「相手のために死ねないのなら、私はその人を友達とは呼ばない」
by 羽川翼(化物語シリーズ)
アッシュ・カーバイドという青年が持つ才能は、有体に言って稀有なものであった。
身体的ポテンシャルに恵まれ、戦闘におけるセンスも併せ持つ。咄嗟の判断力、先読みの戦略眼も粗削りながら有し、何よりはみ出し者達を纏め上げるカリスマ性は生半可なものではない。
例えば彼が現Ⅶ組の生徒の一員であったならば、彼は誰よりも早く”達人級”の領域に辿り着ける才能を持つ人間という事で、レイ・クレイドルは彼をひたすら鍛え上げた事だろう。
とはいえ、彼がその才能を開花させたのは、育ての親が死んだ後の事だった。
このラクウェルは、親を持たない子供が一人で安穏と生きていけるほど平和な街ではない。しかし彼は、義母亡き後はそれをやってのけて見せた。
一匹狼的な気質を持ちながら、しかし自分を頼り、仲間と認めた者に対しては面倒見が良いという一面もある。
そうした性格と何事にも屈しない強靭な精神が、同じ境遇の若者を惹きつけていた。人を殺すことに長けたプロが跳梁跋扈するこの街で、何者の下にも着くことなく生きてきた。
怖いもの知らず。そう呼ばれて久しい彼であるが、唯一―――そう、唯一心の底から恐れた人物がいる。
これからどのような生き方をしようとも、アレよりも恐ろしい人間とは会うことはないだろうと、そう思わしめた人物。
「ふむ、研磨どころか削りさえ入れられておらぬ原石か。才を持つがゆえに天狗となった狂犬は珍しくないが……否、貴様のそれはちと違うか」
その女は、奇異だった。
色々な人種が入り混じるラクウェルという街において、それでも珍しい東方の服を着流した長身の女性。夜の街でも目立つ赤髪を揺らし、銜えた煙管から紫煙を燻らせるその姿は癖のある放浪人にしか見えなかった。
しかし女は、その外見の珍妙さとは裏腹にラクウェルの街を行き交う誰にも
”ただそこに、人間がいる”。その程度にしか思われていないし、彼女自身、それが当たり前であるように振舞っていた。
だが、何故だかアッシュだけは彼女を正しく認識できていた。
カジノで遊び、酒を飲み、愉しみ尽くす異邦人の姿を。ゆらゆらと、まるで陽炎のようにいつの間にか人混みに消えてしまう彼女の事を。
今でも若いアッシュだが、当時は更に若かった。今のように俯瞰するような判断力もなく、不良の中にあって噛みつく事こそが正義であると勘違いしていた頃の事。
最初はただの興味本位であった。自分こそがラクウェルの主であるであるかのように振舞うその女がどういった存在であるのかを知りたいだけであった。
しかし、その目論見は失敗に終わる。
女を追って路地裏に入った先で彼は、女にただ一瞥されただけで地を蹴り、拳を振り上げていた。
最初は本当に、戦う意思など無かった。無かったのだが、何故か安い挑発を受けたかのように、彼の身体は一瞬で戦闘態勢に入っていた。
一方で女は、アッシュが何の躊躇いもなく拳を振り上げてきたことに一瞬だけ口角を吊り上げ、しかし次の瞬間には冷たい石畳の上に叩きつけられていた。
「む? ふん、成程、貴様の
「ッ―――テメェ、何だ‼ 何を言ってやがる‼」
「なに、儂が言わずともいずれ分かるだろうよ。貴様が
それは、女にとっては最大級の賛辞であった。アッシュの才を見抜き、彼女がただ唯一継承者と認めた少年と同程度の才があると。
だが勿論、アッシュには何を言っているのか分からない。それでも女が持つ底知れない”力”の一端を察し、小指の一本たりとも動かすことができなかった。
「小僧、眼前の事柄に惑わされているようでは三流ぞ。強くなりたくば、強さを”力”のみと捉えるでない。でなくば今の貴様のように、彼我の実力差も見極められずに―――遠からず死ぬぞ」
何を、と一瞬思った。
こういった掃きだめの中にあって、まず何よりも優先されるのは力だ。そうでなければ生き残れない。
だが奇しくもそれは、女の一番弟子である少年が嘗て師に面と向かっていった事と同じである。
所詮この世は、強くなければ生き残れない。弱者は強者に食われて死ぬ。弱く在り続けることは罪なのだと。
しかしそれでは何れ破滅すると、女は言った。
弱肉強食は確かに世の理だ。しかし強者が弱者を一方的に蹂躙し、自己顕示のために庇護という名の支配をする―――世はそう単純ではないのだと。
”力”のみを求めた存在は、何れ必ず何処かで足を踏み外す。それが正義だと疑わなくなれば猶更だ。
そうなれば後は、弱者を一方的に見下す存在が出来上がるだけだ。そしてそういった者の最期など、決まって酷く醜いものである。
女は武人だ。それも武術の最奥の、人が行き着く最果てのその先に足を踏み入れた者だ。
普段はそれらしく、常人には理解しがたい破天荒な行動を取ることが多いが、だからこそ彼女は、才を持つ武人には善く在って欲しいと願っている。
何故ならばそれは、彼女が得ようとしても得られなかったモノだからだ。ヒトとして正しく生きるなど、彼女にとっては生まれた時から不可能だったのだから。
「励め、若き戦士よ。貴様の内に眠るモノがどうであれ、その才は本物だ」
「貴様が何れ動乱を齎す火種になったのだとしても、揺るがぬ信念、強き心を持っていれば―――その慟哭を聞く者が必ずいる」
「力に溺れるな。己の才を過信するな。弱きを曝すのも強きを隠すのも罪ではないが……身の程を弁えず蛮勇を繰り返すは大罪ぞ」
だが、彼女の言葉は一方的に投げられるものだ。
彼女は才ある者に”そう在って欲しい”と思うことはあれど、”導く”事は不得手である。
ただ己の意思を述べているだけ。それをどう捉えるも、どう思うもその人間次第。嫌われようと好かれようと、彼女にとっては至極どうでもよい事であるからだ。
そしてアッシュはそれを聞いた。聞かざるを得なかった。
その女の言葉を聞いて、脳内で反芻せねばならないと心の奥で理解していた。自分は弱いのだと、それを飲み込まなければならなかった。
更に同時に悟る。自分という器では、人生で如何程の鍛錬を積もうとも、生涯この女に叶うことはないだろう……と。
それを瞬時に理解し、腑に落とす事が出来るという点に於いても、確かにアッシュ・カーバイドは稀有な人間であった。
ただし、それは彼が諦めが良い人間であることを指しているという事とイコールにはならない。
彼は底知れずの負けず嫌いだ。そうでなければ、このラクウェルで何者にも屈さず、従わず、徒党を組むことなどありえない。
つまるところ彼は、自分が与り知らないところで
高い自負心と凶暴性を併せ持った狂犬の如き一面と、常に自身や周囲を俯瞰し、客観的に判断を下す理知的な一面。
それら二つが上手い事噛み合うことにより、本来多種多様な人生を経験した辣腕な人間が意図的に切り替えるそれを、生来併せ持つという特殊性を得ていたのである。
今までそれが出来ていなかったのは、単にその才を”咲かせていなかった”だけの話。
ここに至って初めて”圧倒的な力量差”というものを知った彼は漸く、誇るべき才能を自覚できたのである。
恐らく然るべき師に師事すれば『理』に至ることすら可能であろう人材。
しかし彼女はその才を拾わなかった。それが惜しいことを充分過ぎるほどに理解していながら。
彼女の全てを継承するのは
どの才を拾い、それ以外の全ての才を捨てるか否か―――長く永い時を生きた彼女にとっては、それも運命の一端でしかない。
そう、つまり。その邂逅は
この二人が出会うという極小の可能性が引き合わせたというただの事実。互いに教えたつもりもなければ、教えられたつもりもない。
だが、この出会いがこの後のアッシュ・カーバイドという人間を作り上げるきっかけの一つになったというのもまた―――認めなければならない事実だったのだ。
―――*―――*―――
アッシュという人間の、敵か味方かを判別する判断材料はひどく単純だ。
即ち、
安っぽい正義感で動くわけでもなく、かと言って味方であろうとも無条件で切り捨てられる非情性があるわけでもない。
そういう意味では不器用であるともいえる。彼は自ら己の中の善悪を狭めることで、守るべきものとそうでないものを振り分けているのだから。
だからこそ今回、彼が動いた理由も単純である。
レイラという少女を、彼は好ましく思っていた。異性として愛情があったという訳ではなく、その人間性をである。
彼女には克己心があった。最初は父親が帰らない寂しさをグループに依存する事で埋め合わせていただけであったが、そこから脱却しようと努力する根性があった。
だからこそ、バーに入り浸らなくなった彼女を問い詰めることはなかったし、このまま自分の居場所を見つけられるならそれで良いとも思っていた。
そんな彼女が、自分が招いたわけでもない窮地に陥って再び自分たちの所に戻ってきた。
その事実だけで、アッシュだけではなく、彼の下に集う者達の考えは決まっていた。
仲間を追い詰めた奴らを許すな―――仲間を貶めた奴らを許すな。目には目を、歯には歯を。対抗できるだけの条件が揃った今、彼は虎の威を借った狐を狩る事に何の躊躇もなかった。
無論、ただ闇雲に動いたわけではない。
勝算はあるとはいえ、相手はれっきとしたマフィア。ただの不良集団である自分たちが全てを壊せるわけもなく、何も手を打たなければ報復に遭うことは火を見るよりも明らかだった。
だから、
『グリベリアファミリー』を敵視する大規模マフィアの幹部に秘密裏に、今まで探った情報を流した。彼らも『グリベリアファミリー』の昨今の動きを無視できないようになっている以上、”戦争”が近いことは確実であった。
だが、一つ不可解なことがあったとすれば、高ランクの猟兵団すら雇える財力のある大型マフィアファミリーを相手にしてもなお、『グリベリアファミリー』は生き残る算段があったという事だ。如何に個人戦闘力が高い存在を用心棒にしようとも、戦争屋である猟兵団が数の暴力でかかれば、弩級の化け物でない限り封殺される。
まさか、その程度のリスクを計算できないほど愚かではないだろう。だとするならば、かなり大きな後ろ盾を用意しているという事になる。
そしてその後ろ盾は―――恐らくレイラの父親が見てしまったという”荷物の中身”に関係する事であり、その件が片付けば、戦争の火蓋は切って落とされてしまう。
だからこそアッシュは、各所との交渉を終わらせた後、自ら得物を手に取った。
悪知恵が働く悪友や、腕に覚えのある仲間たちと共に、アジトであるバーを急襲しようとした連中を迎え撃った。
迎え撃つのが重火器であったのだとしても、碌に明かりもない路地裏、そして自らの庭も同然の場所であれば、充分に戦える。
とはいえ、仲間たちに多少の恐怖感があったことは否めない。そんな彼らが躊躇うことなく戦えたのは、偏に先頭に立ったアッシュの影響だろう。
しかし彼にとってみれば、この程度は恐怖の対象ですらなかった。
放たれる弾丸が体を穿つ恐怖より、あの時感じた殺気の方が余程恐ろしい。故に、
……考えてみれば運が悪かったとも言える。”彼女”よりも鋭い殺気を放てる者がいるのだとしても、普通の人生では決してお目に掛かることはない。そんなものを基準に考えてしまえば、高々チンピラに毛が生えた程度の存在に恐れを為せという方が無理な話だ。
結論から言えば簡単な仕事だった。
軍人のように連携を学んでいない奴らを瓦解させる事などそう難しくはない。罠に嵌め、不意を突き、早々に何人か潰してしまえば、後は烏合の衆と何も変わらない。
そして恐らくは、男が潜伏していた廃屋の方に本命が向かっていたのであろう。ついで程度にしか考えられていなかったのか、バーを強襲しようとしていた連中は不利と見るや蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。
その様子を見て、思わず嘲笑じみた笑いを漏らしそうになったのは仕方がない事だろう。
何せそのバーに、彼らが追っていた二人がいたのだから。セーフティールームに押し込んだ二人が今どのような話し合いをしているのかまでは流石に知らないが、恐らく悪い方向に転ぶまい。
アッシュ自身、父親という存在が記憶にないが、それでもあの男にはレイラを護ろうとする強い意志と気迫があった。彼女も、それが分からないほど混乱してはいまい。
「んで、どうするよアッシュ。俺らの仕事なくなっちまったぞ」
悪知恵の働く昔からの悪友―――ブラッドの言葉に、アッシュは鼻を鳴らす。
「サルーダ、ジョン、エルアスはこのままアジトを守っとけ。ブラッドはカタが付いたって情報を
「アッシュの兄貴はどうするんスか?」
本来であれば既に、アッシュの為すべき事は9割方終わっていた。後は事後処理をバレないように済ませれば良いだけの話である。
だが一応彼にも良心はある。断らないであろう事にかこつけて本命を回した。それを見届けるだけの責任はあった。
面倒臭ぇ―――そう呟いた彼の口角が少しだけ上がっていたのを見た者は、誰一人としていなかった。
―――*―――*―――
最初の数秒で9割方は沈んだ。
その原因は殺気である。リディアが放ったそれが今まさに彼女に発砲しようとしていた男たちを襲い、一瞬で昏倒させた。
”達人級”同士の相対であれば挨拶代わりにしかならないそれでも、一般人に毛が生えた程度の連中が相手ならば戦闘不能にさせるに足りる。彼女が本気でひと睨みするだけで、全員が倒れて終わるはずだった。
「……あぁ、貴方が例の」
バタバタと倒れる男たちの中で、一人だけ佇む男がいた。
身長は2アージュに届くであろう巨躯。全身に刻まれた傷痕が素人ではないことを如実に表しており、何より発している覇気を見間違うほどリディアは雑魚ではない。
両手には鋸状の刃がついた大型のバスターブレードが
聞いたことはある。カルバード共和国を根城とするA級猟兵団《赤枝の獅子》。嘗てそこで部隊長を務めながら、しかし部下を見捨ててまで戦い続ける戦闘狂さ故に幾度も舞台を壊滅させて追い出された狂戦士。
「《
直後、ヴァルドロスの巨躯が動いた。
その速さ、一切の乱れなく得物を操り、僅かの躊躇もなく首を刎ねる剣閃―――紛れもなく”準達人級”。情報に嘘はなく、そのままであればリディアを屠るに足る膂力であったのは間違いない。
リディア・レグサーを相手にするには何もかもが足りない。殺気も、闘気も、ガレリア要塞で相対した
覚悟が足りない。自らの命を賭けて殺戮を好む、ただそれだけで殺れるほどリディア・レグサーの首は安くない。
迫る凶悪な二振りの刃の軌跡も、彼女には蠅が止まっているかのような速さに見える。彼女の憧れの速さとは比べるのも烏滸がましく、ゆらりと《パラス=ケルンバイダー》を下段に構えた。
そして、
残像を残して、彼女はヴァルドロスの脇を駆け抜けた。足に魔力を瞬間的に溜め、一気に解き放つそれを推進力にまるで流星の如く奔る。
その技は、ルーレのあの夜に一瞬だけ見たものだ。《執行者》としての先達であるあの少年がリディアに追いつくために一度だけ見せた極限の歩法だ。
しかし、
決着は、傍から見れば一瞬だった。
ヴァルドロスが動き出してから、リディアが剣を一閃するまでにかかった時間は一秒もない。
ヴァルドロスの剣は残像を切り裂き、リディアの剣は一条の血閃を描く。巨躯がズレ、上半身が石畳の上に転がるまでの時間の方が遥かに長かった。
声も聴かず、うつ伏せに倒れたためにその表情も窺い知れないが―――多分笑って逝ったのだろう。
リディアとしては、彼を救ってやったつもりは毛頭ない。今まで散々戦争とは関係ない命を奪って来たことに対する罰を与えたつもりもない。
本来、武人の死合いの結末というのはこういうものだ。勝者が生き、敗者は死ぬ。平和な世では罪となろうとも、闇の世界では関係ない。
しかし、リディアの胸に勝利の余韻があったかと言われれば否だ。虚無感すらなく、飛んでいる蠅を叩き殺した程度のものでしかない。
思わず溜息を漏らしかけたその直前、背後から聞こえた足音に振り向く。
「おーおー、派手にやったなァ。チビっ子」
人間の人一人から零れ落ちた肉と臓物と鮮血を目の当たりにしても、彼は動じていなかった。
死を見慣れている。それそのものは不自然ではない。だがその詳細を聞くだけの権利も義務も、リディアにはない。
「私にできるのはここまででやがりますよ。……レイラさんの方はお任せします」
「そいつはもうどうにだってなる。しっかしお前、最後に会うつもりすらねぇって感じだな」
「二人に、言いたいことは言っちまいましたからね。これ以上口出しするってのも野暮ってもんでしょうよ」
「オイオイ、随分と冷え切った言葉だな。……ま、落としどころとしちゃ適当ってトコか」
ヘラヘラと軽く笑うアッシュを見て、リディアは今度こそ溜息を吐いた。
彼なりに責任を果たすために此処に来たのだろうが、それが終わった後であるならば何もすることはないだろう。
彼女としては、師の面影を一瞬でも重ねてしまった目の前の不良青年に対して思うところは少しばかりあるが、それも違和感の範疇で片付けられるモノだ。義理果たしが終われば、これ以上関わる必要もない。
踵を返すリディア。
アッシュとしても、ここで彼女を引き留める必要はない。久し振りに同年代に近い、それも異性から”木偶の坊”だの”バカ”だのド直球に言われて面白かったのは否定しない。
しかし、それだけだ。所詮は袖が触れ合った多生の縁でしかない。「そういう面白い奴がいた」程度に暫く記憶に残り、そして風化していくだけのものでしかない。―――その瞬間までは、そう思っていた。
―――彼の目に、その剣が映った。
黄金に彩られた剣。しかし過剰な装飾などはない、正しく”斬る”為に存在している代物。
その具体的な良し悪しが気に掛かったわけではない。元々、アッシュはそういうものに興味はない。
だが、目が離せなかった。吸い付くように、引き寄せられるように。
悪魔に魅入ってしまったかのように視界がその色だけに染め上げられた瞬間―――
身体の内から産み出されたようなモノだった。
体内に直接特大の火種を抉り込まれたかのような感覚。ただし単純な熱ではなかった。
「ガッ……ガ……あ?」
この世に満ち溢れる数多の負の感情が濃縮したかのような悪氣が膨れ上がる。
何故、と思う余裕すら与えられなかった。自分の意思とは切り離されたナニカが渦巻き、流れ、吹き出し溢れる。
「く―――ソがああァァッ‼」
その、
しかしその全霊の一撃を、リディアは振り向く事すらなく背中に回したその剣で受け止めた。
「……出会った時から感じてはいたんですよね。そのヤーな雰囲気は」
そして、弾く。凡そ小柄な少女から生まれたとは思えない膂力で吹き飛ばされ、アッシュは地を転がる。
しかしそれでも、悪霊に憑りつかれたかのように正気を失ったアッシュは立ち上がり、走る。その眼からは、黒い靄が漏れ出していた。
「なン……なんだよその剣は‼ ソイツを見ただけで、どうにもクソッタレな感情が抑えられねぇ‼ 邪魔だ‼ 消えろやァ‼」
その太刀筋は感情に突き動かされて滅茶苦茶であったが、それなりに早かった。
だが、それを読み切れないリディアではない。刃の軌道に合わせるように刃を滑らせ、的確に弾いていく。
「この剣、と言いやがりましたね? 私自身ではなく、
それは、一層激しくなった猛攻によって肯定される。その様子を見て、流石に苦い顔を抑えきれなかった。
《パラス=ケルンバイダー》―――リディアが《執行者》に就任したと同時に《盟主》から賜った武器。
”外の理”によって鍛えられたと言われるその剣の詳細全てを知る由はなかったが、しかしアリアンロード曰く、この剣はレーヴェが有していた《ケルンバイダー》を鍛えた際に生まれた欠片を軸に産み出された、謂わば兄弟剣。
《執行者》No.Ⅰ、マクバーンが有する魔剣《アングバール》もそのカテゴリーに入るが、しかしそれともまた違う。
対となるように鍛えられたか、起源を同じくするか。いずれにせよ、この剣を視界に収めて彼が豹変したという事は、とある事実を認めざるを得ないという事。
彼もまた、《剣帝》レオンハルトに縁のある人物―――それも良い縁ではない。
幾合も刃が交われば、自然と相手の心も見えてくる。
それは人一人が抱えるには余りにも醜く、そして空恐ろしいまでの憎悪だった。
まるで怨霊の宿業であるかのようなソレに、”達人級”の一角を担うリディアですらも一瞬慄いた。
……彼女もまた、そういった”憎悪”を知っていた。
謂れのない罵詈雑言を向けられ、傷つけられ、貯水池が決壊していくように破壊的になっていくそれ。図らずもそれを思い出し、吐き気を催したその瞬間、アッシュの得物の刃がリディアの頬を浅く裂いた。
幸運にも、それで正気を取り戻す事が出来たリディアは、大振りになったその隙を狙って剣の柄尻をアッシュの鳩尾に叩き込み、派手に壁に叩きつける。
「ガ……はっ……」
無防備。もはや昏倒寸前。
何もしなくても後は倒れてくれるのを待つだけ。しかしリディアは、心臓の位置を狙って剣先を突き付けていた。
―――この男は
―――ならそれは、
―――ならば、倒さねばならない。
―――これ以上師を侮辱される前に、絶対に―――
―――殺サナケレ―――
「そこまでじゃ、阿呆め」
背後から、何者かが柄を握ったリディアの腕を掴んだ。
「貴様も”達人級”の末席を彩るのならば、これ以上醜態を晒すでない。感情に支配され、全てを委ねて己が意思とは離れた心で振るう剣なぞ一流のそれとは程遠いぞ」
後頭部をふわりと何かが撫でた。
鮮やかな赤髪。纏った衣服や吐息にいつものような酒臭さはなく、ただ玲瓏な言葉がリディアの脳を冷ましていく。
「カグ、ヤ……様」
「因果なものよな。この小僧と貴様が出会うとは。誠、この世は意地の悪い運命に踊らされておるわ」
浮世離れした声と言葉。まるで千里眼で何もかもを見通した賢者のような、この世の全てを知っているかのような諦観した物言いであった。
「今代の”贄”はまた随分と分かりやすい憎悪を埋め込まれておるのぅ。……まぁ、オルトロスの末裔の娘と較べればまだマシか」
「カグヤ様、一体何を……彼は一体……」
「……独り言じゃ。流せ」
そう言うとカグヤは、昏倒したアッシュを担ぎ上げる。
「この小僧は儂が適当な場所に放り込んでおく。貴様はもうこ奴と関わるな、良いな?」
それは、なけなしのカグヤの善意であったのだろう。
この男とこれ以上関わっても碌なことはない。故に忘れろ、と。
そうした方が自分にとっても都合が良いことはリディアとて理解している。感情に突き動かされたとは言え、一度は本気で殺しかけた男だ。再び会った時、また衝動が現れないとは限らない。
「……いえ、カグヤ様。その言葉には従えねーです」
だが、リディアは敢えてカグヤの言葉に反した。
「ほぅ?」
「この男は師匠と関わりがあります。師匠を憎んでいる男です。ならばそれは―――師匠が遺してしまった未練です」
ならばそれを解決するのは、弟子の自分の役目だ。
憎むのならば、憎むだけの理由はある。細かいことは良く分からないが、この男を縛り付ける”呪い”じみた何かの起源がそれであるならば、自分が知らん顔をするわけにはいかない。
「どうかお願い致します、カグヤ様。師の遺志は弟子たる私が晴らさねばならぬこと。この男の運命が如何なるものでも……私にはそれを見届ける義務があります」
人一人の人生。義務感で口を出してよい事ではない。
それでも、とリディアは言った。その覚悟が如何なるものかを汲み取ったカグヤは、呆れるように首を振る。
「好きにせい。元より儂は貴様を従えているわけでも何でもない。貴様がそうしたいと言うのであれば、儂がどうのこうの口を出す問題ではない」
「っ……ありがとうございます」
安堵したような声を吐き出したリディアは再び《パラス=ケルンバイダー》の柄を強く握りしめる。
そして、カグヤの肩に担がれたままこちらの気も知らずに昏倒したままのアッシュの額に、一撃だけ軽いデコピンをかます。
「……そう簡単に死ぬんじゃねーですよ、アッシュ。次会った時は、死なねー程度に鍛えてやりますから」
それは憎まれ口ではあったが、カグヤにはどこか喜色を滲ませたそれに聞こえた。
その言葉が果たされるのは、少しばかり後の話となる。
―――*―――*―――
―――以降、とある式神に吹き込まれた音声データとなる。
『――――――あー、あー。ツバキ隊長、聞こえるっスかー? ……っと、口調戻ってなかった。……んっ、んー。これでよし、っと』
『《
『予定通り、『グリベリアファミリー』が
『『グリベリアファミリー』は今回の一件で《黒の工房》から支援を断ち切られ、ラクウェルを拠点とする他の大規模マフィアによって徹底的に潰されました。それまで流されてた部品の行方は未だ調査中です』
『ですが、以前よりも動きやすくはなりましたので、一週間程度いただければ詳細なデータを送れるかと。正式な報告書はその時にお渡しします』
『あぁ、それで、その情報を不可抗力で発見してしまった親子に関してはこちらの手引きでリベール王国へと逃がしました。ルーアン行きのチケットと難民申請書をサヤ経由で手に入れたのでそれを使って』
『そちらを監視するか否かは現地の諜報員の方にお任せします。……ま、折角手に入れた平穏を自ら壊すような馬鹿な真似をするようには見えませんでしたが』
『ともあれ、これで”第一任務”は遂行いたしました。”第二任務”に移るため、今まで通りあのグループに紛れ込んでおきます』
『あ、それとスミマセン。先に謝っておきます。多分自分が潜入してる《月影》の人間だってこと、カグヤ様にはとっくにバレてます』
『無理ですねアレは。”絶人級”をだまくらかす技量は自分にはありませんでした。……いやまぁ、あの人の事なんで分かった上で面白がって泳がせて貰ってるんでしょうけど』
『以上、報告を終わります。次の定期報告は、”第二任務”が始まった際に。―――では』
暑すぎるだろ。無理。
なんて言葉が真っ先に出てくる程度には最近滅茶苦茶暑くて困りますよねって話です。どうも、十三です。
これにてリディア・レグサーの幕間「夜の帳で剣王は謳う」シリーズは終わりとなります。書いてて楽しかった。それは本当。
ところでこの前「この幕間ノ章の時系列が知りたい」とお言葉を頂いたので下に書いておきます。
『新たなる”最初の一歩”』
↓
『水底の魔女』
↓
『幾星霜に紡ぐ愛』
↓
『夜の帳で剣王は謳う』シリーズ
↓
『愛しき者へと送るのは・・・』シリーズ
↓
↓
↓
↓
『死狂和音 ―in クロスベル』シリーズ
となっております。『死狂和音 ―in クロスベル』シリーズに至っては終章でも最後の方ですね。直後にキーアの覚醒イベントがあるので。
さて次ですが、ドラマCDにあった「慰安旅行 inユミル」編です。
え?本当に慰安旅行なのかって?……サテドウデショウネー。