魔法学院の百合の花   作:potato-47

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第8話 最後の平穏

 初代滅竜騎エレン・エントールは、エントール家の救世主であり、ソレル王国の英雄だった。

 しかし私にとっては、優しいお祖母ちゃんでしかなかった。

 

 かつて、エントール家は心に関する魔法を研究する魔法使い一族だった。その研究成果が、心を喪失してしまったソレル王家の王妃を救ったことから、褒美として爵位と領地を与えられ、貴族となって繁栄していった。しかし、成り上がり貴族を嫌う旧家からは排除しようとする動きがあり、とある事件によって心に関する魔法は禁術扱いを受けてしまい、唯一の活躍の場を奪われたエントール家は瞬く間に衰退していった。

 

 短い繁栄の時は過ぎ去り、エントール家は名ばかりの貴族に落ちぶれてしまったのだ。

 その衰退からエントール家を救ったのが、エレン・エントール――私の祖母である。

 

 祖母は生まれた時から膨大な魔素を宿し、またその魔素を扱う明晰な頭脳と技量を持ち合わせていた。その才能は十を過ぎる頃には戦場へと赴いて活躍していた程だ。

 数十年前まで、ソレル王国は大大陸すべてを支配しようとするグラン帝国と戦争を繰り広げていた。祖母が活躍したのもこの戦争が始まりで、そしてグラン帝国が竜を兵器利用したことから、悲劇は始まってしまった。

 

 竜狩りをできるのは、同じ竜か、あるいは化け物である。

 祖母は化け物になってしまった。ただ大切なものを守るために、死力を尽くして戦い抜いた祖母を誰もが恐怖した。

 

 グラン帝国が滅んだ後、ソレル王国の国民は多くの命を竜に奪われ、またグラン帝国の象徴が竜であったことから、もはや世界中の竜に憎しみを抱く程であった。

 王家は国民からの支持を戦争により疲弊した中で得るために、新たなる刻名(イリス)を生み出した。

 

 ――滅竜騎(ドラゴンキラー)

 

 それは名誉の二つ名。ソレル王国から与えられし神聖なる刻名(イリス)

 実際はただの無理を押し付けられた道具でしかない。最悪の皮肉だ。

 

 それでも、祖母は戦った。帝国側から寝返ったベレオルン家の協力を受けて、ひたすらに戦い続けた。

 その結果、祖母は愛する人を失い、子を失い、友を失い、本来享受できたであろう幸せを失った。

 それでも、それでも……祖母は笑っていた。

 

 エントール家当主を継いだ妹に魔素が枯渇し戦えなくなるまで利用され続けたというのに、誰にも憎しみをぶつけず、ただただ静かに笑っていた。

 

 私は覚えている。祖母の笑顔を。

 私は覚えている。祖母の温かい手を。

 私は覚えている。祖母の最後を。

 

 ――私は、覚えている。祖母が『滅竜騎』を継がせたくなかったのを。

 

 

    *

 

 

 滅竜騎を継ぐつもりはなかった。学院長にあれだけの啖呵を切っておいて難だが、今でも私は滅竜騎という刻名の重さに潰れてしまいそうだ。いや、私の隣で笑顔で居続けてくれるアーシャが居なければ、とっくの昔に潰れてしまっていたことだろう。

 

 祖母は戦場に旅立つ時、いつも隣にベレオルン家の人間を連れていた。

 ベレオルン家は戦争時には帝国の貴重な情報源であり戦力だったが、終戦してしまえば国民感情からして火種でしかなかった。ソレル王家にしてみれば、祖母と同じく使い潰しの道具だったに違いない。

 

 何故ベレオルン家がソレル王国に残り続けているのか、それはきっと祖母のお陰だ。

 厄介者でしかなかった祖母とベレオルン家は、きっと他人には理解できないところで繋がり合っていた筈だ。私とアーシャが二人だけの絆で繋がり合っているように。

 

「ん? どうしたの?」

 

 私が横顔を見詰めていることに気づいて、アーシャが首を傾げる。

 

「なんでもないですよ」

 

「はっ、まさかワタシに見惚れてたの――はうあっ!」

 

「違うです」

 

 アーシャは私にチョップを叩き込まれて、「あぅぅ」と頭を抱える。それでもニヤニヤしているのだから手に負えない。

 

「全く、やれやれです」

 

 初代滅竜騎と同じように、二代目滅竜騎の隣にも、ベレオルンの血族は在り続けるのだろうか。もしそうならば、それはなんて皮肉的で、切なくて、どうしようもないぐらいに幸せなことなのだろう。

 

「躊躇いもなく死地に付いてくる馬鹿はアーシャぐらいですよ」

 

「えへへ、もっと褒めて褒めて!」

 

「……褒めてないです」

 

「じゃ、じゃあ、もっと貶して、罵って!」

 

「はぁはぁ息を荒げながら近づくなです、この変態っ!」

 

「あうっ! た、ただの冗談だったのに……」

 

 アーシャが言うと、冗談に聞こえないから困る。

 私は不貞腐れるアーシャを追い抜くように足を早めた。それにすぐ気づいたアーシャは歩幅を大きくして横に並ぶ。

 

「えへへ」

 

 だから、どうして、そんな風に笑うですか。それに腕に引っついて来るなです。

 私は大きな溜息をついた。

 

 学院長室から出た後、私達は午後の講義には参加せず学生寮に向かっていた。正門から真っ直ぐに本館へ続く白い石畳の道を歩いていく。門の前まで辿り着いてから一度振り返った。

 本館二階の学院長室から視線を感じる。学院長も暇な人間だ。念の為にお辞儀をしてから正門から外へ出た。

 

 学生寮は学院から徒歩で5分歩いたところに建てられている。敷地内にないのは、研究部などの魔法実験が昼夜を問わず行われるため、静かに安眠できる環境ではないからだ。

 

 学生寮の自室へ戻ると、部屋の前に桃色髪の少女が立っていた。胸の下で腕を組み、ドアを背もたれに俯いて目を閉じている。中等部の制服であるクリーム色のシャツに紺色のスカート、茶色のマントをまとっていた

 

 少女はアーシャに良く似た容姿であった。違う点は髪の長さがアーシャのセミロングに対して、少女は腰まで届くロングであることだった。

 

「あー! ミーシャ!」

 

 先程まで、私の左腕に抱きついてだらしない顔を晒していたアーシャが、瞳を爛々と輝かせて手を振った。

 少女――ミーシャはアーシャの脳天気な声に眉をしかめて、ゆっくりを瞼を開けた。走り寄ってくるアーシャを視認すると盛大な溜息をついた。

 

「どうしたの? 困り事? 相談かな? えっへへー、それならお姉ちゃんにお任せあれ――」

 

「姉さんは黙っていて下さい」

 

 ミーシャは手を握ってくるアーシャの手を振り払い、凍えるような声音で言った。

 

「あぅぅ、妹が冷たい……」

 

 ベレオルン姉妹は容姿がそっくりな分、正反対の性格が際立っている。いつでもハイテンションなアーシャに対して、妹であるミーシャは仏頂面でいつも不機嫌オーラを周囲に放っている。アーシャは中等部で孤立気味な妹を心配して、ばれないように様子をよく見に行っていた。……一人で行かせるとばれるので、大体私も一緒だったが。

 

 床に座り込んで膝を抱えるアーシャを無視して、ミーシャは私を睨みつけてきた。射抜くような視線に私は背筋に寒気を感じる。年下とは思えない気迫だ。

 

「私に用です?」

 

「用ではありません。ただ笑いに来ただけです」

 

 ミーシャは、性格からなのかアーシャよりもよっぽど大人びた顔をしている。それを嘲りに歪めた。その表情には中等部二年の少女がするには、余りに酷で深い憎しみが宿っていた。

 

「聞きましたよ。討滅依頼。仮ではありますが、滅竜騎の刻名を継げてよかったですね」

 

 露骨な皮肉に対して、私が応えるよりも早くアーシャが反応した。

 

「えっへん! すごいでしょ、流石はシエルだよね? ミーシャもそう思うよね!」

 

「…………相変わらず馬鹿ですね、姉さんは。だからベレオルン家の恥晒しだと言われるんですよ」

 

「あぅぅ、ごめんねっ、ミーシャにすごくすごく迷惑掛けてるよね。うん、お姉ちゃん、ミーシャに迷惑掛けないように頑張るよ!」

 

「その頑張りからして不要です。大人しくベレオルン領に戻って、静かに生活してればいいんですよ。何度も言ってるでしょう?」

 

「ええっ! でもそれじゃあシエルと一緒に居られないよ?」

 

「……はぁ、本当に馬鹿ですね」

 

 ミーシャはもはや会話することすら耐え切れなくなったのか、アーシャを視界に映さないようにして、私との会話を再開させた。

 

「シエル・エントール、あなたはいつまであの馬鹿姉を利用する気ですか?」

 

「私は――」

 

「言い訳は要らないです」

 

 遮られなければ、私はなんと言うつもりだったのだろう?

 自分自身に戸惑ってしまう。

 

「すべてを元通りにするだけでいいんですよ? いい加減にしてください。あなたが姉と私の人生を歪めたのです。自覚がないのですか?」

 

 自覚している。私は罪人だ。咎人だ。許されざる悪人だ。だからこそ、償いたいと考えている。奪うことしかできない私は、新たに生み出すことはできないかもしれないけど、奪ったものを返すぐらいのことはできると思うから。

 

「……術式がまだ確立してないです。今の状態で行えば、消失する恐れがあるです」

 

 ミーシャは私の返答に苛立たしげに鼻を鳴らした。

 

「馬鹿姉を竜狩りの道連れにする気ですか? 正気とは思えませんね」

 

「私は……あなたが望むすべてを、私が失われたとしても、届けるですよ」

 

 それだけは目を合わせて、真っ直ぐに答えた。

 魔法は想い、想いは魔法。半分だけの心でも、きっと強い想いならば叶うはずだ。

 

「絶対ですよ? 醜態を晒すあの姿、見るに堪えないんです」

 

 ミーシャは無視されて不貞腐れるアーシャを一瞥すると私に背を向けた。そのまま足早に去ろうとするが、

 

「ミーシャもう戻っちゃうの!? もっとお姉ちゃんとお話しようよー!」

 

「嫌です」

 

 にべもなく拒絶される。しかし私の対応のせいで毒舌には慣れているのかアーシャは続けた。

 

「ならさ、クッキー用意するから! 久し振りにワタシが腕を振るって、ミーシャが大好きなレモンクッキー作っちゃうよ!」

 

「――っ!」

 

 ミーシャは振り返ってアーシャを睨みつけた。その眼は少しだけ赤くなっていた。

 

「姉さんは、どうして――そんな、そんな」何度も詰まらせてから、「馬鹿なんですかっ!」

 

 怒鳴りつけるように言って、ミーシャは走り去ってしまった。魔錬科を希望しているせいか、元々戦闘魔法の家系出身ということもあり、ミーシャの動きは感情任せでありながら無駄が少なかった。

 

「クッキーでも釣れないなんて、むぅ、ミーシャとお話したかったのに……」

 

 逃げるように走るその背中に、アーシャは残念そうに呟いた。

 

「次の機会に期待するですよ」

 

「うん、そうする! 次はワタシから会いにいっちゃうもんね!」

 

「それはやめるです」

 

「ええっ、なんでなんで? ミーシャに迷惑掛けたりなんてしないよ!」

 

「…………」

 

 私は自室のドアを開けた。

 二段ベッドに勉強机が二つ。その他には魔術書を並べた本棚と、アーシャがどこからか拾ってきたガラクタが部屋の一隅を支配している。飾り気のない質素な部屋だ。大きな窓が一つあり、そこから差し込む光に四足の椅子が照らされている。

 

「一日振りのシエルとのスイートルーム!」

 

 アホなことを言いながら、アーシャは二段ベッドの一段目――私の寝床に突撃した。

 

「う、う~んっ! シエルの匂いが一杯だよぉ」

 

 ごろごろ転がって私の布団に包まっていく。私は旅の準備が邪魔されるのも面倒なので、布団越しに魔素の紐を作り上げて拘束(バインド)した。

 

「は~う~! 動けないよぉ、でもシエルの布団に包まれて幸せだよぉ、でもでも本物のシエルが目の前に居るから、そっちに抱きついた方がいいような、でもでもでも布団なら頭叩いてこないしぃ……あうあうあうー!」

 

 私は無視した。

 薬草図鑑や調合セットを机の奥から引っ張り出す。学院には設備が揃っているため、来てからはほとんど使用していなかった。野外での活動が主になると考え、できるだけ身軽になれるように厳選する。

 選んだ物をアーシャの大きなバッグに詰め込んでいく。

 

「…………」

 

 ミーシャから言われた通り、私はもしかしたら竜狩りで心中しようとしているのかもしれない。そう思うと、やはり討滅依頼に同行させるのは危険じゃないかと悩んでしまう。しかし非力な私では旅に必要な物を運ぶだけでも一苦労だ。だからといってアーシャ以外を巻き込むのは得策とは思えない。

 

 ベッドの脇に立て掛けられた長杖(ワンド)を手に取る。ゴツゴツとした木の杖で先端が捩れている。長さは私の身長と同じぐらいで、長杖の中でもかなり長い方だ。

 

 ――『滅竜の雷霆(ネイリング)』と呼ばれた滅竜武装(ドラゴンスレイヤー)で祖母の形見である。

 

 私の魔法特性(クオリア)上、杖は必要ない。だが竜狩りに赴くのであれば、祖母の形見であるこの杖を使うことがあるかもしれない。悩んだ末に私は杖を手に取った。

 幾多の竜を屠り、数多の血を染み込ませた滅竜武装は、果たして呪いと加護どちらを授けるのだろうか。

 

 

    *

 

 

 旅立ちの準備を終えた私は、窓を開け放ち外の空気を吸い込んだ。

 満天の星空の中で、少しだけ欠けた月が煌々と輝いている。手の平を広げて月へと伸ばす。届く訳がないのは分かっていても、何度だって私はこうやって手を伸ばした。

 

 月にも人が住んでいるのだという。遙か古代、まだ魔法文明が確立される前の話らしいが眉唾物だ。魔法がなければ空も飛べない人間が、どうやって月まで行けるというのだろうか。

 

「まだ充分に魔素が満ちているです。これなら、あるいは」

 

 空気に溶け込む根源魔素(エーテル)は月光によって活性化している。満月の夜には劣るが、後三日ぐらいならば魔素を満たしてくれるだろう。部屋の多重結界もそのために満月の前後五日間は張られたままになっている。

 

「うぅん、シエルぅ、そんなとこ舐めちゃだめだよぉ」

 

「…………」

 

 私のベッドの上で拘束されたまま寝てしまったアーシャが、呑気な寝言を漏らした。一体どんな夢を見ているのだろう。チョップを叩き込みたい衝動に駆られるが我慢する。起こしたら余計にうるさくなるに決まっている。部屋から追い出そうとも考えたが、やはりやめておく。

 

「委員長の睡眠をこれ以上邪魔しても悪いですからね」

 

 私は窓を閉めて、ベッドの端に座った。

 起こさないように静かに拘束を解くと、アーシャは本来の寝相の悪さを発揮して、布団から手足を出して大の字になった。

 

「変わらないですね、この寝相も」

 

 まだお互いに幼く一つのベッドで一緒に眠っていた頃、私はよくアーシャに蹴落とされ、布団を奪い合い、くだらない争いを繰返していた。

 

 さらさらとアーシャの髪を撫でる。アーシャはくすぐったそうに目を細めて身を捩った。投げ出した手足を引き戻して布団の中で丸くなる。

 

「今日ぐらいは甘えさせてもいいですよね」

 

 私は布団に潜り込んで、アーシャの背中に抱きついた。

 懐かしい温かさと感触から、すぐに眠気が襲ってきた。このまま難しいことは考えずに寝てしまおう。

 

 ――甘えさせるのが、自分自身なのかアーシャなのか曖昧にしたまま。

 

 

    *

 

 

 えへへ、シエルのちっちゃいけど、ふにょんふにょんって柔らかい胸の感触が背中にあたってるよ! はうあうあうー! 首元に寝息がかかってくすぐったいし、すーすー規則正しい呼吸音は可愛いし、すごくなんだか気持ちいいよ! もたれかかるように掛かった細い手がそっと抱き寄せてようとしてるところなんて、いじらしくいじらしくて、やっぱりシエルは素直じゃないね! もっともっと甘えていいんだよ、ワタシはいつだってシエルを受け入れる準備万全だからね!

 

 で、でも、どうしよう、もっとくっついちゃっていいのかな? 正面で抱き締めてぎゅーってしたいよぉ……いいかな? いいよね? だって甘えていいだもんね。はうあう、心臓がばくばく暴れてる。

 

 すーはーすーはー、うん、深呼吸で落ち着……かなーい! シエルの甘くて柔らかい匂いがワタシを獣にしようとするよ!

 

 お、落ち着け、ワタシ! 折角のチャンスなんだよ! 今なら寝相の悪さで誤魔化せるんだから!

 

 よ、よーしシエルが起きないようにそーっと――

 

「うるさいです」

 

「はうあっ!」

 

 やはり起きていたことはバレていたようで、アーシャの野望は成し遂げられなかった。




 竜狩り編? スタートです。
 アーシャの暴走が激化している気がする……。
 そして、シエルのスルースキルも上達していく。

 物語の展開スピードを上げながら、少しずつ二人の距離感も縮めて(もはや密着してますが)、ラヴコメ雰囲気を出していけたらな、と思います。

 では、また。

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