英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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「おまえは死ぬ。何を置いても殺すべきだと、いま直観した」
         by 天魔・悪路(神咒神威神楽)








≪冥氷≫蹂躙  -in ガレリア要塞前ー ※

 

 

 

 

 

 

 8月31日 16:00―――。

 

 

 緊急時の措置により運転を見合わせる事となった大陸横断鉄道の線路を、車体が青と白に塗装された一台の特急車両が高速で駆け抜けていく。

 ≪鉄道憲兵隊≫が所有する特急列車『クルセイダー』。最高時速約280セルジュという、地上を走る導力車の中では最速の座に最も近しいラインフォルト社製のその列車は、今待機していた双龍橋の停留場所を発車し、一路最高時速でガレリア要塞へと向かっていた。

 

「なるべく速く、しかし事故は起こさないように細心の注意を払って下さい。事故を起こそうものなら元も子もありませんからね」

 

『『『イエス・マム‼』』』

 

 その先頭車両である操縦室は、通常の列車よりも広めに作っており、リベールで多く普及している定期飛行船程のスペースがある。

 そこで高速で移り変わる景色には目もくれず、ただ進む先の正面を見据えながら指示を出しているのは憲兵大尉であるクレア。本来であれば通商会議が行われる時間帯には既にガレリア要塞に到着していた頃合いだったのだが、ガレリア要塞の司令官である第五機甲師団団長、ワルター中将は最後まで≪鉄道憲兵隊≫が要塞内に逗留する事の許可を出す事を渋っていたのだ。

 

 とはいえそれは、決して彼が暗愚であったというわけではない。同じ軍属とはいえ、憲兵隊と機甲師団ではそもそもの命令系統が異なる存在だ。正規軍の華とも言える機甲師団は、司令部や参謀本部から下される命令に沿って行動するのに対して、≪鉄道憲兵隊≫は帝国政府そのものから命令が下る事が多い。

 上層部の許可が下りるまで異なる部隊を要塞内に留めて置きたくないというのは、ある意味では真っ当な考え方だ。なまじワルター中将という人物が典型的な帝国軍人気質の人物である事を考えると、易々と許可が下りない事は最初から分かっていた事だし、実際クレアもそれに対して不満を漏らすつもりもなかった。

 

 だが、今回は運が悪かったと言える。

 テリトリーの保護に固辞したばかりに、複数部隊が逗留していれば被害を多少なりとも軽減できたかもしれない状況に陥ってしまった事について、クレアは内心で僅かに歯噛みしたい気持ちがあったが、その感情は決して表には出さない。

 彼女は策士だ。策士は決して動揺を部下に悟られてはならず、常に余裕を持った態度を崩してはならない。例え自らの策から逸脱した行動を相手が取ったとしても、それすらも策の内だったのだと思わせるような態度を取る事がある意味で最も重要なのだ。

 

「(Ⅶ組の皆さん……サラさんもご無事でしょうか)」

 

 昨日の内にガレリア要塞に入ったという面々を心配しながらも、クレアはもう一つ、内心で危惧していた事があった。

 

 ガレリア要塞が《帝国解放戦線》に襲撃された事実をクレアが知ったのはついさっき―――具体的に言えば十数分前のことだ。

 クレア自身、戦線はクロスベルでの彼らの作戦が成った暁には帝国方面でも何かしらの動きがあるだろうとは踏んでいた。しかし、出没する場所を完全に断言は出来ず、帝国の要所の各地に兵を分散させなければならなかったのは少しばかり痛手であった。

 むしろ、前回の≪夏至祭≫の時は条件に恵まれ過ぎていたとも言える。敵が帝都を狙う事がほぼ断定できていた為、それに先んじて手を打っておく事はそれ程難しい事ではなかったのだ。

 だが今回は違う。カバーしなくてはならなかったのは帝国全土。その中でも皇族の住まうバルフレイム宮の警護は皇室近衛兵と帝都憲兵隊が固めている為問題はなかったが、他の場所に関しては正規軍や領邦軍らと交渉しながら≪鉄道憲兵隊≫の隊員を配置しなくてはならなかった。

 

 ここで時間を食ったのが、この交渉だ。

 正規軍の方は命令系統は違えど同じ役割を持つ同門としてすんなり話が通ったケースが少なくなかったが、領邦軍に至っては四大州都の軍のほぼ全てが門前払いもかくやと言う剣幕で逗留を拒否して来たのだ。

 唯一比較的すんなりと話が通ったのはサザーランド州だったが、それでも手間取った事には違いない。

 

 とはいえ、憲兵隊と領邦軍のイザコザなど、言ってしまえば日常茶飯事だ。帝国全土東西南北に伸びる鉄道本線の範囲内で騒動が起きた場合に即座に駆け付ける彼らと、州内の治安維持に務める領邦軍の間に亀裂があるなど周知の事実であり、クレアにしても無理な道理を押し通す手練手管は一通り心得ているつもりではあった。

 そうして無理に道理を捻じ込んで、軋轢を更に広げながらも配置が出来たのは良かったのだが、如何せん”本命”の場所に時間を取られていた間に事件が起こってしまったのである。

 

 時間が足りなかった、と言い訳するつもりは毛頭なかったが、如何せん≪夏至祭≫の時の対応に際しての関係各所への説明と、≪情報局≫と連携しての戦線メンバーの洗い出し、破壊されてしまった『マーテル公園』の雑木林の一角や、『ヘイムダル大聖堂』などの補修の手続き、果ては司令部や参謀本部に無断で他国の遊撃士を招聘して任務に当たらせた事についての釈明と始末書の山を処理していた為、行動に移るのが一歩遅れてしまった感は否めない。

 

 ましてやそのせいで軍の同朋や後輩達に危害が及んだとあっては、さしもの彼女も内心は僅かな動揺を隠しきれなかった。

 

 

「大尉、岩丘地帯に差し掛かりました‼ このまま行けば30分以内にはガレリア要塞付近に到着できるかと思われます‼」

 

「要塞守備兵からの連絡は未だありません‼」

 

 このタイミングで≪帝国解放戦線≫がガレリア要塞を狙う理由としてはただ一つ。要塞内に格納された二門の『列車砲』だろう。

 人造兵器としては最大射程を誇るであろうと言われているそれは、通商会議の会場となっているクロスベルの『オルキスタワー』を曲射弾頭で直接狙う事も理論的には可能だ。そうでなくとも市内に弾頭が一発落ちただけでもとてつもない被害が出るだろう。

 そうなれば、帝国は周囲の国家からの非難は免れない。特にカルバード共和国などはそれを好機に軍内部の穏健派を抑え込んでノルド地方から帝国の領地を切り取りにかかってくるだろう。

 

 それはクレアも危惧していた事であり、だからこそガレリア要塞が”本命”であると睨んでいたのだが、要塞内には第四・第五機甲師団を含め、精鋭の守備兵が詰めていた事もあってそう易々と『列車砲』の主導権を奪われる事はないと踏んでいたのだが―――少々読みが甘かった。

 

「(あの人物―――ザナレイアが襲撃者の中に含まれていたのだとしたら……)」

 

 現時点で恐らく戦線の最高戦力であろう彼女は、高い確率でクロスベル方面に向かうものであると思っており、その為クレアもレイのクロスベル行きに否定的な立場は取らなかった。あの場所ならば、≪天剣≫と≪風の剣聖≫の二強が揃う場所ならばどうにかなるものと信じて。

 しかし、精強な防人たちがまんまとテロリストの襲撃を許したという事から鑑みれば、あの≪執行者≫は帝国側に攻め込んできたと考えるのが妥当だろう。

 元より帝国方面に回されていたのか、はたまた守りが薄くなった帝国方面に急遽呼び寄せられたのかは知らないが、実際まんまとしてやられた(・・・・・・)のだから弁解のしようもない。

 

 と、思考が悲観的になり始めた所でクレアは頭の中を一度リセットした。

 全てを楽観的に考えるのもそれはそれで浅薄だが、全てを悲観的に考えるのも良くない。ネガティブな考え方は取り返しのつかない失敗をおびき寄せる可能性もある。まだ挽回の余地は充分にあると、そう思う事が何より重要なのだ。

 

 ―――だが、ある意味では危機的状況に陥り、神経が極限まで張り詰めていた事が逆に彼女の、否、彼女らの命を救ったとも言える。

 

 

 

「……?」

 

 まず最初に感じたのは違和感。

 『クルセイダー』の操縦室の全面は一面が強化ガラス張りになっているが、そのガラスが突然薄く曇り出したのだ。

 先程まで正面だけとはいえ外を見ていたから分かるが、岩丘地帯に入ったからといって霧が出てきたわけではない。しかしそうでなければ、湿度が限りなく低い今日の気温の中でガラスが曇るなどという事は、本来有り得ない筈だった。

 

 普通の人間ならば、そこで思考を止めるだろう。それはただの不可解な自然現象に過ぎないのだと、そう思ってしまうに違いない。

 しかしクレアは、直前までその脅威を冷静に分析していた人物の事を思い出す。

 もしガラスが曇った原因が霧の出現などではなく―――

 

 

 ―――急激な外気温の低下が (・・・・・・・・・・)原因なのだとしたら?(・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

「ッ‼ ―――『クルセイダー』緊急停車‼ 今すぐにですッ‼」

 

 普段ならば聞かないクレアの大声の命令に、しかし隊員は一瞬だけ驚きはしたが、すぐに列車の緊急停止装置を作動させた。

 意図の読めない上官の指示に、しかし迅速に応じた対応力の高さも、急停車の衝撃にすぐさま備えた適応力の高さも、全て≪鉄道憲兵隊≫の面々の練度の高さを表していたが、今はその事に喜びを感じている場合ではなかった。

 

 直後、前方―――それこそ車体の先頭と目と鼻の先のレールに、巨大な質量を持った”何か”が突き刺さった。

 急停車の衝撃で慣性の法則によって前方に投げ出されそうになった面々が、直後に上下に大きく揺られる。それでも各々武装を整えようとしている辺り、彼らも瞬時に異常事態である事を判断したようだ。

 

 そして、突き刺さった衝撃で舞い上がった土埃が晴れると、その先に在ったのは―――氷で作られた十字の大剣。

 ≪夏至祭≫での襲撃の際、『マーテル公園』のクリスタルガーデンを襲ったと聞くそれと同じモノが、まるで墓標のように屹立している。

 故にクレアは悟った。

 この襲撃が何を意味するのか。そして標的は誰なのか。―――決して驕りでも自意識過剰でもなく、状況を客観的に判断して、クレアはその見解に至ったのだ。

 

 腰のガンホルスターから愛用の大型軍用導力銃を抜き、部下も連れずに一目散に一番近い扉から外へと出る。

 周囲に散逸する不快な冷気を振り払いながら進むと、件の人物はそこに佇んでいた。

 

「……貴様、クレア・リーヴェルトで間違いないな?」

 

「そういう貴女はコードネーム≪X≫―――いえ、≪冥氷≫のザナレイアで間違いありませんね」

 

 極限まで機能性を重視したような戦闘衣(バトルクロス)を身に纏い、銀髪を揺らした長身の女は口角を釣り上げて不気味な笑みを浮かべる。

 

「あぁ。とはいえ有象無象の雑魚に名前を覚えられても欠片も嬉しくはないがな。貴様とて例外ではない」

 

 雑魚、と罵られた事についてはクレアは怒りを見せない。

 分かっている事だからだ。個人戦闘力という観点で”達人級”や一流と呼べる”準達人級”の面々と比べると著しく劣っているという事は、他ならない自分が良く知っている。

 次々と列車の中から武装状態で出てこようとする部下たちを手を翳して制してから、クレアは敢えて不遜な表情を浮かべた。

 

「しかし、貴女はその”有象無象の雑魚”に用があるのでしょう? 違いますか?」

 

「……ほう? 何故そう思う」

 

「策謀の基礎は、”敵の立場からモノを見る事”……とだけ言えばお分りでしょう?」

 

 確執も遺恨も抜きにして、もし自分がテロリストのメンバーであったら、という観点から物事を見てみれば、自ずとその結論は導き出せる。

 彼らにとってクレアという存在は、帝都での行動を大きく制限してくれた恨みを買うべき対象であり、同時に非常に厄介な存在だ。その参謀役を早期に始末する事が叶えば、以降の作戦を有利に進める事が出来る。―――少し考えれば、赤子にも理解できる理屈だろう。

 

「どうやら少しは頭が回るようだな」

 

 ザナレイアはただ一言そう言って、腰に佩いた剣を引き抜く。

 紛れもない”達人級”。それに加えて広範囲に攻撃する正体不明の氷を操る術も持ち合わせている。敵に回してこれ程恐ろしい者もそうはいない。

 加えて、帝都でのレイとのやり取りを聞く限り、目的であるならば周囲への被害を顧みるような性格でもないだろう。

 

 となれば、クレアが今すべきことはただ一つだけだ。

 

 

「……エンゲルス中尉、ドミニク少尉」

 

「「はっ‼」」

 

「現時点を以て、貴方達に指揮権を限定的に委譲します。今すぐ『クルセイダー』を動かして隊員全員でバリアハート方面まで撤退して下さい」

 

 戦闘に巻き込む前に、部下を戦線から離脱させる事。

 これがテロリストの集団との相対であったのならば、憲兵隊の総力で以て迎え撃っただろう。イニシアチブを握られたからといって悲観するほど柔な人間ではない。

 だが、今回は相手が悪過ぎた。狙いはクレア一人だとしても、攻撃するような意志を見せればザナレイアは躊躇わず憲兵隊の面々にも無慈悲な攻撃を浴びせるだろう。

 こういった手合いの人物は、物量戦で抑え込むという戦法が意味をなさない。勝利を捥ぎ取る方法は、同じ練度の人間を当たらせるしかないというのは、本能的に理解していた。

 

 簡潔に言ってしまえば、勝ち目はない。少なくとも、現状の戦力と状況では。

 

 故にクレアは、部下に撤退するように命じたのだ。今ここで≪鉄道憲兵隊≫の精鋭を全滅させるのは余りにも得策ではない。

 国家に忠義を誓う軍人の一人として、被害は出来る限り最小限に食い止めるべきなのだ。

 

「っ‼ し、しかし大尉‼」

 

「撤退が完了したら直ちに帝都の司令部及び参謀本部に連絡を入れて下さい。―――後の事は任せました」

 

 覚悟を決めたかのようなその言葉に、副官二人がたじろいだ瞬間、クレアは動き出した。

 左腰に括りつけていたポケットから取り出したのは、小型の煙幕弾。それを投擲して白い靄が拡がった隙に、ザナレイアの左側から背後に回り込みながら銃の引き金を二、三回引く。

 銃の制御には自信があったクレアだったが、その攻撃には手応えが感じられない。

 躱されたという事実を冷静に分析した直後、靄の中から高速で氷の鏃が飛来して来た。

 

「ッ‼」

 

 幸い、距離を取っていたためにそれを躱す事は叶ったが、視線が一瞬だけ対象の方向からずれた。

 そして、その一瞬の挙動を見逃すほど、”達人級”の武人は甘くない。

 

「白兵戦の心得もないのに私に挑もうというのか。愚鈍だな」

 

 目を離したのはほんの僅かな時間だった筈なのに、いつの間にかザナレイアの姿はクレアの懐に潜り込んでいた。

 直後、腹部に衝撃が走る。口から肺の中の空気と血が漏れ出るのを感じながら、クレアは自身が”蹴られた”事を自覚する。

 攻撃を受けて後方に吹き飛び、線路脇の砂利道へと投げ出される。一度打撃を受けただけだというのに、全身が鈍器で殴られたような鈍痛を感じながら、それでもクレアは倒れ伏す前に足に力を入れて立ち上がる。

 

 ザナレイアの言う通り、クレアは比較的白兵戦を不得手としているが、それでも軍隊格闘の心得はあり、それなりの訓練は受けている。

 だがそれも、”達人級”の目から見れば不心得も同然なのだろう。今放たれた蹴りも、本気の一撃ではなかった筈だ。

 

 口端から鮮血を垂らしながら、しかしそれでもクレアはザナレイアの姿を今度こそ正面に捉えて発砲する。

 軍用導力銃の弾速は、亜音速には至らないが、それでも常人の目には映らない程の早さである筈で、普通に考えればそれ程は慣れていない距離で発砲されて躱すのは不可能だ。

 だが、そんな”常識”など通用しない。

 

「凡愚が。私を足止めしたいのならばもう少しまともに足掻け」

 

 射線から消えた(・・・・・・・)事を視覚で認識した瞬間、両腕から激痛が走る。

 見れば両の二の腕辺りに深々と氷の杭が刺さっており、流れる鮮血すらも凍らせてしまうような尋常ではない冷痛が全身を駆け巡る。

 銃が手元から零れ落ち、上体が崩れるまでの時間が、やけに遅く感じられた。そしてその背が砂利の上に投げ出された時、ザナレイアのブーツの靴底がクレアの右肩に刺さったままの杭を踏みつけた。

 

「く……あっ……」

 

「アレが愛した女と聞いて少しは期待してみたが……とんだ無駄足だ。その程度でアレの傍に侍ろうなど、笑い話にもなりはしない」

 

 そう言いながら、ザナレイアは杭を押し込んでいく。徐々に開いて行く傷口から次々と溢れて来る血が、砂利道を赤く染め上げて行く。

 拷問のようなその痛みに、しかしクレアは意識を飛ばしてはいなかった。滝のような汗を流しながら、それでも気丈にザナレイアの眼を正面から見据えている。

 

「……その口ぶりからすると、貴女も彼を愛しているように聞こえますが?」

 

「その通りだ。私ほどアレを愛している者もいないだろうよ」

 

 自信満々に言い放たれたその言葉だが、その声と表情には明らかに狂気が入り混じっていた。

 

「だから私はアレを自らの手で殺す。私の愛は、レイ・クレイドルという男の息の根を止めた時点で成就する。貴様には分かるまいよ」

 

「……えぇ、分かりませんね。―――分かりたくもありませんが」

 

「何?」

 

「相手を傷つける事でしか成就できない愛なんて、分かりたくもないと言ったんです‼」

 

 拒絶の言葉を吐きながら、クレアは断続的に激痛が走る左手の、軍服の裾に一本だけ隠し持っていた投擲用のナイフを放つ。

 無論ザナレイアはそれを軽く首をひねる事で躱したが、それでも彼女の銀髪の一房を掠り、それが粉雪と変わって落ちて行く。

 

「貴女の思惑も事情も分かりませんが、その愛情が決定的に間違っている事は断言できます。そんな人間が彼への愛情を説いたところで、聞く耳を持つほどお人好しではありませんよ、私は」

 

「―――ほざくな雑魚が。ならば、寵愛を受ける前に疾く死ね」

 

 そう言ってザナレイアは、銀色に染まった剣を振り上げる。

 数瞬後には死ぬだろうと、そう理解が及んだはずなのに、クレアは焦燥の色を全く見せてはいなかった。

 気がかりなど幾らでもある。部下はちゃんと逃げられただろうか。久しく顔を合わせていない妹は元気にやっているのだろうか。そして―――自身が愛した少年は、自分の死を嘆いてくれるだろうか。

 そう。この瞬間、確かにクレアは諦めてしまっていた。生きて再び大切な人々と会うという事を。

 楽に逝けるか否か。そう考えて双眸を閉じかけた瞬間、その声が耳朶に飛び込んできた。

 

「撃てェェ―――ッ‼」

 

 その号令と共にザナレイアの上半身を銃弾の一声砲火が襲った。

 しかし当の本人は右手をスッと掲げるとただ一言だけを紡ぐ。

 

「『死氷ノ城郭(ニヴル・ライヒシュロス)』」

 

 銃弾とザナレイアの前に聳え立ったのは文字通り氷の城壁ともいうべき堅牢な壁。撃ち込まれた銃弾の一切を無効化したそれは、一斉掃射の嵐が止むと同時に瓦解した。

 その先にいたのは、先程撤退しろと通達した筈の≪鉄道憲兵隊≫の面々。『クルセイダー』に搭乗していたその全員が、武器を手にそこに並んでいた。

 

「っ―――エンゲルス中尉、ドミニク少尉‼ 私は退けと言った筈です‼ 何故―――」

 

「申し訳ありません大尉。緊急停車の影響で『クルセイダー』の導力機関に異常が出たようで、撤退は叶いませんでした」

 

 言葉を挟んできたエンゲルスの言い分に、しかしクレアは否と断言する事が出来た。

 『クルセイダー』はラインフォルト社が心血を注いで造り上げた最新鋭の列車だ。整備兵によって毎日メンテナンスを欠かされた事はなく、たった一度の緊急停車程度で導力機関に異常が出るような柔な代物ではない。

 

「徒歩で撤退しようとも思いましたが、列車のすぐ背後で原因不明の落石事故があり、それも叶わず、こうして微力ながら大尉の救援に参った次第です」

 

 そう言い放ったドミニクの口元には、しかしどこか満足げな笑みが浮かんでいた。

 見ればそこにいる憲兵隊の兵士全員が、覚悟を宿した表情を浮かべていた。此処で死ぬ事に一片の悔いもないと、言外にそう言い放っているように。

 

 

「逃げてください、早く‼ でなければ―――」

 

「「私が逃がした意味がない」と? 僭越ながら大尉、それは違います」

 

「≪鉄道憲兵隊≫は、大尉なしでは機能致しません。例え私達が志半ばで果てても、大尉が生きておられる事が重要なのです」

 

 堂々とそう言い放つ彼らの言葉を、しかしザナレイアは嗤い飛ばした。

 

「下らないな。蛮勇と呼ぶにも烏滸がましい。仮にも一国の防人が、犬死にを好むとはな」

 

「違う。国の防人であるからこそ、我らは誇りを守るのだ」

 

「犬死にでもないわ。大尉はこんな場所で貴女のようなヒトに殺されて良い方ではない」

 

 それは、彼らだけの言葉ではない。後ろに控える隊員全員が、頷くまでもなく肯定の意を放っている。

 信用、信頼。それに起因する絶対の忠誠心。それを悟ったザナレイアは、杭から足を離し、何が気に入らなかったのか深く眉を顰めた。

 

 

「誇り? 忠誠? 信頼? ―――は、雑魚が一丁前に”それ”を囀るな。

 そんなモノはまやかしだ。信じ、尽くすのは己だけで良い。”絆”と呼ぶような存在は、私が女神と比肩して唾棄するモノだ」

 

 ピシリ、ピシリと。

 ≪ゼルフィーナ≫に氷の波動が乗って行く。まるでその怒気に呼応するかのように、周囲の冷気も一段と勢いを増していた。

 それと同時に、隊員たちの様子にも変化が現れていた。

 

「っ……こ、これは……っ?」

 

「か、身体が、重……?」

 

 冷気に身を窶した者達の体が、こぞって重くなっていく。

 否、正確には動きが鈍くなっている、と言った方が正しい。とはいえそれは、急激な温度変化による体調の変化などでは断じてない。

 

 

 クレアはこの時点では理解していなかったが、これこそが≪執行者≫No.Ⅳ ≪冥氷≫ザナレイアの―――≪虚神の死界(ニヴルヘイム)≫という名の聖遺物(レリック)が引き起こす真の能力。

 元々、≪虚ろなる神(デミウルゴス)≫がこの世から消滅する際に生まれ落とされたモノの片割れであるコレは、本来の至宝の能力である”因果律の操作”の前段階とでも言うべき”未来視””対象情報の開示”の能力を持つ≪虚神の黎界(ヴァナヘイム)≫とは異なり、至宝がこの世を去った原因である『人間たちの醜さへの失望』―――つまるところ至宝の”負の側面”が凝縮された聖遺物(レリック)なのである。

 

 ―――これ以上ヒトの醜さを見ていたくない。

 

 ―――これ以上ヒトの文明が発展し、欲望が加速する様を見ていたくない。

 

 ―――自分が愛そうとした人類が精神的に衰退していく一方ならば。

 

 ―――そんな文明など(・・・・・・・)止まってしまえば良いのに(・・・・・・・・・・・・)

 

 

 そんな、ある意味では至宝の本性とも言うべき渇望が生み出した能力こそ、『未来化の停滞』。

 時間軸という限定的なモノに作用するのではなく、自身の力が干渉した空間に作用し、”世界の流れ”から切り離す能力である。氷の異能は、単に『停滞』または『停止』を司る象徴的な二次能力に過ぎない。

 

 故に、ザナレイアの異能によって傷つけられた場所は、”世界の流れ”から一時的に切り離された状態になる為、文明化以後に発明されたアーツや薬物でそれを治療する事は叶わない。

 レイがそれを治療する事が出来るのは、単に彼の扱う≪天道流≫という呪術が、神性存在をも封印できるように改良された技であったというだけ。本来であれば、純度の高い神性存在などでなければ手が付けられないという恐ろしい能力である。

 

 そして今、”冷気”という形で空間に干渉しているザナレイアの能力に囚われた隊員たちは、軽度ではあるが皆、『停滞』の能力の干渉を受けているのである。

 

 

「蹂躙だ。慈悲などないぞ。貴様らは私を怒らせたからな」

 

 剣を構え、虐殺を始めようとするザナレイア。

 その先に起こる悲劇を起こさせまいと、クレアは再び口を開いて挑発を行おうとしたが―――ザナレイアの身体を真横から襲った衝撃に掻き消えた。

 

「え……?」

 

 思わず、二度、三度と瞬きをしてしまう。

 目の前には、側方から飛来した”何か”に胴体を貫かれ、腰から心臓の辺りまでが見事に吹き飛んだザナレイアの姿。しかしぶちまけられる筈の血や臓物は一切飛び出さず、”何か”に貫かれた部分が氷と変化して飛散する。

 通常攻撃ではダメージを与える事はできないという事は、以前レイとの戦いを間近で見て知っていた為、特に驚く事ではない。

 問題は、何が飛んで来たのかという事だ。それについて思考を巡らせはじめると、数秒後に左方に存在する岩丘の先の小山、その場所から重々しい発砲音が響き渡る。

 

「(超遠距離狙撃⁉ 一体誰が―――)」

 

 その正体に対して疑問を脳内で口にすると、隊員達の後方から疾駆して来た漆黒の影が、残っていたザナレイアの上半身を真紅の双閃で斬り刻む。

 クレアの視界に映ったのは、軍服にも似た黒と赤の戦闘服を着込んだ一人の女性の姿。腰辺りまで伸びた艶やかな黒髪がフワリと舞い、その両手に携えられていた真紅の輝きを放つ刃を填め込んだ双軍刀が、氷の結晶の軌跡を描いていた。

 

「”絆”を唾棄する、ですか。えぇ、そうでしょうね。今の(・・)貴女なら、そう言うでしょう」

 

 女性は、その双剣と同じ赤の瞳の光を燻らせて、ザナレイアを睨み付ける。

 するとザナレイアも、再生が終わった顔を忌々し気に歪ませて、その口を開いた。

 

「貴様ッ、≪鮮血鏖女(ヴェンデッタ)≫‼ 私の前に姿を晒すとは良い度胸だな‼」

 

「貴女も、相も変わらず姦しいですね。相手をしてくれる≪執行者≫が軒並み消えてから、癇癪でも溜め込んでいたんですか?」

 

 その二人のやり取りの中で聞こえた女性の二つ名。それにクレアは聞き覚えがあった。

 猟兵団≪マーナガルム≫、その実働部隊の中でも最強の呼び名が高い『二番隊(ツヴァイト)』を率いる女傑。数多の戦場で≪鮮血鏖女(ヴェンデッタ)≫と呼ばれ恐れられる猟兵。

 名は、エリシア・クライブ。個人戦闘力では≪マーナガルム≫最強と目される人物である。

 

 

「おー。隊長盛り上がってんなぁ」

 

 そして、悠々とクレアの横まで歩いて来て体を抱え起こしてくれたその男性とは、以前顔を合わせた事があった。

 

「アレクサンドロス、さん?」

 

「おう、大尉さんお久し振り。……っと、呑気に挨拶してる場合じゃねぇわな。少し掴まっててくれや」

 

 そうして緑髪の長身の男、以前帝都でクレアと顔を合わせた≪マーナガルム≫の一員、≪蒼刃(ブラウ・スパーダ)≫アレクサンドロスはクレアを抱えたまま跳躍し、そのまま憲兵隊達の後方に移動する。

 

「た、大尉‼」

 

「ご無事ですか⁉」

 

「アンタ達、この傷は塞ぐのは無理だから、取り敢えず傷口から心臓に近い部位を縛って止血してくれ。一応それで失血死は免れる筈だ」

 

「は、はい‼」

 

 一先ず、アレクサンドロスを敵ではないと判断した様子の隊員は、手際良く指示に従って止血処理を済ませてしまう。

 周囲一帯を覆っていた冷気は、最初の狙撃の影響で消え去っており、隊員達も普段の動きを取り戻していた。

 

 最悪の事態は免れた事を確認すると、アレクサンドロスは肩に背負っていた漆黒のケースの中から何かを取り出して手の中に収めた。

 それは、刃の部分が蒼色に染め抜かれた大剣。その武装こそ、彼を≪蒼刃(ブラウ・スパーダ)≫たらしめているモノであり、見た目だけでもかなりの重量がありそうなそれを軽々しく持ち上げて肩に担いだ。

 

「隊長、こっちはOKですぜ‼」

 

「了解しました。―――さて、どうしますか? ザナレイア」

 

「…………」

 

 憲兵隊の隊員達の守護はアレクサンドロスが担当し、状況が整う。

 未だ最上級の緊迫感が漂う中、途切れそうな声でクレアがアレクサンドロスに問いかけた。

 

「何故……貴方方が此処に?」

 

 それは、別に非難の意を込めたわけではない。純粋な疑問だったのだが、アレクサンドロスはバツの悪そうな顔を見せた。

 

「あー、スマン。別に戦争起こしに来たわけじゃないんだわ。―――ただ、大将にお願いされちまったんでな」

 

「大将……レイ君、ですか?」

 

「あぁ。”帝国側で何かあった時は頼む”ってな」

 

 そしてその頼みを、≪マーナガルム≫団長、ヘカティルナは了承した。

 遣わしたのは『二番隊(ツヴァイト)』の最高戦力である隊長のエリシアと、副隊長のアレクサンドロス。

 ”達人級”であるザナレイアの知覚外から超遠距離狙撃を成功させた、『三番隊(ドリット)』所属、≪魔弾姫(デア・フライシュッツェ)≫リーリエ。そして同隊所属であり、観測者兼護衛である≪凶笑≫アウロラ。

 

 本来であれば、テロリスト風情に当たらせるにはオーバーキルもいいところの人選だが、相手が”武闘派”の≪執行者≫であればそれもやむを得ない選択だ。

 

「(また、お礼をしなければいけませんね……)」

 

 自分の身を案じてくれたのか、はたまたⅦ組に関わる全ての事柄に気を揉んでくれたのかは分からないが、それでも気を配ってくれた想い人に再び感謝の念が湧いてくる。

 それと同時に、そんな想い人の愛を受け取る前に”生”を諦めようとしてしまった自分に対して、憤慨の心が湧き上がってくる。

 

 そんな事を考えていると、クレアを戦闘の余波が出る位置から下げた二人の副官が、徐に深々と頭を下げた。

 

「申し訳ありませんでした、大尉。我々とて大尉のお考えには気付いておりましたが……それでも命令違反を犯した事については弁解は致しません」

 

「どのような処罰も甘んじて受け入れます。それは此処に集った隊員一同、一人として異論はありません」

 

 見れば、先程まで死を覚悟していた隊員たちが全員膝をついて頭を垂れていた。

 彼らは本当に、命令違反の処罰を甘んじて受け入れるつもりなのだろう。しかしクレアは、そんな彼らに対して薄く微笑んだ。

 

「中尉、少尉。私は……貴方達に限定的に指揮権を委譲すると言いました。……つまり、私の命に反しても、なんら問題はないという事です」

 

「し、しかし‼」

 

「それに……私を生かすために勇敢に立ち向かってくれた部下を処罰するなど、私にはできません。―――本当に、ありがとうございました、皆さん」

 

 その言葉を聞いた瞬間、隊員一同が一斉にクレアから顔を逸らした。

 その中からは「やっべぇ……大尉美しすぎる」「あぁ、生きててよかった……」「命果てるまで一生着いていくっす……」などの声がボソボソと挙がっていたが、幸か不幸かクレアがその声を拾う事はなかった。

 すると、その様子を見ていたアレクサンドロスがくつくつと笑みを溢した。

 

「良い部下に恵まれてんじゃねぇか大尉さん。―――本当の事言うとな、結構ギリだったんだよ。俺達が此処に辿り着くのと、リーリエの奴が狙撃ポイントを確保する前にアンタが襲われちまったからな。

 だから、アンタの部下が命張って立ち塞がってくれてなかったら、俺達は間に合わなかったかもしれなかった」

 

 その声色は直前までと違って悔しそうで、しかしだからこそ憲兵隊員への衒いのない称賛があった。

 

「猟兵風情に言われるのも癪かもしれねぇけどさ。礼を言わせてくれ。

 アンタ達が根性みせてくれたお陰で、俺らはまた大将の大切な人を失わずに済んだ」

 

「……いや、礼を言うのはこちらの方だろう。諸君らが駆けつけてくれなければ、私達は残らず命を落としていただろうからな」

 

 彼らにとってエリシアやアレクサンドロス達は、クレア・リーヴェルトを救ってくれた恩人であり、それ以上でも以下でもない。故にここでは、所属の云々で敵愾心を見せるつもりは毛頭なかった。

 

 

「―――えぇ、まったく。差し支え無ければ、私からの感謝も受け取って頂けますでしょうか」

 

 すると、アレクサンドロスの隣に黄金の炎が急に灯ったかと思うと、それはすぐに和服を重ね着した美女の姿となって顕現した。

 その突然すぎる登場に隊員たちは再び臨戦態勢に入ろうとしたが、それをクレアが手で制した。

 

「シオンさん……」

 

「帝都以来ですなクレア殿。早速ですが、傷の治療をさせてはいただけませぬか?」

 

「え、えぇ……それは願ってもありませんが……どうして私の事を?」

 

 普段からレイの傍に侍っている彼女が、どうしてこのタイミングでこの場所に来れたのか。

 その疑問に、シオンはクレアが腰に吊るしているポケットの一つを黙って指さした。

 

「そこに、主に縁の在る代物があるのでしょう? 主の呪力が籠っている依代があれば、少々特定までに時間はかかりますが、ヒトが移動するよりはるかに早く、私はその依代の下へ飛べるのです」

 

 クレアは、未だ激痛の残る左腕を何とか動かして、ポケットの中から”それ”を取り出す。

 帝都でのデートの際にレイに買ってもらい、そして彼がクロスベルに発つ前に何かを仕込んでいた藍色のブローチ。

 彼はそれを”お守り”と言って、クロスベルから自分が戻るまで肌身離さず持っていてくれとも言っていた。それが今、見慣れない文字が表面に浮き上がり、怪しい光を放っている。

 

 つぅ、と。クレアの瞳から涙が零れ落ちる。

 自分が愛した男性(ひと)が、何重にも保険を掛けて自分を護ってくれた。お前は死ぬな、絶対に死ぬなと言う叫びが聞こえて来そうで、クレアは喜びのあまりその涙を止められなかった。

 

 やがてシオンがその手に黄金色の光を宿し、氷の杭で貫かれた患部をなぞっていく。

 淡い神性を宿したその光は、”世界の流れ”から切り離された箇所の呪いを解いて、続いて施される治癒術で以て回復していく。

 断続的に続いていた激痛も弱まり、ようやく精神的に余裕を取り戻したクレアは、激しい音が鳴り響く前方を見据えた。

 

 

 

 そこでは、二人の武人が合図もなしに轟音を響かせて剣戟を交わしていた。

 剣身が分裂し、変幻自在の攻撃を繰り出すザナレイアを前に、しかしエリシアは僅かも臆する事無く双軍刀を振るう。

 剣戟の火花が散る度に、紅の軌跡が尾を引いて斬線を残す。剣士の常識を覆し、虚を突く武を振るうザナレイアの苛烈な攻撃に、一歩も退かずに食らいつくその姿は、ある種の執念のようなものを感じさせる。

 

 四方八方、あらゆる角度から必殺の刃が迫る中、髪の一房たりとも斬り飛ばさせず、斬り結ぶ音が無限に反響する。

 ”達人級”を相手に顔色一つすら変えず互角の戦いを演じる姿。それは、彼女もまた武人として同じ階梯に立っているのだという事を否が応でも理解させられた。

 

 

 それもその筈。エリシアは≪マーナガルム≫に存在する四名の”達人級”の中でも、特に攻勢に秀でている。こと”攻める”状況に立っている内は、団内でも彼女に勝る武人は存在しない。

 凛冽な表情の奥に潜んだ激情を燃料に、彼女は剣を振るう。加え、≪マーナガルム≫がまだ≪結社≫の強化猟兵であった頃からとことんまで馬が合わなかった≪執行者≫が相手となればその攻め手も一層苛烈になる。

 

「ハッ、レイの奴隷で≪軍神≫の狗が良く吼える。随分と戦場の雑魚を相手に良い気になっているようだな?」

 

「貴女こそ狂いっぷりは健在のようで。それこそ路傍で小蠅のように死んでいれば、レイ様のお手を煩わせる事もないでしょうに」

 

 剣戟の合間に互いを罵るその言葉に友愛の感情は一切ない。ただ純粋に、彼女らは互いの存在が煩わしくて仕方がないのだ。

 憎しみが殺意に昇華し、そして刃と刃が弾き合う結果へと帰結する。漆黒の髪が揺らぐたびに、新たな斬線が二桁は繰り出される。静謐とは対照的な戦場を揺れる眼で眺めながら、クレアは再び口を開いた。

 

「エリシアさんの、勝算は?」

 

「いやぁ、どうだろうなぁ。≪結社≫に居た頃も顔を合わせりゃ殺し合いの二人だったし、ぶっちゃけ互いの癖とか知り尽くしてんだよ。だから分からん」

 

「で、ですが、≪冥氷≫には単純な物理攻撃は……」

 

「あぁ、それなら心配要らねぇよ(・・・・・・・・・・・)

 

 

 意味深な言葉をアレクサンドロスが漏らした矢先、己の首筋を狙った一閃を、エリシアが左手に握った軍刀で弾く。その際に生まれた(びょう)程の間隔を、”達人級”の武人が見逃すはずもない。

 それは、常人から見れば本当に刹那の出来事だっただろう。罠か否かを見極める時間すらないその瞬間に、エリシアは軍刀を構え直して一気呵成に攻め立てていた。

 

 素人目には、その剣閃は乱雑に見えるかもしれない。しかし一見無軌道なそれは、ありとあらゆる方角からザナレイアの急所を狙う。

 ともあれ、それもクレアの言う通り通常であれば脅威にはならない。聖遺物(レリック)と深く繋がっているザナレイアの肉体は、既に原理上、通常の武装では傷一つ負わせることは出来ないのだから。

 しかしエリシアはその剣撃を繰り出す直前、呟くように口を開いた。

 

「『破壊を刻め』―――≪シュルシャガナ≫」

 

「ッ」

 

 まるで短い祝詞の如く言葉が刻まれた直後、双軍刀の紅刃が言葉を紡ぐ前よりも煌々と光を生み出す。

 その様子はまるで永劫に消えない炎を纏っているようで、そしてその刃を視界に収めたザナレイアが、更に忌々し気な視線をそれに向ける。それと同時に、ザナレイアがエリシアの剣撃を”防御”した。

 

 しかし、同時に繰り出された片方の軍刀がザナレイアの肩口付近を擦過した。

 すると、帝都でレイの≪布都天津凬≫がそうしたように、掠った場所から鮮血が迸る。その箇所は直ぐに凍結されて止血されたが、傷を負ったという事実は変わりない。

 

「あ、あれは何ですか? あの剣は……」

 

「神造兵装≪シュルシャガナ≫―――昔大将が何処かの古代遺跡で拾って来た代物らしくてねぇ。まぁ言っちまうと古代遺物(アーティファクト)の一種なんだが、限定的に神性付与の攻撃ができる。―――あ、コレオフレコな。教会辺りにツッコまれるとうるせぇし」

 

「あの刀身は主の刀と同じ、”神性殺しの刃”です。使用者への負担が激しいため一瞬しか真価が発揮できませんが―――それでもアレを傷つけるには充分でしょう」

 

 シオンのその言葉通り、≪シュルシャガナ≫は数秒だけ”神性殺し”の効果を発揮し終えると、その光が再び閉じられる。

 再び距離を取ったエリシアを追撃しようと足に力を込めたザナレイアだったが、直後、再び真横から飛来した衝撃に対して氷の城壁を盾にして防ぐ。

 その厚さは先程の数倍であったというのに、飛来した大口径弾丸はその八割ほどを貫いて力尽きた。まともに食らえば、先程のように体が粉微塵になっていただろう。

 

「……着弾と発砲音の間隔が離れすぎています。一体どれほど離れて……」

 

「優に3000アージュ以上先からの狙撃でしょうか。流石はリーリエ殿です」

 

「本気でアイツに狙われたら”達人級”でも殺られかねぇからなぁ」

 

 その狙撃距離に、クレアだけでなく憲兵隊の全員が瞠目する。

 距離3000アージュ以上先からの超々遠距離狙撃。それが可能となる銃の有無は元より、成功させる狙撃手の技術の高度さは計り知れない。

 帝都で出会った時は声が出せないというハンデを負いながらもお菓子が好きな可愛らしい少女であるという認識だったが、それでもやはり戦場では死神と化すらしい。

 まさに、≪魔弾姫(デア・フライシュッツェ)≫の異名に相応しい人外じみた技術。この広いゼムリア大陸でも、同じ芸当が出来る者が果たして何人いるのだろうか。

 

「っ―――痴れ者がァッ‼」

 

 その一撃にザナレイアの激情が再び膨れ上がり、それに呼応するように地面から生えた氷の杭が円状に拡散して周囲を崩壊させていく。

 エリシアは鍛え上げた敏捷力を以てして杭の合間を縫うように躱していったが、憲兵隊員達を守るように立ち塞がっていたアレクサンドロスは回避行動を取る事が出来ない。

 

「アレク、任せました‼」

 

「オーライ、隊長‼ さぁ、ギアを上げるぜ≪アスカロン≫‼」

 

 エリシアからの指示を受け、アレクサンドロスがその手に携えた蒼の大剣に魔力を込め始める。

 すると、剣身の根元、鍔と連結している部分に備え付けられていた回転式の弾倉のような機構が回転を始め、そこから金色の薬莢が弾き出される。

 ガシャン、という、歯車が噛みあったような音が剣の内部から響いた直後、淡く光り始めた剣を腰だめに構え、そこから一気に真横に振り薙いだ。

 

 繰り出されたのは、魔力の塊とも言うべき蒼の斬線。≪アスカロン≫と銘打たれたその剣から放たれたそれは、慈悲なく容赦なく串刺しにせんと迫っていた氷の杭を豪快に薙ぎ払ってその進軍を見事に止めてみせた。

 

「お見事です。アレク殿」

 

 それに続いたのは、クレアの治療を終えたシオン。

 ”三尾”まで封印を解除した彼女の掌から放たれた黄金の神炎は、主の心象を表すかのように荒れ狂う冥土の絶氷のみを溶かし尽くし、聖遺物(レリック)の影響力を完全に打ち消してみせる。

 

 その様子を見てザナレイアは冷静さを取り戻すと、コンマ数秒で現状を把握し尽くし、小さく舌打ちをした。

 

 正面には”達人級”が一人。そして背後には”準達人級”が一人と、零落したとはいえ天敵とも言える高い神性を持つ神狐が一匹。そして、僅かでも隙を見せようものなら精密な狙撃を行ってくる鼠が一匹。

 その、彼女を以てして不利であると言わしめざるを得ない状況を把握すると、腕をそのまま軽く掲げた。

 すると、彼女の足元に転移用の魔法陣が浮かび上がる。

 

「……いいだろう、今は潔く退いてやる。月喰みの狼、貴様らの力に免じてな」

 

「…………」

 

 エリシアは不遜なその物言いに眉を顰めたが、この場で挑発を重ねる程馬鹿ではない。

 

「≪軍神≫に伝えろ。貴様らの宣戦布告、確かに受け取ったとな」

 

「おーおー、団長もついにヤバい奴に目ぇつけられたな」

 

 そんな雰囲気の中でも飄々とした態度のアレクサンドロスを睨み付けるように一瞥してから、ザナレイアはそのまま転移陣の光に包まれて消えて行った。

 それと同時に身がひりつくような殺気が消え、そこにいた全員が緊張感を緩和させた。

 エリシアとアレクサンドロスが得物を仕舞い、シオンも神炎を鎮火させて尾の数を”一尾”に戻す。

 

 怒涛のように過ぎ去った襲撃は、一先ず一人の人的犠牲も出さずに収める事が出来たが、それでも散々痛めつけられたクレアの意識は、そこで一旦、張り詰めた糸が切れたかのように暗転した。

 その場所からおよそ数百セルジュ先、もう一つの襲撃の現場となった要塞の様子を見る事は叶わず、≪鉄道憲兵隊≫及び≪マーナガルム≫の応援は、見事に”足止め”を余儀なくされてしまったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 クレアさんホントスミマセンっしたあああああぁぁっ‼ m(__)m
 いやホントごめんなさい。本当はここまで嬲るつもりはなかったんですけど、ついついやりすぎてしまいました。ちょっと波旬に滅尽滅相してきてもらいます。

 後、何気に”戦闘員”としての≪マーナガルム≫初登場です。初登場から個人戦闘力では最高峰の面々が出てきてしまいました。やりすぎたかなー、と反省しております。
 
 それと、アレクサンドロス兄さんの≪アスカロン≫の機構が分かりにくいかなと思ったので捕捉しますと、この剣のモデルは『ファンタシースター・ポータブル2 ∞』のキャラ、ナギサが持っていた剣です。見た事がない方は『魔法少女リリカルなのは』に登場する”ベルカ式カートリッジシステム”デバイスを思い浮かべて下さい。あんな感じです。

 アレクサンドロス兄さんとリーリエちゃんは第4章の『閑話 休息の戦士たち』以来の登場でしたが、皆様覚えておいででしたでしょうか。



今回の提供オリキャラ:

 ■エリシア・クライブ(提供者:漫才C- 様)


 ―――ありがとうございました‼





※えー、では今回登場した≪鮮血鏖女(ヴェンデッタ)≫エリシア・クライブ、≪蒼刃(ブラウ・スパーダ)≫アレクサンドロス、≪魔弾姫(デア・フライシュッツェ)≫リーリエのイメージイラストを添付していきます。


エリシア:  
【挿絵表示】

アレクサンドロス:  
【挿絵表示】

リーリエ:  
【挿絵表示】




 次回、ガレリア要塞側に戻ります。
 地獄はまだ続くぞー‼

 

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