魔法学院の百合の花   作:potato-47

7 / 15
第6話 アンバランス

 顕現術の濃密な講義を乗り越えた私は、散らかった部屋の片付けを手伝うという言い訳のもと、ローレラス教諭と二人だけ研究室に残っていた。アンジェルとクロードから手伝いの申し出があったが、私は本当の目的のためにも「二限は空いているのですよ」と嘘を吐いて、二限目の講義へ向かう二人を見送った。

 

「んで、なんだ? また、<ロール・フェイク>について聞きてぇのか?」

 

「はいです」

 

 私は返事をしながら、机から崩れ落ちた本を一冊ずつ拾い上げていく。無造作に放置されているが、どれもこの世に一冊しか存在しない古代魔術の資料だった。やはり、色々な意味でスケールの違う人だと改めて思い知らされる。

 

「オレはよ、別にローレラス家に思い入れはありゃしねぇんだ。魔法理論の秘密主義だって理解に苦しむぐらいだ。しかしよ、お前に理解できない魔法理論を何度も聞かせてなんになる?」

 

 ローレラス教諭の言葉に、私は押し黙る。確かにその通りだろう。ローレラス教諭は一度足りとも、<ロール・フェイク>を隠したことがない。あくまで盗み取るという表現するのは、私の恩師への配慮からだ。

 足りないのは、私の脳味噌だ。

 

「いや、別にそれはいいのか、時間の無駄ではあるが、根本的な問題ではない。本当の疑問はな、それ程の魔法理論を欲する狂気はなんなんだ? まだ若いだろうに、お前らは」

 

 ローレラス教諭は作業を止めて、眼鏡のレンズ越しに鋭い眼差しを向けてきた。その瞳には、探るのとは違う、心配とも違う、ただ好奇心から来る輝きを秘めている。この人に人間性を期待するのは、私に笑顔を求めるのと同じぐらいに不毛に思える。

 私からの答えはただ一つしかない。狂気というのはあながち間違っていない。

 

 ――アーシャのために。

 

 ――すべてはアーシャのために。

 

 特定個人への執着も、私程にもなれば狂気と呼ぶに相応しいことだろう。

 

「もう一度……ご教授願うです」

 

 深く頭を下げる私に、ローレラス教諭は諦めの溜息をついた。

 そして、私にとって本当の『講義』の時間が始まる。

 

 

    *

 

 

 二限目を最大限に使った講義を終えて、私はローレラス教諭の研究室を辞去した。

 既に昼食の時間を回っているため、直接食堂へと向かおうと足を進める。

 

 その途中で、魔錬科の魔戦練武館(通称:魔武館(マブカン))から、甲高い鍔迫り合いの音や、激しい戦闘の余波なのか微振動が伝わってきたため、目的地を変更した。

 魔錬科は卒業後の進路から他の科とは扱いが異なる。彼らは本当の騎士に、ソレル王国を守護する人間になるのだ。そのため90分間という講義時間を越えて、厳しい指導が続くことがよくある。

 

 魔素探査(プローブ)を用いて、アーシャ専用の記憶領域から今日の講義予定を引っ張り上げる。アーシャは寝坊や物忘れが多いので、カリキュラムは私が完全に記憶している。心配だからではない。折角の授業料を無駄にさせるのが癪だからだ。

 

 記憶した内容が間違いでなければ、今日は魔錬科専用科目の魔法戦闘技術学(マッセン)の実技が二限連続で入っているようだ。やはり、アーシャはまだ魔武館でひーひー言いながら魔法戦闘の模擬戦を行なっているのだろう。

 

 魔武館の内側と外側には、それぞれ厳重な防護結界が張られている。激しい訓練には危険が付き物なので、それ以外にも蘇生科による生命加護も施されている。シトレ魔法学院が創立以来、魔武館内で死者を出していないことから、その安全性は信じるに値する。

 

 ――怪我人が最も多く、しかし誰も死なない優しい戦場。

 

 魔錬科の生徒は入学ガイダンスで、先輩方からこの言葉を意地悪い笑顔で伝えられるらしい。アーシャ曰く「うん、アレは扱きの言い訳だよね。うん」と言っていた。珍しく笑顔が引きつっていたから相当なのだと思う。

 

 念の為に、私は自分の周囲に簡易の防護結界を張っておく。

 結界術の初歩の初歩<プロテクト>は、小等部の戦闘訓練でまず始めに教わる魔法だ。しかし私の膨大な魔素量を注ぎ込むと、堅牢な門の如く鉄壁の守りになる。門と表現したが、重要なのは<プロテクト>はオートではなく、防ぎたいと思ったものしか防げない、地味に使えない魔法なのだ。その代わりに、治癒魔法を容赦無く弾いたりしないので初心者には便利である。

 

 結界に不備がないか確認してから、私は魔武館へと足を踏み入れた。

 

 むわっとする熱気と、迸る魔素の流れ。

 色取り取りの魔現色が領域を奪い合うように激しく荒れ狂う。

 喉を引き裂かんばかりの詠唱、戦闘挙動に織り込む魔法陣の形成。

 研究魔法使いのエレガントな魔法とは違う、荒々しくも美しい魔法が溢れていた。

 

 模擬戦は4カ所で行われていた。その中の一つ、私のすぐ目の前の戦場に、アーシャは立っていた。満身創痍で制服は煤だらけ、洗濯をするのが私だというのは理解しているのだろうか。

 

「またあたったです。今日は動きが悪いですね」

 

 たぶん私のせいであるが、本当の戦場では言い訳など誰も聞いてくれない。

 対戦相手の金髪碧眼の男子生徒――アレン・セイクリッドは、3年の聖騎士(エスペランサ)で魔錬科では上位の実力者だ。他人に興味を持たない私が知っているぐらいなのだから、その実力は保証していい。制服越しにも分かる鍛え上げられた肉体が魔法に頼らない強さの証明である。

 

 彼の本来の戦法は、聖剣エリュシオンによる高速剣技の筈だが、どうやら接近戦しかできないアーシャを弄ぶために<マジック・アロー>による中距離攻撃を続けているようだ。

 

 新緑の魔現色をまとった魔法矢が左肩に直撃し、アーシャは床に背中を強く打ち付けた。その勢いを殺さず、バネのように利用してすぐに立ち上がる。しかし既に大量の魔法矢が襲いかかってきており、近付けずにその場で足止めされてしまう。

 

 息を切らしたアーシャが、口元を拭うのに顔をこちらへ傾け、

 

「ああっ! シエルだ! シエルー! ワタシ頑張ってるよー!」

 

「…………」

 

 飛来する魔法矢を回避しながら、私に手を振ってくる。

 戦闘中のために余所見をされたせいか、それとも虚仮にされたと思ったのか、あるいはその両方か、アレンが憤怒の形相を何故か私に向けてくる。また周囲の生暖かい視線が辛い。私とアーシャのコンビは、どうやら既に魔錬科でも有名になってしまっているらしい。

 仕方なく私はアーシャに向かって手を振り返した。

 

「えへへ」

 

 蕩けた笑みを浮かべ、次の瞬間、特大の魔法矢を受けて吹っ飛んでいった。

 

「ふんっ、愚か者が私の前でふざけた真似をした罪は重いぞ?」

 

 アレンは倒れたアーシャに向かって、容赦無く<マジック・アロー>を唱える。

 

「負けは許さないですよ」

 

 私がぼそりと呟くと、アーシャの身体が跳ね起きる。

 

「終わりですね」

 

 アーシャが私の言葉で立ったのだ。もはや、この模擬戦の決着はついたのと同義である。

 アーシャの視線が真っ直ぐにアレンへと向けられる。呑気な笑顔は、獰猛な笑顔へと変え、四肢を靭やかに伸ばして四つん這いになる。構えを取る間に全身強化は終えている。

 アレンの詠唱が完了し、杖の誘導に導かれて魔法矢がアーシャに向かって降り注いだ。

 

「は、早いっ!?」

 

 しかし、既にその場所にアーシャは居ない。

 ベレオルン家が磨き上げた戦闘魔術<エンゲージ>による、高速接近は術者自身の知覚速度すらも超える速さを生み出す。

 

 瞬間移動の如く懐に現れたアーシャに、アレンは驚愕を示すのが精一杯で回避も防御もできなかった。深々と突き刺さる右拳にくの字になり、拳を引き抜かれるとそのままの姿勢で床に倒れ込んだ。

 

 アーシャは戦闘終了と共に、いつもの笑顔に戻る。

 底抜けに明るい笑みと共に、私に向かって手を振ってくる――と残像となって消えて、

 

「はうあっ!」

 

 私のチョップを脳天にくらって、頭を抱えた。

 

「私に<エンゲージ>を使うなです」

 

 行動パターンなどとっくに把握している。いつものように抱きつこうとしてきたのだろう。だが、来ると分かっていれば幾ら早くても対処は可能だ。

 

「あぅぅ、痛いよぉ、少しぐらい褒めてくれたっていいと思うんだ!」

 

「制服を汚さずに勝っていれば褒めてたですよ」

 

 アーシャは袖が擦り切れた制服を確認して青い顔になる。

 

「うっ、こ、これは……わ、悪いと思ってるよ? ほ、本当だよ?」

 

「最初から真面目に戦ってれば良かったものを……遊び過ぎです」

 

「遊んでないよ! やる気がなかっただけだよ!」

 

「貴様ら、私を愚弄するか、許さん、許さんぞ」

 

 ようやく立ち上がれたらしいアレンが、私達のもとに歩み寄ってくる。周囲に立っていた魔錬科の生徒達は、鬼気迫るアレンの様子にか、それとも私達の悪名に関わるのを躊躇ったのか、遠巻きに見守るだけだった。講義担当の講師に至っては、「知らん。知らんからな、セイクリッド家の侮辱などかばえるものか」と現実逃避していた。

 

 王家とも繋がり深いセイクリッド家は、それはそれは偉いお家柄だ。王護騎士団(ロイヤル・ガード)の騎士団長はセイクリッド家の現当主だった筈だし、恐れるのも無理はない。

 

 私は対峙するアレンに向かって、冷めた顔を向ける。

 

「無礼を働いたのはそちれが先です。アーシャへの侮辱、私は許さないですよ?」

 

 本来の戦いをしないばかりか、<マジック・アロー>によって一方的になぶるなど、騎士道云々以前に、人間として……心持つ生物として最低だ。

 

「はっ、田舎貴族(ルーラル)風情が調子に乗るなよ? 滅竜騎(ドラゴンキラー)だかなんだか知らんがな、私への侮辱、引いてはセイクリッド家の侮辱は絶対に許さん」

 

「名家の出来損ない、鼻タレ貴族(アーバン)が調子に乗るなです。セイクリッド家の名誉は認めるですが、アレン・セイクリッド個人の価値は認めないです」

 

「貴様ぁぁ……!」

 

 顔を真赤にして、アレンは背中に手を伸ばす。第二世界(セカンド・ベル)より、自慢の聖剣を取り出そうとしているのだろう。勿体無い才能だ。傲慢でなければその聖剣は濁りを持たずに輝けたことだろうに。折角の「心」を歪めてしまう人間に、私は哀れみを抑えられない。

 

 私の表情に、更なる怒りを燃え上がらせ、アレンは鬼の形相になった。

 虚空より新緑の閃光が溢れ出し、アレンの腕に握られて金色の柄が姿を表す。

 数ある聖剣の内でも、その雄大な美しさと慈愛の剣戟から『最優の聖剣』と称されるエリュシオンが、今まさに現世へ解放されようとしていた。

 

 私は聖剣の一撃に備えて身構える。右手を前に、虚空を掴む。

 

 ――<ジェネシス>。

 

 さあ、私だけの魔法を始めよう。

 

「だめっ!」

 

 発動しようとして、後ろからアーシャに抱き締められる。

 

「アーシャ……?」

 

「だめだよ。シエル、だめなんだよ」

 

「何がですか?」

 

「……今はシエルに無いものが必要なんだよ」

 

 その言葉に、私は突き出した右手を下ろした。

 アレンはこちらの戦意が消えたことと、状況についていけず戸惑ったのか、聖剣の召喚を止めた。

 耳元でアーシャの声が繰り返される。

 

「怒りじゃない、悲しみじゃない。憎しみじゃない。それに、これはワタシの罪だから、シエルは関わらなくていいの」

 

 アーシャはそっと私を解放すると、アレンの前に立った。

 

「申し訳ございませんでした。数々の無礼、どうかお許し下さい」

 

 深々と頭を下げるアーシャに、私は混乱する。

 丁寧な謝罪を受けて、アレンは更に戸惑った。疑問の眼差しを私に向けてくる。理解できずとも私は、この場を収めるためにアーシャの横で頭を下げた。

 

「ごめんなさいです」

 

 

    *

 

 

 世界は私とアーシャだけのものではない。

 そんなこと分かっている。

 それでも、と思う。

 やはり、私にとってアーシャが世界のすべてなのだ。

 

 委員長は果たして理解して言ったのだろうか。

 どちらが保護者で、どちらが被保護者なのか。

 

 

 ――それはきっと、私が一番分かっている筈なのに。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。