翡翠のグランクチュリエ  --What a beautiful museum--   作:三代目盲打ちテイク

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 時間は過ぎて、日は落ちて。すっかり窓の外を暗闇のベールがおちた夜。部屋はひんやりと冷えていて、息は白いかたちとなる。

 今までばたばたやってたから、何もしてなかった。けど、やっぱりこのままでは寒い。特に機関(エンジン)がこの島国を覆ってからは特に。変わらないと人は言うけれど、やっぱり寒さは感じる。

 

 だから、野枝にいつもはしたないって言われるけれど、シーツを引きずりながら壁に備え付けられた温熱機関の起動キイを回す。

 ごうんごうん、という小さくて低い音が響く。部屋に割り当てられた温熱機関の音が響く。温風に手をかざす。温かい風が掌に当たる。

 

 一昔前は暖炉だとか、そういうのが多かったらしい。もっと前は囲炉裏だった。こんなふうに寝台なんてなくて、まだこの国が閉じていた頃の話。

 人伝えにしか聞いたことのない話。歴史の話。ただ、そんな生活に少しは憧れたりする。今では全部が全部機関機械(エンジンマシン)が当たり前。

 

 誰も彼もが忙しなく歩き回るのが普通。少し速い。いいえ、少しではないかもしれない。だから、ゆっくりとしていたらしい生活は少しだけ憧れる。

 でも、不便なのはちょっとけっこう困るかもしれない。困る。だって、今はとても便利だから。

 

――昔よりも遥かに便利になった。

――昔を知らないあたしでもそう思う。とても便利。

 

 特に、公園でゲイトボウルに興じるお年寄りたちは昔を思い出して口々にそう言う。ことあるごとに。

 便利なのは良い。少しの労力で色々とできるから。その分、好きなことができるようになる。だから、便利なのは良いことかもしれない。

 

――でも、暖房機関よりはあたしは、暖炉の方が好き。

 

 手入れは大変だし手間もかかるけど、そっちの方が温かい。ぱりちぱりちという薪が燃える音はひとりきりの寒さを和らげてくれるから。

 でも、いつも温熱機関ばかり。暖炉がないというのもあるけれど、やっぱり手入れが大変だから。なにより野枝が許してくれない。そんな時間、ないでしょ、って。

 

 うん、確かにもっと時間があればいいなって思う。野枝に言われた通り、癖直さなきゃとも。

 野枝。そういえば、いつまで経っても野枝からは連絡が来ない。遅れた時は、講義が終わればいつも電信通信機(エンジン・フォン)に連絡が来るはずだけど、今日は来ない。

 

「こういう日も、ある、よね」

 

――野枝は、あたしと違って友達、多いから。うん、うん。

 

 少しだけその事実に悲しくなる。友達はいるはずだった。たぶん、おそらく。きっと野枝が多すぎるのだと思うことにして。

 

「課題やろ」

 

 だから、野口さんに出された課題をやることにする。

 今日やった機関医学実験結果に関する考察課題。野口さん、実験速いから一杯。レポートは得意だけど、考察課題はちょっと苦手だった。

 

 考えたこと全部書いてたら終わらなくなるから。野枝に言ったら苦笑された。他の人にいったら少しだけ怒られて嫉妬された。

 それも野枝にいったら笑われた。今もその理由は教えてくれない。

 

 教えてって言っても教えてくれない。いつも、わかるでしょって、言って。教えてくれないからむくれて、子供みたいに膨れる頬をつんって突いて、頭を撫でて。

 

――子ども扱い。

――でも、あまり嫌じゃなくて。もっとやってほしいかもって。お母様を思い出すから。もっと、って思う。

――帝都に一人で出てきて良く、そう思うようになってしまった。

――あ、いけない、いけない。

 

 課題やらないと終わらない。夜は弱いからねないと朝起きれない。それで一度、野枝に怒られたこともあるから早めに寝るようにしてる。あの時の野枝、本当に怖かったから。

 怖いと言えば、平井君が言ってた噂。怖い奴。野枝はそういう話をしない。子供みたいに怖がると思ってる。結構好きなのに。

 

 だから、平井君がそういう噂の話し相手。

 

――平井君、平井太郎君。

――近所に住んでいる悪戯好きの男の子。

 

――良くあたしの袴だとか、洋服の時のスカートを捲ってくる。やめてって言っても。

 

 そういう時は野枝がなんとかしてくれる。あの時の野枝も怖い。とっても。だから、あまり平井君に対して怒ったことがない。

 でも、良い話し相手だから、それでいいのかもと思う。きっと野枝に言ったら怒られるんだろうけど、気を使わずに話せる相手だから。

 

 平井君はいろんなこと知ってる。いろんなところに顔を出してるから。なんでも、世界有数の頭脳を持つとされ、特に植物学・化学・地質学に長ける彼の真似事をしてるのだとか。

 少年探偵団と彼は言っている。少年たちのグループ。裏路地や空き地に集まって、大人たちの話を盗み聞きして色々な噂を集めているのだと平井君は言う。将来は彼のようになるのだと言って憚らない。

 

 彼。英国の探偵王、シャーロック・ホームズ氏。彼のような名探偵を目指すのだと彼は言う。確かに、ホームズ氏の伝記を読む限り、そうなっても仕方がない。

 彼の武勇伝は新聞や伝奇小説で幅広く取り上げられて、英国はおろか西欧諸国全土、果ては異郷カダスの北央帝国、この大日本帝国にまでその偉大な功績は知れ渡り、北央皇帝からは《知り得るもの》の大称号を贈られているという。

 

 子供たちの憧れ。そういう自分も結構憧れてる。彼の助手であるワトソンさんが書いてる本は全部読んでるし、新しいものは直ぐに翻訳する。

 読みたいな、って言えば野口さんがわざわざ取り寄せてくれて。原文だったから翻訳は必要だけれど、そういう約束。間違ってると野口さんからきつい御仕置き。痛いのではなくて、逆に気持ちが良いような奴。恥ずかしい奴。

 

――嫌じゃない、けれど恥ずかしい。

――ああ野口さんとと言えば帝都の暗がりに潜む異形の噂もある。

 

 天皇陛下の御標に背いた者がなるという噂。都市伝説。平井君、野口さんも眉唾だけど面白いって、言ってた噂。

 

――帝都の暗がりには異形が出る。

――精神を犯され伽藍となって肉体すら御伽噺の怪物めいた異形になる。

――異形は人を殺すだとか。そんな噂。

 

 野口さんの左手の手袋の下がそうだと言う人もいる。とある三流雑誌がそういう風に書いたこともある。

 この国を代表する碩学がそんなことあるはずないのに。そもそも異形だなんて、偉大なる天皇陛下の国で現れるはずないのに。

 

 けど、野口さんはそれらを否定しない。ただ、笑うだけ。そして、いつの間にか全て解決しちゃってる。

 きっと野口さんが何かしたの。誰にも迷惑をかけないように。凄い人。本当に。憧れの人。

 

――あ、いけない、いけない。

 

 また、また悪い癖。野枝に怒られる。さっきも、今も。

 講義中もそうなってることある。野枝には、たぶん気づかれてないはず。何かしながら別の事するの得意だから。板書してるし、それを野枝に写させてあげたこともあるから、バレてないはず。ない、よね。

 

 うん、何かしながら別の事するのは得意。この左目が変わってからは特に。でも、考えながら考えることできないから、課題進まない。

 

「るいちゃーん、るいちゃーん! お風呂入っちゃってー!」

「……あ、は、はーい!」

 

 気を取り直して課題に向かおうとしたら、大家さんの声。お風呂、沸いたって。

 

「うん、お風呂はいろ」

 

 部屋を出て、階段を下りて、突き当りにある扉を開ける。そこが脱衣所。そこで服脱いで、鏡の前に立ってみたり。

 傷のない綺麗な肌。誰にも見せたことはない。野口さん以外。同棲だから、数に入らないと思う。ただ、誰もいないけど、恥ずかしい。

 

「早く、はいろっかな」

 

 染みついた煤を落とすように、石鹸で身体を洗う。気持ち良い。やっぱり。お風呂は良いと。茹るからあまり長く入れないのだけが残念。

 お湯に浸かれば、

 

「……ふぅ」

 

 無意識に息を吐く。気持がいいから。手足を伸ばせるほど大きなお風呂。もう一人くらいなら大丈夫。休みの日なんかは野枝と一緒に入ってる。

 

――体中から疲れやらあれやこれやが抜ける。

――すごく、気持が良い。

 

 大日本帝国人としては入浴はやっぱり欠かせない。毎日こんなお風呂に肩までつかるのはこの国の人だけだといつか誰かが言っていた気がする。

 でも、やっぱりお風呂は良い。空気が淀んでいるということもあるかもしれないけれど、お風呂は国の文化だから。

 

 わざわざ浄水機関まで使って大量の清水を確保してお風呂を沸かして入る。

 

「ええと、今日は、これかな」

 

 お湯につかりながら本を取り出す。防水加工された機関製のちょっと高い本。実はちょっとどころではなくすっごく高い本。

 

――研究室に配属記念に野口さんからもらったもの。

――ぽんと渡されたから安いのかなと思ったら。

――すっごく高い本。

 

 それに気が付いた時のあたしはすっごく慌てて、とにかく返そうと走って行ったらすっごく笑われた。結局返せず今も持っている。

 言語はカダス語。いつも使ってる言語と近いから読みやすい。口語会話も一週間ほどで修了した。読み書きの方も今では自由自在。

 

 そんな風でも、今日の本はちょっと難解に思えた。カダス古語の本。野口さんにもらった一冊。読み込んでいくと読める。古語のお話は面白くて素敵なお話が多い。

 古語じゃなくてもいろんな本を野口さんはくれる。高いから、本当はやめてほしいけれど、いいえ、実際はやめてほしくはない。高いのは怖いけれど。

 

――だって、素敵な物語が多いから。

 

 飛空挺を駆る少女2人組の物語だとか。青空と星空の下に在る砂漠都市の物語だとか。大英帝国の暗がりを走る少女の物語だとか。

 そういうの。怖い話もある。けれど、ここにはない何かがあるから。

 

 今日のお話は、外国のお話。どこかの洋上にあるという学園都市を救う正義の味方(せかいのてき)の話。いつかどこかで見た輝きの話。

 

「ん……あがろ、っかな」

 

 半分まで読み進めて、ちょっとくらっと来たから、そろそろ上がる。寝巻の浴衣に着替えて部屋に戻る。

 

「ふう、課題、がんばろ」

 

 気合いを入れて、課題へと取りかかる。

 終わったのはだいぶ夜も更けた頃だった。やっぱり野枝から連絡は一度もなかった。

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

――暗い。

――暗い。

――暗い。

 

 ここは暗すぎるほどに、暗かった。こんなにも暗かっただろうか。そう途切れがちな思考でそう思う。もはや、何を考えているのかすらわからなかったけれど、成功に向かって進んでいると祈り続ける。

 大切なあの子の為に、進んでいるのだとそう思い続ける。

 

 確認の意味を込めて、それを目の前の男に問うが、

 

「知るかよ。この俺が、お前如きの矮小な目的など知ったことか。良いから役に立てよ。貴様にできることなどそれくらいだろうが」

 

 返ってくるのは罵倒ばかり。ただ、付き合ってみてわかることもあるという感じに、この男の事がだいぶわかってきていた。

 だから、わかる。

 

――少しは、前に進んでいる。

 

 役立たずには愚図という言葉を彼は投げかける。あるいは塵だとか、塵屑だとか。そんな言葉を彼は投げかける。

 だからこそ、その言葉がない以上、自分は役に立っているのだと、そう薄れた意識の中で感じ取った。

 

「何を笑っている。気色が悪いぞ、気でも触れたか」

 

――いいえ、いいえ。

 

 そう否定する。けれど、笑みを隠そうとは思わない。

 

「ふん、続けるぞ。貴様が望んだことだ」

 

――はい。

 

 そう返事をすれば、再び、意識が沈み込む。また目覚められる保証はないけれど、きっと、そう、きっと、これがあの子の為になると信じて――。

 




リメイク版ではなかった、誰かの会話を追加。

次回は12時に更新します。

では、良く青空を。

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