魔法学院の百合の花   作:potato-47

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第3話 壊れた二人

 早朝の食堂での一騒動へ決着を強制的につけて、私は一限目の『顕現術学』の講義が開かれる、第三校舎(通称『魔塔』)へと向かって、中庭に面した廊下を歩いていた。もちろんスカートは直してある。

 まだ時間が早いこともあってか、ほとんど生徒とすれ違わない。

 

 目覚まし代わりの鳥のさえずりを掻き消すように、中庭では魔錬科の生徒が声を張り上げながら訓練を行なっている。卒業後はソレル王国の騎士団へと入団することになる彼らは、入団試験に合格できなければ卒業もできない(正確には卒業扱いにしてもらえない)。

 

 汗水垂らして肉体を鍛える激しい訓練の様子を横目で眺めて、私はつくづく魔術科へと進学できて良かったと思った。私の才能は皮肉にも戦闘向けであり、エントール家の誰もが祖母に続く魔法騎士(シュヴァリエ)を輩出しようと躍起になっていたために、スケープゴートの如くあれよあれよという間に祭り上げられてしまった。卒業後が魔法騎士を確約されている魔錬科へと進学させたいと思うのは、あの人達にとっては当然の考えであったことだろう。

 

「やれやれです……」

 

 私は自分勝手な家族や親族に嫌気が差して、学生寮が完備された、こんな故郷から遠い魔法学院へと入学したのだ。アーシャが付いてきてしまったことは失敗だったが概ねうまくいっていた人生設計を、まさか再び崩しに来るとは、ほとほと呆れてしまう。アーシャが機転を利かせてくれたおかげで、魔錬科への進学を免れたのだから、実に皮肉的ではあるけど。

 

「私の力など、所詮は借り物ですよ。それを家の再興に利用するなんて……まだ猫の手を借りた方が人間的にましです」

 

 本館のエントランスホールを抜けて、東の渡り廊下を進んでいくと、黒い塔が屹立しているのが視界に入る。全体的に白色で統一された景観を崩す見た目をしているので、魔塔と呼ばれる第三校舎は、無駄に高度な視界制御と結界術によって、この東渡り廊下を通らなければ見えないようになっている。

 

 出入口である門の前まで来ると、見上げるだけでは頂上が見えない程の高さを誇っているのが分かる。かつては天空の塔などとも呼ばれていたらしいが、長い歴史の中で、この中で残虐な事件が幾つも起こり、更には耐震補強で施された『アーマー鉱』による黒い防壁が、実に拒絶と孤高を表現している。

 

 この塔の主、すなわち顕現術の担当魔術師――ローレラス教諭は、奇人変人の巣窟であるシトレ魔法学院内でも、群を抜くであろう狂人である。美声が紡ぐ朗々とした詠唱呪文は、思わず聴き惚れる芸術だが、魔法理論の構築が狂気そのもので、私を含めて僅かな人間にしか理解されない(その理解をする、というのはあくまで魔法理論的な美しさであって、決して狂人理論の源泉への理解を示すものではない)。

 

「………………」

 

 私は門を開けないまま立ち尽くしていた。

 さっきから、いや、最初から気になっていたことだが、いつまでついてくるつもりなのだろう? わざと思考へと意識を傾けていたけど、ここまで来るといい加減に無視できない。

 

「アーシャ」

 

 私がぼそりと呼び掛けると、

 

「ん! なにかな、シエル! ワタシはここだよ!」

 

 聴覚強化をしていたらしいアーシャが茂みから飛び出してきた。どうやら尾行がばれているのを分かっていたようだ。それとも、私が呼んだから応えた、というだけかもしれない。アーシャは昔からそういうところがあった。

 私は頭の上に乗せた葉っぱをとってあげる振りをしながらチョップを叩き込んだ。

 

「んにゅっ……し、シエル、これ以上馬鹿になったら、留年しちゃうよぉ」

 

「留年したら、私は余分に学費を払ってあげないですよ?」

 

「そうなったら、シエルに養ってもらうから大丈夫!」

 

「蹴るですよ?」

 

「そ、それは勘弁なんだよ。両足は魔錬科の財産だからね!」

 

「その魔錬科の早朝訓練に参加しなくていいんですか……」

 

「訓練よりシエルだよ!」

 

「あー、はい、わかったですよ……それで、どうして付いてきたですか?」

 

 このままずるずると話していても不毛だと思い、切り出した。

 

 アーシャは笑顔のまま泣くように言った。

 

「だって、シエル、寂しそうだったから」

 

 私はその言葉に溜息をついた。

 

「今日も平常運転ですね」

 

「うんっ、ワタシはいつだって、どこだって、シエルの味方だよ!」

 

 ああ、それが、どれだけ重くて、嬉しいことなのか、きっとアーシャは分かっていない。分かることができない。だって、私がそうしてしまったから。

 

「授業までまだ一時間はありますし……そこのベンチで少し話でもするですか」

 

「シエルの誘いをワタシが断るわけなんてないよ!」

 

「知ってるですよ」

 

 えへへー、と蕩けた笑みで、アーシャは私の首の後から腕を回して抱きついてくる。私は頭一つ分背の高いアーシャを背負うように、木製のベンチまで歩いていった。

 三人分座れるスペースはあったが、アーシャはそんなこと気にせず、私に密着するように座った。もはや突っ込むのも億劫になった私は、肩に頭を乗せてゴロゴロとじゃれてくる………………やっぱり我慢できず肩を跳ねあげて米神を打撃した。

 

「はうあっ!」

 

 アーシャは堪らず跳ね上がり、芝生に転がって痛みに悶えている。……演技だろう。強化魔法の使い手が、私如きの打撃で怪我をする筈がない。

 

「い、痛い……流石に効いたよ、うっ、腕をあげたね、シエル」

 

「肩を上げただけですけどね」

 

「うまいこと言ったね!」

 

「褒めても何も出ないですよ」

 

 アーシャは直撃を食らった右頬を手でさすりながら、また私の隣に座った。今度は密着はしてきたが、頭を肩に乗せてきたり、腕を組もうとしてきたりはしなかった。

 特にお互いに何かを語ることはなかった。

 日差しが登って行き、ようやく活動開始した生徒達の声が、あちこちから聞こえてくる。

 

「ち、畜生! また召喚科が召喚獣を放し飼いにしてやがった! 俺たちが必死に育ててたマンドラゴラが掘り返されて、ただでさえ萎びた顔が、中年のおっさんみたいな哀愁を漂わせ出しているじゃねぇか!」

 

「聞き捨てならんぞ! お前たち、蘇生科が犯した所業、忘れはしない。マンドラゴラの実験の時に防音結界に不備があって、我々召喚科の一年が廊下を通った際に気絶者を大量発生させたことを!」

 

「なんだと!? 組成が新しい合成獣(キメラ)のために薬を用意してやったのを誰だと思ってる!」

 

「それとこれとは別であろうに! それに、お前たちはやり過ぎなんだよ。酩酊状態を生み出したり媚薬などまで作るから、魔法薬学を約して、麻薬学などと呼ばれるのだ!」

 

 ――うん、いつも通りの騒がしい朝がやってきた。

 

「あははー、今日も召喚科のレンサス先輩と蘇生科のセレスタン先輩は元気一杯だね」

 

 騒音と呼ぶに相応しい醜い二人の先輩の争う怒声を、アーシャは笑う。それ以外の感想などアーシャには出せないだろう。私がアーシャのように感じ取れないように。

 

「ん? シエル、また俯いちゃってどうしたの?」

 

「なんでもないですよ」

 

「はぅぅ……やっぱりワタシは頼りないよねぇ」

 

「……なんで、そうなるですか」

 

「だって困ったことがあるみたいなのに、シエルが相談してくれないんだもん」

 

 拗ねるアーシャは私の隣でニコニコ笑っている。いつだって、どこでだって、笑っている。

 私はその横で、いつだって怒って、泣いて、ただ負の感情を吐き出す。

 それで、バランスを取っている。

 

 

 ――泣かない彼女と、笑えない私、二人で一つの心。

 

 

 誰もがきっと、私を酷い人間だと言うだろう。

 誰もがきっと、彼女を気味が悪い人間だと思うだろう。

 最後にはきっと、そうなってしまう。終わりが約束されているから、私はやっぱり気楽だ。始まることができなかった人間に、終わりが見えないのは恐怖以外のなにものでもない。

 

 

「ん……?」

 

 私がまた黙り込んだことに、アーシャが首を傾げて覗き込んでくる。心配そうに、元気づけるように、善と優しさを詰め込んで。

 

 ああ、やっぱり、私はそんなアーシャが――

 

 

 ――違うよ、と心のどこかで幼い私が囁いた。


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