スルト村は田舎育ちの私やアーシャには、親しみやすい牧歌的な雰囲気に包まれていた。民家は数える程しかなく、村の周辺には小さな牧場と畑が広がっている。村の中心の広場では、大きな桜の木が花弁を散らしていた。村の風景に何か違和感を感じたが、その正体を掴めずに首を捻る。
私は馬車を降りるとすぐ出迎えてくれた村の少年――村長の孫で名前はマルと丁寧に名乗ってくれた――に連れられて、村長宅を目指していた。
「妙です……」
竜の襲撃を二度受けているという話なのだが、それにしては平和過ぎる。
馬車の中で、私と同じく寝てしまったらしいアーシャが、目元をこすりながら村の様子を視線で探る。
「んー、確かに妙だね。みんな竜なんか怖くないみたい」
私たちの疑問に、マルが無邪気な笑みで答えてくれた。
「騎士様が来て下さったんです」
「騎士様……?」
「はいっ! すごく強い人達で、村にやってきた竜を追い返しちゃったんです!」
ソレル王国から騎士は派遣されていない筈だ。通りすがりのギルドナイトでも居たのだろうか。
「竜を追い返しちゃうんなんてすごく強い騎士だねぇ。常識はずれのその強さ――まさに神様の祝福100%、ただし
「それ、褒めてるです?」
「それにたった二人だったんですよ、すごいですよね!」
「二人で?」
ギルドナイトは最低でも三人編成だ。依頼中に一人が死んでしまったのなら話は別だが、そんな疲弊した状態で竜をたった二人で撃退するようなギルドナイトは記憶にない。相手が凖宝石竜とまで呼ばれた
「ここが、爺ちゃん……じゃなくて、村長の家ですっ!」
村長宅は他の家に比べて特に違いはなかった。見た目通りに貧しい村なのだろう。
私は玄関のドアを開けて、手招きするマルの横を通り中へと入った。
「小難しい話は苦手だから、外で待ってるね!」
「村の外には出ちゃ駄目ですよ」
「そんなに子どもじゃないよ」
「子どもより目が離せなくて困るです」
「つまり、ワタシはシエルにとってそれだけ魅力的なんだね!」
「…………」
「今みたいに何度でも見蕩れてしまいそうな程に!」
「睨んでるですよ」
「だからゾクゾクするんだね。はぅ、シエルの鋭く冷たい眼差しがワタシを――」
何かよくわからないことを捲し立てるアーシャを放っておき、私は玄関のドアを勢い良く閉じた。
「失礼したです」
「い、いえ……」
マルは得体の知れないアーシャか、それとも私の無表情にか、怯えた様子を見せる。
「うむうむ、懐かしいものを見た気分じゃ」
部屋の奥から快活な笑い声が聞こえてきた。
「よくぞ来て下さった、二代目『
奥から現れたのは、杖を突いた白髪の老人だった。皺は多いがどこか茶目っ気を感じさせる若作りの顔に、力強さを感じさせる足取りが印象強い。元冒険者なのかもしれない。ゆったりとしたシャツとズボンからは判断できないが、恐らくはその中に鍛え抜かれた肉体が隠されているに違いない。
老人は私の前に立つと、長い杖を支えに腰を真っ直ぐに伸ばした。
「儂がこのスルト村の村長で、ゼノンと申します。不躾な依頼を引き受けてくださり、ありがとうございます」
「……滅竜騎、それが私の
「ははっ、そうですな、それこそ失礼でしたな」
「いえ……。申し遅れましたが、私はギルド連盟から竜討伐の依頼を受けたシエル・エントールです」
「ええ、よく知っておりますとも。エレン様の御令孫なのでしょう」
思わぬところで祖母の名前が出てきたため、私は目を丸くした。
私の反応に、村長は声を出して笑った。
「因果なものですな。かつて、エレン様に救って頂いた儂が、再びその御令孫に救いを求めることになるとは……。ああ、失礼致しましたな。ささ、こちらへお掛けになってください」
小さな家なので応接用の部屋を用意するだけの部屋数もないのだろう。私と村長はダイニングのテーブルを挟んで対面に座った。
「マル、お茶を用意しておくれ」
「分かったよ、爺ちゃん」
ぱたぱたと足音を立てて、マルは部屋の一角にある台所へ入っていった。
「さて、何から話せばよいものか……」
祖母の話を聞きたいと思ったが、それよりも目前に迫る死闘へ備えることが先決だろう。
「まずは、竜を撃退したという二人の騎士について聞いてもいいです?」
「ああ、あの方々についてですかな。マルがそう呼んでいるだけで、騎士ではございませぬぞ。正確には冒険者でしたな」
「冒険者?」
「ええ、そうですな、滅竜騎殿と同じシトレ魔法学院の制服を着ていましたぞ」
「名乗っていたです?」
「いえ、本当に襲撃にちょうど居合わせだけで、竜を追ってミヤガ山へと登って行ってしまいましたな」
「……そうですか」
竜が相手にできる学生となると、その人数は大分限られてくる。順当に考えれば魔錬科の先輩だろうけど、はて、私は何かを忘れている気がする。
「お茶、用意できました」
考え込んでいる内に、マルが急須で湯飲に極東茶を注いでくれていた。
「ありがとうです」
行き詰まる思考をリフレッシュしようと茶を一口飲む。
「苦いです……」
「え? そんな、そこまで苦かったですか?」
私が物凄く渋い顔をしていたのか、マルが心配そうに顔を覗き込んできた。
「いえ、お茶の苦味が余り得意ではなかっただけです。大丈夫ですよ」
と言いつつも、これはやはり苦い。茶葉の問題だろうか。それとも単純にマルのミスなのだろうか。
村長は同じ茶を飲んでいるというのに、表情一つ変えなかった。いや、極東茶を飲んで和めない時点でやっぱり苦いの我慢しているのかもしれない。こんな村で高級品である極東茶を飲めることになるとは思わなかったが、極東茶をここまで不味くすることができるとも思わなかった。不幸中の幸いならぬ幸運中の災いなど誰も求めていない。
「話を続けますかな」
村長はマルをギロリと睨みつけてから言った。マルはビクリと肩を跳ねらせて、逃げるように部屋の隅に移動してしまった。
「はいです」
私はマルの名誉と憐れな極東茶の犠牲に誓って、何事もなかったかのように会話を再開する。
「レストドラゴンが暴れている理由は分かるですか?」
「なんとも言えませんな。あのドラゴンは最近になってミヤガ山に住み着いたのです」
竜玉の奪取は勘違いで、元の棲家を追われてその苛立ちから暴れているのだろうか。それにしては同じ村に向かって二度も襲撃を仕掛けるのは妙な気がする。……村に訪れた時と同じ違和感がまたよぎる。
「ん……ん?」
「どうかされましたかな?」
「いえ、少し引っかかりが……でも、よく分からないです」
私は青汁を飲む気分で極東茶をすすった。
……逆に思考が曇ってしまった。
「滅竜騎殿、一つ質問をしてもよろしいかな」
「はい、別に構わないです」
村長は白い髭が生える顎に手を当てて、目を合わせずに問い掛けてきた。
「より多くの者を救うために、少数の犠牲を切り捨てることができますかな?」
「それは覚悟の話ですか?」
私がまだ幼いから、過酷な戦場での覚悟を問いているのかと思った。
しかし、村長の次の一言で、それは勘違いだと気付く。
「村を救うために、国を救うために、大切な誰かを犠牲にできますかな?」
眼を見ればすぐに分かった。瞳が深い悲しみを湛えて鈍く輝いている。この人はその経験をしたのだろう。私にとってのアーシャを失ってしまったのだ。
「私にはきっとできません」
嘘を吐かずに正直な気持ちで答えた。
「では、大切な誰かを奪われたのならどうですかな?」
今度の問は、目を合わせて行われた。
「えっ……?」
「奪った人間をどうしますかな?」
「私は――」
そんなこと決まっているです。怒りと悲しみしか知らない私にできるのは、アーシャの死に嘆き悲しみ、そして怒り狂うこと。アーシャを奪った人間を、その関係者全員を皆殺しにする。その行為を否定した人間もまた始末する。私の復讐を邪魔するあらゆるものを排除する。
アーシャの居ない世界になんの価値もない。アーシャを奪った世界の存続を認めない。
そんな風にアーシャに向かって言ったことがある気がする。
『アーシャを失ったら、私は世界を滅ぼすですよ』
『あはは、それじゃあワタシは世界の守護者だね! 命を無駄にするつもりはなかったけど、うん、大丈夫! シエルを置いてなんていかないよ』
その後、抱き着かれて殴り飛ばしたのも覚えている。……思い出が汚れた。殴り飛ばした記憶は消去しておこう。
村長は私が回答を口にしなくても、表情から察したようだ。
「儂も復讐を誓うでしょうな」
凄絶な凄みを感じて、私は何も言えなかった。空気が重く息苦しさまで感じる。こんな時にアーシャの脳天気な明るさが必要だというのに、一体どこまで行っているのだろうか。
少し離れた場所で椅子に座り、読書をしていたマルが気不味そうに視線を送ってくる。
私にフォローを求めてもらっても困ってしまう。空気を読まなかったり、空気を壊したりするのはアーシャの役目だ。
それでも、このまま重苦しい沈黙を続けていては精神的に辛いだけなので、なんとか明るい話題転換できないかと口を開きかけて、
――クォォォォォォオオッ!!
地鳴りを呼ぶ程の咆哮が響き渡った。
「っ!? レストドラゴンっ!」
祖母から教えられた知識から、私は正体を推測する。
レストドラゴンは濁りがなく美しい鳴き声なのだという。まさに今聞いた咆哮は、分厚い音でありながら天上の調べというべき美しさを秘めていた。
「村長とマルはすぐに避難をするですっ!」
私は走りながら詠唱をした。
「アーシャ!」
村長宅から飛び出してすぐに周囲を確認するも、アーシャの姿は見つけられなかった。
「――上にっ!」
頭上を影が横切った。大きな影のシルエットが地面で旋回する。豪風が私の髪を乱れさせる。
私は顔を上げて、遂に
全長は5メートル程で、全身に霧状の魔素の鎧を纏い、背は紫色の鱗、腹は黄土色。ルビーのように朱の輝きを宿す双眼には強烈な敵意が宿っていた。
薄く向こう側が透けて見える双翼の翼膜を背部に閉じて、強靭な四本足で地面へと降り立つ。
――クォォォォォッ!
透明な咆哮が空気を痺れさせる。
村中が狂騒に包まれていた。村人は全員、この竜を撃退した二人の騎士を信じ切っていたのだろう。絶対的な安心感を与えるまでに圧倒的な戦いを展開したに違いない。しかし、ここに再び竜が現れたということは、その二人は敗北したのだ。色々と疑問点はあるが、今は目の前の竜と、どこかに行ってしまったアーシャが大事だ。
レストドラゴンは怒りで血走った眼で私を睨み付けてくる。蛇に睨まれた蛙というのは、こんな気分を味わっているのだろうか。
「でも、窮鼠猫を噛むとも言うですよ?」
私は右手を前に構える。
蛙ではなく鼠へ、更には猫へ、蛇へ――やがて竜へ、そしてそれすらも超えて――
「二代目滅竜騎、シエル・エントール。お相手するです」
魔素を体全体に行き渡らせる。
「大いなる竜よ、我が
最近の展開的にあらすじ詐欺な気がしてきました。
あらすじは書き換えた方が良いのだろうか……。