魔法学院の百合の花   作:potato-47

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第12話 復讐者

 人間が竜へと挑むこと自体が間違いで、更にその戦いに勝利してしまうことは、あるいは因果への反逆なのかもしれない。この世界の創世に関わった英雄や、物語で語られるような伝説上の人物は、一体何を思い戦ったのだろうか。

 一瞬の油断が命取りになる戦場で、私はそんな無駄なことを考えていた。

 

「…………」

 

 沈黙竜(レストドラゴン)との睨み合いは続いている。

 完全に膠着状態だ。人間が何を考えているのかすら分からない私に、竜の思考など読める訳もない。この沈黙に一体どんな意味があるのか検討もつかない。

 

「えっ……?」

 

 不意にレストドラゴンは動きを見せる。

 それは、私に背を向けるという行動だった。

 

「戦う価値もないということです?」

 

 魔素を扱うレストドラゴンならば、私が纏う強大な魔素に気付いている筈だ。それを無視してでも優先すべきものがここにあるというのだろうか。だとすると、やはり棲家を追われて暴れているだけではない。

 

「最初の予想通りで、竜玉を探し求めているです?」

 

 レストドラゴンは逃げ惑う村人に一瞥もくれず、のしのしと畑の方へと歩いて行く。

 私は警戒は解かないまま、その後を追った。

 畑に辿り着いたレストドラゴンは、地面に向かって何度も足の鉤爪を叩きつける。

 

「いや、掘ってるです……」

 

 巨体を揺らして一心不乱に穴を掘る竜の姿に、私は呆気に取られてしまった。

 

「あっ」

 

 そして、ようやく私はスルト村に訪れてから、ずっと続いていたもやもやとする違和感の正体に辿り着くことができた。

 畑と、桜の木を中心に広がる木造住宅を見比べて理解する。竜の襲撃を受けたにも関わらず、村自体に被害が及んでいないことが引っ掛かっていたのだ。腐っても貴族の私には、失礼だが見窄らしいスルト村の家々だからこそ気付けなかった。

 

 少し考えれば分かったことだ。竜が暴れたのなら、魔法加護もされていない木造の建築物など跡形もなく木っ端微塵になる。

 ぼろぼろになったのではなく、最初からぼろぼろだったという訳だ。

 穴だらけになった畑を見てそのことを理解するなんて、私も貴族である自分を嫌っていながら、考え方や意識はまだまだ貴族らしいもののようだ。

 

「正確には村を襲撃したのではなく、畑に用があった……というより、畑の下に埋まっている何かに用があったということです?」

 

 だとするなら、この下に竜玉が埋まっているのだろうか?

 この際、どうしてとか誰がやったとかは置いておこう。

 

「……こっちも気になるですが、アーシャの方が心配です」

 

 こんな非常事態になっても姿を現さないなんて異常だ。アーシャが私の危機を看過する筈がない。

 魔素探知(プローブ)を村全体に飛ばす。

 危険視していた竜は隣で穴掘りをしている。この村でそれ以外でアーシャが危険な目に遭うとしたら、原因は人間しか考えられない。

 

 焦る気持ちを落ち着けようとしてもうまくいかない。やはり知らない土地でアーシャと離れ離れになるべきではなかった。

 

「魔素操作がうまくいかないです」

 

 焦燥感に駆り立てられているせいなのか、魔素の操作がうまくいかない。

 

「あれ、幾らなんでも、これは変――がっ!」

 

 後頭部に衝撃が襲う。

 しまったです。魔素探知に全部回して……<プロテクト>が解けて――

 気絶しそうになる脳味噌を、魔素の流れで強制的に覚醒させようとするが、やはり魔素が制御できなかった。視界が揺らぎ地面に倒れる。掘り返された柔らかい土の上で、暗闇が意識を塗り潰した。

 

 

    *

 

 

「竜よりもね、人間の方がよっぽど怖いものなんだよ」

 

 どうしてですか?

 

「人間は欲で生きる生物だからさ」

 

 生きたい思うのも欲ですよ?

 

「そうだね。でも、よくお聞き、シエル」

 

 はいです。

 

「人間は生きることよりも欲を選ぶのさ」

 

 難しいです。

 

「だろうね。だが、嫌でも知ってしまうさ。シエルもまた人間だからね」

 

 お祖母様、私は――

 

 

 

 ピチョンと水が跳ねる音に意識が急速に覚醒する。

 

「アーシャっ!」

 

「わわっ! ここに居るよ!」

 

「えっ……」

 

 後頭部の鈍痛に堪えながら体を起こす。

 

「牢屋?」

 

 敷き藁の床。土の天井。冷たく淀んだ空気が充満している。湿った悪臭が鼻にこびりつくように臭ってくる。鈍色の鉄格子が私を隔離していた。水の音はどうやら、その鉄格子の上端で起きた結露が下端で弾けたことで響いたようだ。

 狭い通路を挟んで反対側の檻には、アーシャの姿があった。

 

「アーシャ……よかった」

 

「あはは、状況的には最悪だけどねぇ」

 

 私は鉄格子の間から、アーシャに向かって右手を伸ばす。

 

 アーシャも手を伸ばして、指先がなんとか届いた。人差し指を絡め合うように繋げる。

 

「えへへ、シエルがこんなに甘えてくれるなら牢屋に閉じ込められてみるのもありだね!」

 

「ありじゃないです」

 

 弾くようにして指を振り払った。

 

「あぅぅ……しかし、このぐらいじゃワタシはめげないよ! シエルの起床第一声がワタシの名前で全ワタシが感動した!」

 

「阿呆みたいなこと言うなです」

 

「……んー、折角無事じゃないけど再会できたのに、テンション低いよぉ」

 

「いつもの私です」

 

「あっ! そうか、安心して!」

 

「何がです?」

 

「大丈夫だから!」

 

「だから、何がです?」

 

「ちゃんと処女のままだよ! 何もえっちなことされてないよ! シエルに捧げるって決めてるからね!」

 

「そんなこと訊いてないですっ! それに女同士でどうしろと言うですか!?」

 

「……あっ、そういえばそうだね! ちょっと真面目に考えるべきかもしれないね!」

 

「その話はもうどうでもいいです!」

 

「え、えぇ、でも、ワタシとシエルの今後に大きく――」

 

「そろそろ真面目に話すですよ」

 

了解(ヤー)!」

 

 私が凄味を利かせて睨みつけると、アーシャは敬礼とギルド式応答で返してくる。ふざけている気もするが、それがアーシャなので突っ込まずに続ける。

 

「何があったです?」

 

「御者さん居たよね? この村まで連れて来てくれた」

 

「……まさか」

 

 私は最悪の展開を想像した。もしも、今回の依頼が滅竜騎として機能しない私を試すのではなく、排除するものだったのならば。既に禁術指定された心に関する魔法に大きく関係している私とアーシャを消すためだったのならば。

 

「そのまさかだったんだよね」

 

 使えるかどうか分からない滅竜騎としての価値よりも、真実がばれれば世間的に存在が危惧される私の存在が邪魔になったのだろう。

 

「じゃあ、つまり全部これは仕組まれていたですか」

 

 アーシャは村の散策中に、休憩を取っていた御者を見つけて声を掛けたそうだ。話をしている最中に、農具を武器にした村人達に襲われたのだという。味方かと思っていた御者もまた敵で意識を刈り取られて、目覚めるとこの牢屋だったらしい。

 私は祖母の話を出されて、無意識に村長のことを信頼してしまっていた。だから出されたお茶も魔素探知も行わずに口にしたのだ。すべて計算されていたのだろうか。

 

「でもどうして、この村の人々が協力するです?」

 

「――復讐のためですぞ」

 

 私の疑問に答えたのは、錆びた鉄の扉を開けて入ってきた村長だった。その後ろには御者の男が付いて歩いている。

 

「滅竜騎が憎いですか」

 

「当然ですな。何故ならば、先代の滅竜騎は私のすべてを奪ったのですぞ。儂だけではない、彼女は、アメリアはこの村の誰にとっても必要な存在だった……!」

 

「それで、私に復讐ですか?」

 

「……本来であれば先代を葬り去るつもりだったが、既に死んだと聞いてな、儂は気を利かせて冥界へ初代滅竜騎殿が愛する孫娘を送ってやろうと決めたのですぞ」

 

「最低の恩返しですね」

 

 村長は私の吐き捨てる言葉に薄く笑った。

 後ろに控えるようにして立っていた御者が鉄格子を力強く蹴る。激情に任せたもので、表情からは強い憎しみが見て取れた。

 

「私の名前はゼーキスだ。覚えておけ、それが復讐者の名だとな。貴様は母上の敵だ」

 

「……大体分かったですよ、祖母から聞いた話を思い出したです」

 

 とある村での宝石竜との戦いの物語。祖母は滅竜騎として既に名を挙げており、あちこちへ竜討滅に駆り出されていた。そして、遂に竜の中でも突然変異により恐ろしい力を持った宝石竜と戦うことになった。

 宝石竜は、成長途中で鱗が宝石のように美しい光沢を放つようになった個体のことを呼ぶ。その多くが本来の種族よりも高い戦闘力を持ち『龍』の称号が与えられている。魔素の扱いに長けた竜は理性的な性格になり、人間とも対話を行うようになる。そのため、宝石竜はほとんどが人間と和平を結んでお互いに不干渉を貫くようにしている。

 

 しかし、祖母が戦うことになった『黙示録の深龍(アポカリプス)』は大の人間嫌いで、世界中で暴れ回る危険な龍だった。当時の王都周辺の環境は回復に向かっており、緑も多く茂っていた。それを再び焦土へと変えてしまったのだ。

 祖母がこの話をした時、竜の恐ろしさと共に人間の恐ろしさを語ってくれた。それと共に自らの失敗を沈痛な面持ちで告白した。

 

『より多くを救うためにね、私は一人の女性を犠牲にしたのだ。村の誰からも愛される明るく、優しい、素晴らしい方だったよ。……いや、言い訳は止めようか。シエル、私はね自分が死ぬのが怖かった。そして、守れないのが怖かった。だからね、大怪我を負った彼女ではなく、再び戦場へと立つ私に最後の治癒魔法を掛けるよう仲間にお願いしたのさ』

 

 その場に居た村人達には、きっとそれは理解はできても受け入れたくない光景だったことだろう。ソレル王国の英雄が守るべき者を見捨てたのだから。例えそれが一番正しい選択肢だったとしても。

 

 村人達からの印象を最悪にしてしまったのは、祖母と深龍が和解したことだろう。深龍はその女性の死を目にして攻撃を止めたのだという。今まで無数の人間を葬ってきながらも、圧倒的過ぎたが故に、人間の死に悼み、嘆き、怒る姿をまともに見たのがそれが初めてだったのだという。

 深龍が人間を嫌う理由は、負の面ばかりを見せ付けられていたからだったのだ。人間にも認めるべき美点があると知った深龍は、祖母を通してソレル王国と交渉し、不干渉の盟約を交わした。

 

 結果論で言えば、それにより祖母も村人も救われた。祖母は最善の選択を取り、最高の結果へと導いた。

 

「許せるはずもない、という訳ですか」

 

「そうだとも。儂は妻を失い」と村長――いやゼノンという個人が、

 

「私は母を失い、私の息子であるマルは祖母を失った」と御者――いやゼーキスという個人が、

 

 二人の復讐者が生々しい憎しみをぶつけてくる。

 

「それで、私達を囚えてどうするつもりです? こんなまどろっこしいことをして……何を企んでるですか?」

 

 ずっと黙っていたアーシャがガシャリと鉄格子を殴った。

 

「魔法加護を施してまで、用意周到だね。んー、というより暇人さんだね。復讐なんて考えないで人生楽しめばいいのに」

 

 ゼーキスが一瞬で沸点に達するのが分かった。怒りに顔を真赤に染めてアーシャの方を振り向く。

 

「小娘が、貴様に何が分かるっ!」

 

「分かるよ。でも、分からない」

 

「ふざけた物言いを!」

 

「ゼーキス! ……くだらん言葉遊びに付き合っている暇はありませんな。これから滅竜騎殿には竜狩りをしてもらはなくてはならないのですからな」

 

 ゼノンが私を見てニヤリと笑った。

 

「……わざわざ魔素操作を麻痺させる毒を盛った状態で行かせるですか」

 

 極東茶がこんな貧乏村にあったのは国との繋がりがあったからだ。そして苦味は毒の味だったのだろう。今回の一件は完全にエントール家の手の平の上だったようだ。

 

「だからこそですぞ。それに、行かないという選択肢がないのは分かっていますかな?」

 

 チラリとアーシャへ視線を送るのを見て、私は舌打ちする。祖母を知っているのなら、いや馬車内でのやり取りからか? 情報を持っているだろうから、そもそも最初からなのか、私を動かすのにアーシャどれだけ人質に適しているか理解しているようだ。

 

「なら、さっさと行かせるです。アーシャに手出しをしたら許さないですよ」

 

「魔法が使えなければ、ただの小娘と変わらない滅竜騎殿が何をおっしゃるのか。それとも冗談だったのですかな?」

 

「……そう思うのなら笑ったらどうです?」

 

「ふはは、そうですな……命を自由にできる感覚というのは、こういうものなのですな」

 

「…………」

 

 今はすべて従うしかない。復讐に取り憑かれてはいるが、この二人はまだ狂っていない。ここまでまどろこっしい方法を取ってきているのだ、簡単には私達を殺したりしないだろう。

 

「シエル」

 

 歯軋りする私に、アーシャが微笑みかけてきた。

 

「気をつけていってくるんだよ。怪我とかしないようにね。ワタシとの約束だよ!」

 

「…………」

 

 私だけでなく、二人の復讐者もまた開いた口が塞がらないようだった。

 

「あとできるだけ早く戻ってきてくれる助かるかも、ここなんだかじめじめしてて嫌な感じなんだもん」

 

「貴様は何を言っているんだ? いや、なんなのだ、貴様は」

 

 ゼーキスの声は震えていた。

 ああ、少しだけでもアーシャの本当の心に触れてしまえば誰もが恐怖することだろう。慣れている私ですら戸惑うのだから、例え情報として私達のことを知っていても本能は、その『欠落』への恐怖に耐えられない。

 

「え? 何ってシエルを送り出してるだけだよ? なんなのって、ワタシはワタシ、なんてね!」

 

「アーシャ、ここだと頭に声が響くから余り大声を出すなです」

 

「えへへ、ごめんねぇ、今度から気をつけるよ!」

 

「言ってる側からうるさいです!」

 

 私達の普段通りの会話に、二人は怯えていた。

 だからか、何も枷を付けずに私を追い出すように牢屋から外へ連れ出した。

 

「シエル、程々に頑張ってね!」

 

「はいはいですよ」

 

 

    *

 

 

 囚えられていた地下牢は村外れに建てられていた。以前にカッセリア地方で疫病が猛威を振るった時に、罹患者を隔離するために作られたのだろう。

 外へ出ると既に日は傾き掛けており、橙色の空模様と焦土と化した大地が地平線の彼方で、境界線を曖昧に融け合っていた。

 

「分かっているな、竜を狩った証拠を持ってこなければあの小娘の命はない。時間制限は明日の昼までだ」

 

「……分かったですよ」

 

 随分と無茶を言う。

 ゼーキスの厳しい視線を背中に浴びながら、私は歩き出した。

 着の身着のままで竜狩りに出向くなど、どんな蛮勇の持ち主でもやらない筈だ。

 

 竜の棲家があるのは、ここからすぐに見えるミヤガ山だ。その中腹に洞窟があり、そこで寝泊まりしているのだという。魔素のサポートを受けられない今の私では、登山をするだけでも一苦労だ。

 

 時間を無駄にしないために、歩きながら思考をまとめる。

 アーシャの命は明日の昼までは無事であると考えていいだろう。彼らが私と同じぐらいに歪んだ復讐心を持っているのならば、奇跡的に竜狩りを達成した私の前でアーシャを殺す筈だ。

 

 レストドラゴンは既に畑に居らず、どうやら棲家に戻っているようだ。竜の巨体ならばすぐにでも畑を掘り返せそうなものだが、竜玉が埋まっていると考えられるので、慎重になっているのだろう。祖母の話では、レストドラゴンは竜玉に傷一つ付けられるだけでも気が狂い暴れ回るのだという。

 

「問題はどうやって竜を狩るのか、ですね」

 

 魔素を使わずに、己の力だけで――無茶、無理、無謀の三拍子に私は溜め息をつく。こんなことになるなら、アーシャの早朝鍛錬に付き合うのだった。アーシャは魔法訓練からは逃げるのに、肉体を純粋に鍛えることだけは楽しんでいた。

 

 私は登山口に辿り着き、山の頂上を見上げる。夕日によって山陰が怪しく輝いている。カッセリア地方には魔族の国は存在しないが、これではまるで魔王城に挑む気分だ。

 

「……お祖母様、どうか私とアーシャをお護りくださいです」

 

 天に召す祖母へ祈りを捧げ、私は登山を開始した。

 

 

 

 

 やっとのことで洞窟前に辿り着く頃には、完全に日が沈んでいた。私は最小限の魔素で魔素探知(プローブ)を放つ。どうやら使用する魔素が多ければ多い程、毒薬が体内に回って魔素操作の妨害を行うようである。

 

「……居たです」

 

 洞窟の奥深くで、レストドラゴンはとぐろを巻いて眠りについていた。

 魔素変換で魔素探知を<マジック・アロー>へと変化させる。狙う先は顎の下にある逆鱗。全竜種族に共通する弱点部位だ。月によって強化された魔素でも、貧弱な出力ではまるで生かすことができない。今の状態で勝利できる唯一の方法は、弱点を突くしかなかった。

 

「射抜けっ!」

 

 今できる最大限の魔素を込めた<マジック・アロー>が着弾し、青銀の閃光が洞窟から溢れ出る。遅れて小さな悲鳴が響いた。

 私は茂みに隠れて、新たな魔素探知を放つ。

 

 洞窟から姿を現したレストドラゴンは、眼を怒りに血走らせて、襲撃者である私を探そうとしていた。

 落ち着こう。まだこちらの位置はばれていない。

 ここに来るまでに考えた作戦通りに行動すれば勝てる計算だ。だから、淡くてもその希望を信じよう。アーシャのためにまずはこの竜に勝たなくてはならない。

 

「次です」

 

 二本用意した<マジック・アロー>の内一本を、まずは右眼に放つ。微細な魔素探知からの高速変換によって魔法の矢が生み出されるため、攻撃が発生してからではないと感知できないようになっている。

 逆鱗をかばうように歩いていたレストドラゴンも、右眼への攻撃を回避するために首を仰け反らせた。そこを狙って魔法の矢で強襲する。

 

 ――クォォォォッ!

 

 悲痛な咆哮が、耳を劈くと共に心を蝕んだ。

 吐き気が止まらない。自分への愚かさと、目の前で苦しむレストドラゴンへの同情が抑えられない。

 

「ああ、分かったですよ。人間は本当に怖いです」

 

 半分だけの心で、これ程までに嫌悪感が込み上げてくるのだ。自殺する人間の心情が少しだけ理解できてしまう。優しい人間には、きっとこの世界は生きるだけでも辛い。

 姑息な手を重ねて、着実にダメージを与えていく。

 

「魔素の霧……」

 

 レストドラゴンが紫色の霧に包まれていく。霧は巨体を包むに留まらず、周囲にまで広がっていく。

 

「……っ!? まさかコピーされたですか!」

 

 私は慌てて霧から距離を取る。

 しかし魔素探知の役目も担う魔素の霧は、私の位置を確りと把握してしまった。

 レストドラゴンの朱の瞳が、私を睨み付ける。

 

「間に合わないですっ」

 

 魔素の霧が無数の<マジック・アロー>に変換される。そこまで完全に模倣できるのか。流石は竜の中でも身体能力が低いとされながらも、魔素操作だけで上位に立つ『沈黙竜(レストドラゴン)』だった。

 

「アーシャ、ごめんです。ちゃんと届けるですよ――」

 

 想いは魔法、魔法は想い。

 どうか、私の最後の魔法だけは届けてほしい。

 全方位から魔法の矢が鏃を私へと向けた。

 そして、すべての魔法の矢が高速で放たれる。

 

 迫り来る紫色の閃光に、私は最後まで眼を見開いていた。


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