魔法学院の百合の花   作:potato-47

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第7話 いつも通りの二人

 私とアーシャは、蒼天の下、食堂のテラス席で食事を取っていた。

 

「はい、あ~ん」

 

 一口分に切り分けられたポトスの鶏肉をスプーンに乗せて、顔の前に突き出される。

 私は魔武館での失態から気不味く、そしてそれ以上に「あ~ん」などというものに乗る気はないので、微笑むアーシャから目を逸らした。

 

「シエル~? ほらほら、あ~んだよ? あ~~ん」

 

 なおを続くアーシャの催促に、私はそれでも無視を決め込む。

 

「あぅぅ……あ~ん、あ~んしてよぉ」

 

 段々と涙声になりつつあるが、それでも乗らない。

 

「あっ、そうか! 口移しの方が良かったんだね! 甘えん坊さんだね、シエル!」

 

「やめるですっ!」

 

 何をどう勘違いしたのか分からないアーシャからスプーンを奪い取って、自分の手で料理を口にした。うん、食堂の料理はいつも通り美味しい。

 

「うぅぅ、いつもならしてくれるのに」

 

「捏造するなです!」

 

「えぇっ!? 嘘はだめだよ! 前だったら無言でぱくぱく食べてくれたのに!」

 

「十年以上前の話です!」

 

「ん、でもでも、学院に来てからも食べてくれたよ~?」

 

「あれは委員長からの罰ゲームだったからです」

 

「ぶーぶー、わがままだよ、シエル!」

 

「どっちがですか!」

 

「……えへへ、元気出てきた?」

 

「っ! ……ず、ずるいです」

 

 テーブルに頬杖を突いてニコニコ笑うアーシャに、私は精一杯の睨みつけ攻撃をする。何故か逆に嬉しそうにされてしまった。

 私はポトフを一皿抱え込んで、身体の向きごと変えて食事を続けた。

 横からアーシャの慈愛の眼差しと、楽しげな鼻歌が聞こえてくるが、徹底的に無視する。

 

「相席いいかしら?」

 

 落ち着いた……というより、呆れた声が聞こえて顔を上げると、委員長が苦笑を浮かべて立っていた。両手でトレイを持っており、スタミナメニューなのか生姜焼きとニラの主張が激しかった。春先だというのに気合が入った食事である。

 

「呪術科は儀式主体の都合上、暗幕の中でこもりっぱなしだから、夏場と環境が変わらないのよ。太らないから助かるけどね」

 

 私の視線に気付いてか、委員長が説明してくれた。

 

「それで、相席いいの? それともお邪魔虫だったかしら?」

 

「そうだよ、ここはワタシとシエルの愛の巣――」

「違うです。委員長、よく来たですよ。大歓迎です」

「あぅぅ……」

 

 アーシャの妄言を遮って、私は隣の椅子を引いて委員長に座るよう促した。委員長は貴族らしく優雅にお辞儀をして腰掛ける。私やアーシャにない気品があった。

 

「相変わらずね、二人共。朝の時点で分かってたけど、喧嘩した訳じゃないのね」

 

「シエルと喧嘩なんてしないよ! もしそんなことになったら、それは天変地異の前触れ、世界滅亡カウントダウン、みたいな!」

 

「ふふっ、本当に愉快ねアーシャは」

 

「不快の間違いですよ」

 

「はぅ、酷いよ、シエるん!」

 

 私は躊躇いもなくアーシャの脳天にチョップを叩き込んだ。

 

「はうあっ! シエにゃんの愛が痛いよ!」

 

 私は幻の左手で追加のチョップを叩き込んだ。

 

「う、ううっ……ごめん、シエル、頭がじんじんするよぉ」

 

 ただの右による追加攻撃でも良かったのだが、「にゃん」だけは駄目だ、背筋に寒気がするし何よりも、

 

「にゃんは駄目です、絶対に嫌です。学院長のニヤけヅラが――」

 

「呼んだかにゃ?」

 

 と最悪のタイミングと言うべきか、それともお得意の未来予知(ただの勘)で自分にとって絶好のタイミングを見計らったのか、甘く独特な響きを持った声が聞こえた。

 私は声が聞こえたのと同時に立ち上がっていた。懐に手を伸ばして予め魔法陣を書き込んだ刻印紙を握り締める。刻印紙には委員長特製の種々様々な『呪い』が宿っており、詠唱鍵を唱えるだけで発動してくれる。

 

「にゃははー仏頂面に怒り顔、それに泣き顔っと、笑顔はどこにいったかにゃ?」

 

 事情は把握しているだろうに、それでも神経を逆撫でするような言動を自重しないのは、自由人でありこの魔法学院の支配者でもあるミミル・シトレだからこそだろう。

 

「御機嫌如何かにゃ、可愛い可愛い生徒達」

 

 反射的に警戒行動に移る私を尻目に、学院長はアーシャや委員長、中庭に居る生徒達へ視線を向ける。

 見た目は完全に幼子のそれだ。邪悪に見える赤紫髪は足元まで届きそうな程長い。手入れが行き届いているようで、一切の乱れがない。紫色の瞳には絶対者の自信と、まるで世界を外側から視るような傍観者の諦めが混ざり合い、複雑な輝きを湛えている。

 

 腕を組み、踏ん反り返る姿を包み込むのは、ワインレッドのコート。魔素を込めた金糸で刺繍が施されており、まるます幼い容姿とは相反するオーラが漂っている。

 だが、それらすべてを裏切るかのように、頭の上に猫耳がピョコピョコと可愛らしく揺れていた。足の間からちらちらと覗くのは尻尾だ。

 学院長は決して獣人ではない。つまり、猫耳と尻尾はたんなる彼女の趣味であり、まるで生きているかのように動くのは偉大なる魔法の無駄遣いというやつだ。

 

「にゃふん、そんなに見詰められると困っちゃうにゃ」

 

「百歳児に言われたくないです」

 

「にゃはは、言い得て妙だにゃ、シエル。しかし、ウチは永遠の12歳にゃ!」

 

 精神年齢がですか? と言ってやりたいところだが、これ以上の不敬は危険だろう。学院長はどうとも思わないだろうが、魔武館の時と同じ事態になって、アーシャに迷惑を掛けたくない。ただでさえこんな変人の猫耳ババアにもファンが居るのだから。

 

「にゃ、にゃにゃ! ねえねえ、可愛いかな、シエル!」

 

 学院長の物真似なのか、アーシャが手を丸めてくいくいっと引く動作を繰り返す。危機感も緊張感もヘッタクレもないアーシャらしい行動だ。苛つくが我慢する。

 私はアーシャを無視して、懐から手を抜いて学院長と向き合った。

 

「なんの用ですか? 学院長ともあろう方が直接現れるのですから、それ相応の理由があるですよね?」

 

「にゃっはー、理解が早くて助かるにゃん。シエル、もれなく学院長室に呼び出しだにゃー」

 

 恐らくは魔武館での騒動が原因だろう。私だけの呼び出しで助かった。最悪でもエントール家とセイクリッド家の問題で済みそうだ。

 

「アーシャ、ちょっと行ってくるです。委員長、アーシャをよろしくです」

 

「ええっ、ワタシも途中まで一緒に行っちゃだめ?」

 

「だめです」

 

 即答すると、アーシャはずーんと沈み込んだ。そんなアーシャの肩を、委員長がぽんぽんと叩いて慰めている。

 

「こちらは任せなさい」

 

 委員長が頷いて了承してくれたので、私は僅かに心の負担を和らげることができた。

 

「早くするにゃん」

 

 急かす学院長の背を追って、私は本館へと向かった。

 

 

    *

 

 

 学院長室は本館の二階にある。巨大な窓から、正門から本館までの一番大きな通路を見渡すことができる。毎朝ここから生徒達の登校を眺めるのが趣味だ、と学院長は以前言っていたが、確かにこの眺めは壮観かもしれない。

 

「さて、何から語ろうかにゃあ」

 

 窓枠に手を掛けて、外を眺める学院長は言った。

 

「無駄話は要らないです。魔武館でのトラブルですか?」

 

 私の言葉に学院長は首を傾げる。

 

「なんのことかにゃ? ん、んーにゃはは、アレのことにゃ? 別に問題ないにゃ。寧ろ今見て(・・・)すっきりしたにゃん」

 

 学院長が今見た、というのだから文字通りそうなのだろう。

 どんなに幼子の見た目でも、ふざけた言動をしていても、彼女はシトレ魔法学院の支配者だ。学院内で起こったことならすべて把握している。いや、正確にはその気になれば把握できる。

 

「にゃはは、シエルも中々に喧嘩っ早いにゃ。エレンちゃんを思い出すにゃ」

 

「祖母を、エレンちゃん呼ばわりですか……」

 

「良い筋はしてたけど、それだけにゃん。ウチはもっともっと英雄と呼ばれる人間達を見てきたにゃ。それに比べたら、エレンちゃんもただの小娘にゃん」

 

 初代『滅竜騎』であるエレン・エントールを、小娘呼ばわりとはこの人もスケールが違う。僅かに沸き起こる苛立ちをぐっと堪える。そんな私に学院長はニラけ面を浮かべた。

 

「まあエレンちゃんの話はどうでもいいにゃー。今は二代目『滅竜騎』であるシエル・エントールに話があるのにゃ」

 

「私個人ではなく……その刻名に、ですか?」

 

「にゃははー、その通りにゃん」

 

「つまり――」

 

「察しがいいにゃん。そう、竜討滅依頼。拒否権はないにゃん」

 

 私はふらつく足を叱咤して、倒れそうになるのを堪えた。

 顔を手の平で覆う。

 

 ああ、ついにこの時がきてしまった。いつか来るのは分かっていた。刻名を継いでしまったのだ、その恩恵の代わりに義務を果たさなくてはならない。たとえ成人になるまで正式な襲名には成らないとはいえ、業を煮やした彼らならばやりかねないと思っていた。

 

 逃げたい。どこか遠くへ逃げてしまいたい。

 

「にゃふふ、精々頑張るにゃん――きみたち二人で」

 

「えっ……?」

 

 学院長の視線を追って天井に目を向ける。

 部屋の角に四肢を踏ん張って張り付くアーシャがの姿があった。

 

「えへへ……」

 

 頬を掻いて何かを誤魔化すアーシャに、私は怒鳴りつけた。

 

「えへへじゃないですっ!」

 

 アーシャは突然の大声で驚いたのか、足を滑らせて床に落ちた。瞬時の強化魔法によって痛みはないようだ。すぐに立ち上がって私の隣に走り寄ってきた。

 

「大丈夫、ワタシはシエルとずっと一緒だよ!」

 

 どうして、そんな言葉が言えるのだろう。分かってるはずだ。分かってるはずなのに。

 

「単独でドラゴンと戦って生き残れるのは、祖母ぐらいです」

 

「問題ないよ、だってワタシとシエルが一緒でできなかったことなんてなかったもん!」

 

「……これは、遠まわしな死刑宣告ですよ? 滅竜騎として機能しない私を切り捨てる、そういうことです。もしも勝てても、永遠にソレル王国のため、エントール家の繁栄のために利用されるです。死ぬまでドラゴンを戦わされるです……」

 

 竜狩り。それは人智を超えた戦いだ。それでも魔法文明の進歩によって、多勢ならば勝てるようになった。だが、人類は英雄を欲した。多くの犠牲を出さない、たった一人の突出とした最強の人間を。

 

 それがかつての祖母だった。

 

 最強種である竜と互角に渡り合い、僅かなサポートを受けるだけで次々と竜を屠っていった。

 伝説上の英雄ならば竜など一撃で葬り去ったことだろう。学院長の言う通りだ。比較対象が本物の英雄だったならば、祖母も私もただの小娘である。

 

「なら、一緒に逃げる?」

 

「え……?」

 

 アーシャはいつもと変わらず微笑み掛けてくれる。

 

「シエルと一緒ならね、どこへだって行くよ。ワタシの世界はシエルだけだもん」

 

「アーシャ……」

 

 変わらないというのは、強いということ。それはきっと今ならば真実だ。

 学院長は私達を見て腹を抱えて笑った。

 

「逃げる? にゃは、実に結構。ウチは止めないにゃん。でも、ソレル王国の暗部やエントール家の執念を舐めない方がいいにゃー。奴らは強者に縋るハイエナにゃ」

 

 アーシャは学院長の脅しに対しても笑みを崩さない。

 

「ワタシはシエルと約束したよ、世界最強になるって。だったらちょうどいいよね。あらゆる障害を取り除いて、すべてに勝利すれば、ほらワタシが最強だよ!」

 

 視界がぼやけてくる。眩しくて直視できなかったアーシャが、今度は涙で見れない。

 彷徨う手をアーシャがぎゅっと握ってくれた。そのまま優しく抱き締めてくれる。昔みたいに。あの暗い暗い部屋で、本当に世界が二人っきりだった頃のように。

 

「ね? シエルは安心して、ワタシの隣に居てくれればいいんだよ。ワタシはそれだけで満足だもん」

 

 ああ、今があの時ならば、どんなに良かったことだろう。

 叶わないからこそ、この空想は美しい。私はどうやら愚かにも人並みの幸福を欲していたらしい。余りにもわがままで勝手も甚だしい願望だ。奪うことしかできない私に求められているのは消滅だけなのだから。たとえアーシャだけは望まなくても。

 

 私は涙が引いていき、混乱する思考が落ち着くのが分かった。そうだ、結果は見えているのだから悩む必要はない。

 

 ――私は幸せになれない。

 

 アーシャの抱擁をそっと押し退ける。

 

「アーシャ、もう大丈夫ですよ。私は戦うです」

 

「うんっ、ワタシはどっちを選んでも一緒だよ」

 

「……はぁ。いいですよ、もう。目の届かないところに居られる方が不安ですし」

 

 大きなため息をつく私に、アーシャは満面の笑みを浮かべる。

 

「さっすがシエル! わかっていらっしゃる!」

 

「自覚してるなら自重するですっ!」

 

 脳天にチョップを叩き込む。

 

「はうあっ!」

 

 涙目になりながらも、何がそんな嬉しいのか、やはりアーシャは笑ったままだ。

 

「それでいいのかにゃー?」

 

 何がそんなに愉快なのか、ニヤニヤ笑う学院長。

 笑いたいと思う私でも、今の二人の笑みだけは理解したくないし、そういう風に笑いたいとも思わなかった。殴られて笑ったり、人の不幸を楽しむ「心」は持ちたくないです。

 

「……これしかないですよ」

 

「にゃふふ、蛙の孫だって蛙だにゃ。エレンちゃんも同じこと言って、死に物狂いで戦い続けてたにゃー」

 

 昔を思い出しているのか、学院長は大きな椅子にもたれて、中空をぼんやりと見詰めていた。

 

「死地に赴かせておいて(にゃん)だけど、年長者からのアドバイスにゃ」

 

「なんですか?」

 

「――死ぬな」

 

 真顔で真剣な声音、初めて聞く学院長の本音のような気がする。

 

「生きていれば、いいことあるにゃん♪」

 

 ……ものの見事にすぐにいつも通りになりやがったです。

 

「うんっ! そうだよ、シエル! 生きてればなんだかんだで、色々となんとかなるよ!」

 

「アーシャは人生を適当に生き過ぎです」

 

「そんなことないよぉ、ワタシだって色々と考えて生きてるよ!」

 

「おやつを何にするか、私の不意をどう衝くとか、私から褒められるにはどうすればいいかとか、私の寝顔を盗み見る方法とか、私に好きになってもらうには何をすればいいのかとか――」

 

「はうあうあー! 全部ばれてるよ!」

 

「……………………当たってたことが怖いです」

 

 深く考えるのは止めておこう。アーシャの脳内に踏み込むのは、異教徒の神域に土足で踏み込むより怖い気がする。

 私たちのやり取りに、学院長はまた腹を抱えて笑っていた。見世物ではない。いや、見世物かもしれない。少なくともアーシャは、見ていて飽きないことは私が保証する。

 

「にゃっはっはっは! 愉快だにゃあ。逃げたくなったら二人を匿ってやるにゃん。ソレル王国と事を構えるのも悪くないにゃ。きっと愉快な日々が始まるにゃー」

 

「逃げないですよ。もう決めたことです」

 

「シエルは頑固だもんねぇ、そういうところもワタシは大好きだよ!」

 

「はいはい、どうもです」

 

「はうっ! 流された!」

 

 項垂れるアーシャを無視して、私は学院長を――その裏に潜むソレル王国の暗部を睨みつけた。国のためにではなく、己の懐を潤し、己の地位を守ることに固執した憐れな老人共とエントール家の姿が透けて見えてくる気がした。

 

「私は祖母を超えるですよ……。滅竜騎は私で、終わらせるです」

 

 言いたいことはすべて言い終えた。

 討滅依頼の詳細はギルド連盟から通達があるだろうから、もうこの場所に用はない。戦うことを決めたなら、それに全力で打ち込むだけだ。そのための準備を今すぐにでも始めなくてはならない。

 

 自由と、アーシャのためにも。

 

 背を向けて去る私とアーシャに、学院長は最後に言った。

 

「――にゃは! 世界を楽しくしておくれ、担い手たちよ」




 台詞が多かったので、少し長めになっています。
 一応は前半戦終了で次回から後半戦です。まあ本来は3万文字ぐらいで終わらせるようとしていたので、どうなるか分かったものではないですが……。

 幕間(短めの話)を挟んで、『竜狩り編』へと移ります。
 あちこちに貼りつけた伏線やら、ほとんど紹介だけだったキャラを巻き込んで、物語の終わりへと繋がって……いけたら、いいなぁと。

 あれ? これって健全な百合小説を目指すんじゃなかっただろうか?
 という訳で、どうにか百合々しながら、進めていけたらな、と思います。
 ではでは、後少し(だと思います)、こんな拙作にお付き合い頂けたら幸いです。

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