■前回までのあらすじ
《帝国解放戦線》の切り札によってギリアス・オズボーンが狙撃された帝都に赴いていたレイ・クレイドルは、ヴィータ・クロチルダの策略によってザナレイアとの戦闘後、《侍従隊》の一、《天翼》フリージアの一撃を打ち消す為に己の呪力の全てを解放する。
だが、足りない呪力を補うために自身の左腕を代償に捧げ、その結果辛うじて帝都を大虐殺の悪夢から救う。
気絶したレイは、それでもシオンの背に乗ってトリスタへと戻る。
まだ、守らねばならないものが残っているからだ。
戦いにおける経験値は偉大だ。
不測の事態、相対する敵の情報不足。その他諸々の「どうにもならない事態」に直面した際、頼りになるのは”直感”、そして”経験値”に他ならない。
才能だけで補える戦いには限界がある。努力を積み上げたとしても、実戦をこなしていなければ意味は無い。紙の上に表示されるだけの
そういう意味では、今の自分は限りなく無力に近いだろうと、そうリィンは理解していた。
いつもとは違う戦闘。己の身体を動かす感覚と、実際にこの灰色の騎士人形が動く感覚が乖離している。
その感覚の差を一刻も早く埋めなければならない。だが、悠長に時間を掛けていられる時間は存在しない。眼前には既に”敵”がいるのだから。
『学生如きが、我らの道を阻むな‼』
緑を基調に着色された、盾と片手剣を構えた機械兵。だが無人機というワケではなく、あくまで人間が操縦しているものであるというのは既に分かっている。
練度であれば、恐らくあちらの方が上なのだろう。だが、その言葉を真に受けて退くわけには行かない。
この街道の先にはトールズがある。皆と過ごした士官学院がある。もう一つの街道を守っている戦力を疑う気などさらさらないが、此方の道を機械兵の進撃から守れるのは、今は自分だけなのだ。
自分が知る限り師に次いで強い友は、今はいない。彼は今も彼の戦場で戦っているのだろう。
であれば、帰る場所は自分が守らなければならない。それがこれまで彼に幾度も助けられてきた自分が出来る、恩返しの一つなのだから。
灰色の騎士に退く気配がないと分かったのか、機械兵が剣を振り上げた。
腕前は恐らく、素人が少しマシになった程度だろう。軍属ではあるのだろうが、拙い。未熟な自分が他者を評するなど烏滸がましいと分かってはいるが、剣士としての練度は低い。
関節一つを動かすにも全神経を集中させる。脳内での動きと、実際の動きとの
此方に得物は存在しないが、まぁ、それならそれでやりようはいくらでもある。
「《八葉一刀流》八の型―――『
それは、自分の中伝試練を担当した姉弟子の異名の一つと同じ名の技。
相手の動きと技を、完全に見切って受け流した上で、受け流した力を倍にして次の技に繋げる技。
その精度は、完璧とは言い難い。リィンの実力では、精々が1.5倍の返撃が関の山だろうが、それでも充分だった。
「《八葉一刀流》八の型―――『破甲拳』」
機体を半回転させて遠心力を乗せながら、剣を握っていた機械兵の右腕部分を狙って掌底を放つ。―――結果、機械兵の右腕の関節部分が粉々に砕けた。
『なっ……⁉』
操縦者の、信じられないといった感じの声。だが、リィンにしてみれば予想外の事態ではない。
宙に放り投げられた量産型の巨大剣を、そのまま手にして構える。
手に馴染むかどうかと問われれば、馴染まないと即答できるだろう。いつも自分が手にしている太刀とは、形も長さも何もかもが違う。
だが、刃を持った武器である事には変わらない。であれば、己がすべきことは依然変わらず。
機体の足を狙って二閃。普通の武器であれば軽い傷をつけるのが精々であろうその場所に、深い斬線が刻まれる。
鉄の騎士がガクリと膝をつく。その隙を狙って、その両腕を吹き飛ばしにかかる。
「《八葉一刀流》―――三の型『業炎撃』」
炎を纏わせた袈裟斬り。それをまた二連。
敵を倒す際は確実に戦闘不能にさせる―――それはサラとレイから散々叩き込まれた教えだ。
前へ、前へ、前へ―――自分が守る、守らなければならない。
勝ちきらずとも、せめて皆が逃げるまでの時間を稼ぐ。未だこの機体が思う通りに動いているとは言い難いが、それでもこの程度なら、と思う。だが……。
『よぉ、リィン。やっぱ強ぇなお前。この程度じゃ相手にならねぇか』
”戦い”というのは、そう上手くは事が運ばないものなのだ。
―――*―――*―――
戦争では、何より物量がものを言う。
無論、寡兵を最大限動かす為の戦術も重要だろう。だが大前提として、数を揃えなければそもそも勝負そのものが成り立たない。
故に、絶対的な物量と戦術を以て、敵に有無すら言わせず叩き潰す。
貴族派の領邦軍が好む戦法はと言えば、単純なところそれであった。
二足戦術機械兵装”機甲兵”を主軸に、RF社『第一製作所』で量産された重戦車と装甲車を前進させ、その後ろを訓練を受けた兵士たちが追従する。
そも、格式の高い貴族生徒達を保護する名目であるとはいえ、たかだか士官学院一つを占拠するのにこれ程までの戦力が必要なのか、と。そう疑問に思った者も少なくはない。
特に、選ばれた機甲兵の
それも仕方がないと言えば仕方がなかった。重戦車以上の機動力を持ち、それでいて機動部隊を半壊させるだけの破壊力を持つ機甲兵であれば、どのような防衛戦力が待ち構えていようが臆することは無い。そう思ってしまうのも無理からぬことだろう。
―――彼らにとって誤算があったのだとすれば、それはただ一つ。
―――その”防衛戦力”が、人心の慮外に位置する存在であったことだろう。
稲妻が疾った。
その雷光は鉄を容赦なく灼き、斬り潰し、破壊の化身とも言うべき兵器らを容赦なく燃え盛る棺桶へと変えていく。
それを齎したのは新型の兵器でも桁違いの出力を持つ
領邦軍の面々が唖然とした顔を晒したことを、咎められる者はいなかった。慢心していたとはいえ、重戦車の装甲をたかが剣の一振りが突き破り、痛みを感じさせることすらなく搭乗者を焼き殺したのだ。理解するまでに時間がかかっても仕方がないだろう。
だが、それを齎した張本人は、何を思う事も無く肩を回した。
「むぅ、やはり寄る年波には勝てんのう。得物を振り回すだけで肩と腰に響くわい」
「あら、ご自愛すべきですわ学院長先生。
「いやいや、ベアトリクス教官はまだ若いじゃろう。腕前も全く衰えておらんと見える」
「それを仰るのでしたら学院長先生もですわ。現役の頃、共和国軍を相手に暴れ回られていた頃を思い出します」
穏やかな口調でそう言いながら、トールズ士官学院養護教諭のベアトリクスはその手に携えたスナイパーライフルの銃口を領邦軍の面々の方へ向けた。
だが、彼女が狙ったのは一般兵ではなく、後ろに控えていた機甲兵。スコープを覗く事も無く、かなりの重さになる狙撃銃を片手で構えたまま引き金を引く。
細身の老婆とは思えない芸当だが、その撃ち出された0.76リジュ弾が機甲兵の頭部に設置されたメインカメラを僅かも逸れることなく撃ち抜いたことで、更に戦場は混乱する。
「な、なんだ‼ なんなんだコイツら‼」
前線に立っていた若い領邦軍人は知らない。
彼女こそは、嘗て衛生兵でありながら常に激戦区の最前線に立ち続け、愛用の狙撃銃と共に屍の山を築きながら、それと同数の命を救ってきたと言われている伝説の女軍人。
救える命を救うという一つの使命感を為し続けた者。抵抗すのであれば、文字通り足腰が立たなくなるまで叩きのめしてから強制的に野戦病院のベッドの上に放り込んだという話が、今でもその時代を共に生きた正規軍の将校たちの間では語り草になっている。
そう、
東部に於いて、共和国軍との戦闘が今とは比べ物にならない程に激化していた時代。日夜国境線を背に防衛と進撃を繰り返す地獄の戦場。
世間では、C・エプスタインという奇才が
その大男は、蒸気を動力とする戦車が幅を利かせる戦場に於いて、身の丈以上の巨大で無骨な斬馬刀一振りだけを携えて敵陣に突っ込み、阻む全てを薙ぎ倒して進軍した。
そこから付いた異名が《轟雷》。正規軍に伝わる《百式軍刀術》の中に技を伝授した賢人である一方、若かりし頃は敵は元より味方からも恐れられた軍人。それが正規軍最高司令官である元帥にまで上り詰めたヴァンダイクという男の半生だった。
故に、彼らにとってこの程度の環境は”戦場”ですらない。
抑える事も無い殺意の応酬、人肉と脂が焼ける臭いが鼻腔を腐らせ、撒き散らされる土砂に圧殺され、怒号と絶叫と断末魔が飛び交う地獄こそが彼らの半生が在った場所であり、今眼前にあるのは精々”戯れ”の場だ。
投降を呼びかけるのが悪手であったとは思わない。むしろ当然の事であろう。
だが、所詮は教職員共などと侮り、嘲笑交じりで武器を向けたからには一定の覚悟をしなければならない。そして、先に口火を切ったからには反撃される覚悟が無くてはならない。
とはいえ、初手の銃撃はシャロンが地中に忍ばせておいた鋼糸の檻が全て防いだ。その返す刀がヴァンダイクの一撃であり、そしてその一撃が見事に場を制した。
「ひゃぁー、凄いですねぇ学院長。軍人さんって皆あんな感じなんです?」
「俺に訊かんといて下さいよ……ナイトハルト教官があんな事できると思います? ……いやあの人ならワンチャンできるな」
「そこの男性方、好き勝手言ってくれてますけど普通はあんなん出来ませんからね?」
「「いやバレスタイン教官ならできるでしょ」」
「残念ながら私、あそこまで人間やめてないので」
事実、サラの力では時間を掛けて重戦車一台を一時的に行動不能にするのが精々だ。
だが、”達人級”の武人ともなると話は別だ。
存在そのものが一つの破壊兵器と言ってしまっても過言ではない。常識という枠に当て嵌められないその理不尽さ。
眼前の《轟雷》と《
しかし、それでも。
常識の枠を超えられない者は、超えられないなりの戦い方というものが存在するのだ。
「ひ、怯むな‼ 何をしている‼ 栄光あるクロイツェン領邦軍がこの程度の障害に臆するな‼」
圧倒的な”個”の戦力差を前にして、しかしそれでもまだ物量による制圧を執行しにかかる。
燃え盛る戦車と膝をついた機甲兵を押しのけるようにして、更に二機のドラッケンが前進する。そして先手必勝とばかりに巨大剣を振るうものの、その軌道は空に向かって掲げられた斬馬刀によって遮られた。
「ふむ、では少し足止めをさせて貰おうかの。バレスタイン教官、そちらの相手は任せましたぞ」
「……了解です。シャロン、ちょっと手ぇ貸しなさい」
「承知致しましたわ」
右手に持った導力銃をリロードし、一歩前へ出る。
「腕は鈍ってないわね? 元《執行者》」
「勿論ですわ。サラ様こそ、大物喰いの方法は忘れていらっしゃいませんね?」
上等、と一声返すと、まずサラが
その速さは異名に違わぬ速さだったが、距離の影響もあって懐に潜り込まれるまでには猶予があった。
『馬鹿め‼』
だからこそ搭乗していた貴族兵はその蛮行を嘲笑うかのように吼え、地面スレスレに大剣を薙ぐ。
その後が彼に思い通りであったのなら、愚かにも人力で機械兵に挑もうとした女の上半身が宙を舞っていただろう。
だが、その直後に彼が見たのは―――。
「破壊力は確かに一級品ね。でも、
振り抜いた左腕の関節部分に、まるで佇むように立つ赤髪の戦士。そして。
「灯台の下は暗くなるのが定め。足元がお留守ですわ」
紫髪のメイドによって完全に地面に縫い付けられた両脚の駆動部分。
それらの挙動を、その貴族兵は全く視認する事すらできなかった。それもその筈。機甲兵に搭乗したことで人の身以上の機動力と破壊力を再現する事はできたが、動体視力等の能力まで上がったわけではない。
これは機甲兵だけに限った話ではない。どれだけ最新鋭の兵器を揃えたところで、使い手がその性能を発揮できなければただの鉄塊に過ぎず、ましてや搭乗を必要とする程に巨大な兵器であれば、使い手の才能すら求められる。
ある意味では、それは機甲兵という兵器の欠点であるとも言えた。
”訓練如何ではあらゆる兵士が使いこなせる”という、最良の武器であるための条件の一つが欠けてしまっている。
才能が無い者は、使えはするが、使いこなす事はできない。近接戦闘も可能な人型兵器で戦うというのはそういう事だ。
「『鳴神』‼」
「暗技『
超至近距離から叩き込まれる紫電を纏った銃撃と、追加で地面を突き破って現出した鋼糸の槍衾。
反応は出来ていない。動きが完全に拘束され、銃撃をモロに正面から受ける。―――が。
「チッ、流石に硬いわね」
それなりに魔力を込めた導力弾ではあったが、
「如何ですか、サラ様」
「ああは言ったけれど、やっぱりちょっと面倒臭いわね。対魔加工クロムスチールの強度じゃありえないわ。更に強化を加えた素材をかなり重ねてるわね」
「では、手詰まりと?」
「馬鹿言ってんじゃないわよ」
吐き捨てるようにそう言うと、サラは再び武器のリロードを終わらせる。
状況的には不利だ。あまり時間をかけられない戦いである以上、細かく策を練ってもいられない。
それでも、サラの頭の中に敗北の二文字は存在していなかった。
「こちとら元猟兵よ。デカブツとの戦いなんて慣れっこだし、可能性が絞られた戦況なんて珍しくもないわ」
故に、サラは決して緊張の糸を張り巡らせたまま緩めない。一瞬の油断が取り返しのつかない悲劇を生む―――義父が死んだあの戦場で、それを痛いほどに理解していた。
「『エアリアルダスト』‼」
風属性の高位アーツ。下部から巻き上げる巨大な竜巻が
「あの生意気な装甲ブチ抜くわよ。シャロン、アンタは鋼糸を絡めて”銀”で足止めしなさい」
「……危険ですわ、サラ様。恥ずかしながら、未だ制御しきれておりません」
「成功率は?」
「低く見積もって6割……高く見積もって8割強程度かと」
「上等。命を預けるには充分だわ」
稼いだ時間は10秒にも満たない。だが、パートナーとの意思疎通を完成させるには充分な時間だった。
嘗ては殺し合った関係だ。陽が落ち、陽が昇り、また陽が落ちてもまだ戦い続けた。それだけ殺意を向け合えば、互いの実力くらいは推し量れる。
そして何の因果か、今度は背を預ける戦友として此処にいる。互いに守るべきものを持ち、そして同じ男を好きになった者同士。
こんなところで、こんなド三流相手に死ぬわけにはいかないのだ。
機械仕掛けの腕が、再びブレードを振り上げる。単調だ。今ならばまだ避ける事は充分可能。
だがサラは、敢えてその攻撃の範囲に真正面から飛び込んだ。遂に観念したかと嘲笑を漏らす操縦者。だがその直後、カメラ越しのその視界に―――銀色の蝶が舞った。
「動きを止めなさい、【
対象の状態異常耐性の一切を無視して特定の状態異常を押し付ける【霊操式】の呪術。
霊水から産み出された銀色の幻蝶が齎すのは”凍結”の状態異常。気紛れな精霊は操者の意に沿わず勝手気ままな行動をする事もあるが、今回はその役目を全うし、
更に、両脚を鋼糸が拘束し、一時的ではあれど巨大な機械兵をほぼ完全に機能停止させる。その一瞬さえあれば、サラには充分過ぎた。
三撃撃ちこむ。しかしそれでは足りない。
斬撃を叩き込む。しかしそれでも足りない。
強化クロムスチールで構築されたそのボディには、高濃度の魔力を込めた攻撃ですら僅かな傷を残すだけに留まる。
見ろ、無駄だ。貴様の攻撃は届かない、と勝ち誇る。それは決して間違っていない感覚だった。―――相手が元
「一つだけ教えてあげる。迫ってくる死の感覚は、なるべく覚えておいた方がいいわよ」
導力銃の銃口を、今まで攻撃を集中させた傷の中心に突き付ける。
実弾とは異なる導力銃の銃弾は、基本的には銃内部に仕込まれた導力機構から生み出される魔力で構成される。その為、使用者の魔力の多寡に関係なく一定の威力の攻撃を、導力機構が摩耗するまで実質無制限で放ち続けることができる。
だがサラの持つ導力銃《ディアボロ》は、彼女が猟兵時代から愛用している特注品だ。内部に仕込まれている導力機構は、引き金にかけた指から送り込まれた魔力をほぼ完全に弾丸へと変換する。魔力を込めれば込める程、凝縮すればする程、放たれる最小単位の雷光は必殺へと近づいていく。
そして、その匙加減をサラが過つ事は無い。
猟兵団《北の猟兵》の元団員。若くして数多の戦場を生き抜いたその経験が、その引き金にかけられた指に籠っていた。
迸る碧の灼光。限界ギリギリまで凝縮した風の魔力を撃ち込む。
ただ、それでも一撃で
だが、充分だった。力業だけが、状況を突破する全てではない。
―――『
複数方向から撃ちこまれた衝撃が交差する場所。その中心点に最大打点の攻撃を叩き込む。
そうする事で、深く、深く穿つ。それこそ、
『なっ……ガッ……』
「命までは取らないでおいてあげるわ。もっとも、それなりに感電はさせたから生涯半身不随かもしれないけどね」
情けを掛ける意味は無いが、無暗に殺す意味も無い。ヴァンダイクは
少し離れたところを見ると、既にもう一機の
胴体部分が真っ二つに
これで少しは時間が稼げる―――そう思っていた。
「ほぅ、参謀殿の要請に従って来てはみたが……中々に活きの良い獲物がいるではないか」
殺意より重い何かが、サラとシャロンの体躯に圧し掛かった。
単純な力量差、という問題でもない。
巨大な獅子を前にして、子兎が出来る事など何もない。精々が背を見せて逃げる事ぐらいだろうか、それも叶わないとあれば、せめて食らいつく意思は見せなければならない。
「《紫電》、それに……ククッ、そちらのメイドも良い殺気を放つ。奥の《轟雷》殿と《
一点の曇りもない銀色の髪が揺れる。右手に携えられた豪奢な装いの大剣が、軋む程の覇気を宿して牙を剥く。
その女の事は良く知っている。遊撃士だからではない。ラインフォルトのメイドだからでもない。この国で十指に入る武人を挙げよと問われれば必ずその中に入る者の事を、知らない筈がない。
「《黄金の羅刹》……‼」
「オーレリア・ルグィン様……」
若くして帝国の武の二大名門、《アルゼイド流》と《ヴァンダール流》の免許皆伝を果たした天才。その師をしていずれ己を超える高みへ至れると評したその強さは、”達人級”以外の何物でもない。
導力銃と剣を握り続けてはいるものの、勝てるビジョンが全くもって見当たらない。それは、シャロンも同じだろう。
以前にも”達人級”―――リディア・レグサーと名乗った少女と相対したが、その時のものともまた違う。より尖り、より洗練された、一分の隙も無い在り方は、空恐ろしいという感覚を既に通り越している。
「……その参謀殿に言われて、トールズを
「さて。その辺りは想像に任せるとしよう。それで? 貴様らは私の前に立ち塞がるのか?」
それは、無自覚の警告だった。
このまま己に立ち向かうのならば、殺す事さえ厭わない。言外に彼女はそう言っていた。
自分たちがあの剣の錆になるまで、一体どれほど持ちこたえられるか。十秒か? 一分か? それとももう少し保つか?
サラとシャロンの脳内では、既にどれ程長く生きられるかという思考で停滞していた。
一人が立ち向かって囮になれば、もう一人は生かせる―――そう思って一瞬だけ互いを見やったが、無理矢理笑みを引きずり出すだけで終わった。
甘い考えだ。正真正銘の達人相手に一人で立ち向かうなど愚の骨頂。その程度で逃げおおせる程、制裁与奪が握られた戦いというのは生易しくない。
枯渇しかけた魔力を内側から絞り出す。暴走しかける直前まで呪力を励起させる。
そうして戦う意思を示した二人を前にして、《羅刹》は笑う。嘲笑ではない。蛮勇に対する侮蔑でもない。力量差を理解していながら、それでも守らなくてはならないものを護る為に立ち塞がる覚悟に対する称賛だ。
「貴様らを前座扱いしたことは謝罪しよう。一刀で終わってくれるな。二刀を凌ぎきってみせろ。三刀に至れば―――私の負けだ。疾く去るとしよう」
「ハンデってわけ? ナメられたものね」
「否。武人は得物の一振りに魂を込めるものだ。故に、二振り。
「…………」
「故に、それで仕留められねば私の負けだ。そこの領邦軍や《轟雷》らも、この死合いを決して邪魔するなよ?」
大剣を構える。その僅かな動きだけでも、大気が震え立ったような錯覚が起こる。
未だに武器を構えていたクロイツェン領邦軍の面々はその圧だけで完全に腰を抜かした。割って入ろうとしたヴァンダイクも、足を止める。
本来であれば、強引にでも割って入らなければならない戦いだ。馬鹿にするわけでも何でもなく、あの二人では絶対に《黄金の羅刹》には叶わない。だからこそ、対等に渡り合えるであろうヴァンダイクが凌ぎ合わなければならない戦いだ。
だが、それでも立ち入れない。
ヴァンダイクは、久しく感じていなかった感覚を思い出した。己がまだ若く、この斬馬刀を担いで戦場を駆け巡っていた頃を。今よりも精強な武人たちが戦場を駆け巡っていた頃を。
策謀を巡らすのもいいだろう。闇夜に紛れて敵を討ち、毒を以て嬲り殺すのも、死の動揺の隙をついて殺すのも戦場の冷酷さの一面だ。
しかし、そのような悪徳の中に在っても、一流の武人が求めるものはいつの時代も変わらない。
覚悟と覚悟を賭けた真剣勝負。そこには何人たりとも立ち入ってはならない。
最初に視線を向けられたのはシャロン。それを感じ取る前に、彼女は鋼糸を何重にも編み込み始める。
”アレ”を前に、霊操術は悠長だ。効果が表れる前に死撃が此方の命を狩り取りに来る。故に、今励起できる呪力の全てを身体強化と武器の耐久力強化に回す。
武器も広範囲には展開させない。自身の身体を守れるだけの分を限定的に伸ばし、密度を限界まで高くしていく。
彼女は元々暗殺の世界に生きた人間。”達人級”の中でも高位に当たる存在相手に正面切っての斬り合いをして勝ちを捥ぎ取れるとは思っていない。
だが、一撃を凌ぎきるだけならば生き残れる可能性がある。メイドとしてスマートな戦いを、などとは勿論言っていられない。例え醜く足掻こうとも生き抜かねばならない理由が、今の彼女には確かにあった。
「行くぞ。凌ぎきってみせよ」
柄を両手で握り、大上段からの振り下ろし。基礎中の基礎とも言える攻撃であったが、基礎を極めきった達人がそれを行えば、それは地形すら変える一閃となる。
その直前、シャロンも編み込み続けた鋼糸を身体の前面に解放させる。華やかさなど欠片もない、しかし確実な硬さを持った技を拡げた。
「『覇王斬』ッ‼」
「暗技『
大剣から繰り出された剣気は、地面を深く抉りながら一直線にシャロンへと迫る。
それはまるで津波のようだった。自然の大奔流にも劣らないレベルのエネルギーが人間から容易く放たれたことに、しかし驚くことは無い。
それが達人の域に足を踏み入れた武人というものだ。常識的な人間が考える限界というものを上回る。心身共にそれを為し得た者が”そう”呼ばれている以上、それを見せつけられて尚思考を止めない者だけが、彼らに諍う権利を持つのだから。
限界まで密度と強度を高めた鋼糸の盾。それが三枚。強大な攻撃を受け止めるには些か以上に物足りなくはあるが、現状彼女が仕立てられるのは此処が限度。
チラリと、サラの表情が見えた。シャロンの身を案じるような、しかし嘗て自身と同等以上に戦った者が容易く押し負ける筈がないという強い光も混じっている。
それに対し、シャロンはいつもの柔和な表情を一瞬だけ見せた。昨夜愛する人と交わした言葉、それを遺言とするわけにはいかないし、何よりラインフォルトに仕えるメイドとして、
鋼糸の盾が攻撃を受け止めた瞬間、途轍もない負荷が彼女の両腕に圧し掛かった。
気を抜けば骨どころか腕そのものが千切れてしまいそうな衝撃。しかしそれに耐える。これで気をやってしまえば確実に死ぬ。それが分かっているのだから、僅かも糸を手繰る手先を緩めない。
一枚目が耐えきれずに、断ち切られて解ける。聴き慣れた筈の鋼が徐々に擦り切れていく音が、今はこれ以上なく彼女の神経をも削っていく。
指先が、血に塗れていく。
それでも、諦めはしない。激痛を意識的にカット。緩めてしまえと脳内の片隅で囁く悪魔の声を無視し、解けてしまった鋼糸すらも再動員して剣気を抑え込みにかかる。
二枚目の盾が破壊される。その余波で左目近くの頬が切れた。
後数センチズレていれば片目の失明も有り得たそんな状況ですら、瞬き一つせず脅威に立ち向かい続ける。
もう後がない。此処が突破されてしまえば、もう自分を守るものはなくなる。呪力も膂力も何もかもを使い果たした女一人、殺し切るのは赤子の手を捻るより簡単だ。
目尻を吊り上げ、自らの血に濡れた唇を噛みながら、シャロンは心の中でそう吼えた。
可能な限り強度を上げる。少しでも技の威力を削り落とす為に。
精神力が焼き切れそうな感覚が弾けるが、意識を引き戻す。受け止めているのはたった一撃。だがその一撃は、自身より遥か先を行く達人が放った、魂の斬撃だ。
故に、それを弾いた瞬間、シャロンは後方へと大きく吹き飛んだ。
「見事」
オーレリアのその賛辞が、結果を雄弁に物語っていた。
吹き飛ばされたシャロンは、立ち上がる事すらままならなかった。意識は飛んでいなかったが、両手の指は一本たりとも動かず、両脚も既に限界を迎えて彼女の意のままに動かせなくなっている。
しかしその双眸は、未だオーレリアを捉え続けていた。その殺気をまるでそよ風のように受け流しながら、羅刹の名を冠する将軍は再び大剣を握る手に力を籠める。
「貴様はどうだ?《紫電》」
私の魂を凌ぎ切れるか、と。言葉で語るよりも先に切っ先が超高速で空を切り裂いた。
今度は斬撃が飛んできたわけではない。ただ、
意識に間合いに滑り込むような歩法―――東方で”縮地”と呼ばれるそれを、オーレリアが何処で学んだのかは知らない。知らないし、今はそれを考える暇などサラにはない。
『雷神功』―――起源属性の一つである”風”。その中の雷の魔力を全身に行き渡らせて身体強化を施す。
しかしそれだけでは足りない。普段ならば絶対に回さない深部の魔力も全て励起させる。代償として数分後には行動不能になってしまうだろうが、それを出し惜しみして叶うような相手ではない。
正面から大剣を受け止める―――受け止めざるを得なかった。
自分の常識を超えた衝撃が掛かる事は覚悟している。だが、それを覚悟していれば一撃くらいであれば耐えられると、そう思ってしまった。
大地が、震えた。
頭上からまるで巨大な鉄塊が落ちてきたかのような衝撃を受け、両脚の骨が軋み、石が敷き詰められた街道に罅が入る。
オーレリアの腕は、そこまで太いわけではない。妙齢の女性らしい、どちらかと言えば細腕の部類に入る程だ。
だが、そこから放たれた攻撃は隕石の如し。一体何処からこれ程巨大なエネルギーが生まれているのか想像もつかない。
サラがそう思ってしまう程に、オーレリア・ルグィンが有する氣の総量、そしてその研磨の練度は高かった。
帝国二大剣術、《アルゼイド流》と《ヴァンダール流》を若くして修めた才は違う。彼女は膨大な量の氣を、”斬”ではなく”剛”の方向へと研磨することに長けていた。
引き斬るのではなく、
柔よく剛を制す、というのは良く言われる武術論であるが、彼女のそれは”剛を以て柔を潰す”。それに尽きた。
通常であればそれは武を知らぬ愚か者の言と馬鹿にされるだろうが、才溢れた”達人”がそれを語れば、それは一つの真理になる。
膂力に関しては既に、《光の剣匠》ヴィクター・S・アルゼイド、《雷神》マテウス・ヴァンダール―――二人の師をも上回っていた。
《黄金の羅刹》。その異名は決して形ばかりではない。獅子戦役時代に鍛えられた宝剣を手に、まさに
その攻撃を真正面から受け止めるなど、レイですら忌避するだろう。だが、サラはそうせざるを得なかった。
「(なん……って力よ‼ この女ホントに人間なんでしょうね⁉)」
そんな事を反射的に考えてしまう程の余裕が僅かばかりでも残っていたのは、剣を振るったオーレリアが
事実。オーレリアはシャロンの件と並んで、昂ぶりで笑みを漏らしていた。
全力ではないとは言え、己の剣を正面から受け止められたのはいつぶりだろうか。
副官であるウォレス・バルディアスとは、職務の関係もありもう長い事手合わせをしていない。まさか、”準達人級”の武人に成せるとは思ってもみなかった。
だが、
少しばかり腕に込めた力を増やしていく。それだけでサラの身体は沈んでいき、その頬を伝う汗は増えていく。
「どうした《紫電》。この程度か?」
挑発じみたその言葉。その言葉に触発されたわけではない。
膂力と圧で敵わない事は明白。だが、この場を生き抜かなければならない。
ならばどうする。どう切り抜ける? 此処から「弾き返せる」とは微塵も思わない。あまりにも彼我の実力差がありすぎる。
あぁそういえば、と。サラはこの状況にも関わらず、とある事を思い出していた。
だがアレは、武の高みに至った者が集中力を研ぎ澄まして漸く成功する技だ。それをたかだか
受け止めている剣に流している魔力と氣力を縦方向から少しずつズラしていく。
本当に僅かずつ。それこそオーレリアですら気付かない程に。ここの調整をミスすれば、サラ側の抵抗力が皆無になり、防御している剣ごと脳天を叩き割られてしまうのは想像に難くない。
やがて、オーレリアが叩きつけていた大剣の刃の向きが、数ミリだけ右側にズレた。
「―――ほぅ」
感嘆の声を漏らすオーレリア。しかしその瞬間にはサラの目論見は終わっていた。
攻撃が加えられている方向が一定ではなくなった以上、その僅かなズレを「最大」にしてやればカタが付く。
「っ―――らアァァッ‼」
咆哮。最後に残った全ての力をそこに注ぎ込み、攻撃の角度を逸らす。
結果として、それは成功した。オーレリアが振り切った大剣が叩き割ったのは地面に敷かれた石畳。その余波が数アージュ先の地面まで抉り斬ったのを見れば、その攻撃の強大さは充分垣間見える。
八洲天刃流【静の型・
真に辿り着くなど夢のまた夢。サラがこれからの生涯全てを掛けて果たして叶うかどうか。
だが、今回は上出来だろう。見様見真似の猿真似ではあったが、結果的に自分の命を拾う事は出来たのだから。
片膝をつく。過度の魔力欠乏により混濁し始めた意識をなんとか現実に留め置きながらオーレリアを見上げる。―――彼女は実に良い笑みを浮かべてサラを見下ろしていた。
「見事」
二度目の言葉。嘘も偽りもない純度100%の賛辞。
「約束は守るとも。私はこれ以上歩は進めん。貴様らの武威に免じてな」
大剣を背負った鞘に収め、オーレリアは視線だけをトリスタ方面へ向けた。
すると、彼女の一言で進行を妨害されたクロイツェン領邦軍の隊長が怒気を荒げながら近寄ってくる。
「ルグィン伯‼ 一体これはどういうおつもりか‼」
「先程言っただろう。総参謀殿―――ルーファス卿の要請に従って参ったのだ。
「なっ……‼」
「総参謀殿は私にトリスタを占拠せよとは仰らなかったのでな。しかし、この有様を見るに考えを改めるべきだったか?」
「何を、仰りたいのですか?」
「慢心した挙句にこの体たらく。調練もまともに済ませていない兵を乗せて、達人が混ざる防衛戦力を突破しようなどと浅薄にもほどがある」
ピシリ、と地面に放射状の罅が入った。その声には、有無を言わせぬ凄味があった。
オーレリア個人の戦闘スタイルは攻め一辺倒の分かりやすいものではあるが、司令官としてはまた違った一面を見せる。
何より《理》に至った武人だ。彼我の戦力を顧みての作戦立案などは朝飯前。そんな人物から見ても、達人の効率的な排除というのは長考せねばならない問題だ。
或いは己も同じ階梯に至っているが故の悩みではあるだろう。「自分が直接赴いて排除する」というのが一番手っ取り早くはあるが、それが戦術とは言えないということくらいは理解している。
正面からの銃撃は基本的に通用しない。戦車砲ですら防ぐ者は多い。長距離狙撃ですら、着弾直前に殺気を察して避ける者がいる。
一人を排除するのに、膨大な時間と仕込みと人員を浪費するか、同等の力を持つ達人を相討ち覚悟でぶつけるか。いずれにせよ確実性には欠ける。
そのような難題を前にして、楽観視で挑むなど言語道断。現にそのせいで、兵を無駄に幾人か失っているのだ。
「貴族連合全軍に参謀長殿から指令は出ているであろう? ”機甲兵の力を過信するな”と。貴殿はそれを怠った。力任せに突破するのであれば、戦力の逐次投入は愚策であったな」
部隊長は歯噛みする。それに対して何も言い返せなかったからだ。
「とはいえ、ラマール領邦軍総司令の私が他州の領邦軍の指揮を執るわけには行くまい? トリスタは双龍橋付近に陣取る機甲師団を撃滅させるための橋頭保として占領しておけとは通達されているが……まぁ後数時間もすれば痺れを切らした中央から増援が来るだろう。貴殿らはそれまで最低限のラインを確保しておけば良いのではないか?」
言外にこれ以上の醜態を晒すなと言われ、握り拳を震わせる。歴史あるクロイツェン領邦軍の精鋭が、
何が何でも、どのような犠牲を支払わってでも此処を突破しなくてはならない―――現時点では指揮官として愚行としか言いようのない策を発令しようとした直前、別の声が割り込んできた。
「そこまでにしていただきたい‼」
張った声が、街道に響き渡る。
教員たちも、領邦軍兵士も、部隊長もオーレリアも、その声の主の方に視線を向ける。
凡そ様々な感情が入り混じった視線を一点に受けながら、その人物は臆することなく堂々と領邦軍の前に立った。
「ぼ―――私の名はパトリック・T・ハイアームズ‼ フェルナン・ハイアームズ侯爵の三男だ‼」
『四大貴族』が一つ、南部サザーランド州を治めるハイアームズ侯爵家の末子。その名が出ただけで、領邦軍の面々はざわつき出す。
家名で言えば此処に集った者達の中でも最上級。当主ではないとはいえそのような人間に武器を向けるわけにいかず、互いに顔を見合わせながらも次々に銃を下ろしていく。
「これはこれは。かのハイアームズ候の御子息がトールズに通っておられたのは存じておりましたが、既にセントアークにお戻りになられている頃合いかと思っておりました」
阿るような、揶揄するような、貴族特有の言葉回しを理解しながら、しかしパトリックは眉一つ動かさずその言葉に応える。
「
強い者が弱い者を護る。それは決して、傲慢の発露として使われるべき事ではない。
以前の、入学したての時のパトリックであれば、既にこの場にはいなかっただろう。侯爵の子供であるという事を鼻にかけて居た頃なら、学院にいる平民生徒を護る気概など無かった筈だ。
だが、今は違う。多少なりとも変わるきっかけになった同級生たちの事は今でも少々苦々しくは思っているが、それでも貴族とはどう在るべきかを己なりに考えられる程度には落ち着いたと言える。
そして彼は今、その家名に恥じぬ責務をその身に負おうとしていた。
「学院に残っていた生徒は、貴族、平民を問わず