翡翠のグランクチュリエ  --What a beautiful museum--   作:三代目盲打ちテイク

1 / 22
突然ですが、リメイクを開始しました。
文章の増量と、修正を行いました。
大筋の流れは変わりませんが、加筆修正して、新しいエピソードとかも加えてあります。

勝手にリメイクしてますが、どうかこれからもよろしくお願いします。




第一幕 第一の門
1-1


『覚えておきなさい。いいえ、忘れないで』

 

 夢のように揺蕩う泡沫の水泡の中で、ただ一つの声が響いていた。

 

--その声は、女の人の声だった。

 

 聞き覚えのある声であって、まったく聞き覚えのないようにも感じる。確かに覚えているようで、まったく覚えてないような気もする。わからない。いいえ、わかっている。

 ただ。ただ、全てが重なり合っていて。ただ、全てが曖昧模糊としていて。

 

 あるようで、ないと、誰かが言った。全てはここにあるのだと、あるいは、全ては自らの門の向こう側にあるのだと。

 女の人ではない男の人の声で、確かに知っているはずで、確かに知らないはずの愛しくて仕方がないはずの誰かが言うのだ。

 

 ただ、一つの事実として、その人の声と女の人の声にだけは耳を傾けようと思うのだ。もはや聞く耳を失ったこの身が。

 理解するということを失ったこの身が。全ての色を失って、曇白と漆黒に染まってしまった、この身の全てが聞きたいと叫ぶのだ。

 

 知らない声であっても、知っている声であっても、この女の人と男の人の声だけは聞かなければならない。そう思う。心の底から。

 失ったはずの、そこから。

 

『例え、そう仮定の話ではあるけれど。いいえ、全てはあり得る話だけれど。もしも、貴女の思う全てが無駄だとしても』

 

 それは、曖昧な中でただひとつだけ確かなこと。大切なこと。

 

 糸を紡ぐように、からからと糸車が回る。あの時も、今この時も。

 

 世界の全てを演算する解析機関が駆動するように。糸車もまた、回り続ける。全てを織り重ねて、紡げというように。

 

『必ず価値のあるものがあるということを、諦めない心があるということを』

 

 そして、全ては終わるのだ。いいや、始まるのだ。

 

――感じたのは当然という感覚だった。

――むしろ、喜びだろうか。

 

 ようやく終われるという、そんな安堵を感じた。いいや、本当は何も感じていないのかもしれない。

 

 けれど、けれど――。

 

 誰かが言う。まだ、まだなのだと。あなたは、諦めてはいないのだと。言い聞かせるように。あるいは、自分に告げるように。

 

『そうすれば、きっと――』

 

 そして、全ては、極彩色へと帰る。まだ、全てがあって、全てが光り輝いていた、あの時へと――。

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

――白い。

――黒い。

――嫌いな、黒と、白だけがここにはあった。

 

 乾いた靴音がそこに響いている。帝都ではだんだんと広まってきた欧州の女性が履くような靴が、整備されたばかりの石畳を叩く音が響いている。

 石畳の路地を歩く私の足音。暗がりを歩く、いいえ、走っている乾いた靴音が路地を満たす。他には何もない。暗い路地を歩く、私の足音と息遣い。それだけが、この路地を満たしていた。

 

 我らが栄光なる大日本帝国。かつては日の(いずる)国として。かつては、戦乱によって割れた国として。かつては、侍の国として。

 繁栄を謳歌していた国。いいえ、今も繁栄を謳歌している。もたらされた機関文明と開国によって、空前絶後の繁栄をこの国は謳歌している。

 

 ふるきものは、急速に姿を変えて、あたらしきものが、姿を与えられていく。急速に、急速に、急速に。目を見張るほど。

 暗がりが消えていく。街を機関灯が照らし、蒸気自動車が走る。侍は消えて、欧州かぶれの紳士が溢れ出す。

 

 1911年。この国を支配していた徳川の世は既に終わり、明治機関政府によってこの国は回っていた。

 機関都市東京。人々は、かつての侍の街をそう呼ぶ。かつては、江戸と呼ばれたこの都市を、人々は大いなる機関都市として、東の京と呼ぶ。

 

 徳川機関幕府が倒れ、江戸が帝都東京と名を改められて既に久しく。もはや、かつての江戸の姿を思い出すことは難しい。

 いいえ、もう誰も覚えてなどいないのかもしれない。公園でただ物語を語る紙芝居屋や、あるいは嘘を買う、嘘を売る、嘘屋だけが、覚えているのかもしれない。少なくとも、若者は覚えてなどいない。知らない。

 

 英国より伝来した機関は更なる発展を遂げて。今や、この極東の島の空は全てが灰色雲が覆っている。ある時を境に生じるようになった境目を除いて、空を仰ぐことは出来なくなった。

 ふるきものは捨てられて、全てが新しくなった。全てが変わった。けれど、変わらないものも、確かにある。あった。

 

――御標(みしるべ)

 

 神子たる偉大なりし明治天皇陛下から告げられる幸福の神託。みんなが幸福に幸せになるための標。いつも変わらずに、みんなを幸せにするもの。従うべきもの。

 そう信じていた。あの日まで、そう信じていたもの。今でも、そう信じているもの。そう信じていたいもの。

 

――むかし、むかし。

 

 路地に誰かの語る声が、響く。靴音に交じるように、あるいは、靴音など意に介さないように。声が響く。焦ったような速足の靴音に交じって、確かに声が響いた。

 優しげで、誰もがきっと安らぎを感じる声でむかし、むかし、と子供たちに御伽噺を語る声が。むかし、むかしと、優しげに自分に語りながら。

 

――むかし、むかし。

 

 声は語る。語る、語る。

 それは御伽噺。極彩色であった白と黒の物語。私と、彼女の物語。幸福だったころの。今でも幸福な、あの時の、今の、私と彼のこれからの物語。

 

 私はそれを聴きたくて耳をこらす。けれど。けれど、私には聞こえない。どんなに耳を澄ませても。歩みを止めても。響く声は変わらずに語っているはずなのに、その声は聞こえない。

 それがどんなに素晴らしい物語でも。それがどんなに楽しい御伽噺であっても。

 

――私には聞こえない。

 

 声は次第に遠ざかって行く。まるで、私をおいていくように。だから、追いかける。手を伸ばす。この身にまだ、伸ばす手があることに感謝しながら。

 

――追って、追って、追って。

 

 追い続ける。追い求めて、右手を伸ばす。左手は、もはや、何かに伸ばすものではなくなっているから。

 けれど、けれど、伸ばしたその手は届かない。

 

 それは、彼と同じ。四本腕の彼と。悲しげな憐れな彼と何も変わらない。伸ばした手は空をきる。あの子の運命を変えるために、伸ばした手は、何も掴むことはなく。

 ただ、残酷な、終わり(けつまつ)だけが聞こえるのだ。残酷だった。冷酷だった。冷徹だった。慈悲などなく、あるのはただ、結果(おわり)だけ。

 

――その事実に、私は、理解した。

 

 何をしようとも届くことはない。

 そう理解した。

 

 けれど。けれど、もしも。そう、もしも。

 私が誰かの語るそれに背いてでも、あの子の為に、していたのなら。

 

 きっと、私は――。

 

――だから、手を、伸ばした――

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

――音が響く

――音が響く

 

 暗がりに音が響いている。

 

 それは、何かの歯車を回す音。

 それは、何かの螺子を回す音。

 それは、何かを組み立てる音。

 

 数多の音が暗がりに響いていた。

 

 東洋において、彼の大碩学、《碩学王》と称される者とほとんど変わらぬ男が立てる機関の産声だった。

 遥かに劣る男が暗がりにて歯車を回す、螺子を回す、そして、組み立てる。

 

 ここは工房だった。暗い工房。あるいは研究室か。影の研究室、叡智の深淵と人は呼ぶ帝立碩学院の個人研究室。人はここをそう呼ぶ。

 ここは工房だった。暗い工房。この場を知る者は多いだろう。この国の碩学と概ねその数は同じだ。だが、ここを訪ねる者はいない。

 

 深淵の叡智を求め、自らの望みと夢を求めて訪ねる碩学の卵はいない。論争を求めて、自らの理論を持ってくる若い碩学もいない。協調し深淵へと至る老齢な碩学もここにはいない。

 ここには誰も、彼と、彼の組み立てるもの以外存在しない。ただ、暗がりに音だけが響き渡る。全てを覆い隠す暗がりのベールの中で彼は組み立てを続けるのだ。

 

 彼の組み立てるもの。

 それを知ってはならない。

 命が惜しければ。

 

 それに手を出してはならない。

 命が惜しければ。

 

 ここにはまともな人間などひとりもありはしない。

 ただ暗がりと、ただ歯車の骨と機関の肉体を組み立てるだけの碩学と彼が作り出した機関の人型があるだけだ。ただそれだけだ。

 

 人型。人の形をした機械。概ね、それは欧州における碩学たちの組織であるところの結社に由来した機関人間の構造と同じではある。

 だが、一から創造したという点においてのみ、そこには敢然たる違い存在している。それは無から人を生み出したということに他ならない。

 

 それは神の所業。人が望み、進化(パラディグム)の果てに人がその肉体の機能として獲得したそれを人の()で行ったということ。

 人の身において、この男は、絡繰王と呼ばれるこの男は、人を子宮(うつわ)に頼らずに作り出すという古来からの夢を達成した。

 

 それは純然たる絡繰王(おとこ)の偉業。だが、だが、碩学王(かみ)には届かないと男は自虐する。自虐して、自虐して。

 ただ一つの結論へと至るのだ。己が、及ばぬものであるという事実に。己がどうしようもなく、ヒトであるという結論(ぜつぼう)

 

 ゆえに男は実験を続けるのだ。帝国全土に張り巡らせた機関情報網と明治天皇の威光を利用した数式実験を続ける。

 碩学王が都市を一つで実験をしたというのなら、自分は国一つを使って実験するまで。

 

 男の暗い意志が駆動する。届かぬというのならば、届くようにすればよいという男の暗い意志が。変容の果てに至らんとする意志が。

 

「――主」

 

――人型の一つ、絡繰の一つ、女のように造られた人型が声を上げる。

 

 

 女。人型、からくり。

 

 からくり。それは人間の手によって作られた人工的な命と自我を与えられたもの。

 自我もある、人間らしい性も、全てがこれらからくりには存在している。だが、目の前のからくりにはそんなものすら感じられない。

 

 陶器の皮膚が、歯車の内臓が、木製の骨格が確かに人を模しているはずであるのに。からくりであると認識し、自らが生けるからくりという人であるはずなのに。

 この女にはただ一つの人間の性が感じられなかった。それはおおむね、語り部と呼ばれる存在と同一であるように思えた。

 

 そんな女は、己の機能をただ使う。己に与えられた機能を一つ、一つ、確かめるように。その結果が主の待ち望んでいたものだと確信するかのようにただ一つの言葉を引き出す。

 

「――主。今宵の演目の再開を確認しました」

 

 その声に、男はその手を止めた。

 

 女の声に、男は、その手を、止めた。

 

 組み立てるだけの男は手を止めたのだ。だが、歯車は回り続ける。回す者がいなくとも、歯車は回転を止めない。

 ただ回り、ただ組み立てる。なにかを。全てを。

 

「ついにか! おおおお、ついに! ついに再開されるのか! 待った。待ち望んだ。待ち続けた。この時を! 此度こそ、今度こそ、今宵こそ! 私は貴様を超えるぞ大碩学(チクタクマン)!!」

 

 男の声が響く。狂気に染まった、声が響く。それがどこかに届くことはない。ただ、暗がりの漆黒の中で吸い込まれて消えていく。

 

 消えて、ただ願うのだ。いつか。そう、いつか、その深淵に手が届くことを願って。

 男は、ただ、深淵にて歯車を回すのだ。

 




というわけで、改稿版第一話でございます!

大幅加筆。大筋は変わりませんが、だいぶ文章が変化しております。

〇時あたりに1-2を投稿する予定です。どうかよろしくお願い致します。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。