで。

 

 男の暗い意志が駆動する。届かぬというのならば、届くようにすればよいという男の暗い意志が。変容の果てに至らんとする意志が。

 

「――主」

 

――人型の一つ、絡繰の一つ、女のように造られた人型が声を上げる。

 

 女。人型、からくり。

 

 からくり。それは人間の手によって作られた人工的な命と自我を与えられたもの。

 自我もある、人間らしい性も、全てがこれらからくりには存在している。だが、目の前のからくりにはそんなものすら感じられない。

 

 陶器の皮膚が、歯車の内臓が、木製の骨格が確かに人を模しているはずであるのに。からくりであると認識し、自らが生けるからくりという人であるはずなのに。

 この女にはただ一つの人間の性が感じられなかった。それはおおむね、語り部と呼ばれる存在と同一であるように思えた。

 

 そんな女は、己の機能をただ使う。己に与えられた機能を一つ、一つ、確かめるように。その結果が主の待ち望んでいたものだと確信するかのようにただ一つの言葉を引き出す。

 

「時が満ちました」

 

 鋼の声。機関声帯が奏でる鉄の音色がただ一言、主に告げる。

 

「あの男が再び(・・)帝都へと入りました」

 

 見つける。あの男を。シルクハットに杖を持ったあの男を。

 

 その声に、男はその手を止めた。

 

 女の声に、男は、その手を、止めた。

 

 組み立てるだけの男は手を止めたのだ。だが、歯車は回り続ける。回す者がいなくとも、歯車は回転を止めない。

 ただ回り、ただ組み立てる。なにかを。全てを。

 

「ついにか! ついに、ああ、待ち望んだぞ、この時を。今度こそだ。今度こそ、あの先へと、辿り着くぞ。黄金螺旋階段のその果て、我が求めし窮極の門の果てへと。この時を! 此度こそ、今度こそ、今宵こそ! 私は貴様を超えるぞ大碩学(チクタクマン)!!」

 

 男の声が響く。狂気に染まった、声が響く。それがどこかに届くことはない。ただ、暗がりの漆黒の中で吸い込まれて消えていく。

 

 消えて、ただ願うのだ。いつか。そう、いつか、その深淵に手が届くことを願って。

 男は、ただ、深淵にて歯車を回すのだ。

 

 女のからくりはただそれを見る。水晶玉の瞳で、ただそれを見る。

 思う事もなく、何も感じることもなく。

 

 だが、確かに己の回路が熱を持っていることを女は感じていた。

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 そこは一言で言うと乱雑であった。二言目をかけるならば、整然としているが適当だった。正反対の表現であるが、ここでは競合しない。

 この場においては、ここは乱雑であり、整然と整っているのだ。あくまでも、この場の主においてはという言葉が付くが。

 

「…………」

 

 その主たる女は終止、無言であった。

 己の領域たる研究室にありながら、女は無言だった。無考とも言う。無意識とも言う。彼女は今、何も考えていなかった。

 

 いつもならば、愛すべき自らの教え子に何を送ろうかと考える。安い物ではない。そんなものを与える気などなかった。

 与えるものは最高のものに限る。人も、知識も、あるいは英国風に言うプレゼントでさえ女は妥協する気などなかった。

 

 それは立つ鳥が跡を濁さぬようにするのとはまったくの真逆に思える。事実、そうなのだろう。彼女は爪痕を残そうとしている。

 己の時間が幾ばくも無いことを理解しているから。だからこそ、雛鳥に与えるのだ。最高のものを。己に残せるものを。

 

 また、考えることは可愛らしく初心な教え子をからかうことも入るだろう。可愛らしい愛すべき教え子は実に良い才能を持っている。それは左目が黄金瞳だからとかそういうことではない。

 確かにそれはある一面から見れば稀有なことで、同時にそれは望むべきものでもある。しかし、そうではない。そうではないのだ。

 

 彼女の才能はまた別にある。ものを考えられることもそうだが、もっとも大事なものを彼女は持っている。

 友人であり、敵であり、あるいは他人であり、味方でもある四本腕を持つ仏蘭西へと娘を送り返した馬鹿な鋼鉄の碩学の教え子が持つ才能とはまた別の。

 

 だが今、女は何も考えてはいなかった。白。真っ新な白い思考で、ただ女は煙管を吹かす。紫炎がすぅと中空を満たした。

 それが何等かの形を結んだように見えた。

 

「そう、そう。始まるのね、また(・・)

 

――ああ、これで何度目だろうか。

 

 そう女は呟いた。

 突如として女の頭が回る。高速で。実験機械(クラッキング・マシーン)とも称される女の頭脳が思考を開始する。

 膨大な可能性を模索する。莫大な数値で計算を行う。

 

――演算する。

 

 それは通常、大機関を用いて行う演算であった。だが、女はその身にて行う。そして、両の手は常にせわしなく動いている。

 試験官を傾け、歯車を回す。かと思えば、フラスコを回し、機関を駆動させる。

 

 その速さは尋常ではない。特に、手袋に包まれた左手は特に

 

「ふう、こんなものね」

 

――半刻

 

 それはおおむね、英国においては一時間と呼ばれる時が過ぎた頃、女は全ての動きを止めた。それは教え子がこの研究室に来る時間と概ね同じ時間であった。

 不意に暗い研究室に日が差す。実験台を照らす光は美しき極彩色を描いている。対して、女の左手は白と黒にしか映らない。

 

「どうか、祈っているわ。あなたが、果てへと至れることを」

 

 そう呟いて、女は扉が開くのを待つ。そこに現れるであろう少女を待って。

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

――チク・タク

 ――チク・タク

 

「……君にこうやって声をかけるのは随分と久しぶりな気がするね。変わりはないようだね、可愛い涙香?」

 

 そう、なのかな?

 

「そうだよ。君はあの時と何も変わらない。あの時の君とも、あの時の君とも、あの時の君とも。君は変わらない。だからこそ、君に期待してしまうし、君を期待外れに思ってしまうよ」

 

 そう答える人。男の人のような声で、ともすれば女の人のような声で。あるいは老人のようなしわがれた声で、いいえ、子供のような幼い声で。

 目の前の誰かがあたしにそう言う。いろんな声に聞こえるただ一つの声で。たぶん、上から降ってくるような大人の人の落ち着いた声で。

 

 けれど、あたしはその声に覚えなんてなくて。でも、あたしはこの声を知っているような気もしていて。いつも聞いているような気もしていて。

 

――あなたは、誰?

――誰なの?

 

 でも、あたしは思い出せない。ずっと、ずっと聞いているはずで、知っているはずなのに。記憶に霞がかかっているかのようにあたしは何も思い出せない。

 

「私は、私だよ。それ以上でも、それ以下でもない。君にならわかるはずさ。いつも君はわかるよ。思い出す。私を。それがいつになるかは、いつもばらばらだけれど」

 

――…………。

 

「だから、私は君にこう言おう。いつものように変わらないままの君に。いつもと同じように。

 気をつけなさい。もしも、また(・・)目指すというのなら。今度は、間違えないように。今度も正しいままで」

 

――なに、なんのこと。

――わからない。わからない、わからない。

 

「私に言えるのはこれくらいだよ。いつも、いつも、いつも。私も変わらない。君も変わらない。いつになったら、時は進むんだろうね。可愛い私の涙香」

 

――そして、全ては忘我の彼方へと、白んでいく。

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

「あああ。ああああ!」

 

 暗がりの部屋で声が、音が響いている。何かを掻き毟る音。床を、壁を、あるいは自らを掻き毟る音が響く。

 ここには正気など何一つない。ただ一人の男が狂気の中で喘いでいる。

 遥か遠く、世界の先端を行く重機関都市倫敦より狂気を持ち帰った男が一人、ここで狂気にあえいでいる。

 

「ついに、ついについについに!」

 

 神は来た。神はいた。神はそこにいる。

 

「目の前に、目の前に、ああ、窓に。窓に!」

 

 そこにいる。どこにでも。彼らはどこにでもいる。暗がりに、人の夢にさえも。ああ、人間とはまさに塵だ。宇宙の端で羽虫のようにとぶだけの存在にすぎないのだ。

 

「ああ、あああ、ああああああ」

 

 それこそ、世界の真実あると、男は狂ったように嗤いながら言う。遥か過去、あるいは未来。あるいは現在。英国を覆った漆黒を男は知っている。

 

 しかし、誰もそれに耳を傾けないだろう。傾ける人すらここにはいないのだ。

 

 ここにはただ、男と、狂気があるだけなのだから。

 




新しいものはないですが、場所が入れ替わっていたり、追加されたりしています。

ここは、完全にこいつらの領域。蠢いている碩学たちの話です。時々こんな話が入ります。

次は、〇時に。

では、また。

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