英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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「『強くあれ。但し、その前に正しくあれ』」
    by 神崎アリア 武偵憲章3条 (緋弾のアリア)







災禍の胎動

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を覚ます。

 

 季節は既に10月に差し掛かろうという頃合い。残暑の気配も既に無く、意識を覚醒させると北部ならではの肌寒さを感じ取る事ができる。

 だが、故郷のユミルに比べれば全然だなと僅かな郷愁に駆られながら、リィンはベッドから立ち上がった。

 

 時刻は朝6時。起床時間には1時間ほど早かったが、それでももう一度眠りに落ちようとは思わなかった。”朝練”の習慣に慣れてしまうと、二度寝という文化を忘れてしまいそうになる。

 

 RF本社25Fペントハウスの一室。男子部屋として利用させてもらっているそこには4台のベッドが設けてあり、エリオットとクロウはまだ心地良く眠っている。

 だが、リィンの隣のベッドはきっちりとシーツが整えられたままだ。昨夜は文化祭の衣装決めの話もしていたため就寝は少しばかり遅くなってしまったのだが、終ぞ彼は戻っては来なかった。

 

 とはいえ、身を案じるだけ野暮な事だろう。現にノルドの時がそうであったのだから、寧ろあの時に比べれば平和的なものである。

 

 

 寝ている二人を起こさないように、衣擦れの音を極力立てないようにして士官学院の真紅の制服を羽織る。

 少しばかり早く目覚めてしまったが、まぁ誰かは起きているだろうと楽観視しながら部屋の扉を開ける。ひとまず24Fに降りて大窓からルーレの朝焼けを拝もうと階段を降りていると、自分よりも早くエントランスのソファーに腰かけて、いつも通りの砂糖とミルク入りのコーヒーを啜りながら新聞を流し読みしている友人の姿があった。

 

「レイ」

 

「おはようさん、リィン。ルーレのコーヒーは上手いぞ。一杯どうだ」

 

「ルーレ産だからじゃなくて、シャロンさんが淹れてくれたから美味しいんじゃないか?」

 

「違いない」

 

 いただくよ、と言葉を残してキッチンの方に足を向けようとすると、既に目的の方から銀のトレイに一杯のコーヒーを乗せてシャロンが悠々と歩いてくるのが見えた。

 驚き、はもうなかった。流石に4ヶ月近くも同じような光景を見ていると慣れるものである。それでも、不思議だとは思い続けているのだが。

 

「おはようございます、リィン様。お砂糖なしのミルク入りでよろしゅうございましたね」

 

「あ、はい」

 

 既に味の好みまで完全に把握されている。受け取って一口啜ってみると、確かにちょうど良い具合だった。

 恭しく一礼をしてキッチンの方へと戻っていくスーパーメイド(シャロン)の後ろ姿をどうにも言えない感情で見送りながら、リィンはレイの隣のソファーへと腰かける。

 

 ルーレの朝焼けは、絶景と言っても差支えはなかった。

 ノルドの大平原で見た光景はまさしく自然の偉大さを肌で感じるに相応しいものだったが、ルーレのそれは人の築いた文明が齎す美の一つであると、直感的にそう思った。

 山の向こうから顔を出している朝日が、大小さまざまに立ち並ぶ摩天楼のビルのガラスで反射してある種神秘的な景観を作り出していた。こんな光景を見る事ができるのは、帝国内ではこのルーレ、ひいてはこの場所だけだろう。

 

 リィンは暫くの間それに見惚れ、そしてふと思い出した疑問を隣の友人に投げかけた。

 

「昨日はいつ戻ってきたんだ? 俺達もそこそこ遅くに寝たつもりだったんだが……」

 

「それじゃあそれより遅く、だな。クレアと別れた後に昔馴染みと……昔馴染みの知り合いに会ってな。意外と話が弾んで遅くなっちまった」

 

「へぇ」

 

「帰って来た時、もうビルの入り口は閉まってたからな。バレないように壁伝ってシャロンに開けてもらってた24Fの窓から直で入ってきた」

 

「俺はもうツッコまないからな」

 

 もう完全に耐性が着いてきたなと、複雑な心境でリィンはもう一度コーヒーに口をつける。

 

 まぁ帰り方云々は置いておいて、それほど遅く帰ってきたというのに眠そうな気配は微塵もない。それについて問おうと思い―――しかしそれは地雷を踏むだけだと直感してやめた。

 

「(どうせクロスベル時代のブラック扱いで慣れたとか言うんだろうなぁ……いや、絶対言うな)」

 

 早朝早々、いつものように死んだ魚の目をされても反応に困る。本人が大丈夫そうな間は、もうこの手の事には触れないようにしようと、そう心に決めていた。

 でなければ、そう。常に民間人の為に動いているという遊撃士協会が、実は身内に対しては惨いのではないのかという要らぬ警戒心を抱いてしまいそうになる。

 

「あぁ、そうだリィン」

 

 すると、新聞を読み終わったレイが徐にそう声をかけてきた。

 彼はいつものように豪快に最後の一口のコーヒーを飲み干し、ソファーの背に体を埋め、まるで一服後の依田話に付き合えと言わんばかりの姿勢で―――。

 

 

 

 

「今回の特別実習、死ぬかもしれんから覚悟しとけ」

 

 

 

 

 そう、物騒極まりない事を言い放ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 ”達人級”の武人同士が鉢合わせる―――一般人であればまずお目にかかれない光景だが、生憎と普通ではない半生を送ってきたレイにしてみれば、それは異常でも何でもない。

 

 互いに道は違えど武の最奥に足を踏み入れた者同士。そんな者達が得物を構えて戦う事になれば、必然的に周囲は大損害を被る事になる。

 今は無き時代の戦士たちの戦いを再現するかのようなその剛撃連撃の雨嵐は、局地的集中爆撃にも似た爪跡を残す。極限まで練り上げられた闘気が、殺気が、魔力が、呪力が、覇気が、攻撃に乗せられて砕き壊していく。

 

 簡潔に言えば、昨夜のルーレはそんな人災を被る可能性もあったのだ。現職と元《執行者》が相対し、更に近くには《鉄機隊》の幹部。いずれも紛う事無き”達人級”。

 相対した直後は一触即発の状態であったのも確か。何せ敵同士。躊躇う理由など有りはしなく、戦う理由などそれだけあれば充分。女性であるからなどという言い分だけで矛を収めるようであるならば、それは武人としての己を殺す事にもなる。

 

 だが、目を合わせただけで殺し合うのならば、路地裏に巣食うギャングと変わらない。戦う理由があり、殺し合う事も躊躇わないが―――それでも互いが何を欲して戦うのか、或いは戦わないのか、それを見極めるのもまた技量の内でもある。

 

 つまり、どういう事かというと―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんなんでやがりますか、もうっ‼ なんで私の記念すべき初大規模作戦参加の任務がこんなハードモードなんでやがりますかぁ‼ よりによって戦闘関係じゃなくて人間関係で胃が痛くならなきゃ―――ううっ」

 

「あぁ、分かります。分かりますよその気持ち。私もホント自重してほしい上司と連絡が着かなくてもうマスターに何と報告したら良いのやら……あの人まだクロスベルの闇カジノで荒稼ぎしてるんじゃないでしょうねぇ?」

 

「おいやめてやれよ止めろよ部下。師匠の事だから因縁つけられても店員全員ノして堂々と正面玄関から出ていくアホぶりが目に見えるんだよ。これ以上あのクロスベル支部(ブラック職場)の限界値上げるのマジでやめて。そろそろガチで過労死する奴出てくる」

 

「大丈夫ですって。あの支部どうやら新人入ったそうなんで多少の無茶は罷り通りますよぉ」

 

「だから折角入った新人をボロ雑巾みたいに酷使するのをやめてやれって言ってんだよ‼ シャルテみたいなのは稀なの‼ 大抵の新人は本部がドクターストップかけてくるんだよ‼」

 

 

 

 ―――こうして一触即発の状態からとあるビルの屋上に直に座り込んで愚痴を言い合う場に流れてしまうという可能性もあるのである。

 

 様子を見ていて割り込んできたルナフィリアが飲み物と紙コップ片手に場違いな雰囲気で懐柔し、こんなカオスな―――表面上敵対している筈の”達人級”同士が闘気など一切漏らさず交わさず、ただコップ片手に溜まっていた鬱憤を吐き出すだけの場―――状況を作り上げてしまった。

 

 

「深淵様ドSだしルシード先輩はただのド変態だし……聞きやがって下さい先輩‼ あの変態補佐官、訳分かんない事言って来たから反射的に睨み返したら「おうふ、良い、良いぞ‼ その一片の価値もないゴミ屑を見るような目、良い‼ もっと僕を蔑んだ目で見てくれ、さぁ‼」とかクズにも程があるセクハラ発言しやがったんですよ‼」

 

「基本魔女かそれに属する奴なんて何かを拗らせた系変態がほとんどだからなぁ。……あ、悪ぃ委員長。流れでディスってたわ。でも知ってんだぜ俺を含めたⅦ組男子女子一同、お前が文芸部の部長から腐ってる本借りて徐々に傾倒し始めてる事」

 

「何となく分かってましたけど、レイ君のご学友もキャラが濃いですね」

 

結社(そっち)に居た時に比べりゃまだ平和だよ」

 

 なんせオヤツの取り合いが殺し合いに発展する事なんてないしな、と封印したい思い出に記憶を馳せていると、空になった紙コップにルナフィリアが遠慮なく飲み物を注いでいく。

 

「ホラ、空になってますよレイ君。飲まないで事無きを得ようなんてお姉さん許しませんからね‼」

 

「先輩全然飲んでないじゃないですか‼ 私なんてもう10杯目でやがりますよ‼」

 

「誰一人酒なんて飲んでない状態で場酔いできてるお前らの器用さは良く分かったから絡み酒はやめろ。酔ったエオリア思い出して顔面に右ストレートブチ込みたくなるから」

 

 未成年が3人集まって、葡萄ジュースを飲み合っているだけだというのにここまで崩れるものなのかとある意味感心する。あとこの後輩、以外にも酒癖が悪い。

 言動に似合わず真面目一直線なところは師に似たか、としみじみと思っていると、突然中身入りの紙コップが顔面めがけて飛来した。それを顔をずらして避けると、投げつけた本人は場酔いしたままに絡んでくる。

 

「なぁに一人でしみじみしてやがるんですか先輩‼ 折角こんな可愛い後輩がいるんですから何かアドバイスを寄越しやがって下さい‼」

 

「おう良い度胸だ後輩。骨の髄まで叩き込んでやらぁ‼ ……と言いたいところだが」

 

 中身のジュースを飲みほした紙コップを屋上のコンクリートの上に置くと、レイは声色を変えた。

 

 

 その先の言葉は言わない。要らない。何を言いたいのかは、彼女たちも分かっている筈だ。

 3人とも、最も頼みとする得物を手元に置いていない。それが意味するのは、少なくともこの場ではこれ以上矛を交わすつもりはないという事。

 

 次なる標的は此処ルーレというのは間違いないだろう。無論、彼女たちが直に動くのではなく、あくまでも動くのは《帝国解放戦線》であるのだろうが。

 奇しくも―――否、《鉄道憲兵隊》がラインフォルト社『第一製作所』への強制調査を執り行おうという今。憲兵隊の行動を妨害する意味合いでもあるというのならば、奴らの作戦はかなり重要な意味合いを持つに違いない。

 

 エレボニアが誇る最大軍需メーカー、ラインフォルトグループの開発部の一角の支援というのがどれ程大きなものかというくらいは分かる。その妨害というのがどれくらいの規模になるのか―――という事を考える前に、レイはただ一つ、訊きたい事を2人に問うた。

 

 

()()()()() どっちが主導してこのルーレに介入してきやがった?」

 

 《使徒》の、第二柱と第四柱。黒幕に徹するのだとしても、そろそろどちらかが本格的に暗躍し始める頃合いだろう。―――それをこの2人が知らないとは思えない。

 

 本来、それは知っていたとしても阻む敵であるはずのレイに彼女らがそれを教える道理はない。答えなかったら、それはそれで良いと思っていた。

 二択だ。前者であれば、まだ良し。

 

 だが、もし後者であった場合―――。

 

 

 

「《蒐集家(コレクター)》……第四使徒、でやがります」

 

 

 

 ―――最悪、なのだ。

 

 

 その名を言葉にするのは、たとえ現役の《執行者》であっても躊躇う。

 現に出会った《使徒》の中でレイが最も「嫌っていた」のは元第三使徒、ゲオルグ・ワイスマンだったが、最も()()()()()()()のはこの第四使徒、《蒐集家(コレクター)》の異名を持つ男だ。

 

 それは、恐らくレイ一人だけではない。

 ()()と一度でも目を合わせた者であれば、誰だって思うだろう。或いは、同じ「ヒト」である事すら疑問に思うかもしれない。少なくとも、レイはそうだった。

 

 

 考え得る限り、最悪だった。

 

 あの男が介入してくるならば、ザナレイアが単騎で仕掛けてきた方がまだ凌ぎようがあると言うもの。

 対抗策を考えている時間は少ない。せめて今夜中は、丸々使って思案しなくてはならないだろう。

 

 

「私、は」

 

 すると、徐にリディアが言葉を追加してきた。先程の淡々とした言葉とは違う、どこか縋るような声色で。

 

「私は、今回の任務では《深淵》様の下で動いています。だから、《蒐集家(コレクター)》様の動きを誰に伝えようが、それは禁則事項の中に入っていやがりません。何より―――」

 

 何より、と。彼女は”達人級”にしては珍しく、無意識に感情を溢して―――。

 

「あのお方が、嫌いなんでやがります。だから、今回この情報を先輩に話したのは私の”後輩”としての元”先輩”へのせめてもの敬意であって、そして……お師匠様への私なりの償いの一つなのです」

 

 

 彼女は―――()()()()()だ。

 

 恐らくは、”達人級”と呼ばれるようになったのも、つい最近の事なのだろう。そして、予想していた以上に遥かに生真面目で、情と徳に篤い。

 凡そ、《結社》に在るには不適格な人格を持っている。客観的に見れば、そう言わざるを得ない。嘗ての《執行者》とはいえ、脱退した者にまで先達として敬意を払うなどとはある意味異常な事だ。

 そして彼女は、恐らく建前ではなく本気でその心を持っている。表の世界に在れば、さぞや高貴で正しい武人となるだろう。想像に難くない。

 

 敬意を向けられた側としては、こそばゆくはあるが悪い感じはしない。だが、それでも冷酷に批評するならば、やはり彼女は”未成熟”なのだ。

 組織に属する者であれば、一時の好き嫌いの感情で任務の選り好みは許されない。例えどれ程不本意であっても、どれ程理不尽であっても、だ。《執行者》はあらゆる自由が与えられているとはいえ、それでも情報漏洩は、褒められる部類には入らない。

 

 自分で問うておいて、更には敬意すら払われておいて望む回答が得られたというのにここまで後輩を酷評する自分に対して罪悪感や嫌悪感の類が湧き上がってきたが、それでも、そう思わざるを得なかったのだ。

 

 だって、彼女は―――。

 

 

「私は、これでも”達人級”の末席でやがります。今度先輩と相対した時は、剣を交える時であるかもしれません。私の”敵”であるのなら、問答無用で斬りやがります。……ですが」

 

 

 この、どう足掻いても”悪”に染まり切れない性格は―――。

 

 

「それでも、お師匠様が認めておられた最年少の”達人級”元《執行者》―――武人の一人として、先達として私は貴方を、《天剣》レイ・クレイドルを尊敬しています」

 

 

 ()()()()()。……否、それよりも尚、外道の道を歩むにこれ以上相応しくない人間もそうは居まい。

 

 ともすれば、レイは自分が《結社》を脱退した事をすら、一瞬悔やんだ。

 もし本当に現役の先達として彼女と出会う事ができていたならば、レーヴェの死に目に立ち会う事ができていたならば、その時は必ず、何があっても彼女を《結社》から離し、縁を切らせていただろう。

 例えどれほど恨まれようとも、蔑まれようとも、自分はそれをしていたに違いないと断言できる。

 

 レーヴェも恐らくは、この少女にいつかは日向を歩いて欲しいと思っていたに違いない。だからこそ彼は師として、己ができる限りの「正しい武人」としての在り方を叩き込んだのだろう。

 例え自分が居なくなったとしても、その在り方が《結社》の一員として従事する上で齟齬を感じた場合、彼女の意志で《結社》を去らせるために。

 だがそれは……レーヴェが今わの際にヨシュアの生き方と共に願ったであろう唯一の弟子の未来は―――。

 

 

「……おや、いつのまにやら夜も完全に更けましたね。リディアさん」

 

「? はい」

 

「先にホテルに戻っててください。私はもうちょいレイ君に対して野暮用があるもので」

 

 ルナフィリアのその言葉に、リディアは逡巡する素振りは見せたが、最終的には頷いた。

 屋上から黄金の髪を棚引かせた少女の姿が消え、気配も消えたのを確認すると、彼女は鋭い翡翠の双眸をレイに向けて―――。

 

 

「驕らないで下さいね、レイ君」

 

 ただ一言、ルナフィリアは冷たくそう言い放った。

 

「貴方は、そうしているからいつまで経っても背負っている後悔が消えないんです。既に過ぎてしまった”もしも”を考慮するなど愚の骨頂。彼女の進むべき道は彼女自身が決め、責任を持つものです。……面倒見が良いのは貴方の美徳ですけれど、過保護は時に大きなお世話になる事も学んだほうが良いですね」

 

「違―――くはない、か」

 

 ぐうの音も出ない程の正論だった。自分はまた、要らぬことを考えそうになっていたと反省する。

 そんな事は、レンと過ごしていた年月の中で分かったつもりでいたというのに、それでもまだ理解が及んでいなかった己の無知さに恥じる。するとルナフィリアは、呆れたような表情を見せた。

 

「……まぁ、私だって思っていますよ。えぇ、思っていますとも。あの子はどう足掻いたところで根本的なところでは絶対に”悪”にはなれないでしょう。レーヴェさんのご指導で武の腕は一流の域になりはしましたが、精神の部分は未だ未熟。なるべきところで非情になれないようでは、いずれ《執行者》を続けていくのも難しくなるでしょうね」

 

「でも、《執行者》に選ばれたという事は、彼女にだって相応の”闇”があるって事だろ?」

 

「そうでしょうね。……流石に私もそこまでは分かりません。レーヴェさん亡き今、それを本当の意味で知っているのは、彼女だけですから」

 

 あのように肩書きに似合わない高潔さを持つ少女であっても、《執行者》に選ばれるだけの”闇”を抱えている。

 だが、()()()()()()なのだ。世界なんて、理不尽であるのが当たり前。或いはレーヴェは、彼女のそんな”闇”をいち早く見抜いたからこそ、自らの弟子として手元に置いたのかもしれない。

 

「レーヴェさん亡き後、アリアンロード様(マスター)は彼女を《鉄機隊》で引き取ろうとしましたが……彼女は《執行者》になる事を選びました。レーヴェさんと同じ場所に身を置くことを選んだんです」

 

「…………」

 

「……分かっているとは思いますが、下手な同情は無用ですよ、レイ君。彼女は、なりたてとはいえ”達人級”の武人です。もし心に迷いがあるまま対峙したら後悔しますよ」

 

「それは分かってる。”敵”として立ちはだかるなら本気で倒すだけだ。―――サラの一件もあるしな。仮にも先輩として情けないところは見せんさ」

 

「それは重畳です。まぁ私としては? レイ君と正面から一対一(サシ)で戦うのは御免被りたいですけどね」

 

 軽口を叩くようにそう言い放ち、騎士鎧姿ではなく、私服姿のルナフィリアは長いポニーテールの髪を翻す。

 《結社》最強の《鉄機隊》のNo.3が、そう簡単に後れを取るような真似をするとは思えない。昔から変に明るく飄々とした性格ではあったが、実力は確かに”達人級”のそれだ。恐らくは―――リディアよりも強い。

 

 敵に回すと厄介なのは、レイの視点から見ても同じ事だ。直感が鋭く、それを頼みにすることが多いデュバリィとは異なり、彼女はいついかなる時も冷静沈着に、客観的に物事を見れる。

 彼女自身の言葉通り、なるべき時に非情に徹する事ができる。―――それが厄介でないはずがない。

 

 

「……ま、安心してください。()()()私たちは完全に傍観者です。私もオーバルストアで新しいカメラを買うのが主目的でしたからね。観光ですよ、観光」

 

「お前なぁ……」

 

副長()の居ぬ間になんとやら、です。あ、スパイ活動とか別にしてませんからね。面倒臭いです、そんなん」

 

「いやそこは建前でもいいから臭わせるのが普通だろ」

 

「必要以上のお仕事はしない主義です。そーでもしないとストレスで圧死しますって。そこんところ、リディアさんにも分かってもらおうと思って連れ出したんですけどねぇ」

 

 あれは筋金入りの真面目主義者ですね、と若干呆れた表情で苦笑する。そして、徐に空いたジュースの瓶と空の紙コップを手に取り、屋上の外壁に足を延ばした。

 

 

「それではもうお(いとま)しますね。―――っと、その前に」

 

「?」

 

「一応元同僚であったとしても、私は「死なないでくださいね」とか下手に気を遣う事は言いません。だからレイ君、君は元《執行者》としてではなく、「レイ・クレイドル」として立ち向かってきてください」

 

 それは、ルナフィリアなりの激励であったのかどうか。それを問うには時間が足りず、彼女は宵闇の中に溶けて行った。

 戦場以外でこうして会えたのは素直に嬉しい事だった。だが、今のレイにはその余韻に浸っている暇など残されていない。

 

 以前までのレイであったら、リィン達を巻き込まないようにできる限り脅威を隠し通して水面下で動いていただろう。「アイツらは無関係だ」と、そう脳内で反芻する事で正当性を得ていただろう。

 だが今は、()()()()()()()()()()()()()()()()()をまず念頭に置いていた。それは相手を信頼していなければできない事であったが、今の彼はそれが普通の事だと思っていた。

 

 

 そうして都会の夜は、不穏な空気を漂わせたまま、更けていったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 珍しい事を言うものだ。

 

 リィンがレイから「死ぬかもしれないから覚悟しておけ」と言われた直後、真っ先に感じたのはそんな事だった。

 

 

 「珍しい」というよりは、寧ろ初めての事であった。今までレイと幾つもの特別実習をこなしてきたが、その中で注意喚起をしてきたことは数あれど、ここまでストレートに死の危険性を告げてきたことはなかったように思える。

 

 しかしそれは、そんな危険な場所に巻き込める程度には信頼してもらえているという事の裏返しでもあった。

 恐らくは未だに彼の背を護れるほどには強くなっていないのだろうが、それでも共に戦える程には信頼してもらえている。―――それを知って場違いにも微笑を浮かべてしまいそうになり、何とか堪えた。

 

 

「―――了解。詳細を言わない……いや、()()()()って事は、()()()()()なんだろう?」

 

 

 そう言ってレイの首筋を確認するのももはやいつもの事。であれば《結社》が関わっている事は確定で、しかも相当危ない敵が相手であるという事だ。

 少なくとも、レイ一人だけでは防ぎきれないかもしれない相手。それならば得心がいく。

 

 死の可能性を告げられて怖くないはずはない。今まで地獄のような特訓を潜ってきた彼であっても、その感覚だけは麻痺していなかった。

 しかしそれならば、()()()()()()()()()()()()だ。入学から半年、自分以外の仲間も随分と生きる事に貪欲になったし、死ぬ事だけはないように鍛えられても来た。

 であれば、その覚悟に応える権利はあるはずだ。

 

 

「即答かよチクショウ。これでも一晩中考えてロクな作戦思いつかなかったから破れかぶれで訊いたんだぞ」

 

「珍しいな。でも、まぁ要はいつもと同じ事だろ? 何があっても、どんな事になっても、命だけは捨てるな、って」

 

 死ぬなと言われたならば、そう、いつものように死なないように立ち回るだけ。

 ただ今回は、その難易度が上がるかもしれないという事。否、かもしれないではなく、実際に修羅場となるのだろう。

 

 だが、怖じ気着く事はない。そもそもレイとサラの二人が今まで過剰なまでにリィン達を鍛えてきたのは、このような時を想定しての事だ。

 ならば、期待に応えるのが義務というもの。だからこそ、リィンは答えに迷う事はなかった。

 

「レイは?」

 

「え?」

 

「いや、心配する事もないかとも思ったんだが……俺達ですら死ぬかもしれないんだろ? そうしたらレイは、もっとヤバい戦いをすることになるんじゃないかと思ってさ」

 

「あぁ……まぁな。事と次第によっちゃ俺も危ないかもしれん。厄介な奴が出張ってくるかもしれないからな」

 

 少なくとも、このまま何事も起こらずにトリスタに帰る事はできないだろう。

 完全に「特別実習」の範疇を超えているだろうが、それでも降りかかる火の粉……いや、大火をむざむざと見過ごすわけにはいかない。

 

 

 続々と起床した面々が階段を降りてくる音が聞こえ、また同じような事を言わなければならないなと思いながら、レイはソファーに深く体を埋めた状態のまま、深く深く息を吐いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――”その男”は、そこにただ佇み、存在しているだけでも紛う事無き異色を放っていた。

 

 

 

 ある者は、その姿を見ただけで禍々しい不吉の気配を感じ、吐き気を催した。

 

 ある者は、その姿を見ただけで形容し難い嫌悪感を感じ、眉を顰めずにはいられない。

 

 ある者は、その姿に悍ましい程の強者の波動を感じ、全身を震わせる。

 

 ある者は、その姿に畏れを感じ、背徳的にも邪悪な雰囲気に陶酔する。

 

 

 

 

 この世の存在を、”善”と”悪”の二元論に仮定して振り分けて落とし入れるのならば、その男は誰しもが”悪”に振り分けるだろう。その中でも”極悪人”というカテゴリーに入る事に、恐らくは誰も違和感を覚えない。

 

 だがそれでも、その姿、趣には”恐怖”以外のモノが混在しているのもまた確か。陽の下であろうと煉獄の底であろうと変わらない在り方は、時折魅力すら垣間見せる事がある。

 

 

 蛇蝎の如き存在と忌み嫌うも、稀代の超人と崇敬するも、全ては己次第。

 

 だが男は、紛う事無き災厄の化身。それを見違えた瞬間、魅入られた者らも怯え果てた者らも、皆総じて”何か”を奪われる運命(さだめ)にある。

 

 

 

 

 

 

「――――――さて」

 

 

 

 此処に、黒銀の都市を視界に収めた男は、誰に聞かせるでもなく告げる。

 

 

 

 

「《天剣》―――卿は私に、此度はどのような”宝”を見せてくれるのかね?」

 

 

 

 災厄の行進が、始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 どうも。『Fate/EXTELLA』のストーリーをクリアしたので早くポケモン買いに行きたい十三です。
 本日は凍える日の中、今年初めて室内に暖房の熱気を招き入れましたが、やっぱり良いものですね。暖房は良い文明。

 さてさて、長い番外編を挟んでからの本編カムバックではありますが、遂にルーレも二日目。原作よりも更にHARD NIGHTMAREどころではない難易度の災禍が襲ってくること請け合いですが、なんとかなる……のかなぁ? 正直主人公勢だからといって無傷で切り抜けられるとは一言も保証できないのがこの作品なので。自重はしません。

 最後に出てきた人―――これキャラの名前出す前に元ネタの方が分かっちゃった人多そう。
 因みに私のトラウマキャラです。帝の方がどちらかと言えばマシ。

 そしてリディアちゃん……どうしてこうなったのかは訊かんといてください。正直、この子を主軸に何話か書ける勢い。因みにこの子もまぁガッツリ闇抱えてますが、まぁその辺りは後々。


PS:
 ジャンヌ・ダルク・オルタ・サンタ・リリィとかもうツッコミどころが飽和状態になってどこからツッコんだらいいか分からない定期。だがあえて一つだけ訊かせてくれ。―――クラスはなんだ⁉
 ランサーかアヴェンジャーなら私歓喜。それ以外だったら微妙。

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