私はギルド支部へ辿り着くと、アーシャを一階の酒場に縛り付けてすぐに受け付けへ走った。……自分からあんな手の繋ぎ方をしたのが恥ずかしかったからではない。
受付で家名付きで名乗ると、すぐに二階のギルドマスターの執務室へと通された。二階へと上がる前に受付嬢から「この先は魔法の使用は禁止です」と注意を受けて、私は仕方なく常時発動していた
王都ソレイユのギルド支部は、世界でも屈指の依頼達成率を誇っている。評判が良ければ更に仕事は集まり、仕事が増えればより大きな金が動く。それは巡って冒険者へのサポートの充実へと結び付く。
その好循環をシステム的に実現したのが、今目の前で執務机に腰掛ける妙齢の女性だ。
「お久し振りですね、シエルさん。半年振りでしょうか」
私は促されるままに応接用のソファに座った。
「はい、祖母の命日に会ったのが最後ですから」
「……長寿種である私が口にするのは皮肉かもしれませんが、命とは儚いものですね」
獣人族特有の頭頂部から伸びる大きな耳がへなりと力を失う。服に開けられた穴から出されたふさふさで大きな丸い尻尾も垂れ下がる。美人は悲しみの顔を浮かべてもなお美しい。襟が深く全体的にゆったりとした黄色のワンピースドレスが彼女の気品さを際立てている。
体毛はすべて銀色で、根源魔素《エーテル》よりも更に浄化された
――『
「いいえ、トゥーナルが優しい心を持ってるのは知ってるですよ。それに儚いことは悪いことばかりではないです。必死だからこそ、人間は魔法を従えられたのだと思うです」
「ふふっ、そうかもしれませんね」
トゥーナルの縦長の耳がピョコリと起き上がった。表情は完全にコントロールできるというのに、やはり嘘が吐けない人だ。
ギルドマスターを務める彼女とは、祖母の繋がりで昔からの馴染みだ。未だに人間本位の組織が多い中、ギルド連盟ではあらゆる種族を受け入れている。
世界のために命懸けで奔走する冒険者達を支えることが目的であり、世界経済の要を担うことから大国の賄賂や強行的な態度にも屈しない。陰で世界の真の支配者と囁かれるが、事実としてギルド連盟がその気になればあっという間に世界は支配されてしまうことだろう。
トゥーナルは神棚に安置された鈍色の箱を見上げた。
「我々は魔法文明をより良い未来へ導かねばなりません。それこそが、ギルド連盟の真の目的であり、かつての科学文明への償いです」
箱は金属製の魔導具で、赤色で数値を表示している。
因果粒子数『-59.7721』。この数値は大きいのか、それとも小さいのか、そもそも何を意味するのか一切解明されていない。ただギルド連盟はこの数値を限りなく0へと近づけることを真の目的としている。
「トゥーナルはまだ謎を追ってるですか?」
「ええ、この身が神に仕えるものならば、私は真実を知りたい」
アーシャを置いてきて正解だった。もしも連れてきていれば、難しい話イコール退屈な話のアーシャではすぐに居眠りしてしまうだろう。
「極東列島、そこで『
トゥーナルはシトレ魔法学院の魔法歴史科を卒業しており、歴史談義を愛している。私もことあるごとに巻き込まれてすっかり付いていけるようになってしまった。
極東列島は『始まりの魔法』に巻き込まれて消失し、東方の民は世界へと散り散りになった。
世界は謎の力――解明されたその正体を
では、『始まりの魔法』とは何だったのだろうか?
当時の文献はほとんど残されていない。
ただ大きな戦いがあったことは確からしい。
世界を一度滅ぼし、世界中に根源魔素を振りまいた人類の敵を『円環の魔女』と呼ぶ。彼女は根源魔素へと適応した特殊な人間であり、世界を我が物にしようと科学文明を滅ぼそうとしたのだという。
しかし、人間の英雄たちに敗北しこの世界から消滅した。
おどぎ話や英雄の物語のラスボスと言えば『円環の魔女』だ。小難しい歴史は知らずとも、その存在は誰もが知っている。
「ですが、魔女のことを聖女と呼び称える者たちも居ます。『聖王教会』……あるいは彼らこそが真実に近いのかもしれませんね」
――魔女は世界を滅ぼすのではなく世界を存続させるために『始まりの魔法』を行ったのだ。
それが聖王教会の主張だ。確かに見方を変えれば、魔女は魔法文明の生みの親でもある。最も世界中から忌み嫌われる魔女を聖女と称える聖王教会は邪教扱いで、教徒は魔女狩りとして罪を犯さずとも死刑にされている。
私達の生きる魔法文明は謎だらけで、とても不安定だ。研究者によると根源魔素は年々減少しており数百年後には完全に枯渇するとまで言われている。
果たして何が正しいのか、私には分からないしきっと誰も分かっていない。
私は世界の明日などと小難しいことは考えるよりも、毎日を生き抜くのに精一杯だ。
「そもそも今の魔法歴史は、幾ら禁忌とはいえ『始まりの魔法』へ臆病過ぎるのです。そこにこそ真実は隠されている可能性が高いというのに、それにギルド連盟の者達も因果粒子数の存在を深く考えません。どうしてなのでしょうか……あれ程の謎と魅力に満ちた存在をどうして……いや、それとも隠蔽なのでしょうか。まさか、でも、逆に考えれば――」
「あの、トゥーナル、ご機嫌に歴史考察をしているところ悪いですが、そろそろ依頼の話に入っていいですか?」
「……失礼致しました。私ったらまたトリップしてたみたいで」
しゅんと丸くなる耳と尻尾。
少しだけもふもふしたいと思ったが、それではアーシャと変わらないと自分を戒める。
「分かってるですよ。トゥーナルは私に気を使ってくれたんですよね」
トゥーナルは姿勢を正して真っ直ぐに私を見詰めてきた。
「覚悟はできているんですね」
「はいです。逃げるぐらいなら前へ、と進もうと思ったです」
「面倒臭がりで、臆病で、それでも勝気だった貴女が変わったのは、アーシャさんのお陰でしょうか」
地味に容赦のない物言いをするのがトゥーナルという女性だ。本人に自覚はない。私は自覚を持って毒舌を吐いているので、もしかしたらトゥーナは私よりも
「なんでアーシャの名前が出るですか」
「ふふっ、シエルさんはやっぱりアーシャさんが好きなのですね」
「違うですっ!」
大人の笑みでトゥーナルは私をからかってくる。
「はぁ……アーシャは傍に居ても居なくても迷惑な存在です」
「全く素直じゃないですね。……さて、そろそろ本題に入りましょうか」
トゥーナルは立ち上がって、壁一面に広げられた王都周辺の地図に目を向ける。白く靭やかな指を指揮棒のように振るい、一つの村を指し示した。
「スルト村。ここに飛竜が出現しました」
「王都に随分と近いですね。これなら騎士団を派遣するべきだと思うですよ?」
「その通りです」
私の指摘に重々しく頷く。
その反応だけで、今回の依頼の奇妙な点が悪意に満ちているのだと理解できてしまった。
「つまりエントール家が裏で動いたですね」
「それにベレオルン家もです」
「私もアーシャも嫌われたものです」
「……私はギルドマスターでありながら、大国の意志に逆らえませんでした。今回の依頼は私の不甲斐なさが原因です」
うつむくトゥーナルに、私は首を横に振る。
王都ソレイユのギルド支部は、宮廷貴族の権力闘争へと巻き込まれてしまっている。エントール家やベレオルン家は過去の功績や『滅竜騎』の活躍を楯に取って、弱小でありながらもその闘争を大きく動かす力を有している。その争いに、私やアーシャを利用しようとしているのだ。
「違うですよ。私こそが原因です。トゥーナルには迷惑を掛けているです」
「本当に……強くなりましたね」
トゥーナルは胸に手を当てて、こくりと頷いた。仕切り直す時の彼女の癖だ。これが出たということは今回の一件でくよくよするようなことは無いだろう。
「では、依頼の説明に戻ります。討滅対象は飛竜――その中でも魔素を自在に操る
「また珍しい竜が出てきたですね」
「どこから現れたのかまだ調査を続けています」
「やれやれです。調査も万全ではないのに駆り出される……本気で私を使い潰すつもりらしいです」
「無駄話は後で。数日前よりレストドラゴンはスルト村のすぐに近くにあるミヤガ山に住み着いており、度々村の周辺で暴れまわっているのです」
「レストドラゴンがです? どうして、そんな」
「はい。レストドラゴンは、竜玉を守護する大人しい種族です。本来であれば人の前に姿を表わすことすら稀な存在であるというのに、攻撃を仕掛けるということは」
私はトゥーナルの言葉を引き継いだ。
「竜玉を盗み出した馬鹿が居るですね。そうでなければ、レストドラゴンが守り場を離れて、しかも人間を襲うなんてありえないです」
レストドラゴンは、沈黙竜と呼ばれるだけはあって咆哮一つ上げない物静かな性格だ。竜玉と呼ばれる宝石を手に握り締めた状態で生まれて、それを一生守り抜くことが彼らのすべてである。死にゆくレストドラゴンは秘境へと旅立ち、生涯守り通した竜玉をどこかへ隠すのだという。
竜玉という宝があることが分かりながらも討伐隊が組まれないのは、例え幼体であっても強力な魔素を宿しているからだ。割に合わない戦いなど誰もやらない。
「……詳細は依頼者であるスルト村の村長、ゼノンさんに聞いてください。滅竜騎に竜を語る程の愚行はありませんから、私から伝えられることは以上です」
「充分です。ギルドマスターの時間を割かせてしまい、寧ろ申し訳ないですよ」
「冗談がうまいですよね、シエルさんって」
「…………」
物凄く高レベルな皮肉を言われた気がする。解説するとトゥーナルは「私が誰かに気にかけることはありえない、だから冗談なのでしょう」と言いたいのだ。
「私にだってそれぐらいの優しさはあるですよ」
「それ以上の図々しさがありますけどね」
「…………」
くすくす笑いながら口にする台詞では断じてないと思うです。
私は早々に辞去することを決めた。やはりトゥーナルは苦手だ。幼い頃の私を知っている分、何も言い返せない。もしかしたら私は、アーシャに言い包められる自分の姿を見せたくなかったのかもしれない。我ながら似合わない見栄だ。
「馬車をギルド前に手配してあるのですぐに出発できますよ」
「…………」
こうやって私の僅かな表情変化や雰囲気から先回りをしてしまう。
「ふふっ、ではアーシャさんによろしくお伝えくださいね」
「はいはい、ですよ」
背を向ける私に、トゥーナルはいつも通り丁寧なお辞儀をしていることだろう。深く頭を下げて、見えないところでその優しさを披露するのだ。だから私は苦手だ。私の魔素感知の能力を知り、纏っている純粋魔素の流れから動きを推測できるのを知っていてやっている。
「――
トゥーナルは『銀聖獣の詩』を出立への手向けとした。
幸せを運ぶ者よ、そなたこそが幸福を享受するに相応しい――そんな私には最も相応しくない詩を歌うのは、トゥーナルなりの皮肉めいた優しさだ。
振り返ればきっと、整った顔立ちを悪戯な笑みで崩していることだろう。
だから私は、無言で執務室を後にした。
*
一階の酒場に戻ると、アーシャはすっかり不貞腐れていた。
「ぶーぶー、ワタシだってトゥーナルちゃんと久し振りに会いたかったのにぃ……」
「ちゃん付けされる歳じゃないですよ。学院長と同じで」
「つーんっだ」
丸テーブルに顎を乗せて唇を尖らせる姿に、私も少しは反省した。
「トゥーナルちゃんにいじめられるシエルが見たかったのにぃ」
……やっぱり私は私らしくいよう。反省などしてやんないのです。
「拗ねてないで早速出発するですよ」
「…………」
「何をそんな私の手の方を見てるですか?」
「……分かってるくせに、シエルは意地悪なんだ」
「それこそ分かってくせに、なのですよ」
「ここから動いてあげないもんね。動かざること山のごとし、椅子の上にも三年だよ!」
「誤用かどうか分かり辛い間違いをするなです」
言い間違いを自覚したのか、赤くした顔を突っ伏して腕の中に隠した。
私は額を手の甲でぽんぽんと打つ。これからが本番なのに、どうしてこんな馬鹿げたやり取りをしているのだろう。アーシャには自覚が無いのだろうか。うん、無いのだろう。
「ほら、行くですよ」
私はアーシャの肩を叩いて、顔を上げたところで手の平を差し出した。
「えへへ」とアーシャはいつも通り微笑んでくれると思ったのだが、無表情で何も反応を示さなかった。
「えっ?」
戸惑う私の横を抜けて、アーシャは大きな荷物を背負って一人で足早に歩いて行ってしまう。
無意識にその背中へ、私は見捨てられた赤子のように手を伸ばしていた。アーシャは足を止めないでそのままギルド支部から出ていってしまう。
「アーシャ……? アーシャ、アーシャっ」
私は慌てて駆け出す。
両開きのドアを弾く勢いで開け放ち、ギルド支部からシーゼリア通りへと飛び出した。
「えへへ、びっくりした?」
そこには、いつも通りに微笑むアーシャの姿があった。
アーシャは舌をペロリと出して、
「細やかな仕返し、迷子のシエルちゃん作戦、みたいな!」
「…………っ」
私はアーシャのマントの裾をちまりと摘んだ。アーシャから見えないように俯いて表情を隠す。
「し、シエル……? え、ええと……や、やり過ぎちゃったかな、ごめんね」
おろおろするアーシャに対して、私は顔を上げられなかった。
「…………あんなに慌てて出ていって忘れ物ないです?」
「だ、大丈夫! ワタシがシエルの荷物を失くしたりしないよ!」
「……先週貸した基礎魔術学のノートが返ってきてないですよ」
「な、なな、失くしてないよ!」
「……ふーん、信じてるですよ?」
「う、うん! 大丈夫、ちゃんと返すから!」
「どうやって返すですか?」
「えっ?」
「だって、ノートは委員長が落ちてたのを拾って届けてくれたですよ?」
「……はう、あう。ごめんなさい。探したけど、見つからなくて……」
学生寮の門限になるまで毎日遅くまで外出していたのを知っている。そして幾ら探しても見つからなかった後は、同じ講義を受ける同級生や、以前に講義を受けていた先輩にまで協力を頼んで新しいノートを作ろうとしていたことを知っている。
「はぅぅ、失くしたこと隠しててごめん」
「許さないですよ」
私はアーシャに背を向けて、すぐ側に止まっていた馬車の元へ歩いて行く。乗車口で待っていたギルドの御者に確認を取ると、トゥーナルが手配してくれたのはこの馬車で間違いないようだ。ギルド連盟の印である二本の杖が交差するエンブレムが後部にはめ込まれていた。襲撃の可能性も考慮しているのか魔法の加護をされて頑丈な作りになっている。
「ま、待ってよ、シエル!」
御者にすぐ発進するように伝えてから、私は馬車へ乗り込んだ。後を追って慌ててアーシャも乗り込む。
「うぅぅ、変な悪戯してごめんね、ノートもごめんね」
「静かにするです。到着まで二時間は掛かるみたいですから、私は寝てるですよ」
乗車席は三人乗りだったが、私はアーシャに寄り掛かるようにして座る。左肩を枕代わりにして、右手を前から回してアーシャの真紅のマントを掴む。
「シエル? え? ええ?」
「だから静かにするです」
「ごめん……」
私は瞼を閉じて寝たふりをする。
せいぜい私が甘えるのに素直に喜べず苦しめです。
――あの時、無表情で去っていくアーシャが、いや、置いていかれることが怖かった。本当の本当に怖かった。
あの一瞬、感情が暴走するのが分かった。
嫌だ。置いて行かないで。もう独りは嫌です。ずっとずっと傍に居て欲しいです。ごめんなさいごめんなさい、わがままでごめんなさい、重荷になってしまってごめんなさい。でも、それでもアーシャの傍に居たいです。アーシャに傍に居てほしいです。
――どうか、どうか、私を見捨てないで。
馬車が馬の嘶きに応えて、ゆっくりと動き出す。
静かな揺れとアーシャの温かさに、私は微睡んでいく。
「許さない訳ないですよ」
「えっ?」
「私がアーシャを嫌うなんてありえないですよ」
「……ごめんね」
「なんで謝るですか」
私は眼を閉じたまま、虚ろな意識で会話を続けた。
アーシャの手が私の頭を優しく撫でる。
「ううん、私もシエルを嫌ったりしないよ。だって、大好きだもん」
「…………」
さらりと告げられた何度目かも分からない告白に対して、私はやはり返す言葉を持っていなかった。
やがて演技ではなく、眠気に負けて本当の睡眠へと落ちていく。
ふと、一瞬だけど何気ない疑問が浮かび上がった。
――どうして、アーシャはあの時、改めて私に告白をしたのだろうか。
*
「ごめんね」
アーシャは、膝の上で眠るシエルの髪をそっと梳いた。
「いじめるつもりじゃなかったんだよ」
規則正しく揺れる馬車をゆりかごにシエルはすっかり寝入っていた。いつもなら少しでも触れれば跳ね起きるぐらいなのに、本当に疲れが溜まっているのかもしれない。
「ただ、知っておきたかったから。ワタシが居なくなった後、シエルがどうなるのか」
アーシャは慈愛に満ちた表情を苦笑に変えた。
「えへへ、でもだめだね、ワタシもシエルもべったり依存し合っちゃってる」
窓から見える荒野の風景は、淡々と代わり映えもなく地平線まで続いていた。雲一つない快晴空と、草一つないひび割れた大地。カッセリア地方ではよく見られるなんの変哲もない景色だ。大地のほとんどが既に死んでおり、都市や集落の周辺のみが魔法の補助を受けて緑を茂らせている。
魔法は偉大な力だ。不毛の大地を蘇らせてしまうのだから。
「でも、魔法でもすべては救えない。ワタシもシエルも救えない」
普段からは想像できない大人びた口調で、アーシャは眠るシエルに語り掛ける。
「どうしてだろうね、ワタシもシエルもただ生きていたいだけなのに……どうして、こんなにも邪魔ばっかりされちゃうのかな」
覚悟は決めて欲しいけど、決して届けたくない現実を口にする。
「――別れの準備、しておいてね。ワタシはきっとシエルを選ぶから」
感想が……1つになった?
評価点が安定の7。なんだか感動しました。
小説情報を思わず二度見してもしょうがないと思う。
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