The hunters story―狩人の奏でる旋律― 作:真っ黒セキセイインコ
ユクモ村の朝は早い。住人のほとんどが夜明けと共に目覚め、家事や家業を始めて行く様は、このい村の住人たちがいかに規則正しい暮らしを送っているのかがよくわかる。
唯一、この村で朝のまどろみの中にいる者といえば、そのほとんどが旅人やハンターたちなのだが、この村の居着きハンター、アインの朝もまた早く、今もまたとある場所へと向かうためユクモ村を走り回っている。
先日、約一週間は前のことだが彼女はナルガクルガの襲撃を受け、大けがを負っているはずなのだが、それを微塵にも見せず道行く幼少時よりの顔見知りであるユクモ村の人々に挨拶をしながら快活に走っている。
元来の自己治癒能力が高いのか、それともユクモ村の温泉の効能がそんなに効くのか。
多分どちらもかもしれないが、ハンターという職業の人間は非常にタフならしい。
そして、石畳を河川の飛び石の如く駆け、滝がそばを流れおちる桟橋を渡るとすぐに開けた場所に出た。
まず鼻孔に飛び込んできたのは、青々と生い茂った草木のさわやかな香り。次に朝露で湿った朝の陽ざしをめいいっぱいに吸い込んだ軟らかい土の匂い。
ここはユクモ村の農場なのだ。当初こそ、この農場は単なる荒れ地でしかなかったのだが、現在はアインやトト、村人たちの努力によりこんなにも豊かな場所へと変貌を遂げている。
そして、アインはここで実った野菜の手入れをし、それが終わったら武器の素ぶりなどといった訓練を始めるのが朝の日課となっているのだ。
手始めに駆け寄ったのは今が旬となる《シモフリトマト》の畑だ。辺りの山々の新鮮な空気と渓流から引かれる清らかな水、そして日差しを遮るものの無い豊かな大地で育ったここの野菜は、わざわざ都会の料理人が取り寄せるほどの味らしい。今ではすっかりユクモ村の産業の一つとなっている。
特にここのシモフリトマトは人気の野菜で、都会の人々には果物みたいに甘いなどともいわれているのだとか。とうより味を知っているアイン達ユクモ村の住人にとってみれば何をいまさらとも言えるが。
青々と茂る葉に負けないほど、沢山実ったシモフリトマトの中から完熟に達した物だけを選ぶ。一つ一つ丁寧に触れながら微細な変化を感じ取ることが胆なのだ。この局面で熟し切れていない青っぽい物を採ってしまうと後で痛い目を見てしまう。少しでも早く採ってしまったものは凄まじく酸っぱいのだ。ここがシモフリトマトの栽培が難しいと言われる所以なのである。
基本的に私生活は大雑把なアインなのだが、これを見分けるのに関しては村人の中でもかなり上手い。他の者が十分かけて未完熟交じりのニ十個なのに、アインはほぼすべてが完熟で三十個は収穫できるのである。
そして、今日も出荷分と自宅で食べる物を収穫しようと間近の一つに触れた時だった。
「――――へくちっ……!」
突然訪れた妙な寒気に間抜けな声を出しながらアインはくしゃみをした。一緒になったブチっという音に、ハッとしてすぐさま手元のシモフリトマトを見ると枝から外れ手の中に収まってしまっている。もしもこれが完熟の品ならまだアインは自分を褒めていただろう。しかし、残念なことに彼女の手に載っていたのは片面は赤くなってはいるものの、もう片面は少し青みがかったままの未完熟のものだ。
さすがに甘くてジューシーといわれるシモフリトマトでも、とにかく酸っぱい未完熟な物を出荷するわけにはいかない。そのためこれは必然的にアインが処理することになる。
項垂れながら残念そうに籠の中に放り込んだ。今日のアインの夕食は酸っぱいシモフリトマトのサラダになるのが決定した。結構慣れていることに失敗したのもショックだが、彼女のオトモアイルーであるトトに美味しく調理してもらえないのも結構なショックなのだ。
(あ~失敗したー。いつもならこんなこと無いのに……、今日はちょっと調子がわるいみたい)
今日は朝からずっといやな予感がするなー、なんてぼやきながら立ってのびをする。身体の調子に特に異常は無いため、単なる気分的なものだとアインは思いながら、シモフリトマトの収穫を再開しようとすると、ちょうど桟橋のところに人影が見えた。
少し目を凝らすと風になびく茶髪にヘアピンがついており、それが誰なのかを分からせる。アインは手を振りながら声を張り上げた。
「エンさん、おはよう!」
茶髪のハンター――エンはシモフリトマト畑にいるアインを見つけると微笑みながら手を振り返した。
◇ ◆ ◇
「で、怪我の具合はどうですか?」
「ああ、だいぶマシになった。この村の温泉は本当に何にでも効くんだな」
背の低い青々と生い茂る草の上で彼と話す。
エン。セカンドネームも無く一切の素性のよくわからないこの男の名はそう言った。唯一彼の証明となるのがハンターということで、ロックラックのギルドマスター直々の推薦により、ここへ来たということになっているが実際のところ定かではない。
彼が何者かということを知っているとすれば、ギルドマネージャーか村長ぐらいでだろう。
とにかく言えることは、彼は流れのハンターであることと、アインのパーティであることだ。
「さて、邪魔しちまったな。俺も手伝うよ」
サッと立ち上がり手に付いた土を払いながら彼が言う。その様子からでは肩をナルガクルガの尾棘で射抜かれたことも疑わしく思えるが、実際のところ彼の左肩には今でも傷が残っており、包帯で固定されていている。しかも、あまり動かすなと村の医者ウォロに釘を刺されているはずなのだ。
「気持ちはありがたいんですが駄目ですよ。ウォロさんに止められてるんじゃないですか」
「自分の身体の調子は自分でわかる。それに温泉のおかげなのか身体の調子も良いしな」
左肩を回しながら答えるエン。会ったばかりの頃は何か暗い物を持っていたように見えたが、今はそれも鳴りをひそめ、この頃は静かな笑みさえ浮かべる時もあるのだ。
「うーん……、それじゃあ、お言葉に甘えて、あそこの雑草を抜くのをやってもらえますか?」
アインが横目で見たのは、虫取り箱に近い位置にある畑に小さなジャングルの如く群生している雑草の森だ。あるモノが少し苦手なアインにとっては、虫取り箱の近くのあの草むらを漁るのは苦行であったりするのだ。
「ああ、わかった」
エンは待ってましたとでもいうかのように、雑草はうっそうと茂る草むらに歩いて行く。どうやら療養期間は余程退屈なものであったらしい。アインはエンに気付かれぬように、静かに苦笑すると途中でほっぽり出していた野菜の収穫を再開した。これなら予想より早く終わりそうであった。
◇ ◆ ◇
空気を深く吸い、吐き、放つ。全神経を集中した一撃が空気を切り裂き空気を揺らした。
手に持つは愛剣で普段の獲物である大剣――――荒くれの大剣では無い。現在、あの剣はナルガクルガ戦で大きくその緞帳な刃を欠けさせてしまい工房に修理をしてもらっているからだ。しかし、あの剣をもう一度振るう機会はもう無いかもしれない。数々の武器を手掛ける武器工房の主人でさえ少し難しい顔をしながら『こりゃ直らんかもな』と囁いたのだ。もう使えない物とした方が良い。
だから代わりに持つのは青い色彩に彩られた斧のような武器。しかし、踏み込んで振るうと次は剣を思わせる形に変化した。
この武器の名はスラッシュアックス。銘は
スラッシュアックスとは比較的歴史の浅い武器だ。剣と斧、二つの顔を同時に持ち、大剣には無いある奥の手まである。そして、特徴の一つとして弓のようにビンを装着し、その
アインはここニ・三日、つまりこの武器が完成してから毎日欠かさず、この農場で素振りを続けている。まだこの武器の奥の手であるあの技を使うことができないからだ。それに村の中で高威力の技を使ったら危険というのもあるが、実際のところ何回かは訓練所でやったことはある。しかしそのどれもが成功することはなかった。
元々取り回しの難しい武器である上、クセが強いというのもあるがあの技は特に習得が難しいらしく、アインがまだ使えなくてもおかしくはないはずだが、それでもやはり悔しい物はある。
だからこそ、毎朝ここに来て修練を怠らず振り回している。
そして、とにかく今できることといえば、どれだけ早く無駄な動きもなく形態を変形させ、攻撃に転ずるかというもの。しかし、これもまた難しく、未だに最低限のベストである3秒変形にも届いていない。
これだけを見れば他の武器にすれば良いとも言われるだろう。だが、それでもアインにはこの武器にある拘りがある。
スラッシュアックスは行方不明となった父親の使っていた武器なのだ。アインの最も古い記憶にある父親の背中は何処までも大きくて、そして強かった。だからこそアインはスラッシュアックスを使おうとしたのである。今作れる武器として上がったときに真っ先に飛びついたのも記憶に新しい。
「98……、99……、100……!」
そして、連続100回の素振りを終えた時に、アインは日差しを浴びて暖かくなった地面にへたり込んだ。手から零れ落ちた青熊斧が軟らかい地面に型を付ける。
情けない、連続でたかが100回しか振れなかったとアインは落胆し、もう一度やろうと青熊斧を手元に手繰り寄せた時、声がかかった。
「――――それぐらいにしておけ、肩を壊すぞ」
そこにいたのはいつの間にか雑草を抜き終え、背後に青臭いにおいの放つ山を築いたエンだ。そして、さっきの時とは違い何か冷たい物を含む声だった。彼はアインの腕に指を差しながら。
「その腕、迅竜戦の時、痛めたんじゃなかったか? それ以上やり過ぎると本気で壊れるぞ」
確かにアインの腕はナルガクルガ戦の時に、大剣をふるい続けて痛めた時があった。痛みはもう無くなっているが、それでもさっきの素振り100回程度でまた痛みが走るとは思えない。
「大丈夫です。エンさんも言ったじゃないですか、自分の身体の調子は自分でわかるって」
「それもそうだが、そのことに関しては俺も経験があるんだ。昔に一度な」
何かを思い出すように目を細めてから、それに、とエンが言葉を続け――――、
「――――もう昼だぞ」
「あっ」
エンが言った瞬間、アインの腹から盛大にぐぅーっという音が鳴った。意外にも杜撰な私生活を送るアインだが、やはり年頃の少女としての羞恥心ぐらいはあるらしく、顔を真っ赤にし弁明をはかろうとする。
「……あー、いや、これは――――」
慌てて言葉が回らないアインはエンは静かに笑った。さっきの冷たい物はもう感じない。
「それじゃあ、気分転換がてら昼飯にでもするか。飯は俺が奢るよ」
「さすがにそれは悪いですよ。雑草抜きまでしてもらったのに」
「俺がやりたくてやったことさ。
ここまで言われて断るのは失礼とアインは考えると、またもや鳴り出す腹の虫にやがて徐に口を開いた。
「それじゃあ……、御馳走させてもらいます」
「じゃあ、行くか」
エンがそう言うと先に行き、アインが追いかけるように歩いて行く。向かうは集会所。酒場と浴場がさらに一体化した場所だ。そしてこの時、彼女達は知らなかった。そこであるトラブルが起き始めていることを。