英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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「何かを変えることのできる人間がいるとすれば、その人は、きっと…大事なものを捨てることができる人だ」

「化け物をも凌ぐ必要にせまられたのなら、人間性をも捨て去ることができる人のことだ、何も捨てることができない人には、何も変えることはできないだろう」

        by アルミン・アルレルト(進撃の巨人)








簒奪者の狂想曲

 

 

 

 

 

 

 

 今まで恐らく―――いや、ただの一度だって、”殺人”という行為を悪行として忌避してきたことはなかった。

 

 

 物心がついたころから殺すのが当たり前で、殺される覚悟を有していて、一本のナイフと自在に操る鋼の糸を携えて(殺意)を駆ける暗殺者。

 

 ヒトの心など必要なく、ヒトの倫理観など必要なく、ヒトの価値観など必要なく―――ただ任務を果たすだけの機械であれば良かった。

 そんな冷徹の楔から解放された後も、彼女は一度たりとて過去の自身の所業を悔いたことも、ましてや懺悔する事もなかった。

 

 

 シャロン・クルーガーは”暗殺者”である。

 殺人を生業とし、忌避しない者である。

 

 命じられれば如何様にもこの手を汚そう。

 例えこの身が鮮血と土埃と傷と臓腑に塗れようとも、倒すべき相手を斃そう。

 

 

 今の彼女は―――奉仕する者(メイド)ではない。

 ただ一人の―――暗殺者だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 闇の中は、言うまでもなく暗殺者(アサシン)の独壇場である。

 

 かの闇に特化した《守護騎士》第十位―――《闇喰らい(デックアールヴ)》レシア・イルグンに勝るとは口が裂けても言えないが、卑しくも《執行者》の一人として名を連ねた事のある身としては、たかが坑道の薄暗さ程度で作戦の成否を左右される事はない。

 

 

 特殊な加工を施された鋼糸が不規則に宙を舞うたびに、四肢のいずれかは剪断され、編みこまれた盾は暴風のように叩きつけられる弾丸を弾いていく。

 一発一発が人一人を屠るに充分な破壊力を持つ大口径の銃弾も、彼女にとっては涼風のようなものだ。

 

 腕が良いのは認めよう。だが、当たらなければ無意味。シャロンはまるで主に傅くかのような所作で膝を折ると、そのまま地面に手を付けた。

 

 

「暗技―――『針郎花(はりなえし)』」

 

 直後、彼女の前方に展開していた《死神部隊(コープスコーズ)》の一団の足元から、幾百本もの鋼糸が突き出て―――それらを容赦なく串刺しにした。

 骨を、肉を、内臓を抉り続ける狂気じみた悪音が響き続ける中、完全に動きを封じられた死霊兵達は抵抗らしい抵抗をすることもできずに、処刑の時を待つ。

 

「貴方方には思うところもありますが……退きなさい、邪魔です」

 

 妖しく揺らめいた鋼線が、彼女のその言葉の殺意を表すかのように亡霊たちの体を切り刻んでいく。

 生きているか死んでいるか―――そんな確認など不要だと言わんばかりに、人体を細切れにされ、ただの塵と成り果てた肉塊が次々と地面に落下していく。

 

 そして乾燥した坑道内には似つかわしくない鉄臭い深紅の溜まり水の上を、彼女は衣服に飛び跳ねないよう楚々とした動作で進んでいく。

 眉を顰めるでも、鼻孔にこびり付く異臭に不快感を示すでもない。ただそれが当たり前であるかのように地獄の中で彼女は佇む。

 

 今の彼女は、万全の状態で主を迎え、奉仕するメイドではない。

 血と闇の中を闊歩し、暗技という名の鎌を振り下ろして定命に幕を下ろす者。例え卑怯卑劣と謗られようとも、その磨き抜いた殺しの手管が衰えることはない。

 

 

 故にこその《死線》。彼女の指先が手繰る鋼糸が紡ぐ夜想曲(ノクターン)は、たとえ”不死”と畏怖される《死神部隊(コープスコーズ)》であっても差し止めることはできない。

 

 それを充分に理解していたからだろう。足を進めた先、採掘用の足場が幾つも組まれた猥雑とした空間で、その人物は特に驚く様子もなくシャロンを待ち受けた。

 

 

 

 

「お久しぶりです、《死線》殿。ご健壮のようで何よりですよ」

 

「……《蒐集家(コレクター)》の下に在って未だ使い潰されていないとは驚きです。貴方も相変わらずそうですね、クリウスさん」

 

 その中性的な外見は、少年か少女かを判断するには足りず、さりとて体つきも華奢なそれ。

 白金色のミディアムヘアーも、薄暗い中で輝く金色の双眸も、要素だけを見れば絶世の美少年にもなりえるだろう。

 

 だが、左右の腰に吊り下げた小太刀、両手に装着された篭手がただの美少年では無い事を如実に示唆している。

 そしてそれは事実だ。でなければ、殺意を滲ませたシャロンがこうも警戒するなどあり得ない。

 

 交わす言葉など、それだけで充分であった。

 そもそも暗殺者(アサシン)が敵を”待ち受ける”という状況そのものが特異だ。練磨した暗技を以てして獲物を一瞬決殺するのが道理である以上、この状況は互いに暗殺者としての利点を潰し合っている。

 

 そう考えれば、自分も鈍くなったと嫌でも実感する。

 ”敵”を発見すれば、言葉も交わさずに確殺する―――それが《死線》の戦い方の基本であったというのに。

 

 

 腕を一振り。展開された三桁にも上る鋼糸を、指先一つで僅かも過たずに手繰る。

 その一本一本に殺意の光を迸らせ、空間に入り乱れた鋼線は回避の猶予も与えず敵を絡め取り、斬殺する―――理想はその一撃決殺だが、この男を一撃で仕留められるなどとはシャロンも思っていなかった。

 

 金の残影が、組まれた足場の上を高速で駆け回る。シャロンが鋼糸を展開する直後に既に動き出していたクリウスは、その姿を完全には視認できない程の速さで以てシャロンの動きを攪乱する。

 

 ”達人級”の超人達の戦いは、それこそ息吐く間も瞬きの間もない刹那の瞬間に最低でも数合は交わされるものであるが、戦い方を特化させた、それこそ”準達人級”の極致に居る者達の戦いも、悠長に言葉を滑りこませられるものではない。

 

 此処にあれば、まさしくこの二人がそうである。幼い頃より”暗殺術”という一転に武技を特化させ、それを極めた者達。

 ”達人級”に至っていないのは、ただ”境界”を超えていないからだ。

 

「っ―――」

 

 引き抜かれた小太刀。目にも止まらぬ速さで接近して銀閃が迫りくるのを見抜けないシャロンではない。

 厚く編んだ鋼糸が小太刀の刃を受け止めた瞬間、間近に迫ったクリウスの黄金の瞳に―――一瞬ではあるが、自身の姿が鏡のように映りこんだ。

 

 その目は、翳っていた。翡翠色の瞳は濁り、お世辞にもそこに”美しさ”はない。

 ほんの刹那の間だけそれを恥じ、しかし次の瞬間にはいつもでは絶対に浮かべない昏い微笑を浮かべる。

 

 

 《執行者補佐》役にして《使徒》第四柱イルベルト・D・グレゴールの麾下に在る存在―――クリウス。

 実力だけを鑑みれば《執行者》であっても何らおかしくはない存在だが、一癖も二癖もある《執行者》よりも或いは癖が強いと称される《執行者補佐(レギオンマネージャー)》に身を置いているのは、ある意味で当たり前の事であった。

 

 執行者補佐(彼ら)の主任務は主に、特定の《使徒》の麾下に着いて《執行者》の行動を監視することにある。

 《執行者》には主にある程度の行動の自由権が与えられているが、直接《使徒》が出向く程の大規模作戦が起こった際には《使徒》の代弁者として表に出てくることが少なくない。

 

 その職責上、《執行者》ともある程度渡り合える実力を兼ね備えており、そして後方工作という点ではそれをも凌駕する場合が多い。

 第二使徒、ヴィータ・クロチルダの麾下に在るルシード・ビルフェルトなどがその典型例であろう。だからこそ、油断ならない人材が多いのだ。

 

 そういった意味での危険性で見るならば、《執行者》No.Ⅴ《神弓》アルトスクが率いる”懲罰部隊”《処刑殲隊(カンプグルッペ)》、リンデンバウム侍従長率いる《侍従隊(ヴェヒタランデ)》と同等かそれ以上か―――ともあれ気が置けるような存在では断じてない。

 

 特に、悪逆非道と謳われる《蒐集者(コレクター)》に心酔し、その命を遂行するためだけに存在しているこの男は―――一片も迷うことなくシャロン・クルーガーの敵だ。

 《執行者》時代であればいざ知らず、《結社》を脱退した今、レイ・クレイドルとラインフォルト家の敵は、そのまま彼女が敵意を向けるに相応しいのだから。

 

 

 フワリと舞い上がったスカートの下、右足のホルスターに止めたそれを引き抜くと、ただ殺意のみを込めた一撃を首筋に見舞う。

 禍々しい刃の形をした大型ナイフ。逆手に構えて使うには取り回しに難がありそうなそれを、しかしシャロンはまるで自らの腕の延長線上であるかのようにそれを振るう。

 

 だがその斬撃は、クリウスの頬を僅かに撫でただけに終わった。薄暗い中でも映える赤い線が一本刻まれただけで、この男が怯むはずもなし。

 

 一瞬の間に編んでおいた鋼糸を虚空に投げると、それはまるで意思を持っているかのように蠢き、クリウスへと襲い掛かる。

 

 暗技(マーダークラフト)蛇牢蜘蛛(じゃろうぐも)』―――その鋼線に絡め取られれば、瞬時の内に肉体のいずれかは削ぎ落される。

 だが、《執行者》に比する戦闘能力を持つクリウスはそれを回避する。物理的に人一人が潜る抜けられる隙間があれば一流のサーカスの演者もかくやという程の身体能力を以てして潜り、それが成せない場合は二本の小太刀で押しのけて罷り通る。

 

 極めた技と技の、派手さはない凌ぎ合い。しかしそこに充満する殺意の念は、それこそ”達人級”同士の戦いと何ら変わりない。

 

 

「―――必ず」

 

 一度は固く閉じられ、再び愛しい人達の前に戻るまでは開かないとばかり思っていた口が自然に開く。

 

「貴方は必ず、此処で殺します。もう二度とあの人(レイさん)を苦しませてなるものですか……っ」

 

 それは、シャロンの本心が絞り出した言葉ではあったが、それに対してクリウスは一瞬だけ眉を潜ませた後、軽く落胆したような溜息を吐いた。

 直後、旋風を残して斬りかかってきたクリウスの行動に、感情が昂っていたシャロンは一瞬だけ反応が遅れ―――その肩口に刀傷を負う。

 

「失望した。どうやら貴女は俺が思っていたよりも―――弱くなっていたようだ」

 

 シャロンの想いも何もかも、その全てが一切合切考慮するまでもなく下らないと言わんばかりに、クリウスは冷ややかな眼光をシャロンに叩きつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 結社《身喰らう蛇》の最高幹部《使徒(アンギス)》―――”達人級”に至る事ができる武人と同じように、彼らはそれぞれ先天性の特異な才を操る者達である。

 

 それは、大陸中に広まる”限りなく科学化された魔法技術(テクノ・マギ)”とは違い、常識的な法則では説明がつかない現象とも言える。何の後ろ盾もなく人の世に在っては、恐らくは畏怖され迫害を受ける未来が待つその才を、知る者たちは”異能”と呼んだ。

 

 

 その種類は多々あれど、その中でも《使徒》第四柱―――《蒐集家(コレクター)》イルベルト・D・グレゴールがその身に宿した”異能”は、()()()が持つには些か悪辣に過ぎるモノであった。

 

 

「相も変わらず、卿の(つるぎ)は酷く真っ直ぐだな」

 

 称賛ではない。そこには明らかに嘲るようなそれがあり、だがレイとの剣の凌ぎ合いにそのような言葉を紡げる程度には彼もまた強かった。

 

「己の剣、在り様を歪と謗りながら、その実道は外れぬと来た。

 ハハ、滑稽ではないかね。《盟主》が卿にNo.Ⅺ(正義)を下賜した判断は、皮肉にも正しかったというわけだ」

 

 煽るような言葉に対して、しかしレイは口を真一文字に閉じたまま愛刀を握る手先にのみ意識を集中させる。

 認めがたい事ではあるが、イルベルトの”剣士”としての実力は一流だ。なまじ鍛錬など碌に行っていないように見えるというのに、此方が振るう剣をまるで柳葉の如く去なしてしまう。

 

 その右手に携えられた剣はお飾りの物ではない。実際レイは本気でイルベルトを殺しにかかる剣筋で以て攻めているが、何か得体の知れないモノに吸われているかのように、剣閃は悉く防がれてしまう。

 

 ―――実のところ、その理由の一角をレイは理解している。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()その立ち回りが、剣筋の幾許かを限定させてしまっているのだと。

 

「(中々……思うようには行かねぇモンだな‼)」

 

 剣筋のパターン化は、”達人級”同士の戦いでは絶対にあってはならない事だ。それを僅かでも読まれれば、一瞬で自分の首が飛びかねない。

 

 

「卿からはあの時……そう、”自愛”を貰ったのだったかな。その果てに義姉を喪った卿の、奈落に至った歪んだ顔は如何なる甘露よりも美味であったと覚えているよ」

 

 不意に、それこそ自分の意志とは別の所から込み上げる怒りがレイの脚を前に踏み出させようとして、しかしそれに気付いた理性が踏みとどまらせる。

 それこそ、昔の自分であれば感情の暴走を抑えきれなかっただろう。ともかくこの目の前の外道を殺したくて堪らないと思い、全てを投げていたに違いない。

 

「やはり卿は、()()()()()()()()()()()()黒鐵(くろがね)だ。満たされた何もかもで温湯に浸かった屑鉄など、何の価値も有りはしない」

 

 捻じ曲がった価値観だ、と断言できる。

 ともすれば元々同じ《執行者》であったブルブランも、言葉だけでは同じような美的意識を持ってはいたが、深く見ればその二つには差異がある。

 

 ブルブランは美しいものが美しくないものに堕ちる、その過程の一瞬をこそ”美しい”と感じ―――しかしイルベルトは、満たされているものが悉く奈落の絶望に浸るという、その事柄そのものを”美しい”と感じる。

 

 どちらにせよ許容できる美的感覚ではなく、その影響で大事な人を亡くした身としては、声を荒げたくなるというのが本音ではある。

 貴様のそれが、価値の狂った蒐集癖が、どれ程の数の人間を不幸のどん底に叩き落としてきたのか、と。

 

 邪言を撒き散らすその口を閉じたままにしてやろうと、僅かの慈悲も容赦もなく、ただ人体の急所に連撃を斬り挟む。

 

 ―――八洲天刃流【剛の型・八千潜(やちかづき)】。

 例えその剣閃を見切る事ができたとしても、体の何所からかは鮮血が噴き出すのは確実。

 だがイルベルトは、鋭角の斬撃をまるで見慣れた小動物のじゃれつきであるかのように、己の剣を閃上に滑らせるだけで無効化してみせる。

 

 そう、イルベルトの武力の真髄とは”速さ”ではない。

 寧ろ動き自体は緩慢なそれだ。常に余裕を孕んだ動きはしかし、まるで未来を見据えているかのように先の手を取り続けてくる。

 

 相手が相手でなければ、それこそ学ぶこともあるような戦い方であったが、レイの心の底に絶え間なく燃え上がる憎悪の念がそれを許さない。

 

 

「……嘗めるなよド外道。テメェ好みの傀儡に成り下がるのが”美しさ”だ? お断りだな、何の益にもならない生き方だ」

 

「あぁ、その通りだとも。他者の益など鑑みたところで肴の代わりにも成りはしない。であれば、己の悦を求めるのもまた、然るべき結果だと思わんかね」

 

「他人の我儘(エゴ)に付き合うにも限度があるんでな」

 

 つらつらと、一度口を開いてしまえば、目の前の男に対する皮肉と憎悪が止まらない。

 己を律し、己を制する事。それは簡単な事に見えて、誰にでもできる事ではない。

 激情に駆られて向う見ずに力を振りかざした末路など、既に見飽きた。そんな馬鹿をやるのはもう、あと一度きりだけでいい。

 

 そんな事を思っていると、不意にイルベルトの口角が怪しく尖った。

 

「一時の気の迷いは真白(ましら)の者のみに許された特権だ。卿の心に濁りを混ぜたのは、果たして誰であるのかな?」

 

「…………」

 

「《聖楯騎士》、《爍刃》、はたまた《剣帝》か《狂血》か……(いや)、卿が心の底から求め欲した、想い人達か」

 

 瞬間、イルベルトの頬をなぞるようにして線が生み出され、僅かな量の紅が宙を舞った。

 

 

「―――悪いな、ちっとばかし吐き気が止まらなくて、考えるよりも先に手が出た」

 

 その声は、《結社》時代のレイを知る者であれば、ひどく懐かしいと口を揃えて言うようなそれであった。

 その言葉の全てに、怒りを通り越した無感情が乗っている。静かに、しかし重く、構えた白刃もそれに倣うようにして輝きが強くなる。

 

(うろ)の言葉に乗せられるほど、アイツらの魂は安くねぇ」

 

「結構。であればこそ《氷の乙女(アイスメイデン)》を狙った甲斐もあるというものだ。―――《死線》に《紫電(エクレール)》も死の架に張り付けたのならば、卿は元の輝きを取り戻すのだろうかね?」

 

 ―――その後の動きを、後にレイは浅薄であったと自らを責めた。

 

 練達した”達人級”の武人は、如何なる状況であろうとも客観的な思考を脳内に留め置き、それに倣う行動を取る事ができる。

 ”為すべき事”を主観的な思考に左右されずに探り続けることができる。現状における最善手を紛う事無く練り上げることができるのが《理》に至った武人というものであった。

 

 だからこそレイは、未だ自身を”未熟者”と評価するに躊躇わない。

 一歩。愛する者を侮辱されて堪忍袋の緒が切れて踏み出したその一歩こそが、イルベルトが狙った姦計であったのだと瞬時に理解できたものの、その一瞬の思考の澱みを見逃すほど、この男も緩慢ではなかった。

 

 

「卿は今一度、己の起源を思い出すべきだ。自らを狂刃と定義した、朽ち果てた己の姿を」

 

「ッ―――」

 

 その”左手”が、レイの頭を鷲掴む。

 普段であればその手ごと躊躇なく斬り落とすが、今回に限ってはそれが叶わない。

 

 

 それこそが、第四使徒《蒐集家(コレクター)》イルベルト・D・グレゴールが擁する”左の異能”。

 《簒奪と贈呈》―――そう名付けられたそれは、その”左手”が触れた者の心に巣食うモノを値踏みし、”表層に在るモノを深層に堕とす(簒奪する)” か ”深層に在るモノを表層に押し上げる(贈呈する)”事ができる。

 

 それはある意味、元第三使徒―――《白面》のワイスマンが有していた”記憶”を操作する能力よりも遥かに、ヒトというものの精神を完膚なきまでに壊し尽くす事のできる”異能”である。

 更に厄介であるのは、その”左手”が対象に触れてしまった瞬間に”異能”が発動するため、対象者は能力の効果が継続している間は大元であるイルベルトに対して直接的な危害を加えることが叶わないのだ。

 

 

「彷徨う卿には『”慙愧(ざんき)”を贈ろう』。―――尤も、既に飽いているかもしれないが……まぁ、大目に見てはくれないかね」

 

「……ハッ、そうだな。そんなものは既に感じ飽きた」

 

 しかしこんな状況で、それでもレイは冷ややかに笑ってみせた。

 まるでこれから齎される状態に、何の危機感も抱いていないと言わんばかりに。

 

「選択を誤ったな《蒐集家(コレクター)》。試練を課すには少しばかり微温(ぬるま)湯に過ぎるぞ」

 

「さて、それならば僥倖だ。卿に対して薪をくべるだけの価値があったというだけの事。―――心の深奥への旅路、ゆるりと下っていくと良い」

 

 今すぐにでも耳朶から追い出したいほどに不吉な声を聞きながら、レイは愛刀を地面に突き立て、膝をついた状態のまま意識を喪失する。

 絶対に、何が何でも這い上がってみせるという決意を、自分自身と仲間たち、そして愛した者たちに誓いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

「随分とギスギスした雰囲気になりましたねぇ」

 

「仕方ねー事だと思いますけどね」

 

 

 とかく、人々の心理というものは空恐ろしいものであり、真実の情報が完全に遮断された状態であったとしても、尾鰭がついた”噂”が蔓延すると集団心理によって雰囲気というものは変化する。

 今回の場合、ルーレ市全域に被害が及ぶような規模の爆弾が設置されたという情報そのものは漏れてはいないものの、それ以前のルーレ空港前の騒動を見た者達は、今この時ルーレが普通ではないという危機感を少なからず覚えた筈だ。

 

 負の感情の伝播は、人々が理屈で思っている以上に速い。

 今二人が腰かけてティータイムと洒落込んでいるカフェの中でさえ、客同士が噂の交換会をしているのだから。

 

 

「ルナフィリア先輩」

 

「? はい」

 

「本当にこれは、”必要な事”なんでしょうかね?」

 

 カラカラと、氷の入ったアイスティーをストローでかき混ぜるリディアは、窓からルーレ市の姿を見ながら呟くようにそう言った。

 

「ただ一つの策を練り上げるために、これ程多くの人たちの命を犠牲に……私には第四使徒様のお考えが分からねーですよ」

 

「ま、そうでしょうね。私にもさーっぱり分かりませんし」

 

 というかですね、と。ルナフィリアは先程食べ終えてしまったパフェのスプーンの先をピッとリディアに向けて言う。

 

「あの人の行動基準、というか美的センスを完全に理解してる人なんて、それこそブルブランさんか《教授》くらいのものですからね。

 ……分かろうとしちゃいけませんよリディアさん。アレを理解できてしまったら、貴女は人として何か大事なものを欠落してしまいますからね」

 

「…………」

 

「あの人からあるモノを奪われた時のレイ君は……そりゃあ酷いものでした。結果的に目の前で最も慕っていた人を喪い、半分武人として再起不能になりかけましたから。……アスラさんが半ば強引に”引き上げて”くれたので、何とか事無きは得ましたけどね」

 

 あの時喪ったのは、ルナフィリアにとっても大切な人の一人でもあった。

 嘗ての直属の上司、《聖楯騎士》と称され、当時《鉄機隊》の筆頭であった《爍刃》カグヤに次ぐ実力者であった精錬にして潔白な、在るべき騎士の姿を体現した女性。

 

 当時の喪失感は彼女自身もよく覚えている。だが、自分よりも遥かに絶望の淵に叩き落とされた弟分を見て、自力で這い上がる事が出来たのだ。

 彼を這い上がらせる役目は、残念ながら彼の兄貴分……義兄弟に取られてはしまったが。

 

「何かを得る、というのは簡単な事ではないんです。リディアさん、幾ら貴女のような”本物の天才肌”であったとしても、ね。

 勝ち続けるだけの生涯に意味はなく、敗北と喪失感を覚えて初めて武人は昇華できる。……酷い事を言うようですが、貴女がレーヴェさんを喪ったことで、”達人級”に上り詰められたように、ね」

 

「でも、それとこの街の人達の事はまるで別じゃねーですか」

 

 リディアは僅かに震えた、しかし強い心持ちのまま言葉を紡いでいく。

 

「私だって、師匠に拾われる前はボロ雑巾みてーな生き方してたから分かります。この世の中は綺麗事だけじゃねーって。全部が何かの犠牲の上に成り立ってて、誰もが笑っていられる世界なんて、そんなん何処にもありゃしねぇんです。

 ……でも、自分で戦えねー無力な人達を笑いながら巻き添えにしてる世界ってのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その一見矛盾した言い回しを、しかしルナフィリアは理解する。

 ”何かの犠牲の上に成り立ったもの”をただ一概に「間違いだ」と謗るのは、それはただの理想論でしかない。誰かが笑って幸福を甘受しているその時に、きっと何処かでは不幸を押し付けられて泣いている人がいるのが世の摂理というものなのだから。

 

 だがそれを、臆面もなく、一切の罪悪感もなく「正しい」と言い張れるのも、恐らくは何かが間違っている。

 ルナフィリアにしてみれば、酷く昔に置いてけぼりにしてしまった考え方だ。《身喰らう蛇》という、どうあっても”悪”に在る組織に身を委ねているのであれば、一々そんな感傷的な感情を持っていては身が持たないだろうから。

 

 ”自分が知らない誰か”を本当の意味で気に掛けられるのは、それは救世主か神くらいしか居まい。

 ()()()()()()気に掛けて身を滅ぼすくらいであれば、気に掛けない方がよっぽど利口な生き方だ。

 

 ”騎士”とは、護るべき者を選ぶ者だ。自分が護りたいものなど、それこそ考えるまでもないのだが。

 

 

「……リディアさんは、そのままで居た方が、きっとずっと”強く”なれますよ」

 

 本当に、《結社》には似合わない人材だなと思いつつ、それでもルナフィリアはそう鼓舞してみせる。

 これがデュバリィ辺りであれば、不器用な剣幕で「何を甘い事を」などと言っただろうが、少なくともルナフィリアは、武人として、人として正しく在ろうとするこの少女の心を遮る気にはならなかった。

 

 

「とはいえ、今回は本当に私たちの出る幕はないですからねぇ」

 

「えっ、と」

 

「あぁ、ルシードさんに言われたこともありますが、それとは別に一つだけ」

 

 そう言うとルナフィリアは、含むものなど何もない、ただの純粋な笑顔を浮かべた。

 

 

 

「貴女が尊敬した先輩は、貴女が尊敬するだけの力と気概を持った男性だという事です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 









 どうも。月末が来るたび、「プレミアムフライデーなんぞ都市伝説だ」と友人と言い合うのが日常になってきた十三です。

 閃Ⅲの発売日まで一ヶ月を切った今日この頃、皆様どのような思いを馳せていらっしゃるでしょうか。
 僕としてはクッソ楽しみで仕方なくて発売日とその翌日に夏季休暇を申請しちゃいました☆……月末なのにね。

 正直マクバーン&アリアンロードとかもはや地獄しか見えない対戦カードは視界の外にブン投げまして、新しい主人公たちがどのように試練に立ち向かい、乗り越えていくのか。それが一番の楽しみでしょうか。……試練の度合いによっては、僕が魔改造して譲り受けましょう(愉悦)。


 さて、暗雲が立ち込めてきたというかそもそも最初から暗雲しかなかったというか。ともあれキナ臭いどころの話ではなくなってきたルーレ編後半。
 言うてこっから先も嫌な予感しかしないので、これ以上のカオスを望まない方はブラウザバックを推奨いたします。……え? 言うのが遅すぎる? 是非もないよネ。

 それでは、また。



PS:
 半ばヤケクソでプリヤガチャ引いたら最初の10連でイリヤが来ちゃって数十分ガチで目を疑いました。


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