魔法学院の百合の花   作:potato-47

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第2話 惑う想い

 そもそも、私の人生設計にはシトレ魔法学院へ入学する予定はなかった。

 祖母の後を継いで『滅竜騎(ドラゴンキラー)』などという、大層な刻名(イリス)(ソレル王国が正式に与える名誉の二つ名。役職に近い)を襲名するつもりなんてこれっぽっちもなかったのだ。名前ばかりの刻名で、はぐれ竜の襲撃の際に駆り出されるのはまだしも、現役である限り神話の英雄よろしく竜討滅の旅へ出されるのなんて勘弁である。

 

 アーシャが、私の力を引き出させなければ、やはり私は、辺境の地であるエントール領で、魔法薬学に勤しむ「ひきこもりの聖魔官(プリースト)」で一生を終えていた筈だ。

 そう、そんなこと、もう遠い幻想だけど、やっぱり私は――

 

「ちょっと、聞いてるの?」

 

 委員長の声に意識が現実へと引き戻される。

 目をパチクリしてみれば、食堂のテラス席の対面に座る委員長が、呆れた顔で溜息を着いた。気品のある控えめに波打つ金髪は、早朝の日差しを浴びて光を反射する。大人っぽい高い鼻梁とすっと伸びた手足は、アーシャとは別に羨ましい女性的な肉体美を秘めていた。同じ制服を着ているのに、やはり世界は不公平のオンパレートだ。

 

 私は、熱々の紅茶を口に運び、頭のぼんやりを払いのける。

 

「ごめんなさいです。少し、トリップしてました」

 

「確かに、あたしの愚痴は退屈かもしれないけど、元々はあなたが管理するべきものなのよ?」

 

「……分かってるです」

 

 私はそう答えて、委員長の横顔が見詰める先へ視線を移す。

 柱に頭隠して尻隠さずを素でやってのけるアーシャの姿があった。出るところが出るわがままバディはこういう時にはマイナスらしい。

 委員長が私に視線を戻して、朱の瞳を薄く細める。

 

「もういい加減構ってあげれば」

 

 私は言われてもう一度アーシャの方を向いた。柱の陰から覗く顔が、私と目が合うだけで喜色一杯に染め上がった。……遊び相手を求める子犬のようだ。なので無視した。魔素の揺れで、凹んでいるのがバシバシと伝わってくる。感知能力に優れ過ぎているというのも、こういう時は不便だ。

 

「はぁ……それで、そろそろ説明してくれてもいいんじゃない? あたしの気楽な一人部屋に、アーシャ・ベレオルンをぶち込んだ理由を」

 

「…………」

 

「あんたが切羽詰まってるのを見て安請負したのは、確かにあたしの落ち度だけど……その後の、一晩中女々しい泣き言をベレオルンから聞かされたのと、強化魔法の調節ミスでお気に入りのアンティーク家具をぶっ壊されたのは、流石に責任は無いと思うのよね」

 

「……………………」

 

「で、何があったの?」

 

 私は迷惑を掛けた委員長には申し訳ないが、それでも嘘を吐くことにした。

 

「喧嘩、したです。それで……私の心の整理ができてないので」

 

「ふぅん」と委員長にまるで信じた様子は無かった。「それを、このあたし、レナ・ルフティス――ひいては、ソレル王家に仕えし審判者、ルフティスの前で……言える?」

 

 委員長には、やはり嘘が通じない。決して詳しくは語ってはくれないが、文献で明かされている分には、ルフティス家に伝わる独自の魔法理論によって組まれた呪術で五感を強化し、その鋭敏な感覚を持ってして心を読んでいるらしい。

 私はお手上げし、頭を下げた。

 

「ごめんなさいです」

 

「――素直でよろしい。でも、その様子だと語る気はないのね?」

 

「はい……」

 

 委員長は少しの間、顎に手の甲をあてて考え込んだが、厳しく引き締めていた表情を緩めた。

 

「まあいいわ。あなたの心の問題が解決するまで預かってあげる」

 

 流石は委員長です、と私は素直に感嘆した。曲者揃いのレギオン――全七科を均等に振り分けられた戦争時の一部隊(普通の学校におけるクラスのようなもの)――の一つを統一するだけはある。審判者の心理把握と、類稀なる誘導術を持つ彼女ならば、人生暴走気味のアーシャの軌道を取ってくれるに違いない。

 

「……で? そろそろ死にそうになっているけど、あれ」

 

「えっ?」

 

 アーシャは柱に背中を預けて膝を抱えながら気味の悪い笑顔を浮かべていた。

 

「あはー、シエルに嫌われたー世界が終わったーえへへ、もうどうにでもなーれ」

 

 私はすぐに駈け出して、見っともない姿を晒すアーシャの脳天にチョップを叩き込んだ。

 

「はうあっ!? い、痛いよ、シエたん!」

 

「……もう一度やりますよ?」

 

「ドM調教だね、任せて!」

 

「…………」

 

「あぅぅ、放置プレイは苦手なのぉ」

 

 私は立ち去ることにした。

 しかし、足を掴まれた。

 

「うぅぅ、シエルぅ、本当に、本当に悪いと思ってるから、お願い、嫌わないでよぉ」

 

 私はがっちりと掴まれた手を振り払えなかった。絶妙な強化魔法のコントロールで、痛めないようにはされているが、決して離さないように指先に硬化魔法を掛けて補強している。いつもは魔法の並行使用(デュアル・スペル)なんて器用な真似はできないのに、こういう時ばかり成功させる。

 

 早朝で他の生徒が少ないからいいものの、このふざけた言動は自重してほしい。まあアーシャがこんな性格になってしまったのは、私のせいなのだけれど。そう……私のせいなのだ。

 駄々をこねるアーシャを見下ろして、自分の心が冷たくなっていくのがわかる。

 

 

 ――アーシャさえ居なければ、私は独りで、あの場所で、ずっと、だから、私は本当はアーシャのことが――

 

 

「違うっ!」

 

 

 私は自分の思考を振り払うために大声を出す。

 早めの朝食を取りに来ていた生徒たちが、みんな驚いて私を振り返った。

 

 足元のアーシャも、私の大声にびっくりしたらしく、魔法行使の継続に失敗して、足を掴む手はただの歳相応にかよわい力しか持たなくなった。

 そのチャンスを逃さず、私はアーシャの手を払い、その場から走り出した。最後の抵抗かスカートを引っ張られたが、それすらも振り払う。

 

 これ以上、あの場所に、アーシャの傍にいたくない。

 

「シエル! 待ってよ、シエルっ!」

 

 アーシャの必死の呼び掛けすらも無視して、

 

「ごめんっ! 掴もうとした拍子にスカートが少し下がっちゃって……」

 

 すべて無視して、

 

「――パンツ見えちゃってるよぉ!」

 

 私はずっこけた。


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