英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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※前回までのあらすじ
 
・主人公が踏ん張らないと帝都がマジで灰になる可能性が出てきた




「人間をなめるな、ばけものめ」

「来い、闘ってやる」

            by インテグラル(HELLSING)












審判ノ日 後篇

 

 

 

 

 

「つまらねぇ」

 

 彼は一言、そう呟いた。その言葉に返答を返す者が一人。

 

「ふむ、この狂気は君のお気に召さなかったかね?《劫炎》殿?」

 

「あぁ? 召すか召さないかじゃねぇんだよ。()()()()()()()()()()()()()こんなモン」

 

 くぁ、と大きな欠伸を一つ漏らして、マクバーンは眼前の戦場を見下ろす。

 拮抗、と言うには僅かばかり激しすぎる剣戟の中を見ても、彼の中の戦闘意欲という名の熾火は一向に燃え上がらなかった。

 

 結社《身喰らう蛇》執行者No.Ⅰ《劫炎》マクバーン。

 彼を一言で言い表すのならば、”戦闘狂”である。強い者との戦いを望み、勝利を望み、その果てに悦楽を見出す生粋の戦闘民族である。

 

 だが、だからと言ってどのような戦場でも牙を剥くという訳ではない。

 狂人には狂人なりの矜持がある。命を燃やす相手と場所は選ぶ。なりふり構わず燃やし尽くすのであれば、それはもう戦いではなく”現象”だ。愉しむのに値しない。

 

 ―――そういった意味では、彼は《結社》の中でも比較的マトモな価値観を持っている者と言えるだろう。

 己の悦楽しか勘定には入れていないが、そこには確固たる矜持がある。狂人ではあっても外道には堕ちない芯がある。

 

 故に、彼はこの戦いに価値を見出すことはなかった。

 彼の少年と、レイ・クレイドルと一対一で気兼ねなく殺し合えるというのであれば、嬉々として挑んでいただろう。例えヴィータが止めたとしても、それを無視して戦い続けたに違いない。

 

 だが、そうはならなかった。申し伝えられた作戦は、あくまで『レイ・クレイドルを該当時間まで足止めする事』だった。

 真っ先に飛び出していった《剣王(リディア)》、《雷閃(ルナフィリア)》、そして《冥氷(ザナレイア)》。いずれもが”達人級”。

 それでも、マクバーンの心は燃え上がらなかった。何故か何故かと何度も疑問を脳内で反芻させたが、理解しきる前に、同じく戦場を俯瞰していた《怪盗紳士(ブルブラン)》に声を掛けられたのだ。

 

「そういうお前さんはどうなんだよ怪盗。何だかんだ言って魔女の言いなりにはなってただろうが」

 

「ふむ、まぁ参戦するのは吝かではないのだがね。どうやら私の仕事はまだ先のようだ。それよりも―――見給えよ」

 

 ブルブランがステッキの先で指し示す場所。そこでは、状況が動いていた。

 相討ちもかくやという戦況になったそこに、リディアが割って入る。任務遂行を確実なものにするための判断だったのだろうが、それが誤りだった。

 逆上したザナレイアに弾き飛ばされ、圧しつけられ、煮え滾るような殺意がカタチとなって襲おうとした直前―――それまで敵対していたレイが、ザナレイアの身体を後方へと蹴飛ばしたのだ。

 

 その一連の様子を、マクバーンはさして驚かずに見ていた。

 

 

 

 レイ・クレイドルという少年の事を、マクバーンは割と昔から知っていた。

 と言っても、彼がボロ雑巾もかくやという様相で《結社》にやってきた頃からでしかない。かの鬼剣士である《鉄機隊》筆頭殿が何の気まぐれか任務先で子供を拾ってきたと聞き、興味本位で覗きに行った時が初顔合わせである。

 

 とはいえ、その時はただ貧相な体つきをした矮躯の子供だとしか思えなかった。その眼に宿った意志だけは確かなものだと思ったが、それだけで強くなれる程この世界は甘くない。

 だが、あの《爍刃》が、《鋼の聖女》と並び世界最高位の武人と称され、自分が何度挑んでも勝利を掴み取れていないこの存在が、今まで誰にも伝授しようとしなかった己の剣を叩き込もうとしていた子供が()()()()()である筈は無かった。

 

 ……そのマクバーンの見解は色々な意味で正しかった。

 

 3年。たったその月日で、彼は一人前の剣士にまで上り詰めた。当初の様相など見る影もなく、彼は身の丈を超える長刀をまるで己の腕の延長線上のように扱い、神速の剣術を数多繰り出す武人となった。

 降りかかる不幸に苛まれ、大切な者を喪い、何度も何度も膝から崩れ落ちても、それでも彼はその度に涙をぬぐって前に進む。

 ”達人級”の武人になり、《執行者》に選抜され、強者と戦いながら、人もヒトならざるものも殺しながら、それでも彼は”ヒト”である事を決してやめようとはしなかった。

 

 女神が産み出した聖獣を従え、暴走した《始祖たる一(オールド・ワン)》たる真祖を斃し、母の生まれ故郷に蔓延った”カミ”を屠り―――それでもなお彼は、人間であり続けた。

 ”達人級”の武人として、化け物と畏怖されようとも、修羅と呼ばれようとも―――それでも人の道を外れる事だけは無かった。

 力を求めた。折れぬ不屈を求めた。―――それでも真祖の誘惑を跳ね除け続け、神獣の力に溺れることなく鍛錬を続けてきた。

 

 無論、その意志は彼一人が紡ぎあげたものではない。そう在るようにと諭した義姉がいて、その在り方を認めた師がいて、そう在って欲しいと願った友たちがいた。

 その姿はまるで、運命に見放された者が、それ以外から愛されて進む英雄譚(サーガ)。否応なしに疎まれ、そしてそれ以上に魅せられる生き方。

 

 そしてその姿に、他ならぬマクバーンも興味を持った。

 アレと戦う際に、自分はどんな焔で彩ることができるのか。どう勝ち、どう負けるのか。どのような闘気と殺意を向け、向けられるのか。

 確定ではないが、確信はしていたのだ。アレとの殺し合いは、きっと素晴らしいものになる。血沸き肉躍るだけではない。魂すら震え揺らす戦いができるに違いない。

 ”本気”が出せる。例えこの世のあらゆるモノを燃え散らす焔を眼前に放たれたとしても、アレの構える白刃の剣鋩は自分の喉を捉えるだろう。()()()()()()()()()()()と判断したのならば、殺す事すら厭うまい。

 

 ()()()()()()()。最高の一戦を最高の殺し合いで迎えたいのであれば、()()()()は避けなければならない。―――強い者との戦いを好む戦闘狂にしては珍しくその思考に至り、そして事実、レイの《結社》所属中、マクバーンは一度も彼に喧嘩を売ったことはなかった。

 

 とはいえそれは、彼と一度も関わる事がなかったという事ではない。寧ろ私的な関わりという点で見るならば、それなりにあったと言えるだろう。

 だからこそ、真祖エルギュラとの決戦に於いては真っ先に彼女の眷属である古代竜に対して突貫していったし、何だかんだで<アマギ>の殲滅作戦にも手を貸していた。

 

 だが、仲が良かったか悪かったか、交流があったか無かったか。助け合ったことがあったか無かったか、などという関係は、武人同士の戦いに関係ない。

 昨日の敵は今日の友。昨日の友は今日の敵。刃を向けられて「何故?」と問う方が先であるならば、まだ未熟の証。

 

 レイ(アレ)ならば、よもやそのような事は言わないだろう。焔を向ければ、剣先が向く。

 マクバーンが求めているのはそれだけだ。ザナレイアとは何度も何度も異能をぶつけ合ったが、それともまた違う死闘ができるだろう。

 神の力に頼らなかった者。神の力に呑まれることを良しとしなかった者。決して楽ではなかっただろうその道を、血反吐を吐きながら歩んできた武人との果し合いを悦ばない実力者はいるまい。

 

 

 だが―――そう思った瞬間、マクバーンの顔の右半分を白光の槍が貫いた。

 

 常人であれば、間違いなく即死。だがマクバーンは全く動じることすらも無く、屋根の上で胡坐をかいたまま気怠そうにしていた。

 

「おや。最強の《執行者》でも、”天使”殿の攻撃は避けられなかったかね?」

 

「アホぬかせ。躱す価値すらねぇ。こんなモンで俺を消滅させられるかよ」

 

 すると、抉れたはずの顔の断面から瑠璃色交じりの焔が溢れ出し、やがてそれは元の輪郭を描いていく。

 その被害を齎した張本人はというと、そんな余波など一切介することなく遥か上空で戦いを続けていた。

 

 

 穢れという概念が一切混じらない純白の光槍が数百という単位で虚空から産み出され、それが容赦なく対象に向かって降り注ぐ。

 しかし、それを大人しく受け止めるような相手ではない。解放された尾の数は7本。尋常ではない神気を撒き散らしながら、狐を象った金色の焔を周囲に現出させる。

 

 それらがぶつかり合い、上空で時空が歪みかねない程のエネルギーが生み出される。

 それはまさに、神話の再現。女神により命を与えられた聖獣と、神に等しい存在に創造された神造兵器。現代に於いてはどのような兵器であろうとも、彼女らの破壊力に比肩する事はできない。

 

「あら、大口を叩いた割には随分と()()焔ですねぇ。暖炉の火代わりに持ち帰らせていただいても?」

 

「それはそれは。身を焦がす焔がお好きとは、どうにもこうにも救い難いでありんすねぇ。生まれもお里も生き方も知れるというもんでありんす」

 

 尾の一本から放出された神気が、ものの数秒でとぐろを巻ける程の大きさの焔龍に変貌し、音を置き去りにする速さで喰らいつく。

 それに対しフリージアは、己の身長の十倍はあろうかという長さの光槍を生み出し、投擲する事で()()()とした。

 

 互いに空間が飽和する攻撃を続けているというのに、一切攻撃を避けようとはしないのは、矜持(プライド)というものだろう。人智を超えた存在である者同士、相手の繰り出す攻撃を迎撃しきれなければならないと思っている。

 

 とはいえ、状況が示す通り、実力そのものは拮抗していた。否、拮抗()()()()()という表現の方が正しいかもしれない。

 両者が本気で衝突すれば、間違いなく人里の一つや二つは跡形も無く消え失せる。稀代の魔女が結界を張ってはいるが、それも彼女らにとっては薄壁程度のものでしか無いだろう。

 

 片や大昔に力に溺れ、使命を忘れかけた大狐の聖獣。片や”破壊”を司る人型兵器。決して埋められないヒトとソレとの絶対的実力差。

 それを覆せるのは、”英雄”と呼ばれるような存在。時にヒトの境界線を越え、次元の異なるモノを弑する可能性を持った者だけ。()()()()()()()()()()()()

 

 そしてその”差”は、一歩間違えれば大惨事を起こす。

 

 

「あ―――――――ハっ♪」

 

 笑った。

 

「ハ―――あハハっ♪」

 

 嗤った。

 

「――――――――――――――♪」

 

 壊れたように、狂ったように笑う。

 ()()()()()、という証左だ。それは、恐怖を撒き散らす前兆。

 

 それを、予期できなかったヴィータではない。寧ろそこまでは予定調和。すぐさまドーム状に張っていた結界の規模を縮小させ、その分強度を撥ね上げさせた。

 そして、同時に動いたのがもう一人。―――レイだ。

 

「シオン‼」

 

 その一言。その呼びかけだけで、シオンは飛びかけていた式神としての使命を手繰り寄せた。

 それまで常に焔を纏っていた白魚のような指が一つ、音を鳴らして柏手を打った。

 

 すると、シオンとフリージアとの間の空間に何重もの”壁”が現出する。

 

 七尾まで顕現させた彼女が生み出す防御壁は、その一枚一枚が戦車砲の連撃すら防ぎきる強度を持つが、それが数十枚あったとしても、この後に降る”厄災”を耐えきる事はできないだろう。

 ”余波”だけならばヴィータの結界だけでなんとかなるだろうが、”直撃”となると話は大きく変わる。

 

 帝国最大規模の要塞を周囲含めて消失させる程の攻撃だ。否、興が乗っている今放とうとしているソレは、ガレリア要塞に向けて放たれたモノよりも強力である可能性が高い。

 果たして帝都の何割が吹き飛ぶだろうか。既存兵器を嘲笑うその威力を、己が今持ち得る神気だけでは抑え込めないであろう事は理解していた。

 

 八尾、よしんば九尾までの解放を覚悟すべきかとも思ったが、すぐに(かぶり)を振った。

 七尾の状態でかなり長く戦闘を続けてしまった。これ以上の神気の解放は、主に対して許容できない程の負担を与えてしまう。

 これから彼が()()()()()()()()()を考えると、今解放できる力だけで可能な限り抑え込まなければならない。

 

 そんな不利な状況下に於いても、シオンは己に時間稼ぎの作戦を命じたレイの事を僅かも恨んでいなかった。寧ろ双眸は爛々と金色に輝き、口角は吊り上がって不敵な笑みを見せる。

 

 思えば、主であるレイが《結社》に在籍していた際はこのような生死の狭間に幾度も立っていた。女神が創った聖獣の一角である己でさえ死を覚悟する様な戦場が拡がっていた。

 そんな死地にすら、”人間”である主は挑んだ。恐怖という概念は確かに抱いていただろうが、それでもそれを乗り越えなければならない壁と定義して悉くを退けてきた。

 

 自分は、その背に惹かれたのではなかったのか。矮小なヒトの身でありながら己を屈服させ、しかしそれに溺れることなく逆境に立ち向かい続けるその姿を眩しく思ったのではなかったのか。―――その魂が空に還るその時まで共に在ろうと、決意させたのではなかったのか。

 であれば、自分が此処で怖気づくなど愚の骨頂。不可能を思案するなど無駄でしかない。

 主が行う策を信じて全てを賭ける―――やる事はそれだけだ。()()()()()()()()()()()()

 

「お任せください、主」

 

 口調を()()、シオンは笑みを浮かべたまま言った。

 

「あの破滅めは私が凌いで見せましょう。壊す事しか出来ぬ傀儡めに、私が押し切られるなど有り得ませぬ」

 

 故に、と己の内で作り上げられる最純度の神気を練り上げながら続ける。

 

「貴方様は貴方様の思うがままに。どれ程の重荷を背負おうとも、どのような未来を掲げられようとも、貴方様の進む先こそが我が道標」

 

 その先に果てに人類がどのような最期を迎えようとも()()()()。他の聖獣は至宝を守る事でヒトの世を儚むが、彼女にその常識は通用しない。

 主が斃れた時が彼女の最期。その運命に異議は無く、意味もない。

 しかし、それでもシオンは僅かにその表情に翳を落とした。

 

「嗚呼、お許しください主。私はきっと酷い従者でありましょう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。弱き貴方様を、私は本当の意味でお慰めすることができませぬ」

 

 何故ならば己が強いからだ。ヒトとは隔絶した生命体であるからだ。死というものとは遠い存在であるからだ。

 主が弱さを見せれば膝を貸そう。慰めの言葉を紡ぎもしよう。だが、癒しきることは不可能なのだ。その弱さを、本当の意味で肯定することができないのだ。

 それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。その光に焦がれてしまった以上、影を受け入れきることができない。

 

「主、この愚かな獣めに今一度お命じ下さい。命を燃やせと。その全てを俺の為に使い潰せと。()()()()あれば、このシオンめは如何なる力にも耐えきってみせましょう」

 

 

 大気が震える。

 その元凶は上空に。天に座す陽よりもなお輝くモノがそこにはあった。

 

 先程まで召喚されていた光槍とはまた別格。その大きさは小山もかくやと思う程であり、凝縮された力は今にも爆散してしまいそうなほどに強大だ。

 ”槍”と称するのも本来は正しくないのかもしれない。それはただの力の塊。辛うじて槍の穂先に見えなくもないというだけで、それが振り下ろされればあらゆるものを消し飛ばすだろう。

 

 神装侍従発令・対文明殲撃機能Ⅲ型《天撃(アルス・ノヴァ)》。

 

 《侍従長》リンデンバウムより許可を受けた《侍従隊》の兵器たちが、主に害為す数多を滅ぼす為に撃ち放つ決戦機能。

 その効果は侍従によって様々だが、”破壊”を司るフリージアに与えられた機能はごくシンプルなもの。

 

 その威力をレイは知っている。だからこそ、過大評価はすれど過小評価など死んでもできない。

 取り出したのはARCUS(アークス)。現在のバージョンでは大規模詠唱呪術を発動させることはできないが、それでも今は少しでも並列詠唱を行って時間を短縮しなければならない。

 

「ルナ‼ リディアを連れて戦域から離脱しろ‼ 早く‼」

 

 余裕など欠片も無い声が耳朶に入った瞬間、ルナフィリアはリディアを片手で右肩に担ぎあげた。

 担がれた当人はダメージが抜けきらない声で驚愕していたが、ルナフィリアは違う。ほんの僅かな悲哀を含んだ表情でレイを見つめた。

 

「待……って下さい‼ 先輩‼」

 

「…………」

 

「私……はッ……まだ……」

 

「無理だ。今お前に出来る事は何もない」

 

 あくまでも冷徹に、突き放すようにレイは言い放った。

 だがその一言が、全ての答えだった。それでもまだ言いたそうなリディアを無視し、ルナフィリアは瞬時に離脱する。

 「私が言えた義理じゃありませんけれど、生き残ってくださいね」―――去り際に放ったその一言は、レイの意思という名の炎に薪をくべるには充分な言葉だった。

 

 これで良かった。言葉通り、今リディアが此処に残ったところで出来ることなど何もない。そもそも彼女らの任務はレイ・クレイドルを可能な限り長く足止めする事。最早この場をどうにかしない限り逃げられなくなった今、彼女らが此処にいる意味も無くなったのだ。

 

 ―――それを考えれば、全く不本意ながら()()()()()()()だと思う。

 この状況下でレイという人間が全てを見捨てて逃げることは無いと理解しているが故の作戦。だからこそ、その作戦に抱く憎悪も一層深い。

 

「ヴィータァ‼」

 

 先程とは違い、怒気を含んだ声。射殺さんばかりの視線を、しかし魔女は怯えもせずに受け止めた。

 

「あぁいいさ‼ テメェの策に乗ってやる‼ 帝都88万の人間の命を質に入れた事、煉獄の底まで後悔させてやらァ‼」

 

 『ARCUS(アークス)駆動―――《天道流》神性封印術式転写―――終局術式【天道封呪・四神】詠唱開始―――並列詠唱error/error/error―――不正なプログラムがインストールされerror/eroor/error―――』

 

「マクバーン‼ ブルブラン‼ 手を貸せ‼ アレの《天撃》に消し炭にされたくなかったらなァ‼」

 

 『error/error/error/err―――追加プログラムインストール―――ARCUS(アークス)超過駆動(オーバードライブ)―――60秒後、当機にインストール済みのプログラム全てを消去、駆動を強制停止します』

 

「シオン‼ アレを180秒耐え凌げ‼ 余力は気にするな‼ その後は俺が絶対に何とかする‼」

 

 『超過駆動(オーバードライブ)許可―――並列詠唱開始―――天道封呪【東門青龍(とうもんせいりゅう)(なかこぼし)】/【南門朱雀(なんもんすざく)(みつかけぼし)】両術式の編成構築を開始します』

 

「ブルブラン‼ 『影縫い』で俺の身体を固定しろ‼ ()()()()()()()()()()()()‼ テメェそんくらい出来るだろ知ってんだぞ‼」

 

 『error/error/error―――処理能力超過、演算能力60%低下、詠唱強制停止まで35秒―――放棄を推奨放棄を推奨放棄を推奨―――』

 

 黙れ、と言わんばかりに火傷せんばかりに熱を持ったARCUS(アークス)を強く握りしめる。

 これは、確実に使い潰さなくてはならない。わざわざ特注品を作り上げてくれたZCFの技術者並びにラッセル一族には申し訳ないが、役目は果たし切って貰わなければならない。

 

 並列詠唱。アーツを使う際のそれと呪術を使う際のそれは些か趣が異なる。

 現代魔法(アーツ)の詠唱は、例えるなら演算からの数列の読み上げに近い。だが、後者のそれは所謂”言霊”と呼ばれる、言葉そのものに強烈な意味を備えるモノだ。

 だからこそ、あくまでもデータを基にした詠唱しかこなせない戦術オーブメントでは、その効果を発揮しきる事はできない。

 だがそれでも、この状況ではARCUS(アークス)に代理詠唱をさせざるを得なかった。

 

 詠唱の準備に入る。如何に”達人級”の末席を担っているとは言え、元が儀式術式である大規模呪術の発動準備となれば、必然的に他への警戒が疎かになる。

 ―――《結社》最強の一人を戦力に組み込んだのはその為だ。

 

 

「……まァ、()()()の相手をする方が楽しそうだよなァ」

 

 やや興味を上乗せした声色と共に、レイの背後で紅蓮の花が咲く。

 両手はズボンのポケットに入れたまま、地面から捲りあがるように発生した焔が、飛来した無数の氷柱を消し飛ばした。

 

 その視線の先に在るのは殺意の塊。虚仮にされたようなあしらいが余程気に喰わなかったのだろう。普段から漏れ出している殺気が、より濃密なものとなっている。

 だが、それはマクバーンにとっては心地良いそよ風程度のものでしかない。寧ろ、その戦闘意欲を高めるだけだった。

 

「そこをどけ魔人。貴様なぞに喰わせてやる魔力は持ち合わせていない」

 

「固ぇ事言うなよ《冥氷》。こちとらつまらねぇお預け喰らってイラついてんだ。解消に付き合ってくれや」

 

 直後、焔と氷が激突する。巨大な氷の剣の切っ先が、焔の壁に接触して爆発的な水蒸気を撒き散らした。

 神性が含まれるザナレイアの氷が普通の炎で溶け出す事など有り得ないが、マクバーンの”焔”ならばそれが可能だ。

 

 とはいえ、それで退くような女ではない。水蒸気を切り裂くようにして現れた《ゼルフィーナ》の剣身を、マクバーンは読み切っていたように己の得物で受け止める。

 魔剣《アングバール》。《剣帝》レオンハルトが有していた魔剣《ケルンバイター》と対になる、”外の理”の法を以て創られた得物。

 洸法剣《ゼルフィーナ》との性能の差異は無い。だが両方とも、使用者の異質性がそのまま性能を歪ませている。

 

 黒く変色した《アングバール》を振るう度、異名と同じ劫炎が巻き上げられる。それを受け流すザナレイアの表情は憤怒の一色で塗りつぶされていたが、マクバーンはただ笑っていた。

 

「去ねッ‼ 穢れた焔など見たくもない‼」

 

「釣れねぇこと言ってんじゃねぇよ。こちとら戦場に呼ばれたってのに燃えねぇ戦い見せられて燻ぶってんだ。憂さ晴らしに付き合って貰うぜザナレイア‼」

 

 

 ―――『死氷ノ奏剣(ニヴル・シュヴェリウト)』‼

 

                        『ギルティフレイム』‼―――

 

 

 常識という概念を遥かに凌駕した二者の技が接触する。

 現代魔法(テクノ・マギ)では到底辿り着かない破壊概念の一点特化。凡そ人間が生きてはいられない熱と冷気が混ざり合う中、レイはその地獄のような光景を見てすらもいなかった。

 

 正確には、見る余裕すらない、と言ったところだろうか。

 《天道流》に於ける最高位封神術式である【天道封呪・四神】。一つ発動させるだけでも膨大な呪力と脳の回路が焼き切れそうな程の術式構築を必要とする四つの封神術式の内、思考を並列させて呪力の一部を特製ARCUS(アークス)の回路に肩代わりさせているとはいえ、三つの術式をほぼ同時に発動させるのだ。

 もはや、宿敵であるザナレイアの存在すらも思慮の外だ。より早く、より正確に術式を練り切らなければならない。

 

 すると、レイの背中に数本の針が突き刺さる。倒壊しかけている建物から発せられる揺れの中、その身体が完全に固定された。

 

「一つ、貸しと思って良いのかね?」

 

「アホぬかしてんじゃねぇ。ヴィータがテメェを呼んだのはこの為だろうが」

 

 《怪盗紳士》の軽口にも、その程度しか返せない。

 そして漸く六割程の構築が終わった時―――視界の一切が”白”に包まれた。

 

 

 

 

「さぁ、死んでください劣等種さん♪」

 

 

 ―――『天撃(アルス・ノヴァ)』―――

 

 

 それはまさに”天罰”。地上を焼き尽くす天使による原罪の浄化。

 しかし、実際はそのような清らかなものではない。放つ者が、己の快楽を満たす為だけに行う破壊と殺戮。

 

 触れただけでも灰燼と帰すエネルギーを有するそれを、彼女は軽々と操り、そして()()させた。

 

 それはまるで巨大隕石の落下だった。僅か数メートル進むだけで、ヴィータが全身全霊で張った結界が軋みを上げていく。

 そして数秒後、シオンが張り巡らせた”壁”の一枚に触れる。

 

 瞬間―――レイのすぐ傍の天井が崩壊した。

 それは無論、余波でしかない。次々と崩れていく足場の中、レイが立っているその場所だけは不動だった。

 『影縫い』の恩恵は充分発動している。後はこの状況でも決して緩まない精神力さえあればいい。

 

 制限時間は残り180秒。0.1秒たりとも超過してはならない。

 比喩でも何でもなく割れてしまいそうな程の頭痛と、呪力の過剰励起による全身の痛みと嘔吐感を気合で捩じ伏せながら、最後の詠唱を開始する。

 

 

「【籠に住まう凶将の欠片 歳刑(さいきょう)歳殺(さいせつ)に隷属する諱鬼(おに)は滅門の彼方より出で給う】」

 

 

 ARCUS(アークス)の部品の一部が、火花と共に吹き飛ぶ。それを代償に、【南門朱雀・軫】が発動した。

 空中にばら撒かれた呪符が『天撃(アルス・ノヴァ)』に纏わりつくように展開され、仄紅い光が技の暴性を削り取りにかかる。

 

 本来、【天道封呪・四神】は四つの術式の同時発動により初めて本領を発揮する。

 シオンを調伏した時も、エルギュラを封印した時もそうだった。しかし、それを成したレイの体内には、もう既に碌に呪力が残っていない。

 故に今回も、発動させることができるのは三つまで。だが……

 

 

「【天道に坐し、神道に(かしこ)む 苦果も愛染も理なれば 此方(こなた)蠱業(まじわざ)()りて其を封ず】」

 

 

 理解する。このままでは三つ目の封神術式を()()()()()()()()()()()()

 単純に呪力が足りない。全身を巡る呪力の九割九分まで搔き集めても、まだ発動までには至らない。

 僅かに残った思考力で考える。どうすればよいか。どうすれば、どうすれば、どうすれば―――。

 

 

「【諱鬼(おに)よ、羅刹(おに)よ、現世(おに)よ 愚かしくも天津に弓引かんと欲するならば、我らは無量の加護を以て討ち祓おう】」

 

 

 ARCUS(アークス)が砕け散った。そして【東門青龍・心】が発動する。

 削り取った膨大なエネルギーを、その術式が沈静化させる。だが、その程度では文明そのものを破壊し尽くす絶技は止まらない。

 

 シオンの”壁”も、既に幾らか突破された。傍目から見ても、彼女自身余裕があるとは言い難かった。

 それだけの技なのだ。最高位の封神術式と神獣の防御壁を以てしても耐えるのが精一杯。

 

 だが、それでもやらなければならない。

 ここで自分たちが折れてしまったその瞬間、内乱の開戦も何もかもが些事と化す。人民の命と同時に、帝都ヘイムダルそのものが文字通りガレリア要塞のように消えてなくなってしまうだろう。

 

 それは、それだけはあってはならない。

 元遊撃士としての矜持? 否、そんなものではない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()―――それはレイ・クレイドルが最も忌避する行いだ。自分の実力不足でまた何かを喪うのは何よりも耐えがたい苦痛である。

 

 

「【故に悪鬼よ 逢魔時(おうまがとき)にて邂逅せん 此処に血脈の契りは成り 我は其を封じる獄番となる】」

 

 

 ()()()、と。レイは心の中で謝罪した。恋人たちに、仲間たちに、自分の身を案じてくれる全ての者達に。

 また少し無茶をするという事を、正当化させるために。

 

 

「―――【代償奉納】」

 

 詠唱の間に挟んだその一説。たったの四文字であったが、それは諸刃の剣だった。

 それは名の通り。「己の何かを代償として捧げることで疑似呪力に変換し、呪法を発動させる」というもの。

 

 レイがこれを使ったのは以前に一度。エルギュラを封印する際に、彼は()()()()()を犠牲にして疑似呪力とした。

 

 しかし、この法は何度も使えるものではない。【代償奉納】は、外道の法が多い【天道流】の呪法の中に於いても禁呪指定されているものだ。

 不足している呪力に対して、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。発動自体は素人でも可能だが、未熟な術者が安易に使用すると生命活動そのものを犠牲にしかねなかったからだ。

 だが、レイは大体予想できていた。この【代償奉納】で、自分がどの程度のものを失うのかを。

 

 

「天道封呪―――【西門白虎(せいもんびゃっこ)(たたらぼし)】‼」

 

 

 その封呪が司るのは”封印”。

 【南門朱雀・軫】が”鎮圧”を、【東門青龍・心】が”抑制”を司り、その上で【西門白虎・婁】が”封印”する。

 本来ならば四つ目の封呪までを発動させて漸く神格封印が完成するのだが、今回はそれは不要。”封印”までの過程を成功させれば良い。

 

 だが、言うは易く行うは難し。普通の呪術師であれば、たとえ一年間全力で溜め続けてもまだ足りない呪力を唯一人で賄うなど狂気の沙汰であり、それを三種連続発動など、本来なら命を幾つ積み上げても足りないだろう。

 

 しかしレイはそれをやってのけた。母が組み上げた術式と、生来持ち併せた膨大な呪力のほぼ全てを余すところなく使い、使い潰した。それの”代償”は―――。

 

 

「ッ―――」

 

 ()()()()()()。まるで巨大な獣に食い千切られたように、レイの身体からその部分が消失した。

 無くなったのは肩口より先。途端にゴボリと流れ出ようとした血を、氣を最大限活性化して可能な限り止める。

 直後、視界がチカチカと弾けた。致死性の呪力枯渇と、その状態での氣力の励起。今までになく死の淵に立たされたレイは、それでもそこで踏ん張った。

 

 上空では、緑色に発光した呪符が《天撃(アルス・ノヴァ)》という名の”力”の洪水を堰き止めていた。

 シオンが展開した防御壁は、残り二枚になるまで押し込まれていた。元々聖獣としての権能を主の為に自己的に封じているシオンは、七尾まで解放をしていても本来の力には程遠い。

 彼女の本領は”九尾”まで、全てを解放する事で漸く発揮される。本来であれば破壊一点特化性能持ちとは言え、”兵器”に一方的に押し込まれる程弱くはない。

 

 だが現状、神格を最大解放すれば()()()()()()()()()()()()()()。そうなれば、生命活動の為にレイから際限なく生命力を絞り上げてしまう。好き勝手に生きてきた頃であればその程度は迷わずやっていただろうが、今は違うのだ。

 しかし、その縛りが逆に主を危機に追いやっているのは皮肉としか言いようがない。これ以上力を使えば否応なしに神格が順次解放されていく。それは両者とも望むものではないが、それが主を死に追いやってしまうのなら―――そう考えた時、彼女の眼前にレイが立った。

 

「よくやってくれた、シオン」

 

 その声には、隠しきれない疲弊が混じっていた。喉奥から込み上げているのか、吐息から血の匂いがする。

 それでも彼は、無くなった左腕の肩口から血を流しながら、余波で裂けかけた脇腹から目を逸らしながら、吹き飛んだ眼帯の奥から溢れ出る血を拭いながら、無事だったその両足で確と地面を踏みしめて立っていた。

 そうだ、その強さに惚れ込んだのだとシオンは再確認する。普通の人間ならばとうに絶望し、膝をつき、前を見る事すらできない状況に陥ったとしても、彼は必ず立ち、進む。

 

 それは他者から見れば猟奇的かもしれない。呪われていると思うかもしれない。何故そこまでして、と思う者もいるかもしれない。

 まぁ、呪いではあるのだろう。「強くなければ何も護る事はできない」という真実の一つに、齢6つで辿り着いてしまった子供が、幸か不幸か武の才能に恵まれていたのだ。

 そうして若くして”達人”の域にまで至った者が「護らなければならないもの」を背負っている以上、己の死を軽々と許容できるはずもない。

 

 そしてその姿は―――様々な修羅を惹きつける。

 

 

「……やっぱり不可解ですねぇ。どうしてそうまでして有象無象を助けようとするんです?」

 

 どういった方法か、轟音が響く中でその声がしっかりと耳に届いた。

 先程までの煽り散らすような声色ではない。ただ純粋に、疑問に思ったことを此方に投げかけているだけ。

 それに対し、レイは不敵に笑いながら答える。

 

()()()()()()()()()()()()()、フリージア。自分(テメェ)が原因の喧嘩だ。始末は自分(テメェ)の手の届く範囲でやる」

 

 左腕も、費やした大半の呪力も、全て必要経費に過ぎない。

 だが、費やすのは己の命と覚悟だけで充分。そこに関係のない他者を巻き込むのは矜持に反する。

 

 だから、とレイは右手で長刀を鞘から抜き放つ。

 上空では、ばら撒かれていた呪符が全て弾けた。吸収できるエネルギーの許容量を超え、その役目を終える。

 それでも、《天撃(アルス・ノヴァ)》の全てを無効化する事はできなかった。吸収できたのは全体の八割程。残りの二割は今も落下を続けている。

 

 二割なら、()()()

 そう判断したレイは、右腕だけで《天津凬》を大上段に構えた。

 

 体内に残った氣を搔き集める。これまでの戦闘に使った分と、現在治癒の方に回している分を差し引いて、ギリギリ一発放てる程度。

 足りなければ気合で補う。武術でのそう言った方法は師から何度も何度も叩き込まれてきた。

 

 

「八洲天刃流、奥義の弐」

 

 

 思考を固定する。目の前の事象を「斬る」というただ一点に。

 

 形あるモノを斬る。それは剣士としてはまだ二流の領域。

 では形無きモノを斬るには如何にすれば良いのか。

 ()()()()()。「斬切」という概念を極限以上にまで研ぎ澄ませて剣を振れば良いだけの事。

 

 ―――そんな、傍から見れば意味が分からない滅茶苦茶な理論を奥義という型に押し込んだのがカグヤという規格外の武人であり、それを叩き込まれたこれまた規格外の弟子がレイ・クレイドルという男なのだ。

 

 故にその技は、()()()()()()()()()()()()

 己の思考を”目の前にあるモノを断つ”という一点だけに固定し、その強度を高めていく。

 とはいえ、敵の眼前で悠長に瞑想などしてる時間など無い。呼吸の一つ、その僅かな間で精神統一と精神強化を完成させる。

 

 理論上は、ありとあらゆるモノを断つことができる。レイが先日、弱体化していたとはいえソフィーヤの護りを貫けたのもこの技があってこそだ。

 それでも、今のレイの練度では《天撃(アルス・ノヴァ)》そのものを断ち斬る事はできない。だが、総量の二割程度にまで縮まった今ならば―――断てる。

 

 

「【閃天(せんてん)十束剣(とつかのつるぎ)】」

 

 

 迅くはない。否、迅くある必要がない。

 

 ただ長刀を振り下ろせば良い。刀身が触れていなくても、纏った概念が触れれば良い。

 先程まで現れていた荒々しい気配を完全に抑え込み、レイはただ、右腕を振り下ろした。

 

 

「―――はぁっ♡」

 

 破壊の天使が、そう息を漏らした。

 彼女だけではない。その瞬間、その場にいた全員が一瞬息を呑んだ。

 

 結界を維持していたヴィータも、役目を終えたブルブランも、未だに死闘を繰り広げていたザナレイアとマクバーンも、そしてシオンも。

 

 その一閃に見惚れていた。一切の不純なく、一切の煩悩なく、一切の澱みがない、その一閃に。

 

 そしてその奥義は、見事に《天撃(アルス・ノヴァ)》の残滓を断ち斬った。

 帝都の全てを灰燼に帰す脅威は消えた。それと同時にヴィータの結界も消え、帝都の現状が露わになる。

 

 一言で言えば酷い有様だった。上空に浮かぶ巨大航空戦艦から投下された機械兵部隊が、帝国正規軍の機動部隊を蹂躙している。

 帝都の郊外であるこの場所から見ただけでも相当な騒ぎになっていることが分かるのだから、中心地の被害は推して知るべしだろう。死傷者も少なからず出ているはずだ。

 

 幾度も嗅いだ臭いがする。戦火の臭い、戦争の臭い。道も法理も飛び越えた、人殺し達が跋扈する世界。

 だがもはや、今のレイには自分の足でそこに向かう余力すら残されていなかった。握った刀こそ意地でも離さなかったが、刀を振り切ったその体勢のまま気絶していたのだ。

 

「主……」

 

 そんな主人を、シオンが抱き留める。今にも壊れてしまいそうなその身体を一度抱きしめると、彼女の身体が徐々に変化していく。

 

 人を象った姿から、獣の姿へ。他の聖獣がそうであるように、本来の姿へと立ち戻っていく。

 やがてそこに現れたのは、黄金の毛並みを持つ巨大な狐だった。双眸から、四肢から、その姿の全てから極上の神格を立ち上らせている。

 だが、その尾は七本のままだ。それでも、長らく見せていなかったこの姿に戻ったのには理由があった。

 

『……事此処に至って、まさかこれ以上我が主を阻む真似はしんせんね? 魔女殿』

 

 返答を問うている訳ではない言葉。それはヴィータにも分かっていた。

 ここでもし止めようものならば、彼女は暴走も覚悟で神格を解放するだろう。今のところは計算通り進んでいる現状を鑑みると、そのような愚行は絶対に侵せない。

 

「構わないわ。時間は稼がせてもらったし、《天撃(アルス・ノヴァ)》も消して貰った。お礼は後でさせてもらうわね」

 

『主の矜持に感謝しなんし。此方の借りは、何れ必ず返しんす』

 

 それだけを言うと、シオンはレイを背に乗せて跳躍した。

 ただ一回、それだけで帝都を囲う赤煉瓦の壁を飛び越え、そのまま東の方角へと去っていく。

 

 その姿をただ眺めていたマクバーンは、いつの間にやら眼前の女から発せられていた殺気が沈静化している事に気付く。

 視線を向けると、まるで憑き物が落ちたかのように戦意がなくなり、得物を引っ込ませるザナレイアの姿があった。彼女が《結社》に転がり込んできた時から見てきたマクバーンにしてみれば、これほどまでに”怒り”を抑え込んだザナレイアを見るのも久しく、先程まで殺し合っていたというのに、つい口が開いてしまう。

 

「ありゃあ凄ぇなオイ。流石のお前も良い意味で戦意削がれたか。ザナレイア」

 

「……煩い。普段なら氷漬けにしてやるところだが、今回は許してやる」

 

「ッハ。まぁそりゃそうだろうなぁ。あんな剣技見せられて、ついでに気絶しちまったんならテメェが追うとも思えねぇ」

 

 ザナレイアはレイを殺そうとしている。それは事実だ。

 だが、殺せるならばどんな状況であっても良いという訳ではない。あくまでも己を殺すのは、全力を出した宿敵でなければならない。自分が追い詰めた末の瀕死であれば殺す事に何の躊躇も無いが、今回は違う。

 武人の矜持、というものでもない。強いて言うのであれば殺人鬼の考えだろうか。

 ともあれ、今のザナレイアから殺人への執着は消えた。それからの行動は迅速で、足元に転移陣を出現させてその場から消え去るまで、数秒と掛からなかった。

 

 所詮自分との戦いは本命(レイ)と戦う前の前座に過ぎなかった。それに対して少々思う所はあったが、考えるのが面倒臭くなったマクバーンはその場に腰を下ろし、煙草を銜えると自身の焔で先を炙った。

 

 

 そんな《結社》”最強”の姿を見下ろしながら、ヴィータは上機嫌な様子で自分の隣に居座った天使に話しかける。

 

「それで? 気は済んだのかしら《天翼》様?」

 

「ふぅ♡ えぇ、えぇ。ここ数年で一番スッキリしましたねぇ。あれだけ全力でぶっ放したのも久々ですしぃ、それを防がれたのなんて、《爍刃》に喧嘩売った時以来ですから♪」

 

「……あの方に喧嘩を売って笑って生きてるなんて貴女くらいのものじゃないかしら」

 

 ほぅ、と艶めかしい吐息と共にレイが去った方を見つめるフリージア。その視線に籠っている情に、”恋心”なるものは一切含まれていない。

 そこに在るのはただの”興味”。都市区画どころか小国すら一撃で消し飛ばす自分の《殲撃機能》を単身で消滅させてみせた存在への嘱目に他ならない。

 

「良いですねぇ。本当に良いですよぉ。いつか()()()()は、私の()()の《天撃(アルス・ノヴァ)》も受け止めてくれますかねぇ♪」

 

 ―――そんな言葉と共に、フリージアは手の中に小型の光槍を生み出して、それを徐に帝都の中央へと投げ捨てる。音速を優に超える速さで飛んで行ったそれは、今まさに中央区画近くで逃げ遅れた帝都市民を踏みつぶしかけていた機甲兵の一機を貫いた。

 機能停止、どころではない。内部で爆散した光槍は、そのまま操縦していた貴族兵の命を容易く奪った。正体不明の狙撃と勘違いした後続の機甲兵の操縦士たちはその場で立ち止まり、その間に市民たちはその場を離れることができた。

 

「…………」

 

 何故こんなことを? と言葉にする程ヴィータは愚かではない。この偽天使が、市民を救うために今の攻撃をしたなどと考える程浅ましくも無い。

 

「私を笑わせてくださった劣等種(ヒューマー)への()()()。良く分かりませんけど、このくらいでいいですかねぇ?」

 

 そう、彼女の思考に善と悪など存在しない。彼女がヒトの形をして、ヒトの言語を喋り、ヒトのように振舞っているのは、ただそれが()()()()()というだけだ。

 例えば今の攻撃が、機甲兵の操縦士だけでなく市民を巻き込んでいたとしても、彼女は何も思わなかっただろう。ただこのように妖しく笑うだけだ。

 

 《結社》最高幹部であるヴィータでも、《侍従隊(ヴェヒタランデ)》のメンバーは完全に網羅しているわけではない。ましてや、直接会った者など数名しかいない。

 ただ、そのメンバーの中でも飛びぬけて”危険指定”されているのが《天翼》フリージア。殺戮と破壊の権化。彼女の前では人間はただの「劣等種」であり、聖獣ですらただの獣でしかない。

 彼女にとって人間を殺すという事は、人間が蟻を踏みつぶす事に等しい。()()()()()()()()()()()()()()()()という、経緯を省いた結果だけしかないのだ。

 

「それでは、私はこれで失礼しますね。一度《侍従長》に報告に行かなくてはいけませんので」

 

「えぇ。またよろしく頼むわね《天翼》さん」

 

「そうですねぇ。またお会いしましょう()()さん」

 

 純白の羽をはためかせ、フリージアはそのまま()()した。その時速は如何程か。僅か数秒で雲の中に姿を消した事実を鑑みると、やはり常識では計り知れない機構で創られているのだと実感できる。

 

「(”魔女”ね……)」

 

 通称で呼んだわけではない。フリージアはまだ、ヴィータ・クロチルダという存在を「名を覚えるに値しない劣等種」としか認識していないのだ。

 彼女にとって、”格上”と呼べる存在は二つしか存在していない。《侍従長(セフィラウス)》リンデンバウムと、《盟主》だけだ。

 それ以外は先述の通り、彼女にとっては有象無象に過ぎない。「いずれ自分が破壊することになるかもしれない存在」という一括りでしかないのだから、そもそも名前を覚えようとはしない。

 

 ―――では、(レイ)は何だ?

 

 そこは、ヴィータですら知らない過去。記録に残っている限り、彼とフリージアが同じ戦場にいたのは一度しかない。

 ゼムリア大陸東部、今は最早砂漠化の波にのまれて探す事すら難しい場所。その一角にあった邪法と邪神を奉った一族が暮らしていた神殿区画《天城教団総本部》の殲滅任務。

 《天道流》の遣い手を、唯一人を残して鏖殺した大規模任務。その総仕上げは、《天翼》フリージアによる《天撃(アルス・ノヴァ)》を使用しての”広域処理”であったと聞いている。

 

 果たしてその場で、レイ・クレイドルはあの神造兵装に一体何を見せたのか。何をしてアレに名を覚えて貰ったのか。

 ヴィータ・クロチルダは魔女である以上、研究者でもある。その辺りの事も気に掛かりはしたが、今はそれよりも考えなければならない事があった。

 

 

 

 ”計画”は、今のところ思い通りに進んでいる。一先ず何が何でも最初の一手は失敗してはならなかった為、可能な限りの戦力を過剰投入して混沌とさせてしまったのも、まぁ予想通りだ。

 さしものあの少年もあそこまで傷を負って、更に()()無茶をしなければならないのでは、全快までにそれなりの時間を有するだろう。

 

 開幕の花火は盛大に上がった。後はどれだけ詰められるか、どれだけ成長するかでしかない。

 

「さて、どうなるかしらね」

 

 結社《身喰らう蛇》《使徒》第二柱ヴィータ・クロチルダ。

 エレボニアという国を舞台にした実験が、幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 






 投稿期間がかなり空いてしまって誠に申し訳ありませんでした。年末から年始にかけて、どう足掻いても上手い文章が作れなくなるというワケ分からない症状に苛まれ、先のプロットに矛盾を発見して書き直し続けるというアホみたいなことやってました。
 あと普通に風邪引いてたり、ゲームもやってましたマジすみません。

 さて、かなり長い間連載していたこの作品ですが、次回で多分最終回です。ストーリー的には次回で終わると思います。
 あぁ、クッソ長かったなぁ。大学生時代はかなり速いペースで更新できてたんですが、社会人になった途端にペースが落ちてこのざまです。宜しければこの物語の区切りの最終話。どうぞ最後までご観覧くださいませ。


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