英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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「我らは弱者だ、いつの世も、強者であることに胡坐をかいた者共の喉を食い千切って来た、誇り高き「弱者」だ」
     by 空(ノーゲーム・ノーライフ)








強者非ず者の真価  - in ガレリア要塞ー ※

 

 

 

 

 

 最初に彼らの姿を見た時は、浅薄な思惑で帝国に害を為す者達だという印象が強かった。

 

 帝国にとって象徴とも言える皇族の人間を人質に取って、国に仇なす犯罪者。実際その肩書こそは間違っていないだろうし、テロリストの名で呼ばれる以上、敵対以外の道はないのだろう。

 だが、帝都の地下で彼らのリーダーである≪C≫とやらが言い放った言葉には、重さと厚みを感じられた。

 

 たった一つの目的の為に集まった、志を同じくする者達。その繋がりをどこかに見出した瞬間、リィンは彼らに対して敵意以外の感情を抱いていた。

 

 一体何が、彼らをここまで駆り立てるのか。

 理解する事は叶わないだろうと知っていながらも、それでも疑問に思わずにはいられなかった。

 ≪鉄血宰相≫―――ギリアス・オズボーンの首を取る為だけに如何なる犠牲をも厭わないその不退転の意志は一体どこから湧いてくるのだろうかと。

 

 

 しかしそれを理解するよりもまず、為さねばならない事がある。

 

 単純な話だ。敵の事を理解する前に、仲間が、友が窮地に立たされようとしているこの状況をどうにかしなければならない。

 いかな”達人級”の武人とはいえ、国をも滅ぼす大量破壊兵器の標的にされれば防ぐ事はできないだろう。かけがえのない仲間を、友を喪う事。それだけは絶対に避けなければいけない未来だ。

 例え彼らにどのような事情があったのだとしても、それだけは許容できない悪。そして自分達以外にその最悪の未来を打ち砕く者がいないのであれば、打倒する事に躊躇いはない。

 

 

 

 

「あらあら……≪紫電(エクレール)≫と≪剛撃≫が足止めされてるからてっきりもう少し時間が掛かるものだとばかり思っていたけれど、評価を改める必要があったみたいね」

 

 赤みがかった橙色(とうしょく)の髪を靡かせながら、≪帝国解放戦線≫の幹部の一人、コードネーム≪S≫は微笑んだ。

 彼女の視線の先にいるのは、学生服を纏い、武器を携えた学生が5名。そして彼らが通って来た道には、戦線の構成員5名が気絶したまま倒れ伏していた。

 練度こそ、そこいらの傭兵団と渡り合えるくらいのものであった筈なのだが、それらを殺さずに気絶させて無力化するという手段を取りながら、未だ大して疲弊の色は見せていない。

 

「……もう一人の男、≪V≫という幹部は左翼の格納庫の方か」

 

「えぇ。そちらにもあなた達のお仲間が行ってるんでしょう? フフ、止められるかしらね」

 

「止められるさ。この程度で立ち止まったら、今まで鍛えてくれた人達に申し訳が立たないからな」

 

「…………」

 

 この程度呼ばわりされた事に不満を漏らすかと思いきや、≪S≫はリィン達に向けてどこか眩しいものを見るかのような表情を一瞬浮かべる。

 それが気になって一瞬だけ言葉を失ったが、リィンが言葉にしようと思っていた問いは、マキアスが引き継いでくれた。

 

「なら、あの≪G≫とかいう幹部はどうしたんだ? どこにいる」

 

「残念、≪G≫はクロスベル方面に行ったわ。……尤も、ついさっき命を落としたみたいだけれど」

 

 ”命を落とした”―――その六文字が何を意味するのか、分からない訳はない。

 帝都でリィン達の前に直接立ち塞がった男。その言葉が正しければ、ケルディック実習の時からⅦ組の面々にとっては因縁の相手だったその人物が、異国の地で死んだという事実。

 無論、その死に同情などはしない。言うなれば彼らの自業自得。元よりテロリストに身を窶しておいて死というものの実感が薄かったなどという事もないだろう。

 

本人から通信があってね(・・・・・・・・・・・)。クロスベルに向かったメンバーはオズボーンが雇ってた猟兵団の手に掛かって皆殺し。≪G≫を直接手に掛けたのは―――」

 

 と、そこまで言っておきながら、≪S≫は突然口を噤んだ。

 その唐突な言葉の区切りに訝しがらざるを得なかったが、直後≪S≫は左手に携えた剣を一振りする。

 刃から漏れ出た炎の魔力が、それ以上は語るつもりはないと拒絶するかのように熱波を広げた。

 

「……ま、いいでしょう。このまま話し続けて時間切れを狙ってもいいのだけれど、それじゃあフェアじゃないでしょ?」

 

「時間切れ?」

 

「―――あ、もしかしてその『列車砲』、自動操縦モードに切り替えてるの?」

 

 ミリアムのその指摘に、一同は気付く。

 左手側に座している『列車砲』。操縦席には誰も存在していない筈なのに、未だに駆動音は鳴り響いているのだ。

 

「ふふっ、正解よおチビちゃん。そうねぇ……あと30分くらいで再装填も終わるかしら」

 

「っ、そうなったら……」

 

「クロスベルは大惨事に見舞われる、という事か」

 

 制限時間有りのハンデ戦。しかし、そういった戦場に慣れているフィーは慌てる事もなく口を開いた。

 

「大丈夫、こういうのは焦ったら負け。―――私達ならできる」

 

 それは短い言葉だったが、リィン達を戦闘態勢に至らしめるには充分だった。

 それを見て、≪S≫は剣を握っていない右手を横に振る。すると、先程と同じように虚空から2機の人形兵器が出現した。

 その形状こそ先程倒した機体と同じだったが、その色は深緑ではなく真紅に塗装されている。

 

 横幅が広くない格納庫内での戦闘。そんな場所で広範囲攻撃を仕掛けて来る人形兵器2機と、一見して手練れと分かるテロリスト幹部との戦いともなれば、もう様子見などの戦力は意味をなさない。

 

 

「さぁ、≪S(スカーレット)≫から≪G(ギデオン)≫への手向けと行きましょうか」

 

「―――悪いが、それはさせない。最初から全力で行かせて貰う‼」

 

 リィンの鬨の声にも似たそれを合図にしたかのように、いつの間にかリィンの背に隠れるように死角に移動していたフィーが、最速のスピードで駆けた。

 踏み出しの一歩。ただそれだけで≪西風の妖精(シルフィード)≫と呼ばれた彼女は最高速度に達する事ができる。

 レイの【瞬刻】には一歩及ばないが、それでも一瞬前まで視認していなかった場所からの強襲に反応できる程、その人形兵器らは過度に高性能ではなかった。

 

「ッ‼」

 

 ただ一人、≪S≫―――スカーレットはその動きを直前に察知して後ろに飛び退いたが、哀れ人形兵器たちは、風の妖精の殺意に捕えられ、逃げ出す事は叶わなかった。

 繰り出される斬撃の乱舞。そして風属性の魔力を纏った銃弾の雨嵐。元より完成に近かったその技は、レイとサラ、そしてシオンとの毎度の死闘を潜り抜けて彼女なりに改良を重ねた結果、局地的に死の嵐を巻き起こすかのような凶悪なモノへと変貌していた。

 必殺戦技(Sクラフト)『シルフィードダンス』。妖精の舞踏と称するには少しばかり凶悪過ぎるその嵐が収束した後に、ミリアムが前へ出た。

 

「ガーちゃん、第二形態変化(フォームチェンジ)‼」

 

 そう声を掛けると、アガートラムは白磁の人形のようなその形態を変えていき、突き出た柄のような部分を、疾駆したままミリアムの小さい両手が掴む。

 声を掛けてから数秒で、アガートラムの姿は一振りの巨大な白鎚へと変形を終える。相当な重量がある筈のそれを、しかしミリアムは薄い笑みすら浮かべたままに最上段に構え、そのまま容赦なく振り下ろした。

 

「いっくよー‼ 『ギガント――――――ブレイク』ッ‼」

 

 叩きつける側面とは対照的になる位置から、まるで推力装置(ブースター)の如く導力エネルギーが噴出し、瞬間的に数百トリムにも匹敵する衝撃が動作不良を起こしていた2機に、トドメとして襲い掛かる。

 着撃と同時に大きく足場は揺れ、叩きつけられた場所は潰された人形兵器諸共円形状にくり抜かれて格納庫の最下層へと落ちて行った。

 

 それらの行動に、一切の躊躇いはなかった。リィンが言ったように、文字通り”全力”で、”最速”で邪魔だった人形兵器を始末する。

 ここに来て、スカーレットはまたしてもトールズ士官学院特科クラスⅦ組という面々の認識を改める事を余儀なくされた。格納庫の底から響いて来た重々しい金属音を耳にすると同時に剣を構え直すと、その直後に斬り込んで来る人物が一人。

 

「あら、あなた一人かしら?」

 

「この足場じゃあそうもなる。まぁレグラムに行く前なら兎も角、今の俺ならスカーレット、貴女の相手をしても不足はないと思うぞ」

 

 そう言ってリィンは、鍔競り合っている太刀に力を込めて、スカーレットとの一騎打ちに臨む。

 実技教練には決して手を抜かない教官と、遠距離不条理攻撃の鬼、否、狐と、鍛えるにあたって容赦という言葉が欠片も存在していない友人に叩き上げられた剣士が今、その成果を十全に発揮しようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 荒廃した軍事施設の一角に、黄金の影が交錯する。

 

 互いに金色の髪を棚引かせ、高速で交わる剣戟の音だけが、その場には響いていた。

 要塞内で響いていた銃撃の音も、演習場の方から伝わる砲撃の振動も、彼らにとっては聞こえていないも同然だ。

 そのような雑音に聴覚を使っている暇などない。今はただ、目の前にいる敵を下す事にのみ全感覚器官と全神経を使い続ける。二人共が違わず、そう思っていた。

 

 ”達人級”のリディアの実力を以てしても、目の前の青年を下すには全力に近しい状態で立ち向かわなければ難しいと判断したのだ。

 武人としての階梯は恐らく”準達人級”クラスだろうが、十数分刃を交わしただけだというのに、その”巧さ”に瞠目せざるを得なかった。

 戦闘方法(スタイル)は膂力を十全に生かしたパワータイプ寄り。それだけだったなら、敏捷力を生かした戦法を得意とするリディアの方が圧倒的に有利に立てる。

 だが彼は―――ライアスは戦い方の”巧さ”にかけては一級と言っても差し支えがない。

 

 

「(っ―――厄介なタイプの相手でやがりますね)」

 

 自力では勝っている。だというのにリディアが攻めあぐねている理由としては、ライアスの攻守切り替え(スイッチ)の早さにある。

 長柄武器を扱う性質上、リーチという点では優位に立てる事は間違いないのだが、リディアに対してのそれは大したアドバンテージにはならない。

 その穂先が体を掠める前に懐に潜り込んで斬り捨てればいい。単純ながらも真理を突いた理論。

 だが彼は、自身のその弱点を早々に理解した上で、リディアの攻撃に逐一的確に対応し、一切隙を見せてこない。

 しかし防御一辺倒かと思えば、少しでも間合いが開けば苛烈に攻め込んで来る。それはまさに、彼の異名に相応しい連撃であるといえた。

 

「確か、≪紅金の天砕(テラー・ザ・ブレイク)≫でやがりましたか。ご大層な名前かと思いましたが、案外そうでもなさそうでやがりますね」

 

「名前負けしてるのは承知の上さ。そもそも誰が呼び始めたのかも分からない異名だしな」

 

 苦笑すると共に、薙ぎ抜かれた戦槍斧(ハルバード)の穂先が容赦なくコンクリートの地面を抉り、土と砂を巻き上げる。

 軽く擦過した程度でもこの威力。単純な筋力だけではなく、良く練られた氣力が生み出すという点ではリディアと同じだが、如何せん、その質は”達人級”の彼女と渡りあえる程に高い。

 

 加え、彼の身体能力を上げているのは、その身に纏った氣力の鎧。

 それこそは、ローエングリン城でガイウスがその脅威を身を以て知った技、『剄鎧』に他ならない。

 

「互いに良いお師匠様に恵まれたよーですね」

 

「え? ちょ、待、アイネス師匠ってば俺の事何か言ってた?」

 

 ライアスの脳裏に浮かぶのは、アリアンロードの手によって≪結社≫に拾われて以後、彼に武人としての心構えや戦槍斧の扱いなどを叩き込んだ女性の姿。

 ≪鉄機隊≫が”戦乙女(ヴァルキュリア)”の一人、≪剛毅≫のアイネス。―――彼女こそがライアスの師でもあった。

 

 口調も態度も、まさしく武人らしい性格をしている彼女に”見込みのある弟子”として可愛がられた(・・・・・・)過去を持つライアスにとっては、自分が≪結社≫から出て行った後に師がどのような反応をしていたかというのは気になる事ではあった。

 

「あー……あ、いや、なんでもねーです」

 

「えー……団長や隊長にシバかれるより、師匠にヤキ入れられる方が何倍も怖いんだが……ま、いっか」

 

 互いに存分に暴れてしまった余波で煙が立ち込める中、今度はライアスが口を開いた。

 

「そういう君もその歳で”武闘派”の≪執行者≫とは恐れ入るね。流石レーヴェさんの弟子だ」

 

「む、貴方もお知り合いでやがりますか」

 

「ま、大将共々お世話になったよ。ホントに強い人の下で修行できるのは幸せだよなぁ。―――まぁ、だからこそ見えてこない(・・・・・・・・・・・)モノもあるんだが(・・・・・・・・)

 

「……それは、どういう意味でやがりますか?」

 

 暗に、君は大切なモノが見えていないと言われたように感じ、リディアは思わず聞き返す。

 しかしライアスは、意味ありげな表情を浮かべたままに戦槍斧(ハルバード)を構え直した。

 

「あぁ、勘違いしないでくれよ? 別に高みから説教しようってワケじゃないんだ。

 ただまぁ、紆余曲折あったとはいえ俺は一応猟兵でな。殺意に塗れた戦場でそりゃあもう色んな人間を見て来たわけさ」

 

「…………」

 

「まぁ、君も≪執行者≫の資格があったって事は何かしらこの世界の”闇”を見て来たんだろうけどさ、ホントに戦場ってのは、人間の生き汚さをよく表している場だと思うワケよ」

 

「だから何を―――」

 

 とりとめのない話に言葉を差し込もうとしたリディアだったが、その直後、ライアスは戦槍斧(ハルバード)を全力で振り下ろした。

 とはいえ、氣力の纏っていないただの振り下ろし。間合い的にもリディアに刃は届かず、一層砂埃の密度が上がっただけだった。

 目晦まし、にしては杜撰が過ぎる。たかが視界を塞がれた程度では、”達人級”の武人にとっては問題にすらならない。

 その為、剣圧で砂埃を振り払おうと剣を構えたところで、ライアスの声だけがリディアの耳朶に届いた。

 

 

『―――窮鼠猫を噛む、という諺を知っているかい?』

 

 

 瞬間、真正面から砂埃の中を突き切って、剣を上段に構えたナイトハルトが姿を現した。

 彼とて、”準達人級”の武人である。氣力のコントロールを行って、短時間ではあるが気配を周囲に同化させる事くらいは出来るのだ。

 普段のリディアであれば、それでも対応できたことは間違いないのであろうが、直前に言われたその言葉が、一瞬ではあるが判断力を鈍らせた。

 

「はぁッ‼」

 

 故に、振り下ろされた剛剣を、リディアは剣の腹で受け止める。先程のように弾き返そうとも試みたが、どうやら全ての氣力を身体強化に回しているらしく、歴然な体格差もあって僅かばかり苦戦する。加え、軸足を踏みつけられている為、蹴り技を繰り出す事も出来ない。

 

「(っ、不覚‼)」

 

 普通の剣士であれば、この状態で既に詰みだ。そしてリディアは、この状態にまで持っていかれた事に関して内心で自責の念に駆られながら、しかし動揺する事はなく再び『分け身』を使用した。

 そして、自らの分身がナイトハルトを背から斬りつけようとしたところで、その刃が真横から防がれた。

 

「っと、残念。やらせはしないんだな」

 

 槍斧の刃で絡め取って防ぎ切ったライアスは、そのままナイトハルトと背中合わせになりながら言葉を交わす。

 

「申し訳ないっすね、軍人さん。囮みたいな真似させちゃって」

 

「フン、平時ならば猟兵の肩など持たないがな。今現在は、貴様に加勢するのが最も正しいと判断したまでだ」

 

「理解ある人でホント助かりましたわ」

 

 ナイトハルトという軍人は真面目一直線の頑固者ではあるが、決して目的を履き違えるような無能な人間ではない。

 今はただ、『リディアという障害を排除する』という目的を果たす為に動いており、その為にはライアスの加勢が不可欠である事くらいは彼が乱入して来た瞬間に理解していた。

 故に、不承不承ではあるが、この場では共闘を行う事を認めたのだ。

 

「チッ―――」

 

 この状態は拙い(・・・・・・・)。そう思ったリディアは無理矢理にでも引き剥がそうと力を込め始めたが、それを察したナイトハルトは、僅かも躊躇う事無くリディアの剣身を鷲掴みにした。

 士官以上の軍人に配布されるその手袋は防刃製ではあるものの、”外の理”で創られた剣に対しては流石に効果が薄い。徐々に刃が食い込み、肌を裂いて噴き出した血が滲み出て来たが、それでも剣身を掴む力は弱まる事はなかった。

 

「窮鼠扱いされた事には思う所はあるが、確かにその通りだ。確かに私達は貴様には及ばないだろうが……だが、それで我々が易々と負け犬に成り下がるとは思うな」

 

 戦場では、一瞬の油断が文字通り命取りになる。弱者が強者に叩き伏せられるのは常だが、弱者が常に敗者に成り下がるという方程式は成り立たない。

 時には息絶えたふりをして油断を誘い、背後から心臓を突き刺される事もある。打つ手がないと分かるや、体中に巻き付けた爆弾に引火させて自爆する輩もいる。物乞いに扮して暗殺を仕掛ける者もいる。

 弱者が全て、勝利を諦めた敗者ではない。己が弱者であると分かった上で、それでもなお”勝利”を掴み取るために足掻き続ける者も確かにいるのだ。

 

 そしてリディアには―――強者に囲まれて修行に明け暮れ、己より強い者に憧憬を抱いて一途に強者になった彼女には、そうした”弱者の矜持”への理解が足りない。

 己より実力が足りない者に対しても慢心をしない姿勢こそあるが、ただひたすらに負けられない戦いに挑んで限界まで足掻いた者らの強さを知るには、まだ経験値が足りないのだ。

 

 かくいうライアスも≪結社≫に属していた頃はそうであったから良く分かる。

 レイに推薦されて≪マーナガルム≫の前身部隊、≪強化猟兵 第307中隊≫に所属を移し、戦場を駆けるようになってからはその”現実”に目を見張ったものだった。

 例え戦車砲の集中砲火に晒されても、暴虐な軍による虐殺の憂き目に遭っても、それでもなお”生きよう”とする人間の執着心や覚悟はまさに窮鼠が猫、否、虎を噛み殺す事すら可能にする。

 

 ましてや、絶対に負けられないという確固たる意志を持った者ほど恐ろしい存在はいない。精神が肉体を凌駕するという、本来有り得ない筈の現象ですら、悪意と殺意が入り乱れる戦場では珍しくないのだから。

 

 

「レーヴェさんはそれを知っていた筈だ。あの人は、弱者が蹂躙される痛みを誰よりも知っていた。そして同時に、弱者の強さを誰よりも知っていた」

 

 

 ≪剣帝≫レオンハルト―――嘗て国家の陰謀の果てに最愛の恋人を亡くし、その犠牲を何より悔い、それに意味を見出そうとした彼は、何より奪われる側の痛みを知っていた。

 そして、恐らくは弟子である彼女にもそれを伝えてはいたのだろう。だからこそ彼女は、誰が相手であろうと慢心はしない、真っ当な武人となる事が出来たのだろうから。

 

 だが、その本質を知る為には口伝だけでは不明瞭だ。

 己の身で体験しなければ、その本質は理解できない。

 

 

「まぁ、そうね。アタシも経歴が経歴だから、分かるわよ、そういうの」

 

 言葉と共に、紫電が散る。

 ライアスが稼いだ時間でナイトハルトは傷を癒し、そしてサラは、体内に残る魔力全てを最後の一撃に使う為に暴発寸前まで練り上げていた。

 

「窮余の一策ってのは、まぁ威張れたものじゃないけれど、それは強者の想像を遥かに超えて来るものよ。―――今みたいにね」

 

 肌を焼き焦がすかのような程に高まった魔力を纏いながら、サラは地を蹴った。

 それを見たナイトハルトは、氣力を限界まで高め上げて剣ごとリディアの体を押し込んでそのまま背後に飛んで離脱した。同時に、ライアスも競り合っていた『分け身』の分身を全力で押し飛ばして、置き土産に背後を一閃してリディアの動きを更に一瞬遅らす。

 それでもリディアが体勢を立て直すのに掛かった時間は刹那のようなものだったが、今はその一瞬のタイムロスが何よりも重要だった。

 

 

「『オメガ―――エクレール』ッッッ‼」

 

 強大な閃光が弾ける。ブレードが三閃し、その度に放たれた斬線が膨大な量の雷光を纏ってリディアの体を焼き切りにかかった。

 

「甘ぇんです―――よッ‼」

 

 だが、リディアの剣の一閃と共に顕現した白い颶風がそれを掻き消す。

 戦技(クラフト)・『零ストーム』。≪剣帝≫が愛用した魔力を無効化するその技は見事にサラの切り札を打ち破ってみせたが―――しかし。

 

「甘いのは、アンタよ」

 

 ボロボロになったサラが、その颶風の中心を突き切って斬り込んで来る。

 そしてそのまま、至近距離まで肉薄すると、導力銃の中に一発だけ装填された、凝縮された雷の魔力を内包した弾丸が放たれる。

 今度は『分け身』ではない、本体への直接的な攻撃。捨て身の覚悟で放たれたそれは、発砲と同時に実際に雷霆が落ちたかのような轟音と衝撃を響かせ、両者共を吹き飛ばした。

 

「かはッ……‼」

 

「ッ……‼」

 

 ”準達人級”三名による同時連携攻撃。さしものリディアも回避が間に合わず、左眼の上部分と左肩辺りの皮膚が裂け、鮮血が飛ぶ。

 対するサラは、制御不能一歩手前の膨大な魔力を抑え込んでいた結果、体中のあらゆる箇所に傷を作り、更に『零ストーム』の中を突き切って来た影響でそれが開き、既に満身創痍の有様だった。

 

 しかし、それでも立っている。少しでも押せば頽れてしまいそうな重症だというのに、それでも目から生気は失われておらず、武器も落とさずに構えたままだ。

 特攻にも似た無謀な突撃ではあったが、事実リディアはこうして傷を負った。出血の方は氣力の操作で止める事が出来たが、盛大に噴き出した額からの血は、完全に左目を覆ってしまっていた。

 

「……浅かったわね。殺れるとは思ってなかったけど……腕の一本くらいは、道連れにできるかと思ってたのに」

 

「…………どうして」

 

 リディアの口から疑問が漏れる。自戒の念や憤懣から来たものではなく、ただ単純に、武人の一人として答えを聞きたかった疑問。

 

「どうして、そこまで自滅覚悟で向かってくるんですか。大人の意地ってーのは、そこまでして貫くモノなんでやがりますか?」

 

「……そうね。アンタが思ってるよりも単純なのよ、アタシ達(大人)は。さっきは生徒の前で倒れられないとか……そんなカッコ付けた事言ったけど、ホントは、違うのかもしれないわね」

 

「え……」

 

「アイツの横に立つのに相応しい女になる為には―――アンタ達(達人級)に負けてくたばるようじゃ話にならないのよ‼」

 

 サラの脳裏を過るのは、帝都での騒乱の際に”戦乙女(ヴァルキュリア)”の一人、ルナフィリアに言われた言葉。

 『私程度の相手に梃子摺っているようでは(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)貴女の願望は成就出来ないと知りなさい』―――その重々しい事実は、確かにサラの心の奥深くに突き刺さっていた。

 

「アタシはまだ立ってる。まだ戦える。―――さぁ≪剣王≫、この首取れるモンなら取ってみせなさい‼」

 

 満身創痍の状態で吼えたその圧に、一瞬だけ気圧された。

 弱者の意地、弱者の矜持。―――あぁ確かに、自分がそれを理解するにはまだまだ経験が足りないのだろう。

 ”帝”の後継者として”王”の名を戴いたのも、所詮はただの僭称だ。こんなにも、ただ一途に「負けられない」という渇望を抱く者の強さを推し量る事が叶わなかったのだから。

 

 だが、それを返上する気は毛頭ない。

 至らないのは確かだが、要はその異名に相応しい武人に成れば良いだけの事。

 

「(此処で退いたら―――お師匠様に草葉の陰から幻滅されやがりますね)」

 

 故に、その覚悟に応えなければならない。

 そう思い、再び剣を構え直した瞬間、不意に脳内に念話が飛び込んできた。

 

 

『あーあー、聞こえる? 聞こえてる? リディアちゃん』

 

「(……聞こえてやがりますが、何の用ですか変た……ルシードさん)」

 

『あ、君を以てしても僕って変態なんだ。まぁ、気の強い美少女にそう呼ばれるとか僕らの業界ではご褒美でしかないけどね‼』

 

「(早々に死んでもらった方が公害要因が一つ減るから良いと思うんでやがりますけどね」

 

 使い魔を介して念話を飛ばして来たのは、≪結社≫の≪執行者補佐(レギオンマネージャー)≫にして≪使徒≫第二柱の補佐官を務める男、ルシード・ビルフェルト。

 つまるところ、リディアの一応の上司に当たる人物ではあるのだが、諸事情により尊敬し辛い人物でもある。

 

『おうふ、ありがとうございます‼ ―――ま、冗談はさておき、そろそろ退いて貰えないかな?』

 

「(……冗談が続いてるようでやがりますね。ここで退けと? 私に?)」

 

 基本リディアは自由奔放な者が多い≪執行者≫の中でも命令には従う従順さを持っているが、今この時に際してはそれに同意する事はできなかった。

 今向かい合っているのは、掛け値なしの本物の覚悟を持った武人だ。元々はただの足止めの任務で会った事は理解しているが、ここで退く事は即ち、「逃げる」事になってしまう。

 

『うん、まぁ君の言いたい事は分かってるつもりだし、個人的に言えば決着くらいは着けさせてあげたいと思うんだけどね? そうも行かなくなったのさ』

 

「(……このタイミングでって事は、ザナレイア先輩の方で何かありやがったんですか)」

 

『ご明察。≪マーナガルム≫の≪二番隊(ツヴァイト)≫隊長と副隊長がライアス君を回収しに来るから、君は早くそこを離れた方が良いと思ってね』

 

 その情報に、リディアは内心で舌を打った。

 幾ら彼女でも、≪鮮血鏖女(ヴェンデッタ)≫に≪蒼刃(ブラウスパーダ)≫、そして≪紅金の天砕(テラー・ザ・ブレイク)≫の三名を相手にして勝利するのは難しい。一人くらいは道連れにする事はできるだろうが、それは勝利ですらない事くらいは理解している。

 

「……しょーがねーですね」

 

 辛うじてその言葉を絞り出したのと同時に、どこからともなくルシードの使い魔(ファミリア)である猫、ケット・シーが現れ、リディアの近くに寄ると、すぐさま移動用の魔法陣を展開した。

 

「申し訳ねーです。上の方から帰って来いと言われましたんで、お別れでやがりますよ」

 

「……そう」

 

 サラとしても、ここで対決を続けた所で敗れるのがどちらかなどという事は聞かずとも分かっていた為、引き留めるどころか挑発をする事もなかった。

 そしてそのまま、不機嫌そうな顔のまま去って行くかと思いきや、リディアはサラ達に向けて律儀に一つ頭を下げた。

 

「敵同士でやがりましたが、その矜持と覚悟は尊敬に値するものでした。―――いずれまた、どこかで」

 

 そう言って光と共に消えていく少女の事を見ながら、サラは膝をついた。

 いずれ必ず、自分はあのような”達人級”の武人に自力で勝利しなければならない日が来る。あの閃光の騎士に勝つには、まだまだ力不足なのだと思い知った。

 

 先は長い。そう感じながら彼女は、薄れようとする意識を何とか保ち、ポケットの中に携帯していたテイア・オルの薬を取り出すと、口に含むより先にそれを頭から被った。

 水滴が頬を伝って患部に染み渡る感触を感じながら、しかし悔しさのあまり強く唇を噛んでいた彼女の表情を窺う者は、幸か不幸かいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 八葉一刀流初伝、リィン・シュバルツァー。

 師であるユン・カーファイからその剣術の端を教わりながら、しかし師によって修行を打ち切られた身。―――つまるところ、未熟者だ。

 

 それ自身、本人も自覚をしていたし、だからこそ強くなろうという向上心をただひたすらに抱いて来た。

 自らの目指す剣の道にすら迷っていたその不甲斐無さを看破し、発破を掛けてくれた事に端を発し、沸き立つ向上心を一度も否定せず容赦なく鍛え上げてくれた友への感謝。

 そして、一緒にいて欲しいと願って、それを受け入れてくれたクラスメイトの存在。リィンが悩んでいた時はいつも相談に乗ってくれた、アリサ・ラインフォルトという少女に対する感謝。

 その他にも、仲間として過ごしながら切磋琢磨し、これまで様々な試練を共に潜り抜けて来た者達への感謝など、彼は今まで、様々な人達の恩恵を受けて強くなってきた。

 

 それこそ―――初伝の剣士の枠を大きく逸脱する程度には。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 剣身が蛇腹のように分かれて襲い掛かる奇異な剣。それが”法剣”と呼ばれる特殊な剣である事は既に聞いていたが、実際に自分が相対してみると、実に戦い辛い事を理解する。

 元より、分裂した剣身を自在に操る技量があるという時点でそれを扱う者の実力もある程度は察せられる。だが、通常の剣とは違う軌道を描くその剣筋に、リィンは追いついてみせていた。

 

「っ―――」

 

 戦っている場所は、『列車砲』格納庫の限定された足場。それも、先程の大規模な攻撃によりただでさえ狭い一本道の途中が破壊され、一対一で戦う事を余儀なくされていた。

 しかし、それが不利だとは思わない。2機の大型汎用人形兵器と共にこの人物の相手をする労力に比べれば、多少戦場が限定されていても一対一で戦える事の方が魅力的だ。

 

「……フフ。思っていた以上にやるじゃない」

 

「それはどうも。鬼のように鍛えられた甲斐がある」

 

 現在、エマとマキアスの頭脳派コンビは一足先に『列車砲』の操縦席に乗り込み、多少なりとも造詣があるミリアムと共に自動操縦モードの解除に尽力している。

 フィーはしようと思えば加勢できるポディションにいたが、何分足場の悪い中での無理な加勢は状況を悪くする場合もある為、解析組の護衛に甘んじていた。

 彼らがその役目を負う事が出来るのは、偏にリィンに対する信頼感の表れだ。今の彼ならば例え援護がなくとも勝てると、そう思ったからに他ならない。

 

 そしてその信頼通り、リィンは今まで鍛え磨いた剣の腕を如何なく発揮する。

 

 奇妙な軌跡を描いて襲い掛かる剣先をギリギリまで迫らせてから紙一重で回避しながら、その回転のままに納刀していた太刀を抜刀してカウンターを叩き込む。

 八葉一刀流・伍の型『残月』。―――先手ではなく、後手の剣術であるそれは、相手の攻撃を読み切る技量が問われるため、八葉一刀流の型の中でも習得が難しいとされている。

 その”入り”はほぼ完璧だったが、その太刀の一閃は手元に引き戻った法剣の刃によって防がれる。

 

「―――フッ‼」

 

 しかし、その程度は想像通りだ。今までレイやサラを相手にこの手段が一体何度失敗したかも知れない。

 攻めの手段の一つが失敗したとあらば、すぐさま次の攻撃手段に移る。失敗した理由を思考している時間など、一秒たりとも存在しない。

 神経を、思考を、体内に存在するあらゆる感覚器官を研ぎ澄ませる。己の内に眠る”力”には頼らず、ただ純粋に一介の剣士としてのリィン・シュバルツァーで勝利を掴み取らなければ意味がない。

 

「ホラ、足元がお留守よっ」

 

「っと‼」

 

 するとスカーレットは一度引き戻した剣身を再び戻し、今度はリィンの足元を掬いに来た。

 この限定された空間内で転ばせられれば、その時点で詰みだ。跳躍して躱そうかと思った直後、それが悪手だと判断する。

 少しでも足が地面から離れれば、当然の事ながら剣士にとって一番重要な踏ん張る力はゼロになる。いつもの士官学院のグラウンドのような場所であれば躱した後に防御し、吹き飛ばされるだけで済むのだが、如何せんこの場でそんな真似をすれば運が悪ければ格納庫の最下層まで落下してしまう。そうなれば、即死は免れないだろう。

 

 故にリィンは―――下段に降ろした太刀の刀身に法剣の剣身を絡ませる事でその刃が足に届く事を防いだ。

 

「っ……中々大胆な真似をするわね、ボウヤ」

 

「生憎、ウチの戦技教導官は滅茶苦茶な試練を課すのがお好みでね。大胆な真似の一つや二つは出来ないと「進歩がない」って怒られるんだよ」

 

 ギチギチと、全力で握り締める太刀の刀身から嫌な音が響く。

 鋼と鋼が永遠に擦れるようなその擦過音は耳に入れて好ましい音では決してなかったが、この音が断続的に響いている内は、スカーレットも自由に法剣の伸縮が叶わない。

 

 その状況を見てフィーが動こうとしたが、膠着状態が続く中でその立ち位置だけは好ましいとは言えず、平たく言えばスカーレットの姿がリィンの陰に隠れてしまっていた。

 通路を分断してしまった穴を乗り越えて加勢する事も考えたが、操縦席での自動制御モードの解除がもうすぐ終了するこの状況で持ち場を離れて、よしんばまだスカーレットが隠し玉を仕込んでいた場合、全てがパァになる。

 考え過ぎだという思いは勿論あったが、一歩間違えれば隣国が焦土と化すこの状況下。念には念を入れておいて間違いではない。

 

 そうした思惑で動かなかったフィーに感謝をしながら、しかしリィンは刀身から嫌な感触が伝わってくるのを感じた。

 

「(くそっ……やっぱり限界が近いか)」

 

 ローエングリン城で相当無茶をしたせいか、ガレリア要塞に入る前までには太刀の耐久度はほぼ限界に近かった。

 刃毀れをした刀身を研ぎ上げてどうにか切れ味は取り戻せたものの、素材の玉鋼の摩耗は如何ともし難く、そこに来ての今回の連戦で寿命が来てしまったのだ。

 そしてそれをいち早く察したリィンは、それでも大きく動揺する事はなく―――寧ろ自らその状況を利用しにかかった。

 

「それじゃあ、もう一つ無茶をさせてもらう」

 

「何を―――」

 

 直後、太刀の刀身に真紅の焔が灯る。

 ユーシスやアリサのように魔力制御にはそれ程長けていないリィンはアーツを武器に纏わせるという戦法を取る事は叶わないが、それでも得意とする火属性の魔力の制御は及第点には達していた。

 それこそ、制御できる限界ギリギリまで放出する事によって戦技(クラフト)の『業炎撃』や、必殺戦技(Sクラフト)の『焔ノ太刀』などの技の威力も入学当初に比べて格段に向上した。

 

 だが今回は、敢えてその魔力制御を一時的に放棄する。

 

「「常識を超えた先に進化がある」っていうのが、友人の言葉でね‼」

 

 熱波だけで火傷をしそうな程の火属性の魔力が、際限なく刀身に注ぎ込まれる。

 その魔力に耐え切れずに罅が入る愛刀に対して心の中で幾百もの懺悔をしながら、しかし確実に勝利を捥ぎ取る為に止める事はない。

 そして遂に、刀身が灼熱を持ったままに、破裂した。

 

()っ―――‼」

 

 その際に、細かく破砕した刀身は、魔力に弾かれるようにして前方へと飛んで行った。

 スカーレットは咄嗟に防御の姿勢を取ったが、それでも防ぎきれなかった灼熱の刃が肌を裂き、焼く。

 その激痛に一瞬だけ怯んだ時、勝敗は決していた。

 

 

「―――八葉一刀流、八の型『無手』」

 

 それは、八葉一刀流に伝わる、剣を喪失した際に振るう唯一の”格闘術”。

 リィンは熱波の中を掻い潜り、肉薄した後に軸足を固定し、右手を掌底の形に保ったまま、スカーレットの鳩尾目掛けてその一撃を見舞った。

 

「か―――はっ……」

 

 体をくの字に折れ曲がらせて吹き飛び、申し訳程度に設置されていた落下防止用の金網に叩きつけられるスカーレット。

 リィンにとっては、八葉の型の中でも特に馴染みの深いこの型は、嘗てユン・カーファイ老師に師事をしていた時に最も徹底的に叩き込まれた技でもある。

 最近はとんと使っていなかった技ではあったが、それでもやはり修行時代に叩き込まれた技術は体に刻み込まれて覚えており、自分でも驚くほどスムーズに一撃を入れる事が出来た。

 

「はっ、はっ……」

 

 それでもやはり、無茶をしたツケは回って来る。

 魔力の欠乏と太刀を失った精神的な痛みが、息を切らせた。

 しかし休む間もなく、ポケットにしまっていたARCUS(アークス)が振動する。リィンは力の抜けた手でそれを操作し、耳元へと持っていった。

 

『リィン⁉ 大丈夫? 生きてる⁉』

 

「……随分な言い草だな、アリサ。とりあえずまぁ、生きてるよ。状況的に一騎打ちしか出来なくて、勝ちはしたけど疲れた」

 

『はぁ……また無茶したわね。レイの魂が乗り移ったんじゃないの?』

 

「この程度の無茶じゃ、まだまだ届いたとは言えないさ。―――だけど、こうして連絡して来たって事は、『列車砲』は―――」

 

『えぇ、何とか止められたわ。……とりあえず、帰ったらシャロン経由で母様に文句言う方向で。あなたも付き合って頂戴』

 

「拒否権はないんだろう? こっちの『列車砲』は―――」

 

 そこでリィンが振り向くと、操縦席にいたマキアスが安堵した表情を浮かべながら頷いていた。分断されていた場所を飛び越えてやって来たフィーも、無言のまま親指を突き立てている。

 

「……こっちも無事だよ。後はサラ教官たちに連絡をつけなくちゃな」

 

『あ……それなんだけど』

 

 アリサは僅かばかり言いにくそうに言い澱んでから、しかし嘘を混ぜる事もなく続けた。

 

『教官たちのARCUS(アークス)に連絡がつかないのよ。何かあったと見るのが妥当でしょうね』

 

「そう、か。それじゃあ誰か向かった方が良いかな?」

 

『あぁ、それなら大丈夫よ。ラウラが行ってくれたから』

 

 その人選に、リィンも納得した。

 B班の面子ならば、ラウラかガイウスかのどちらかが残っていてくれていれば戦力的に問題はないだろう。加えて彼女ならば、道中で人形兵器の討ち漏らしに遭遇しても単身で切り抜けられる実力がある。

 

「了解。それじゃあそっちも拘束の準備を―――」

 

「ッ、リィン、伏せて‼」

 

 最後の一言で締めて通信を切ろうと思ったところで、フィーがそう言いながらリィンの頭を抑え付けた。

 直後、それまでリィンの頭部があった場所に、一発の銃弾が飛来する。

 

「なっ⁉」

 

 思わず驚愕の声を漏らすリィンとは裏腹に、フィーはその弾丸を放った人物に向けて躊躇いなく発砲した。

 

「ぐっ‼」

 

 足を撃ち抜かれて転げ落ちたのは、先程無力化させたはずの戦線の構成員の一人。

 そして、立ち上がっていたのは一人だけではなかった。

 

「っ……」

 

「同志≪S≫、早く行け‼ 必ずや同志≪V≫と合流して、あの男に鉄槌を下してくれ‼」

 

 彼らが立ち上がったのは、恐らく執念とも呼べる気力が肉体の負荷を上回ったからだろう。覚束ない足取りでありながら、しかしその声色には仲間に悲願を託す意志が込められていた。

 

「……えぇ、分かっているわ。貴方達、女神の下で会いましょう」

 

 すると、それに呼応するように気絶していた筈のスカーレットも起き上がる。

 その状況に、フィーが僅かに眉を顰めた。

 

「迂闊だった。……戦場ではこういうのが一番怖いのに」

 

 銃の銃口をテロリストとスカーレットの両方に向けながらフィーが漏らした言葉に、しかしリィンは納得してしまった。

 その意味と状況は違うが、リィン達はこうした意地を今まで何度も見せて来た。弱者の意地という、弱くも重い強固な意地を。

 

 すぐに異常を察してマキアス達が操縦席から飛び出して来たが、その瞬間に死を覚悟した決死の気迫でテロリストたちが斬りかかって来る。

 その攻撃はアガートラムの体とマキアスの防御アーツに阻まれたが、その隙をついてスカーレットが離脱する。

 それを目で追いながら、しかしリィンはその追撃を指示しなかった。……否、出来なかった、と言うべきか。

 

「あっ……‼」

 

「こ、コイツら……」

 

 異変に真っ先に気付いたのはエマとマキアス。

 死ぬ気で抵抗していたテロリストたちが、突然口から大量の血液を吹き出して次々と倒れて行ったのである。

 リィンは何とかまだ動く両足に鞭を打って割れ目を飛び越え、倒れた者達に近づく。

 

「フィー、これは……」

 

「……経口性の強力な神経毒。多分自決用に最初から口の中に含んでたんだと思う」

 

「そ、それって……」

 

「比喩でも何でもなくて、ホントに最初から死ぬつもりだったんだね」

 

 生きて捕えられれば、戦線の情報を聞き出すためにあらゆる尋問が行われるだろう。

 口を割らない、という不退転の決意を持っていたのだとしても、彼らは万が一の事まで考慮に入れて、生きて捕縛される前に自ら命を絶ったのだ。

 

「蘇生は?」

 

「もう無理。このタイプの毒は摂取してから1分以内に適切な処置をしないといけないけれど―――」

 

「ここ、救護用具とかも近くにないしね。残念だけど」

 

 その、どうにもならない事実を突きつけられて、リィンは人知れず歯噛みをした。

 確かにスカーレットとの勝負には勝ったが、それでも結果的には敗北したも同然だ。目の前で人命が失われるという事自体は覚悟はしていたが、それでも今回もまんまと逃げられてしまった事そのものが更に不甲斐無さを増長させる。

 

「(強くなりたいのは本当だし、強くなれた実感もある。……でも、結果の残せない強さに何の意味が……)」

 

 愛刀を失ってまでこぎつけようとした勝利にまたしても手が届かなかった事に心の痛みを感じていると、スカーレットと≪V≫を回収した飛空艇が空中に停滞したまま音声を投げかけて来た。

 それが勝利の宣誓のように聞こえ、悔しさを倍増させながらも、彼はただ、せめてもの矜持を示すため、立ったままその言葉に耳を傾けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リィンの思惑に反して、ラウラは人形兵器の残党に遭遇する事もなく、先程通った道を辿って要塞内部を進んでいた。

 それでも大剣は携えたままに、しかしスピードは落とす事無く、迷路のような廊下を記憶を頼りに進んでいく。

 その道中で全身を銃撃の標的にされて斃れていた者達を何人か見かけたが、その度に胸の内に細い棘のようなものが刺さる感触が感じられた。

 

「(同情などは寧ろ侮辱だとは分かっているが……やはり慣れぬな)」

 

 ラウラも剣を握る剣士である以上、いつかは人を斬るという事態に遭遇する可能性は多分にあり、それを本人も覚悟していた。

 しかしいざ、人の骸を前にすると、己が手に掛けたわけでもないというのに一抹の罪悪感が湧き上がってくる。

 もし自分達がもう少し早く行動していれば、もしかしたらこの人物は死なずに済んだのではないか、と。

 

「(馬鹿な……いい加減にしろ‼)」

 

 だが、それは叶わない現実。意味のない仮定だ。それと同時に傲慢の表れでもある。

 悼み、涙を流す事はあれど、それを己の責任のように全てを背負い込むのは違う。そうでなければ、ラウラは幼い頃の無力さですら、途轍もない罪悪として捉えてしまうだろう。

 それは彼が望まない。望むはずがないと思いながら走っていると、要塞の正面口が見えて来た。煙に混じって陽光が差し込むその中に、ラウラは躊躇う事無く飛び込む。

 

 

「サラ教官‼ ナイトハルト教官‼ ご無事で――――――」

 

 安否を確認する声を挙げようとしたその時、しかしラウラの声帯はそれ以上の声を発する事ができなかった。

 正面口に刻まれた惨々たる破壊の痕跡に絶句したのではない。自らの教官がボロボロになっている姿に動揺したのでもない。

 

 ただその近くに居た人物の姿を見て、全身が硬直してしまったのだ。

 

 

「ぁ――――――」

 

 今まさに屋根部分のない重厚な黒の塗装の車に乗り込んだその青年の姿。

 そんなわけはない、人違いだと訴える心の声が次第に大きくなるのを聞き、それでもなお、ローエングリン城で引きずり出された記憶に嘘を吐かせる事はできない。

 艶やかな金髪と紅い瞳。背丈も伸びてあの頃とは見違えて大人っぽくなったものの、しかしその横顔には確かに面影があった。

 

「ライ、アス…………ライアスッ‼」

 

 思わず声を荒げて呼びかけると、その青年はラウラの方を振り向き、その直後、驚愕の表情を浮かべていた。

 そしてその反応を見て、ラウラはやはり間違っていなかったのだと確信する。

 家が没落し、行方不明だと伝え聞いた時に無意識に思い出を封じ込めてしまったその姿。嘗て共に立派な騎士になろうと誓い合ったその少年は、ちゃんと生きていた。

 その事実だけでも感無量であり、自然に目元から涙が一筋垂れ落ちるのを感じると、今度はライアスの口が開く。

 

「ラウラ? ―――ラウラか⁉」

 

 その言葉に、ラウラは大きく首肯する。そして駆け寄ろうとしたその時、無情にも車のエンジンがかかった。

 

「ちょ、アレクさん⁉」

 

「悪いなライアス。俺個人としてはここで感動的なシーンを見届けてやりたい気持ちはあるんだけどよ、時間切れだ」

 

 運転席にいたアレクサンドロスの言葉通り、演習場方面から複数の大型戦車の駆動音が徐々に要塞方面に近付いてくる音が聞こえた。

 ラウラはその正体を知っている。恐らく第四機甲師団の精鋭が、無人戦車を掃討して救援に駆け付けたのだ。

 

「でもッ‼」

 

「諦めなさい、ライアス。今この場に留まり続ければ、団長やレイ様にもご迷惑が掛かる。―――それが分からない訳はないでしょう?」

 

 それでも食らいつくライアスを、今度は後部座席に座っていたエリシアが冷静に窘めた。

 彼らにとって、自分達を目撃した人物は少なければ少ない程良い。≪鉄道憲兵隊≫の面々やナイトハルトなどは加勢を恩に着て情報は漏らさないと約束してくれたが、流石に正規軍の機甲師団に口を閉じさせるのは容易い事ではない。

 ライアス自身もそれを再確認し、歯軋りの音を鳴らせた後、後部座席の上に立ってラウラを見据えた。

 

「ラウラ‼ いつか絶対、きっと全部話す‼ だから、もう少しだけ待っててくれ‼」

 

「待―――」

 

「アレク、出しなさい」

 

Jawohl(ヤ・ヴォール)‼」

 

 ラウラが引き留めようとする声も間に合わず、エリシアの言葉に声を返したアレクサンドロスがアクセルを踏み抜き、そのまま猛スピードで要塞の敷地内から離脱してしまった。

 最後に見たライアスの悔しそうな顔と、後部座席からラウラの方を見たエリシアの申し訳なさそうな表情が脳裏に焼き付いたまま、ラウラはその場で膝をついた。

 車が巻き上げた砂埃も気にならずに去って行った方向を見続けるラウラに、覚束ない足取りのサラが近づいた。

 

 

「……無事でよかったわ、ラウラ。アンタが来てくれたって事は、上の皆も無事ね?」

 

「はい……」

 

「……知り合いなの?」

 

「えぇ……」

 

 ラウラはいつもの凛然とした様子とは打って変わって、力の籠っていない声で答えた。

 

「会えた……漸く会えたのに……」

 

 半ば放心状態に陥ってしまったラウラを、サラは優しく抱きすくめる。

 その腕の中で声を漏らさずに涙を流しながら、ラウラは運命を祝福し、同時に恨みもした。

 

 嘗て満面の笑みを浮かべていたその見目麗しい貌に浮かんでいたのは、痛々しい表情。

 それを浮かべさせてしまったのが他ならない自分自身だと理解してしまい、その不甲斐無さの感情が彼女の涙を堰き止める事が出来ない原因となって、胸の内に残り続ける事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





Q:何でSクラの『オメガエクレール』を『零ストーム』が無力化してんだよ。
A:マジレスすると放った斬撃が魔力由来のモノだったから。ホントに零ストは禁忌技な。


 というわけでガレリア要塞編はこれにて終了です。

 読者の方の中には、リィン達は強くなった筈なのに原作と結果が同じでつまらん、と感じる方もいるでしょう。えぇ、それについては申し訳ありません。
 ですが、リィン達には「たとえ個人の武力がそこそこ強くなれたとしても、それが直接”勝利”には結びつかない」という事を理解してほしかったので、こういう形に帰結しました。
 試練が終われば、また次の試練が顔を出す。無間地獄ですね分かります。

 そして最後。正直この場面をやるかどうかは最後まで悩んだのですが、思い切って書きました。お蔭で文字数18000字オーバーですよ。
 アリサよりヒロインしてるな。ラウラ。


 それでは今回ご紹介するイラストは≪執行者≫No.XⅦのリディアです。

 
【挿絵表示】






 明日は節分ですね。戯れに節分用のイラストも描いてみたので、明日活動報告に載せます。良ければ覗いて行ってください。

 それでは、次回からクロスベルに戻ります。またお会いしましょう。

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